(01)
「漢音」で読めば、
① 兄弟=けいてい
② 女性=じょせい
③ 今昔=きんせき
④ 人間=じんかん
⑤ 強力=きょうりょく
である(はずである)。
(02)
「呉音」で読めば、
① 兄弟=きょうだい
② 女性=にょしょう
③ 今昔=こんじゃく
④ 人間=にんげん
⑤ 強力=ごうりき
である(はずである)。
(03)
「普通」に読めば、
① 兄弟(呉音)=きょうだい
② 女性(漢音)=じょせい
③ 今昔(呉音)=こんじゃく
④ 人間(呉音)=にんげん
⑤ 強力(漢音)=きょうりょく
である。
(04)
「漢音・呉音」といふのは、
遣唐使たちがかなり体系的にまとまった形のものとして持ち帰った「漢音」、それよりも古く、おそらく仏教の渡来とともに徐々に、そうしておそらく主として個々の語の読みとして蓄積されてきた呉音(貝塚茂樹、小川環樹、日本語の世界3、1981年、112頁)のことを言ふ。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
「日本漢字音」は、「漢音と呉音の、まぜこぜ」である。
従って、
(06)
明経の徒、宜しく漢音に習熟すべし(日本記略)。
といふことから、「漢文の音読」は、「漢音」で「徹底」しようとするならば、「一々、辞書」で調べなければならないものの、そんなのは、「大変」なので、私の場合は、さうしようとして、結局は、挫折した。
然るに、
(07)
「漢音であっても、呉音であっても、慣用音であっても、唐宋音であっても、なんでもよい」ので、とにかく、「音読せよ」といふことであれば、「音読できない漢字」は、「音読できる漢字」よりも、「はるかに、少ない」。
例へば、
(08)
「教学者、風呂で覚える漢文」の、「100個の例文」で言へば、「愆(ケン)」以外の漢字は、「辞書を引かなくとも、音読できる」。
従って、
(09)
「とにかく、日本漢字音で、音読せよ」といふことであれば、例へば、「虎の威を借る(戰國策)」である所の、
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子随我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂与之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文」を、
① コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
② コエツシムカンショクガヤ。
③ テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④ コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥ シズイガコウカン。
⑦ ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧ コイヰゼン。
⑨ コツイヨシコウ。
⑩ ジュウケンシカイソウ。
⑪ コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫ イヰイコヤ。
といふ「日本漢字音」で、「音読」出来、尚且つ、私自身は、「暗誦」出来る。
(10)
① コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
② コエツシムカンショクガヤ。
③ テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④ コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
といふ「四行」を、「暗誦」出来て、
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
といふ「五行目」が「暗誦」出来ないとする。
然るに、
(11)
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
は、思ひ出せなくとも、
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
といふ「訓読」は、思ひ出せたとする。
然るに、
(12)
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
といふ「訓読」を、「復文」すれば、
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
となるし、
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
を、「声に出せ」ば、
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
となる。
従って、
(09)~(12)により、
(13)
① 虎百獸を求め而之を食らひ狐を得たり。
② 狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③ 天帝、我をして百獸に長たら使む。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
⑥ 子我が後に随ひて觀よ。
⑦ 百獸之我を見て、而敢へて走ら不らん乎。
⑧ 虎以て然りと爲す。
⑨ 故に遂に之与行く。
⑩ 獸之を見て皆走る。
⑪ 虎獸の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫ 以て狐を畏るると爲す也。
といふ「訓読」を「暗誦」出来るからこそ、
① コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
② コエツシムカンショクガヤ。
③ テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④ コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥ シズイガコウカン。
⑦ ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧ コイヰゼン。
⑨ コツイヨシコウ。
⑩ ジュウケンシカイソウ。
⑪ コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫ イヰイコヤ。
といふ「漢字音」を「暗誦」出来る。
といふ、ことになるし、
等を「音読(口頭で復文)する」場合も、同様である。
然るに、
(14)
かつて漢文学科だった学科や漢文学専攻は、いま、そのほとんすべてが中国文学科や中国文学専攻になってしまっている。そこでは、当然、中国語も履修することになっていて、そこで学んだ方々は、古代の中国文も現代の中国音で発音できるし、またそういう出身の先生は、得意げにそういうように読んでも聞かせたりするもののようである。そこで、日本文学科出身の国語科の先生や、教育学部の国語専修などの出身の先生は、漢文は嫌いではないのだが、生徒からなにか、偽者のように思われて辛い、と聞くことがあったりするのである(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、36頁)。との、ことである。
然るに、
(15)
① 虎求百獸而食之得狐。
といふ「漢文」を、「グーグル翻訳」で確認すると、
① 虎求百兽而食之得狐。
の「ピンイン」は、
① Hǔ qiú bǎi shòu ér shí zhī dé hú.
であって、私の耳には、
① フーチョーバイショーアルシーチーデューフー.
のやうに、聞こえる。
然るに、
(16)
わずかに、かの藤堂明保氏による辞典で、藤堂説による古代音と中古音が記載されており、上に書いたような状況なので、藤堂説(一研究者の説)とはいえおおよその音価を知るには唯一といっていいほどの辞典でした(FC2ブログ、古代中国箚記)。とのことである、「学研漢和大辞典、1978年、P(1144,707,879,827,1041,1486,24,447,819)」により、
① 虎求百獸而食之得狐。
に対する、「古代音」を調べてみると、
① hag giog pak thiog nieig diek tieg tek haug(eの逆さは、eで代用した).
