2017年2月27日月曜日

「関数訓読」。

(01)
数学でいうところの関数とは、例えばx2+3xからxを取り除いた部分のことである。
 y=x2+3x
という方程式において、( )2+3( )の部分は関数、xは項、xがどのような数であるかによってyは変わる。
(宗宮喜代子、ルイス・キャロルの意味論、2001年、61・62頁)
従って、
(01)により、
(02)
 y=(x)2+3(x)
然るに、
(03)
 y=[(x)2+〔3(x)〕]
とする。
然るに、
(04)
 y=[(x)2+〔3(x)〕]
に於いて、
 3( )→( )3
 +〔 〕→〔 〕+
 =[ ]→[ ]=
といふ「移動」を行ふと、
 y[(x)2〔(x)3〕+]= ⇔
 yは[(x)の2乗に〔(xの)3倍を〕加へた値に]等しい。
といふ「関数訓読」が、成立する。
然るに、
(05)
 y=x2+3x
といふ「関数」は、
 yはxの2乗にxの3倍を加へた値に等しい。
といふ、「意味」である。
然るに、
(06)
 y=x2+3x
を「英語」で読むならば、
 y equals x squared plus 3 times x.
であると、思はれる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
 y=x2+3x
といふ「関数」は、
 y equals x squared plus 3 times x.
 yはxの2乗にxの3倍を加へた値に等しい。
といふ風に、読むことが、出来る。
然るに、
(08)
現代中国語がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです(Webサイト)。
といふ、「意見」が有る。
然るに、
(09)
現代英語がしゃべれような人は、
 y=x2+3x
といふ「関数」は、本当は読めないんです。
といふ人は、ゐないものと、思はれる。
然るに、
(10)
「数式」と「漢文(文学)」は、一緒にはならない。
従って、
(11)
「数式の訓読」は、「可」であるが、「漢文の訓読」は、「不可」である。
といふことは、有り得ないことでは、ない。
然るに、
(12)
「何故」かは、分からないないものの、「漢文の名文」は、「訓読(日本語)」で読んだとしても、「名文」である。
例へば、
(13)
「出帥の表」は、古今の名文とされ、読む人の心を打ち続けてきた(守屋洋、中国古典の名文集、2003年、70頁)。
「諸葛孔明の出帥表を読んで涙を落さざる者は、その人必ず不忠ならん。」(三省堂、明解古典学習シリーズ20、1973、17頁)
従って、
(08)(13)により、
(14)
現代中国語がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです。
といふことは、さて置くとして、いづれにせよ、例へば、「諸葛孔明の出帥表」等の「名文」は、「日本語(訓読)」で読んでも、「涙を禁じ得ない」といふことだけは、「事実」である。
平成29年02月27日、毛利太。

2017年2月26日日曜日

サイレント0(Ⅱ)

(01)
① 不
① 不
① 文
① 文を読ま不
(02)
② 不常読一レ文=
② 不常読
② 常文
② 常には文を読ま不
(03)
③ 不漢文
③ 不漢文
③ 漢文
③ 漢文を読ま不
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 一
といふ「返り点」は、
④ 三 二 一
といふ「返り点」に、「置き換へ」ることが、出来る。
然るに、
(05)
④ 不常読漢文
④ 常漢文
④ 常には漢文を読ま不
然るに、
(06)
④ 不常読漢文
④ 常漢文
④ 常には漢文を読ま0
然るに、
(07)
④ 0 は、サイレント である。
とする。
従って、
(06)(07)により、
(08)
④ 不常読漢文
④ 常漢文
④ 常には漢文を読
然るに、
(09)
④ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
④ 0 は、有っても無いし、無くとも有る
とする。
従って、
(08)(09)により、
(10)
④ 不常読漢文
④ 常漢文
④ 常には漢文を読
従って、
(05)(09)(10)により、
(11)
④ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
④ 0 は、有っても無いし、無くとも有る
とするならば、
④ 不常読漢文
といふ「返り点」は、
④ 不常読漢文
といふ「返り点」に、「置き換へ」ことが、出来る。
従って、
(04)(11)により、
(12)
④ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
④ 0 は、有っても無いし、無くとも有る
とするならば、
① レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 一
④ 三 二 一
といふ「返り点」は、
④ 下 二 一 上
といふ「返り点」に、「置き換へ」ことが、出来る。
然るに、
(13)
⑤ 有書者
⑤ 有
⑤ 書
⑤ 書を読む者り。
従って、
(13)により、
(14)
⑤ 二 レ 一
といふ「返り点」は、
④ 下 二 一 上
といふ「返り点」に、「置き換へ」ことが、出来る。
従って、
(12)(14)により、
(15)
④ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
④ 0 は、有っても無いし、無くとも有る
とするならば、
① レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 一
④ 三 二 一
といふ「返り点」は、
④ 下 二 一 上
といふ「返り点」に、「置き換へ」ことが、出来、尚且つ、固より、
⑤ 二 レ 一
といふ「返り点」は、
④ 下 二 一 上
といふ「返り点」に、「置き換へ」ことが、出来る。
然るに、
(16)
④ 有常読漢文
④ 常漢文
④ 常に漢文を読む者り。
(17)
④ 有常読漢文
④ 常漢文
④ 常に漢文を読む者り。
(18)
④ 有〔常読(漢文)者〕。
に於いて、
④ 有〔 〕⇒〔 〕有
④ 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
④ 有〔常読(漢文)者〕⇒
④ 〔常(漢文)読者〕有=
④ 〔常に(漢文を)読む者〕有り。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
④ 有常読漢文
④ 有常読漢文
といふ「返り点」は、
④ 有〔常読(漢文)者〕。
といふ「括弧」に、「相当する」。
従って、
(15)(19)により、
(20)
① レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 一
④ 三 二 一
④ 下 二 一 上
⑤ 二 レ 一
といふ「六つの、返り点」は、
④ 〔 ( ) 〕
といふ「一つの、括弧」に、「置き換へ」ることが、出来る。
すなはち、
(21)
① 不
② 不常読一レ文。
③ 不漢文
④ 不常読漢文
④ 有常読漢文
⑤ 有書者
に対する、「括弧」は、
① 不〔読(文)〕。
② 不〔常読(文)〕。
③ 不〔読(漢文)〕。
④ 不〔常読(漢文)〕。
④ 有〔常読(漢文)者〕。
⑤ 有〔読(書)者〕。
である。
平成29年02月26日、毛利太。

2017年2月25日土曜日

サイレント0

(01)
① 非{不[欲〔読(英文)〕]}也⇒ 
① {[〔(英文)読〕欲]不}非也⇒ 
① {[〔(英文を)読まんと〕欲せ]不るに}非ざるなり。
① 英文を読みたいと思はないわけではないのである。 
従って、
(01)により、
(02)
② 非{不[欲〔読(英文)0〕0]0}也⇒ 
② {[〔(英文)読0〕欲0]不0}非也⇒ 
② {[〔(英文を)読まんと0〕欲せ0]不るに0}非ざるなり。
然るに、
(03)
② 0 は、サイレント である。
とする。
従って、
(02)(03)により、
(04)
③ 非{不[欲〔読(英文)0〕0]0}也⇒ 
③ {[〔(英文)読0〕欲0]不0}非也⇒ 
③ {[〔(英文を)読まんと〕欲せ]不るに}非ざるなり。
然るに、
(05)
③ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
③ 0 は、有っても無いし、無くとも有る。
とする。
然るに、
(06)
(a)( )
(b)〔 〕
(c)[ ]
(d){ }
といふ「括弧」は、
(a)二 一
(b)下 上
(c)乙 甲
(d)地 天
といふ「それ」に、「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)

然るに、
(08)
「返り点」は、「漢 字」に「付く」ため、
「漢 字」が無いのに、「返り点」が有るのは、ヲカシイ
といふことから、
③ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
③ 0 は、有っても無いし、無くとも有る。
といふ「理屈」が、「必要」となる。
然るに、
(09)
「括 弧」は、「漢 字」に、「付く」ことはなく
「括 弧」は、「漢 字」を、「括る」ことになるため、
③ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
③ 0 は、有っても無いし、無くとも有る。
といふ「理屈」は、
③ 非{不[欲〔読(英文)〕]}⇒
③ {[〔(英文)読〕欲]不}非也⇒ 
③ {[〔(英文を)読まんと〕欲せ]不るに}非ざるなり。
といふ「括 弧」自体には、「不要」である。
従って、
(10)
③ 非英文一 上 甲 天
に於ける、
③ 地 乙 下 二 一 上 甲 天
といふ「返り点」を、
③ { [ 〔 ( ) 〕 〕 }
といふ「括 弧」と見なすならば、その場合には、
③ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
③ 0 は、有っても無いし、無くとも有る。
といふ「理屈」は、「不要」である。
従って、
(11)
③ 非英文一 上 甲 天
に於ける、
③ 地 乙 下 二 一 上 甲 天
といふ「それ」は、
③ { [ 〔 ( ) 〕 〕 }
といふ「それ」に、「等しい」と、述べた際に、
「返り点」は、「漢 字」に「付く」ため、
「漢 字」が無いのに、「返り点」が有るのは、ヲカシイ
といふ「反論」がなされるのであれば、その時に限って、
③ { [ 〔 ( )0〕0〕0}
に於いて、
③ 0 は、サイレント であって、尚且つ、
③ 0 は、有っても無いし、無くとも有る。
といふ風に、述べれば良い。
然るに、
(12)
③ 非英文一 上 甲 天
に対する、「学校で習ふ、返り点」は、これではなく、
③ 非英文
である。
従って、
(11)(12)により、
(13)
③ 非英文
といふ「学校で習ふ、返り点」は、
③ 非英文一 上 甲 天
といふ「それ」に「置き換へ」ることが出来、尚且つ、
③ 地 乙 下 二 一 上 甲 天
といふ「返り点」は、
③ { [ 〔 ( ) 〕 〕 }
といふ「括弧」に「等しい」が故に、
③ 非英文
に於ける、
③ レ レ レ 二 一。
といふ「返り点」は、
③ { [ 〔 ( ) 〕 〕 }
といふ「括弧」に、「置き換へ」ることが、出来る。
平成29年02月25日、毛利太。

2017年2月23日木曜日

No one doesn't speaks English.

