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2020年2月15日土曜日

「強調形」と「排他的命題」と「Wh移動」。

(01)
①「Only A is B.」
①「AはBであり、A以外はBでない。」
といふ「命題」を、
①「排他的命題(Exclusive proposition)」といふ。
従って、
(01)により、
(02)
①「商王は、婦言だけを用ひる。」
②「商王は、婦言を用ひ、婦言以外を用ひない。」
に於いて、
①=② は、「排他的命題」である。
然るに、
(03)
(3)今商王受、惟婦言是用。(書経、牧誓)
〔いま商王受は、これ婦言をこれ用ふ。〕
〔「受」は、商の紂王の名、この「惟」は、その次の「婦言」を強調しているのである。〕
「惟」と「唯」 
「惟」は、《書経》の〈商周書〉にきわめて多く用いられており、総字数に対して、二.五%強の高い使用率のものであったのであるが、春秋以降には、次第に用いられなくなっている。しかし、この強調する語気の「惟」は、次第に、専一・単独などの意味を表わす副詞として用いられるようになり、多く「唯」と書かれるようになっている。それで右の例(3)の「惟」は「タダ」と読んでいる人もある。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、309・310頁)
然るに、
(04)
【唯】[二]ヰ、ユイ
[二]① ただ。ひとり。限定の助辞、惟・維に通ず。② これ。發語の助辭、惟・維に通ず。
(参照、大修館、漢和大辞典デジタル版)
従って、
(01)~(04)により、
(05)
③ 今商王受、惟婦言是用。
といふ漢文に於ける「惟(強調の語気詞)」は、「唯(only)」といふ「副詞」と、「区別」が付かない。
然るに、
(01)(05)により、
(06)
③ 今商王受、惟婦言是用。
といふ漢文に於ける「惟(強調の語気詞)」は、「唯(only)」といふ「副詞」と、「区別」が付かない。
といふことは、
③ 今商王受、惟婦言是用。
に於いて、
③「婦言」を「強く発音」すると、「排他的命題」になる。
といふ、ことである。
然るに、
(07)
④ これを下さい。
といふ場合に、
④ 敢へて、「これを」を「強く発音」すれば、するほど、
④ これが欲しいのであって、これ以外は要らない。
といふ「意味(排他的命題)」になる。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「漢文」であっても、「日本語」であっても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
然るに、
(09)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(09)により、
(10)
① 私が(濁音)
② 私は(清音)
に於いて、
① の「心理的な音量」の方が、
② の「心理的な音量」よりも「大きい」。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① 私が(濁音)理事長です。
② 私は(清音)理事長です。
に於いて、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」を「主張」し得るのは、
①「心理的な音量」が「大きい(強い)」所の、
① 私が(濁音)理事長です。
である。
といふ、ことになる。
然るに、
(12)
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」の、「対偶(Contraposition)」は、
② 理事長は私です。
である。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① 私が(濁音)理事長です。
といふ「命題」が、実際に、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」であるならば、
② 理事長は私です。
といふ「逆命題」も、「真」でなければ、ならない。
然るに、
(14)
「逆は必ずしも真ならず(the reverse is not always true)。」
である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
① 私が(濁音)理事長です。
といふ「命題」が、実際に、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」であるならば、そのときに限って、
② 理事長は私です。
といふ「逆命題」も、「真」である。
然るに、
(16)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
いづれにせよ、
① 私が(濁音)理事長です。
といふ「命題」は、実際に、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(18)
 私が理事長です。(理事長は私です)
のように、ガの文がいわばハを内蔵していることがあるから、その説明が必要である。このような「私が」強声的になっていると言うことにする。そこに発音上のストレスを与えたのと似た効果を持っているからである(三上章、日本語の論理、1963年、106頁)。
従って、
(11)(18)により、
