2015年9月28日月曜日

返り点に対する「括弧(箱)」の用法Ⅱ。

― 「昨日の記事」を、書き直します。―
(01)
① ( )は   「小さな函」。
② 〔 〕は   「中位の函」。
③ [ ]は   「大きな函」。
④ { }は 「より大きな函」。
⑤ 〈 〉は「もっと大きな函」。
に譬へることが、出来る。
(02)
①「小さな函」が、
②「中位の函」の中に、入ってゐる「状態」を、
② 〔 ( ) 〕
とする。
(03)
②「中位の函」が、
①「小さな函」の中に、入ってゐる「状態」を、
① ( 〔 〕 )
とする。
然るに、
(04)
②「Mサイズの箱」が、
①「Sサイズの箱」の中に、入ることは、物理的に、有り得ない。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① ( 〔 〕
① (  ) 〕
① 〔 ( 
といふ「函」は有り得ない。
但し、
(06)
② 〔( )〕
だけでなく、
② 〔( )( )〕
② 〔( )( )( )〕
であっても、
①「小さな箱」が、
②「中位の箱」の中に、入ることには、変はりがない。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
② の中には、一つ以上の ① が有って、
③ の中には、一つ以上の ② が有って、
④ の中には、一つ以上の ③ が有って、
⑤ の中には、一つ以上の ④ が有る。
ならば、その時に限って、「括弧(函)」とする。
(08)
② 3〔2(1)〕
に於いて、
② 2( )⇒( )2
② 3〔 〕⇒〔 〕3
とするならば、
② 〔(1)2〕3
といふ「並び替へ(ソート)」が、実現し、尚且つ、
② 〔 ( ) 〕
は、「括弧(函)」である。
従って、
(09)
② 不読書=
② 不〔読(書)〕=
② 3〔2(1)〕⇒
② 〔(1)2〕3=
② 〔(書)読〕不=
② 〔(書を)読ま〕不。
といふ「並び替へ(ソート)」が、成立する。
然るに、
(10)
③ 2 3 1
であれば、
③ 2(3 1)⇒
③(3 1)2
であって、
③(3 1)2
であれば、
③(3〔1)2〕⇒
③(〔1)2〕3
であるが、
③ (  ) 〕
である。
従って、
(11)
③ 2 3 1
であれば、
③ ( ) 〕
であるが、(05)により、
③ (  ) 〕
は、「括弧(函)」ではない。
(12)
④ 2 4 1 3
であれば、
④ 2(4 1)3⇒
④ (4 1)23
であって、
④ (4 1)23
であれば、
④ (4〔1)23〕⇒
④ (〔1)23〕4
であるが、
④ ( ) 〕
である。
従って、
(12)により、
(13)
④ 2 4 1 3
であれば、
④ ( ) 〕
であるが、(05)により、
④ ( 〔 ) 〕
は、「括弧(函)」ではない。
(14)
⑤ 4 2 1 3
であれば、
⑤ 4 2(1)3⇒
⑤ 4 (1)23
であって、
⑤ 4 (1)23
であれば、
⑤ 4〔(1)23〕⇒
⑤ 〔(1)23〕4。
であるが、
⑤ 〔 ( ) 〕
は、「括弧(函)」である。
従って、
(08)(11)(13)(14)により、
(15)
② 3>2>1
であれば、
② 〔 ( ) 〕
は、「括弧(函)」であるが、
③ 2<3>1
④ 2<4>1 3
であれば、
③ (  ) 〕
④ (  ) 〕
は、「括弧(函)」ではなく、
⑤ 4>2 1<3
であれば、
⑤ 〔 ( ) 〕
は、「括弧(函)」である。
従って、
(15)により、
(16)
③ 2<3>1
④ 2<4>1 3
のやうに、
③ L<M>N
に於いて、
③ L=N+1
であるならば、
③ L<M>N
といふ「順番」は、「函(括弧)」に、入らない。
(17)
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
に於いて、
一・二点をはさんで返る時は上・中・下点。上・中・下点をはさんで返る時は甲・乙点。甲・乙点をはさんで返る時は天・地(天・地・人)点である(志村和久、漢文早わかり、1982年、20頁)とする。
従って、
(18)
④ 2<4>1 3
であれば、
④ 二 四 一 三
であって、
④ 二 四 一 三
であれば、(17)により、
④ 二 下 一 上
である。
然るに、
(19)
④ 二 下 一 上
であれば、
④ 二 下 一 
④ 下 一 上
である。
然るに、
(20)
④ 二 下 一 
であれば、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
の間に、
② 上 中 下
が有って、
④ 下 一 上
であれば、
② 上 中 下
の間に、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
が有る。
然るに、
(21)
一二点(一・二・三・・・・・・)二字以上を隔てて返る場合。
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。(原田種成、私の漢文講義、1995年、41・43頁)
従って、
(18)~(21)により、
(22)
④ 2<4>1 3
であれば、
④ 二 下 一 上
であるが、
④ 二 下 一 上
は、「返り点」ではない。
従って、
(16)(22)により、
(23)
④ 二 下 一 上
は、「返り点」ではなく、尚且つ、
④ 二 下 一 上
④ 2<4>1 3
といふ「順番」は、「函(括弧)」に、入らない。
然るに、
(24)
⑥ 四 二 三 一
⑦ 二 五 三 一 四
であれば、(17)により、
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 下 三 一 上
であるが、(21)により、
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 下 三 一 上
は、両方とも、「返り点」ではない。
加へて、
(16)により、
(25)
⑥ 下 二 上 一
⑥ 4 2<3>1
といふ「順番」は、「函(括弧)」に、入らず、
⑦ 二 下 三 一 上
⑦ 2<5 3>1 4
といふ「順番」も、「函(括弧)」に、入らない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 下 三 一 上
といふ「それ」は、二つとも、「返り点」ではなく、尚且つ、
⑥ 下 二 上 一
⑥ 4 2<3>1
といふ「順番」と、
⑦ 二 下 三 一 上
⑦ 2<5 3>1 4
といふ「順番」は、二つとも、「函(括弧)」に、入らない。
(27)
⑧ 二 三レ 一
であれば、
⑧ 二 四 三 一
⑧ 2<4 3>1
であるが、(16)により、
⑧ 2<4 3>1
は、「函(括弧)」に、入らない。
然るに、
(28)
(1)一とレ点とはいっしょになって「一レ」となる。
(2)二とレ点とはいっしょになって「二レ」にはならない。
(3)三・四点も同じくレ点といっしょにならない。
(江連隆、総合 新漢文、1968年、15頁改)
すなはち、
(29)
⑧ 四 三レ 二 一
であれば、
⑧ 四 三 二 二 一
となって、
⑧ 二 二
となるため、
⑧ 三レ
は、有り得ないし、固より、
⑧ 二 三レ 一
などといふ「それ」が、「返り点」であるはずがないため、
⑧ 三レ
といふ「返り点」は、有り得ない。
従って、
(27)(29)により、
(30)
⑧ 二 三レ 一
⑧ 二 四 三 一
は、「返り点」ではなく、尚且つ、「函(括弧)」に、入らない。
従って、
(23)(26)(30)により、
(31)
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 五 三 一 四
⑧ 二 三レ 一
は、三つとも、「返り点」ではなく、尚且つ、「函(括弧)」に、入らない。
然るに、
(32)
その一方で、
⑥ 只‐管要纏我 ⇒
⑥ ヒタスラ 我ガ ヤツカイニナル。
⑦ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来 ⇒
⑦ 端的に這の婆子の本事を看出だし来たらず。
⑦ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来 ⇒
⑦ 西門慶促忙促急に床を儧造し出し来たらず。
⑧ 吃了不多酒 ⇒
⑧ 吃むこと多からず。
といふ「白話(中国)」に於ける「順番」は、(33)で示す通り、
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 五 三 一 四
⑦ 二 五 三 一 四
⑧ 二 三レ 一
である。
(33)