(01)
① 無[人不〔話(英語)〕]⇒
① [人〔(英語)話〕不]無=
① [人にして〔(英語を)話さ〕不るは]無し=
① 英語を話さない人はいない(全ての人は英語を話す)。
は、「漢文訓読」である。
(02)
② ~[(∃x)〔人x&~(話x英語)〕]⇒
② [〔人x&(話x英語)~〕(∃x)]~=
② [〔xは人であって、尚且つ、(xは英語を話さ)ないといふ〕(そのやうなxは存在し)]ない=
② 英語を話さない人はいない(全ての人は英語を話す)。
は、「述語論理訓読」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 無[人不〔話(英語)〕]。
といふ「漢文」は、
② ~[(∃x)〔人x&~(話x英語)〕].
といふ「述語論理」に、「等しい」。
然るに、
(04)
 無=No
 人=one
 不=doesn't
 話=speak
英語=English
従って、
(03)(04)により、
(05)
③ No one doesn't speaks English=
③ No[one doesn't〔speaks(English)〕].
といふ「英文」も、
① 無[人不〔話(英語)〕]。
② ~[(∃x)〔人x&~(話x英語)〕].
② 英語を話さない人はいない(全ての人は英語を話す)。
といふ、「意味」である。はずである。
然るに、
(06)
③ No one doesn't speak English.
③ 誰も、英語を話しません(ヤフー!翻訳)。
③ 誰も、英語を話しません(weblio翻訳)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
何故か、「英語」の場合は、
③ No one doesn't speaks English=
③ No[one doesn't〔speaks(English)〕]=
① [one にして〔(英語を)話さ〕不るは]No=
① 英語を話さない人はいない(Everyone は英語を話す)。
といふ、「意味」には、ならない。
然るに、
(08)
④ 英語を話さない人はいない。
④ There is not the person who does not speak English(ヤフー!翻訳)。
④ There is not the person who does not speak English(weblio翻訳)。
従って、
(01)(04)(08)により、
(09)
 無=No
 人=one
 不=doesn't
 話=speak
英語=English
であるにも、拘はらず、
① 無 人 不   話   英語。
といふ「漢文」は、
③ No one doesn't speaks English.
といふ「意味」ではなく、
④ There is not the person who does not speak English.
といふ「意味」である。
従って、
(09)により、
(10)
この場合も、「英文も漢文も語順が基本的に同じなのに(とある高校教師S)」といふ、ことには、ならない。
平成29年02月23日、毛利太。

2017年2月21日火曜日

I don't have no money.

(01)
① I have no money.
② I have money.
に於いて、
①と②は「矛盾」する。
従って、
(01)により、
(02)
①は、②の「否定」に等しい。
然るに、
(03)
任意の表述の否定は、その表述を’( )’という空所にいれて書くことにしよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
①   I have no money.
② ~(I have money).
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
①   I have no money.
② ~(I have money).
の「否定」は、
①     I don't have no money.
(~(I have money)).
である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
①     I don't have no money.
(I have money)).
に於いて、
①=② である。
然るに、
(07)
二重否定律」により、
② ~(~(I have money)).は、
②     I have money.   に、等しい。
従って、
(06)(07)により、
(08) 
① I don't have no money.
② I have money.
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)


従って、
(08)(09)により、
(10)
少なくとも、「ヤフー!翻訳」、「Weblio翻訳」であれば、
① I don't have no money.iii
(I have money)). ⇔
② I have money.
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(11)
(4)* I don't have no money.
の意味は、「[[私がお金を持っている]ということはない]ということはない」という、何を言おうとしているのかが分からない不適格な文となります。
(久野暲、高見健一、謎解き英文法 否定、2・3頁改)
然るに、
(12)
[私がお金を持っている]ということはない] ⇔
[私はお金を持っていない]。
(13)
[私はお金を持っていない]ということはない]⇔
[私はお金を持っている]。
従って、
(12)(13)により、
(14)
[[私がお金を持っている]ということはない]ということはない。⇔
 [私はお金を持っている]。
といふ「等式」は、「二重否定律」として、「正しい」。
従って、
(11)~(14)により、
(15)
(4)* I don't have no money.
の意味が、「[[私がお金を持っている]ということはない]ということはない」ということは、
「二重否定律」により、
(4)* I don't have no money.
の意味が、
(4)[私はお金を持っている]。
といふ意味である。といふことに、他ならない。
従って、
(10)(15)により、
(16)
① I don't have no money.
① 私は、お金を持っています(ヤフー!翻訳)。
① 私は、お金を持っています(weblio翻訳)。
といふ「英語」が、「何を言おうとしているのかが分からない不適格な文」でなければならない「理由」が、分らない。
然るに、
(17)
① I don't have no money.
② I have no money.
① 私はお金がない(グーグル翻訳)。
② 私にはお金がありません(グーグル翻訳)。
従って、
(17)により、
(18)
「グーグル翻訳」であれば、
① I don't have no money=
② I don't have no money.
である。
然るに、
(19)
① I don't have no money.iii
② ~(~(I have money)). ⇔
② I have money.
といふ「式」は、「論理(学)的」であるものの、
① I don't have no money=
② I don't have no money.
といふ「式」は、「論理(学)的」であるとは、言へない
従って、
(19)により、
(20)
仮に、
① I don't have no money=
② I don't have no money.
とするのが、「一般的」でなるならば、
① I don't have no money.
といふ「英語」は、「論理(学)的」である。
平成29年02月21日、毛利太。