(19)
① 私が(濁音)理事長です。
② 私は(清音)理事長です。
に於いて、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」を「主張」し得るのは、
①「心理的な音量」が「大きい(強い)」所の、
① 私が(濁音)理事長です。
である。
といふ、ことになるものの、その一方で、
①「私が」強声的になっている。
といふことは、三上先生自身が、認めてゐる。
従って、
(11)(15)(16)(19)により、
(20)
① 私が(濁音)理事長です。
② 私は(清音)理事長です。
に於いて、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」を「主張」し得るのは、
①「心理的な音量」が「大きい(強い)」所の、
① 私が(濁音)理事長です。
であって、尚且つ、
① 私が(濁音) は、「強声的」であって、尚且つ、
① 私が(濁音)理事長です。
といふ「命題」は、
① 私以外は理事長ではない。
である。といふことを、三上先生は、認めてゐる。
従って、
(20)により、
(21)
① 私が(濁音)理事長です。
② 私は(清音)理事長です。
に於いて、
① 私が(濁音) は、
② 私は(清音) に対する、「心理的な音量差」による「強調形」であって、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
といふことは、三上先生は、「気が付いてはゐなく」とも、「認めて」ゐる。
ところで、
(22)
「ある部分」を「強調する」といふことは、
「その部分」を「他の部分」よりも、「目立たせる」ことである。
然るに、
(23)
「通常の語順」を取らないのであれば、
「その語順」は、「他の語順」よりも、「目立つ」ことになる。
然るに、
(24)
③ Do you wnat what?   ではなく、
③ What do you want? である。
然るに、
(25)
例 1 Who do you love?
という文 1 は動詞 love の前に who と you とい二つの名詞がきていて英語の文法 SVO に則っていない。ところが,例えば
例 2 you love who?
という文があったとする。この文は SVO という形になっているので英語の文法に則っている。例 2 を深層構造という。
2.2 wh–移動
例 1 と例 2 とは同じ文の異なる側面を表していると考える。英語には,who,what などの疑問文では疑問詞が表層構造では文の先頭になければならないという性質がある。
つまり,深層構造では文の先頭にはない疑問詞が表層構造では文の先頭に移っているということで,「移動」という変形規則を持っていることになる。これを wh–移動という1。
(生成文法 浅川伸一 2009 年 11 月 10 日)
従って、
(22)~(25)により、
(26)
「通常の語順」を取らないのであれば、
「その語順」は、「他の語順」よりも、「目立つ」ことになる。
といふことからすれば、
③ What do you want?
③ Whom do you love?
に於いて、
③ What
③ Whom
は、「強調形」であるに、違ひない。
然るに、
(27)
 前置による強調
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいないあ(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)。
従って、
(25)(26)(27)により、
(28)
「生成文法」でいふ「Wh移動」は、「漢文」にも有って、「漢文のWh移動」は、「強調形」である。
従って、
(28)により、
(29)
例へば、
③ 誰毀誰誉(誰を毀り、誰をか誉めん:論語、衛靈公、二五)。
といふ「語順」は、「漢文」でいふ「前置による強調」であって、「英語」でいふ「Wh移動」である。
然るに、
(30)
③{A、B}に於いて、
③  誉A(Aを誉める)。
といふことは、
③ 不誉B(Bを誉めない)。
といふことである。
然るに、
(31)
③{A、B}に於いて、
③ 不誉B(Bを誉めない)。
といふことは、
③ A以外を誉めない。
といふことである。
従って、
(01)(29)(31)により、
(32)
③ 誰毀誰誉(誰を毀り、誰をか誉めん:論語、衛靈公、二五)。
のやうな、「Wh移動」は、固より、
③ 排他的命題。
を、その「答へ」として、求めてゐる。
従って、
(32)により、
(33)
③ 排他的命題。
を、その「答へ」として、求めてゐるのであれば、
③ 誰毀誰誉(誰を毀り、誰をか誉めん:論語、衛靈公、二五)。
といふ「Wh移動」自体が、
③ 排他的命題。
であることは、「当然」である。
然るに、
(08)により、
(34)
もう一度、書くものの、「漢文」であっても、「日本語」であっても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
従って、
(33)(34)により、
(35)
③ 誰毀誰誉(誰を毀り、誰をか誉めん:論語、衛靈公、二五)。
といふ「Wh移動」は、「強調形」であって、「排他的命題」である。
といふ、ことになる。
従って、
(01)~(35)により、
(36)
要するに、「強調形は、排他的命題を、主張する。」
令和02年02月15日、毛利太。