従って、
(31)(32)(33)により、
(34)
⑥ 只‐管要纏我。
⑦ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑦ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑧ 吃了不多酒。
といふ「白話文(中国語)」には、「返り点・括弧」を加へることが、出来ない。
然るに、
(35)
しかし私が専門にしている中国明清の白話小説は必ずしも漢文訓読の方法では読めません。「白話」というのは話し言葉をもとにした書面語で、それを読むためには現代中国語の知識が必要になります。皆さんがよく知っているでしょう『三国志演義』・『水滸伝』・『西遊記』・『封神演義』などはみな白話で書かれている長編小説です。これらの小説を読むためには、まず現代中国語をしっかり学ばなければなりません(Webサイト:中川諭|大東文化大学)。簡潔を旨として作られた文言文とは異なり、話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われていない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁)。
従って、
(31)(35)により、
(36)
仮に、
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 五 三 一 四
⑧ 二 三レ 一
のやうな、一見、「返り点」には見えても、実際にはさうではない「デタラメ」を用ゐたとしても、「白話訓読」には「無理」があったが故に、実際、現在では「白話文の訓読」はほとんど行はれていない。といふ、ことになる。
従って、
(37)
逆に言へば、「中国語訓読」は「無理」であっても、「漢文訓読」は、「有理」であったからこそ、それは、大正期以降、たえず繰り返されてきた話題であった。「訓読」の是非をめぐる議論は、文章理解の効率上の利・不利を言う議論から復古主義的な議論まで、多様に繰り返しなされてきた(勉誠出版、「訓読」論、2008年、2頁)にも拘はらず、「漢文訓読」は、少なくとも、今の時点では、からうじて、『消滅』はしてゐない。とすべきである。
cf.
今の日本の中学・高校では英語・数学・国語を主要3教科と呼んでいますが、戦前、旧制の中学では英語・数学・国語・漢文が主要4教科でした。漢文は国語とは独立した教科だったんですね。読解はもとより、復文(書き下し文から原文を復元)や作文もやるし、これだけ高度な学習内容でしたから、白文の読解もなんのそのでした。しかし戦後、漢文は国語の一部である古典分野の、そのまた片隅に追いやられてしまいました。漢文の得意な教師は少なく、漢文に興味を持つ生徒も少なく、おまけに最近は大学入試科目から漢文が消えつつあるので、みんないやいやながら学んでいます。内容もたいしたことはなく、学者先生が返り点と送り仮名をつけた文章をえっちらおっちら読む程度です(Webサイト:漢文入門)。
(07)により、
(38)
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
は、「括弧(箱)」である。
然るに、
(39)
① 1F〈2E{3D[9〔7(456)8〕C(AB)]}〉。
に於いて、
F〈 〉⇒〈 〉F
E{ }⇒{ }E
D[ ]⇒[ ]D
9〔 〕⇒〔 〕9
7( )⇒( )7
C( )⇒( )C
とするならば、
① 1〈2{3[〔(456)78〕9(AB)C]D}E〉F。
従って、
(38)(39)により、
(40)
① 1<F>2<E>3<D>9>7>4<5<6<8<C>A<B
といふ「16進数」は、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
といふ「括弧」を介して、
① 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F
といふ「昇べき順」に、「並び替へること(ソート)」が、可能である。
従って、
(40)により、
(41)
1=我
F=不
2=必
E=使
3=人
D=求
9=以
7=解
4=中
5=国
6=語
8=法
C=解
A=漢
B=文
であるならば、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
といふ「括弧」を介して、
① 我不必使人求以解中国語法解漢文=
① 我不〈必使{人求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}〉=
① 1F〈2E{3D[9〔7(456)8〕C(AB)]}〉⇒
① 1〈2{3[〔(456)78〕9(AB)C]D}E〉F=
① 我〈必{人[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}使〉不=
① 我〈必ずしも{人をして[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}使め〉不=
① 私は必ずしも、人に対して、中国語を理解する方法を用ゐて、漢文を理解することを、求めさせない。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
(42)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文
から、「返り点」が付かない「それ」を除くと、
F=不
E=使
D=求
9=以
7=解
6=語
8=法
C=解
B=文
然るに、
(43)
F=不 ⇒ 九=不
E=使 ⇒ 八=使
D=求 ⇒ 七=求
9=以 ⇒ 四=以
7=解 ⇒ 二=解
6=語 ⇒ 一=語
8=法 ⇒ 三=法
C=解 ⇒ 六=解
B=文 ⇒ 五=文
従って、
(17)(43)により、
(44)
九=不 ⇒ 戊=不
八=使 ⇒ 丁=使
七=求 ⇒ 丙=求
四=以 ⇒ 下=以
二=解 ⇒ 二=解
一=語 ⇒ 一=語
三=法 ⇒ 上=法
六=解 ⇒ 乙=解
五=文 ⇒ 甲=文
従って、
(44)により、
(45)
② 不使求以解語法解文=
② 不〈使{求[以〔解(語)法〕解(文)]}〉=
② 戊〈丁{丙[下〔二(一)上〕乙(甲)]}〉⇒
② 〈{[〔(一)二上下〕(甲)乙]丙}丁〉戊=
② 〈{[〔(語)解法〕以(文)解]求}使〉不=
② 〈{[〔(語を)解する法を〕以て(文を)解せんことを]求め}使め〉不。
従って、
(41)~(45)により、
(46)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文。
② 不使求以解語法解文。
が入る「括弧(箱)」は、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
② 〈{[〔( )〕( )]}〉
であって、「返り点」は、
① 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
② 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
である。
然るに、
(47)