2017年2月19日日曜日

「英文訓読」と「返り点・括弧」。

(01)
① A is{in[front〔of(B)〕]}⇒
① A {[〔(B)of〕front]in}is=
① Aは{[〔(B)の〕前]に}在る。
(02)
② A is{always in[front〔of(B)〕]}⇒
② A {always [〔(B)of〕front]in}is=
② Aは{常に[〔(B)の〕前]に}在る。
(03)
③ A is{always in[front〔of(B or C)〕]}⇒
③ A {always [〔(B or C)of〕front]in}is=
③ Aは{常に[〔(BかC)の〕前]に}在る。
然るに、
(04)
① A 五{四[三〔二(一)〕]}⇒
① A {[〔(一)二〕三]四}五。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① A is in front of B.
② A is always in front of B.
③ A is always in front of B or C.
に付く「返り点」は、
① 五 四 三 二 一
② 五 四 三 二 一
③ 五 四 三 二 一
である。
然るに、
(06)
③ A is always in front of B or C.
に対して、
④ A is always in front orof C.
といふ「英語」は、「存在」しない。
然るに、
(07)
④ A is{in[front〔or(B)of(C)〕]}⇒
④ A {[〔(B)or(C)of〕front]in}is=
④ Aは{[〔(B)か(C)の〕前]に}在る。
然るに、
(08)
④ A 戊{丁[丙〔二(一)乙(甲)〕]}⇒
④ A {[〔(一)二(甲)乙〕丙]丁}戊=
④ A 一 二 甲 乙 丙 丁 戊。
従って、
(07)(08)により、
(09)
④ A is always in front orof C.
の「返り点」は、
④ 戊 丁 丙 二 一 乙 甲
である。
従って、
(05)(09)により、
(10)
① A is in front of B.
② A is always in front of B.
③ A is always in front of B or C.
④ A is always in front or B of C.
の「返り点」は、
① 五 四 三 二 一
② 五 四 三 二 一
③ 五 四 三 二 一
④ 戊 丁 丙 二 一 乙 甲
である。
然るに、
(11)
実際には、
④ A is always in front orof C.
といふ「英語」は、「存在」しない。ため、
この場合は、
① 五 四 三 二 一
② 五 四 三 二 一
③ 五 四 三 二 一
だけが、「英語」に付く、「返り点」である。
加へて、
(12)
④ My cousin is{three-years[younger〔than(I)〕]}.
⑤ He was《walking〈with{a-dog[in〔the-park(this morning)〕]}〉》.
⑥ I don't《think〈that{Antlers will[be〔the-chanpion(this year)〕]}〉》.
⑦ I will「send《new-rice〈to{you[by〔courier-service(next week)〕]}〉》」.
⑧ We keep『our-rooms「warm《day-and-night〈in{winter[ because〔my parents are(old)〕]}〉》」』.
⑨ You must(study【English『much-harder「to《become〈a-googler{like[your-father〔in(the future)〕]}〉》」』】).
⑩ I am{not[necessarily a-person〔who(tries【to『understand「Chinese-classics《by〈using{the method[of〔understanding(English)〕]}〉》」』】)〕]}.
に対する「返り点」は、
④ 五 四 三 二 一
⑤ 七 六 五 四 三 二 一
⑥ 七 六 五 四 三 二 一
⑦ 八 七 六 五 四 三 二 一
⑧ 九 八 七 六 五 四 三 二 一
⑨ 十一 十 九 八 七 六 五 四 三 二 一
⑩ 十四 十三 十二 十一 十 九 八 七 六 五 四 三 二 一
である。
然るに、
(13)
「返り点」は、
(a)一二・点
(b)上下・点
(c)甲乙・点
(d)天地・点
(e)レ点
による、「五種類」である。
然るに、
(14)
「漢字」は殆どが、「一字」で「一語」であるが、
「英語」に於いて、「一字」で「一語」なのは、「a(不定冠詞)」だけである。
従って、
(13)(14)により、
(15)
「漢文訓読」ならぬ、
「英文訓読」で用ゐられる「返り点」は、
(a)一二・点
(b)上下・点
(c)甲乙・点
(d)天地・点
による、「四種類」である。
然るに、
(10)(12)により、
(16)
① A is in front of B.
② A is always in front of B.
③ A is always in front of B or C.
④ A is always in front or B of C.
④ My cousin is three years younger than I
⑤ He was walking with a dog in the park this morning.
⑥ I don't think that Antlers will be the chanpions this year.
⑦ I will send new rice to you by courier service next week.
⑧ We keep our rooms warm day and night in winter because my parents are old.
⑨ You must study English much harder to become a googler like your father in the future.
⑩ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese classics by using the method of understanding English.
といふ「英文訓読」で用ゐられる「返り点」は、
(a)一二・点
(b)上下・点
(c)甲乙・点
(d)天地・点
といふ「四種類」の中の、
(a)一二・点
といふ「一種類」だけである。
それ故、
(17)
或るいは、
The United States is probably one of the most ethnically diverse countries in the world.
Up until 400 years ago, the land that now is called the United States was populated almost entirely by Native Americans.
However, even way back then, there were hundreds of different Native Americans tribes and most of them each spoke different language.
When the first Europeans began arriving in the early 1600s, there were slightly more than 1 million Native Americans here.
The population of the United States has since grown to over 250 times that size, yet there are still hundreds of languages spoken in U.S.
And, there are more cultures and ethnic backgrounds represented in our country now than there have ever been.For this reason, this county has long been called the Melting Pot. This describes an image that people of many different skin colors, religious beliefs and ethnic and linguistic backgrund were all blended into one giant pot that we now call the United States.
(小坂貴志、小坂洋子、アメリカの小学校教科書で英語を学ぶ、2005年、36頁改)
に対する、「返り点」も、
(a)一二・点
だけなのかも、知れない。
然るに、
(18)
「括弧」を加へると、
The United States is〈probably one{of[the-most-ethnically-diverse-countries〔in(the world)〕]}〉.
Up〔until(400 years ago)〕, the-land{that[now is〔called(the United States)〕]}was[populated〔almost entirely by(Native Americans)〕].
However, even〔way-back(then)〕, there-were(hundreds of different Native Americans tribes)and most of them each spoke(different language).
When{the first Europeans began[arriving〔in(the early 1600s)〕]}, there-were[slightly more〔than(1 million)〕Native Americans here].
The-population〔of(the United States)〕has〈since grown{to[over〔250-times(that size)〕]}〉, yet there-are〈still hundreds{of[languages-spoken〔in(U.S)〕]}〉.
And, there-are{more-cultures-and-ethnic-backgrounds[in〔our-country(now)〕than〔there-have(ever been)〕]}.
For(this reason), this county has[long been〔called(the Melting Pot)〕].
This describes【an-image『that「people{of[many〔different(skin colors, religious beliefs and ethnic and linguistic backgrund)〕]}were《all blended〈into{one-giant-pot[that〔we now call(the United States)〕]}〉》」』】.
然るに、
(19)
「移動」を行ふと、
The United States is〈probably{[〔(the world)in〕the-most-ethnically-diverse-countries]of}one〉is.
〔(400 years ago)until〕 Up,{[now 〔(the United States)called〕is]that}the-land[〔almost entirely (Native Americans)by〕populated]was.
However,〔(then)way-back〕even, (hundreds of different Native Americans tribes)there-wereand most of them each (different language)spoke.{the first Europeans[〔(the early 1600s)in〕arriving] began}When, [slightly〔(1 million)than〕more Native Americans here]there-were.
〔(the United States)of〕The-population〈since{[〔(that size)250-times〕over]to}grown〉has, yet〈still{[〔(U.S)in〕languages-spoken]of}hundreds〉there-are.
And,{[〔(now)our-country〕in〔(ever been)there-have〕than]more-cultures-and-ethnic-backgrounds} there-are.(this reason)For, this county [long 〔(the Melting Pot)called〕been]has.
This 【『「{[〔(skin colors, religious beliefs and ethnic and linguistic backgrund)different〕many]of}people《all〈{[〔we now (the United States)call〕that]one-giant-pot}into〉blended》were」that』an-image】describes.
然るに、
(20)
「日本語」に置き換へると、
合衆国は〈おそらく{[〔(世界)で〕最も民族的に多様な国]の}一つ〉である.
〔(400年前)まで〕遡れば, {[今は〔(合衆国と)呼ばれて〕ゐる]所の}土地は[〔ほとんどすべてに(ネイティブアメリカン達)が〕住んで]ゐた.
しかしながら, 〔(その時に)戻った〕としても, (数百ものの異なる、ネイティブアメリカンの部族が)ゐて、彼等の大半は互いに(異なる言語を)話してゐた.
{最初の西洋人たちが[〔(17世紀の初め)に〕入植を]始めた}頃は, [わずかに〔(百万人)を〕越えるネイティブアメリカンたちが、ここに]ゐた.
〔(合衆国)の〕人口は〈以来{[〔(その大きさの)250倍を〕越える]までに}成長するに〉至り, 今なお〈まだ{[〔(合衆国)には〕話されている言語]が}数百〉ある.
そして{[〔(現在)我が国〕では〔(嘗てあっ)た〕より]多くの文化や民族的背景が}存在する.
(この理由)により, この国は[長く〔(ザ坩堝)と呼ば〕れて]来た.
これは【『「{[〔(肌の色, 宗教的信条に民族的そして言語的背景を)異にする〕多く]の}人々を《みな〈{[〔我々が今(合衆国と)呼ぶ〕所の]一つの巨大な坩堝}中に入れて〉混ざって》ゐる」といふ所の』一つのイメージを】表はしている。
然るに、
(21)
⑫ There-are{more-cultures-and-ethnic-backgrounds[in〔our-country(now)〕than〔there-have(ever been)〕]}⇒
⑫ {[〔(now)our-country〕in〔(ever been)there-have〕than]more-cultures-and-ethnic-backgrounds}there-are=
⑫ {[〔(現在)我が国〕では〔(嘗てあっ)た〕より]多くの文化や民族的背景が}存在します.
であれば、「返り点」は、
⑫ 戊 丁 丙 三 二 一 乙 甲
であるため、
(a)一 二 三
(b)甲 乙 丙 丁 戊
である。
(22)
⑬ This describes【an-image『that「people{of[many〔different(skin colors, religious beliefs and ethnic and linguistic backgrund)〕]}were《all blended〈into{one-giant-pot[that〔we now call(the United States)〕]}〉》」』】⇒
⑬ This 【『「{[〔(skin colors, religious beliefs and ethnic and linguistic backgrund)different〕many]of}people《all 〈{[〔we now (the United States)call〕that]one-giant-pot}into〉blended》were」that』an-image】describes=
⑬ これは【『「{[〔(肌の色, 宗教的信条に民族的そして言語的背景を)異にする〕多く]の}人々を《みな〈{[〔我々が今(合衆国と)呼ぶ〕所の]一つの巨大な坩堝}中に入れて〉混ざって》ゐる」といふ所の』一つのイメージ】表わしている。
であれば、
⑬ 癸  壬  辛 五 四 三 二 一 庚 己 戊 丁 丙 乙 甲
であるため、
(a)一 二 三 四 五
(b)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
である。
然るに、
(23)
⑭ 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕。秦必疑(楚)、不〔信(周)〕。是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也。周不〔敢不(受)〕]}〉⇒
⑭ 何〈{人(韓公叔)謂[秦之敢(周)絶而(韓)伐者、(東周)信也、公何〔(周地)与(質使)発(楚)之〕不。秦必(楚)疑、〔(周)信〕不。是韓(伐)不也]曰、又(秦)謂[韓彊(周地)与、且〔以(周於秦)疑〕也。周〔敢(受)不〕不]曰}令〉不=
⑭ 何ぞ〈{人をして(韓の公叔に)謂ひて[秦の敢へて(周)を絶って(韓を)伐たんとするは、(東周を)信ずればなり、公何ぞ〔(周に地を)与へ(質使を)発して(楚に)之かしめ〕ざる、秦必ず(楚を)疑ひ、〔(周を)信ぜ〕ざらん。是れ韓(伐たれ)ざらんと]曰ひ、又(秦に)謂ひて[韓彊ひて(周に地を)与ふるは、且に〔以て(周を秦に)疑はしめん〕なり。周〔敢へて(受け)ずんば〕あらずと]曰は}令め〉ざる。
ですら、
⑭ レ 丁 二 一 地 レ レ 二 一 下 二 一 二 一 上レ レ レ レ 天レ レ 丙 二 一 三 二 一 乙 甲レ
であるため、
(a)レ レ レ レ レ レ
(b)二 一、二 一、三 二 一
(c)天レ 地
(d)甲レ 乙 丙 丁 レ

である。
従って、
(24)
⑬ 癸  壬  辛 五 四 三 二 一 庚 己 戊 丁 丙 乙 甲
などといふ「返り点」は、「漢文訓読」であれば、「絶対に、有り得ない」し、
⑬ 癸  壬  辛 庚 己 戊 丁 丙 乙 甲
の次である、「十一番目」の「十干」はないため、仮に、
⑬ が「否定文」であれば、それだけで、「返り点」は「不足」する。
然るに、
(25)
通常の包含関係に従って甲乙点を打った後、その外側で四つの返り点が必要になったら、どうするのでしょうか。天地人点では足りません。その場合も、やはり甲乙点と天地人点の順序を逆転させるしかないのです。
(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、九一頁)
従って、
(25)により、
(26)
⑧ 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
といふ「61語」からなる「漢文」ですら、「天地点」は、「不足」しても、「甲乙点」が「不足」することなど、有り得ない。
加へて、
(27)
⑫ There-are{more-cultures-and-ethnic-backgrounds[in〔our-country(now)〕than〔there-have(ever been)〕]}.
の場合は、実際には、
⑫ There-are{more-cultures-and-ethnic-backgrounds(represented)[in〔our-country(now)〕than〔there-have(ever been)〕]}.
であるが、その場合には、
⑫(represented)を「無視」しない限り、
⑫ 現在我が国では、かつてないほど様々な異なる文化や民族的背景が存在しています。
(小坂貴志、小坂洋子、アメリカの小学校教科書で英語を学ぶ、2005年、36頁)
といふ風に、「翻訳」することは、出来ない。
(28)
以前にも述べた通り、
⑭ Who are you ?
⑮ What are you doing ?
のやうな「WH疑問文」に対して、「返り点・括弧」を加へることは、出来ない。
(29)
以上を要するに、「漢文訓読」の「返り点・括弧」と「英文訓読」の「返り点・括弧」は、「別物」である。
平成29年02月19日、毛利太。
―「関連記事」―
とある高校教師Sさんへ(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_17.html)。

