(01)
而=&(連言)
則=⊃(含意)
A=学
B=優
C=仕
従って、
(01)により、
(02)
① 学而優則仕=
② A&B⊃C。
従って、
(03)
① 学而優則仕。
といふ「論語」の一句は、
② A&B⊃C=AであってBならばC。
といふことである。
然るに、
(04)
② AであってBならばC。
といふ「構文(シンタックス)」は、「これ以上簡単なそれが無い」くらひ、「簡単」である。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① 学而優則仕=
② 学&優⊃仕=学びて優なれば則ち仕ふ。。
といふ「漢文」は、「これ以上簡単なそれが無い」くらひ、「簡単」である。
然るに、
(06)
学部の2年生でこの学習会に参加していた者たち二三人が、あるとき連れ立ってわたしの所に来、「学而優則仕」と書いた紙切れを示して、これはどういう意味ですか、とたずねた(牛島徳治、中国古典の学び方、1977年、60頁)。
(07)
これは『論語』の中の句で、「学んでゆとりがあったら官吏になる」ということだ、と説明した。それから一週間か十日ぐらいたったある夜、わたしは何か所かわからない箇所があった。あとで、みんなで読み合わせ、突き合わせて解読して行くうち、わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出して、いった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた”xue er you ze shi”ですよ!」(同じく、60頁)。
従って、
(05)~(07)により、
(08)
① 学而優則仕=
② A&B⊃C=AであってBならばC。
といふ「漢文」は、「極めて簡単」であるにも拘わらず、「漢文訓読」の知識に依らない限り、「中国語の先生」にも読めなかった。
といふ、ことになる。
然るに、
(09)
ノルマン征服以来、イングランドを支配したのはフランス語話者たちで、イングランドの公用語もフランス語となった(唐澤一友、英語のルーツ、2011年、21頁)。
古英語を見て古い英語だと分かるかどうかも怪しい。英語はこの1000年間でそれだけ大きく性質を変化させてきたのである(唐澤一友、英語のルーツ、2011年、15頁)。
(10)
「フランス語で、古英語が読めない」のは当然であるが、「古英語を見て古い英語だと分かるかどうかも怪しい」のであれば、固より、古英語は、英語であるとさへ、言へない。
然るに、
(11)
オカダ 氏に依れば、北京語が徹底的なアルタイ語化を被ったために、中国語系統の中でも特殊な位置を占めるものとなった。アルタイ語化過程は一七世紀から満州族が中国を侵略して、首都の北京を中心に全国土を支配するようになった時から始まった。二百年以上を経て、アルタイ系統の中のツングース系に属している満州語が北京の話し言葉をはじめ北方中国の方言に非常に強い影響を及ぼした結果、北京語がもはや中国語系統に属せず、アルタイ語系統の一言語とみなさなければならないと強調する(webサイト、二十一世紀の漢文、ジャン-ノエル ロベール)。
従って、
(09)~(11)により、
(12)
「漢文(漢語)」が、「中華人民共和国語(アルタイ語)」で読めない。といふことは、
「古英語(ゲルマン語)」が、「フランス語(ロマンス語)」で読めないことに、相当する。
然るに、
(13)
今は昔、竹取の翁といふ者ありけり≒
今は昔、竹取の翁という者がいた。
といふことは、小学生にも、分るはずである。
従って、
(14)
「日本語の古文」と、「現代日本語」は、繋がってゐる一方で、
「漢文(漢語)」と、「中華人民共和国語(アルタイ語)」は、繋がってゐない。
従って、
(15)
現代中国語(中華人民共和国語)がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです
...
といふ言ひ方は、
縁木求魚(木に縁りて魚を求む)。
といふことに、等しい。
(16)
じつは日本の、ご存じだと思いますが、荻生徂徠という、悪くいえばけったいなというか、よくいえば非常にすばらしい学者が江戸時代にいたんです。この人は江戸が鎖国時代であるにもかかわらず中国語ができた。
然るに、
(17)
荻生徂徠にしても、
「中国語(?)」⇒「漢文」
の「順番」ではなく、
「漢文」⇒「中国語(?)」
の「順番」で、学んだ。はずである。
そのため、
(18)
荻生徂徠にしても、「中国語(?)」が出来たが故に、その結果として、「漢文」も出来た。とは、思へない。
それ故、
(19)
中国文学科に変身した新学科には、訓読を軽視し、否定する教授もいらっしゃる(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、38頁)。
といふことは、出来れば、無くなって、もらいたい。
ものの、私の漢文は、受験の際のそれを除くと、全くの独学です。
それ故、
(20)
現代中国語(中華人民共和国語)がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです
...
といふ言ひ方は、
縁木求魚(木に縁りて魚を求む)。
といふことに、等しい。
と、書くにあたって、気兼ねをしなければならない先生は、私にはゐません。
平成26年02月11日、毛利太。
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