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2025年12月16日火曜日

「(久々に、)漢文訓読と括弧と返り点」について(Ⅱ)。

(01)
① 欲〔読(書)〕。
に於いて、
欲〔 〕⇒〔 〕欲
読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
② 〔(書)読〕欲。
然るに、
(01)により、
(02)
②〔読〕欲。
に対して、「平仮名」を加へると、
③〔書を読まんと〕欲す。
然るに、
(03)
⑪ 読(欲〔書)〕。
に於いて、
欲〔 〕⇒〔 〕欲
読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
⑫(〔書)読〕欲。
然るに、
(03)により、
(04)
⑫(書)読欲。
に対して、「平仮名」を加へると、
⑬(書を)読まんと欲す。
然るに、
(02)(04)により、
(05)
②〔( )
⑫( )
に於いて、
② は、「括弧」として「普通」であるが、
⑫ は、「括弧」として「異常」である。
然るに、
(06)
「1から9迄の1桁の数を、ランダムに、10通りに並べて下さい。」
といふ風に、AIに頼んだところ。
① 4,2,8,1,9,5,3,7,6
② 9,1,5,3,7,2,6,4,8
③ 7,3,6,8,2,4,9,5,1
④ 2,5,9,4,1,8,7,6,3
⑤ 8,6,1,7,3,9,4,2,5
⑥ 3,9,2,5,6,1,8,4,7
⑦ 5,7,4,6,8,3,1,9,2
⑧ 1,8,3,9,4,7,2,5,6
⑨ 6,4,7,2,5,1,3,8,9
⑩ 9,5,8,3,1,6,2,7,4
然るに、
(07)
① 4,2,8,1,9,5,3,7,6
② 9,1,5,3,7,2,6,4,8
③ 7,3,6,8,2,4,9,5,1
④ 2,5,9,4,1,8,7,6,3
⑤ 8,6,1,7,3,9,4,2,5
⑥ 3,9,2,5,6,1,8,4,7
⑦ 5,7,4,6,8,3,1,9,2
⑧ 1,8,3,9,4,7,2,5,6
⑩ 9,5,8,3,1,6,2,7,4
であれば、
① 4〔2(8{1)9〈5[3〕]7(6)]}〉
② 9〈1,5〔3(7{2)6[4〕]}8〉
③ 7《3〔6〈8「2(4[9『5{1)〕]}〉》」』
④ 2(5[9「4〔1)8《7〈6{3〕]}〉》」
⑤ 8《6{17〈3(9「4〔2)〕5}〉》」
⑥ 3〔9《2(5[6{1)8〈〕4]}7〉》
⑦ 5[7〈4〔6{8《3(19「2)〕]}〉》」
⑧ 18{3(9〈4〔7[2)〕56]}〉
⑨ 6{4〔7〈2(5[1)3〕]}〉89
⑩ 9《5〔8〈3(1,6[,2)7{4〕]}〉》
といふ「順番」に対して、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
#〈 〉⇒〈 〉#
#《 》⇒《 》#
#「 」⇒「 」#
#『 』⇒『 』#
といふ「移動」を行ふと、
① 〔({1)2〈[3〕4]5(6)7]}8〉9
② 〈1〔({2)3[4〕5]6}78〉9
③ 《〔〈「([『{1)2〕3]4}5〉6》7」8』9
④ ([「〔1)2《〈{3〕4]5}6〉7》8」9
⑤ 《{1〈(「〔2)3〕45}6〉7》8」9
⑥ 〔《([{1)2〈〕34]5}67〉8》9
⑦ 5[7〈4〔6{8《3(19「2)〕]}〉》」
⑧ 1{(〈〔[2)3〕456]7}8〉9
⑨ {〔〈([1)23〕4]5}6〉789
⑩ 《〔〈(1[2)3{4〕5]6}7〉8》9
となって、
① 1<2<3<4<5<6<7<8<9
② 1<2<3<4<5<6<7<8<9
③ 1<2<3<4<5<6<7<8<9
④ 1<2<3<4<5<6<7<8<9
⑤ 1<2<3<4<5<6<7<8<9
⑥ 1<2<3<4<5<6<7<8<9
⑦ 1<2<3<4<5<6<7<8<9
⑧ 1<2<3<4<5<6<7<8<9
⑨ 1<2<3<4<5<6<7<8<9
⑩ 1<2<3<4<5<6<7<8<9
といふ「順番」に、「(無理やりに)並び替へること」は出来る。
然るに、
(07)により、
(08)
② 〈1〔({2)3[4〕5]6}78〉9
③ 《〔〈「([『{1)2〕3]4}5〉6》7」8』9
④ ([「〔1)2《〈{3〕4]5}6〉7》8」9
⑤ 《{1〈(「〔2)3〕45}6〉7》8」9
⑥ 〔《([{1)2〈〕34]5}67〉8》9
⑦ 5[7〈4〔6{8《3(19「2)〕]}〉》」
⑧ 1{(〈〔[2)3〕456]7}8〉9
⑨ {〔〈([1)23〕4]5}6〉789
⑩ 《〔〈(1[2)3{4〕5]6}7〉8》9
に於ける、
① 〔({ )〈[ 〕]( )]}〉
② 〈〔({ )[ 〕]}〉
③ 《〔〈「([『{ )〕]}〉》」』
④ ([「〔 )《〈{ 〕]}〉》」
⑤ 《{〈(「〔 )〕}〉》」
⑥ 〔《([{ )〈 〕]}〉》
⑦ [〈〔{《(「 )〕]}〉》」
⑧ {(〈〔[ )〕]}〉
⑨ {〔〈([ )〕]}〉
⑩ 《〔〈([ ){ 〕]}〉》
といふ「これら」は、「括弧」として「異常」である。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
>2>1
ではなく、
② 2<>1
のやうな「順番」を、「括弧」を用ひて、
③ 1<2<
といふ「順番」に「並び替へる」ことは、「出来ない」。
然るに、
(10)
① F〈E{D[4〔13(2)〕B〔58(67)A(9)〕C]}〉。
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
#〈 〉⇒〈 〉#
といふ「移動」を行ふと、
① 〈{[〔1(2)3〕4〔5(67)8(9)A〕BC]D}E〉F。
② 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F。
然るに、
(11)
① 不聞有冀復得兎使宋人釋其耒守株者。⇔
② 不〈聞{有[冀〔復得(兎)〕使〔宋人釋(其耒)守(株)〕者]}〉⇒
③〈{[〔復(兎)得〕冀〔宋人(其耒)釋(株)守〕使者]有}聞〉不⇒
④〈{[〔復た(兎を)得んことを〕冀ひ〔宋人をして(其の耒を)釋て(株を)守ら〕使むる者の]有るを}聞か〉不⇔
⑤ もう一度、兎を得ることを願って、宋人に対して、その鋤を捨てて、株を守らせる者がゐる、といふことを聞かない。
cf.
⑤ 我从没听说过有人会为了再抓到一只兔子而弃置锄头,守在树桩旁(グーグル翻訳)。
⑤ I have never heard of anyone abandoning their plow and guarding their stumps in the hope of getting another rabbit(グーグル翻訳).
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
① 不聞有冀復得兎使宋人釋其耒守株者。
といふ「漢文(作例)」は、
①〈{[〔( )〕〔( )( )〕]}〉。
といふ「括弧」を用ひて、
④〈{[〔復た(兎を)得んことを〕冀ひ〔宋人をして(其の耒て)釋て(株を)守ら〕使むる者の]有るを}聞か〉不。
といふ「語順」に「並び替へる」ことが「出来る」。
然るに、
(13)
① 不聞有冀復得兎使宋人釋其耒守株者。
に対して、「返り点」は、
① 不復得一レ兎使宋人釋其耒上レ株者
従って、
(12)(13)により、
(14)
①〈{[〔( )〕〔( )( )〕]}〉
といふ「括弧」は、
① レ レ 乙 二 一レ 下 二 一 上レ 甲
といふ「返り点」に「相当」する。
然るに、
(15)
仮に、
〈 〉=間 人
{ }=地 天
[ ]=乙 甲
〔 〕=下 上
( )=二 一
であるとして、
① 〈 { [ 〔 ( ) 〕〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、
① 間 地 乙 下 二一 上 下 二一 二一 上 甲 天 人
といふ「返り点」に「相当」する。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① レ レ 乙 二 一レ 下 二 一 上レ 甲
といふ「返り点」は、
① 間 地 乙 下 二一 上 下 二一 二一 上 甲 天 人
といふ「返り点」に「置き換へ可能」であって、
① 間 地 乙 下 二一 上 下 二一 二一 上 甲 天 人
といふ「返り点」は、
① 〈 { [ 〔 ( ) 〕〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」に「相当」する。
然るに、
(17)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(11)~(17)により、
(18)
① 不復得一レ兎使宋人釋其耒上レ株者
といふ「返り点」と、
② 不〈聞{有[冀〔復得(兎)〕使〔宋人釋(其耒)守(株)〕者]}〉。
といふ「括弧」は、
① 不聞有冀復得兎使宋人釋其耒守株者。
といふ「漢文補足構造」と同時に、
② 復た兎を得んことを冀ひ、宋人をして其の耒を釋て株を守ら使むる者の有るを聞かず。
といふ「国語補足構造」を示してゐる。
然るに、
(19)
① 不聞有冀復得兎使宋人釋其耒守株者。
といふ「漢文」を、
① フツ ブン イウ キ フク トク ト シ ソウ ジン シャ キ ライ シュ シャ。
① Bù wén yǒu jì fù dé tù shǐ sòng rén shì qí lěi shǒuzhū zhě.
といふ風に、「音読出来たとしても、
① 不聞有冀復得兎使宋人釋其耒守株者。
といふ「漢文」の、
② 不〈聞{有[冀〔復得(兎)〕使〔宋人釋(其耒)守(株)〕者]}〉。
といふ「補足構造(管到)」を、「把握出来るわけではない
従って、
(18)(19)により、
(20)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
といふ「主張」は、「必ずしも、当たらない」。