2017年2月17日金曜日

とある高校教師Sさんへ。

とある高校教師Sさんへ。
(01)
① My cousin is three years younger than I
② He was walking with a dog in the park this morning.
③ I don't think that Antlers will be the chanpion this year.
④ I will send new rice to you by courier service next week.
⑤ We keep our rooms warm day and night in winter because my parents are old.
⑥ You must study English much harder to become a googler like your father in the future.
⑦ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese classics by using the method of understanding English.
(02)
① 私の従弟は、私よりも、若きこと、三歳である。
② 彼は昨日の朝、公園を、一匹の犬を連れて歩いていた。
③ 私はアントラーズが今年のチャンピオンになるであろうといふことを思はない。
④ 私は、来週、宅配便であなたに新米をお送りします。
⑤ 両親が高齢であるため、冬には、昼と夜、暖かく部屋を保ってゐる。
⑥ あなたは将来にあなたの父のやうなクーグルの職員になるようにもっと一生懸命英語を勉強しなければならない。
⑦ 私は必ずしも、英語を理解する方法を用ゐて、中国の古典を理解しようとする人間ではありません。
従って、
(03)
① My cousin is{three-years[younger〔than(I)〕]}⇒
① My cousin {[〔(I)than〕younger]three-years}is=
① 私の従弟は{[〔(私)より〕若きこと]三年}である。
(04)
② He was《walking〈with{a-dog[in〔the-park(this morning)〕]}〉》⇒
② He《〈{[〔(this morning)the-park〕in]a-dog}with〉walking》 was=
② 彼は《〈{[〔(今朝)公園〕を]一匹の犬}を連れて〉歩いて》ゐた。
(05)
③ I don't《think〈that{Antlers will[be〔the-chanpion(this year)〕]}〉》⇒
③ I 《〈{Antlers [〔(this year)the-chanpions〕be]will}that〉think》don't=
③ 私は《〈{アントラーズが[〔(今年の)チャンピオン〕になる]であらう}といふことを〉思は》ない。
(06)
④ I will「send《new-rice〈to{you[by〔courier-service(next week)〕]}〉》」⇒
④ I 「《〈{[〔(next week)courier-service〕by]you}to〉new-rice》send」will=
④ 私は「《〈{[〔(来週)宅急便〕で]あなた}に〉新米を》送りま」せう。
(07)
⑤ We keep『our-rooms「warm《day-and-night〈in{winter[ because〔my parents are(old)〕]}〉》」』⇒
⑤ We 『「《〈{[ 〔my parents(old) are〕because]winter}in〉day-and-night》warm」our-rooms』keep=
⑤ 我々は『「《〈{[ 〔両親が(高齢)である〕が故に]冬}は〉昼も夜も》暖かく」部屋を』保ってゐる。
(08)
⑥ You must(study【English『much-harder「to《become〈a-googler{like[your-father〔in(the future)〕]}〉》」』】)⇒
⑥ You (【『「《〈{[〔(the future)in〕your-father]like}a-googler〉become》to」much-harder』English】study)must=
⑥ あなたは(【『「《〈{[〔(将来)に〕あなたの父]のやうな}クーグルの職員に〉なるよう》に」もっと一生懸命』英語を】勉強し)なければならない。
然るに、
(01)~(08)により、
(09)
以上の、「英文訓読」に於ける、「返り点」は、
① 五 四 三 二 一
② 七 六 五 四 三 二 一
③ 七 六 五 四 三 二 一
④ 八 七 六 五 四 三 二 一
⑤ 九 八 七 六 五 四 三 二 一
⑥ 十一 十 九 八 七 六 五 四 三 二 一
である。
然るに、
(10)
日本語は「方分枝構造」であり、英語は「方分枝構造」を特色としている。
(小松達也、通訳の英語 日本語、2003年、98頁)
従って、
(10)により、
(11)
例へば、
① 五 四 三 二 一
① 五>四>三>二>一
といふ「返り点」は、「日本語」と「比較」するならば、
① My cousin is three years younger than I
といふ「英語」が、「方分枝構造」を特色としている。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(12)
⑦ 我非必求以解英文法解漢文者也=
⑦ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也⇒
⑦ 我{必[〔(英文)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
⑦ 我は{必ずしも[ 〔(英文を)解する法を〕以って(漢文を)解せんことを]求むる者に}非らざるなり。
であれば、「返り点」は、
⑦ 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
である。
従って、
(11)(12)により、
(13)
⑦ 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
⑦ 九>七>四>二>一六>五
といふ「返り点」は、「日本語」と「比較」するならば、
⑦ 我非必求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」が、「左右両方向、分枝構造」を特色としている。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(14)
⑧ I am{not[necessarily a-person〔who(tries【to『understand「Chinese-classics《by〈using{the-method[of〔understanding(English)〕]}〉》」』】)〕]}⇒
⑧ I {[necessarily 〔(【『「《〈{[〔(English)understanding〕of]the-method}using〉by》Chinese-classics」understand』to】tries)who〕a-person]not}am=
⑧ 私は{[必ずしも〔(【『「《〈{[〔(英語を)理解する〕の]方法を}用ゐること〉に依って》漢文を」理解し』ようと】試みる)所の〕人では]ない}のである。
であれば、「返り点」は、
⑧ 十四 十三 十二 十一 十 九 八 七 六 五 四 三 二 一
である。
従って、
(11)(14)により、
(15)
⑧ 十四 十三 十二 十一 十 九 八 七 六 五 四 三 二 一
⑧ 十四>十三>十二>十一>十>九>八>七>六>五>四>三>二>一
といふ「返り点」は、「日本語」と「比較」するならば、
⑧ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese classics by using the method of understanding English.
といふ「英語」が、「方分枝構造」を特色としている。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(16)
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以って漢文を解せんことを求むる者に非らざるなり。
⑧ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese classics by using the method of understanding English.
に於いて、「意味(命題)」としては、
⑦=⑧ である。
然るに、
(17)
⑦ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
⑧ I am{not[necessarily a-person〔who(tries【to『understand「Chinese-classics《by〈using{the-method[of〔understanding(English)〕]}〉》」』】)〕]}
に対する、
⑧ 九>七>四>二>一六>五
⑦ 十四>十三>十二>十一>十>九>八>七>六>五>四>三>二>一
を見れば分るやうに、「英文も漢文も語順が基本的に同じなのに」などといふことは、「明確な、マチガイ」である。
(18)
⑨ 漢文可〔与(英語)同(語順)〕。
⑩ Chinese classics should{have[the-same-word-order〔as(English)〕]}.
に対する、
⑨ 五>二>一四>三
⑩ 五>四>三>二>一
を見れば分るやうに、「英文も漢文も語順が基本的に同じなのに」などといふことは、「明確な、マチガイ」である。
(19)
⑩ 有〔朋自(遠方)来〕。不(亦楽)乎。
⑪ To〈have{friends[come〔from(afar)〕]}〉is(happiness)is(it)not?
に対する。
⑩ 四>二>一三、二>一
⑪ 六>五>四>三>二>一、二>一、二>一
を見れば分るやうに、「英文も漢文も語順が基本的に同じなのに」などといふことは、「明確な、マチガイ」である。
然るに、
(20)
とある高校教師S @hellohellock 2017-01-02 19:37:11
英文も漢文も語順が基本的に同じなのに、どうして漢文はいちいち返り点を打ってまで日本語の順番に直して(しかも古文風に)読む必要があるのか。英語と同じく、主語・動詞・目的語を見つけて読めばいいじゃないかと思う。
「漢文を横書きにしてSVOで読み進める手法」を提唱したい。返り点は廃止。
然るに、
(21)
「英語と同じく、主語・動詞・目的語を見つけて読めばいいじゃないかと思う。」とは言ふものの、
「漢文における省略のしかたの一定規則を見出すことができたとしたら、博士学位論文としてりっぱにパスするよ、けれども、これまで、これまでそんな学位論文など聞いたことがない。ということは、省略の規則なんて研究のしようがないということだ(二畳庵主人、漢文法基礎、362頁)。」との、ことである。
従って、
(22)
主語や目的」が「書かれてゐない(省略されてゐる)」場合には、「主語・動詞・目的語を見つけて読むこと」は、出来ない。
加之(しかのみならず)、
(23)
そして重野の講演を後れること七年、文化大学の講師を務めていたイギリス人チャンバレン氏も一八八六年『東洋学芸雑誌』第六一号に「支那語読法ノ改良ヲ望ム」を発表し、「疑ハシキハ日本人ノ此支那語ヲ通読スル伝法ナリ、前ヲ後ニ変へ、下ヲ上ニ遡ラシ、本文ニ見へザル語尾ヲ附シ虚辞ヲ黙シ、若クハ再用スル等ハ、漢文ヲ通読スルコトニアランヤ。寧ロ漢文ヲ破砕シテ、其片塊ヲ以テ随意ニ別類ノ一科奇物ヲ増加セリト云フヲ免カレンヤ。」「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、50頁)。
従って、
(24)
まず第一に、「返り点は廃止」といふ「とある高校教師S」さんの「提言」は、聞く人によっては、百三十年以上も前から、繰り返し、「耳にタコが出来るほど、聞かされて来た話」である。
従って、
(25)
「とある高校教師S」の「提言」が「正しい」のであれば、「さのやうな提言」は、「二十世紀の間」に、「実現」してゐたことになる。
従って、
(26)
「漢文訓読」といふ「現象」は、少なくとも、
「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」
と言へば、それで「お終い」になるやうな、「単純なもの」ではない。
平成29年02月17日、毛利太。

