(01)
1「超」絶望の行政訴訟
―中略―
行政事件についてまとも審理をする裁判官は10人に1人である。ほとんどの裁判官は、訴訟要件の具備について事細かに調べ、若干でも問題があると鬼に首でも取ったように却下する。その際には、半世紀以上も前のカビの生えたような判例が金科玉条のごとく引用される。―中略―、
本案の審理に入ると、裁判官は、異常なまでに国、地方公共団体、行政庁等の被告の肩をもち、しかもその傾向は、近年さらに顕著になっている。―中略―、
ハンドボールの世界では、国際大会において、審判がことさら中東諸国に有利な判定を行う傾向があり、これは『中東の笛』といわれるが、総じて、行政訴訟の裁判官は、まさに『中東の笛』である。
(瀬木比呂志、ニッポンの裁判、2015年、160~162頁)。
(02)
私が『絶望の裁判所』(110頁以下)で日本の裁判官とたちについて用いた「精神的『収容所群島』の囚人たち」という比喩について、それはあまりに極端ではないか、という意見もあった。しかし先の比喩はいつわりのない私の実感であり、また、私がこれまで読んできたナチスドイツや旧ソ連の強制収容所に関する多数の記述や考察も、それを裏付けていると思う。たとえば、ドイツの強制収容所の被収者に関すプリーモ・レーヴィのような言葉は、日本の裁判所、裁判官にもそのまま当てはまるだろう。
(瀬木比呂志、ニッポンの裁判、2015年、250頁)。
(03)
日本の裁判所・裁判官、ことに最高裁長官や最高裁判所事務総局は、自民党を中核とする政治権力や行政官僚集団および経済界の総体と。世論の動向とをうかがいつつ、基本的には、つまり、「統治と支配の根幹」については、権力と財界に従い、そうでない部分では、可能な範囲で世論に迎合しようとする傾きがある。
そしていずれにせよ、重要なのは「世論」にすぎず、個々の国民、市民、制度利用者ではない。(『絶望の裁判所』はしがき、第4章)。暗黒裁判、呆然裁判、非常識裁判が続出することの根拠はこのような裁判官の姿勢にある。
(瀬木比呂志、ニッポンの裁判、2015年、251・2頁)。
(04)
アイスの女王
5つ星のうち4.0 司法に幻想を持つべきではないことを教えてくれる。
訴訟の前にこの本を読んでいれば無駄なエネルギー、無駄な時間を費やさないで済んだのに、と悔いています。
ここに書かれていることが体験に基づいた事実なら、ショックです。
憲法76条第3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ、この憲法および法律にのみ拘束される」は嘘っぱち、空文化しています。この本に書かれている、裁判所が権力補完機構ということが行政相手の二度の訴訟を体験して実感しました。3度本人訴訟しましたが、1度は相手は民間人で勝訴、2度目3度目は行政相手です。相手方はほとんど有意な証拠を出さず、当方は多数の強力な証拠を出したににもかかわらず、どちらも最初から結論が決まっていたかのようにどちらも敗訴でした。そんなバカな!
「行政に不利な判決を出す裁判官は人事で報復をうける」のでは「良心に従い」ではなく「出世に有利なように計算に従い・・」ではないか!
初めから圧力があるのと同様で、それによって初めから結論があるということです。これでは裁判所は国民の味方(国民側が間違っていたら正義の味方)ではなく、権力の味方というのがあからさまです。
裁判所の堕落、腐敗です(アマゾン・カスタマーレビュー:瀬木比呂志、檻の中の裁判官、2021年)
従って、
(05)
「最高裁での、行政訴訟の、勝訴」など、「夢物語」であると考えるものの、
AI による概要
民事裁判の判決をインターネット上で公開すること自体は、原則として違法ではありません。裁判の判決は、憲法で保障された裁判の公開原則に基づき、原則として誰でも閲覧・謄写が可能です。また、判決文は著作物ではありますが、著作権法によって権利の目的となることができないとされており、著作権侵害の問題は生じません。
ただし、公開する際に注意すべき点があります。
1. 個人情報保護:
判決文には、氏名、住所、生年月日などの個人情報が含まれる場合があります。これらの情報を公開する際には、個人情報保護法に配慮し、必要に応じてマスキング(黒塗り)などの措置を講じる必要があります。特に、プライバシー侵害や名誉毀損に当たるような情報公開は避けるべきです。
従って、
(06)
「予定」としては、
(ⅰ)「上告書」を書いた後に、
(ⅱ)「大いなる、判決の問題点(複数)」を、
(ⅲ)「ブログ」に書く。
という、「その前」に、「氏名、住所、生年月日」等は、「##、##、####」で以て、「置き換え」、
「以下」において、「控訴審の判決文」を示すことに、します。
(07)
―「控訴審、判決文」―
令和#年#月16日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官(##)
令和#年(行#)第##号 ######控訴事件(原審・東京地方裁判所令和#年(行#)第##号)
口頭弁論終結日 令和#年#月##日
判決
#####区##町#丁目#番#号 #######、###号
控訴人 ####
東京都千代田区霞が関三丁目3番2号