2025年12月15日月曜日

「(久々に、)漢文訓読と括弧」について(其の二)。

        ―「昨日(12月14日)記事」を書き直します。―
(01)
京都大学の入試で漢文は出題されますか?
京都大学の入試では、漢文が単独で出題されることはありません。 文系では古文との融合問題として数年に一度出題される程度で、理系においては2011年以降、漢文を含む問題は出題されていません。 そのため、京大志望の受験生にとって漢文は大きな負担ではありませんが、最低限の対策は必要です。2024/12/19(駿台予備学校)。
(02)
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)。
然るに、
(03)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)。
然るに、
(04)
しかし、倉石の鋭さは、なによりもまず先にも触れた「漢文訓読塩鮭論」に余すところなく現われていると言える。それはすなわち次のような一節である。
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍国書であり、漢文国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様なものである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、60頁)。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
(ⅰ)「京都大学」は、
(ⅱ)「伝統的」に、
(ⅲ)「漢文訓読」といふ「方法」を、
(ⅳ)「良し」とせず、そのため、
(ⅴ)「京都大学の入試」に於いては、
(ⅵ)「数年に一度出題される程度で漢文が単独で出題されることはありません。」
という、ことになる。
然るに、
(06)
① 我非不必求以解中文法解漢文者也。⇔
② 我非〈不{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。⇒
③ 我〈{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也。⇒
④ 我は〈{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。⇒
⑤ 私は、必ずしも中国語を理解する方法を用いて、漢文を理解しようとしない者ではないのである。⇒
⑥ 私は、時には、中国語を理解する方法を用いて、漢文を理解しようとする者なのだ。cf.
⑦ I am not necessarily someone who would not try to understand Chinese using methods to understand English(グーグル翻訳).
従って、
(06)により、
(07)
② 我非〈不{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
② 非〈 〉⇒〈 〉非
② 不{ }⇒{ }不
② 求[ ]⇒[ ]求
② 以〔 〕⇒〔 〕以
② 解( )⇒( )解
② 解( )⇒( )解
といふ「(左から右への移動」を行ふと、
③ 我〈{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也。
といふ「語順」となって、
③ 我〈{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也。
という「語順」に対して、「平仮名を補ふ」と、
④ 我は〈{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ「漢文訓読」が、「完成」する。
然るに、
(08)
④ 我は〈{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ「漢文訓読」から、「平仮名を除く」と、
③ 我〈{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也。
といふ「語順」となって、
③ 我〈{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也。
に対して、
② 〈 〉非⇒非〈 〉
② { }不⇒不{ }
② [ ]求⇒求[ ]
② 〔 〕以⇒以〔 〕
② ( )解⇒解( )
② ( )解⇒解( )
といふ「(逆く向きの移動」を行ふと、
② 我非〈不{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
といふ「漢文語順」となる。
然るに、
(09)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんのことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
然るに、
(10)
戦前は「右横書き」が主流でしたが、それは縦書きの延長線上にあり、決して左横書きがなかったわけではありません。戦後の合理化と国際化の流れの中で「左横書き」が標準化され、現在に至ります(生成AI)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
管到というのは、「戦後の横書き」であれば、「左の語が、右のことばのどこまでかかるか」といふことである。
従って、
(07)(08)(11)により、
(12)
② 我非〈不{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
というふ「漢文」を、
④ 我は〈{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ「語順」で読んだとしても、
② 我非〈不{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
③ 我〈{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也。
に於ける、
②〈 { [ 〔 ( ) 〕( ) ] } 〉
③〈 { [ 〔 ( ) 〕( ) ] } 〉
といふ「管到補足構造)」は、「不変」である。
然るに、
(13)
京都大学に於いて、その中国文化の研究について、大きな基礎を作られた狩野直喜氏(一八六六~一九四七)は、その教えを受けた倉石武四郎(一八九七~」に、かつて「自分たちが訓読するのは、そういう習慣になっていたから、いちおう訓読するだけで、実は、原文を直読しているのである」と語られたという(鈴木直治、中国語漢文、1975年、385頁)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
訓読するのは、そういう習慣になっていたから、いちおう訓読するだけで、実は、原文を直読しているのである」といふのであれば、その場合は、
「狩野直喜氏(一八六六~一九四七)」のやうな先生は、例へば、
① 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極(大學傳五章)。
といふ「漢文」の、
② 是以大學始敎必使〈學者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「管到補足構造)」を、「目で見て、把握して」、その上で、
③ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふに「訓読」をしてゐたといふ風に、思はれる。
然るに、
(15)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
例へば、
① 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を、「現代中国音(北京語?)」で読めたとしても、
② 是以大學始敎必使〈學者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「管到補足構造)」を「把握出来ないとしたら、
③ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「意味」を「理解」することは、「不可能」である。
といふ、ことになるし、更に言へば、
(17)
漢文は古代中国の文語(書き言葉)で、現代中国語(白話文)とは文法や語彙が大きく異なりますが、現代中国語の多くの単語は日本で漢文知識を基に作られ、中国に逆輸入されて成立したという歴史的つながりがあります。現代中国語は話し言葉がベースの口語文(普通話など)で、「漢文」は現代では「文言文(文言)」と呼ばれ、漢文とは異なる文体系です(生成AI)し、加へて、
(18)
① 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を「音読」したいのであれば、
① ゼ イ ダイ ガク シ キョウ ヒツ シ ガク シャ ソク ハン テン カ シ ブツ バク フツ イン キイ チ シ リ ジ エキ キョク シ イ キュウ シ コ キ キョク。
といふ風に、「日本漢字音」でも、「可能」である。
従って、
(02)(17)(18)により、
(19)
京都大学文学部」は、
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)。
といふ風に、述べつつ、「入試に於いて、漢文出題しない」ものの、「そのことが、理に適ってゐる」といふ風には、私には思へない

2023年5月29日月曜日

「父母の年」の「管到」について。

(01)
① 父母之年、不可不知也=
① 父母之年、不知也=
① 父母之年、不[可〔不(知)〕]也⇒
① 父母之年、[〔(知)不〕可]不也=
① 父母の年は[〔(知ら)不る〕可から]不る也=
① 父母の年を[〔(知ら)ないといふことは〕あってはなら]ない(論語 里仁第四の二十一)。
然るに、
(02)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。
然るに、
(03)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(04)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 父母之年、不知也。
といふ「返り点」は、
① 父母之年、不可不知也。
といふ「漢文」の、
① 父母之年、不[可〔不(知)〕]也。
といふ「管到(補足構造)」を示してゐる。
然るに、
(06)
数学嫌いであろうと、子供であろうと、だれでも「父と母の年齢」というと、
「父の年齢と母の年齢」と同じ意味だとわかっている。当たり前のこととして、
気にもかけないかも知れない。実はこれは
(父と母)の年齢=(父の年齢)と(母の年齢)
というように分配法則そのものなのだ。
(a+b)×c=ac+bc
という式を理解できない人でも、「父と母の年齢?」と聞かれたら数を二つ言うに違いない。
(小谷善行、ことばの数理千夜一夜、2021年、8頁)
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① 父母之年、不可不知也。
といふ「漢文」には、
②(父母)之年、不[可〔不(知)〕]也。
といふ「管到(スコープ)」が有るものの、
②(父母)之年
に関しては、「補足構造」でなく、「並列構造+被修飾構造」であって、
「並列構造+被修飾構造」の「語順」は、「日本語の語順」と「同じ」であるが故に、
②(父母)之年=(父母)の年
といふ「管到(スコープ)」に対しては、「返り点」が付かない。
然るに、
(08)
① (a+b)×c=ac+bc
だけでなく、
② c×(a+b)=ac+bc
であっても、「分配法則」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 父母之年、不可不知也。
といふ「語順」だけなく、
② 年之父母、不可不知也。
といふ「語順」が有っても、良いはずであって、その場合は、
② 年父母、不知也。
といふ「返り点」が付く。
といふ、ことになる。
令和5年5月29日、毛利太。

2022年4月6日水曜日

「返り点(括弧)」と「中国語(白話文)」。

(01)
cf.
① 告げざる可からず。
② 我、鳥の樹に啼くを聞く。
③ 鳥獣は、これと与に群れを同じくする可からず。
④ 外人の為に言ふに足らざるなり。
⑤ 耕す者、益々急ならざる可からず。
⑥ 己にご如からず者を友とすること無かれ。
⑦ 当世の士大夫、劉老人有るを知ら不る者無し。
⑧ 聖人の知らざる所、未だ必ずしも愚人の知る所と為さずんばあらざるなり。
⑨ 曽子の母、子の人を殺さ不るを知ら不るに非ざるなり。
⑩ 籍をして誠に子を畜ひ寒さを憂れふるを以て心を乱さず財有りて以て薬を剤さ使む。
⑪ 之を取らんと欲す。
⑫ 之を取捨せんと欲す。
(02)

  従って、
(01)(02)により、
(03)
レ点(レ、一レ、上レ、甲レ)」は「不要」である。
然るに、
(04)

従って、
(04)により、
(05)
漢字」に『返り点』が「付く」といふことは、
返り点』に「漢字」が「付く」ことと「同じ」である。
然るに、
(06)
① 四[三〔二(一)〕]
② 三〔二(一)〕
③ 丁[丙〔二(一)乙(甲)〕]
④ 下[中〔二(一)上〕]
⑤ 四[三〔二(一)〕]
⑥ 下{中[三〔二(一)〕上]}
⑦ 下{四[三〔二(一)〕]上}
⑧ 三〔二(一)〕、五{四[三〔二(一)〕]}
⑨ 六〈五{四[三〔二(一)〕]}〉
⑩ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
⑪ 三〔二(一)〕
⑫ 三〔二‐(一)〕
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
#〈 〉⇒〈 〉#
といふ「移動」を行ふと、
① [〔(一)二〕三]四
② 〔(一)二〕三
③ [〔(一)二(甲)乙〕丙]丁
④ [〔(一)二上〕中]下
⑤ [〔(一)二〕三]四
⑥ {[〔(一)二〕三上]中}下
⑦ {[〔(一)二〕三]四上}下
⑧ 〔(一)二〕三、{[〔(一)二〕三]四}五
⑨ 〈{[〔二(一)〕三]四}五〉六
⑩ {[〔(一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)地}人
⑪ 〔(一)二〕三
⑫ 〔(一)二‐〕三
といふ「順番」になる。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
(ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ
(ⅱ)一 二 三 四 五 六
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)甲 乙 丙
(ⅴ)天 地 人
といふ『返り点』は、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
(ⅵ)〈 〉
といふ『括弧』に、相当する。
然るに、
(08)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )一二点で、{ }点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
従って、
(08)により、
(09)
① { ( ) }
② 下 二 一 上
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)により、
(10)
③ { ( } )
④ 下 二 上 一
に於いて、
③=④
である。
然るに、
(11)
① { ( ) }
③ { ( } )
に於いて、
① は、『括弧』であるが、
③ は、『括弧』ではない
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
「数学の式における( )一二点で、{ }点に相当するものと考えるとわかりやすい。」
とするならば、
② 下 二 一 上
 二  一
に於いて、
② は、『返り点』であるが、
④ は、『返り点』ではない
然るに、
(13)
従って、
(12)(13)により、
(14)
④ 只管要
に付く、
 二  一
は、『括弧』ではない
然るに、
(15)
( { [ ) ] }
二 五 三 一 四
に於ける、
⑤ は、『括弧』ではなく、それ故、
⑥ は、『返り点』ではない
然るに、
(16)
従って、
(15)(16)により、
(17)
⑥ 端‐的看 婆‐子的本‐事
⑥ 西門慶促‐忙促‐急儧造 不
に付く、
二 五 三 一 四
二‐ 五 三 一 四
は、『括弧』ではない
然るに、
(18)
「完全な口語表現」である「~出来」という方向補語も、こうした複雑な「返り点」が付けられることで何とか訓読される。」
とは言ふものの、
返り点』を付けることが出来ない「それ」は、『漢文』ではない
従って、
(14)~(18)により、
(19)
④ 只管要
⑤ 端‐的看 婆‐子的本‐事
⑥ 西門慶促‐忙促‐急儧造 不
並びに、
⑦ 吃了不 多酒
等の「白話文(中国語)」は、『漢文』ではない
令和04年04月06日、毛利太。

