(01)
① 学囗=囗を学ぶ。
であれば、「漢文の語順」として「普通」である。
従って、
(01)により、
(02)
② 囗学=囗を学ぶ。
であれば、「漢文の語順」としては「異常」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
② 囗学=囗を学ぶ。
に於いて、
② 囗
は、「目立つ」ことになる。
然るに、
(04)
「強調」とは、「その部分」を、「他の部分」よりも、「目立たせる」ことに、他ならない。
従って、
(03)(04)により、
(05)
② 囗学=囗を学ぶ。
に於いて、
② 囗
は、「high light(強調)」を、受けることになる。
従って、
(05)により、
(06)
① 学小而遺大。
ではない所の、
② 小学而大遺。
に於いて、
② 小 大
は、「high light(強調)」を、受けることになる。
従って、
(07)
③ 小学而大遺=小をば学んで大をば遺る(韓愈、師説)。
に対して、
⑭ 小学而大遺 「学小而遺大」とすべきところを意味を強めるために倒置した(三省堂、明解古典学習シリーズ20、1973年、54頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(08)
① I said fifteen, not fifty.
と言ふ場合は、
① fifteen の、
① teen を「強調(強く発音)」する。
従って、
(08)により、
(09)
① 私が言ったのは、
①{15、50}
の内の、
①{15}であって、
①{50}ではない。
と言ふ場合は、
①{15}を、「強調」する。
然るに、
(10)
① AはBであって、A以外はBでない。
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① What I said is fifteen, not fifty.
① 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない。
といふ場合がさうであるやうに、
①「強調」は、「排他的命題」を主張する。
従って、
(06)(07)(11)により、
(12)
③{小、大}
であるとして、
③ 小学而大遺。
といふ「強調形」は、
③ 小を学んで(大を学ばない)、大を忘れて(小を忘れない)。
といふ、「排他的命題」である。
従って、
(12)により、
(13)
④ 誰毀誰誉=誰をか毀り、誰をか誉めん(論語、衛霊公)。
の場合も、
④ 誰かを毀り(その誰か以外は毀しらず)、誰かを誉め(その誰か以外は誉めない)としたら、その誰かとは、誰か。
といふ、「排他的命題」である。
然るに、
(14)
前置による強調
疑問詞と指示詞の前置
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置きすることは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(07)(13)(14)により、
(15)
③ 小学而大遺。
といふ「倒置」は、「例外(イレギュラー)」であって、
④ 誰毀誰誉。
といふ「疑問詞の倒置」は、この方が、「正則(レギュラー)」である。
然るに、
(16)
④「正則(レギュラー)」であるとしても、
④ 誰毀誰誉=誰をか毀り、誰をか誉めん。
が、「排他的命題」であることには、「変はり」がない。
(17)
⑤ Whose book is this ?
であらうと、
⑤ Is this whose book ?
でなからうと、
⑤ この本は誰のものですか。
⑤ 誰がこの本の所有者ですか。
といふ「疑問文」は、「排他的命題」である。
平成28年07月30日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