2016年7月4日月曜日

「は」と「が」:「強調形」と「排他的命題(Ⅰ&Ⅱ)」と「対偶」と「仮言命題」。

(01)
「誰が先生か。象がゐる。鼻は象が長い。ガロアには時間がない。マリリンモンローが結婚。吾輩は猫である。庭に猫はゐる。日が暮れる時。」に於ける「が」と「は」に関しては、「06月26日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/06/blog-post_26.html)」をお読み下さい。
(02)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
とあるやうに、
①「濁音」である「~」の方が、
①「清音」である「~は」よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(03)
① AはBである。の「Aは」に対する、
① ABである。の「A」は、「濁音による強調形」である。
然るに、
(04)
① I said fifteen, not fifty.
と言ふ場合は、
① fifteen の、
①   teen が「強調(強く発音)」される。
然るに、
(05)
① 私は15と言ったのであって、私は50とは言ってゐない。
のやうな、
① AはBであって、A以外はBでない
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」といふ。
従って、
(02)~(05)により、
(06)
① ABである。
といふ「日本語」は、
① AがBである。⇔
① AはBであって、A以外はBでない
といふ「意味」である所の、「排他的命題(濁音による強調形)」である。
然るに、
(07)
(AはBである。)⇔
(AであってBでない)といふことない。
(08)
(AであってBでない)といふことはない。⇔
(BでなくてAである)といふことはない。
(09)
(BでなくてAである)といふことはない。⇔
(B以外はAでない。)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
(AはBである。)⇔
(B以外はAでない。)
従って、
(10)により、
(11)
(AはBである。)⇔(B以外はAでない。)
(BはAである。)⇔(A以外はBでない。)
であるものの、「このやうな関係」を、「対偶(Contraposition)」と言ふ。
従って、
(06)(11)により、
(12)
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである。⇔
① AはBであって、BはAである。⇔
① AはBであって、A以外はBではない。
といふ「意味」である所の、「排他的命題(濁音による強調形)」である。
従って、
(12)により、
(13)
① 私が大野です。
といふ「日本語」は、
① 私が大野です。⇔
① 私は大野であって、大野は私である。⇔
① 私は大野であって、私以外は大野ではない。
といふ「意味」である所の、「排他的命題(濁音による強調形)」である。
従って、
(13)により、
(14)
① どちらが大野さんですか。
といふ「質問」を受けて、
① 大野は私です。⇔
① 私以外は大野ではない。
といふ風に、言ひたい場合は、
① 私大野です。
と言ひ、
① 私は大野です。
とは、言はない。
(15)
① ABである。⇔
① AはBであって、A以外はBでない
に対して、
②  ABである。⇔
②(A以外ない所の)AがBである。
といふ場合も、「排他的命題」とし、
① を、「排他的命題(Ⅰ)」とし、
② を、「排他的命題(Ⅱ)」とする。
然るに、
(16)
ほか【外・他】③ それをのぞいたもの.それ以外 other than this.
(旺文社、英訳つき国語総合辞典、1990年、1259頁)
(17)
(8)断定の助動詞(なり・たり)
[なり]
なら なり なり なる なれ なれ
   に
(代々木ライブラリー、受験国文法、1980年、125頁)
(18)
 1、「ぬ」の識別法
(1)未然形に接続する。打消しの助動詞「ず」の連体形。
(永山勇、識別法中心 国文法の総整理、2000年、32頁)
(16)(17)(18)により、
(19)
②(なら)=(~以外ではない所の)
である。
従って、
(15)(19)により、
(20)
②  ABである。⇔
②(なら)AがBである。⇔
②(A以外ない所の)AがBである。
は、「排他的命題(Ⅱ)」である。
然るに、
(21)
 あのチャップリンが大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはえいないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
に於ける、
 あのチャップリンが大往生。
といふ「日本語」は、
②(なら)あのチャップリン
といふ「意味」である。
従って、
(20)(21)により、
(22)
② あのチャップリンが大往生。
といふ「日本語」は、「排他的命題(Ⅱ)」である。
(23)
③ 明日晴れならば、釣りに行きます(現代文)。
③ If it is fine tomorrow, I will go fishing.