2022年4月2日土曜日

「返り点・括弧」と「漢文音読・批判」。

―「昨日(令和04年04月01日)の記事」を書き直します。―
(01)
① 5{4[3〔2(1)〕]}
② 2(4[5{3〔1)〕]}
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① {[〔(1)2〕3]4}5
② ([{〔1)2〕3]4}5
従って、
(02)
① {[〔( )〕]}
② ([{〔 )〕]}
を用ひることによって、
①5 4 3 2 1
②2 4 5 3 1
といふ「順番」を、
①1 2 3 4 5
②1 2 3 4 5
といふ「順番」に、「並び変へ(ソートする)」ることが出来る。
然るに、
(03)
「定義」により、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
に於いて、
(ⅰ)は『括弧』であって、
(ⅱ)の中に(ⅰ)が在るならば、(ⅱ)は『括弧』であり、
(ⅲ)の中に(ⅱ)が在るならば、(ⅲ)は『括弧』であり、
(ⅳ)の中に(ⅲ)が在るならば、(ⅳ)は『括弧』である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
[〔( )〕]
〔 〕]
に於いて、
① は『括弧』であるが、
② は『括弧』ではない
従って、
(04)により、
(05)
①#が「n+1より大きい数」を含んでゐるならば、そのときに限って、
①n+1<#>n(nは自然数。)
といふ「順番」を、『括弧』を用ひて、
①n<n+1<#
といふ「順番」に、「並び変へ(ソートする)」ることが出来ない
従って、
(05)により、
(06)
①12345  ②12354  ③12435  ④12453  ⑤12534  ⑥12543 
①13245  ②13254  ③13425  ④13452  ⑤13524  ⑥13542 
①14235  ②14253  ③14325  ④14352  ⑤14523  ⑥14532 
①15234  ②15243  ③15324  ④15342  ⑤15423  ⑥15432 
①21345  ①21354  ①21435  ①21453  ①21534  ①21543 
②23145  ②23154  ②23415  ②23451  ②23514  ②23541 
③24135  ③24153  ③24315  ③24351  ③24513  ③24531 
④25134  ④25143  ④25314  ④25341  ④25413  ④25431 
①31245  ①31254  ①31425  ①31452  ①31524  ①31542 
②32145  ②32154  ②32415  ②32451  ②32514  ②32541 
③34125  ③34152  ③34215  ③34251  ③34512  ③34521 
④35124  ④35142  ④35214  ④35241  ④35412  ④35421 
①41235  ①41253  ①41325  ①41352  ①41523  ①41532 
②42135  ②42153  ②42315  ②42351  ②42513  ②42531 
③43125  ③43152  ③43215  ③43251  ③43512  ③43521 
④45123  ④45132  ④45213  ④45231  ④45312  ④45321 
①51234  ①51243  ①51324  ①51342  ①51423  ①51432 
②52134  ②52143  ②52314  ②52341  ②52413  ②52431 
③53124  ③53142  ③53214  ③53241  ③53412  ③53421 
④54123  ④54132  ④54213  ④54231  ④54312  ④54321
といふ「5!=5×4×3×2×1=120通り」に於ける、
④12453  ③13425  ④13452  ⑤13524  ⑥13542  ②14253 
④14352  ⑤14523  ⑥14532  ④15342  ①21453  ②23145 
②23154  ②23415  ②23451  ②23514  ②23541  ③24135 
③24153  ③24315  ③24351  ③24513  ③24531  ④25134 
④25143  ④25314  ④25341  ④25413  ④25431  ①31425 
①31452  ①31524  ①31542  ②32415  ②32451  ②32514 
②32541  ③34125  ③34152  ③34215  ③34251  ③34512 
③34521  ④35124  ④35142  ④35214  ④35241  ④35412 
④35421  ①41253  ①41352  ①41523  ①41532  ②42153 
②42315  ②42351  ②42513  ②42531  ③43152  ③43251 
③43512  ③43521  ④45123  ④45132  ④45213  ④45231 
④45312  ④45321  ①51342  ②52314  ②52341  ②52413 
②52431  ③53142  ③53241  ③53412  ③53421  ④54231
といふ「78通り」に対しては、『括弧』を加へることが出来ず
①12345  ②12354  ③12435  ⑤12534  ⑥12543  ①13245 
②13254  ①14235  ③14325  ①15234  ②15243  ③15324 
⑤15423  ⑥15432  ①21345  ①21354  ①21435  ①21534 
①21543  ①31245  ①31254  ②32145  ②32154  ①41235 
①41325  ②42135  ③43125  ③43215  ①51234  ①51243 
①51324  ①51423  ①51432  ②52134  ②52143  ③53124 
③53214  ④54123  ④54132  ④54213  ④54312  ④54321
といふ「(42-1=41通り」に対しては、
①12345
②1235(4)
③124(3)5
⑤125(34)
⑥125〔4(3)〕
①13(2)45
②13(2)5(4)
①14(23)5
③14〔3(2)〕5
①15(234)
②15〔24(3)〕
③15〔3(2)4〕
⑤15〔4(23)〕
⑥15[4〔3(2)〕]
①2(1)345
①2(1)35(4)
①2(1)4(3)5
①2(1)5(34)
①2(1)5〔4(3)〕
①3(12)45
①3(12)5(4)
②3〔2(1)〕45
②3〔2(1)〕5(4)
①4(123)5
①4〔13(2)〕5
②4〔2(1)3〕5
③4〔3(12)〕5
③4[3〔2(1)〕]5
①5(1234)
①5〔124(3)〕
①5〔13(2)4〕
①5〔14(23)〕
①5[14〔3(2)〕]
②5〔2(1)34〕
②5〔2(1)4(3)〕
③5〔3(12)4〕
③5[3〔2(1)〕4]
④5〔4(123)〕
④5[4〔13(2)〕]
④5[4〔2(1)3〕]
④5[4〔3(12)〕]
④5{4[3〔2(1)〕]}
といふ風に、『括弧』を加へることが出来る
然るに、
(07)


(08)

cf.
① 告げざる可からず。
② 我、鳥の樹に啼くを聞く。
③ 鳥獣は、これと与に群れを同じくする可からず。
④ 外人の為に言ふに足らざるなり。
⑤ 耕す者、益々急ならざる可からず。
⑥ 己にご如からず者を友とすること無かれ。
⑦ 当世の士大夫、劉老人有るを知ら不る者無し。
⑧ 聖人の知らざる所、未だ必ずしも愚人の知る所と為さずんばあらざるなり。
⑨ 籍をして誠に子を畜ひ寒さを憂れふるを以て心を乱さず財有りて以て薬を剤さ使む。
従って、
(07)(08)により、
(09)
例へば、
① レ レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 レ 一レ
④ レ 下 二 一 上
⑤ レ 三 二 一
⑥ レ 二 レ レ 一
⑦ 下 レ レ 二 一 上
⑧ レ レ 二 一レ 二 一レ
⑨ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「レ点」は、
① 四 三 二 一
② 三 二 一
③ 丁 丙 二 一 乙 甲
④ 下 中 二 一 上
⑤ 四 三 二 一
⑥ 下 中 三 二 一 上
⑦ 下 四 三 二 一 上
⑧ 三 二 一、五 四 三 二 一
⑨ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」に「等しい」。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
といふ「返り点」で、「不足」が生じない限り、
(ⅴ)レ
(ⅵ)一レ 上レ 甲レ 天レ
は「不要」である。
然るに、
(11)
① 四[三〔二(一)〕]
② 三〔二(一)〕
③ 丁[丙〔二(一)乙(甲)〕]
④ 下[中〔二(一)上〕]
⑤ 四[三〔二(一)〕]
⑥ 下{中[三〔二(一)〕上]}
⑦ 下{四[三〔二(一)〕]上}
⑧ 三〔二(一)〕、五{四[三〔二(一)〕]}
⑨ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① [〔(一)二〕三] 四
② 〔(一)二〕三
③ [〔(一)二(甲)乙〕丙]丁
④ [〔(一)二上〕中]下
⑤ [〔(一)二〕三]四
⑥ {[〔(一)二〕三上]中}下
⑦ {[〔(一)二〕三]四上}下
⑧ 〔(一)二〕三、{四[〔(一)二〕三]}五
⑨ {[〔(一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)地}人
従って、
(07)~(11)により、
(12)
(ⅴ)レ
(ⅵ)一レ 上レ 甲レ 天レ
を含む「返り点」は、
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
に「置き換へ」ることが出来、
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
であれば、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
に「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(05)(12)により、
(13)
「返り点」は、例へば、
        ②12354  ③12435  ⑤12534  ⑥12543  ①13245 
②13254  ①14235  ③14325  ①15234  ②15243  ③15324 
⑤15423  ⑥15432  ①21345  ①21354  ①21435  ①21534 
①21543  ①31245  ①31254  ②32145  ②32154  ①41235 
①41325  ②42135  ③43125  ③43215  ①51234  ①51243 
①51324  ①51423  ①51432  ②52134  ②52143  ③53124 
③53214  ④54123  ④54132  ④54213  ④54312  ④54321
といふ「順番」にしか、着かない。
従って、
(13)により、
(14)
「漢文」と「訓読」の「語順」は、『規則正しく異なる』のであって、
「不規則(ランダム)に異なる」といふわけではない。
然るに、
(15)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
例へば、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑨ 使籍誠不妻子飢寒甲レ銭財以済医薬
⑨ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
⑨ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑨ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
に於ける、
⑨{[〔( )( )〕( )]( )( )}
といふ「括弧」は、
⑨ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
といふ「返り点」の「役割」を果たしていて、それと「同時」に、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」の『補足構造』を表してゐる。
然るに、
(17)

然るに、
(18)
私は、中国語が一切、分からないものの、
【 】内都是「使」的内容,( )内是「乱心」的原因。
といふことは、
【 】の中は全て、「使」の内容であり、
( )の中は「乱心」の原因である。
といふ「意味」であるに、違ひない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
私も、王赟 Maigoさんも、二人とも、「事実」として、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」の『補足構造』を、
⑨ 使【籍誠不以(畜妻子、憂飢寒)乱心有銭財以済医薬)】。
といふ風に、捉へてゐる。
然るに、
(20)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。
(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)
然るに、
(21)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである。
(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
⑨ 使【籍誠不以(畜妻子、憂飢寒)乱心有銭財以済医薬)】。
といふ『補足構造(管到)』を「把握」しない限り、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」を「読めない(理解できない)」といふことに関しては、日本人であっても、中国人であっても、「同じこと」である。
然るに、
(23)
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」を、
(ⅰ)籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
(ⅱ)Shǐ jí chéng bù yǐ chù qīzi yōu jīhán luànxīn yǒu cái qián yǐ jì yīyào.
(ⅲ)シセキセイフイチクサイシユウキカンランシンユウセンザイイサイイヤク。
を(ⅰ)のやうに「読む」のであれば、『補足構造・管到』を「把握」してゐることになるが、
 (ⅱ)のやうに「読ん」だとしても、
 (ⅲ)のように「読ん」だとしても、『補足構造・管到』を「把握」してゐるとは、限らない。
加へて、
(24)
今の言語と昔の言語は、お互いにわけのわからない外国語と同じようになっているということです。つまり、今の中国の学者といえども、日本の学者と同じように、古言を理解することは、外国語を理解することと同じくらい、難しいことなのです(山泰幸、江戸の思想闘争、2019年、97頁)。
(25)
自然言語の外国人向けの教科書は、まず「こんにちは!」「ありがとう」のような簡単な言葉(ネイティブスピーカーの子供でもわかる言葉)から入る。いっぽう、漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は原理的に存在できない。― 中略 ―、「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人も外国人も平等である(加藤徹 著、白文後略 漢文一人学び、2013年、8・9頁)。
従って、
(23)(24)(25)により、
(26)
「漢文」を読めるようになる上で、「日本語の話者」よりも、「北京語(普通話)の話者」の方が「有利」である。
といふことは、有り得ない。
然るに、
(27)
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)。
従って、
(26)(27)により、
(28)
私自身は、京都大学による、「現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。」
といふ「方法」が、「有意義」であるとは、思へない。
令和04年04月02日、毛利太。

