2015年9月5日土曜日

「返り点(補足構造)」改。

(01)
①「鏡」が「逆転」させるのは、「前後」だけである。
従って、
(02)
①「鏡の中」に於いて、
②「上下」は「逆転」しないし、
③「左右」も「逆転」しない。
従って、
(02)により、
(03)
①「鏡の中の自分」は、
②「逆立ち」をしてゐないし、
③「回れ右」もしてゐない。
ところが、
(04)
①「普通の人」は、
①「鏡の中の自分」は、
②「逆立ち」はしてゐないが故に、
③「回れ右」をしてゐるはずである。
といふ風に、思ってしまふ。
然るに、
(05)
②「逆立ち」はしてゐないが、
③「回れ右」をしてゐる。
と「仮定」すると、
③ 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ... - Yahoo!知恵袋
といふ「疑問(鏡像問題)」が、生じることになる。
(06)
① Ⅳ〔Ⅲ(Ⅱ)〕⇔〔(Ⅱ)Ⅲ〕Ⅵ
等を、「鏡像(mirror image)」とする。
(07)
① 3〔2(1)〕⇒〔(1)2〕3。
等を、「ミラーイメージ」とする。
従って、
(07)により、
(08)
② A〔B(C)〕⇒ A〔B(C)〕。
は、「ミラーイメージ」ではない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② A3〔B2(C1)〕⇒ A〔B(C1)2〕3。
は、「ミラーイメージ」ではない。
従って、
(07)(09)により、
(10)
3〔2(1)〕⇒ 1)2〕3。
② A3〔B2(C1)〕⇒ A〔B(C1)2〕3。
に於いて、
① は、「ミラーイメージ」であって、
② は、「ミラーイメージ」ではない。
従って、
(10)により、
(11)
② A3B2C1=
② A3〔B2(C1)〕⇒
② A〔B(C1)2〕3=
② A B C 1 2 3。
といふ「ソート(並び替へ)」は、「ミラーイメージでない部分(アルファベット)」をそのままにして、「ミラーイメージの部分(数字)」の「左右」を「入れ換へる」ことによって、成立する。
従って、
(11)により、
(12)
③ 我不常読漢文=
③ 我不〔常読(漢文)〕⇒
③ 我〔常(漢文)読〕不=
③ 我〔常には(漢文を)読ま〕不。
といふ「漢文訓読」は、「ミラーイメージでない部分」をそのままにして、「ミラーイメージの部分」の「左右」を「入れ換へる」ことによって、成立する。
然るに、
(13)
補足・認定の両関係は、日本語とまったく逆の語順になる。したがって、ここに返り点を用いて、語順を日本式に入れ換える必要が起こってくる(角川漢和中辞典、1959年、1292頁)。
加へて、
(14)
于=に
と読むとき、
于天下=に+天下
であるため、この場合も、日本語と漢文の語順は逆になる。
然るに、
(15)
漢文の場合は、
于天下=天下に
天下=天下に
であって、このことが、
于 は、「置き字(捨て字・虚字)」であるとされる、所以である。
cf.
漢文を訓読する際に、助字の中で書き下し文に反映されず、実際に読まれる事のない字(ウィキペディア、置き字)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
于天下=に+天下
ではあるが、
于天下=天下+に
とする。
従って、
(13)~(16)により、
(17)
日本語と漢文では、「補足関係・認定関係・置き字」等が、逆になるものの、以下ではこれらを、「補足構造の部分」と呼ぶことにする。
従って、
(18)
不羞功名不顕于天也。
であれば、「太字」で示されてゐる部分が、「補足構造の部分」であるが、以下では、
不=ず・ざ
而=て
也=なり
といふ風に、読むものとする。
従って、
(12)(17)(18)により、
(19)
不羞功名不顕于天也=
④ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也⇒
④ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥知}也=
④ {我の〔(小節を)羞ぢ〕ずして[功名の〔(于天下に)顕〕はれざるを]恥づるを知れば}なり。
といふ「漢文訓読」は、「補足構造の部分」の「左右」を「入れ換へる」ことによって、成立する。
然るに、
(20)
{我(小)〕而[功名(于天)〕]}也⇒
④ {我〔(小而[功名〔(于天也。
に於いて、
1=
2=
3=
4=
5=
6=
7=
8=
とするならば、
{我(小)〕而[功名(于天)〕]}也⇒
④ {我〔(小而[功名〔(于天也=
④ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥知}也=
④ {我の〔(小節を)羞ぢ〕不し而[功名の〔(天下に)顕〕はれ不るを]恥づるを知れば}也。
従って、
(19)(20)により、
(21)
一=
二=
三=
四=
五=
六=
七=
八=
であって、尚且つ、
不羞功名不顕于天也=
④ 八{我三〔二(小一)〕而七[功名六〔五(于天四)〕]}也⇒
④ {我〔(小一)二〕三而[功名〔(于天四)五〕六]七}八也=
④ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥知}也=
④ {我の〔(小節を)羞ぢ〕不し而[功名の〔(天下に)顕〕はれ不るを]恥づるを知れば}也。
といふ「漢文訓読」は、「補足構造の部分」の「左右」を「入れ換へる」ことによって、成立する。
従って、
(21)により、
(22)
不羞功名不顕于天也。
といふ「漢文」に付く、
④ 八 三 二 一 七 六 五 四
といふ「返り点」は、
④ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」の、「補足構造」に付いてゐる。
然るに、
(23)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
然るに、
(24)
④ 八 三 二 一 七 六 五 四
といふ「返り点」を、
④ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
とすれば、
④ 三 二 一
を、
④ 戊 丁 丙
が、またいで返ってゐるものの、
④ 戊 丁 丙
は、
④ 下 中 上
ではない。
然るに、
(25)
④ 知我不羞小節而恥功名不_顕于天下也。
であれば、さうは出来ないものの、
④ 知我不羞小節而恥功名不_顕于天下也。
ではないので、
④ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
の「返り点」は、
④ 下 三 二 一 上レ 二 一
とすることも、出来る。
(26)
この場合の、
④ 下 三 二 一 上レ 二 一
は、更に、
④ 下 レ 二 一 上レ 二 一
とすることが、出来る。 
cf.

