―「2月18日の記事」を、書き直します。―
(01)
① ∃・Α と彫られた「印章(seal)」を用ゐると、
① ∃・Α は、
② Α・Ε は、
といふ「形(shape)」で、「PRINT(印刷)」される。
然るに、
(02)
② Α・Ε とPRINTされたTシャツを着た人物が、鏡に向って「直立」すると、鏡の中で、
② Α・Ε は。
① ∃・Α に見える。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「鏡(mirror)」 と「実体(existence)」の「関係」は、
「布(material)」と「印章(seal)」 の「関係」に、相当する。
(04)
② Α・Ε と書かれたTシャツを着た人物が、「回れ右」をしてこちらを振り返ると、
② Α・Ε は、
② Α・Ε に見える。
(05)
② Α・Ε と書かれたTシャツを着た人物が、「逆立ち」をしてこちらを振り返ると、
② Α・Ε は、
③ ∃・∀ に見える。
然るに、
(06)
① ∃・Α(鏡の中)
② Α・Ε(鏡の外で、回れ右)
③ ∃・∀(鏡の外で、逆立ち)
に於いて、
①&②=(∃・Α)&(Α・Ε)=(Α・Α)・(∃・Ε)
①&③=(∃・Α)&(∃・∀)=(∃・∃)・(Α・∀)
従って、
(06)により、
(07)
①&② ⇒(∃・Ε)=「左右が逆である。」
①&③ ⇒(Α・∀)=「上下が逆である。」
従って、
(06)(07)により、
(08)
① ∃・Α(鏡の中)
② Α・Ε(鏡の外で、回れ右)
③ ∃・∀(鏡の外で、逆立ち)
に於いて、
① ∃・Α を、「基準」にすると、
② Α・Ε は、「左右」が「逆」であり、「上下」が「等しい」。
③ ∃・∀ は、「上下」が「逆」であり、「左右」が「等しい」。
従って、
(02)(04)~(08)により、
(09)
① Α・Εと書かれたTシャツを着た人物が、鏡に向って「直立」する時、
② 鏡の中の人物は、「回れ右」をしてゐないし、尚且つ、
③ 鏡の中の人物は、「逆立ち」もしてゐない。
従って、
(09)により、
(10)
① Tシャツを着てゐない我々が、鏡に向って「直立」する場合であっても、
③ 鏡の中の人物は、「逆立ち」をしてゐないし、尚且つ、
② 鏡の中の人物は、「回れ右」もしてゐない。
―「ここ迄」が「理解」出来ない場合は、「(02)(04)~(10)」を、繰り返し、読んで下さい。―
然るに、
(11)
② Α・Ε といふ「形(shape)」だけしか見たことが無い人が、
① ∃・Α といふ「形(shape)」を見て、
② Α・Ε といふ「形(shape)」の「間違ひ」であると思ふことは、仕方がない。
従って、
(12)
③ ∃・∀ といふ「形(shape)」だけしか見たことが無い人が、
① ∃・Α といふ「形(shape)」を見て、
③ ∃・∀ といふ「形(shape)」の「間違ひ」であると思ふことも、仕方がない。
然るに、
(13)
①&② ⇒(∃・Ε)=「左右が逆である。」
といふ「矛盾」に目を向ければ、
①&②=Why Do Mirrors Reverse Left and Right but Not Up and Down?
といふ「疑問」が生じ、
①&③ ⇒(Α・∀)=「上下が逆である。」
といふ「矛盾」に目を向ければ、
①&③=Why Do Mirrors Reverse Up and Down but Not Left and Right?
といふ「疑問」が生じることになる。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
①&②=Why Do Mirrors Reverse Left and Right but Not Up and Down?
といふことを、「疑問」に思ひ、
①&③=Why Do Mirrors Reverse Up and Down but Not Left and Right?
といふことを、「疑問」に思はないとしたら、
その人は、ただ単に、
② Α・Ε といふ「形(shape)」だけしか見たことが無いがため、
① ∃・Α といふ「形(shape)」を見て、
② Α・Ε といふ「形(shape)」の「間違ひ」であると、思ってゐる。
といふことに、過ぎない。
従って、
(14)により、
(15)
①&③=Why Do Mirrors Reverse Up and Down but Not Left and Right?
といふことを、「疑問」に思ひ、
①&②=Why Do Mirrors Reverse Left and Right but Not Up and Down?
