2015年5月26日火曜日

「返り点」に対する「括弧」のアルゴリズム(Ⅲ)。

(01)
ASCII.jpデジタル用語辞典の解説
16進数
 数値の表し方のひとつ。0~9の数字のほかにA~Fのアルファベットを用いて数値の大きさを表す。10進数でいう10、11、12、13、14、15がA、B、C、D、E、Fとなり、Fの次に1桁上がる。
従って、
(02)
16進数であれば、
 F=15
10=16
である。
従って、
(03)
17進数であれば、
 G=16
10=17
である。
従って、
(04)
18進数であれば、
 H=17
10=18
である。が、
1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H
は、18進数であるとする。
(05)
1    は、 1番目に読まれる、一字の言葉とし、
55   は、 5番目に読まれる、二字の言葉とし、
AAA  は、10番目に読まれる、三字の言葉とし、
FFFF は、15番目に読まれる、四字の言葉と、する。
(06)
Nは、任意の一桁の18進数であって、
Nの右側に、Nよりも小さい数字が有れば、
その時に限って、それらの数字を、内側から順番に、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
〈 〉
で括ることを、「括弧」で括る。
とする。
(07)
① 1 H G 2 A 7 4 3 6 5 9 8 C B D F E。
を、( )で括ると、
② 1 H G 2 A 7 4(3)6(5)9(8)C(B)D F(E)。
(08)
② 1 H G 2 A 7 4(3)6(5)9(8)C(B)D F(E)。
を、〔 〕で括ると、
③ 1 H G 2 A 7〔4(3)6(5)〕9(8)C(B)D F(E)。
(09)
③ 1 H G 2 A 7〔4(3)6(5)〕9(8)C(B)D F(E)。
を、[ ]で括ると、
④ 1 H G 2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)。
(10)
④ 1 H G 2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)。
を、{ }で括ると、
⑤ 1 H G{2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)}。
(11)
⑤ 1 H G{2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)}。
を、〈 〉で括ると、
⑥ 1 H〈G{2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)}〉。
然るに、
(12)
⑥ 1 H〈G{ }〉。
を、仮に、
⑥ 1〈H G{ }〉。
とするならば、(06)により、
⑥  1は、17 よりも、大きい。
⑥ 17は、16 よりも、小さい。
となって、「矛盾」する。
従って、
(13)
⑥ 1<17>16 
である以上、必ず、
⑥ 1 H〈G{ }〉。
でなければ、ならない。
(14)
④ A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]
を、仮に、
④ A〔7 4(3)6(5)9(8)〕
とするならば、
④ 7<4
④ 7<3
④ 7<6
④ 7<5
となって、「矛盾」する。
従って、
(07)~(14)により、
(15)
① 1 H G 2 A 7 4 3 6 5 9 8 C B D F E。
を「括弧」で括る、「やり方」は、
⑥ 1 H〈G{2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)}〉。
といふ、「一通り」しか、存在しない
従って、
(15)により、
(16)
⑥ 我不使籍不以畜妻憂飢乱心有銭以済医。
といふ「漢文」に、
⑥ 1 H G 2 A 7 4 3 6 5 9 8 C B D F E。
といふ「語順」を与へることは、
⑥ 我不使籍不以畜妻憂飢乱心有銭以済医。
といふ「漢文」を、
⑥ 我不〈使{籍不[以〔畜(妻)憂(飢)〕乱(心)]有(銭)以済(医)}〉。
といふ「括弧」で括ることと、「結果」に於いて、変はりがない
従って、
(16)により、
(17)
⑥ 我不使籍不以畜妻憂飢乱心有銭以済医=
⑥ 1 H G 2 A 7 4 3 6 5 9 8C B D F E=
⑥ 1H〈G{2A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)DF(E)}〉⇒
⑥ 1〈{2[〔(3)4(5)6〕7(8)9]A(B)CD(E)F}G〉H=
⑥ 我〈{項籍[〔(妻)畜(飢)憂〕以(心)乱]不(銭)有以(医)済}使〉不=
⑥ 我籍をして、妻を畜ひ、飢憂ふるを以て、心を乱さ不、銭有りて以て医を済さ使め不。
といふ、「括弧」を用ゐた、「ソート(並び換へ)」が、可能になる。
従って、
(17)により、
(18)
⑦ 我不使項籍不以畜妻子邑人憂飢寒乱良心有銭財以済医薬=
⑦ 1 H G 2 2 A 7 4 3 3 3 3 6 5 5 9 8 8 C B B D F E E=
⑦ 1H〈G{22A[7〔4(3333)6(55)〕9(88)]C(BB)DF(EE)}〉⇒
1〈{22[〔(3333)4(55)6〕7(88)9]A(BB)CD(EE)F}G〉H=
⑦ 我〈{項籍[〔(妻子邑人)畜(飢寒)憂〕以(良心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使〉不=
⑦ 我項籍をして、妻子邑人を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さ不、銭財有りて以て医薬を済さ使め不。
といふ、「括弧」を用ゐた、「ソート(並び換へ)」が可能になる。
cf.
然るに、
(19)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置き換えて読むことが、その大きな原則となっている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(17)(19)により、
(20)
我_使籍不有田二頃。
我_使項籍不以畜妻子邑人憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
の「否定」が、
我不使籍不有田二頃。
我不使項籍不以畜妻子邑人憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
であるとして、
我不使籍不有田二頃 ⇔
我籍をして田二頃有ら不ら使め不。
我不使項籍不以畜妻子邑人憂飢寒乱良心有銭財以済医薬 ⇔
我項籍をして、妻子邑人を畜ひ、飢寒を憂ふるを以て、良心を乱さ不、銭財有りて以て医薬を済さ使め不。
に於いて、「語順が全く反対」である。
といふことは、
{[〔( )〕]}⇔
{[〔( )〕]}。
〈{[〔( )( )〕( )]( )( )}〉⇔
〈{[〔( )( )〕( )]( )( )}〉。
といふ「補足構造」が、「共通」である。といふことに、他ならない。
cf.
従って、
(21)
「語順が全く反対」であるといふことだけに「注目」して、「補足構造と、漢字」が、等しいといふことを、無視し、いまや中国語を日本においても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するときだ」といふ風に、断定するこは、正しくない。
(22)
231
2413
4231
の「括弧」は、
2(3〔1)〕
2(4〔1)3〕
4〔2(3〕1)
でなければ、ならない。
然るに、
(23)
(〔 )〕
(〔 )〕
〔( 〕)
といふ「括弧」は、有り得ないし、
二 三 一
二 下 一 上
下 二 上 一
といふ「返り点」も、有り得ない。
平成26年05月26日、毛利太。
(24)
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(「訓読論」 : 勉誠出版、2頁)。
(25)
ともかく筆者が言いたいのは、大学でも漢文の授業の方はしっかりと訓読だけを教えれば
よいということである。以前このようなことをある講演の際に述べたら、他の大学に勤めている先輩から、自分のところでは音読も取り入れて学生もみな読めるようになっていると力まれて困った。それならばその大学出身の若手が中国学会をリードしているはずである(土田健次郎、大学における訓読教育の必要性)。
(26)
現代中国語による「漢文直読法」は、少なくとも、思ひ立って、すぐに出来るものではな
いが、「漢文訓読法」は、さうではない。
平成26年05月27日、毛利太。