被控訴人 独立行政法人医薬品医療機器総合機構
同代表者理事長 ####
同訴訟代理人弁護士 ####
同選任代理人 ###
####
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
(略称は、新たに定義しない限り、原判決の例による。)
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が令和#年#月#日付けで控訴人に対してした####及び###
の不支給決定を取り消す。
第2 事案の概要
1 本件は、控訴人が、フェブリク錠の副作用により控訴人父が腸梗塞を発症して
死亡したと主張して、独立行政法人医薬品医療機器総合機構法16条1項に基づき、遺族年金及び葬祭料の副作用救済給付の支給を請求した(本件各請求)ところ
― 以上、第1頁 ―
被控訴人が本件について下支給とする旨の決定(本体不支給決定)をしたため、控訴人が、被控訴人に対し、本件不支給決定の取消しを求める事案である。
原審は、医薬品等の医薬品の副作用により死亡したことの事実の立証責任は
救済給付を請求する人が負うことを前に、人が主張する、①控訴人父の梗塞が非閉塞性管血(NOMI)によるものであること、②控訴父が腎不全によりNOMIを発症したこと、③控訴人父がフェブリク錠の副作用により急性腎不全を発症したことはいずれも認められないなどとして、控訴人の請求を却した。これを不服とする控訴人が控訴した。
2 本件の法令の定め、前提事実及び争点は、3のとおり当審における控訴人の補充主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の第2の1ない3に記載したとおりであるから、これを引用する。すなわち、本件の争点は、本件不支給決定の違法性であり、控訴人は、フェブリク錠の副作用により控訴人父が死亡したことを主張立証する必要があるところ、控訴人は、この点の主張として、①控訴人父は、フェブリク錠の副作用により急性腎不全を発症し、その結果NOMIとなり、それにより腸梗塞となって死亡した旨を、また、②副作用救済給付に係る審査の申立てについての裁決には、正しい理由が付されなければならないところ、本件決書に記載された理由は正しいものではなく、その場合には控訴人の主張が認められるべきである旨を述べるものである。
3 当審における控訴人の補充主張
(1) 控訴人父が急性腎不全を発症したのは、フェブリク錠の投与による副作用によるものであり、脱水によるものではない。
すなわち、腎不全の指標とされる血中クレアチニンや血中尿素(BUN)の 数値は平成##年#月##日及び同月##日の控訴人父の血液検査の結果では急上昇している。脱水により体内の水分が減少し血液の濃縮が起こると腎機能が低下し、クレアチニン・BUNの数値が上昇するが、控訴人父は、平成##
― 以上、第2頁 ―
年#月の時点では脱水はないと診断されていたところ、脱水の指標とされる赤血球数は、平成年#月から平成##年12月までの血液検査の結果の均値と平成##年#月の数値には変化がないから、平成##年#月の時点でも 控訴人父は脱水ではなかったし、赤血球数とクレアチニン、赤血球数上幹材料の各数値には、いずれも相関がないから、控訴人父のクレアチニン、BUNの数値の上昇は、急速な脱水の進行によるものではない。そして、フェブリク錠の添付文書には、その副作用として、血中クレアチニン増加や血中尿素(BUN)増加の記載があるから、控訴人父の上記の血中クレアチニンやBUNの増加
はフェブリク錠投与の副作用によるものと推定される。
(2)生成AIの回答からも分かるとおり、貧血に腎不全が加わると、NOMIを発症しやすくなる。この生成AIの回答は無視できない。控訴人父は、重度の貧血であったから、腎不全が加わってNOMIを発症した。本件CT検査報告書にもその旨の記載がある。
(3) 裁決は書面で行い、かつ、理由がなければならないのに(機構法施行規則50条1項)、本件裁決書には、理由がないから、裁決は無効でありその場合、控訴人が相当程度の具体的な立証を行ったのに対して被控訴人が十分に反証しないのであれば、控訴人の主張が認められるべきである。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も、控訴人の請求は理由がないものと判断する。その理由は、2のとおり当審における控訴人の補充主張に対する判断を付加するほか、原判決の
「事実及び理由」中の第3の1ないし3に記載のとおりであるから、これを引用する。
2 当審における控訴人の補充主張に対する判断
(1)控訴人は、控訴人父が急性腎不全を発症したのは、フェブリクの投与による
る副作用によるものであり、これはフェブリクの添付文書の記載から推定れる旨を主張するとともに、腎不全の原因はでないことは、控訴人父は脱水
― 以上、3頁 ―
ではなかったことや、脱水の指標となる赤血球数と腎不全の指標となるクレアチニン・BUNの数値の変化には相関関係がないことから明らかである旨を主張する。