といふことを、「疑問」に思はないとしたら、
その人は、ただ単に、
③ ∃・∀ といふ「形(shape)」だけしか見たことが無いがため、
① ∃・Α といふ「形(shape)」を見て、
③ ∃・∀ といふ「形(shape)」の「間違ひ」であると、思ってゐる。
といふことに、過ぎない。
然るに、
(16)
lo96969olさん(2014/4/20 2:29:22)曰く、
心理的な問題、直観的な認識の問題ですね。私たちがもし、友人に後ろから声をかけられたとき肩越しに振り向くのではなく、逆立ちして後ろを向き会話を始めるような生物であれば、(誰かと対面するときに常に自分の頭は相手の足側、相手の足は自分の顔の前にあるわけですから)、鏡に写った自分を見て「上下が反転してゐる」と感じるでしょう。
従って、
(15)(16)により、
(17)
lo96969olさんの「回答」は、正しいものの、「lo96969olさんの譬へ」では、分りにくいのか、lo96969olさん(2014/4/20 2:29:22)の回答は、BΑ(ベストアンサー)にはなってゐません。
(18)
そのため、
lo96969olさんが言はんとしたことを基づいて、次のような、「作り話」をすることにします。
(19)
昔々、ある『村』に、Aさん(30歳)が住んでゐて、Aさんが住むその『村』には、「鏡」が有りません。
Once upon a time there lived in a isolated village a thirty years old man whose name was Alfred. There was no mirror in his village.
(20)
Aさんが住むその『村』には、「変はった習慣(常識)」が有って、その『習慣(常識)』が、先祖代々、約一万年続いてゐます。
(21)
「変はった習慣(常識)」=『「二人の人間」が向ひ合ふ場合は、どちらか一方の人間だけが「逆立ち」をしなければならない。』
であるとします。
従って、
(22)
AさんとBさんが向ひ合っていて、
Aさんが「逆立ち」をしてゐない。ならば、Bさんは「逆立ち」をしてゐる。
Bさんが「逆立ち」をしてゐない。ならば、Aさんは「逆立ち」をしてゐる。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
Aさんは、自分が一人で立ってゐる限り、Aさんの方を向いて立ってゐる「一人の人物」を、今までに、一度も見たことが無い。
といふことに、なります。
(24)
そのAさんが、タイムスリップをして、「平成28年の日本」に来て、「生まれて初めて、鏡の前に立った」とします。
ところが、
(25)
① 鏡の前のA(=A)さんは「逆立ち」をしてゐない。
のであれば、当然、
② 鏡の中のB(=A)さんも「逆立ち」をしてゐない。
といふことに、なります。
従って、
(23)(25)により、
(26)
Aさんは、自分が立ってゐる限り、Aさんの方を向いて、立ってゐる「人物」を、今までに、一度も見たことが無かった。
にもかかわらず、
① 鏡の前のA(=A)さんは「逆立ち」をしてゐない。
② 鏡の中のB(=A)さんも「逆立ち」をしてゐない。
といふことから、
Aさんは、自分が立っていて、尚且つ、こちらを向いて立ってゐる誰かB(=A)を、生まれて初めて、見ることになります。
(27)
鏡の前で、あなたが「頭を上にして立って」ゐる際に、
鏡の中で、あなたが「逆立ち」をしてゐる。としたら、
あなたにとっては、「異変」です。
ところが、
(26)により、
(28)
Aさんは、自分が立っていて、尚且つ、こちらを向いて立ってゐる誰かB(=A)を、生まれて初めて見た。
のであって、そのため、Aさんにとっては、
① 鏡の前のA(=A)さんは「逆立ち」をしてゐない。
② 鏡の中のB(=A)さんも「逆立ち」をしてゐない。
といふことこそが、「異変」です。
(29)
しばらくして、Aさんは、自分の目の前にあるのは、実際には「ガラスの板」であることを知り、その「ガラスの板」を「鏡」と呼ぶことにします。
この時、
(28)(29)により、
(30)
Aさんにとっては、
① 鏡の前のA(=A)さんは「逆立ち」をしてゐない。
② 鏡の中のB(=A)さんも「逆立ち」をしてゐない。
といふことこそが、「異変」である。わけですから、そうである以上、
Aさんは、「鏡は左右ではなく、上下を逆に映す。」といふ風に、思ふことに、なります。