(27)
「牛島徳次、中国古典の学び方、1977年、59・60頁」に、
わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出して、いった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた”xue er you shi”ですよ!」とあるやうに、
倉石博士の薫陶を受けられた、牛島博士は、「学而優則仕(論語)」のやうに、「返り点」も付かない、これ以上簡単なそれがないくらゐ簡単な、たった五字しかない「漢文」の意味を、「訓読」としては、学生に対して、即答出来たにも拘わらず、中国語としては、「全然わからなかった。」との、ことである。
従って、
(27)により、
(28)
現代中国語がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです(Webサイト)。
といふ言ひ方は、たぶん、「錯覚(思ひ込み)」である。
(29)
今から約11世紀昔にさかのぼると現代英語とはおよそ似てもつかない言語の段階に行きつきます。これは今の欧米人にとってさえ全くの異国語です(永野芳郎、英語学説、1978年、102頁)。
といふことからすれば、
現代アメリカ語がしゃべれないような人は本当は「アングロ・サクソン語」は読めないんです。
といふことには、ならない。
従って、
(30)
現代アメリカ語がしゃべれないPETERや、URSULAに対して、
現代アメリカ語がしゃべれないような人は本当は「アングロ・サクソン語」は読めないんです。
といふ風に、述べることはない。
平成26年05月30日、毛利太。