従って、
(46)(47)により、
(48)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文。
② 不使求以解語法解文。
に付く「返り点」は、両方とも、
① 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
② 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
であるものの、
② 不使求以解語法解文。
の場合は、「レ点」を用ゐる。といふ「規則(強制)」により、
② レ レ 下 二 レ 一 上レ 
としなければ、ならない。
(49)
③ 恐衆狙之不馴於己=
③ 恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]⇒
③[衆狙之〔(於己)馴〕不] 恐=
③[衆狙の〔(己に)馴れ〕不るを] 恐る。
の「返り点」は、
③ 四 三  二 一
③ 二 一レ 二 一
の内の、
③ 二 一レ 二 一
(50)
④ 非不読書=
④ 非[不〔読(書)〕]⇒
④ [〔(書)読〕不]非=
④ [〔(書を)読ま〕不る]非ず。
の「返り点」は、
④ 四 三 二 一
ではなく、
④ レ レ レ
である。
cf.

然るに、
(51)
② レ レ 下 二 レ 一 上レ 
③ 二 一レ 二 一
④ レ レ レ
は、「レ点の使い方」の全てを、網羅する。
従って、
(01)~(51)により、
(52)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
は、「括弧」が「不足」しない限り、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
といふ「返り点」の「役割」を担ひ、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
は、「上 中 下」が、「不足」しない限り。
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
といふ「括弧」の「役割」を、担ふことになる。
(53)
② 不使求以解語法解文。
③ 恐衆狙之不馴於己。
④ 非不読書。
がさうであるやうに、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
から、
⑤ レ
を除いても、「返り点」は、成立するし、
⑤ レ
を除くと、「返り点」は、極めて、簡単になる。
(54)
一・二点をはさんで返る時は上・中・下点。
上・中・下点をはさんで返る時は甲・乙点。
甲・乙点をはさんで返る時は天・地点である。
といふ「ルール」だけであれば、
(55)
[中学国語]漢文の返り点の付け方を教えてください.
明後日実力テストで,
国語の範囲では漢文の返り点をつける問題が出るのですが,
どのサイトを見てもイマイチ分かりづらく困っています(;>_<;)
私は国語だけが得意なので
国語で点数を取っておかないと大変なんです. 何方か分かりやすく解説をお願いします.
補足一・二点 , レ点 のみです.
といふ「質問」をする中学生など、ゐるはずがないし、
(56)
大学生に返り点を打たせると、レ点の原則違反から生じる誤りが大半をしめます(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、60頁)。
との、ことである。
平成27年09月28日、毛利太。