2021年10月10日日曜日

「兎不可復得(守株)」について。

(01)
① 不甚善
① 不(甚善)⇒
① (甚善)不=
① (甚だしく善か)ら不。
(02)
② 甚不善⇔
② 甚不善⇔
② 甚不(善)⇒
② 甚(善)不=
② 甚だ(善から)不。
然るに、
(03)
つまり、「否定語+副詞」のときはその副詞をふくめた内容が否定されるので、否定されることがらが副詞によって修飾されて部分的に限定されることになる。
逆に「副詞+否定詞」のときは、副詞が不定語を修飾することになるので、否定されることがらは否定語の下におかれた全般にわたることになる。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、73頁)
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
「漢文訓読」といふ「語法」からすれば、
①(甚だしく、善から)不。
②  甚だ(善から)不。
に於いて、
①(大変、善い)とまでは、言へない。
② 大変(、善くない)。
である。
従って、
(04)により、
(05)
①(甚だしく、善から)不。
②  甚だ(、善から)不。
に於いて、
① それなりに、善い。
② とても、善くない。
である。
従って、
(05)により、
(06)
①(驚くほど、上手く)ない。
②  驚くほど、(上手く)ない。
に於いて、
それなりに、上手いが、驚くほどではない。
② とても、下手で、驚いてしまふ。
である。
然るに、
(07)
①(アマチュアである、あなたの演奏は)それなりに、上手いが、驚くほどではない。
②(アマチュアである、あなたの演奏は)とても、下手で、驚いてしまふ。
に於いて、
② のやうに言はれれば、「傷付く」であらうが、
① のやうに言はれても、「傷付く」ことは、ないはずである。
然るに、
(08)
私の場合は、私よりも一つ年上の女性に対して、
②(あなたの演奏は、)驚くほど、上手くない。
とは言はず、
①(あなたの演奏は、)驚くほど上手くない。
と言ったところ、『ものすごい剣幕で、怒られた』といふことを、経験してゐる。
然るに、
(09)
ひとりの人間の発達史において、文系・理系の区分が初めて明確に意識されるようになるのは、一般には大学受験に備える高校の高学年からである。[12]しかしながら、大学受験という一回のチャンスに人生が大きく影響されるという考えが根強い日本では、幼いころから「この子は算数や理科が得意だから理系」「この子は社会や国語を好むから文系」などと言われるようである。
(ウィキペディア)
然るに、
(10)
その方は、「理系の高校生」であったため、「文系の高校生」であった、私ほどには、「漢文」を、勉強していなかったに違ひない。
従って、
(04)(07)(10)により、
(11)
「漢文の語法」といふ「日本語の語法」に従って、
①(アマチュアである、あなたの演奏は)それなりに、上手いが、驚くほどではない。
と、私が、発言したにも拘はらず、
②(アマチュアである、あなたの演奏は)とても、下手で、驚いてしまふ。
といふ「意味」に、「誤解」してしまひ、その「結果」として、その女性は、『ものすごい剣幕で、怒られた』のではないのか。
といふ風に、私自身は、思ってゐる。
(12)
 守株(韓非子)
〔返り点〕
① 宋人有 耕田者
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得一レ兎。
④ 兎不復得、而身爲宋國笑
⑤ 今、欲先王之政、治當世之民、皆守株之類也。
〔括弧〕
① 宋人有〔耕(田)者〕。
② 田中有(株)、兎走觸(株)、折(頸)而死。
③ 因釋(其耒)而守(株)、冀〔復得(兎)〕。
④ 兎不〔可(復得)〕、而身爲(宋國笑)。
⑤ 今欲〔以(先王之政)、治(當世之民)〕、皆守(株)之類也。
〔訓読〕
① 宋人に〔(田を)耕す者〕有り。
② 田中に(株)有り、兎走りて(株に)觸れ、(頸を)折りて死す。
③ 因りて(其の耒を)釋てて(株を)守り、〔復た(兎を)得んことを〕冀ふ。
④ 兎〔(復た得)可から〕ずして、身は(宋國の笑ひと)爲れり。
⑤ 今〔(先王之政)以て、(當世之民)治〕欲、皆(株)守の類なり。
〔通釈〕
① 宋の国の人で、畑を耕作しているものがあった。
② 畑の中に、木の切り株があって、兎が走ってきて、切り株に突っ込み、首の骨を折って死んだ。
③ そこで、畑を耕作しているものは、耒を手放し、株を見守り、もう一度、兎を手に入れるたいものだと、願った。
④ 兎は、二度とは、手に入らず、その人は、宋の国の、笑い者になった。
⑤ 昔の聖王の行なった政治によって、今の国民を治めようとすることは、すべて、このような話と、同じことである。
(13)
④ 兎不〔可(復得)〕。
⑭ 兎復不〔可(得)〕。
であれば、「訓読の語順」は、両方とも、
④ 兎〔(復得)可〕不。
⑭ 兎復〔(得)可〕不。
である。
従って、
(13)により、
(14)
④ 兎不〔可(復得)〕。
⑭ 兎復不〔可(得)〕。
であれば、
④ 兎、復た、得べからず。
⑭ 兎、復た、得べからず。
となって、「訓読」すれば、「区別」が無い。
然るに、
(03)(13)(14)により、
(15)
④ 兎不〔可(復得)〕。
⑭ 兎復不〔可(得)〕。
に於いて、それぞれ、
④ 兎を、「2度得る」ことは、出来なかった。    ⇒「兎を、1度、得ること」が出来た
⑭ 兎を、「得ること出来ない」ことが、2度、続いた。⇒「兎を、1度、得ること」が出来なかった
である。
従って、
(14)(15)により、
(16)
④ 兎不〔可(復得)〕。
⑭ 兎復不〔可(得)〕。
であれば、
④ 兎、復た、得べからず。
⑭ 兎、復た、得べからず。
となって、「訓読」すれば、「区別」が無いが、
④ 兎を、一度、得ることが出来た
⑭ 兎を、一度、得ることが出来なかった
となるため、「命題」としては、
④=⑭ ではない
従って、
(03)(16)により、
(17)
④ 兎不可復得。
⑭ 兎復不可得。
といふ「漢文」の、
④ 兎不〔可(復得)〕。
⑭ 兎復不〔可(得)〕。
といふ「括弧」は、極めて、「重要」である。
令和03年10月10日、毛利太。

2021年9月20日月曜日

『括弧』と『返り点』と「補足構造」。

(01)
① 読(漢文)。
に於いて、
① 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
① 読(漢文)⇒
① (漢文)読=
① (漢文を)を読む。
然るに、
(02)
② 文(読〔漢)〕。
に於いて、
② 文( )⇒( )文
② 読〔 〕⇒〔 〕読
といふ「移動」を行ふと、
② 文(読〔漢)〕⇒
② (〔漢)文〕読=
② (〔漢)文を〕読む。
然るに、
(03)
① 読漢文
② 文
であれば、
① 漢文を読む。
② 漢を読む。
である。
然るに、
(04)
① 読(漢文)。
② 文(読〔漢)〕。
に於いて、
①( )  は、『括弧』であるが、
②(〔 )〕は、『括弧』ではないし、
① 読漢文
② 文
に於いて、
①「二 一」  は、『返り点』であるが、
②「二 三 一」は、『返り点』ではないし、
固より、
① 読漢文(Dú hànwén)。
② 文読漢(wén dú hàn)。
に於いて、
① は、「漢文」であるが、
② は、「デタラメ」である。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 読漢文
① 読(漢文)。
といふ『括弧』が、そうであるやうに、『括弧』は、「返り点の役割」を果たすものと、思はれる。
然るに、
(06)
通常の包含関係に従って甲乙点を打った後、その外側で四つの返り点が必要になったら、どうするのでしょうか。天地人点(の三つ) では足りません。その場合も、やはり、次のやうに、甲乙点と天地人点の順序逆転させるしかないのです。そのような例を一つ示しましょう。根気のよい方は、訓読に従って字を逐ってみてください。あまりの複雑さゆえに嫌気のさす方は、読み飛ばしても結構です。

何ぞ人をして韓の公叔に謂ひて「秦の敢へて周を絶つて韓を伐たんとするは、東周を信ずればなり、公何ぞ周に地を与へ、質使を発して楚に之かしめざる、秦必ず楚を疑ひ、周を信ぜざらん、是れ韓伐たれざらん」と曰ひ、又秦に謂ひて「韓彊ひて周に地を与ふるは、将に以て周を秦に疑はしめんとするなり、周敢へて受けずんばあらず」と曰は令めざる。

