「仮定」により、
(01)
PならばQである。
「仮定」により、
(02)
Pであって、Qでない。
従って、
「連言除去(02)」により、
(03)
Pである。
従って、
「連言導入(01)(03)」により、
(04)
PならばQであって、Pである。
従って、
「前件肯定(04)」により、
(05)
Qである。
然るに、
「連言除去(02)」により、
(06)
Qでない。
従って、
「連言導入(05)(06)」により、
(07)
Qである。のに、Qでない。
従って、
「背理法(02)(07)」により、
(08)
「Pであって、Qでない。」ではない。
従って、
「条件法(01)(08)」により、
(09)
「PならばQである。」ならば、
「Pであって、Qでない。」ではない。
「仮定」により、
(10)
「Pであって、Qでない。」ではない。
「仮定」により、
(11)
Pである。
「仮定」により、
(12)
Qでない。
従って、
「連言導入(11)(12)」により、
(13)
Pであって、Qでない。
従って、
「連言導入(10)(13)」により、
(14)
「Pであって、Qでない。」ではないのに、
「Pであって、Qでない。」。
従って、
「背理法(12)(14)」により、
(15)
「Qでない。」ではない。
従って、
「二重否定(15)」により、
(16)
Qである。
従って、
「条件法(11)(16)」により、
(17)
PならばQである。
従って、
「条件法(10)(17)」により、
(18)
『「Pであって、Qでない。」ではない。』ならば、
「PならばQである。」
従って、
「等値の定義(09)(18)」により、
(19)
『「Pであって、Qでない。」ではない。』と、
「PならばQである。」は、
「論理的」に、等しい。
従って、
(19)により、
(20)
『「Pであって、Qである。」ではない。』と、
「PならばQでない。」は、
「論理的」に、等しい。
従って、
(21)
日本語の順で、「記号」で書くと、
(P∧Q)¬=P⊃Q¬
従って、
(22)
論理学の順で、「記号」で書くと、
¬(P∧Q)=P⊃¬Q
従って、
(23)
漢文で書くと、
不(P而Q)=如P則不Q
であるものの、
如は、省略できるため、
不(P而Q)=P則不Q
然るに、
(23)
「論理」自体は、「普遍的」であるため、
¬(P∧Q)=P⊃¬Q
といふ「等式」と、
不(P而Q)=P則不Q
といふ「等式」とは、「完全に、等しい」。
従って、
(23)
P=捨(義)=義を捨てる。
Q=取(命)=命を取る。
を「代入」すると、
不〔捨(義)而取(命)〕=捨(義)則不〔取(命)〕。
といふ「等式」は、「論理的」に正しい。
然るに、
(25)
日本語と漢文に於いて、「語順」は異なってゐても、「論理」は、日本語であっても、漢文であっても、共通である。
従って、
(25)により、
(26)
『「返り点」に対する「括弧」の用法』により、
① 不〔捨(義)而取(命)〕⇒〔(義を)捨て(命を)取ら〕ず。
② 捨(義)則不〔取(命)〕⇒(義を)捨てなば則ち〔(命を)取ら〕ず。
に於いて、
①=②
といふ「等式」は、「論理的」に正しい。
(27)
「義を捨てて命を取らず。」
では、分かりにくいのあれば、
『「義を捨てて命を取る」といふことは無い。』
で以て、考へて欲しい。
(28)
それでも分かりにくいのであれば、
『「義を捨てて迄、命を取る」といふことは無い。』
で以て、考へて欲しい。
(29)
『「義を捨てて迄、命を取る」といふことは無い。』
といふことは、
『「義を捨てる」くらいならば、「命を捨てる」。』
といふ、ことである。
然るに、
(30)
『「義を捨てて迄、命を取る」といふことは無い。』
といふことと、
『「義を捨てる」くらいならば、「命を捨てる」。』
といふことが等しい。といふことは、
① 不〔捨(義)而取(命)〕⇒〔(義を)捨て(命を)取ら〕ず。
② 捨(義)則不〔取(命)〕⇒(義を)捨てなば則ち〔(命を)取ら〕ず。
に於いて、
①=② である。
といふことに、他ならない。
従って、
(31)
① 不〔捨(義)而取(命)〕。
② 捨(義)則不〔取(命)〕。
に於いて、
①=② である。
といふことに、他ならない。
従って、
(30)(31)により、
(32)
① 不捨義而取命=義を捨て命を取らず。
② 捨義則不取命=義を捨てなば則ち命を取らず。
といふ「漢文訓読」に於いて、
①=② である。ならば、
① 不捨義而取命。
② 捨義則不取命。
といふ漢文は、その実、
① 不〔捨(義)而取(命)〕。
② 捨(義)則不〔取(命)〕。
といふ形をしてゐる。と、すべきである。
Q.E.D.
平成26年02月04日、毛利太。
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