2015年5月24日日曜日

「返り点」に対する「括弧」のアルゴリズム(Ⅱ)。

(01)
ASCII.jpデジタル用語辞典の解説
16進数
 数値の表し方のひとつ。0~9の数字のほかにA~Fのアルファベットを用いて数値の大きさを表す。10進数でいう10、11、12、13、14、15がA、B、C、D、E、Fとなり、Fの次に1桁上がる。
従って、
(01)により、
(02)
F>E>D>C>B>A>9>8>7>6>5>4>3>2>1
といふ「不等式」が、成立する。
(03)
Nは、任意の一桁の16進数であって、
Nの右側に、Nよりも小さい数字が有れば、
その時に限って、それらの数字を、内側から順番に、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
で括ることを、「括弧」で括る。
とする。
従って、
(04)
N=1
である際に、
1D264433355BA79988CE。
を「括弧」で括ると、
1D264433355BA79988CE。
のままで、変はらない。
(05)
N=D
である際に、
1D264433355BA79988CE。
を「括弧」で括ると、
1D(264433355BA79988C)E。
(06)
N=2
である際に、
1D(264433355BA79988C)E。
を「括弧」で括ると、
1D(264433355BA79988C)E。
のままで、変はらない。
(07)
N=6
である際に、
1D(264433355BA79988C)E。
を「括弧」で括ると、
1D〔26(4433355)BA79988C〕E。
(08)
N=4
である際に、
1D〔26(4433355)BA79988C〕E。
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
(09)
N=5
である際に、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
のままで、変はらない。
(10)
N=B
である際に、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B(A79988)C]E。
(11)
N=A
である際に、
1D[26〔44(333)55〕B(A79988)C]E。
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
を「括弧」で括ると、
(12)
N=7
である際に、
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
のままで、変はらない。
(13)
N=9
である際に、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
を「括弧」で括ると、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
(14)
N=C
である際に、
C の右側は、}であって、
N=E
である際に、
E の右側は、。であるため、
これ以上、「括弧」で括れない。
従って、
(04)~(14)により、
(15)
 FOR I=1 TO 15-1
  N=N(I)
  Nの右側にある、
  Nよりも小さい数字を「括弧」で括る。
 NEXT I
といふ「プログラム」を実行すると、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
といふ「結果」が、出力される。
とする。
然るに、
(16)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。(産業図書、数理言語学辞典、2013年、47頁:命題論理、
今仁生美)。
従って、
(15)(16)により、
(17)
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
を、何らかの「演算」とするならば、例へば、
D{ }
のスコープは、
26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C
であって、
6〔 〕
のスコープは、
〔44(333)55〕
であって、
44( )
のスコープは、
333
である。
従って、
(18)
例へば、
1+4×(2+3)=
1+(2+3)×4。
にならって、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E ⇒
1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE。
といふ「ソート(並び替へ)」が、可能となる。
然るに、
(19)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置き換えて読むことが、その大きな原則となっている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(18)(19)により、
(20)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」に、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
といふ「補足構造」がある。ならば、
我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
といふ「訓読」には、
1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE。
といふ「語順と、補足構造」がある。はずである。
然るに、
(21)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也=
1 D 2 6 4 4 3 3 3 5 5 B A 7 9 9 8 8 C E=
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也=
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E⇒
1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE=
我{必〔(中国語)理解方法〕以[〔人(漢文)理解〕使]欲者}非也=
我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
cf.