何不人謂韓公叔秦之敢絶周而伐韓者、信東周也、公何不周地質使上レ楚、秦必疑楚、不周、是韓不伐也、又謂秦曰、韓彊与周地、将以疑周於秦也、周不敢不受。
(これならわかる返り点、古田島洋介、九一頁改)
然るに、
(07)
② 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕、秦必疑(楚)、不〔信(周)〕、是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰、[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也、周不〔敢不(受)〕]}〉。
に於いて、
② □〈 〉⇒〈 〉□
② □{ }⇒{ }□
② □[ ]⇒[ ]□
② □〔 〕⇒〔 〕□
② □( )⇒( )□
といふ「移動」を行ふと、
② 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕、秦必疑(楚)、不〔信(周)〕、是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰、[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也、周不〔敢不(受)〕]}〉⇒
② 何〈{人(韓公叔)謂[秦之敢(周)絶而(韓)伐者、(東周)信也、公何〔(周地)与(質使)発(楚)之〕不、秦必(楚)疑、〔(周)信〕不、是韓(伐)不也]曰、又(秦)謂、[韓彊(周地)与、将〔以(周於秦)疑〕也、周〔敢(受)不〕不]曰}令〉不=
② 何ぞ〈{人をして(韓の公叔に)謂ひて[秦之敢へて(周を)絶つ而(韓を)伐んとする者、(東周を)信ずれば也、公何ぞ〔(周に地を)与へ(質使を)発して(楚に)之かしめ〕不る、秦必ず(楚を)疑ひ、〔(周を)信ぜ〕不らん、是れ韓(伐たれ)不らん也と]曰ひ、又(秦に)謂ひて、[韓彊ひて(周に地を)与ふるは、将に〔以て(周を於秦に)疑はしめんとする〕也、周〔敢へて(受け)不んば〕不ずと]曰は}令め〉不る。
従って、
(06)(07)により、
(08)
② レ 丁 二 一 地 レ レ 二 一 下 二 一 二 一 上レ レ レ レ 天レ レ 二 一 三 二 一 乙 甲レ
といふ『返り点』は、
②〈 { ( )[ ( )( )( )〔 ( )( )( ) 〕( )〔 ( ) 〕( ) ]( )[ ( )〔 ( ) 〕〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ『括弧』に、「置き換へる」ことが出来る。
従って、
(08)により、
(09)
② 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
のやうに、「極端に長い、ワンセンテンスの漢文」であっても、
〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ、「五組の括弧」があれば、「十分」である。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)〈 〉{ }[ ]〔 〕( )
といふ『括弧』は、
(ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅴ)天 地 人
といふ『返り点』を、「カバーする」。
然るに、
(11)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)(07)(11)により、
(12)
① 読(漢文)。
② 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕、秦必疑(楚)、不〔信(周)〕、是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰、[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也、周不〔敢不(受)〕]}〉。
に於ける、
①( )
②〈 { ( )[ ( )( )( )〔 ( )( )( ) 〕( )〔 ( ) 〕( ) ]( )[ ( )〔 ( ) 〕〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ『括弧』は、
① 読漢文。
② 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
といふ「漢文」に於ける、「補足構造」を、表してゐる。
従って、
(13)
「逆」に言へば、
① 読漢文。
② 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
といふ「漢文」に、「補足構造」があるのであれば、「二つの漢文」には、
①( )
②〈 { ( )[ ( )( )( )〔 ( )( )( ) 〕( )〔 ( ) 〕( ) ]( )[ ( )〔 ( ) 〕〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ『括弧』がある。
といふ、ことになる。
然るに、
(14)
① 読漢文。
② 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
といふ「漢文」に、
①( )
②〈 { ( )[ ( )( )( )〔 ( )( )( ) 〕( )〔 ( ) 〕( ) ]( )[ ( )〔 ( ) 〕〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「補足構造(括弧)」がある。
といふことは飽くまでも、「漢文」自体の「性格」である
従って、
(01)(07)(14)により、
(15)
① 漢文を読む。
② 何ぞ人をして韓の公叔に謂ひて「秦の敢へて周を絶つて韓を伐たんとするは、東周を信ずればなり、公何ぞ周に地を与へ、質使を発して楚に之かしめざる、秦必ず楚を疑ひ、周を信ぜざらん、是れ韓伐たれざらん」と曰ひ、又秦に謂ひて「韓彊ひて周に地を与ふるは、将に以て周を秦に疑はしめんとするなり、周敢へて受けずんばあらず」と曰は令めざる。
といふ風に、「訓読」をしようと、
① Dú hànwén.
② hébù lìng rén wèi hángōngshū yuē qín zhī gǎn jué zhōu ér fá hán zhě xìn dōngzhōu yě gōng hébù yǔ zhōu de fā zhì shǐ zhī chǔ qín bì yí chǔ bùxìn zhōu shì hán bù fá yě yòu wèi qín yuē hán jiàng yǔ zhōu de jiāng yǐ yí zhōu yú qín yě zhōu bù gǎn bù shòu.
といふ風に、「音読」をしようと、
① 読漢文。
② 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
といふ風に、「音読」をしようと、「これらの、二つの漢文」には、
① 読(漢文)。
② 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕、秦必疑(楚)、不〔信(周)〕、是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰、[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也、周不〔敢不(受)〕]}〉。
といふ「補足構造」が、有ることになる。
然るに、
(16)
① 読漢文。
② 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
といふ「漢文」を、
① Dú hànwén.
② hébù lìng rén wèi hángōngshū yuē qín zhī gǎn jué zhōu ér fá hán zhě xìn dōngzhōu yě gōng hébù yǔ zhōu de fā zhì shǐ zhī chǔ qín bì yí chǔ bùxìn zhōu shì hán bù fá yě yòu wèi qín yuē hán jiàng yǔ zhōu de jiāng yǐ yí zhōu yú qín yě zhōu bù gǎn bù shòu.
といふ風に、「音読」出来たとしても、「これらの漢文」の、
① 読(漢文)。
② 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕、秦必疑(楚)、不〔信(周)〕、是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰、[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也、周不〔敢不(受)〕]}〉。
といふ「補足構造」を、「把握」出来るわけではない。
然るに、
(17)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)。
(18)
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください
(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)
(19)
「大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという
(古田島洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)
従って、
(16)~(19)により、
(20)
私としては、「大学の、漢文の先生」に対して、
① 読漢文。
② 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
といふ「漢文」に於ける、
① 読(漢文)。
② 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕、秦必疑(楚)、不〔信(周)〕、是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰、[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也、周不〔敢不(受)〕]}〉。
といふ『括弧(補足構造)』を、どのやうに「評価」するのかといふことを、機会があれば、質問をしてみたい。
令和03年09月20日、毛利太。

2021年8月25日水曜日

「漢文」に「括弧(管到・補足構造)」は有ります(Ⅱ)。

(01)
例へば、
① 非無不欲爲聖明除弊事者=
① 非〈無{不[欲〔爲(聖明)除(弊事)〕]者}〉。
に於いて、
① 非〈 〉⇒〈 〉非
① 無{ }⇒{ }無
① 不[ ]⇒[ ]不
① 欲〔 〕⇒〔 〕欲
① 爲( )⇒( )爲
① 除( )⇒( )除
といふ「移動」を行ふと、
① 非〈無{不[欲〔爲(聖明)除(弊事)〕]者}〉⇒
① 〈{[〔(聖明)爲(弊事)除〕欲]不者}無〉非=
① 〈{[〔(聖明の)爲に(弊事を)除かんと〕欲せ]不る者}無きに〉非ず=
① 聡明な天子の爲に、弊害を除くことを望む者がゐない、といふわけではない。
然るに、
(02)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓除では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない(加藤徹、白文攻略 弊事ひとり学び、2013年、143頁)。
(03)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓除は、国語の語順に置きかえて除むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と弊事、1975年、296頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 非〈無{不[欲〔爲(聖明)除(弊事)〕]者}〉。
に於ける、
①  〈 { [ 〔 (  ) (  )〕] }〉
といふ『括弧』は、
① 非無不欲爲聖明除弊事者。
といふ『漢文』に於ける、『管到』を表してゐて、『管到』とは、すなはち、『補足構造』である。
然るに、
(05)
然るに、
(06)
① 九 八 六 五 二 一 四 三 七=
① 九〈八{六[五〔二(一)四(三)〕]七}〉。
に於いて、
① 九〈 〉⇒〈 〉九
① 八{ }⇒{ }八
① 六[ ]⇒[ ]六
① 五〔 〕⇒〔 〕五
① 二( )⇒( )一
① 四( )⇒( )四
といふ「移動」を行ふと、
① 九〈八{六[五〔二(一)四(三)〕]七}〉⇒
① 〈{[〔(一)二(三)四〕五]六七}八〉九=
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 非 聖人 弊事
② 非 聖明 弊事
③ 非 聖明 弊事
に於ける、
① レ 乙 レ 下 二 一 中 上 甲
② 人 地 丁 丙 二 一 乙 甲 天
③ 九 八 六 五 二 一 四 三 七
①〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
といふ『返り点』と『括弧』は、
① 非無不欲爲聖明除弊事者。
といふ『漢文』に於ける、『管到』を表してゐて、『管到』とは、すなはち、『補足構造』である。
令和03年08月25日、毛利太。

2021年8月23日月曜日

「漢文」に「括弧(管到・補足構造)」は有ります。

(01)
① 無人不道看花回=
① 無人不一レ花回
① 無{人不[道〔看(花)回〕]}⇒
① {人[〔(花)看回〕道]不}無=
① {人として[〔(花を)看て回ると〕道は]不るは}無し=
① どんな人も、花を見て帰るところだと言わないものは無い(孟棨・本事詩)。
(02)
② 無人不道看花回=
② 無人不花回
② 無(人)不[道〔看(花)回〕]⇒
② (人)無[〔(花)看回〕道]不=
② (人)無くんば[〔(花を)看て回ると〕道は]不=
② 人がゐなければ、花を見て帰るとは言はない(作例)。
然るに、
(03)
① どんな人も、花を見て帰るところだと言わないものは無い(孟棨・本事詩)。
② 人がゐなければ、花を見て帰るとは言はない(作例)。
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 無{人不[道〔看(花)回〕]}。
② 無(人)不[道〔看(花)回〕]。
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(05)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)。
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんのことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
『管到』が異なるが故に、
① 無{人不[道〔看(花)回〕]}⇔ 人として花を看て回ると道は不るは無し。
② 無(人)不[道〔看(花)回〕]⇔ 人無くんば、花を看て回ると道は不。
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(07)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 無人不道看花回。
② 無人不道看花回。
に於ける、
① 無{人不[道〔看(花)回〕]}。
② 無(人)不[道〔看(花)回〕]。
といふ、『括弧』は、すなはち、『補足構造』であり、『補足構造』は、すなはち、『管到』である。
従って、
(08)により、
(09)
① 無人不道看花回。
② 無人不道看花回。
といふ「漢文」に、『補足構造・管到』があるのであれば、
① 無人不道看花回。
② 無人不道看花回。
といふ「漢文」は、
①  {  [ 〔 ( ) 〕]}。
②  ( ) [ 〔 ( ) 〕]。
といふ『括弧』が、有ることになる。
令和03年08月23日、毛利太。

