(01)
AとBは集合であって、
A={1,2}
B={1,2,3}
であるとする。
従って、
(01)により、
(02)
ⅹがAの要素であれば、
ⅹ=1 か、
ⅹ=2 であるが、
1は、Bの要素であって、
2 も、Bの要素である。
然るに、
(01)により、
(03)
ⅹがBの要素でないならば、
ⅹ≠1 であって、
ⅹ≠2 であって、
ⅹ≠3 であるため、
ⅹは、
A={1,2}
の中にはない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
AとBが、集合であって、
A={1,2}
B={1,2,3}
であるならば、
① ⅹがAならば、ⅹはBである。
② ⅹがBでないならば、ⅹはAでない。
に於いて、
①と②は、両方とも「正しい」。
加へて、
(05)
A={1,2}
B={1,2}
である場合も、
A={1}
B={1}
である場合も、
① ⅹがAならば、ⅹはBである。
② ⅹがBでないならば、ⅹはAでない。
に於いて、
①と②は、両方とも「正しい」。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
に於いて、
①が「真(本当)」であれば、
②も「真(本当)」であって、
②が「真(本当)」であれば、
①も「真(本当)」である。
然るに、
(07)
① Aならば、Bである。
に対する、
② Bでないならば、Aでない。
を、
①の「対偶」といふ。
然るに、
(08)
② Bでないならば、Aでない。
の「対偶」は、
② Aでない・でないならば、Bでない・でない=
① Aならば、Bである。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
に於いて、
①は②の「対偶」であり、
②は①の「対偶」であるものの、
通常の数学では、命題「AならばB」の真偽とその対偶「BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)〔ウィキペディア:対偶〕。
従って、
(09)により、
(10)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
に於いて、
①と②は、「同じ命題」の、「言ひ換へ」に過ぎない。
然るに、
(11)
② Bでないならば、Aでない。
といふことは、
③ B以外は、Aでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
③ B以外は、Aでない。
に於いて、
①=②=③
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(13)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
③ B以外は、Aでない。
に於いて、AとBには、特に、意味が無い。
従って、
(13)により、
(14)
① A以外は、Bでない。
② Aでないならば、Bでない。
③ Bならば、Aである。
に於いて、
①=②=③
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(15)
① AはBである。
としても、
② A以外はBでない。
とは、限らない。
然るに、
(16)
① AがBである。
ならば、
② A以外はBでない。
従って、
(14)(16)により、
(17)
① AがBである。
ならば、
② A以外はBでない(BならばAである)。
然るに、
(18)
① AがBである。
であって、尚且つ、
① AはBでない。
とするならば、「矛盾」する。
従って、
(18)により、
(19)
① AがBである。
ならば、
① AはBである。
従って、
(17)(19)により、
(20)
① AがBである。
といふ「言ひ方」は、
① AはBであり、
② BはAである(A以外はBでない)。
といふ「連言」に、等しい。
従って、
(21)
① 私が社長です。
といふ「言ひ方」は、
① 私は社長であり、
② 社長は私である(私以外は社長でない)。
といふ「連言」に等しい。
従って、
(22)
① 私が社長です。
② 社長は私です(私以外は社長でない)。
といふ「答へ」を期待してゐるのであれば、
① 誰が社長ですか。
② 社長は誰ですか。
といふ風に、質問すべきであって、
① 誰は社長ですか。
といふ風に、質問すべきではない。
従って、
(22)により、
(23)
例へば、
誰が社長ですか。
社長は誰ですか。
私が社長です。
社長は私です。
といふ「日本語」を説明する際に、「既知・未知」といふ「用語」を用ゐる必要はない。
然るに、
(24)
ハの上には既知扱いのものがおかれる当然の結果として、ハの上には疑問詞はこない。
誰はいるか。
何はあるか。
どれは君のか。
という表現は可能ではない。ハの上は既知として扱うのが原則であるから、「誰」「何」「どれ」のような疑問詞をハで承けることはない(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、26頁)。
然るに、
(25)
例へば、
(AとBの内)どれが君のか。
これ(A)が私のです。
といふのであれば、
これ(A)は私のであって、
これ以外(B)は私のではない。
といふことに、他ならない。
(26)
このハの上にくるものは、既知として扱うので、誰でも当然知っているものがくる。たとえば、
地球は丸い
人は死ぬ
二掛ける三は六である。
花のにほひは昔に変らず。
「地球」「人」などは時や場所を超越して、誰でも知っている存在として扱われる対象である。「二掛ける三」とは学問上の命題である。こうしたものはハで承ける(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、26頁)。
然るに、
(27)
{地球、三角定規、竹とんぼ、ホームベース、食パン}の中では、
地球が丸く(地球以外は丸くない)。ものの、
{地球、三角定規、竹とんぼ、ホームベース、食パン}は、大人の日本人であれば、ほぼ、誰もが、知ってゐる。
(28)
1+2+3=6
は完全数であるとのことであるが、
6の次の完全数は江夏の背番号(28)である。
といふ場合の、
6の次の完全数 は、普通の日本人には、「未知」である。
従って、
(29)
既知は ・ ・ ・ ・ ・。
未知が ・ ・ ・ ・ ・。
であるならば、
6の次の完全数は江夏の背番号である。
といふ「言ひ方」は、
6の次の完全数が江夏の背番号である。
でなければならない。
然るに、
(30)
6の次の完全数は江夏の背番号である。
といふ「言ひ方」は、「普通」である。
平成27年03月17日、毛利太。
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