しかしながら、前記1で引用する原判決が説示するとおり、フェブリク錠を服用した者に、その添付文書に副作用として記載された症状等が出現した場合において、その症状等の原因は様々なものが想定されるから、添付文書に副作用として記載された症状等の出現によってフェブリク錠の副作用によるものと推定することはできないのであって、控訴人が主張するような推定は働かない。また、控訴人は、脱水の指標として赤血球数の変化を指摘するが、それのみで脱水の有無が判断されるとは認められないのであって、控訴人の上記主張は採用することができない。
そもそも控訴人は、「許可医薬品等の副作用により死亡したこと」を基礎付ける事実として主張する、控訴人父の腎不全の原因がフェブリク錠の副作用であることを立証しなければならないところ、腎不全の原因が脱水であることを否定するだけでは、他の可能性が否定されないので、フェブリク錠の副作用により腎不全を発症したことの主張・立証として足りない。前記や引用する原判決が、フェブリク錠の副作用と脱水以外の「他の可能性」について説示するのは、腎不全の原因がフェブリク錠の副作用であるとの控訴人の主張を認めることができないことをいうものであって、弁論主義に抵触する旨の控訴人の指摘は当たらない(という部分が、原告に言わせると、間違っている)。
(2)また、控訴人は、生成AIの回答や本件CT検査報告書の記載を根拠として、重度の貧血であった控訴人父は腎不全が加わってNOMIを発症した旨を主張する。
しかしながら、平成##年#月##日(死亡当日)の救急搬送後の控訴人父のCT検査の結果が記載された本件CT検査報告書(甲38、乙5の44頁)には、上行結腸から盲腸の虚血が疑われ、その虚血の原因としてNOMIの可能性
― 以上、4頁 ―
を指摘するにとどまり、虚血の原因は確定できないと結論付けられている。
上記のとおりの本件CT検査報告書の記載では、控訴人がNOMIを発症した可能性があることが認められるにすぎず、控訴人の父がNOMIを発症したことの立証としては足りない。
(3)さらに、控訴人は、本件裁決書には理由がないから、裁決は無効であり、訴人が相当程度の具体的な立証を行った場合に、被控訴人が十分に反証しない場合は、被控訴人が敗訴すべきである旨を主張する。
しかしながら、前記のとおり、控訴人は、本件不支給決定の違法性、すなわち、フェブリク錠の副作用により控訴人父が死亡したことを基礎付ける事実を主張・立証しなければならないのであって、前記1で引用した原判決が説示するとおり、仮に裁決に違法があったとしても、そのことが、直ちに、本件不給決定の違法性を導くものではない。本件不支給決定の違法性を基礎付ける事実として裁決の違法をいう控訴人の主張は、その前提を欠くものであるから、採用することができない。
(4)その他控訴人が主張する種々の事情によっても、原判決の判断は左右されない。
第4 結論
以上によれば、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第##民事部
裁判長裁判官 ####
####
― 以上、5頁 ―
裁判官 ####
裁判官 ####
(01)
(∨-導入(∨I)
∨-導入(選言導入)の規則は∨Iと名づけられる.任意の命題が前提として与えられたならば、∨Iは、その命題と任意の命題との選言を結論として導出することを許す。従って、前提としてのPから、P∨Qを結論として、あるいはQ∨Pを結論として導出することができる。またこの場合、Qがどのような命題であるかは問うところではない。明らかに、∨Iの適用においては、一般に結論は前提より遙かに力が弱い。すなわち、Pが真でないときでも、PあるいはQは真でありうる。それにもかかわらず、この規則は、Pが真であるときには、PあるいはQもまた真でなければならない、という意味において受けいれられるのである。たとえば、チャールズI世が斬罪に処せられたということは真である。このことから、彼は斬罪に処せられたかあるいは電気椅子に送られたかであるということが、もちろん彼は電気椅子に送られなかったにもかかわらず、導かれるのである。選言P∨Qは、その選言項の少なくとも1つが真であるならば真である。従って規則∨Iは、真なる前提から偽なる結論へ導くことはありえない(退屈な結論へ導くことはあるとしても)。
(E.J.レモン 著、論理学書、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、29頁)
従って、
(01)により、
(02)
① チャールズI世は斬罪に処せられた。
② チャールズI世は斬罪に処せられたか、または、チャールズI世は電気椅子に送られた。
③ チャールズI世は斬罪に処せられたか、または、チャールズI世は電気椅子に送られなかった。
において、
① ならば、② であり、尚且つ、
① ならば、③ である。
然るに、
(03)
1 (1) P A
1 (2) P∨ Q 1∨I(選言導入の規則)
3 (3) ~P&~Q A
4 (4) P A
3 (5) ~P 3&E
34 (6) P&~P 45&I
4 (7)~(~P&~Q) 36RAA
8 (8) Q A
3 (9) ~Q 3&E
3 8 (ア) Q&~Q 89&I
8 (イ)~(~P&~Q) 3アRAA