2015年9月24日木曜日

「鏡の中 上下左右(FAQ)」Ⅱ

― 9月22日の「記事」を書き換へます。―
(01)
IE9のInPrivateブラウザで、「鏡の中 上下左右」を、グーグル検索すると、
(02)
同じく、「鏡 上下左右」で、ヤフー検索すると、1ページ目の4番目は、次の通りです。
(03)
Q. (01) 鏡の中の「上下左右」について、もう一度、逆に質問させて下さい。
Q. (01) 鏡の上下左右について、もう一度、逆に質問させて下さい。
に於ける「質問者(onomameus)」は、両方とも、私なのですが、
Q. (01) 鏡の上下左右について、もう一度、逆に質問させて下さい。
の場合は、「BA(ベストアンサー)」が確定してゐないことを、確認して下さい。
cf.
カテゴリマスター big_shibainuさん2015/4/2915:31:56(ベストアンサー確定しないからと言って)詰まらない質問とは限りません。投票数0が多いと言うことは回答や質問に専念するユーザーが多すぎて投票までしないユーザーが沢山います。かなり気にもされず流れていると考えられます。
(04)
Q. 物理学に疎い私の素朴な疑問です。 鏡って なぜ左右のみが逆に映り、上下は逆ににな...
A. この質問は過去に頻繁になされています。時間があれば検索なされてみてください。中には正...
に於ける、「BA(ベストアンサー)」は、ryu_tanokamiさん であるものの、
この「質問」に対しては、私(onomameus)も、回答してゐます。
(05)
Q. (01) 鏡の中の「上下左右」について、もう一度、逆に質問させて下さい。
Q. (01) 鏡の上下左右について、もう一度、逆に質問させて下さい。
といふ「質問(onomameus)」と、
Q. 物理学に疎い私の素朴な疑問です。 鏡って なぜ左右のみが逆に映り、上下は逆ににな...
に対する「回答(onomameus)」を、一つにしたいと、考へます。
(06)
ベストアンサーに選ばれた回答
ryu_tanokamiさん  2015/9/2006:08:33
この質問は過去に頻繁になされています。時間があれば検索なされてみてください。中には正しくない回答も含まれており、それがベストアンサーになっている例もあります。正しい回
答であっても質問者がなるほどわかったという気分になってもらうにはかなり難しい質問であるとも思います。蛇足かもしれませんが、私も一つの解答例を示してみます。
質問した人からのコメント
ks_crystal_lakeさん 2015/09/2009:18:32
回答ありがとうございます。私は心理学カテにも顔を出している質問者ですが認知心理学、目から鱗の気分になりました。物理学に疎い私のような質問者がいると、やはり正しくない回
答がBAになることは多々あるのでしょうね。
に対して、
ベストアンサーに選ばれなかった回答
onomameusさん 2015/8/2123:00:02 2015/9/2109:13:09
を、示すと、次のやうに、なります。
(07)
鏡の中の「上下左右」について、もう一度、逆に質問させて下さい。
次のやうに考へることは、マチガイですか?
答への正否を質問してゐるため、FAQでは、ありません。
(08)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着て、「鏡」に向かへば、「鏡の中」で、「ΑΕの文字」は、
① ∃Α に見える。
(09)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を、「自分」に向ければ、「鏡の外」で、「ΑΕの文字」は、
② ΑΕ に見える。
(10)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を、「逆さ」して「自分」に向ければ、「鏡の外」で、「ΑΕの文字」は、
③ ∃∀ に見える。
従って、
(11)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
②「回れ右」をして、「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
② ΑΕ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見える。
(12)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
③「逆立ち」して「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
③ ∃∀ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見える。
然るに、
(13)
① ∃Α を、「基準」にすると、
② ΑΕ は、「上下が等しく・左右が逆」であり、
③ ∃∀ は、「左右が等しく・上下が逆」である。
従って、
(11)(13)により、
(14)
② 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ... - Yahoo!知恵袋
といふ「質問」は、
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
②「回れ右」をして、「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
② ΑΕ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見えるのは、何故か?
といふ「質問」に、他ならない。
従って、
(12)(13)により、
(15)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
③「逆立ち」して「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
③ ∃∀ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見えるのは、何故か?
といふことを、「疑問」に思ふのであれば、
③ 鏡が左右でなく上下を反対にするのはなぜでしょうか ...?
といふ「質問」を、行ふことになる。
然るに、
(16)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
②「回れ右」をして、「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
② ΑΕ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見えるのは、何故か?
といふ「質問」の「答へ」は、
①「鏡の中の人物」は、②「回れ右」をしてゐないからである。
(17)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
③「逆立ち」して「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
③ ∃∀ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見えるのは、何故か?
といふ「質問」の「答へ」は、
①「鏡の中の人物」は、③「逆立ち」をしてゐないからである。
従って、
(16)(17)により、
(18)
①「鏡の中の人物」は、
②「回れ右」をしてゐないし、
③「逆立ち」もしてゐない。
のであって、このことが、「鏡像問題の核心」である。
何となれば、
(19)
①「実際」には、
③「逆立ち」をしてゐないし、
②「回れ右」もしてゐない
にも拘はらず、
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる
といふ風に、思ふのであれば、必然的に、
③ 上下は逆に映らないのに、② 左右のみがに映るのは何故か?
といふことに、ならざるを得ない。からである。
従って、
(19)により、
(20)
①「鏡の中の人物」は、
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる。
といふ風に、思はなければ、
③ 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ...?
といふ「疑問」は、固より、成立しない。
従って、
(21)
③ 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ...?
といふ「疑問」を「解消」するために、
①「鏡の中の人物」は、
②「回れ右」もしてゐない
にも拘はらず、
②「回れ右」をしてゐる
と思ってしまふ、その「理由」を、確認する必要がある。
(22)
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる。
といふ風に、思ふ「理由1」は、
③「∀(頭を下)」をして「振り返る人」≒  0%
②「Α(頭を上)」にして「振り返る人」≒100%
だからである。
然るに、
(23)
lo96969olさん(2014/4/20 2:29:22)曰く、
私たちがもし、友人に後ろから声をかけられたとき肩越しに振り向くのではなく、逆立ちして後ろを向き会話を始めるような生物であれば、(誰かと対面するときに常に自分の頭は相手
の足側、相手の足は自分の顔の前にあるわけですから)、鏡に写った自分を見て「上下が反転している」と感じるでしょう。
竹下雅敏さん(2014/01/01 10:00 PM)曰く、
あなたは後ろを振り返る時、体を捻じって振り返るのであり、決して子供がやるように頭を股の下にくぐらせて後ろを振り返るということがないからです。
永井俊哉さん(2002年6月28日に)曰く、
もし人間が、振り返りよりも逆立ちのほうが得意な動物ならば、友人に「やあ、こんにちは」と後ろから声をかけると、友人は逆立ちをして顔をこちらに向けるのが普通となるに違いな
い。そのように二人の人間が対面する時、両者は、左右の方向は同じで、上下の方向は逆となる。
従って、
(23)により、
(24)
③「∀(頭を下)」をして「振り返る人」≒  0%
②「Α(頭を上)」にして「振り返る人」≒100%
といふ「事実」は、「人間の習慣」であって、「鏡の物理的な性質」とは、関係が無い。
(25)
③「逆立ち(∀)」はしてゐないが、
②「回れ右(Α)」をしてゐる。
といふ風に、思ふ「理由2」は、
②「人間の体」は、「左右」には、「対称」であるが、
③「人間の体」は、「上下」には、「対称」ではないからである。
(26)
②「Α」の文字を、「ベランダの窓ガラス」の書いた際に、「Α」の文字は、「部屋の中」から見ても、「ベランダ(部屋の外)」から見ても、「Α」にしか、見えない。
従って、
(26)により、
(27)
②「Α」の文字が、「回れ右」をしても、「Α」の文字は、「Α」にしか、見えない。
然るに、
(28)
③「Α」の文字が、「逆立ち」をすれば、「∀」となるため、
③「Α」の文字が、「逆立ち」をしてゐないのであれば、そのことは、「一目瞭然」である。
従って、
(29)
②「人間の体」も、「上下」には、「対称」ではないが故に、
①「鏡の中の自分」は、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことは、「一目瞭然」であるが、
②「回れ右」をしてゐない。といふことは、「一目瞭然」ではない。
従って、
(30)
①「鏡の中の自分」が、
③「逆立ち」をしてゐない場合に、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことを「否定」するよりも、
②「回れ右」をしてゐない場合に、
②「回れ右」をしてゐない。といふことを「否定」することの方が、「抵抗」が少ない。
従って、
(31)
言ひ換へると、
①「鏡の中の自分」が、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことを「否定」するよりも、
②「回れ右」をしてゐる。  といふことを「肯定」することの方が、「抵抗」が少ない。
加へて、
(32)
③「∀(頭を下)」をして「振り返る人」≒  0%
②「Α(頭を上)」にして「振り返る人」≒100%
といふ「習慣」が有るため、なほのこと、
①「鏡の中の自分」が、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことを「否定」するよりも、
②「回れ右」をしてゐる。  といふことを「肯定」することの方が、「抵抗」が少ない。
それ故、
(33)
①「普通の人」は、
②「回れ右」して 「振り返る人」≒100%
③「逆立ち」をして「振り返る人」≒  0%
といふ「事実」は、「人間の習慣」であって、「鏡の物理的な性質」とは、関係が無い。
といふことには、気が付かずに、
①「鏡の中の自分」が、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことを「肯定」する一方、
②「回れ右」をしてゐる。  といふことも「肯定」することになる。
従って、
(11)(12)(13)(33)により、
(34)
①「実際」には、
①「鏡の中の自分」は、
③「逆立ち」をしてゐないし、
②「回れ右」もしてゐない。
にも拘はらず、
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる。
といふ風に、思ふことになる。
然るに、
(35)
①「実際」には、
③「逆立ち」をしてゐないし、
②「回れ右」もしてゐない
にも拘はらず、
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる
といふ風に、思ふのであれば、必然的に、
③ 上下は逆に映らないのに、② 左右のみがに映るのは何故か?
といふことに、ならざるを得ない。
従って、
(07)~(35)により、
(36)
② 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ... - Yahoo!知恵袋
といふ「質問(FΑQ)」が、繰り返し、行はれることになる。
(37)
英語を聞いて理解出来る方(If  you can distinguish the difference)には、
Why Do Mirrors Reverse Left and Right but Not Up and Down? - Slate-
といふサイトを、お勧めします。
(38)
はるか昔に、大学に合格すると同時に、「英語の学習」を放棄した(受験勉強から解放された)私の場合、
Why Do Mirrors Reverse Left and Right but Not Up and Down? - Slate-
の中の、彼女が話してゐる内容は、半分の半分も、理解出来ないのですが、「動画」から判断すると、彼女の場合も、私と同じやうに、考へてゐるやうです。
平成27年09月24日、毛利太。

