(01)
1(1)弟子不必不如師(韓愈・師説)。 A
1(〃)弟子は必ずしも師に如か不んばあら不。 A
1(〃)~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)} A
1(〃)すべてのxについて、xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない。といふわけではない。 A
然るに、
(02)
(a)
1 (1) ~∀x Fx A
2 (2) ~∃x~Fx A
3(3) ~Fa A
3(4) ∃x~Fx 3EI
23(5) ~∃x~Fx&
∃x~Fx 24&I
2 (6) ~~Fa 35RAA
2 (7) Fa 6DN
2 (8) ∀x Fx 7UI
12 (9) ~∀x Fx&
∀x Fx 18&I
1 (ア)~~∃x~Fx 29RAA
1 (イ) ∃x~Fx アDN
(b)
1 (1) ∃x~Fx A
2 (2) ∀x Fx A
3(3) ~Fa A(1の代表的選言項)
2 (4) Fa 2UE
23(5)~Fa&Fa 34&I
3(6)~∀x Fx 35RAA
1 (7)~∀x Fx 136EE
12 (8) ∀x Fx&
~∀x Fx 27&I
1 (9)~∀x Fx 18RAA
従って、
(02)により、
(03)
(a)~∀x Fx
(b) ∃x~Fx
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(03)により、
(04)
(a)~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)}
(b)∃x~{弟子x→∃y(師yx&~如xy)}
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(01)(04)により、
(05)
1(1)弟子不必不如師(韓愈・師説)。 A
1(〃)弟子は必ずしも師に如か不んばあら不。 A
1(〃)~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)} A
1(2)∃x~{弟子x→∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
(06)
(c)
1 (1) P→ Q A
2(2) P&~Q A
2(3) P 2&E
2(4) ~Q 2&E
12(5) Q 13MPP
12(6) ~Q&Q 45&I
1 (7) ~~Q 46RAA
1 (8) Q 7DN
1 (9) ~P∨Q 8∨I
(d)
1 (1) ~P∨ Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P& P 34&I
3 (6)~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q A
2 7 (9) Q&~Q 78&I
7 (ア)~(P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q エオ&I
1 ウエ(カ)~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q 7カRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウク
従って、
(06)により、
(07)
(c) P→Q
(d)~P∨Q
に於いて、
(c)=(d) である。
従って、
(07)により、
(08)
(c) 弟子x→∃y(師yx&~如xy)
(d)~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)
に於いて、
(c)=(d) である。
従って、
(05)(08)により、
(09)
1(1)弟子不必不如師(韓愈・師説)。 A
1(〃)弟子は必ずしも師に如か不んばあら不。 A
1(〃)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} A
1(2)∃x~{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
1(3)∃x~{~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)} 2含意の定義
従って、
(09)により、
(10)
1 (1)弟子不必不如師(韓愈・師説)。 A
1 (〃)弟子は必ずしも師に如か不んばあら不。 A
1 (〃)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} A
1 (2)∃x~{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
1 (3)∃x~{~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)} 2含意の定義
4 (4) ~{~弟子a∨∃y(師ya&~如ay)} A
5(5) ~{~弟子a∨ (師ba&~如ab)} A
然るに、
(11)
(e)
1 (1)~(~P∨Q) A
2 (2) ~P A
2 (3) ~P∨Q 2∨I
12 (4)~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 13&I
1 (5) ~~P 24RAA
1 (6) P 5DN
7(7) Q A
7(8) ~P∨Q 7∨I
1 7(9)~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 18&I
1 (ア) ~Q 79RAA
1 (イ) P&~Q 6ア&I
(f)
1 (1) P&~Q A
2 (2) ~P∨ Q A
3 (3) ~P A
1 (4) P 1&E
1 3 (5) ~P& P 34&I
3 (6) ~(P&~Q) 15RAA
7(7) Q A
1 (8) ~Q 1&E
1 7(9) Q&~Q 78&I
7(ア) ~(P&~Q) 19RAA
2 (イ) ~(P&~Q) 2367ア∨E
12 (ウ) (P&~Q)&
~(P&~Q) 1イ&I
1 (エ)~(~P∨ Q) 2ウRAA
従って、
(11)により、
(12)
(e)~(~P∨ Q)
(f) P &~Q
に於いて、
(e)=(f) である。
従って、
(12)により、
(13)
(e)~{~弟子a∨ (師ba&~如ab)}
(f) 弟子a&~(師ba&~如ab)
に於いて、
(e)=(f) である。
従って、
(10)(13)により、
(14)
1 (1)弟子不必不如師(韓愈・師説)。 A
1 (〃)弟子は必ずしも師に如か不んばあら不。 A
1 (〃)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} A
1 (2)∃x~{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
1 (3)∃x~{~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)} 2含意の定義
4 (4) ~{~弟子a∨∃y(師ya&~如ay)} A
5(5) ~{~弟子a∨ (師ba&~如ab)} A
5(6) 弟子a& ~(師ba&~如ab) 5ド・モルガンの法則
5(7) ~(師ba&~如ab) 6&E
然るに、
(15)
(g)
1 (1)~(師ba&~如ab) A
2 (2) 師ba A
3(3) ~如ab A
23(4) 師ba&~如ab 23&I
123(5)~(師ba&~如ab)&
