― 昨日(03月04日)の記事は、削除します。―
(00)
昨日、図書館から借りて来た、「学術書」によると、
疑問詞に「が」しか使用できないことは既に広く知られている。「誰が」「何が」ということはできても「誰は」「何は」ということはできないというものである。これについては、「が」は新情報や「焦点」を提示しうることから疑問詞を受けるというように説明されることがあるが、それは相互規定的に互いを規定しており、なぜ「が」が新情報や焦点を提示できるのかについては明らかにされていないようである(淺山友貴、現代日本語における「が」と「は」の意味と機能、2004年、154頁)。
(01)
約三十年前に書いた、「(雑誌への)没論文」によると、
① AはBである。
② AがBである。
に於いて、
②は、①に対する「心理的な音量差」に「強調形」であって、
② AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
といふ、「意味」である。
然るに、
(02)
② A以外は Bでない(排他的命題)=
② AでないならばBでない(~~A∨~B)。
であって、尚且つ、
② AでないならばBでない(A∨~B)。
の「対偶」は、
② BならばAである(~B∨A)=
② Bは Aである。
に等しい。
従って、
(01)(02)により、
(03)
② Aが Bである。⇒
② A以外は Bでない。⇒
② AでないならばBでない。⇒
② Bならば Aである。⇒
② Bは Aである。
といふ「五段論法」が、成立する。
従って、
(03)により、
(04)
② AがBである。⇒
② BはAである。
といふ「含意」が、成立する。
然るに、
(05)
② AがBである。と言っておきながら、
① AはBでない。と言ったら、ウソになる。
従って、
(05)により、
(06)
② AがBである。⇒
① AはBである。
といふ「含意」も、成立する。
従って、
(04)(06)により、
(07)
③ AがBである。⇒
① AはBである。& ② BはAである。
といふ「含意」が、成立する。
従って、
(07)により、
(08)
① AはBである(順)。
② BはAである(逆)。
③ AがBである(裏)。
である際に、この場合は、
③ ⇒ ①&②
といふ「含意」が成立する。
然るに、
(09)
③ ⇒ ①&②
の「対偶」は、
~(①& ②)⇒ ~③
~①∨~② ⇒ ~③ :「ド・モルガンの法則」
従って、
(08)~(09)により、
(10)
① AはBである(順)。
② BはAである(逆)。
③ AがBである(裏)。
である際に、
(イ)「 ③ ⇒ ① & ②」
(ロ)「~①∨~② ⇒~③」
といふ「含意」が成立する。
従って、
(11)
(イ)により、
③ 孔子が先生である。
といふ「命題」が「真」であれば、
① 孔子は先生である。
② 先生は孔子である。
といふ「命題」も、「真」になり、
(ロ)により、
① 孔子は先生である。
といふ「命題」が、「真」であっても、
② 先生は孔子である。
といふ「命題」が、「偽」であれば、
③ 孔子が先生である。
といふ「命題」は、「偽」になる。
然るに、
(12)
② 先生={孔子}
であるならば、
② 先生は孔子である。
は、「真」であるが、
② 先生={孔子、子思、孟子、荻生徂徠、山鹿素行、・ ・ ・ ・}
であるならば、
② 先生は孔子である。
は、「真」であるとは、言へない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① 孔子は先生である(順)。
② 先生は孔子である(逆)。
③ 孔子が先生である(裏)。
である際に、
(イ)「 ③ ⇒ ① & ②」
(ロ)「~①∨~② ⇒~③」
といふ「含意」が成立する。といふことは、
先生={孔子}
である。といふことに、他ならない。
然るに、
(14)
③ 先生={孔子}
といふことは、
③ ONLY 孔子 IS 先生。
といふことである。
然るに、
(15)
③ ONLY 孔子 IS 先生。
といふことは、
③ 孔子が先生である=孔子は先生であって(孔子以外は先生でない)。
といふことに、他ならない。
従って、
(01)~(15)により、
(16)
① AはBである。
③ AがBである。
に於いて、
③ AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
といふ「等式」が、成立する。
Q.E.D.
然るに、
(17)
弟子三千人。身通六芸者、七十有二人。
孔子の弟子は三千人あったが、その中、六芸に通じたものが七十二人あった(十八史略)。
に於いて、
③ 先生={孔子}
③ ONLY 孔子 IS 先生。
である。
従って、
(17)により、
(18)
「論語」といふ「世界」に於いて、
① 孔子は先生である。
② 先生は孔子である。
③ 孔子が先生である。
は、三つとも、「真」である。
従って、
(19)
④ 誰 が先生である。
③ 孔子が先生である。
は、「真」である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① 孔子は先生である。
② 先生は孔子である。
③ 誰 が先生である。
④ 孔子が先生である。
といふ、ことになる。
然るに、
(21)
「論語、微子第十八、六、七」と、「辞書」を参考にすると、
① あなたは誰か。
② 仲由です。
③ 誰 が先生である。
④ 孔子が先生である。
といふ「日本語」は、「漢文」では、
① 子為誰。
② 為仲由。
③ 誰 為先生。
④ 孔子為先生。
といふ、ことになる。
然るに、
(22)
④ 孔子為先生。
だけを見ると、
③ 孔子 IS 先生=SVC(英語第二文型)。
であるやうに、見えるものの、
「為」は、むしろ、「他動詞」である。
cf.