然るに、
(19)~(30)により、
(31)
Aさんが、「鏡は左右ではなく、上下を逆に映す。」
といふ風に、思ってしまった「理由(原因)」は、もちろん、Aさんの『村』に有る、
「変はった習慣(常識)」=『「二人の人間」が向ひ合ふ場合は、どちらか一方の人間だけが「逆立ち」をしなければならない。』
といふ「習慣(常識)」が、「唯一の、原因(理由)」です。
従って、
(31)により、
(32)
Aさんの『村』に、「変はった習慣(常識)」が無い場合は、
① 鏡の前のA(=A)さんは「逆立ち」をしてゐない。
② 鏡の中のB(=A)さんも「逆立ち」をしてゐない。
といふ「状態」を見ても、Aさん(普通の人)は、
「鏡は左右ではなく、上下を逆に映す。」といふ風には思はずに、
「鏡は上下ではなく、左右を逆に映す。」といふ風に、「誤解(錯覚)」することになる。
然るに、
(33)
「変はった習慣(常識)」が無いといふことは、
「普通の、習慣(常識)」=『「二人の人間」が向ひ合ふ場合は、二人とも、「逆立ち」をしない。』
といふ「習慣」が有る。といふことに、他ならない。
従って、
(32)(33)により、
(34)
「鏡は上下ではなく、左右を逆に映す。」といふ風に、我々が思ふ「原因(理由)」は、
「普通の、習慣(常識)」=『「二人の人間」が向ひ合ふ場合は、二人とも、「逆立ち」をしない。』
といふ「習慣(常識)」が、我々に、有るからである。
従って、
(32)(34)により、
(35)
Ⅰ 「変はった習慣(常識)」が有るならば、我々(普通の人)は「鏡は左右ではなく、上下を逆に映す。」といふ風に「誤解(錯覚)」するし、
Ⅱ 「普通の、習慣(常識)」が有るならば、我々(普通の人)は「鏡は上下ではなく、左右を逆に映す。」といふ風に「誤解(錯覚)」する。
といふことになる。
然るに、
(36)
『我々が、逆立ちして後ろを向き、会話を始めるような生物であるならば』、
Ⅰ 「変はった習慣(常識)」を、我々は、持つことになる。
従って、
(35)(36)により、
(37)
『我々が、逆立ちして後ろを向き、会話を始めるような生物であるならば』、我々(普通の人)は「鏡は左右ではなく、上下を逆に映す。」といふ風に「誤解(錯覚)」する。
従って、
(37)により、
(38)
心理的な問題、直観的な認識の問題ですね。私たちがもし、友人に後ろから声をかけられたとき肩越しに振り向くのではなく、『逆立ちして後ろを向き、会話を始めるような生物であれば』、(誰かと対面するときに常に自分の頭は相手の足側、相手の足は自分の顔の前にあるわけですから)、鏡に写った自分を見て「上下が反転してゐる」と感じるでしょう。
とする、「lo96969olさんの回答」は、正しい。Q.Ε.D.
然るに、
(39)
Ⅰ 我々は、「変はった習慣(常識)」を持ってゐなくて、
Ⅱ 我々は、「普通の、習慣(常識)」を持ってゐる。
ということと、
Ⅲ 人間の形は、左右には概ね対称(symmetric)であるのに対して、上下は明らかに非対称(asymmetric)である。
ということは、直接には、関係がない。
従って、
(40)
Ⅰ 我々は、「変はった習慣(常識)」を持ってゐなくて、
Ⅱ 我々は、「普通の、習慣(常識)」を持ってゐる。
Ⅲ 人間の形は、左右には概ね対称(symmetric)であるのに対して、上下は明らかに非対称(asymmetric)である。
において、
Ⅲ は、必ずしも、「本質的な問題」ではない。
だからこそ、
(41)
Aさんにとっては、
① 鏡の前のA(=A)さんは「逆立ち」をしてゐない。
② 鏡の中のB(=A)さんも「逆立ち」をしてゐない。
という場合の方が、却って、「異変(abnormal)」である。
といふことになる。
従って、
(42)
Another part of the problem is that most of us are left and right symmetric that causes you to see your reflection in the mirror as a normal looking person facing you(Physics Girl).
という「主張」は、必ずしも、「正しくはない」。
平成28年02月18日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