は、「仮定条件」であって、
③ 今日晴れなれば、釣りに行かむ(古文)。
③ 今日晴れなので、釣りに行こう(現代文)。
は、「確定条件」である。
然るに、
(24)
【9】[ば](未然形に付く場合、已然形につく場合、の二通りがある。)
・未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
・已然形に付き、順接の確定条件を示す。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、167頁改)
従って、
(23)(24)により、
(25)
③ 都合悪い(未然形)ならば、会はずに返るだけだ(作例)。
に対して、
③ 都合 悪けれ (已然形)ば、会はずに返るだけだ(明暗)。
といふ「漱石の日本語」は、「古典文法」としては「ヲカシイ」のであって、このことが、「口語」には「已然形」が無くて、「仮定形」があるとされる「所以」である。
従って、
(26)
いづれにせよ、
③ 都合が悪い(未然形)ならば、
③ 都合が悪 けれ (仮定形)ば、
がさうであるやうに、「仮言命題」に於ける「仮定条件」の「主語」は、
③ Aは ではなく、
③ A である。
然るに、
(27)
④ AがBならばCである。
といふ「仮言命題」が「真(本当)」であるとして、
④ D≠A である場合は、
④ DがBならばCである。
といふ「仮言命題」は「真(本当)」であるとは、限らない。
然るに、
(28)
④ AがBならばCである。として、D=A であるならば、DがBならばCである。
といふ「仮言命題」は、「真(本当)」である。
然るに、
(29)
④ D=A である場合とは、
④ DA でない場合に、他ならない。
cf.
二重否定律(law of double negation)。
従って、
(28)(29)により、
(30)
④ AがBならばCである。として、D≠A でないならば、DがBならばCである。
といふ「仮言命題」は、「真(本当)」である。
然るに、
(31)
④ AがBならばCである。として、D=A であるならば、DがBならばCである。
といふことは、
④ AがBならばCである。として、A=A であるならば、AがBならばCである。
といふことに、他ならない。
従って、
(30)(31)により、
(32)
④ AがBならばCである。として、D≠A でないならば、DがBならばCである。
といふことは、
④ AがBならばCである。として、A≠A でないならば、AがBならばCである。
といふことに、他ならない。
然るに、
(33)
④ AA でないならば、
といふことは、
④ AがA以外ではないならば、
といふことに、他ならない。
従って、
(20)(33)により、
(34)
④ AA でないならば、
といふことは、
④(なら)Aならば、
④(A以外ない所の)Aならば、
といふことに、他ならない。
従って、
(20)(27)~(34)により、
(35)
④ AがBならばCである。
といふ「仮言命題」の、
④ ABならば
といふ「前件」は、「排他的命題(Ⅱ)」である。
(36)
2を除くすべての素数は奇数であり、特に奇素数と呼ぶ(ウィキペディア)。
従って、
(37)
以外の素数は、全て素数である。
(38)
④ 2素数であるならば、素数は存在する。
といふ「仮言命題」は、
④ 3が素数であるならば、偶素数は存在する。
④ 5が素数であるならば、偶素数は存在する。
④ 7が素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」に置き換へることが、出来ない。
従って、
(38)により、
(39)
④ 2素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」に於いて、
が を、
の数に、置き換へることは、出来ない
それ故、
(40)
④ 2素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」は、固より、
④(なら)2素数であるならば、偶数の素数は存在する。
といふ「意味」である。
従って、
(40)により、
(41)
④ 2が素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「仮言命題」の、
④ 2素数であるならば、
といふ「前件」は、「排他的命題(Ⅱ)」である。
従って、
(13)(14)(20)(21)(41)により、
(42)
① 私大野です。
といふ「日本語」は、「排他的命題(Ⅰ)」である。
② あのチャップリン大往生。
③ 明日晴れならば、釣りには行きます。
④ 2素数であるならば、偶素数は存在する。
といふ「日本語」は、「排他的命題(Ⅱ)」である。
(43)
(3)Elizabeth Windsor = the present queen of England.