2021年4月18日日曜日

「返り点」と「括弧」と「述語論理」と「漢文訓読」と「京大の漢文の先生」。

 ―「昨日(令和03年04月18日)の記事」を書き直します。―
(01)
(ⅰ)
1 (1)~∀x{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)} A
1 (2)∃x~{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)} 1量化子の関係
 3(3)  ~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)} A
 3(4)  ~{~弟子a∨ ∃y(師ya&a<y)} 3含意の定義
 3(5)     弟子a&~∃y(師ya&a<y)  4ド・モルガンの法則
 3(6)     弟子a                5&E
 3(7)         ~∃y(師ya&a<y)  5&E
 3(8)         ∀y~(師ya&a<y)  7量化子の関係
 3(9)           ~(師ba&a<b)  8UE
 3(ア)            ~師ba∨a≧b   9ド・モルガンの法則
 3(イ)             師ba→a≧b   ア含意の定義
 3(ウ)          ∀y(師ya→a≧y)  イUI
 3(エ)      弟子a&∀y(師ya→a≧y)  6ウ&I
 3(オ)   ∃x{弟子a&∀y(師yx→x≧y)} エEI
1 (カ)   ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)} 13オEE
(ⅱ)
1 (1)   ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)} A
 2(2)      弟子a&∀y(師ya→a≧y)  A
 2(3)      弟子a               2&E
 2(4)          ∀y(師ya→a≧y)  2&E
 2(5)             師ba→a≧b   4UE
 2(6)            ~師ba∨a≧b   5含意の定義
 2(7)           ~(師ba&a<b)  6ド・モルガンの法則
 2(8)         ∀y~(師ya&a<y)  7UI
 2(9)         ~∃y(師ya&a<y)  8量化子の関係
 2(ア)     弟子a&~∃y(師ya&a<y)  39&I
 2(イ)  ~{~弟子a∨ ∃y(師ya&a<y)} ア、ド・モルガンの法則
 2(ウ)  ~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)} イ含意の定義
 2(エ)∃x~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)} 2EI
1 (オ)∃x~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)} 12エEE
1 (カ)~∀x{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)} オ量化子の関係
従って、
(01)により、
(02)
① ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
②   ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
①   y>x
② ~(x≧y)
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① ~∀x{弟子x→∃y〔師yx&~(x≧y)〕}
②   ∃x{弟子x&∀y〔師yx→ (x≧y)〕}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
①  ~∀x(Fx)
② ~{∀x(Fx)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① ~{∀x[弟子x→∃y〔師yx&~(x≧y)〕]}
②    ∃x{弟子x&∀y〔師yx→ (x≧y)〕}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(07)
「~(A≧B)」=「AはBに及ばない。」
  「A≧B」 =「AはBに及んでゐる。」
といふ風に、「読む」ことにする。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① ~{∀x[弟子x→∃y〔師yx&~(x≧y)〕]}
②     ∃x{弟子x&∀y〔師yx→ (x≧y)〕}
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて{xが弟子であるならば、あるyは(xの師匠であって、xはyに及ばない)。}といふわけではない。
② あるxについて{xは弟子であって、すべてのyについて(yがxの師匠であるならば、xはyに及んでゐる)}。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
② 弟子不必不如師=
② 弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
② 弟子[必〔(師)如〕不]不=
② 弟子[は必ずしも〔(師)に如か〕不んば]あら不=
② 弟子は必ずしも、師匠に及ばない、というわけではない。
然るに、
(10)
弟子は必ずしも師に及ばないというわけではなく(、弟子の方がすぐれている場合もある)。
(三省堂、明解古典学習シリーズ20、1973年、56頁)
従って、
(07)~(10)により、
(11)
① ~{∀x[弟子x→∃y〔師yx&~(x≧y)〕]}
②      弟子不[必不〔如(師)〕]
に於いて、
① は、「二重否定」であって、
② も、「二重否定」であって、
① は、② の「直訳」である。
然るに、
(12)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(11)(12)により、
(13)
① ~{∀x[弟子x→∃y〔師yx&~(x≧y)〕]}
② 弟子不[必不〔如(師)〕]
に於ける。
①{ [ 〔 ( ) 〕 ] }
②  [ 〔 ( ) 〕 ]
といふ「括弧」は、「スコープ(scope)」を明示する「働き」を担ってゐる。
然るに、
(14)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。
(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)
従って、
(13)(14)により、
(15)
① ~∀x{弟子x→∃y〔師yx&~(x≧y)〕}
② 弟子不[必不〔如(師)〕]
に於ける。
①{ [ 〔 ( ) 〕 ] }
②   [ 〔 ( ) 〕 ]
といふ「括弧」は、「管到(scope)」を明示する「働き」を担ってゐる。
従って、
(01)~(15)により、
(16)
加藤徹先生が、仮に、
1 (1)~∀x{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)} A
1 (2)∃x~{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)} 1量化子の関係
 3(3)  ~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)} A
 3(4)  ~{~弟子a∨ ∃y(師ya&a<y)} 3含意の定義
 3(5)     弟子a&~∃y(師ya&a<y)  4ド・モルガンの法則
 3(6)     弟子a                5&E
 3(7)         ~∃y(師ya&a<y)  5&E
 3(8)         ∀y~(師ya&a<y)  7量化子の関係
 3(9)           ~(師ba&a<b)  8UE
 3(ア)            ~師ba∨a≧b   9ド・モルガンの法則
 3(イ)             師ba→a≧b   ア含意の定義
 3(ウ)          ∀y(師ya→a≧y)  イUI
 3(エ)      弟子a&∀y(師ya→a≧y)  6ウ&I
 3(オ)   ∃x{弟子a&∀y(師yx→x≧y)} エEI
1 (カ)   ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)} 13オEE
といふ「計算」を、行ふ人であるならば、
加藤徹先生もまた、既に、
① 弟子不必不如師=
① 弟子不必不一レ師=
① 弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
① 弟子[必〔(師)如〕不]不=
① 弟子[は必ずしも〔(師)に如か〕不んば]あら不=
① 弟子は必ずしも、師匠に及ばない、というわけではない=
① 弟子は必ずしも師に及ばないというわけではなく(、弟子の方がすぐれている場合もある)。
といふ「括弧の用法」に、気付いてゐることになる。
然るに、
(17)
「白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考える。」
といふことを、『趣味』にしてゐる(た)人には、分かってもらえる通り、
② 弟子不必不如師。
のやうに、「極めて簡単な漢文(白文)」であれば、「それを見た瞬間」に、
② 弟子は必ずしも師に如か不んばあら不。
といふに、「訓読」出来る。
然るに、
(18)
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物上レ其已知之理益々極之以求上レ乎其極
② 是以大學始敎必使〈學者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
② 是以大學始敎必〈學者(凡天下之物)即{[(其已知之理)因而益(之)極以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
② 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
② そのため、大學の敎へを始める際には、必ず學者をして凡そ天下の物について、その學者がすでに知っているの理に依って、益々、天下の物を極め、それによって、その極点に至ることを求めないことが、無いやうにさせる。
に於ける、
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
のような、「極めて複雑な漢文(白文)」の場合は、「それを見た瞬間」に、
② そのため、大學の敎へを始める際には、必ず學者をして凡そ天下の物について、その學者がすでに知っているの理に依って、益々、天下の物を極め、それによって、その極点に至ることを求めないことが、無いやうにさせる。
といふに、「訓読」することは、「相当、難しい」。
然るに、
(19)
例えば、京都大学において、その中国文化の研究について、大きな基礎を作られた狩野直喜氏(一八六六~一九四七)は、その教えを受けた倉石武四郎(一八九七~」に、かつて「自分たちが訓読するのは、そういう習慣になっていたから、いちおう訓読するだけで、実は、原文直読しているのである」と語られたという。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、385頁)
従って、
(18)(19)により、
(20)
狩野直喜氏(一八六六~一九四七)であれば、あるいは、
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
という「漢文」であっても、「訓読」としての「直読」が、可能であったと、思はれる。
然るに、
(21)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(18)(21)により、
(22)
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物上レ其已知之理益々極之以求上レ乎其極
② 是以大學始敎必使〈學者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
② 是以大學始敎必〈學者(凡天下之物)即{[(其已知之理)因而益(之)極以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
② 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む=
② そのため、大學の敎へを始める際には、必ず學者をして凡そ天下の物について、その學者がすでに知っているの理に依って、益々、天下の物を極め、それによって、その極点に至ることを求めないことが、無いやうにさせる。
に於ける、
②〈 ( ) { [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」の「補足構造」を表してゐる、と同時に、「訓読」に於ける、
② 下 二  一 上レ 下 二 一 レ レ 二 一
といふ「返り点」に、「相当」する。
従って、
(14)(22)により、
(23)
例へば、「京都大学の漢文の先生」に、
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文の補足構造」を「質問」した「結果」として、
② 是以大學始敎必使〈學者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「補足構造」を、得ることが、出来たのであれば、そのまま直ぐに、
② 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ、「訓読の語順」を、得ることになる。
然るに、
(24)
文系国語
第一問は評論、随筆、第二問は、従来は文語文が出題されていたが、近年では小説や随筆が出題される事が多い(ただし、やや文語的なものが出題される)。第三問は古典である。主に古文が出題される。各大問とも配点はそれぞれ50点である。
(京大対策/国語 - Wikibooks - ウィキブックス)
従って、
(24)により、
(25)
どうやら、「京都大学」の場合は、「文系の入試」でさえも、「漢文出題」が無いことになる。
加へて、
(26)
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください。
(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)
然るに、
(27)
「大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという
(古田島洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)
従って、
(23)~(27)により、
(28)
例へば、「京都大学の漢文の先生」に、
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文の補足構造」を「質問」することまでは、「良い」としても、
② 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「訓読」が、「正しいのか、間違ひであるのか」といふことを、「質問」しては、ならない
然るに、
(29)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである。
(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)
従って、
(28)(29)により、
(30)
② 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を、ある人が、
② Shì yǐ dàxué shǐ jiào bì shǐ xuézhě jí fán tiānxià zhī wù mòbù yīn qí yǐ zhīzhī lǐ ér yì jí zhī yǐ qiú zhì hū qí jí.
といふ風に、読めるからと言って、その人が、
② 是以大學始敎必使〈學者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「補足構造」を、「把握」してゐるとは、限らない。
然るに、
(31)
然るに、
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる。
(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)
従って、
(24)~(31)により、
(32)
大学(京都帝国大学)に入った二年目(昭和5年)の秋から、
① 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
① 是以大學始敎必使 學者即 凡天下之物上レ 其已知之理益々極 之以求上レ 乎其極
① 是以大學始敎必使〈學者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
① 是以大學始敎必〈學者(凡天下之物)即{[(其已知之理)因而益(之)極以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
① 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて{[(其の已の知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む=
① そのため、大學の敎へを始める際には、必ず學者をして凡そ天下の物について、その學者がすでに知っているの理に依って、益々、天下の物を極め、それによって、その極点に至ることを求めないことが、無いやうにさせる。
といふ「読み方」は、「京都大学」に於いて、「排斥」されて来た。といふことになる。
(33)
その「結果」として、「京都大学の漢文」先生が、「他の大学の漢文」の先生よりも、「漢文の読み書き」に於いて、優秀なのか、否か。
といふことについては、部外者の私には、全く、分からない
(34)
中國以北京語為國語矣。然若北京語非漢文也。是以中國語直読法雖盛中華人民共和國語不可以書中夏之書審矣。
如日本之学生有欲能読漢文者則宜以括弧学其管到。古漢文之於日本語猶古文之於日本語也。故漢文亦日本語也。
学中國語莫若音読、学漢文莫若以訓読学之。
令和03年04月19日、毛利太。