然るに、
(27)
tmtdpapaさん 2014/5/615:32:27
返り点について教えてください!
問題を解いていたら、上下点がないのに、甲乙丙丁点の4つが使われていました。それは、上下点は最大上中下の3つしかないからでしょうか?
とあるやうに、
① レ
② 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
⑤ 天 地 人
に於いて、
② を挟んで返る際に、
③ を用ゐ、
③ を挟んで返る際に、
④ を用ゐ、
④ を挟んで返る際に、
⑤ を用ゐる。
とすると、
③ 上 中 下
の「3つ」では、「不足」する場合が有る。
従って、
(28)
初めから、
① レ
② 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 上 中 下
⑤ 天 地 人
といふ「順番」で、用ゐるべきである。
(29)
① レ
② 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 上 中 下
⑤ 天 地 人 
から、
① レ
を除けば、
④ 下 レ 二 一 上レ 二 一
といふ「返り点」が、
④ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
といふ「返り点」に、変はるだけである。
加へて、
(30)
大学生に返り点を打たせると、レ点の原則違反から生じる誤りが大半をしめます(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、60頁)。
従って、
(29)(30)により、
(31)
そのやうな「レ点」は、本来は、「不要」である。
(32)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することが できる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
(33)
倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まない。
といふのは、「声に出して読まない」といふ意味であらうと思はれるものの、「声には出さなく」とも、「目では、読んでゐる」。
(34)
「管到して(かかって)いるか。」といふことであれば、
④ 下 レ 二 一 上レ 二 一
④ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
といふ「返り点」よりも、
④ { 〔 ( ) 〕 [ 〔 ( ) 〕 ] }
といふ「括弧」の方が、「分かりやすい」。
平成27年09月05日、毛利太。

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