― 以下を読む際は、「が」と「は」の「別」に、注意をして下さい。―
(01)
① A以外は Bでない。
② AでないならばBでない。
③ Bならば Aである。
④ Bは Aである。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
③=④ である。
然るに、
(02)
「対偶」は等しいため、
② AでないならばBでない。
③ B ならばAである。
に於いて、
②=③ である。
cf.
(~A→~B)={~(~A)∨~B}=(A∨~B)=(~B∨A)=(B→A)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① A以外は Bでない。
② AでないならばBでない。
③ Bならば Aである。
④ Bは Aである。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(04)
Definition of exclusive proposition
: a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other <“none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition>
(www.merriam-webster.com)
従って、
(04)により、
(05)
① A以外はBでない。
といふ「日本語」は、「排他的命題(exclusive proposition)」である。
然るに、
(06)
① A以外はBでない。
といふ場合は、普通は、
① AはBである。
といふことを、「前提」とする。
従って、
(03)(05)(06により、
(07)
① AはBであるが(A以外はBでない)。
② AはBであって(BはAである)。
といふ「意味」である所の「命題」を、「排他的命題」とする。
然るに、
(08)
① 誰が送るのか(送るのは誰か)。
に対して、
① 私が送ります。
であれば、
① 私が送るので(私以外の者は送らなくて良い)。
といふ「意味」になる。
然るに、
(09)
① 誰が送るのか(送るのは誰か)。
に対して、
② 私は送ります。
と言ふであれば、
②(少なくとも)私は送ります。
といふ「意味」になる。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
① 私が送ります。
② 私は送ります。
に於いて、
① は、「排他的命題」であって、
② は、「排他的命題」ではない。
従って、
(10)により、
(11)
① AがBである。
② AはBである。
に於いて、
① は、「排他的命題」であって、
② は、「排他的命題」ではない。
然るに、
(12)
① AがBである。
② AはBである。
に於いて、
①「が」は「濁音」であって、
②「は」は「清音」である。
然るに、
(13)
(14)(15)で示す通り、
① Aは(清音) よりも、
② Aが(濁音) の方が、「心理的な音量」が「大きい」。
(14)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(15)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(10)~(15)により、
(16)
①「私が(濁音)」 は、「強調形」 であって、
①「私が送ります。」は、「排他的命題」である。
然るに、
(17)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
b.Ton SENT Mary flowers.
c.Tom sent MARY flowers.
d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
従って、
(16)(17)により、
(18)
① 私が(濁音)
① TOM(大文字)
といふ「主語」は、二つとも「強調形」であって、
① 私が送ります。
① TOM sent Mary flowers.
といふ「命題」は、二つとも「排他的命題」である。
然るに、
(19)
③ 何が食べたいですか(食べたいのは何ですか)。
に対して、
③ 何は食べたいですか。
といふ「日本語」は存在しない。
従って、
(07)(16)(19)により、
(20)
① 誰が送るのか(送るのは誰か)。
① 私が送ります。
だけでなく、
③ 何が食べたいですか(食べたいのは何か)。
③ 鮨が食べたいです。
の場合も、「強調形(濁音)」であって、「排他的命題」である。
然るに、
(21)
① 誰が送るのか(送るのは誰か)。
③ 何が食べたいですか(食べたいのは何か)。
に於いて、
① 誰が は「 主語 」であって、
③ 何が は「目的語」である。
従って、
(07)(11)(21)により、
(22)
① AがBである。
① AはBであるが(A以外はBでない)。
② AはBであって(BはAである)。
に於いて、
① Aは、「主語」である。
② Aは、「主語」である。
とするならば、
① 誰が送るのか(送るのは誰か)。
① 私が送ります。
といふ「それ」は、「排他的命題」であるが、
③ 何が食べたいですか(食べたいのは何か)。
③ 鮨が食べたいです。
といふ「それ」は、「排他的命題」ではない。といふ、ことになる。
然るに、
(23)
ふつう、文の一要素を強調したいときには、英語はアクセント(文強勢)という音声的な手法を用いる。たとえば、Mariko met Jhon in the garden.(まり子は庭でジョンに会いました)というときに、「庭(で)」というところを話し手が強調したいときには、gardenが強く、さらにいえば[a:](アー)の音が強く長めに発音される。この文ではどの要素にも強調を置くことができ、たとえば、inやtheのような機能語であっても、「外でなく中」ということをとくに伝えたいのであれば、Mariko met Jhon IN the garden.というふうにinを強調して「庭の中で」とすることもできるし、「いま話したまさにその庭で会ったんだよ」とということを伝えるのならば、Mariko met Jhon in THE garden.と、「その」を強調することもできる(英語という選択 ― アイルランの今、嶋田珠巳、2016年、165頁)。
従って、
(07)(21)~(23)により、
(24)
① AがBである。
① AはBであるが(A以外はBでない)。
② AはBであって(BはAである)。
に於いて、
① Aが、「主語」である場合は、「排他的命題」とし、
② Aが、「主語」でない場合も、「排他的命題」とする。
然るに、
(25)
意味を導き出す構造が表層構造だということになると、まず困るのは、疑問詞が文頭にある疑問文です。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
従って、
(25)により、
(26)
意味を導き出す構造が表層構造だということになると、まず困るのは、例へば、
③ What do you give priority to?