1 (ウ)~(~P&~Q) 1478イ∨E
エ (エ) ~P A
オ(オ) ~Q A
エオ(カ) ~P&~Q エオ&I
1 エオ(キ)~(~P&~Q)&
(~P&~Q) 7カ&I
1 エ (ク) ~~Q オキRAA
1 エ (ケ) Q クDN
1 (コ) ~P→Q エケCP(含意の定義)
従って、
(03)により、
(04)
① P
② P∨Q(選言導入の規則)
③ ~P→Q(含意の定義)
において、
① ならば、② であって、尚且つ、
① ならば、③ である。
従って、
(04)により、
(05)
P=チャールズI世は斬罪に処せられた。
Q=チャールズI世は電気椅子に送られた。
であるとして、
① チャールズI世は斬罪に処せられた。
② チャールズI世は斬罪に処せられなかったならば、チャールズI世は電気椅子に送られた。
において、
① ならば、② である。
然るに、
(06)
① チャールズI世は斬罪に処せられた。
② チャールズI世は斬罪に処せられなかったら、チャールズI世は電気椅子に送られた。
というのであれば、
① チャールズI世は斬罪に処せられなかった。
② チャールズI世は斬罪に処せられなかったならば、チャールズI世は電気椅子に送られた。
ということには、ならないため、
③ チャールズI世は電気椅子に送られた。
ということには、ならない。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① チャールズI世は斬罪に処せられた。
② チャールズI世は斬罪に処せられなかったならば、チャールズI世は電気椅子に送られた。
において、
① ならば、② である。
としても、「(実質的に、)問題は無い」。
然るに、
(08)
1 (1)∀x{犯人x→男性x&左利きx} A
2 (2)∃x(x=鈴木&~左利きx) A
1 (3) 犯人a→男性a&左利きa 1UE
4(4) a=鈴木&~左利きa A
4(5) a=鈴木 4&E
4(6) ~左利きa 4&E
4(7) ~男性a∨~左利きa 6∨I
4(8) ~(男性a&左利きa) 7ド・モルガンの法則
1 4(9) ~犯人a 38MTT
1 4(ア) a=鈴木&~犯人a 59&I
1 4(イ)∃x(x=鈴木&~犯人x) アEI
12 (ウ)∃x(x=鈴木&~犯人x) 24EE
〔注〕鈴木は、「述語」ではなく「固有名(proper name)」。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)∀x{犯人x→男性x&左利きx}。然るに、
(ⅱ)∃x(x=鈴木&~左利きx)。 従って、
(ⅲ)∃x(x=鈴木&~犯人x)。
という「推論」、すなわち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが犯人であるならば、xは男性であって、左利きである}。然るに、
(ⅱ)あるxは(鈴木であって、左利きではない)。従って、
(ⅲ)あるxは(鈴木であって、犯人ではない)。
という「推論」、すなわち、
(ⅰ)犯人は、男性であって、左利きである。然るに、
(ⅱ)鈴木は、男性で有り得たとしても、右利きである。従って、
(ⅲ)鈴木は、男性であっても、女性であっても、犯人ではない。
という「推論」は、「妥当」である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
1 (1)∀x{犯人x→男性x&左利きx} A
2 (2)∃x(x=鈴木&~左利きx) A
1 (3) 犯人a→男性a&左利きa 1UE
4(4) a=鈴木&~左利きa A
4(5) a=鈴木 4&E
4(6) ~左利きa 4&E
4(7) ~男性a∨~左利きa 6∨I
4(8) ~(男性a&左利きa) 7ド・モルガンの法則
1 4(9) ~犯人a 38MTT
1 4(ア) a=鈴木&~犯人a 59&I
1 4(イ)∃x(x=鈴木&~犯人x) アEI
12 (ウ)∃x(x=鈴木&~犯人x) 24EE
という「述語計算(predicate calculus)」は、明らかに「妥当」である。
従って、
(10)により、
(11)
4(7) ~男性a∨~左利きa 6∨I
という「選言導入(∨I)」は、「妥当」である。
従って、
(08)~(11)により、
(12)
4(7) ~男性a∨~左利きa 6∨I
という「選言導入(∨I)」は、「妥当」でないとするならば、
(ⅰ)犯人は、男性であって、左利きである。然るに、
(ⅱ)鈴木は、いずれにせよ、右利きである。従って、
(ⅲ)鈴木は、犯人ではない。
という「推論」は、「(述語論理としては)妥当」ではない。
従って、
(01)(12)により、
(13)
例えば、
(ⅰ)犯人は、男性であって、左利きである。然るに、
(ⅱ)鈴木は、いずれにせよ、右利きである。従って、
(ⅲ)鈴木は、犯人ではない。
という「推論」が、「(述語論理としても)妥当」である。
とするならば、