(師ba&~如ab) 14&I
12 (6) ~~如ab 35RAA
12 (7) 如ab 6DN
1 (8) 師ba→ 如ab 27CP
(h)
1 (1) 師ba→ 如ab A
2 (2) 師ba&~如ab A
2 (3) 師ba 2&E
12 (4) 如ab 13MPP
2 (5) ~如ab 2&E
12 (6) 如ab&~如ab 45&I
1 (7)~(師ba&~如ab) 26RAA
従って、
(15)により、
(16)
(g)~(師ba&~如ab)
(h) 師ba→ 如ab
に於いて、
(g)=(h) である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
1 (1)弟子不必不如師(韓愈・師説)。 A
1 (〃)弟子は必ずしも師に如か不んばあら不。 A
1 (〃)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} A
1 (2)∃x~{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
1 (3)∃x~{~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)} 2含意の定義
4(4) ~{~弟子a∨∃y(師ya&~如ay)} A
4(5) 弟子a&~∃y(師ya&~如ay) 4ド・モルガンの法則
4(6) 弟子a 5&E
4(7) ~∃y(師ya&~如ay) 5&E
4(8) ∀y~(師ya&~如ay) 6量化子の関係
4(9) ~(師ba&~如ab) 7UE
4(ア) ~師ba∨ 如ab 8ド・モルガンの法則
4(イ) 師ba→ 如ab 9含意の定義
然るに、
(17)により、
(18)
1 (1)弟子不必不如師(韓愈・師説)。 A
1 (〃)弟子は必ずしも師に如か不んばあら不。 A
1 (〃)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} A
1 (2)∃x~{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
1 (3)∃x~{~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)} 2含意の定義
4(4) ~{~弟子a∨∃y(師ya&~如ay)} A
4(5) 弟子a&~∃y(師ya&~如ay) 4ド・モルガンの法則
4(6) 弟子a 5&E
4(7) ~∃y(師ya&~如ay) 5&E
4(8) ∀y~(師ya&~如ay) 6量化子の関係
4(9) ~(師ba&~如ab) 7UE
4(ア) ~師ba∨ 如ab 8ド・モルガンの法則
4(イ) 師ba→ 如ab 9含意の定義
4(ウ) ∃y(師ya→ 如ay) イEI
4(エ) 弟子a& ∃y(師ya→ 如ay) 5ウ&I
4(オ) ∃x{弟子x& ∃y(師yx→ 如xy)} エEI
1 (カ) ∃x{弟子x& ∃y(師yx→ 如xy)} 34オEE
1 (〃)あるxは弟子であり、あるyがxの師であるならば、xはyに及んでゐる。
1 (〃)師に劣らない弟子が存在する。
然るに、
(19)
弟子は必ずしも師に及ばないというわけではなく(、弟子の方がすぐれている場合もある)。
(三省堂、明解古典学習シリーズ20、1973年、56頁改)
従って、
(01)~(19)により、
(20)
① 弟子不必不如師=
① 弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
① 弟子[必〔(師)如〕不]不=
① 弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず。
といふ「漢文訓読」は、
② ~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)}⇒
② ∀x{x弟子→∃y(yx師&xy如~)}~=
② すべてのxについて、xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない。といふわけではない。
といふ「述語論理訓読」に、対応する。
従って、
(21)
② ~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)}⇒
② ∀x{x弟子→∃y(yx師&xy如~)}~=
② すべてのxについて、xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない。といふわけではない。
といふ「論理式訓読」を、「是」とするのであれば、
① 弟子不必不如師=
① 弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
① 弟子[必〔(師)如〕不]不=
① 弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず。
といふ「論理式訓読」も、「是」とすべきである。
然るに、
(22)
江戸時代には、荻生徂来(おぎゅう・そらい、1666-1728)が、漢文訓読法を排斥して、漢詩文は唐音(中国語音)で音読すべきだと主張しました。荻生徂来は、長崎通詞であった岡島冠山(おかじま・かんざん、1674-1728)から唐話(とうわ=中国語)を学んでいました。漢詩文を唐音で読むという徂来の主張は強固なもので、彼の古文辞学(擬古的な漢文)とともに一世を風靡する大流行となりました。ただし、当時のいわゆる唐音というのは、中国南方の方言音で、現在の北京語を基礎とした普通話(pŭ tōng huà)とはかなり違うものでした。当時、わが国は清国と正式の国交はなく、貿易は長崎において清国商人に信牌(貿易許可証)を与え、私貿易という形で許可していました。そのため、長崎で用いられる中国語も、清国商人が用いる南方方言だったのです(Webサイト:日本漢文の世界)。
(23)
しかし、倉石の鋭さは、なによりもまず先にも触れた「漢文訓読塩鮭論」に余すところなく現われていると言える。それはすなわち次のような一節である。
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍が国書であり、漢文が国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様なものである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、60頁)。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
荻生徂徠先生、並びに、倉石武四郎先生は、
② ~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)}⇒
② ∀x{x弟子→∃y(yx師&xy如~)}~=
② すべてのxについて、xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない。といふわけではない。
といふ「述語論理訓読」は、兎も角、
① 弟子不必不如師=
① 弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
① 弟子[必〔(師)如〕不]不=
① 弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず。
といふ「漢文訓読」を、「是認」しない。
平成31年03月27日、毛利太。
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