2021年4月15日木曜日

「括弧」と「返り点」と「漢文・縦横書き」と「インデント」(Ⅱ)。

―「先程の記事(令和03年04月15日)」を補足します。―
(01)
「漢文・縦横書き」と「インデント」を説明するための「例文(作例)」としては、
① 非無不欲爲聖人除弊事者。
② 我非必不求以解中文法解漢文者也。
であれば、
② の方が「相応しい」。
(02)
① 非〈無{不[欲〔爲(聖人)除(弊事)〕]者}〉。
② 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
□( )⇒( )□
□〔 〕⇒〔 〕□
□[ ]⇒[ ]□
□{ }⇒{ }□
□〈 〉⇒〈 〉□
といふ「移動」を行ひ、「平仮名」を加へると、
①〈{[〔(聖人の)爲に(弊事を)除かんと〕欲せ]不る者}無きに〉非ず。
② 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
然るに、
(03)
② 我非必不求以解中文法解漢文者也。
② 我 必    中文
        解  法
       以
             漢文
            解
      求
        不         者
   非             也。
に於いて、
(ⅰ)「右よりも左を先に」読み、
(ⅱ)「下よりも上を先に」読む。
とするならば、
② 我必中文解法以漢文解求不者非也。
といふ「語順」、すなはち、
② 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
② 私は必ずしも中国語を理解する方法を用ひて漢文を理解しようとしない者ではないのである。
といふ「訓読の語順」で、「読む」ことになる。
然るに、
(04)
② 我非必不求以解中文法解漢文者也。
② 我 必    中文
        解  法
       以
             漢文
            解
      求
        不         者
   非             也。
といふ「形」の「インデント(字下げ)」を、
(ⅰ)「右よりも左を先に」読み、
(ⅱ)「下よりも上を先に」読む。
といふことは、
② 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
に関しては、
① の中を全てを「読み終へた」直後に、
① の左の一字を「読み」、
② の中を全てを「読み終へた」直後に、
② の左の一字を「読み」、
③ の中を全てを「読み終へた」直後に、
③ の左の一字を「読み」、
④ の中を全てを「読み終へた」直後に、
④ の左の一字を「読み」、
⑤ の中を全てを「読み終へた」直後に、
⑤ の左の一字を「読ん」だ場合に「等しい」。
従って、
(04)により、
(05)
② 我非必不求以解中文法解漢文者也。
② 我 必    中文
        解  法
       以
             漢文
            解
      求
        不         者
   非             也。
といふ「形」の「インデント(字下げ)」を、
(ⅰ)「右よりも左を先に」読み、
(ⅱ)「下よりも上を先に」読む。
といふことは、
② 我非 必不 中文 漢文也。
② 我非 必不 中文 漢文也。
に於ける、例へば、
①( )=二 一
②〔 〕=下 上
③[ ]=乙 甲
④{ }=地 天
⑤〈 〉=間 人
に於いて、
① の中を全てを「読み終へた」直後に、
① の左の一字を「読み」、
② の中を全てを「読み終へた」直後に、
② の左の一字を「読み」、
③ の中を全てを「読み終へた」直後に、
③ の左の一字を「読み」、
④ の中を全てを「読み終へた」直後に、
④ の左の一字を「読み」、
⑤ の中を全てを「読み終へた」直後に、
⑤ の左の一字を「読ん」だ場合に「等しい」。
然るに、
(06)
② 我非 必不 中文 漢文也。
③ 我非 必不 中文 漢文 也。
に於ける、
② 間 地 乙 下 二 一 上 二 一 甲 天 人
③ 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
に於いて、
②=③ ではない
従って、
(05)(06)により、
(07)
③ 我非 必不 中文 漢文 也。
の場合は、
①( )=二 一
②〔 〕=下 上
③[ ]=乙 甲
④{ }=地 天
⑤〈 〉=間 人
に於いて、
① の中を全てを「読み終へた」直後に、
① の左の一字を「読み」、
② の中を全てを「読み終へた」直後に、
② の左の一字を「読み」、
③ の中を全てを「読み終へた」直後に、
③ の左の一字を「読み」、
④ の中を全てを「読み終へた」直後に、
④ の左の一字を「読み」、
⑤ の中を全てを「読み終へた」直後に、
⑤ の左の一字を「読む」。
といふ「ルール」が無い
従って、
(08)
① レ
② 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
⑤ 天 地 人
⑥ 一レ 上レ 甲レ 天レ
である所の、「返り点」の場合は、
① の中を全てを「読み終へた」直後に、
① の左の一字を「読み」、
② の中を全てを「読み終へた」直後に、
② の左の一字を「読み」、
③ の中を全てを「読み終へた」直後に、
③ の左の一字を「読み」、
④ の中を全てを「読み終へた」直後に、
④ の左の一字を「読み」、
⑤ の中を全てを「読み終へた」直後に、
⑤ の左の一字を「読み」、
⑥ の中を全てを「読み終へた」直後に、
⑥ の左の一字を「読む」。
といふ「単純極まりない、ルール」が無い
従って、
(07)(08)により、
(09)
①( )=二 一
②〔 〕=下 上
③[ ]=乙 甲
④{ }=地 天
⑤〈 〉=間 人
といふ「括弧」と、
① レ
② 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
⑤ 天 地 人
⑥ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ「返り点」に於いて、
「 括弧のルール 」の方が、
「返り点のルール」よりも、「単純であって、分かり易い」。
といふ、ことになる。
然るに、
(10)
すべて一二点に変換すればいいのである。一二点は無限にあるから、どんなに複雑な構文が出現しても対応できる。実際、一二点しか施していないものも過去にはあった。一二点で返ったものを含めて返る必要がある時に上中下点を用いるのは、数学で( )の次に{ }を用いるのと似ている。数式は必ずしも{( )}の形にしなくてもよい。(( ))の形であってもその機能は同じである。そして{ }の次に用いる括弧がないから、数学の式を危機管理能力のない非論理的な体系だとは誰も言わない。高等数学ではどのようになっているのか私は詳しいことはわからないが、{ }を用いるのは数式が人間にとって認識しやすく便利だからという理由に過ぎないのではないか。パソコンに計算させるのなら( )いくら重ねても問題ないのだから(はてなブログ:固窮庵日乗)。
然るに、
(11)
一二点だけの返り点」は、「過去にはあったが、今はない。」といふことは、「読みにくいので、淘汰された。」とすべきである。
従って、
(10)(11)により、
(12)
「人間にとって認識しやすく便利」といふ「機能」を考慮する限り、
(a)すべて一二点に変換すればいいのである。
(b)〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉ではなく、( ( ( ( ( )( ) ) ) ) )の形であってもその機能は同じである。
といふことには、ならない。
(13)
因みに、「プログラミングの分野では、プログラムの構造を見やすくするために制御構文の内側にある行などの先頭に一律に同じ幅の空白を挿入することをインデントという(IT用語辞典 e-Words)。」
令和03年04月15日、毛利太。

「括弧」と「返り点」と「漢文・縦横書き」と「インデント」。

(01)
① 読(漢文)。
② 使〔我長(百獸)〕。
③ 欲〔爲(聖人)除(弊事)〕。
④ 使[我両君匪〔以(玉帛)相見〕]。
⑤ 無{不[欲〔爲(聖人)除(弊事)〕]者}。
⑥ 非〈無{不[欲〔爲(聖人)除(弊事)〕]者}〉。
に於いて、
□( )⇒( )□
□〔 〕⇒〔 〕□
□[ ]⇒[ ]□
□{ }⇒{ }□
□〈 〉⇒〈 〉□
といふ「移動」を行ふと、
① (漢文)読。
② 〔我(百獸)長〕使。
③ 〔(聖人)爲(弊事)除〕欲。
④ [我両君匪〔以(玉帛)相見〕]使。
⑤ {[〔(聖人)爲(弊事)除〕欲]不者}無。
⑥ 〈{[〔(聖人)爲(弊事)除〕欲]不者}無〉非。
然るに、
(02)
① (漢文)読。
② 〔我(百獸)長〕使。
③ 〔(聖人)爲(弊事)除〕欲。
④ [我両君匪〔以(玉帛)相見〕]使。
⑤ {[〔(聖人)爲(弊事)除〕欲]不者}無。
⑥ 〈{[〔(聖人)爲(弊事)除〕欲]不者}無〉非。
に対して、「平仮名」を加へると、
① (漢文を)読む。
② 〔我をして(百獸に)長たら〕使む。
③ 〔(聖人の)爲に(弊事を)除かんと〕欲す。
④ [我が両君をして〔(玉帛を)以て相見みゆることを〕匪ざら]使む。
⑤ {[〔(聖人の)爲に(弊事を)除かんと〕欲せ]不る者}無し。
⑥ 〈{[〔(聖人の)爲に(弊事を)除かんと〕欲せ]不る者}無きに〉非ず。
といふ「訓読」になる。
然るに、
(03)


従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 読(漢文)。
② 使〔我長(百獸)〕。
③ 欲〔爲(聖人)除(弊事)〕。
④ 使[我両君匪〔以(玉帛)相見〕]。
⑤ 無{不[欲〔爲(聖人)除(弊事)〕]者}。
⑥ 非〈無{不[欲〔爲(聖人)除(弊事)〕]者}〉。
に於ける、
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
④ [〔( )〕]
⑤ {[〔( )( )〕]}
⑥ 〈{[〔( )( )〕]}〉
といふ「括弧」は、
① 読 漢文
② 使 我長 百獸
③ 欲 聖人 弊事
④ 使 我両君匪 玉帛 相見
⑤ 無 聖人 弊事
⑥ 非 聖人 弊事
に於ける、
① 二 一
② 三 二 一
③ 下 二 一 中 上
④ 下 中 二 一 上
⑤ 乙 レ 下 二 一 中 上 甲
⑥ レ 乙 レ 下 二 一 中 上 甲
といふ「返り点」に相当する。
然るに、
(05)
①  漢文を
  読む
といふ「それ」を、
(ⅰ)「右よりも左を先に」読み、
(ⅱ)「下よりも上を先に」読む。
とするならば、その場合は、
③ 漢文を読む。
といふ「語順」で、「読む」ことになる。
(06)
⑥          聖人の
          爲に
          弊事を
          除かんと
     欲せ
    不ざる     者
   無きに
  非ず。
といふ「それ」を、
(ⅱ)「下よりも上を先に」読み、
(ⅰ)「右よりも左を先に」読む。
とするならば、
⑩ 聖人の爲に弊事を除かんと欲せ不る者無きに非ず。
といふ「語順」で、「読む」ことになる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
例へば、
⑥ 非〈無{不[欲〔爲(聖人)除(弊事)〕]者}〉。
といふ「漢文」には、
⑥          聖人
          爲
          弊事
          除
     欲
    不              者
   無
  非
といふ「インデント(字下げ)」が、有ることになる。
従って、
(03)(07)により、
(08)
⑥ 非 聖人 弊事
⑦ 非 聖人 弊事
⑧ 非 聖人 弊事
⑨ 非〈無{不[欲〔爲(聖人)除(弊事)〕]者}〉。
に於ける、
⑥ レ 乙 レ 下 二 一 中 上 甲
⑦ 人 地 丁 丙 二 一 乙 甲 天
⑧ 九 八 六 五 二 一 四 三 七
⑨〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
といふ「返り点」と「括弧」は、4つとも、
⑥          聖人
          爲
          弊事
          除
     欲
    不             者
   無
  非
といふ「インデント(字下げ)」を示してゐる。
然るに、
(09)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
といふ「括弧」の場合、「横書き」であれば、
① の中を「読み終へた」直後に、
① の左を「読み」、
② の中を「読み終へた」直後に、
② の左を「読み」、
③ の中を「読み終へた」直後に、
③ の左を「読み」、
④ の中を「読み終へた」直後に、
④ の上を「読み」、
⑤ の左を「読む」。
従って、
(08)(09)により、
(10)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
といふ「括弧」の場合は、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
の中を「読み終へる」ごとに、そのときに限って、「インデント(字下げ)」が生じることになる。
然るに、
(11)
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅳ)天 地 人
の場合は、
(Ⅰ)を挟んで返る場合に、
(Ⅱ)を用ひ、
(Ⅱ)を挟んで返る場合に、
(Ⅲ)を用ひ、
(Ⅲ)を挟んで返る場合に、
(Ⅳ)を用ひる。
従って、
(08)(11)により、
(12)
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅳ)天 地 人
の場合は、少なくとも
(Ⅰ)を挟んで返る場合と、
(Ⅱ)を挟んで返る場合と、
(Ⅲ)を挟んで返る場合には、「インデント(字下げ)」が生じることになる。
然るに、
(13)
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅳ)天 地 人
ではなくて、
(Ⅰ)レ
(Ⅱ)一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅲ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
(Ⅳ)上 中 下
(Ⅴ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅵ)天 地 人
の場合は、
(Ⅰ)レ
(Ⅱ)一レ 上レ 甲レ 天レ
が加はることによって、その分、
(Ⅰ)レ
(Ⅱ)一レ 上レ 甲レ 天レ
が無い場合よりも、「インデント(字下げ)」が生じ方が、「複雑」になる。
然るに、
(14)
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅳ)天 地 人
ではなくて、
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
の場合は、固より、
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
だけので、少なくとも (Ⅰ)を挟んで返る場合と、
(Ⅱ)を挟んで返る場合と、
(Ⅲ)を挟んで返る場合には、「インデント(字下げ)」が生じることになる。
といふことが、一切、無い。
従って、
(14)により、
(15)
「一二点は無限にあるから、どんなに複雑な構文が出現しても対応できる。実際、一二点しか施していないものも過去にはあった(はてなブログ:固窮庵日乗)。」
とは言ふものの、「一二点しか施していないもの」は、「インデントの見えにくさ」によって「淘汰」された。
と、すべきである。
従って、
(08)~(15)により、
(16)
⑥ 非 聖人 弊事
⑦ 非 聖人 弊事
⑧ 非 聖人 弊事
⑨ 非〈無{不[欲〔爲(聖人)除(弊事)〕]者}〉。
に於いて、「インデント(字下げ)の見やすさ」という「観点」から言ふならば、
⑨〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
⑦ 人 地 丁 丙 二 一 乙 甲 天
⑥ レ 乙 レ 下 二 一 中 上 甲
⑧ 九 八 六 五 二 一 四 三 七
といふ「順番」で「優れてゐる」。
といふ、ことになる。
従って、
(01)~(16)により、
(17)
「インデント見やすさ」といふ「観点」からすれば、
「返り点」よりも、「括弧」の方が、「優れてゐる」。
令和03年04月15日、毛利太。