V-導入(選言導入)の規則は∨Iと名づけられる.任意の命題が前提として与えられたならば、∨Iは、その命題と任意の命題との選言を結論として導出することを許す。従って、前提としてのPから、PVQを結論として、あるいはQ∨Pを結論として導出することができる。またこの場合、Qがどのような命題であるかは問うところではない。明らかに、VIの適用においては、一般に結論は前提より遙かに力が弱い。すなわち、Pが真でないときでも、PあるいはQは真でありうる。それにもかかわらず、この規則は、Pが真であるときには、PあるいはQもまた真でなければならない、という意味において受けいれられるのである。たとえば、チャールズI世が斬罪に処せられたということは真である。このことから、彼は斬罪に処せられたかあるいは電気椅子に送られたかであるということが、もちろん彼は電気椅子に送られなかったにもかかわらず、導かれるのである。選言P∨Qは、その選言項の少なくとも1つが真であるならば真である。従って規則∨Iは、真なる前提から偽なる結論へ導くことはありえない(退屈な結論へ導くことはあるとしても)。
という「規則」を、「除くこと」は、「出来ない」。
令和7年7月18日、毛利太。
(01)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
然るに、
(02)
従って、
(02)により、
(03)
「全国的」に見れば、
私が大野です。
ではなく、
私も大野です。
というのが、「正しい」。
従って、
(01)(03)により、
(04)
「大野さんはどちらですか」
「私も大野ですが、・・・・・。」
ということからすれば、
「私(未知)が大野(既知)です。」というだけでなく、
「私(未知)も大野(既知)です。」ということに、ならざるを得ない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 私が大野です。
② 大野は私です。
において、
①=② である。
ということは、
①(全国的に)私が大野です。
②(全国的に)大野は私です。
ということではなく、飽くまでも、
①(今、この場においては)私が大野です。
②(今、この場においては)大野は私です。
において、
①=② である。
という、ことになる。
然るに、
(06)
故に、Pであるときまたそのときに限ってQ(Q if and only if P)を主張することは、PならばQと、Pであるときに限ってQとを主張することであり、これは、PならばQと、Q ならばPとを主張することに他ならない。
すなわち、記号で書けば、
(P→Q)&(Q→P)
である(E.J.レモン著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、38頁)。
然るに、
(07)
(ⅰ)
1 (1) (P→Q)&(Q→P) A
1 (2) (P→Q) 1&E
1 (3) (Q→P) 1&E
4 (4) ~P A
5(5) Q A
1 5(6) P 35MPP
145(7) ~P&P 46&I
14 (8) ~Q 57RAA
1 (9) ~P→~Q 48CP
1 (ア)(P→Q)&(~P→~Q) 29&I
(ⅱ)
1 (1)(P→Q)&(~P→~Q) 29&I
1 (2)(P→Q) 1&E
1 (3) (~P→~Q) 1&E
4 (4) Q A
5(5) ~P A
1 5(6) ~Q 35MPP
145(7) Q&~Q 46&I
14 (8) ~~P 57RAA
14 (9) P 8DN
1 (ア) Q→ P 49CP
1 (イ)(P→Q)&(Q→P) 2ア&I
従って、
(06)(07)により、
(08)
①(P→Q)&( Q→ P)
②(P→Q)&(~P→~Q)
において、すなわち、
①(Pならば、Qであって)尚且つ(Qならば、Pである)。
②(Pならば、Qであって)尚且つ(Pでないならば、Qでない)。
において、すなわち、
①(PはQであり)尚且つ(QはPである)。
②(PはQであり)尚且つ(P以外はQでない)。
において、
①=② である。
従って、
(08)により、
(09)
①(私は大野であり)尚且つ(大野は私である)。
②(私は大野であり)尚且つ(私以外は大野ではない)。
において、
①=② である。
従って、
(01)(09)により、
(10)
① 私が大野である。
②(私は大野であり)尚且つ(私以外は大野ではない)。
において、
①=② である。
従って、
(01)(10)により、
(11)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
という「説明」は、「不要」である。
令和7年7月15日、毛利太。
(01)
ド・モルガンが、明らかに健全であるにもかかわらず、伝統的論理学のわくぐみのなかでは取り扱うことができなかった論証として挙げた、有名なま簡単な論証がある。
There is a famouse and simple arugument,cited by de Morgan as an example of a kind of reasoning which,through patently sound,could not be handled within the framework of traditional logic.