  エリザベス・ウィンザーは現在のイングランドの女王である。
(3)の右辺にある名詞句は確定記述である。そこで、ラッセル流に言い換えてみよう。
現在イングランドの女王である人物が少なくともひとりいる。
かつ、現在イングランドの女王である人物はたかだかひとりである。
かつ、現在イングランドの女王であるものはそれが誰であれエリザベス・ウィンザーと同一人物である。
これを記号にすると次のようになる。
  ∃x(Qx&(∀y(Qy→y=x)&x=e))
(W・G・ライカン、言語哲学入門、2005年、19・26・27頁)
従って、
(12)(43)により、
(44)
⑤ エリザベス・ウィンザーは現在のイングランドの女王である。⇔
⑤ 現在のイングランドの女王はエリザベス・ウィンザーである。⇔
⑤ エリザベス・ウィンザー現在のイングランドの女王である。⇔
⑤ エリザベス・ウィンザーは現在のイングランドの女王であって、 エリザベス・ウィンザー以外は現在のイングランドの女王ではない。
従って、
(12)(43)(44)により、
(45)
⑤ ∃x(Qx&(∀y(Qy→y=x)&x=e))
といふ「論理式」が、「排他的命題(Ⅰ)」でないならば、「矛盾」する。
然るに、
(11)により、
(46)
⑤ ∀y(Qy→y=x)⇔
⑤ ∀y(xy→Qy)
は、「対偶」である。
従って、
(11)(43)(46)により、
(47)
⑤ ∃x(Qx&(∀y(Qy→y=x)&x=e))
⑤(xは現在のイングランドの女王であって、尚且つ、yが現在のイングランドの女王であるならば、yはxと同一人物である。といふことが、全てのyに於いて真であり、尚且つ、xはエリザベス・ウィンザーと同一人物である)といふ、さのやうなxが存在する。
といふ「論理式」は、
⑤ ∃x(x=e&Qx&(∀y(x≠y→~Qy)))
⑤ (xはエリザベス・ウィンザーと同一人物であって、尚且つ、xは現在のイングランドの女王であって、尚且つ、xがyと同一人物でないならば、yは現在のイングランドの女王ではない。といふことが、全てのyに於いて真である)といふ、さのやうなxが存在する。
といふ「論理式」に、等しい。
然るに、
(48)
⑤ xがyと同一人物でないならば、yは現在のイングランドの女王ではない。といふことが、全てのyに於いて真である。
といふことは、
⑤ x以外には、現在のイングランドの女王は存在しない。
といふことに、他ならない。
従って、
(43)~(48)により、
(49)
⑤ The present queen of England = Elizabeth Windsor.
⑤ Elizabeth Windsor = the present queen of England.
といふ「意味」である所の、
⑤ ∃x(Qx&(∀y(Qy→y=x)&x=e))
⑤ ∃x(x=e&Qx&(∀y(x≠y→~Qy)))
といふ「論理式」は、確かに、「排他的命題(Ⅰ)」である。
然るに、
(35)により、
(50)
⑤ y現在のイングランドの女王であるならば、
⑤ xyと同一人物でないならば、
といふ「日本語」は、「排他的命題(Ⅱ)」である。
(51)
⑥「AはBである」が、「CやDはBでない」。
の場合は、
⑥{A、C、D}
に於いて、
⑥「AはBである」以外は、「_はBである」ではない
といふ「意味」である。
従って、
(51)により、
(52)
⑥ 太郎は男性である、花子は男性ではない。
に於ける、
⑥ が(接続助詞)は、「排他的命題(Ⅰ)」である(?)。
平成28年07月04日、毛利太。

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