従って、
(20)(21)により、
(22)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」には、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「補足構造」がある。ことになる。
然るに、
(23)
「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を、人の国にて見えたまいてけれ」の部分の構文を、文節・連文節の係り受けがわかるように図示せよ(新明解古典シリーズ10、徒然草、1990年、142頁)。
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんのことはない。諸君が古文英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
然るに、
(24)
漢文にも、古文にも、英語にも、「管到(スコープ)」があって、
日本人から見た際の、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」の「管到(スコープ)」が、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
である際に、
中国人から見た際の、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」の「管到(スコープ)」が、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
ではない。といふことは、有り得ない。
従って、
(22)(24)により、
(25)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文(作例)」が、正しいのであれば、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」自体に、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「構造(シンタックス)」がある。ことになる。
従って、
(21)(25)により、
(26)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」が、
我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざ也。
といふ風に「訓読」出来る。といふこと自体が、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」が、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「構造(シンタックス)」をしてゐる。といふことを、示してゐる。
然るに、
(27)
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
の「返り点」が、
乙 下 ‐二‐ 一 上 レ 三 ‐二‐ 一 甲
であるのに対して、
我非{必以〔解(語)法〕欲[使〔人解(文)〕]者}也。
の「返り点」は、
下 二 レ 一 レ 二 レ 一 上
である。
然るに、
(28)
我非{必以〔解(語)法〕欲[使〔人解(文)〕]者}也。
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
の「構造(シンタックス)」が、異なるはずがない。
従って、
(27)(28)により、
(29)
{〔( )〕[〔( )〕]}
{〔( )〕[〔( )〕]}
に対して、
下 二 レ 一 レ 二 レ 一 上
乙 下 ‐二‐ 一 上 レ 三 ‐二‐ 一 甲
の場合は、「構造(シンタックス)」をしてゐる。とは言へない。
従って、
(29)により、
(30)
「括弧」は、「漢文の構造(シンタックス)」を示すための「ツール」であって、単なる「返り点」の、代用ではない。
加へて、
(31)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
を、「音読」しても、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「構造(シンタックス)」を、把握できるはずもなく、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也=
ガヒヒツイリカイチュウゴクゴホウホウヨクシジンリカイカンブンシャヤ。
と「音読」するだけであれば、小学生にも、可能である。
従って、
(32)
倉石武四郎博士が戦前に中国留学した際に「訓読は玄界灘に捨ててきた」と言ったことは音読派の決めぜりふとして有名である(土田健次郎、大学における訓読教育の必要性)。
とのことであっても、「括弧」に関しては、それを捨てるべきではない。
平成27年05月24日、毛利太。

2015年5月17日日曜日

「括弧」の、アルゴリズム。

(01)
① 四三二一。
に於いて、
四 の右側にあって、四 よりも小さな数字を( )で括ると、
① 四(三二一)。
(02)
① 四(三二一)。
に於いて、
三 の右側にあって、三 よりも小さな数字を( )で括ると、
① 四(三(二一))。
(03)
① 四(三(二一))。
に於いて、
二 の右側にあって、二 よりも小さな数字を( )で括ると、
① 四(三(二(一)))。
(04)
③ 一七二五三四六。
に於いて、
七 の右側にあって、七 よりも小さな数字を( )で括ると、
③ 一七(二五三四六)。
(05)
③ 一七(二五三四六)。
に於いて、
五 の右側にあって、五 よりも小さな数字を( )で括ると、
③ 一七(二五(三四)六)。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 四(三(二(一)))。
③ 一七(二五(三四)六)。
であるものの、
① 四(三(二(一)))=
① 不(可(不(知)))。
③ 一七(二五(三四)六)=
③ 我聞(鳥鳴(梅樹)声)。
とする。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
① 不(可(不(知)))=
① 四(三(二(一)))。
に対しては、
② 非(不(可(不(知))))=
② 五(四(三(二(一))))。
であって、
③ 我聞(鳥鳴(梅樹)声)=
③ 一七(二五(三四)六)。
に対しては、
④ 我不(常聞(鳥鳴(梅樹)声))=
④ 一九(二八(三六(四五)七))。
でなければ、ならない。
従って、
(07)により、
(08)
④ 我不常聞鳥鳴梅樹声。
であれば、その「訓読」は、
④ 我不(常聞(鳥鳴(梅樹)声))=
④ 一九(二八(三六(四五)七))⇒
④ 一(二(三(四五)六七)八)九=
④ 我(常には(鳥の(梅樹)鳴く声を)聞か)不。
である。
平成27年05月17日、毛利太。
「括弧」のアルゴリズムと「返り点」。
http://kaeriten.blogspot.com/2015/05/blog-post.html
平成27年05月19日、毛利太。