2015年9月20日日曜日

「白話(中国語)」と「返り点」。

(01)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
⑤ の中には、一つ以上の ④ が有り、
④ の中には、一つ以上の ③ が有り、
③ の中には、一つ以上の ② が有り、
② の中には、一つ以上の ① が有り、
① の中には、一つも、① が 無い。
ならば、その時に限って、「括弧」とする。
従って、
(01)により、
(02)
① {[〔( )〕]( )}
は「括弧」である。
従って、
(02)により、
(03)
① 八{五[三‐三〔二(一)〕四]七(六)}⇒
① {[〔(一)二〕三‐三四]五(六)七}八=
① 一 二 三‐三 四 五 六 七 八。
は、「括弧」による「ソート(並び替へ)」である。
(04)
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
に於いて、
① を挟んで返る場合に、
② を用ゐ、
② を挟んで返る場合に、
③ を用ゐ、
③ を挟んで返る場合に、
④ を用ゐる。
ならば、その時に限って、「返り点(レ点を除く)」とする。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① 丙 下 三 二 一 上 乙 甲
は、「返り点」であって、
① 丙{下[三‐三〔二(一)〕上]乙(甲)}⇒
① {[〔(一)二〕三‐三上]下(甲)乙}丙=
① 一 二 三‐三 上 下 甲 乙 丙。
は、「括弧」による、「返り点」の「ソート(並び替へ)」である。
然るに、
(06)
① 君子丙{下[其三‐三〔二(邑一)〕上]乙(邑甲)}。
に於いて、
一=人
二=養
三=所‐
三=以
上=者
下=以
甲=人
乙=害
丙=不
とするならば、
① 君子丙{下[其三‐三〔二(邑一)〕上]乙(邑甲)}⇒
① 君子{[其〔(邑一)二〕三‐三上]下(邑甲)乙}丙=
① 君子 其 邑人 養 所‐以 者 以 邑人 害 不 =
① 君子は其の邑人を養ふ所以の者を以て邑人を害せ不。 
然るに、
(07)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 君子不以其所以養邑人者害邑人=
① 君子不{以[其所‐以〔養(邑人)〕者]害(邑人)}⇒
① 君子{[其〔(邑人)養〕所‐以者]以(邑人)害}不=
① 君子は{[其の〔(邑人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(邑人を)害せ}不。
といふ「漢文訓読」は、
① 君子不以其所以養邑人者害邑人。
に於ける、
①「補足構造」ではない部分をそのままにして、
①「補足構造」の部分の「左右」を「入れ換へる」。
といふことに、他ならない。
然るに、
(09)
① 君子不以其所以養邑人者害邑人。
の「返り点」が、
① 丙 下 三 二 一 上 乙 甲
であるのに対して、
② 君子不以其所以養人者害人。
の「返り点」は、
② 乙 下 二 一レ 上 甲レ
である。
然るに、
(10)

従って、
(11)
② 乙 下 二 一レ 上 甲レ
といふ「返り点(レ点 有り)」は、
① 丙 下 三 二 一 上 乙 甲
といふ「返り点(レ点 無し)」に等しい。
従って、
(08)(11)により、
(12)
② 君子不以其所以養人者害人=
② 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
② 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
② 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}不。
といふ「漢文訓読」は、
② 君子不以其所以養人者害人(孟子)。
に於ける、
②「補足構造」ではない部分をそのままにして、
②「補足構造」の部分の「左右」を「入れ換へる」。
といふことに、他ならない。
然るに、
(13)

従って、
(13)により、
(14)
③ 有読漢文者=
③ 有〔読(漢文)者〕⇒
③ 〔(漢文を)読む者〕有り。
の「返り点」は、
③ 下 二 一 上
であって、
③ 下 二 一 上
に対する「括弧」は、
③ 〔( )〕
である。
従って、
(14)により、
(15)
④ 有読者漢文=
④ 有[読(者〔漢文)〕]⇒
④ [(〔漢文を)読む〕者]有り。
の「返り点」は、
④ 下 二 上 一
であって、
④ 下 二 上 一
に対する「括弧」は、
④ [(〔 )〕]
である。
然るに、
(01)(04)により、
(16)
④   二 上 一
を含む、
④ 下 二 上 一
は、「返り点」ではなく、
④  (〔 )
を含む、
④ [(〔 )〕]
は、「括弧」ではない。
然るに、
(17)
③ 有読漢文者=
③ 漢文を読む者有り。
に対して、
④ 有読者漢文=
④ 読者有り。漢文。
であるため、
④ 有読者漢文=
④ 漢文を読む者有り。
といふ「漢文」は、固より、有り得ない。
然るに、
(18)