との、ことである。
従って、
(13)~(14)により、
(17)
① コ キュウ ヒャク ジュウ ジ ショク シ トク コ。
といふ「日本漢字音」が、
① hag giog pak thiog nieig diek tieg tek haug.
といふ「古代漢語音」に似てゐないのであれば、
① Hǔ qiú bǎi shòu ér shí zhī dé hú.
といふ「普通話の音」も、
① hag giog pak thiog nieig diek tieg tek haug.
といふ「古代漢語(の推定音)」に似てゐない。
加へて、
(18)
中国では昔から、ひとつの語彙を各地域の発音、つまりは「方言」によって自由に、さまざまに読んできたので、規準音の表示のしようがないのであった。その読み方の多様性は、日本における漢音読み、呉音読み、唐音(宋音)読み、慣用音読み、ごちゃまぜ読みの混在による多様性の比ではない。こんにちでこそ、首都北京地方の発音を基準的なものと考えて「普通話」(プートンホワ)という考え方ができ、現代の辞書は「普通話」で示されようになってきたが、そういう習慣が出はじめたのは、民国以後、日本の年代でいえば大正以後、より正確にいえば、昭和の時代になってからのことである(鈴木修次、漢語と日本人、1978年、116頁)。との、ことである。
従って、
(17)(18)により、
(19)
中国文学科の出身である、高校の教師が、日本といふ地域の漢字音を無視して、漢文を、「中国語(北京方言)」で、得意げに読んでも聞かせたりする。
といふことは、ずいぶんと、ヲカシイ。
加へて、
(20)
通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア)。
然るに、
(21)
「 漢文 (文言)」と、「中国語(白話)」が、「同じやうな仕組みの、言語」であって、尚且つ、
「 漢文 (文言)」は、「訓読」に適してゐて、
「中国語(白話)」は、「訓読」に適してゐない。
といふことは、有り得ない。
従って、
(22)
「白話」が、「中国語(普通話)」であるならば、「 文言 (漢文)」は、「中国語」ではない。と、すべきであって、
「漢文」が、「中国語( 文言 )」であるならば、「普通話(白話)」は、「中国語」ではない。と、すべきである。
加へて、
(23)
文法が不確定で略語の多い漢文を読みこなせる人はめったにいない。もちろん中国人だからといって誰でもが読めるわけではない。漢文の解釈については日本語の読み下し文のほうがわかりやすい。これは漢語を母語とする留学生たちの体験としてよく聞いている話だ(黄文雄、漢字文明にひそむ中華思想の呪縛、2001年、226・7頁)。との、ことである。
然るに、
(24)
漢文の解釈については日本語の読み下し文のほうがわかりやすい。これは漢語を母語とする留学生たちの体験としてよく聞いている話だ。
といふのであれば、「漢文」を学ぶ上で、「中国語(北京語)の知識が、必須でない。」といふことは、言ふまでもない。
(25)
漢文とは世界で最も難解な文章体系である。しかし日本人が開発した訓読、音読と、カナを混入させる文章体系によって、蓄積された漢字の知恵が体系化された。日本人は和文によって漢文のあいまいさと神秘性を是正し、神学的あるいはスコラ的な士大夫に独占されてきた中国語の伝統的な知識を広く大衆化してくれた。それは漢字文明圏において最大の出来事ではないだろうか(黄文雄、漢字文明にひそむ中華思想の呪縛、2001年、227頁)。とのことである。
(26)
魏源の『海国図志』も、すぐに日本に輸入されました。漢文の本ですから、当時の日本人には簡単に読めます。これを読んだ幕末の日本人は、西洋文明の実力を認識し、日本が西洋の植民地にされるという深刻な危機意識を抱きました。幕末の日本が攘夷から開国に転じたのも、明治政府が殖産興業や富国強兵に力を入れたのも、魏源の「夷の長技を師として以て夷を制す」という主張の影響がありました。もし、江戸時代の日本人が、漢文を読めなかったら。もし日本でも科挙の受験勉強のような詰め込み式漢文教育が行われていたら、たぶん日本の近代化への歩みは、ずっと困難のものになっていたことでしょう。西郷隆盛、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、勝海舟といった幕末のヒーローたちは、いずれも漢詩を書き残しています。彼らは、いわば「中流実務階級」の出身者でした(加藤徹、NHK知るを楽しむ 歴史に好奇心、日中二千年漢字のつきあい、2008年、60・61頁)。との、ことである。
従って、
(25)(26)により、
(27)
日本とは異なり、中国が、列強に屈したのは、「漢文訓読法」が無かったが故に、ごく一部の特権階級だけしか、「漢文」が出来なかったからである。
といふ、「理屈」になる。
(28)
例へば、
① 我英語を学ばず。
といふ「訓読(書下し文)」を、
① 我不学英語。
といふ「漢文(白文)」に戻すことを、「復文」といふ。
然るに、
(29)
漢文の組織を理解せざれば、漢文を讀み、漢文を作ること能はず。その組織を理解する練習の一大捷逕としては復文が其の至上法なることは、先儒伊藤東涯以来の説く所にして、今更喋々を要せざるなり(山下賤夫、復文の系統的練習、1926年、序文)。との、ことである。
平成28年11月17日、毛利太。
―「関連記事」―
「漢文の、勉強の仕方」(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post_10.html)。
「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。
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