2021年4月14日水曜日

「返り点」は難しく、「括弧」は易しい。

(01)
然るに、
(02)
① 読(漢文)。
② 使〔我長(百獸)〕。
③ 欲〔爲(聖人)除(弊事)〕。
④ 使[我両君匪〔以(玉帛)相見〕]。
⑤ 不{以[所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
に於いて、
□( )⇒( )□
□〔 〕⇒〔 〕□
□[ ]⇒[ ]□
□{ }⇒{ }□
□〈 〉⇒〈 〉□
といふ「移動」を行ふと、
① (漢文)読。
② 〔我(百獸)長〕使。
③ 〔(聖人)爲(弊事)除〕欲。
④ [我両君匪〔以(玉帛)相見〕]使。
⑤ {[〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不。
⑥ 〈{我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥}知〉不也。
といふ「語順」になる。
従って、
(03)
「平仮名」を加へると、
① (漢文を)読む。
② 〔我をして(百獸に)長たら〕使む。
③ 〔(聖人の)爲に(弊事を)除かんと〕欲す。
④ [我が両君をして〔(玉帛を)以て相見みゆることを〕匪ざら]使む。
⑤ {[〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
⑥ 〈{我の〔(小節を)羞ぢ〕ずして[功名の〔(天下に)顕はれ〕ざるを]恥づるを}知ら〉ざればなり。
といふ「語順」になる。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 漢文を、読む。
② 我をして、百獸に長たら使む。
③ 聖人の爲に、弊事を除かんと欲す。
④ 我が両君をして、玉帛を以て相見みゆることを、匪ざら使む。
⑤ 人を養ふ所以の者を以て、人を害せず。
⑥ 我の小節を羞ぢずして、功名の天下に顕はれざるを恥づるを、知らざればなり。
といふ「日本語」は、
① 読漢文。
② 使我長百獸。
③ 欲爲聖人除弊事。
④ 使我両君匪以玉帛相見。
⑤ 不以所以養人者害人。
⑥ 不知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」の、「訓読」である。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
まず第一に、
① 読(漢文)。
② 使〔我長(百獸)〕。
③ 欲〔爲(聖人)除(弊事)〕。
④ 使[我両君匪〔以(玉帛)相見〕]。
⑤ 不{以[所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
に於ける、
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
④ [〔( )〕]
⑤ {[〔( )〕]( )}
⑥ 〈{〔( )〕[〔( )〕]}〉
といふ「括弧」は、
① 読 漢文
② 使 我長 百獸
③ 欲 聖人 弊事
④ 使 我両君匪 玉帛 相見
⑤ 不 以養一レ 人者甲レ 人。
⑥ 不 我不 小節 而恥 功名不上レ 于天下 也。
に於ける、
① 二 一
② 三 二 一
③ 下 二 一 中 上
④ 下 中 二 一 上
⑤ 乙 下 二‐ 一レ 上 甲レ
⑥ レ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
といふ「返り点」に、「相当する」。
然るに、
(06)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
① 読(漢文)。
② 使〔我長(百獸)〕。
③ 欲〔爲(聖人)除(弊事)〕。
④ 使[我両君匪〔以(玉帛)相見〕]。
⑤ 不{以[所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
に於ける、
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
④ [〔( )〕]
⑤ {[〔( )〕]( )}
⑥ 〈{〔( )〕[〔( )〕]}〉
といふ「括弧」は、
① 読漢文。
② 使我長百獸。
③ 欲爲聖人除弊事。
④ 使我両君匪以玉帛相見。
⑤ 不以所以養人者害人。
⑥ 不知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文の補足構造」と、
① 漢文を、読む。
② 我をして、百獸に長たら使む。
③ 聖人の爲に、弊事を除かんと欲す。
④ 我が両君をして、玉帛を以て相見みゆることを、匪ざら使む。
⑤ 人を養ふ所以の者を以て、人を害せず。
⑥ 我の小節を羞ぢずして、功名の天下に顕はれざるを恥づるを、知らざればなり。
といふ「訓読の補足構造」の、「両方」を、表してゐる。
従って、
(07)により、
(08)
「中国語」を全く知らない私が、
⑥ 不知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」を、
⑥ 我の小節を羞ぢずして、功名の天下に顕はれざるを恥づるを、知らざればなり。
といふ風に、「訓読」しようと、しまいと、
「訓読」をあまり知らない(?)京大の先生が、
⑥ Bùzhī wǒ bù xiū xiǎojié ér chǐ gōngmíng bù xiǎn yú tiānxià yě(グーグル翻訳).
といふ風に、「音読」しようと、しまいと、
⑥ 不知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」には、固より、
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
といふ「補足構造」が、有ることになる。
cf.
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
⑥ 不 我不 小節 而恥 功名不上レ 于天下 也。
に於ける、
⑥ レ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
といふ「返り点」も、
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
に於ける、
⑥ 〈{〔( )〕[〔( )〕]}〉
といふ「括弧」も、
⑥ 不知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文の補足構造」と、それと「同時に」、
⑥ 我の小節を羞ぢずして、功名の天下に顕はれざるを恥づるを、知らざればなり。
といふ「訓読の語順」の、両方を、「表してゐる」。
然るに、
(10)
⑥ 〈{〔( )〕[〔( )〕]}〉
がさうでるやうに、
(ⅰ)〈 〉の中には、一つ以上の{ }があって、
(ⅱ){ }の中には、一つ以上の[ ]があって、
(ⅲ)[ ]の中には、一つ以上の〔 〕があって、
(ⅳ)〔 〕の中には、一つ以上の( )があって、尚且つ、
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
に於いて、
□( )⇒( )□
□〔 〕⇒〔 〕□
□[ ]⇒[ ]□
□{ }⇒{ }□
□〈 〉⇒〈 〉□
といふ「移動」を行ふと、
⑥ 〈{我の〔(小節を)羞ぢ〕不して[功名の〔(天下に)顕はれ〕不るを]恥づるを}知ら〉不ればなり。
といふ「語順」になる。
従って、
(10)により、
(11)
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
に於ける、
⑥ 不〈
を見れば、「その瞬間」に、
⑥ 不 は、
⑥ 〈{〔( )〕[〔( )〕]}〉
の「中の、すべて」を、「読み終へた直後」に「読む」。
といふことが「分かる」といふ、「仕組み」になってゐる。
(12)
⑥ 知{
を見れば、「その瞬間」に、
⑥ 知 は、
⑥  {〔( )〕[〔( )〕]}
の「中の、すべて」を、「読み終へた直後」に「読む」。
といふことが「分かる」といふ、「仕組み」になってゐる。
然るに、
(13)
一二点は無限にあるから、どんなに複雑な構文が出現しても対応できる。実際、一二点しか施していないものも過去にはあった(はてなブログ:固窮庵日乗)。
然るに、
(14)
③ 下 二 一 中 上
④ 下 中 二 一 上
⑦ 庚 己 三 二 一 戊 丁 丙 乙 甲
には、それぞれ、
③ 下     中 上
    二 一
④ 下 中     上
      二 一
⑦ 庚 己       戊 丁 丙 乙 甲
      三 二 一
といふ「インデント(indent)」が、見て取れる。
のに対して、
③ 五 二 一 四 一
④ 五 四 二 一 三
⑦ 十 九 三 二 一 五 四 三 二 一
には、そのやうな「インデント」が、見られない。
従って、
(13)(14)により、
(15) 一二点は無限にあるから、どんなに複雑な構文が出現しても対応できる。実際、一二点しか施していないものも過去にはあった(はてなブログ:固窮庵日乗)。
とは言ふものの、「そのやうな一二点だけ」では、「読みにくい」が故に、「淘汰」されたと、すべきである。
然るに、
(16)
質問者:noname#100659質問日時:2005/11/20 01:10回答数:1件
漢文についてお聞きします。
(数字)は、返り点を表します。レ点はカタカナの(レ)で書きます。
漢文の教科書に次のような文章が出てきます。
例文は有名な朝三暮四です。

恐(2)衆狙之不(1+レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
(読み下しは、衆狙の己に馴れざらんことを恐るるや、先づこれを誑きて曰く・・です。)

これなのですが、打ち方はこれ一通りと決まっていますか?
次のように打つと何がいけないのでしょうか?
同じように読めてしまうような気がするのですが・・。

恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。

上の打ち方だと何が問題でしょうか?
同じにはなりませんでしょうか?
然るに、
(01)により、
(17)
⑨ 二 一レ 二 一
⑩ 四 三  二 一
に於いて、
⑨=⑩ である。
(18)
⑥ レ 下 レ 二 一 中 上レ  二 一
⑦ 庚 己 三 二 一 戊 丁 丙 乙 甲
であっても、
⑥=⑦ であるが、
⑥ よりも、
⑦ の方が、明らかに、「読み易い」。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
(Ⅰ)レ
(Ⅱ)一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅲ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・・・
(Ⅳ)上 中 下
(Ⅴ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅵ)天 地 人
である所の、「返り点」は、
(Ⅰ)レ
(Ⅱ)一レ 上レ 甲レ 天レ
という「レ点」があるが故に、「読みにくい」。
然るに、
(20)
専門家と称する人たちの大部分、九九.九パーセントは、(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである(二畳主人、漢文文法基礎、1972年、62頁)。
然るに、
(21)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
(22)
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
といふ風に書けば、
⑥ 不知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」の「管到」が、「一目瞭然」であるし、
⑥ 不〈知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}〉也。
⑥ 我の小節を羞ぢずして、功名の天下に顕はれざるを恥づるを、知らざればなり。
といふ風には、読めない。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
「管到」を把握すること≒「訓読」をすること。
であるならば、「大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。」といふ風に、言ってゐる先生たちも、二畳主人が言ってゐるやうに、あるいは、「専門家と称する人たちの大部分、九九.九パーセントは、(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。」 といふことは、「正しい」のかも、知れない。
令和03年04月14日、毛利太。