従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
「漢文」では、有り得ない、
④ 下 二 上 一
④ (〔 )〕
といふ「返り点・括弧」が、「白話(中国語)」では、「普通」に有る。やうである。
加へて、
(20)

然るに、
(21)
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来 ⇒
⑤ 端的に這の婆子の本事を看出だし来たらず。
並びに、
⑥ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来 ⇒
⑥ 西門慶促忙促急に床を儧造し出し来たらず。
といふ「白話文(中国語)」の、
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 五 三 一 四
といふ「返り点」は、
⑤ 二 下 上 一 中
⑥ 二 下 上 一 中
であるが、
⑤ 二 下 上 一 中
⑥ 二 下 上 一 中
といふ「返り点」は、「返り点の規則(04)」に、違反し、
⑤ 二 下 上 一 中
⑥ 二 下 上 一 中
に対する、
⑤ ([〔 )〕]
⑥ ([〔 )〕]
といふ「括弧」は、「括弧の規則(01)」に、違反する。
加へて、
(22)
「勉誠出版、続「訓読」論、2010年、332頁」により、
⑦ 吃了不多酒(吃むこと多からず)。
の「返り点」は、
⑦ 二 三レ 一
とのことであるが、
⑦ 二 三レ 一
の場合は、
⑦ 二 下 上 一
に相当し、
⑦ 二 下 上 一
に対する、「括弧」は、
⑦ ([〔 )〕]
であるため、
⑦ 二 三レ 一
は、「返り点の規則(04)」に、違反し、
⑦ ([〔 )〕]
は、「括弧の規則(01)」に、違反する。
従って、
(19)(21)(22)により、
(23)
④ 只‐管要纏擾我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑥ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑦ 吃了不多酒。
といふ「白話(中国語)」に付く、
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 五 三 一 四
⑦ 二 三レ 一
といふ「返り点・括弧」は、「漢文訓読」から見れば、デタラメである。
〔注〕
与えられた「順番」が、
N+1<M>N
といふ「順番」を含む場合は、その「順番」を、「返り点・括弧」で表すことは、出来ない。⇒(28)
然るに、
(24)
② 君子不以其所以養人者害人=
② 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
② 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
② 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}不。
といふ「漢文訓読」が可能である。といふことは、
② 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
といふ「漢文」と、
② 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}不。
といふ「和文」に於いて、その両方が、
② {[〔( )〕]( )}。
といふ「補足構造」をしてゐる。といふことを、意味してゐる。
従って、
(23)(24)により、
(25)
「白話(中国語)」の「補足構造」は、「漢文」の「補足構造」と比較する限り、デタラメである。
(26)
いづれにせよ、「漢文」を読めたとしても、「白話文(中国語)」は、全く、読めない。
従って、
(25)(26)により、
(27)
「白話文(中国語)」は、「漢文」ではない。
平成27年09月20日、毛利太。
(28)
① N+1<M>N
を満たす「順番」は、
① 丙 下 三 二 一 上 乙 甲
① 8>5<3>2>1<4<7>6
の中には無い。
然るに、
(29)
 丙 三 二 一 乙  甲
<8<3>2>1<7><6
であれば、
<8>
<7>
であるため、
① N+1<M>N
を満たす「順番」が、二つある。
然るに、
(29)
 下 三 二 一 上  甲
に対して、
② 下  三 二 一  上 甲
の場合は、
 丙 乙 
を含むため、
下 丙 三 二 一 乙 上 甲
は、「返り点」ではない。
加へて、
(30)
{5[3〔2(1)〕4](6)}
② 5[〈3〔2(1)〕{4]6}〉
であるものの、
① { [ 〔 (  )〕 ](  )}
に対して、
② [ 〈 〔 (  )〕{  ] }〉
は、「括弧」ではない。
加へて、
(31)
① 君子以其所以養邑人者邑人。
に対して、
② 君子以其所以養邑人者邑人。
といふ「漢文」は、存在しない。
平成27年09月20日、毛利太。

2015年9月11日金曜日

「返り点」を「横書き」で表現すると、

(01)
(02)
(03)
(04)
「横書き(01)」を基に、
「縦書き(02)」を書くことは、比較的、「簡単」である。
然るに、
(05)
「レ点」は、「レ点の下の漢字」の「上」に付いている(原田先生、古田島先生、湯城先生)。
とすると、
①、③、⑥、⑦ は、次のやうに、改める必要が有る。
(06)
然るに、
(07)
「縦書き(06)」を基に、
「縦書き(02)」を書くよりも、
「横書き(01)」を基に、
「縦書き(02)」を書く方が、「簡単」である。と、思はれる。
平成27年09月11日、毛利太。