為(爲)イ
① する。行なう。
② でき上がる。・・・になる。
③ 統治する。
④ ・・・である。
⑤ こしらえる。
⑥ まねする。いつわる。
⑦ のために。
⑧ れる(られる)。
⑨ ・・・だと思う。
(小林信明監修、重要漢文単語 文例精解、6頁)。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① 子為誰(あなたは誰か)。
に対する、
③ 誰為先生(誰が先生か)。
は、「誰(目的語)」の「前置」である。
然るに、
(24)
漢語としての「通常の語順」を変えて、「目的語の疑問詞」を「前置」することは、疑問文において、その疑問の中心になっている「疑問詞」を、特に「強調」したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、334・5頁)。
従って、
(23)(24)により、
(25)
① 子為誰(あなたは誰か)。
に対する、
③ 誰為先生(誰が先生か)。は、
「誰(目的語)」の「前置」による、「強調形」であって、
「誰(疑問詞)」の「移動」による、「強調形」である。
然るに、
(01)により、
(26)
① あなたは誰である。
② 誰が先生である。
に於いて、
②は、①に対する「心理的な音量差」に「強調形」であって、
② 誰が先生である=誰が先生であって(誰以外が先生でない)か。
といふ、「意味」である。
従って、
(16)(17)(25)(26)により、
(27)
③ 先生={孔子}
③ ONLY 孔子 IS 先生。
であって、尚且つ、
① 子為誰(あなたは誰か)。
に対する、
③ 誰為先生(誰が先生か)。は、
「誰(疑問詞)」の「移動」による「強調形」であって、
① あなたは誰か(子為誰)。
に対する、
③ 誰が先生か(誰為先生)。
は、「心理的な音量差」による「強調形」である。
従って、
然るに、
(28)
「唯一」の「唯」、すなはち、「ONLY ONE」の「ONLY」に相当する「漢字」
に関して、
それで、この「惟」や「唯」が用いられているものは、その動詞の目的語が、更に特に強調されていたものである(鈴木直治、中国語と漢文、341頁)。
との、ことである。
従って、
(28)により、
(29)
「強調」は、「ONLY」の「意味」に結びつくのであって、それ故、
① AはBである。
② AがBである。
に於いて、
① AはBである=A IS B。
② AがBである=ONLY A IS B。
といふ「意味」である。が故に、
②は、①に対する「心理的な音量差」に「強調形」であって、
① 子為誰(あなたは誰か)。
に対する、
③ 誰為先生(誰が先生か)。
は、「誰(目的語)」の「前置」による「強調形」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(30)
[1]wh移動
意味を導くための深層構造が必要だという説明の時に、一番最初に取り上げられたのは疑問詞が文頭にある疑問文でした。主語はともかく、目的語が動詞の直後ではなく、動詞の前しかも文の先頭にあるという事実を説明するためには、目的語である疑問詞がちゃんと動詞の直後にある深層構造を設定すればよいわけです(町田健、チョムスキー入門、2006年、117頁)。
どの文についても、英語の文法は深層構造を生成するし、この深層構造と表層構造が結び付ける方法を示す規則を含んでいる(ノーム・チョムスキー、言語と精神、2011年、195頁)。
然るに、
(31)
漢語としての「通常の語順」を変えて、「目的語の疑問詞」を「前置」することは、疑問文において、その疑問の中心になっている「疑問詞」を、特に「強調」したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、334・5頁)。
に於いて、
漢語 ⇒ 英語。
疑問 ⇒ WH疑問。
前置 ⇒ WH移動。
とするならば、
英語としての「通常の語順」を変えて、「目的語のWH疑問詞」を「WH移動」することは、WH疑問文において、そのWH疑問の中心になっている「WH疑問詞」を、特に「強調」したものにちがいない。
といふ、ことになる。
従って、
(32)
「FC2ブログ(2011.05.03.TueCategory:論理学)」でも書いてゐるやうに、
その言語(漢語)を用ちいる集団の意識として、
「排他的命題」を主張する目的が、「強調」につながり、「強調」しようとする意識が、「疑問詞の前置(Wh移動)」をプロモート(促進・助長)する形で、「漢文に於ける、Wh移動」が、定着したという風に、私は、理解しています。
従って、
(33)
「漢文のWh移動」から見たとき、
この場合、深層構造から表層構造への変換過程で一番重要なのは、疑問詞を文頭に移動させる変形で、この変形規則を「Wh移動変形」と呼びます(町田健、チョムスキー入門、118頁)。
という言い方は、ただ単に、そう決めるのであると、述べているに過ぎず、そのため、私には、ずいぶんと、無理があるように、思えて、なりません。
(34)
鳥がゐる(今、目に前に)。
おじいさんとおばあさんがいた(昔、ある所に)。
のうちの、
鳥がゐる(今、目に前に)。
に関しては、
kannbunn.blog84.fc2.com/blog-entry-16.html を、クリックして下さい。
これも、前半は、約三十年前に読んだ、「没論文」に、書いた通りです。
平成26年03月05日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