2015年5月14日木曜日

あります。括弧は、

(01
従って、
(01)により、
(02)
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
といふ「漢文」と、
① 読む所。
② 読ま不る所。
③ 読ま不る所と為る。
④ 読ま不る所と為ら不。
⑤ 読ま不る所と為ら不に非ず。
といふ「訓読」では、「語順が、逆」になる。
然るに、
(03)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語と全く反対である(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
といふ「漢文」と、
① 読まれるモノ。
② 読まれないモノ。
③ 読まれないモノとなる。
④ 読まれないモノとならない。
⑤ 読まれないモノとならないのではない。
といふ意味である、その「訓読」は、「補足構造」自体は、同じであるが、「語順が、逆」になる。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 所(読)。
② 所〔不(読)〕。
③ 為[所〔不(読)〕]。
④ 不{為[所〔不(読)〕]}。
⑤ 非〈不{為[所〔不(読)〕]}〉。
に於ける、
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
⑤〈{[〔( )〕]}〉
といふ「括弧」は、普通に考へれば、
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
といふ「漢文」に於ける「補足構造」を表してゐると、すべきである。
(05)
の[一]〔格助詞〕①主格(主語を示す。ふつう従属句の中で主格を示すのに用いて、述語は平安時代まで多く連体形で結ぶ)(古語林、1997年、1036頁)。
従って、
(05)により、
(06)
① 彼の読む所。
② 彼の読ま不る所。
③ 彼の読ま不る所と為る。
④ 彼の読ま不る所と為ら不。
⑤ 彼の読ま不る所と為ら不るに非ず。
に於いて、
彼の=主語(主格)
である。
然るに、
(07)

(08)
の[一]〔格助詞〕②連体修飾語(前の体言が後ろの体言を修飾することを示す)(古語林、1997年、1036頁)。
従って、
(08)により、
(09)
① 彼の読む所の本。
② 彼の読ま不る所の本。
③ 彼の読ま不る所の本と為る。
④ 彼の読ま不る所の本と為ら不。
⑤ 彼の読ま不る所の本と為ら不るに非ず。
に於いて、
の本=被修飾語
である。
然るに、
(10)
従って、
(01)(07)(10)により、
(11)
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
の「返り点」は、
① レ
② レ レ
③ レ レ レ
④ レ レ レ レ
⑤ レ レ レ レ レ
であって、
① 彼所読。
② 彼所不読。
③ 彼為所不読。
④ 不為彼所不読。
⑤ 非不為彼所不読。
の「返り点」は、
① レ
② レ レ
③ 二 一レ レ
④ レ 二 一レ レ
⑤ レ レ 二 一レ レ
であって、
① 彼所読本。
② 彼所不読本。
③ 彼為所不読本。
④ 不為彼所不読本。
⑤ 非不為彼所不読本。
の「返り点」は、
① レ
② レ レ
③ 二 レ レ 一
④ レ 二 レ レ 一
⑤ レ レ 二 レ レ 一
であるが、「括弧」に関しては、
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
⑤〈{[〔( )〕]}〉
といふ、「一通り」だけである。
従って、
(04)(06)(09)(11)により、
(12)
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
⑤〈{[〔( )〕]}〉
といふ「括弧」は、例へば、
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
⑥ 彼所読。
⑦ 彼所不読。
⑧ 彼為所不読。
⑨ 不為彼所不読。
⑩ 非不為彼所不読。
⑪ 彼所読本。
⑫ 彼所不読本。
⑬ 彼為所不読本。
⑭ 不為彼所不読本。
⑮ 非不為彼所不読本。
といふ「漢文」に於ける、「補足構造」だけを表してゐる。と、すべきである。
従って、
(13)
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
⑤〈{[〔( )〕]}〉
は、単なる、
① レ
② レ レ
③ レ レ レ
④ レ レ レ レ
⑤ レ レ レ レ レ
③ 二 一レ レ
④ レ 二 一レ レ
⑤ レ レ 二 一レ レ
③ 二 レ レ 一
④ レ 二 レ レ 一
⑤ レ レ 二 レ レ 一
の、代用ではない。
従って、
(14)
① 彼所読本。
② 彼所不読本。
③ 彼為所不読本。
④ 不為彼所不読本。
⑤ 非不為彼所不読本。
であれば、
① 彼の読む所の本。
② 彼の読ま不る所の本。
③ 彼の読ま不る所の本と為る。
④ 彼の読ま不る所の本と為ら不。
⑤ 彼の読ま不る所の本と為ら不るに非ず。
といふ風に、読もうと、読むまいと、
① 彼所(読)本。
② 彼所〔不(読)〕本。
③ 為[彼所〔不(読)〕本]。
④ 不{為[彼所〔不(読)〕本]}。
⑤ 非〈不{為[彼所〔不(読)〕本]}〉。
といふ「括弧」は、あります。
平成27年05月14日、毛利太。