2015年9月7日月曜日

「管到(スコープ、返り点)」。

(01)
「管到」を、「スコープ(scope)」と呼ぶことにする。
(02)
① 2×(1)+2+3=7
② 2×(1+2)+3=9
③ 2×(1+2+3)=12
に於いて。
① 2× のスコープは(1)であり、
② 2× のスコープは(1+2)であり、
③ 2× のスコープは(1+2+3)である。
とする。
(03)
① 2×(1)+2+3=7
② 2×(1+2)+3=9
③ 2×(1+2+3)=12
に於いて、
① 7
② 9
③ 12
を、「意味」とする。
従って、
(02)(03)により、
(04)
④ 2×1+2+3.
に於いて、
④ の「意味」が、
④ 12
であるならば、その時に限って、
④ 2×1+2+3=
④ 2×(1+2+3)=12
である。
従って、
(04)により、
(05)
④ 2×1+2+3.
に於いて、
④ の「意味」が、  「確定」すれば、
④ の「スコープ」も、「確定」する。
従って、
(06)
同様に、
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文。
に於いて、
⑤ の「意味」が、  「確定」すれば、
⑤ の「スコープ」も、「確定」する。
然るに、
(07)
補足・認定の両関係は、日本語とまったく逆の語順になる。したがって、ここに返り点を用いて、語順を日本式に入れ換える必要が起こってくる(角川漢和中辞典、1959年、1292頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文。
といふ「漢文」が、
⑤ 私は必ずしも中国語を理解する方法を用ゐて漢文を理解することを求めない。
といふ「意味」であるならば、
⑤ 補足・認定の両関係は、日本語とまったく逆の語順になる。
といふことから、
⑤ 不(認定) のスコープは、
⑤{必求以解中国語法解漢文}
であって、
⑤ 求(補足) のスコープは、
⑤[以解中国語法解漢文]
であって、
⑤ 以(補足) のスコープは、
⑤〔解中国語法〕
であって、
⑤ 解(補足) のスコープは、
⑤(中国語)
であって、
⑤ 解(補足) のスコープは、
⑤(漢文)
である。
然るに、
(09)
⑤ 私は必ずしも中国語を理解する方法を用いて漢文を理解することを求めない。
に対する、「グーグル翻訳」は、
⑤ 我並不要求你理解了中國經典的搭配方式來了解中國。
である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文。
といふ「漢文」が、
⑤ 我並不要求你理解了中國經典的搭配方式來了解中國。
といふ「意味」であると、仮定して、
⑤ 我並不要求你理解了中國經典的搭配方式來了解中國。
といふ「中国語」が、
⑤ 私は必ずしも中国語を理解する方法を用いて漢文を理解することを求めない。
といふ「意味」であると、仮定するならば、
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文。
の「スコープ」は、
⑤ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
であって、それ故、
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文=
⑤ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}⇒
⑤ 我{必[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不=
⑤ 我{必ずしも[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(06)(09)(10)により、
(11)
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文=
⑤ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
といふ「スコープ」に関しては、
⑤ 我必ずしも中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求めず。
といふ「漢文訓読」とは、「独立」に、成立する。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文=
⑤ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}=
⑤ 我並不要求你理解了中國經典的搭配方式來了解中國。
に付く、
⑤  丁 丙 下 二 一 上 乙 甲=
⑤〈丁 丙{下〔二(一)上〕乙(甲)}〉⇒
⑤〈{〔(一)二 上〕下(甲)乙}丙〉丁=
⑤ 一 二 上 下 甲 乙 丙 丁。
といふ「返り点と括弧」は、
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文=
⑤ 我必ずしも中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求めず。
といふ「漢文訓読」とは、「独立」に、成立する。
(13)
青木は『本邦支那学革新の第一歩』で、訓読の弊害を3つ挙げている。
1.訓読は読書に手間取って、中国人同様に早く読むことが出来ない。
2.訓読は中国語固有の文法を了解するには害がある。
3.訓読は意味の了解を不正確にする。
これらについていちいち解説する必要は無いだろう。訓読により意味が取れていると感じるのは錯覚であって、ニュアンスが失われており、辞義もすり替えられている可能性があるのだ。倉石は『支那語教育の理論と実際』において、訓読では異なる字を同一の訓で読んだり、読まない字が生じたりすることで、中国人が考えていることが却ってわからなくなっていると指摘する。さらに「論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないというのは、信州に育った者が新鮮な生きの良い魚よりも塩鮭がうまいと言うようなものだ」と断言し、このくだりは「漢文訓読塩鮭論」として有名だそうだ(阿部和也の人生のまとめブログ)。
(14)
シナや極東の王国では、一般に文字をも語を表わすのではなく、事物あるいは観念を表わすような、実物符号で書くのがならいになっている。そしてそれゆえに、たがいに相手の言語を理解しない国々と地方が、それにもかかわらず、たがいに相手の書き物を読むことができるのであるが、それは符号のほうが言語の及ばぬほど広い範囲に了解されるからである。そしてそれゆえに、語根語と(おそらく)同じほどばく大な数の符号があるのである(フランシス・ベーコン、学問の進歩、124頁、ISBN不明)。
従って、
(15)
「漢文」は、成立した時点で、「学習」を必要とする「書き言葉」であったため、それが成立した当時から、「漢文」には、「ネイティブスピーカー」がゐない。
然るに、
(16)
All horses are animals; therefore all horses’ heads are animals’ heads.
といふ「英語」には、「ネイティブスピーカー」がゐる一方で、
(x)(Fx→Gx) ∴  (x)((∃y)(Fy&Hxy)→(∃y)(Gy&Hxy))
といふ「論理式」に、「ネイティブスピーカー」はいないし、「E.J.レモン、論理学初歩、1973年、167頁」等で、学ばなければ、それを理解することは、出来ない。
従って、
(17)
馬皆動物也。故、馬之頭皆動物之頭也。
といふ「漢文」に、近いのは、
(x)(Fx→Gx) ∴  (x)((∃y)(Fy&Hxy)→(∃y)(Gy&Hxy))
といふ「論理式」であって、
All horses are animals; therefore all horses’ heads are animals’ heads.
といふ「英語」ではない。
平成27年09月07日、毛利太。

