2014年1月22日水曜日

矣・焉について、

(01)
「貴方と私は一心同体である。」
とすることは、物理的には、不可能である。
然るに、
(02)
「私と貴方は一心一体である。」
とすることは、心理的には、可能である。
従って、
(03)
君主=人民
とすることは、心理的には、可能である。
従って、
(04)
文公=宋の人民
とすることは、心理的には、可能である。
従って、
(05)
文公自身が、
文公=宋の人民
と思ふことは、可能である。
従って、
(06)
人民 に既に起こったことは、
自分 にも起こってゐる。
と、文公が思ふことは、可能である。
然るに、
(07)
例へば、日本語の古文では、
[たり・り]
① 完了
日没し・たり=日が沈んだ。
火は既に我が家に移れ・り=火は既にわが家に移ってしまった。
② 存続
白う咲き・たるは夕顔なるべし=白く咲いてゐるのは夕顔であらう。
雪いと白う降れ・り=雪がたいそう白く降り積もってゐる。
接続
「たり」は、活用語の連用形に付く。
「り」は、四段動詞の已然形(命令形)とサ変動詞の未然形に付く。
e.g.
曰、聖人在乎=曰く、聖人在りや。
公曰、=公曰く、に死せ(サ変動詞、未然形)り(完了)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
人民 に既に起こったこと(完了)は、
自分 にも起こってゐる(存続)。
と、文公が思ふことは、可能である。
然るに、
(09)
② 白う咲き・たり(存続)=白く咲いてゐる。
は、「進行形」とすることが、可能である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
人民 に既に起こったこと(完了)は、
自分 にも起こってゐる(進行形)。
と、文公が思ふことは、可能である。
然るに、
(11)
には継続・進行を表わす作用がある。これは完了を表わすのと対照的である(布施郁三、中国古典に於ける矣・焉の解釈、第二版、昭和57年、13頁)。
cf.
完了形と進行形は意味的に対立するように考えられるが、いずれも基本的には基準時点での状態を表現するものだから、必ずしも対立するわけではない(例:英語の完了進行形、日本語の「ている」)。:完了形(Wikipedia).
然るに、
(12)
〔仮定〕
[例]民既利、孤必与
[読み]民既に利あらば、孤必ず与からん。
[訳]人民に利益があるなら、(君主である)私もきっと利益を受けるだろう。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、18ページ)
然るに、
(10)(11)により、
(13)
=完了、=進行形。
であるため、
民既利、孤必与
は、
民既に利あれ(已然形)ば、孤必ず与かれ・り(進行形)=
民に既に利益が有るので、私も、必然的にその利益を得てゐる。
と、すべきである。
従って、
(12)(13)により、
(14)
民既に利あら(未然形)ば、孤必ず与から・む(推量)。
は、誤りである。と、思はれる。ものの、今はまだ、
「本文(春秋左氏伝・文公十三年)」を、読んではゐない。
加へて、
(15)
更に言ふと、
まず、「」であるが、一番カッコヨクいいきる感じで、大阪弁でいえば、「テナモンヤ」と意気高揚した感じである。私は関西人であるので、大阪弁以外の方言はよくわからない。各地に、こういう高揚したときのいいかたがあるに違いない。自分でそういう語に翻訳して考えてほしい。「」は「」と違って、キッとなっていいきる感じである(二畳庵主人、漢文法基礎、昭和59年、新版、157頁)。
といふ説明は、
民既利、孤必与
の解釈には、役に立たない。と、思はれる。
平成26年01月22日、毛利太。

(16)
漢文と雖も、もし文脈が新たになってテンスを表わす必要があれば、必ずこれをする。「今生」「荘公通」の如くである(中国古典に於ける矣・焉の解釈、第二版、昭和57年、14頁)。
(17)
矣という文字は、と矢の合字で、矢を射て、それが一点に至って止るという意味を表わすとされている。これが文章の中で用いられたのを見ると三つの意味を持つようである(中国古典に於ける矣・焉の解釈、第二版、
昭和57年、13頁)。
 (一) 或る運動の結末=完了を表わす。
 (二) 或る判断の結末=断定を表わす。
 (三) 意欲の結末=決意を表す。
(18)
漢字は、どの字も本義から多くの派生を有している。そのうえに同音または近似音による通仮がしきりに行われているが、概して本義転義の同形同音で示されている(中沢希男、同訓異字辞典、1980年、10頁)。
従って、
(13)、(15)~(16)により、
(19)
民既利
の、矣 は、「完了」を表はし、本義に近く、
「キッとなっていいきる感じ」
の、矣 は、「確信・決意」を表はす、転義である。と、思はれる。
(20)
「三省堂、明解古典学習シリーズ16 論語 孟子、昭和48年、71頁」の場合は、
不幸短命死。 
不幸短命にして死せ。 
不幸にも短命で死んでしまった。
に対して、
*  完了の助字。「~てしてしまった」
といふ説明が、されてゐる。
(21)
「仁田峠公人、センター試験対策 漢文キーワード200、平成17年、207頁」の場合は、
矣(置き字)かな (文末に置かれ、断定の意などを添える)
― だなあ。 ― なことよ。
といふ説明しか、してゐない。
(22)
英語であれば、
現在完了、過去完了、未来完了。
現在進行形、過去進行形、未来進行形。
の別が有ることからも判るやうに、
=完了。
=進行形。
であっても、
「意識」の上で、
現在、括弧、未来。
の別が有っても、良いはず、である。
平成26年01月25日、毛利太。