2017年2月16日木曜日

「括弧」の読み方。

(01)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
に於いて、
① は、「括弧」である。
② は、「括弧」である。
③ は、「括弧」である。
④ は、「括弧」である。
(02)
① 囗( )
② 囗〔 〕
③ 囗[ ]
④ 囗{ }
に於いて、
① 囗 は、「括弧の、直接の左」である。
② 囗 は、「括弧の、直接の左」である。
③ 囗 は、「括弧の、直接の左」である。
④ 囗 は、「括弧の、直接の左」である。
従って、
(02)により、
(03)
⑤ #囗{#囗[囗〔囗(##)#〕囗(##)]#}#。
であれば、
⑤  囗  囗 囗 囗      囗
からなる「五個」は、「括弧の、直接の左」であって、
⑤ #  #        ## #   ##  # #
からなる「九個」は、「括弧の、直接の左」ではない
従って、
(03)により、
(04)
⑥ 解(英文)法
に於いて、
⑥ 解
は「括弧の、直接の左」であって、
⑥     英文
は「括弧の、直接の左」ではなく
⑥       法
も「括弧の、直接の左」ではない
然るに、
(05)
(Ⅰ)「括弧の、直接の左」でない「漢字」は、 そのまま、 「左から右へ」読む。
(Ⅱ)「括弧の、直接の左」である「漢字」は、「括弧の中」を「左から右へ」読み終へた「直後」に読む。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
⑥ 解(英文)法
であれば。
⑥ 英文を+解する+法
といふ「順番」で、「訓読」する。
従って、
(03)(05)(06)により、
(07)
⑦ 以〔解(英文)法〕
であれば、
⑦ 英文を+解する+法+以て
といふ「順番」で、「訓読」する。
従って、
(03)(05)(07)により、
(08)
⑧ 以〔解(英文)法〕解(漢文)
であれば、
⑧ 英文を+解する+法+以て+漢文を+解す
といふ「順番」で、「訓読」する。
従って、
(03)(05)(08)により、
(09)
⑨ 必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者
であれば、
⑨ 必ず+英文を+解する+法+以て+漢文を+解せんことを+求る+者
といふ「順番」で、「訓読」する。
従って、
(03)(05)(09)により、
(10)
⑩ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
であれば、
⑩ 我は+必ず+英文を+解する+法+以て+漢文を+解せんことを+求る+者に+非ざる+なり。
といふ「順番」で、「訓読」する。
然るに、
(11)
⑩ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
⑩ 非{ }⇒{ }非
⑩ 求[ ]⇒[ ]求
⑩ 以〔 〕⇒〔 〕以
⑩ 解( )⇒( )解
⑩ 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
⑩ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也⇒
⑩ 我{必[〔(英文)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
⑩ 我は{必ずしも[〔(英文を)解する法を〕以って(漢文を)解せんことを]求むる者に}非らざるなり。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑩ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
であれば、
⑩ 我は+必ず+英文を+解する+法+以て+漢文を+解せんことを+求る+者に+非ざる+なり。
⑩ 我は{必ずしも[〔(英文を)解する法を〕以って(漢文を)解せんことを]求むる者に}非らざるなり。
である。
従って、
(05)(11)(12)により、
(13)
⑩ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
(Ⅰ)「括弧の、直接の左」でない「漢字」は、 そのまま、 「左から右へ」読む。
(Ⅱ)「括弧の、直接の左」である「漢字」は、「括弧の中」を「左から右へ」読み終へた「直後」に読む。
といふ『ルール』を守ることは、
⑩ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
⑩ 非{ }⇒{ }非
⑩ 求[ ]⇒[ ]求
⑩ 以〔 〕⇒〔 〕以
⑩ 解( )⇒( )解
⑩ 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふことに、等しい。
然るに、
(14)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(13)(14)により、
(15)
⑩ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
に於ける「括弧」は、「漢文の補足構造」に、他ならない。
平成29年02月16日、毛利太。
―「関連記事」― 「括弧(管到)」は有るのだ(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_6.html)。
「括弧」と「返り点」(H29年2月9日)〔http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_9.html〕。
「括弧(カッ・コ)」と「返り点」が付く「位置」について(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_10.html)。
「返り点」が、「括弧」に「置き換へ可能」である「理由」(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_11.html)。

2017年2月11日土曜日

「返り点」が、「括弧」に「置き換へ可能」である「理由」。

(01)
(a) レ
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(e) 天 地 人
は、「学校」で習ふ「返り点」である。
然るに、
(02)

従って、
(02)により、
(03)
(a) レ
の場合は、
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(e) 天 地 人
に、「置き換へ」ることが、出来る。
従って、
(03)により、
(04)
(a) レ
は、「不要」である。
然るに、
(05)
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(e) 天 地 人
に於いて、
(b) を挟んで「返る」ときには、(c)を用ゐる。
(c) を挟んで「返る」ときには、(d)を用ゐる。
(d) を挟んで「返る」ときには、(e)を用ゐる。
といふ『ルール(条件)』がある。
従って、
(05)により、
(06)
そのやうな『ルール(条件)』が有る以上、
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
だけがあれば、
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(e) 天 地 人
は、「不要」である。
といふことには、ならない。
然るに、
(07)
① 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
であれば、『ルール(条件)』を満たしてゐる。
然るに、
(02)により、
(08)
⑫ 地 乙 二 レ   一レ  甲レ  レ   天レ
であれば、
⑫ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
に「等しい」。
従って、
(07)(08)により、
(09)
⑫ 地 乙 二 レ   一レ  甲レ  レ   天レ
の場合も、『ルール(条件)』を満たしてゐる。
然るに、
(10)
① 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ、「返り点」は、
① 一 二 上 中 下 甲 乙 丙 一 二 天 地 人
といふ「それ」を、「からへ読む」場合と「同じ順番」になるやうに、「読」される。
然るに、
(11)
然るに、
① 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}。
に於いて、
① 地( )⇒( )地
① 人{ }⇒{ }人
① 乙( )⇒( )乙
① 丙[ ]⇒[ ]丙
① 中( )⇒( )中
① 下〔 〕⇒〔 〕下
① 二( )⇒( )二
① 二( )⇒( )二
といふ「移動」を行ふと、
① 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}⇒
① {[〔(一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)地}人=
① 一 二 上 中 下 甲 乙 丙 一 二 天 地 人。
従って、
(08)~(11)により、
(12)
例へば、
① 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑫ 地 乙 二 レ   一レ  甲レ  レ   天レ
といふ「返り点」が表す「順番」は、
① { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
⑫ { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
といふ「括 弧」が表す「順番」に等しい。
然るに、
(13)
  ①
人=使
  籍
  誠
丙=不
下=以
二=畜
  妻
一=子
中=憂
  飢
上=寒
乙=乱
  良
甲=心
二=有
  銭
一=財
  以
地=済
  医
天=薬
に於いて、
「地」を「天」の下に「移動」し、
「人」を「地」の下に「移動」し、
「乙」を「甲」の下に「移動」し、
「丙」を「乙」の下に「移動」し、
「中」を「上」の下に「移動」し、
「下」を「中」の下に「移動」し、
「二」を「一」の下に「移動」し、
「二」を「一」の下に「移動」するならば、
  ①
  籍をして、
  誠に
  妻
一=子を
二=畜ひ
  飢
上=寒を
中=憂ふるを
下=以て
  良
甲=心を
乙=乱さ
丙=不
  銭
一=財
二=有りて
  以て
  医
天=薬を
地=済さ
人=使しむ。
従って、
(12)(13)より、
(14)
① 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
の「訓読」が、
① 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さ不銭財有りて以て医薬を済さ使む。
であるならば、「返り点」は、
① 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地
である。
然るに、
(15)
  ②
  籍
  誠
丙=不
=使
下=以
二=畜
  妻
一=子
中=憂
  飢
上=寒
乙=乱
  良
甲=心
二=有
  銭
一=財
  以
地=済
  医
天=薬
に於いて、
「地」を「天」の下に「移動」し、
「人」を「地」の下に「移動」し、
「乙」を「甲」の下に「移動」し、
「丙」を「乙」の下に「移動」し、
「中」を「上」の下に「移動」し、
「下」を「中」の下に「移動」し、
「二」を「一」の下に「移動」し、
「二」を「一」の下に「移動」するならば、
  ②
  籍をして、
  誠に
  妻
一=子を
二=畜ひ
  飢
上=寒を
中=憂ふるを
下=以て
  良
甲=心を
乙=乱さ
丙=不
  銭
一=財
二=有りて
  以て
  医
天=薬を
地=済さ
=使しむ。
である。
然るに、
(16)
  ②
  籍
  誠
丙=不
下=以
二=畜
=使
  妻
一=子
中=憂
  飢
上=寒
乙=乱
  良
甲=心
二=有
  銭
一=財
  以
地=済
  医
天=薬
であれば、
② 丙 下 二  一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
であるため、
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
天 地 人
ではなく、
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
である。
従って、
(05)(15)(16)により、
(17)
実際には、
 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」に対して、
② 丙 下 二  一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「それ」は、「返り点」ではない
然るに、
(18)
① 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
であるならば、
② 丙〔下〔二(人一)中(上)〕乙(甲)〕二(一)地(天)}
でなければ、ならない。
然るに、
(19)
丙〔下〔二
は、「括弧」ではない
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
① 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
であれば、「返り点・括弧」であるが、
② 丙〔下〔二(人{一)中(上)〕乙(甲)〕二(一)地(天)}
であれば、「返り点・括弧」ではない
従って、
(05)(12)(16)(20)により、
(21)
「返り点」には、
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(e) 天 地 人
に於いて、
(b) を挟んで「返る」ときには、(c)を用ゐる。
(c) を挟んで「返る」ときには、(d)を用ゐる。
(d) を挟んで「返る」ときには、(e)を用ゐる。
といふ『ルール(条件)』があるからこそ、
例へば、
① 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑫ 地 乙 二 レ   一レ  甲レ  レ   天レ
といふ「返り点」が表す「順番」は、
① { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
⑫ { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
といふ「括 弧」が表す「順番」に等しい。
といふ、ことになる。
従って、
(03)(21)により、
(22)
① 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑫ 地 乙 二 レ   一レ  甲レ  レ   天レ
といふ「返り点」が表す「順番」を、
① { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
⑫ { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
といふ「括 弧」が表すことが可能な『理由』は、
(a) レ
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(e) 天 地 人
に於いて、
(a) レ
の場合は、
(b) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(c) 上 中 下
(d) 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(e) 天 地 人
に、「置き換へることが、出来尚且つ
(b) を挟んで「返る」ときには、(c)を用ゐる。
(c) を挟んで「返る」ときには、(d)を用ゐる。
(d) を挟んで「返る」ときには、(e)を用ゐる。
といふ『ルール(条件)』あるからである
―「関連記事」―
「括弧(管到)」は有るのだ(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_6.html)。
「括弧」と「返り点」(H29年2月9日)〔http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_9.html〕。
「括弧(カッ・コ)」と「返り点」が付く「位置」について(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_10.html)。

2017年2月10日金曜日

「括弧(カッ・コ)」と「返り点」が付く「位置」について。

(01)
A~Z には、「返り点」が付く。
#~# には、「返り点」が付かない
従って、
(01)により、
(02)
① B(A)。
であれば、 
① B A
には、「返り点」が付く。
従って、
(01)(02)により、
(03)
② #B(#A)#。
であれば、
② #  #  #
には、「返り点」が付かない
従って、
(01)(03)により、
(04)
③ C〔B(#A)〕。
であれば、
③         #
には、「返り点」が付かない
従って、
(01)(04)により、
(05)
④ D〔B(#A)C〕#。
であれば、
④         #    #
には、「返り点」が付かない
(06)
①   B( A)。
②  #B(#A)#。
③ C〔B(#A)〕。
④ D〔B(#A)C〕#。
は、具体的には、
①   読( 書)   =(書を)読む。
②  我読(漢文)矣  =我は(漢文を)読む矣。
③ 不〔読(漢文)〕  =〔(漢文を)読ま〕ず。
④ 非〔読(漢文)者〕也=〔(漢文を)読む者に〕非ざる也。
であって、「返り点」は、それぞれ、次の通りである。

