(01)
① 父母之年、不可不知也=
① 父母之年、不レ可レ不レ知也=
① 父母之年、不[可〔不(知)〕]也⇒
① 父母之年、[〔(知)不〕可]不也=
① 父母の年は[〔(知ら)不る〕可から]不る也=
① 父母の年を[〔(知ら)ないといふことは〕あってはなら]ない(論語 里仁第四の二十一)。
然るに、
(02)
「管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。
然るに、
(03)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(04)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 父母之年、不レ可レ不レ知也。
といふ「返り点」は、
① 父母之年、不可不知也。
といふ「漢文」の、
① 父母之年、不[可〔不(知)〕]也。
といふ「管到(補足構造)」を示してゐる。
然るに、
(06)
数学嫌いであろうと、子供であろうと、だれでも「父と母の年齢」というと、
「父の年齢と母の年齢」と同じ意味だとわかっている。当たり前のこととして、
気にもかけないかも知れない。実はこれは
(父と母)の年齢=(父の年齢)と(母の年齢)
というように分配法則そのものなのだ。
(a+b)×c=ac+bc
という式を理解できない人でも、「父と母の年齢?」と聞かれたら数を二つ言うに違いない。
(小谷善行、ことばの数理千夜一夜、2021年、8頁)
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① 父母之年、不可不知也。
といふ「漢文」には、
②(父母)之年、不[可〔不(知)〕]也。
といふ「管到(スコープ)」が有るものの、
②(父母)之年
に関しては、「補足構造」でなく、「並列構造+被修飾構造」であって、
「並列構造+被修飾構造」の「語順」は、「日本語の語順」と「同じ」であるが故に、
②(父母)之年=(父母)の年
といふ「管到(スコープ)」に対しては、「返り点」が付かない。
然るに、
(08)
① (a+b)×c=ac+bc
だけでなく、
② c×(a+b)=ac+bc
であっても、「分配法則」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 父母之年、不可不知也。
といふ「語順」だけなく、
② 年之父母、不可不知也。
といふ「語順」が有っても、良いはずであって、その場合は、
② 年レ之二父母一、不レ可レ不レ知也。
といふ「返り点」が付く。
といふ、ことになる。
令和5年5月29日、毛利太。
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