(1)すべての馬は動物である。故にすべての馬の頭は動物の頭である。
(〃)All horses are animals; therefore all horses' heads are animals'head.
(2)馬の頭であるすべてのモノは動物の頭である。
(〃)Anything that is a head of a horse is a head of an animal.
(02)
あるモノが馬の頭であるためには、それ(あるモノ)がその馬の頭であるような馬が存在しなければならない。
For something to be a head of a horse there must be some horse of which it is the head;
(03)
記号で書くと、aは、∃y(Fy&Hay)であるときまたそのときに限って馬の頭である。
in symboles, a is a head of a head of a horse if and only if ∃y(Fy&Hay)
然るに、
(04)
馬名(ばめい)
競走馬には必ず名前がつけられ、これを馬名というが、どんな名前をつけてよいというものでなく、次のような制限がつけられている。
(1)有名な馬の名称・馬名と同じである馬名、またはこれらと紛らわしい馬名
(2)父母の名称・馬名と同じである馬名、またはこれらと紛らわしい馬名
(3)すでに登録を受けている馬名、登録を抹消された翌年の1月1日から4年を経過しない馬名と同じ馬名、またはこれらと紛らわしい馬名
(競馬用語辞典)、― 以下省略、―
従って、
(04)により、
(05)
① すべての馬名は、ある馬の馬名である。
② ∀x{∃y(馬y&馬名xy)}
③ すべてのxと{あるyについて(yは馬であって、xはyの馬名)}である。
において、
① は「真」であって、尚且つ、
①=②=③ である。
従って、
(05)により、
(06)
① すべての馬の頭は、ある馬の頭である。
② ∀x{∃y(馬y&頭xy)}
③ すべてのxと{あるyについて(yは馬であって、xはyの頭)である}。
においても、
① は「真」であって、尚且つ、
①=②=③ である。
従って、
(02)(03)(06)により、
(07)
あるモノが馬の頭であるためには、それ(あるモノ)がその馬の頭であるような馬が存在しなければならない。
For something to be a head of a horse there must be some horse of which it is the head;
記号で書くと、aは、∃y(Fy&Hay)であるときまたそのときに限って馬の頭である。
in symboles, a is a head of a head of a horse if and only if ∃y(Fy&Hay)
というのであれば、
① すべての馬の頭は、ある馬の頭である。
② ∀x{∃y(馬y&頭xy)}
③ すべてのxと{あるyについて(yは馬であって、xはyの馬の頭)}である。
において、
① は「真」であって、尚且つ、
①=②=③ である。
然るに、
(08)
1 (1) ∀x(馬x→動物x) A
2 (2)∀x{∃y(馬y&頭xy)} A
2 (3) ∃y(馬y&頭ay) 2UE
3(4) 馬b&頭ab A
3(5) 馬b 4&E
3(6) 頭ab 4&E
1 (7) 馬b→動物b 1UE
1 3(8) 動物b 57MPP
1 3(9) 動物b&頭ab 68&I
1 3(ア) ∃y(動物y&頭ay) 9EI
12 (イ) ∃y(動物y&頭ay) 34アEE
1 (ウ) ∃y( 馬y&頭ay)→∃y(動物y&頭ay) 2イCP
1 (エ)∀x{∃y( 馬y&頭xy)→∃y(動物y&頭xy)} ウUI
1 (〃)すべてのxと{あるyについて(yが馬であって、xがyの頭である)ならば、(yは動物であって、xはyの頭である)}。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・竹尾楢英 訳、1973年、167頁を参照)
という「推論」は「妥当」である。
従って、
(01)(08)により、
(09)
ド・モルガンが、明らかに健全であるにもかかわらず、伝統的論理学のわくぐみのなかでは取り扱うことができなかった論証として挙げた、有名なま簡単な論証がある。
There is a famouse and simple arugument,cited by de Morgan as an example of a kind of reasoning which,through patently sound,could not be handled within the framework of traditional logic.
である所の、
(1)すべての馬は動物である。故にすべての馬の頭は動物の頭である。
(〃)All horses are animals; therefore all horses' heads are animals'head.
(2)馬の頭であるすべてのモノは動物の頭である。
(〃)Anything that is a head of a horse is a head of an animal.