(07)
(〔[{ を、「カツ」と呼び、
 ) 〕]} を、「 」と呼ぶ。ことにする。
従って、
(06)(07)により、
(08)
例へば、
③ C〔B(#A)〕。
であれば、
③「カツの、直」は、CとBによる、「2個」であって、
③「 コ の、直」は、A  による、「1個」である。
(09)
④ D〔B(#A)C〕#。
であれば、
④「カツの、直」は、DとBによる、「2個」であって、
④「 コ の、直」は、AとCによる、「2個」である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
カツの、直左の、個数」 の、直左の、個数」
である。
従って、
(06)~(10)により、
(11)
(Ⅰ)「カツの、直左」に在る「漢字」には「返り点」が付く。
(Ⅱ)「 コ の、直左」に在る「漢字」にも「返り点」が付く。
(Ⅲ)「 コ の、直左」には、「漢字」が有るとは限らないため、「漢字」が無い場合は、「返り点」は付かない。
といふ、ことになる。
然るに、
(12)

従って、
(12)により、
(13)
⑤ レ レ レ
⑥ レ 二 一レ
⑦ 二 一レ レ
⑧ 二 一レ 三 二‐ 一
のやうな「返り点」は、
⑤ 四 三 二 一
⑥ 四 三 二 一
⑦ 四 三 二 一
⑧ 五 四 三 二‐ 一
といふ「返り点」と、「同じこと」である。
従って、
(11)(13)により、
(14)
(Ⅰ)「レ点」は、「レ点」以外の「返り点」に「置き換へ」るとして、
(Ⅱ)「カツの、直左」に在る「漢字」には「返り点」が付く。
(Ⅲ)「 コ の、直左」に在る「漢字」にも「返り点」が付く。
(Ⅳ)「 コ の、直左」には、「漢字」が有るとは限らないため、「漢字」が無い場合は、「返り点」は付かない。
従って、
(14)により、
(15)
返り点」が付くのは、
(Ⅱ)「カツの、直」に在る「漢字」と、
(Ⅲ)「 の、直」に在る「漢字」である。
然るに、
(16)
返り点」が付くのは、
(Ⅱ)「カツの、直」に在る「漢字」と、
(Ⅲ)「 の、直」に在る「漢字」である。
といふのであれば、例へば、
⑨ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也⇒
⑨ 我{必[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
⑨ 我は必ずしも中国語を解する法を以って漢文を解せんことを求る者に非ざるなり。
に於ける、
⑨ 我 非 必 求 中国語 漢文 也。
⑨ 我 非 必 求 中国語 漢文 也。
がさうであるやうに、「返り点」が付く「漢字の、直」には、「括弧(カツ)」が、無ければ、ならない。
平成29年02月10日、毛利太。
―「関連記事」―

「括弧(管到)」は有るのだ(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_6.html)。
「括弧」と「返り点」(H29年2月9日)〔http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_9.html〕。

2017年2月9日木曜日

「括弧」と「返り点」(H29年2月9日)。

(01)
① 読(漢文)。
に於いて、
① 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
① 読(漢文)⇒
① (漢文)読=
① (漢文を)読む。
(02)
② 文(読〔漢)〕。
に於いて、
② 文( )⇒( )文
② 読〔 〕⇒〔 〕読
といふ「移動」を行ふと、
② 文(読〔漢)〕⇒
② (〔漢)文〕読=
② (〔漢)文を〕読む。
然るに、
(03)
① 読漢文=漢文を読む。
に対して、言ふまでもなく、
② 文読漢=漢文を読む。
などといふ「漢文」は、存在しない。
然るに、
(04)
① 3(12)。
に於いて、
① 3( )⇒( )3
といふ「移動」を行ふと、
① 3(12)⇒
① (12)3=
① 1 2 3。
(05)
② 2(3〔1)〕。
に於いて、
② 2( )⇒( )1
② 3〔 〕⇒〔 〕3
といふ「移動」を行ふと、
② 2(3〔1)〕⇒
② (〔1)2〕3=
② 1 2 3。
然るに、
(06)
② 2(3〔1)〕。
に於ける、
②  (  )
②    〔 
のやうな「それ」は、「括弧」ではない。
従って、
(05)(06)により、
(07)
「括弧」の場合は、
② 2<3>1 & 2-1=1
のやうな「順番」を、
② 1<2<3
のやうな「順番」に、「並び替へ(ソートす)る」ことが出来ない。
然るに、
(08)
② 文読漢=漢文を読む。
の「返り点」は、「それ」が有るとすれば、
② 文=漢を読む。
である。
然るに、
(09)
「返り点」は、「下から上へ返る・点」であるからこそ、「返り点」である。
従って、
(09)により、
(10)
 二
 ↑ ↓
 ↑
 一
のやうに、「下から上へ返り、からへ戻る・点」は、「返り点」ではない。
従って、
(03)(06)(07)により、
(11)
② 文読漢=漢文を読む。
といふ「漢 文」は、存在せず、
② 文(読〔漢)〕。
といふ「括 弧」は、存在せず、
② 文
といふ「返り点」は、存在しない。
然るに、
(12)
③ 我非{求[必以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也=
③ 1E{C[28〔6(345)7〕B(9A)]D}F。
に於いて、
③ E{ }⇒{ }E
③ C[ ]⇒[ ]C
③ 8〔 〕⇒〔 〕8
③ 6( )⇒( )6
③ B( )⇒( )B
といふ「移動」を行ふと、
③ 我非{求[必以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也=
③ 1E{C[28〔6(345)7〕B(9A)]D}F⇒
③ 1E{[2〔(345)67〕8(9A)B]D}CF=
③ 我{[必〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
③ 我は必ずしも中国語を解する法を以って漢文を解せんことを求る者に非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(13)
③ 1E{C[28〔6(345)7〕B(9A)]D}F。
に於いて、
③ 1E{C[#8〔6(##5)7〕B(#A)]D}#。
とするならば、
③ #    #    ##      #     #
に対しては、「返り点」が付かない。
従って、
(13)により、
(14)
③ 我非{求[必以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
③ 1E{C[28〔6(345)7〕B(9A)]D}F。
③ 1地{丙[2下〔二(34一)上〕乙(9甲)]天}F。
に於いて、
③ E には、地 が付き、
③ C には、丙 が付き、
③ 8 には、下 が付き、
③ 6 には、二 が付き、
③ 5 には、一 が付き、
③ 7 には、上 が付き、
③ B には、乙 が付き、
③ A には、甲 が付き、
③ D には、天 が付く。
cf.

然るに、
(15)
③ 1 2 8 6 3 4 5 7 B 9 A D F。
③ 1 2 下 二 3 4 一 上 乙 9 甲 天 F。
といふ「順番」を、例へば、
④ 1 C E 2 8 6 3 4 5 7 B 9 A D F。
④ 1 丙 地 2 下 二 3 4 一 上 乙 9 甲 天 F。
とした上で、「括弧」を加へると、
④ 1C[E{28〔6(345)7〕B(9A)]D}F。
④ 1丙[地{2下〔二(34一)上〕乙(9甲)]天}F。
然るに、
(06)により、
(16)
④ C[E{ ]D}
④ 丙[地{ ]天}
に於ける、
④  [  ]
④    {  }
のやうな「それ」は、「括弧」ではない。
(17)
(a) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(b) 上 中 下
(c)    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(d)   人
に於いて、
(a) を挟んで「返る」ときには、(b)を用ゐる。
(b) を挟んで「返る」ときには、(c)を用ゐる。
(c) を挟んで「返る」ときには、(d)を用ゐる。
従って、
(17)により、
(18)
④ 1 丙 地 2 下 二 3 4 一 上 乙 9 甲 天 F。
のやうな「それ」、すなはち、
   
のやうな「それ」は、「返り点」ではない。
然るに、
(19)
A(16進法)=10(10進法)
B(16進法)=11(10進法)
C(16進法)=12(10進法)
D(16進法)=13(10進法)
E(16進法)=14(10進法)
F(16進法)=15(10進法)
従って、
(15)(19)により、
(20)
③ 1 E C 2 8 6 3 4 5 7 B 9 A D F。
の中には、
② 2<3>1 & 2-1=1
のやうな「順番」は、表れない。
然るに、
(15)(19)により、
(21)
④ 1 2 8 6 3 4 5 7 9 A D F。
の場合は、
④ 12<14>11 & 12-11=1
といふ「順番」を、含んでゐる。
従って、
(11)(15)~(21)により、
(22)
(a) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(b) 上 中 下
(c) 甲 乙 丙 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(d) 天 地 人
に於いて、
(a) を挟んで「返る」ときには、(b)を用ゐる。
(b) を挟んで「返る」ときには、(c)を用ゐる。
(c) を挟んで「返る」ときには、(d)を用ゐる。
(d)「下から上へ返り、上から下へ戻る・点」は、「返り点」ではない。
といふ「ルール」がある限り、
②  2< 3> 1 &  2- 1=1
④ 12<14>11 & 12-11=1
のやうな「順番」に対しては、「括弧・返り点」を、用ゐることが出来ない。
然るに、
(23)

従って、
(23)により、
(24)
⑤ レ レ レ
⑥ レ 二 一レ
⑦ 二 一レ レ
⑧ 二 一レ 三 二‐ 一
のやうな「返り点」は、
⑤ 四 三 二 一
⑥ 四 三 二 一
⑦ 四 三 二 一
⑧ 五 四 三 二‐ 一
といふ「返り点」と、「同じこと」である。
従って、
(24)により、
(25)
⑤ レ レ レ
⑥ レ 二 一レ
⑦ 二 一レ レ
⑧ 二 一レ 三 二‐ 一
のやうな「レ点」を用ゐて、
②  2< 3> 1 &  2- 1=1
④ 12<14>11 & 12-11=1
のやうな「順番」を表すことは、出来ない。
従って、
(22)(25)により、
(26)
(a) 一 二 三 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(b) 上 中 下
(c) 甲 乙 丙 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(d) 天 地 人
(e) レ
に対する、
(a)( )
(b)〔 〕
(c)[ ]
(d){ }
との間に、「過不足」が生じない限り、
「括り弧」が表し得る「順番」は、
「返り点」が表し得る「順番」に、等しい。
(27)
⑨ 五{四[三〔二(一)〕]}。
⑩ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]地[下〔二(一)上〕天]}。
従って、
(27)により、
(28)
(a)( )
(b)〔 〕
(c)[ ]
(d){ }
であれば、
⑧ 五 四 三 二 一
だけでなく、例へば、
⑨ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 下 二 一 上 天
といふ「返り点」と、「同じ順番」を、表すことが出来る。
(29)
(a)( )
(b)〔 〕
(c)[ ]
(d){ }
(e)〈 〉
であれば、「私が知る限りの、全ての返り点」と、「同じ順番」を、表すことが出来る。
平成29年02月09日、毛利太。
―「関連記事」―
「括弧(管到)」は有るのだ(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_6.html)。

