(01)
予嘗教学者以熟読精思語孟二書使聖人之意思語脈能瞭然于心目間焉則非惟能識孔孟之意味血脈又能理会其字義而不于大謬焉。
は、「伊藤仁斎、語孟字義巻之上」の冒頭である。
然るに、
(02)
予かつて学者に教うるに語孟二書を熟読精思して、聖人の意志語脈をして能く心目の間に瞭然たらしむるときは、すなわちただ能く孔孟の意味血脈を識るのみにあらず、又能くその字義を理会して、大いに謬るに至らざることをもってす(日本思想史体系33、伊藤仁斎 伊藤東涯、1971年、14頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
予嘗教学者以熟読精思語孟二書使聖人之意思語脈能瞭然于心目間焉則非惟能識孔孟之意味血脈又能理会其字義而不至于大謬焉=
予嘗教(学者)以[熟‐読‐精‐思(語孟二書)使〔聖人之意思語脈能瞭‐然(于心目間)〕焉則非〔惟能識(孔孟之意味血脈)〕又能理‐会(其字義)而不〔至(于大謬)〕]焉⇒
予嘗(学者)教[(語孟二書)熟‐読‐精‐思〔聖人之意思語脈能(于心目間)瞭‐然〕使焉則〔惟能(孔孟之意味血脈)識〕非又能(其字義)理‐会而〔(于大謬)至〕不]以焉=
予嘗て(学者を)教ふるに[(語孟二書を)熟‐読‐精‐思して〔聖人の意思語脈をして能く(心目の間に)瞭‐然たら〕使むるときは、則ち〔惟だ能く(孔孟の意味血脈を)識るのみに〕非ず、又能く(其の字義を)理‐会して〔(大いに謬るに)至ら〕不ることを]以てす。
然るに、
(04)
予嘗教学者以熟読精思語孟二書使聖人之意思語脈能瞭然于心目間焉則非惟能識孔孟之意味血脈又能理会其字義而不至于大謬焉。
に続く、
夫字義之於学門固小矣=
夫れ字義の学門に於けるや固より小なり。
であれば、ともかく、
予嘗教学者以熟読精思語孟二書使聖人之意思語脈能瞭然于心目間焉則非惟能識孔孟之意味血脈又能理会其字義而不至于大謬焉。
といふ「白文」を「訓読せよ」と言はれても、私には、「無理」である。
然るに、
(05)
予嘗教学者以熟読精思語孟二書使聖人之意思語脈能瞭然于心目間焉則非惟能識孔孟之意味血脈又能理会其字義而不至于大謬焉。
ではなく、
予嘗教(学者)以[熟‐読‐精‐思(語孟二書)使〔聖人之意思語脈能瞭‐然(于心目間)〕焉則非〔惟能識(孔孟之意味血脈)〕又能理‐会(其字義)而不〔至(于大謬)〕]焉。
であれば、「理解不能」な、 焉
を「無視」しても良いのであれば、
予嘗て(学者を)教ふるに[(語孟二書を)熟‐読‐精‐思して〔聖人の意思語脈をして能く(心目の間に)瞭‐然たら〕使むるときは、則ち〔惟だ能く(孔孟の意味血脈を)識るのみに〕非ず、又能く(其の字義を)理‐会して〔(大いに謬るに)至ら〕不ることを]以てす。
といふ風に、読むことが出来る。
従って、
(04)(05)により、
(06)
予嘗教学者以熟読精思語孟二書使聖人之意思語脈能瞭然于心目間焉則非惟能識孔孟之意味血脈又能理会其字義而不至于大謬焉。
のやうな、「白文」を「訓読」しようとするならば、
予嘗教学者以熟読精思語孟二書使聖人之意思語脈能瞭然于心目間焉則非惟能識孔孟之意味血脈又能理会其字義而不至于大謬焉。
に対する、「括弧(補足構造)」を、「思ひ付く、必要」がある。
従って、
(04)(06)により、
(07)
予嘗教学者以熟読精思語孟二書使聖人之意思語脈能瞭然于心目間焉則非惟能識孔孟之意味血脈又能理会其字義而不至于大謬焉。
に対して、「返り点」を付けようとするならば、
予嘗教(学者)以[熟‐読‐精‐思(語孟二書)使〔聖人之意思語脈能瞭‐然(于心目間)〕焉則非〔惟能識(孔孟之意味血脈)〕又能理‐会(其字義)而不〔至(于大謬)〕]焉。
とした上で、
( ) [ ( ) 〔 ( )〕 〔 ( )〕 ( ) 〔 ( )〕]
といふ「括弧」に対する「返り点」を、考へることになる。
然るに、
(08)
にあって、
二 一
ではない所の、
レ ‐
といふ「返り点」は、「日本思想史体系33、伊藤仁斎 伊藤東涯、1971年、115頁」に於ける、「それ」である。
然るに、
(09)
「学校で習ふ、返り点」は、
二 一
であって、
レ ‐
ではない。
然るに、
(10)
教(学者)⇒(学者を)教ふ。
に対する「学校で習ふ、返り点」が、
レ ‐
であったとしても、「支障」はないし、
下 上レ 二 一
が、
丁 丙 乙 甲
であったとしても、「支障」はない。
従って、
(08)(10)により、
(11)
① ( )[( )〔( )〕〔( )〕( )〔( )〕]
といふ「括弧」に対する、
② レ ‐ 下 二‐ 三‐ 一 三 二‐ 一 三 二 一 二‐ 一 上レ 二 一
③ 二 一 丁 二‐ 三‐ 一 三 二‐ 一 三 二 一 二‐ 一 丙 乙 甲
といふ「二通りの、返り点」は、「本来」であれば、どちらでも良い。
然るに、
(12)
「学校で習ふ、返り点」としては、
④ 二 一 下 二‐ 三‐ 一 三 二‐ 一 三 二 一 二‐ 一 上レ 二 一
だけが、「正しい」。
平成28年10月12日、毛利太。
―「関連記事」―
「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。
0 件のコメント:
コメントを投稿