という「推論・論証」は、「妥当」である。
然るに、
(10)
1 (1) ∀x(象x→~兎x) A
2 (2)∀x{∃y(象y&鼻xy)} A
2 (3) ∃y(象y&鼻ay) 2UE
3(4) 象b&鼻ab A
3(5) 象b 4&E
3(6) 鼻ab 4&E
1 (7) 象b→~兎b 1UE
1 3(8) ~兎b 57MPP
1 3(9) ~兎b&鼻ab 68&I
1 3(ア) ∃y(~兎y&鼻ay) 9EI
12 (イ) ∃y(~兎y&鼻ay) 34アEE
1 (ウ) ∃y( 象y&鼻ay)→∃y(~兎y&鼻ay) 3イCP
1 (エ)∀x{∃y( 象y&鼻xy)→∃y(~兎y&鼻xy)} ウUI
1 (〃)すべてのxと{あるyについて(yが象であって、xがyの鼻である)ならば、(yは兎ではなく、xはyの鼻である)}。
従って、
(09)(10)により、
(11)
(1)すべての馬は動物である。故にすべての馬の頭は動物の頭である。
という「推論・論証」に加えて、
(2)すべての象は兎ではない。故にすべての象の鼻は兎の鼻ではない。
という「推論・論証」も、「妥当」である。
令和7年7月13日、毛利太。
(01)
①{象の鼻、象の耳、象の顔}
という{集合}を「想定」すると、
①{象は鼻が長い}。
(02)
②{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
という{集合}を「想定」すると、
② 象が鼻は長い。
(03)
{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
{象の耳、兎の耳、馬の耳}
{象の顔、兎の顏、馬の顔}
という{集合}を「想定」すると、
③ 鼻は象が長い。
然るに、
(04)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 象a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
2 6 (ア) ∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za) 58MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
2 6 (ウ) ∃y(耳ya&長y) ア&E
エ (エ) 鼻ba&長b A
オ(オ) 耳ba&長b A
オ(カ) 耳ba オ&E
オ(キ) 長b オ&E
1 6 (ク) ∀z(~鼻za→~長z) 9&E
2 6 (ケ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
1 6 (コ) ~鼻ba→~長b クUE
2 6 (サ) 耳ba→~鼻ba ケUE
2 6 オ(シ) ~鼻ba キサMPP
12 6 オ(ス) ~長b コシMPP
12 6 オ(セ) 長b&~長b カス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b ウオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}。従って、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)}。 然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyはxの耳であって、長く、すべてのzについて(zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない)}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない。)
という「推論」、すなわち、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(06)
1 (1) ∀x{象x⇔∃y(鼻yx& 長y)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya& 長y)&
∃y(鼻ya& 長y)→象a 1Df.⇔
1 (3) ∃y(鼻ya& 長y)→象a 2&E
4 (4) ∀x(兎x→~象x) A
4 (5) 兎a→~象a 4UE
6 (6) 兎a A
46 (7) ~象a 56MPP
146 (8) ~∃y(鼻ya& 長y) 37MTT
146 (9) ∀y~(鼻ya& 長y) 8量化子の関係
146 (ア) ~(鼻ba& 長b) 9UE
146 (イ) ~鼻ba∨~長b アド・モルガンの法則
146 (ウ) 鼻ba→~長b イ含意の定義
14 (エ) 兎a→(鼻ba→~長b) 6ウCP
オ(オ) 兎a& 鼻ba A
オ(カ) 兎a オ&E
14 オ(キ) 鼻ba→~長b エカMPP
オ(ク) 鼻ba キクMPP
14 オ(ケ) ~長b キクMPP
14 (コ) 兎a&鼻ba→~長b オケCP
14 (サ) ∀y(兎a&鼻ya→~長y) コUI
14 (シ)∀x∀y(兎x&鼻yx→~長y) サUI
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ) ∀x{象x⇔∃y(鼻yx& 長y)} 然るに、
(ⅱ) ∀x(兎x→~象x) 従って、
(ⅲ)∀x∀y(兎x&鼻yx→~長y)。
という「推論」、すなわち、
(ⅰ) すべてのxについて{xが象ならば、そのときに限って、あるyは(xの鼻であって、長い)}。然るに、
(ⅱ) すべてのxについて(xが兎ならば、xは象ではない)。