2017年2月6日月曜日

「括弧(管到)」は有るのだ。

(01)
① A(B+C)+D=AB+AC+ D
② A(B+C+D)=AB+AC+AD
に於いて、
① であれば、A の「意味」は、(B+C)  に及んでゐて、
② であれば、A の「意味」は、(B+C+D)に及んでゐる。
然るに、
(02)
③ 読文=文を読む。
に於いて、
③ 読 の「意味」は、文 に及んでゐる。
従って、
(01)(02)により、
(03)
③ 読(文)=(文を)読む。
である。
然るに、
(04)
④ 読文者=文を読む者。
であれば、
を 読む のであって、文者 を 読むのではない。
従って、
(04)により、
(05)
④ 読(文)者=(文を)読む者。
であって、
④ 読(文者)=(文者を)読む。
ではない。

従って、
(06)
⑤ 無読(文)者=(文を)読む者無し。
であれば、
⑤ 無い のは、
④ 読(文)者=(文を)読む者。
である。
従って、
(06)により、
(07)
⑤ 無〔読(文)者〕=〔(文を)読む者〕無し。
である。
(08)
⑥ 非無読文者=文を読む者無きに非ず。
であれば、
⑥ 非無読文者。
の場合は、
⑤   無読文者。
の「否定」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
⑥ 非[無〔読(文)者〕]=[〔(文を)読む者〕無きに]非ず。
である。
従って、
(09)により、
(10)
⑥ 非[無〔読(文)者〕]。
に対して、
⑦ 必(連用修飾語)
⑦ 漢(連体修飾語)
を加へると、
⑦ 非[必無〔読(漢文)者〕]。
といふ、ことになる。
然るに、
(11)
⑦ 連用修飾語
⑦ 連体修飾語
等に関しては、「漢文」も「訓読」も、「同じ語順」である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑦ 非[必無〔読(漢文)者〕]。
に於いて、
⑦ 非[ ]⇒[ ]非
⑦ 無〔 〕⇒〔 〕無
⑦ 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
⑦ 非[必無〔読(漢文)者〕]⇒
⑦ [必〔(漢文)読者〕無]非=
⑦ 必ずしも〔(漢文を)読む者〕無きに]非ず=
⑦ 必ずしも、漢文を読む者がゐないわけではない。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(13)
このように、否定形や反語形のときは、その否定語がどこまでかかっているかということをみきわねばならない。そのとき、諸君たちはさきほどのような初等数学の代入する式をたてて見ることだ。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、327頁)
従って、
(13)により、
(14)
二畳庵主人こと、加地伸行先生に対して、
⑦ 非必無読漢文者。
に於いて、
⑦ 非 は、どこまでかかってゐる(及んでゐる)
⑦ 無 は、どこまでかかってゐる(及んでゐる)
⑦ 読 は、どこまでかかってゐる(及んでゐる)
といふことを、「質問」することが出来る。
然るに、
(15)
加地先生の「答へ」は、
[必無読漢文者]。
⑦    〔読漢文者〕
⑦      (漢文)
であったとする。
然るに、
(16)
加地先生に対して、
⑦ 非
⑦ 無
⑦ 読
といふ「三つの漢字」に、「返り点」は付きますか。
といふ風に、「質問」することが出来る。
然るに、
(17)
加地先生の「答へ」は、「YES」であったとする。
然るに、
(18)
⑦ 非[必無〔読(漢文)者〕]。
であって、尚且つ、
⑦ 非
⑦ 無
⑦ 読
といふ「三つの漢字」に、「返り点」が付くのであれば、「返り点」は、
⑦ 非必無漢文
である。
然るに、
(19)
⑦「返り点」が、
⑦ 非必無漢文
であるならば、
⑦「 訓読 」は、
⑦ 必ずしも漢文を読む者無きに非ず.
でなければ、ならない。
従って、
(12)(19)により、
(20)
⑦ 非[必無〔読(漢文)者〕]。
といふ「括弧」は、
⑦ 非必無漢文
といふ「返り点」と、「同じ語順」を表はしてゐる。
然るに、
(21)
⑥ 非[_無〔読(_文)者〕]。
⑦ 非[必無〔読(漢文)者〕]。
に於いて、
⑥ の「括弧」と、
⑦ の「括弧」は、「等しい」。
然るに、
(09)により、
(22)
⑥ 非[無〔読(文)者〕]=
⑥ [〔(文を)読む者〕無きに]非ず。
であるものの、「訓読」が、
⑥ 文を読む者無きに非ず。
であれば、「返り点」
⑥ 非文者
である。
然るに、
(23)
管到というのは「上の語が、下のことばどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(20)~(23)により、
(24)
⑥ 非[_無〔読(_文)者〕]。

⑦ 非[必無〔読(漢文)者〕]。
に於いて、
⑥ の「括弧(管到)」と、
⑦ の「括弧(管到)」が、「等しい」。
にも拘はらず、
⑥ 非 無 文 者
⑦ 非必無漢文
に於いて、
⑥ の「返り点(レ二レ 一)」と、
⑦ の「返り点(下中二一上)」が、「同じ」ではない
従って、
(24)により、
(25)
「返り点」の場合は、「語順」は、表はしてゐるものの、
「 括弧 」のやうに、「管到」を、表はしては、ゐない
平成29年02月06日、毛利太。

2017年2月5日日曜日

「加法の分配法則」と「括弧は有ります!」。

(01)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
であるならば、
① その人は男性である。
(02)
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
であるならば、
① その人は日本人で学生である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
であるならば、
① その人は男性である。
① その人は日本人で学生である。
従って、
(03)により、
(04)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
であるならば、
① その人は男性である日本人学生である。
である。
(05)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
)その人は女性で、日本人で教師である。
であるならば、
② その人は男性であるか日本人である。
である。
(06)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
)その人は女性で、米国人で学生である。
であるならば、
② その人は男性であるか学生である。
である。
然るに、
(05)(06)により、
(07)
)その人は女性で、米国人で学生である。
は、(05)には無く
)その人は女性で、日本人で教師である。
は、(06)には無い
従って、
(07)により、
(08)
(05)であって、尚且つ
(06)であるならば、
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
でなければ、ならない。
従って、
(05)(06)(08)により、
(09)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
であるならば、
② その人は男性である日本人、男性である学生である。
である。
従って、
(04)(09)により、
(10)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
であるならば、
① その人は男性である日本人学生である。
であって、
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
であるならば、
② その人は男性である日本人、男性である学生である。
である。
従って、
(10)により、
(11)
① その人は男性である日本人学生である。
② その人は男性である日本人、男性である学生である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(11)により、
(12)
① 男性、日本人学生。
② 男性日本人、男性学生。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
A=男性
B=日本人
C=学生
とし、
で=&
か=∨
とする。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① A∨B&C
② A∨B&A∨B
に於いて、
①=② である。
然るに、
(15)
① A∨(B&C)
②(A∨B)&(A∨B)
に於いて、
①=② である。
は、「(論理学に於ける)定理」である。
従って、
(13)(15)により、
(16)
①  男性(日本人学生)。
②(男性日本人)(男性学生)。
に於いて、
①=② である。
は、「(論理学に於ける)定理」である。
従って、
(12)(16)により、
(17)
①  男性か、日本人で学生。
②  男性か日本人で、男性か学生。
といふ「日本語」には、
①  男性か(日本人で学生)。
②(男性か日本人)で(男性か学生)。
といふ「括弧」が、なければならない。
然るに、
(18)
① 男性か、日本人で学生。
から、
① 男性 を除くと、
①      日本人で学生。
(19)
② 男性か日本人で、男性か学生。
から、
② 男性      男性 を除くと、
②     日本人で    学生。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① 男性か、日本人で学生。
② 男性か日本人で、男性か学生。
に於いて、
① 男性 を「否定」し、
② 男性 を「否定」すると、
① 日本人で学生。
② 日本人で学生。
(21)
① 男性か、日本人で学生。
から、
①     日本人で学生
を除くと、
① 男性。
(22)
② 男性か日本人で、男性か学生。
から、
②    日本人で    学生
を除くと、
② 男性か     男性
である。
然るに、
(23)
② 男性か     男性
であれば、
② 男性。
である。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
① 男性か、日本人で学生。
② 男性か日本人で、男性か学生。
に於いて、
① 日本人で学生 を「否定」し、
② 日本人で学生 を「否定」すると、
① 男性。
② 男性。

である。
従って、
(20)(24)により、
(25)
① 男性か、日本人で学生。
② 男性か日本人で、男性か学生。
に於いて、確かに、
①=② である。
として、「矛盾」はない。
然るに、
(26)
① 男性か、日本人で学生。
② 男性か日本人で、男性か学生。
に於いて、
① の場合は、 「普通」であるが、
② に関しては、「普通」は、このやうな「言ひ方」はしない。
然るに、
(27)
① 男性か、日本人で学生。
である以上、
① 男性
であるならば、
① 日本人で学生
である「必要」は無い。
然るに、
(28)
① 日本人で学生
である「必要」が無い。
のであれば、
学生
である「必要」も無い
然るに、
(29)
③ 男性か日本人で、学生。
であるならば、
③ 男子学生
であるか、
③ 日本人学生
であるか、
③ 日本人男子学生
であるかの、「いづれか」である。
然るに、
(30)
③ 男子学生
であるか、
③ 日本人学生
であるか、
③ 日本人男子学生
であるかの、「いづれか」である。
ならば、
学生
である「必要」が有る
従って、
(27)~(30)により、
(31)
① 男性か、日本人で学生。
③ 男性か日本人で、学生。
に於いて、
① ならば、「学生」である「必要」が有って
③ ならば、「学生」である「必要」が無い
従って、
(31)により、
(32)
① 男性か、日本人で学生。
③ 男性か日本人で、学生。
に於いて、
①≠③
であって、
①=③
ではない。
然るに、
(33)
①  男性か(日本人で学生)
であれば、
①  男性か、日本人で学生。
である。
(34)
③(男性か日本人)で学生
であれば、
③  男性か日本人で、学生。
である。
然るに、
(32)により、
(35)
① 男性か日本人で学生。
③ 男性か日本人で学生。
に於いて、
①=③ ではない。
のであれば、
① 男性か、日本人で学生。
③ 男性か日本人で、学生。
でなければ、ならない。
従って、
(33)(34)(35)により、
(36)
① 男性か日本人で学生。
③ 男性か日本人で学生。
に於いて、
①=③ ではない。
のであれば、
①  男性か(日本人で学生)
③(男性か日本人)で学生。
でなければ、ならない。
然るに、
(37)
① 男性か、日本人で学生。
③ 男性か日本人で、学生。
といふ「日本語」を、
① 男性かテン日本人で学生マル
③ 男性か日本人でテン学生マル
といふ風に読む「日本人」はゐない。
従って、
(37)により、
(38)
① 男性かカッコ日本人で学生カッコ閉じ
③ カッコ男性か日本人カッコ閉じで学生
といふ「日本語」を話す「日本人」はゐない。
からと言って、
①  男性か(日本人で学生)
③(男性か日本人)で学生
といふ「日本語」が「存在」しない。
といふことには、ならない。
従って、
(35)~(38)により、
(39)
① 男性か日本人で学生。
③ 男性か日本人で学生。
といふ「日本語」に、
① 男性か、日本人で学生。
③ 男性か日本人で、学生。
といふ「 点 」があるやうに、
① 男性か日本人で学生。
③ 男性か日本人で学生。
といふ「日本語」には、
①  男性か(日本人で学生)
③(男性か日本人)で学生
といふ「括弧」が有ります!
従って、
(13)(39)により、
(40)
① AかBでC。
③ AかBでC。
といふ「日本語」には、
①  A∨(B&C)
③(A∨B)&C
といふ「括弧」が有ります!
平成29年02月05日、毛利太。
―「関連記事」―
「乗法の分配法則」と「括弧は有ります!」(http://kannbunn.blogspot.com/2017/02/blog-post_4.html)。