2015年5月12日火曜日

「返り点」が付けられない。

(01)
(02)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① レ 
② レ レ 
③ レ レ レ
④ レ  レ レ レ
⑤ レ
⑥ 二 一レ
⑦ レ 二 一レ
⑧ レ レ 二 一レ
⑨ レ
⑩ 二 レ 一
⑪ レ 二 レ 一
⑫ レ レ 二 レ 一
といふ「返り点」は、
① 二 一 
② 三 二 一
③ 四 三 二 一
④ 五 四 三 二 一
⑤ 二 一 
⑥ 三 二 一
⑦ 四 三 二 一
⑧ 五 四 三 二 一
⑨ 二 一
⑩ 下 二 一 上
⑪ 下 中 二 一 上
⑫ 丁 丙 乙 二 一 甲
といふ「返り点」に、「置き換へ」ることが出来る。
然るに、
(04)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① レ 
② レ レ 
③ レ レ レ
④ レ  レ レ レ
⑤ レ
⑥ 二 一レ
⑦ レ 二 一レ
⑧ レ レ 二 一レ
⑨ レ
⑩ 二 レ 一
⑪ レ 二 レ 一
⑫ レ レ 二 レ 一
① 二 一 
② 三 二 一
③ 四 三 二 一
④ 五 四 三 二 一
⑤ 二 一 
⑥ 三 二 一
⑦ 四 三 二 一
⑧ 五 四 三 二 一
⑨ 二 一
⑩ 下 二 一 上
⑪ 下 中 二 一 上
⑫ 丁 丙 乙 二 一 甲
といふ「返り点」は、
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
といふ「括弧」に、「置き換へ」ることが出来る。
然るに、
(06)
例へば、
⑩ 下 二(一)上
⑪ 下[中〔二(一)上〕]
⑫ 丁{丙[乙〔二(一)甲〕]}
に対して、
⑩ 下[二(上〔一)〕]
⑪ 下[二(中〔一)上〕]
⑫ 丁{乙〔丙[二(一)甲〕]}
に於ける、
⑩ 下 二 上 一 
⑪ 下 二 中 一 上
⑫ 丁 乙 丙 二 一 甲
といふ「返り点」は、有り得ず、
⑩[(〔 )〕]
⑪[(〔 )〕]
⑫{〔[( )〕]}
といふ「括弧」も、有り得ない。
cf.
「縦書きのホームページ(https://sites.google.com/site/kaeriten/)」の中の、
「7番目の記事」=「返り点」と「括弧」2.0
http://kaeriten.blogspot.jp/2015/02/blog-post_11.html)。 然るに、
(07)
⑩ 下 二 上 一 
⑪ 下 二 中 一 上
⑫ 丁 乙 丙 二 一 甲
は、「一二点」では、
⑩ 四 二 三 一 
⑪ 五 二 四 一 三
⑫ 六 四 五 二 一 三
であるものの、このやうな、「一二点」は、有り得ない。
加へて、
(08)
固より、「レ点」は、
⑩ 四 二 三 一 
⑪ 五 二 四 一 三
⑫ 六 四 五 二 一 三
といふ「順番」に、付くことは無い。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
⑩ 四 二 三 一 
⑪ 五 二 四 一 三
⑫ 六 四 五 二 一 三
といふ「順番」に付く、「返り点・括弧」は、無い。
従って、
(09)により、
(10)
⑩ 為彼所読本。 
⑪ 不為彼所読本。
⑫ 無不為彼所読本。
ではなく、
⑩ 為彼所本読。 
⑪ 不彼所為読本。
⑫ 無為不彼所読本。
である際に、「返り点・括弧」を用ゐて、
⑩ 彼の読む所の本となる。
⑪ 彼の読む所の本とならず。
⑫ 彼の読む所の本とならざる無し。
といふ風に、「訓読」することは、出来ない。
従って、
(10)により、
(11)
次の「数字」に対して、「数字の順番」で読めるやうに、「返り点」を付けよ。
⑩ 5 1 3 4 2 
⑪ 6 1 3 5 2 4
⑫ 7 5 6 1 3 2 4
といふ「問題」は、「不可能」であるが故に、有り得ない。
平成27年05月12日、毛利太。