2015年9月5日土曜日

「返り点(補足構造)」改。

(01)
①「鏡」が「逆転」させるのは、「前後」だけである。
従って、
(02)
①「鏡の中」に於いて、
②「上下」は「逆転」しないし、
③「左右」も「逆転」しない。
従って、
(02)により、
(03)
①「鏡の中の自分」は、
②「逆立ち」をしてゐないし、
③「回れ右」もしてゐない。
ところが、
(04)
①「普通の人」は、
①「鏡の中の自分」は、
②「逆立ち」はしてゐないが故に、
③「回れ右」をしてゐるはずである。
といふ風に、思ってしまふ。
然るに、
(05)
②「逆立ち」はしてゐないが、
③「回れ右」をしてゐる。
と「仮定」すると、
③ 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ... - Yahoo!知恵袋
といふ「疑問(鏡像問題)」が、生じることになる。
(06)
① Ⅳ〔Ⅲ(Ⅱ)〕⇔〔(Ⅱ)Ⅲ〕Ⅵ
等を、「鏡像(mirror image)」とする。
(07)
① 3〔2(1)〕⇒〔(1)2〕3。
等を、「ミラーイメージ」とする。
従って、
(07)により、
(08)
② A〔B(C)〕⇒ A〔B(C)〕。
は、「ミラーイメージ」ではない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② A3〔B2(C1)〕⇒ A〔B(C1)2〕3。
は、「ミラーイメージ」ではない。
従って、
(07)(09)により、
(10)
3〔2(1)〕⇒ 1)2〕3。
② A3〔B2(C1)〕⇒ A〔B(C1)2〕3。
に於いて、
① は、「ミラーイメージ」であって、
② は、「ミラーイメージ」ではない。
従って、
(10)により、
(11)
② A3B2C1=
② A3〔B2(C1)〕⇒
② A〔B(C1)2〕3=
② A B C 1 2 3。
といふ「ソート(並び替へ)」は、「ミラーイメージでない部分(アルファベット)」をそのままにして、「ミラーイメージの部分(数字)」の「左右」を「入れ換へる」ことによって、成立する。
従って、
(11)により、
(12)
③ 我不常読漢文=
③ 我不〔常読(漢文)〕⇒
③ 我〔常(漢文)読〕不=
③ 我〔常には(漢文を)読ま〕不。
といふ「漢文訓読」は、「ミラーイメージでない部分」をそのままにして、「ミラーイメージの部分」の「左右」を「入れ換へる」ことによって、成立する。
然るに、
(13)
補足・認定の両関係は、日本語とまったく逆の語順になる。したがって、ここに返り点を用いて、語順を日本式に入れ換える必要が起こってくる(角川漢和中辞典、1959年、1292頁)。
加へて、
(14)
于=に
と読むとき、
于天下=に+天下
であるため、この場合も、日本語と漢文の語順は逆になる。
然るに、
(15)
漢文の場合は、
于天下=天下に
天下=天下に
であって、このことが、
于 は、「置き字(捨て字・虚字)」であるとされる、所以である。
cf.
漢文を訓読する際に、助字の中で書き下し文に反映されず、実際に読まれる事のない字(ウィキペディア、置き字)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
于天下=に+天下
ではあるが、
于天下=天下+に
とする。
従って、
(13)~(16)により、
(17)
日本語と漢文では、「補足関係・認定関係・置き字」等が、逆になるものの、以下ではこれらを、「補足構造の部分」と呼ぶことにする。
従って、
(18)
不羞功名不顕于天也。
であれば、「太字」で示されてゐる部分が、「補足構造の部分」であるが、以下では、
不=ず・ざ
而=て
也=なり
といふ風に、読むものとする。
従って、
(12)(17)(18)により、
(19)
不羞功名不顕于天也=
④ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也⇒
④ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥知}也=
④ {我の〔(小節を)羞ぢ〕ずして[功名の〔(于天下に)顕〕はれざるを]恥づるを知れば}なり。
といふ「漢文訓読」は、「補足構造の部分」の「左右」を「入れ換へる」ことによって、成立する。
然るに、
(20)
{我(小)〕而[功名(于天)〕]}也⇒
④ {我〔(小而[功名〔(于天也。
に於いて、
1=
2=
3=
4=
5=
6=
7=
8=
とするならば、
{我(小)〕而[功名(于天)〕]}也⇒
④ {我〔(小而[功名〔(于天也=
④ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥知}也=
④ {我の〔(小節を)羞ぢ〕不し而[功名の〔(天下に)顕〕はれ不るを]恥づるを知れば}也。
従って、
(19)(20)により、
(21)
一=
二=
三=
四=
五=
六=
七=
八=
であって、尚且つ、
不羞功名不顕于天也=
④ 八{我三〔二(小一)〕而七[功名六〔五(于天四)〕]}也⇒
④ {我〔(小一)二〕三而[功名〔(于天四)五〕六]七}八也=
④ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥知}也=
④ {我の〔(小節を)羞ぢ〕不し而[功名の〔(天下に)顕〕はれ不るを]恥づるを知れば}也。
といふ「漢文訓読」は、「補足構造の部分」の「左右」を「入れ換へる」ことによって、成立する。
従って、
(21)により、
(22)
不羞功名不顕于天也。
といふ「漢文」に付く、
④ 八 三 二 一 七 六 五 四
といふ「返り点」は、
④ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」の、「補足構造」に付いてゐる。
然るに、
(23)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
然るに、
(24)
④ 八 三 二 一 七 六 五 四
といふ「返り点」を、
④ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
とすれば、
④ 三 二 一
を、
④ 戊 丁 丙
が、またいで返ってゐるものの、
④ 戊 丁 丙
は、
④ 下 中 上
ではない。
然るに、
(25)
④ 知我不羞小節而恥功名不_顕于天下也。
であれば、さうは出来ないものの、
④ 知我不羞小節而恥功名不_顕于天下也。
ではないので、
④ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
の「返り点」は、
④ 下 三 二 一 上レ 二 一
とすることも、出来る。
(26)
この場合の、
④ 下 三 二 一 上レ 二 一
は、更に、
④ 下 レ 二 一 上レ 二 一
とすることが、出来る。 
cf.

然るに、
(27)
tmtdpapaさん 2014/5/615:32:27
返り点について教えてください!
問題を解いていたら、上下点がないのに、甲乙丙丁点の4つが使われていました。それは、上下点は最大上中下の3つしかないからでしょうか?
とあるやうに、
① レ
② 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
⑤ 天 地 人
に於いて、
② を挟んで返る際に、
③ を用ゐ、
③ を挟んで返る際に、
④ を用ゐ、
④ を挟んで返る際に、
⑤ を用ゐる。
とすると、
③ 上 中 下
の「3つ」では、「不足」する場合が有る。
従って、
(28)
初めから、
① レ
② 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 上 中 下
⑤ 天 地 人
といふ「順番」で、用ゐるべきである。
(29)
① レ
② 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 上 中 下
⑤ 天 地 人 
から、
① レ
を除けば、
④ 下 レ 二 一 上レ 二 一
といふ「返り点」が、
④ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
といふ「返り点」に、変はるだけである。
加へて、
(30)
大学生に返り点を打たせると、レ点の原則違反から生じる誤りが大半をしめます(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、60頁)。
従って、
(29)(30)により、
(31)
そのやうな「レ点」は、本来は、「不要」である。
(32)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することが できる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
(33)
倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まない。
といふのは、「声に出して読まない」といふ意味であらうと思はれるものの、「声には出さなく」とも、「目では、読んでゐる」。
(34)
「管到して(かかって)いるか。」といふことであれば、
④ 下 レ 二 一 上レ 二 一
④ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
といふ「返り点」よりも、
④ { 〔 ( ) 〕 [ 〔 ( ) 〕 ] }
といふ「括弧」の方が、「分かりやすい」。
平成27年09月05日、毛利太。