2017年2月4日土曜日

「乗法の分配法則」と「括弧は有ります!」。

(01)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人で学生である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人で教師である。
(Ⅲ)その人は男性で、米国人で学生である。
であるならば、
(Ⅰ)その人は男性で、日本人である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人である。
(Ⅲ)その人は男性で、学生である。
然るに、
(02)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人である。
(Ⅲ)その人は男性で、学生 である。
であるならば、
① その人は「男性で、日本人か学生」である。
は、「真(本当)」である。
然るに、
(03)
(Ⅰ)その人は男性で、日本人である。
(Ⅱ)その人は男性で、日本人である。
(Ⅲ)その人は男性で、学生 である。
であるならば、
② その人は「男性で日本人か、男性で学生」である。
も、「真(本当)」である。
然るに、
(04)
(Ⅳ)その人は男性で、米国人で教師である。
(Ⅴ)その人は女性で、日本人で学生である。
(Ⅵ)その人は女性で、日本人で教師である。
(Ⅶ)その人は女性で、米国人で学生である。
(Ⅷ)その人は女性で、米国人で教師である。
であるならば、
(Ⅳ)その人は男性ではあるが、日本人でも学生でもない。
(Ⅴ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅵ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅶ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅷ)その人は女性であるため、男性ではない。
然るに、
(05)
(Ⅳ)その人は男性ではあるが、日本人でも学生でもない。
(Ⅴ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅵ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅶ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅷ)その人は女性であるため、男性ではない。
であるならば、
① その人は「男性で、日本人か学生」である。
は、「偽(ウソ)」である。
然るに、
(06)
(Ⅳ)その人は男性ではあるが、日本人でも学生でもない。
(Ⅴ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅵ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅶ)その人は女性であるため、男性ではない。
(Ⅷ)その人は女性であるため、男性ではない。
であるならば、
② その人は「男性で日本人か、男性で学生」である。
も、「偽(ウソ)」である。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
① 男性で、日本人か学生である。
② 男性で日本人か、男性で学生である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
A=男性
B=日本人
C=学生
とし、
で=×
か=+
とする。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① A×、B+C
② A×B+、A×C
に於いて、
①=② である。
然るに、
(10)
「分配法則」により、
①  A×(B+C)
②(A×B)+(A×C)
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① A×、B+C
② A×B+、A×C
に於いて、
①=② であるならば、
①  A×(B+C)
②(A×B)+(A×C)
に於いて、
①=② である。
従って、
(08)(11)により、
(12)
① 男性で、日本人か学生である。
② 男性で日本人か、男性で学生である。
に於いて、
①=② である。
といふことは、
①  男性で(日本人か学生である)。
②(男性で日本人)か(男性で学生である)。
に於いて、
①=② である。
といふことに、他ならない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
①  A×(B+C)
②(A×B)+(A×C)
といふ「論理式」、並びに、
① 男性で、日本人か学生である。
② 男性で日本人か、男性で学生である。
といふ「日本語」に、「括弧」は有ります!
然るに、
(14)
① 男性で  (日本人か学生である)。
③ 女性でなく(日本人か学生である)。
に於いて、
①=③ である。
然るに、
(15)
 括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
① 男性で  (日本人か学生である)。
③ 女性でなく(日本人か学生である)。
に於ける「括弧」もまた、「論理演算子の働きが及ぶ範囲」を明示してゐる。
と、すべきである。
平成29年02月04日、毛利太。

2017年2月2日木曜日

「置き字」について。

(01)
原文にありながら、訓読に際して読まない字を「置き字」(捨て字・虚字)という。置き字には、前置詞・接続詞・週尾辞・語気詞があり、文の調子を整えたり、意味を強めたり、補ったり、接続などのはたらきがある。
(鳥羽田重直、漢文の基礎、1985年、14頁)
(02)
① 良薬苦
① 良薬苦(口)⇒
① 良薬(口)苦=
① 良薬は(口)苦し。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 良薬苦(口)。
に於いて、
①「於=に」は、「置き字」である
然るに、
(04)
② 良薬苦口=
② 良薬苦〔(口)〕⇒
② 良薬〔(口)〕苦=
② 良薬は〔(口)〕苦し。
従って、
(01)(04)により、
(05)
② 良薬苦〔(口)〕。
に於いて、
②「於=に」は、「置き字」ではない
従って、
(01)~(05)により、
(06)
①「於(に)」を、「返り点」が付かないならば、
①「於(に)」は、「置き字」であって、
②「於(に)」を、「返り点」が付くならば、
②「於(に)」は、「置き字」ではない
然るに、
(07)
 告汝於朕志
なお「」字は、置いたり置かれなかったりして一定していないし、いつどういうときに置くという規則もない。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、40頁)
従って、
(07)により、
(08)
④ 告汝於朕志=汝に朕の志を告ぐ。
⑤ 告汝 朕志=汝に朕の志を告ぐ。
に於いて、
④ は「正しく」、
「正しい」。
従って、
(08)により、
(09)
④ 告汝於朕志=汝に朕の志を告ぐ。
ではなく、
⑤ 告汝 朕志=汝に朕の志を告ぐ。
であれば、
⑤「於(を)」が無いにも拘はらず
⑤「於(を)」といふ「字」を「読んでゐる」。
(10)
日本語は、テニヲハを伴わねば文を成さないのに対して、中国語は「助字」を伴わなくとても、文を成し得る。あってもなくともよい
たとえば、
 学んで之を習う。人知らずして慍まず。
は必ずしも、
 学時習之、
 人不知不慍、
と表現される必要はない。かりに省略して
 学時習之、
 人不知不慍、
であったとしても、文を成し得る。意味の伝達のためだけならば、それでよい。
(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、47・48頁)
然るに、
(11)
⑥ 学時習之=学びて時に之を習ふ。
ではなく、
⑦ 学 時習之=学びて時に之を習ふ。
であれば、
⑦「(て)」といふ「漢字」が、無いにも拘はらず
⑦「(て)」といふ「漢字」を、「読んでゐる」。
(12)
「父母年」の「」の字に至っては、一そう必須ではない
であったとしても、文を成し得る。意味の伝達のためだけならば、それでよい。
(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、48頁)
従って、
(13)
⑧ 父母年=父母の年。
ではなく、
⑨ 父母 年=父母の年。
であれば、
⑨「(の)」といふ「漢字」が、無いにも拘はら
⑨「(の)」といふ「漢字」を、「読んでゐる」。
従って、
(06)~(13)により、
(14)
「訓読」は、「原文」に有る「漢字」を「読まない」ので、「不自然」である。
とするならば、
「漢文」は、「助字を書いたり、書かなかったりする」ので、「不自然」である。
とすべきである。
(15)
「也」と「」とは共に断定の終詞であるが、その用法にははっきりとした区別がある。「也」は断定をいっそう確言する口気を写すもので、訓読では、「~は~である」と訳せばほぼ合致する。「也」の確言のしかたはこのように説明であり、平板である。しかるに「矣」は自ら信ずるところを特に強く表示したり、またこれを主張する必要がある場合の口気を写すものあり、その確言のしかたは直覚であり。感情的であり、強くかつ鋭い。訓読では「~であることはいうまでもない「~にちがいない」といような気持ちを含めて訳せば、その意に近い。
(中澤希男・澁谷玲子、漢文訓読の基礎、昭和60年、86頁)
然るに、
(16)
感嘆符は元来の日本語の正書法にはない。俗に、強調文の最後に置かれる。全角では「!」と表現される。
(ウィキペディア:感嘆符)
従って、
(15)(16)により、
(17)
例へば、
⑩ 人之性悪明
であれば、
⑩ 人の性の悪なること明らかなり。
ではなく、
⑩ 人の性の悪なること明らかなり
に、似てゐる。
然るに、
(18)
例へば、
⑩ The human true character is evil
であっても、
⑩ ザ ヒューマン トゥルー キャラクター イズ イヴィル エクスクラメーションマーク
とは、読まない
従って、
(01)(18)により、
(19)
⑩ The human true character is evil
に於いて、
は「置き字」である。
(20)
句末にある「」は、「也」と同じく「断定」の終詞であるが、上文、もしくは上文の関係上連想しうる事柄を再示し、また暗示して、その意味を明瞭に力強く表現する働きがある。
(中澤希男・澁谷玲子、漢文訓読の基礎、昭和60年、86・87頁)
然るに、
(15)(20)により、
(21)
上文、もしくは上文の関係上連想しうる事柄を再示し、また暗示して、その意味を明瞭に力強く表現する働きがある。
といふ、「」の「解説」は、「也、矣」の「解説」よりも、分りにくい。
(22)
徂徠は、「也」は「ナリ」、「矣」は「ケル」、「」は「ケレ」となおしてみればよいと説明している。もっとも、荻生徂徠先生もいささか自身がなかったか、「適当とはいひがたけれども、かくもあらんか」とつけたしている。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、158頁)
然るに、
(23)
「古文」を読んでゐなければ、日本人であっても、「ナリ・ケル・ケレ」の「語感」は、分からない筈である。
平成29年02月02日、毛利太。