のやうな「Wh疑問文」である。
然るに、
(27)
「漢文」に於いて、「目的語」が、「何(What)」のやうな「疑問詞」である場合は、「何(What)」が、「前置」される。
従って、
(27)により、
(28)
③ 何先=何をか先にせん。
④ 先兵=兵を先にせん。
であるため、
③ 何先=目的語+他動詞
④ 先兵=他動詞+目的語
といふ「語順」になる。
然るに、
(29)
前置による強調
疑問詞と指示詞の前置
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置きすることは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)。
従って、
(27)(28)(29)により、
(30)
例へば、
③ 何先=何をか先にせん。
がさうであるやうに、「漢文」の場合は、「何(What)」のやうな「疑問詞」が「目的語」の場合は、「強調」を「目的」として、「疑問詞(What)」が「前置」される。
然るに、
(31)
子貢問政。子曰、足食足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵=
子貢問(政)。子曰、足(食)足(兵)、民信(之)矣。子貢曰、必不〔得(已)〕而去、於(斯三者)何先。曰、去(兵)⇒
子貢(政を)問ふ。子曰はく、(食を)足し(兵を)足し、民(之を)信ぜしむ。子貢曰はく、必ず〔(已むを)得〕不し而去らば、(斯の三者に)於いて何をか先にせん。曰く、(兵を)去らん。
(32)
子貢が政治のことをおたずねした。先生はいわれた、「食糧を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむををえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先にしますか。」というと、先生は「軍備を捨てる。」といわれた。
(金谷治・訳注、論語、1963年、230頁)
然るに、
(33)
③「この三つの中でどれを先に捨てますか。」といふ「質問」に対して、
③ 食は捨てない。
③ 兵は捨てる。
③ 信は捨てない。
といふことは、
③ 兵は捨てるが(兵以外は捨てない)。
といふことに、他ならない。
従って、
(24)(31)(32)(33)により、
(34)
③ 何先=何をか先にせん。
のやうな「WH疑問文」は、「排他的命題」である。
従って、
(30)(34)により、
(35)
③ 何先=何をか先にせん。
は、「前置」による「強調」であって、尚且つ、「排他的命題」である。
従って、
(35)により、
(36)
「漢文」に於いて、「何(What)」のやうな「疑問詞」が「目的語」の場合は、「排他的命題」を主張する「目的」が「強調」につながり、「強調」しようとする「意識」が、「疑問詞の前置」を「促進(ProMote)」する。
従って、
(26)(37)により、
(37)
③ What do you give priority to?
のやうな「WH移動」の場合も、『前置による、疑問詞の、強調』である。と、思はれる。
然るに、
(38)
小をば学んで大をば遺る(重要漢文単語文例精解―入試文例数1000、1968年、6頁)。
小学而大遺 「学小而遺大」とすべきところを意味を強めるために倒置した(三省堂、明解古典学習シリーズ20、1973年、54頁)。
従って、
(29)(38)により、
(39)
「正則の漢文」の場合、「目的語としての疑問詞」は、「常に前置(強調)」され、「疑問詞でない目的語」は、「必要に応じて前置(強調)」される。
然るに、
(40)
名をば―「ば」は、係助詞「は」の濁音化したもので、強意。係助詞「は」が、格助詞「を」の下につくときには、「ば」と濁音となる(日栄社、文法解説 竹取物語・伊勢物語、1973年、11・12頁)。
従って、
(14)(15)(38)(40)により、
(41)
③ 去兵=兵を去らん。
ではなく、
③ 兵去=兵をば去らん。
に於いて、
③ 左辺は、「前置」による「強調」であり、
③ 右辺は、「濁音」による「強調」である。
平成28年10月25日、毛利太。
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