(ⅲ)すべてのxとyについて(xが兎であって、yがの鼻ならば、yは長くない)。
という「推論」、すなわち、
(ⅰ)象が鼻は長い。 然るに、
(ⅱ)兎は象ではない。従って、
(ⅲ)兎の鼻は長くない。
という「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(08)
1 (1)∀x{∃y[(鼻xy&象y)→長x&(~象y&鼻xy)→~長x]} A
1 (2) ∃y[(鼻ay&象y)→長a&(~象y&鼻ay)→~長a]} 1UE
3 (3) (鼻ab&象b)→長a&(~象b&鼻ab)→~長a A
3 (4) (~象b&鼻ab)→~長a 3&E
5 (5) ∀y[(兎y→~象y)&∃x(鼻xy)] A
5 (6) (兎b→~象b)&∃x(鼻xb) 5UE
5 (7) 兎b→~象b 6&E
8 (8) 兎b A
58 (9) ~象b 78MPP
5 (ア) ∃x(鼻xb) 6&E
イ(イ) 鼻ab A
58イ(ウ) ~象b&鼻ab 9イ&I
358イ(エ) ~長a 4ウMPP
358イ(オ) 鼻ab&~長a イエ&I
358イ(カ) ∃x(鼻xb&~長x) オEI
358 (キ) ∃x(鼻xb&~長x) アイカEE
35 (ク) 兎b→∃x(鼻xb&~長x) 8キCP
1 5 (ケ) 兎b→∃x(鼻xb&~長x) 23クEE
1 5 (コ) ∀y[兎y→∃x(鼻xy&~長x)] ケUI
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)∀x{∃y[(鼻xy&象y)→長x&(~象y&鼻xy)→~長x]}。然るに、
(ⅱ) ∀y[(兎y→~象y)&∃x(鼻xy)]。従って、
(ⅲ) ∀y[ 兎y→ ∃x(鼻xy&~長x)]。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxと{あるyについて[(xがyの鼻であって、yが象である)ならば、xは長く、(yが象でなくて、xがyの鼻である)ならば、xは長くない]}。然るに、
(ⅱ) すべてのyについて[(yが兎であるならば、yは象ではなく)、あるxは(yの鼻である)]。従って、
(ⅲ) すべてのyについて[ yが兎であるならば、あるxは(yの鼻であって、長くない)]。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)鼻は象が長く、象以外の鼻は長くない。然るに、
(ⅱ)兎は象ではないが、兎には鼻がある。 従って、
(ⅲ)兎の鼻は長くない。
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(05)(07)(09)により、
(10)
① 象は鼻が長い。
② 象が鼻は長い。
③ 鼻は象が長い。
という「日本語」は、それぞれ、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃y(鼻yx&長y)→象x}。
③ ∀x{∃y[(鼻xy&象y)→長x&(~象y&鼻xy)→~長x]}。
という「述語論理式」に、「相当」する。
然るに、
(11)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲(スコープ)は、問題になっている変数が現れる少なくとも2つの箇所を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁改)
従って、
(10)(11)により、
(12)
① ∀x
② ∀x
③ ∀x
の「作用範囲(スコープ)」は、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃y(鼻yx&長y)→象x}。
③ ∀x{∃y[(鼻xy&象y)→長x&(~象y&鼻xy)→~長x]}。
という「述語論理式」の、「全体」である。
然るに、
(12)におり、
(13)
① ∀x
② ∀x
③ ∀x
において、
① x=象
② x=象
③ x=鼻
である。
従って、
(10)~(13)により、
(14)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃y(鼻yx&長y)→象x}。
③ ∀x{∃y[(鼻xy&象y)→長x&(~象y&鼻xy)→~長x]}。
という「意味」である所の、
① 象は鼻が長い。
② 象が鼻は長い。
③ 鼻は象が長い。
という「日本語」において、
① 象
② 象
③ 鼻
という「語の意味」は、
① 象は鼻が長い。
② 象が鼻は長い。
③ 鼻は象が長い。
という「文の全体」に「及んでいる」。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
「作用範囲(スコープ)」が、
「文の全体」に及ぶ「語」を、「主語」であるとするならば、「定義」により、
① 象は鼻が長い。
② 象が鼻は長い。
③ 鼻は象が長い。
① 象 は「主語」であり、
② 象 は「主語」であり、
③ 鼻 は「主語」である。
然るに、
(16)
④ 書足以記名姓而已=
④ 書足〔以記(名姓)〕而已⇒
④ 書〔以(名姓)記〕足而已=
④ 書は〔以て(名姓を)記するに〕足るのみ=
④ 文字は〔(名姓)が書ければ〕十分である。
従って、
(15)(16)により、
(17)
例えば、
④ 書足以記名姓而已。
という「漢文」が、
④ すべてのxについて{xが書であるならば、・・・・・・}。
という「意味」であるならば、
④ 書足以記名姓而已⇒
④ 書は以て名姓を記するに足るのみ。
という「漢文訓読」において、
④ 書 は「主語」である。
令和7年7月5日、毛利太。