2017年10月23日月曜日

「が」と「強調形」と「排他的命題」と「WH移動(疑問文)」。

(01)― 結論。―
(Ⅰ)「~は」には、「二通り」のそれが有る。
(Ⅱ)「~が」 は、「強調形」である。
(Ⅲ)「強調形」は、「排他的命題」を主張する。
(Ⅳ)「疑問詞」は、「疑問詞が」であって、「疑問詞は」ではない。
(Ⅴ)「漢文」では、「目的語」の「倒置」は、「強調形」である。
(Ⅵ)「英語」も亦、「目的語」の「倒置」は、「強調形」である。
(02)
① Tokyo is a city of Japan =
① Tokyo is[a‐city〔of(Japan)〕]⇒
① Tokyo [〔(Japan)of〕a‐cityl]is=
① 東京は[〔(日本)の〕都市]である。
(03)
② Tokyo is the capital of Japan =
② Tokyo is[the‐capital〔of(Japan)〕]⇒
② Tokyo [〔(Japan)of〕the‐capital]is=
② 東京は[〔(日本)の〕首都]である。
(04)
③ No other city but Tokyo is the capital of Japan =
③ No{other‐city〔but(Tokyo)〕is[the‐capital〔of(Japan)〕]}⇒
③ {〔(Tokyo)but〕other‐city[〔(Japan)of〕the‐capital]is}No=
③ {〔(東京)以外の〕他の都市は[〔(日本)の〕首都]では}ない。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① 東京は日本の都市である(Tokyo is a city of Japan)。
② 東京は日本の首都である(Tokyo is the capital of Japan)。
③ 東京以外の他の都市は日本の首都ではない(No other city but Tokyo is the capital of Japan)。
に於いて、
① といふ「命題」は、「正しく」、
② といふ「命題」は、「正しく」、
③ といふ「命題」も、「正しい」。
然るに、
(06)
④ 東京以外の都市も、日本に在る限りは、日本の都市である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 東京は日本の都市である。
② 東京は日本の首都である。
といふ「日本語」は、
① 東京は(いくつか有る、日本の都市の)一つである。
② 東京は(一つだけ有る、日本の首都の)一つである。
といふ、「意味」になる。
従って、
(07)により、
(08)
① 東京≠日本の都市
② 東京=日本の首都
である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 東京は日本の都市である(東京≠日本の都市)。
② 東京は日本の首都である(東京=日本の都市)。
である。
従って、
(09)により、
(10)
一般に、
① PはQである(P≠Q)。
② PはQである(P=Q)。
といふ、「二通り」がある。
然るに、
(11)
② P=Q ならば、その時に限って、
② P以外はQでない(PでないならばQでない)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① PはQである(P以外もQである)。
② PはQである(P以外はQでない)。
といふ、「二通り」がある。
然るに、
(13)
② P以外はQでない(PでないならばQでない)。
は、その「対偶(Contraposition)」である、
③ QならばPである(QはPである)。
に、「等しい」。
cf.
 1  (1)~P→~Q A
  2 (2)~P    A
   3(3) Q    A
 12 (4)~Q    12MPP
 123(5)Q&~Q  34&I
 1 3(6)~~P   25RAA
 1 3(7)  P   6DN
 1  (8)Q→P   38CP
    (9)(~P→~Q)→(Q→P)18CP
 ア  (ア)Q→P   A
  イ (イ)Q     A
   ウ(ウ)~P    A
 アイ (エ)P     アイMPP
 アイウ(オ)~P&P  ウエ&I
 ア ウ(カ)~Q    イオRAA
 ア  (キ)~P→~Q ウカCP
    (ク)(Q→P)→(~P→~Q)アキCP
従って、
(12)(13)により、
(14)
① PはQである(P以外もQである)。
② PはQである(P以外はQでない)。
③ PはQである(QはPである)。
に於いて、
①≠② であって、
②=③ である。
然るに。
(15)
① PはQである。
② PはQである。
③ PはQである。
に対して、
① P is Q.
② P is Q.
③ P is Q.
である。
従って、
(05)(14)(15)により、
(16)
① Tokyo is a city of Japan.
② Tokyo is the capital of Japan.
③ No other city but Tokyo is the capital of Japan.
がさうであるやうに、
① P is Q(P以外もQである).
② P is Q(P以外はQでない).
③ P is Q(QはPである).
でなければ、ならない。
然るに、
(17)
② P以外はQでない.
③ QはPである.
といふことを、「主張」する場合は、
② P is Q.
③ P is Q.
といふ「英語」に於いて、
② P は、「強く発音」される。はずである。
③ P は、「強く発音」される。はずである。
然るに、
(18)
② P以外はQでない.
③ QはPである.
といふことを、「主張」する場合、「日本語」では、
② PがQである。
③ PがQである。
といふ風に、言ふのであって、
② PはQである。
③ PはQである。
とは、言はない。
然るに、
(19)
① Pは
② Pが
に於いて、
①「は」は「清音」であって、
②「が」は「濁音」である。
然るに、
(20)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① Pは
② Pが
に於いて、
① の「心理的な音量」は、
② の「心理的な音量」よりも、「大きい」。
従って、
(21)により、
(22)
① Pは
に対する、
② Pが
③ Pが
といふ「日本語」は、「(濁音による)強調形」である。
然るに、
(23)
Definition of exclusive proposition
:a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other “none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition
(Merriam-Webster since 1828)
従って、
(18)(23)により、
(24)
② PがQである(P以外はQでない)。
③ PがQである(QはPである)。
といふ「日本語」は、
②「排他的命題(exclusive proposition)」である。
③「排他的命題(exclusive proposition)」である。
従って、
(22)(24)により、
(25)
① Pは
に対する、
② Pが
③ Pが
といふ「日本語」は、「(濁音による)強調形」であって、尚且つ、
② PがQである(P以外はQでない)。
③ PがQである(QはPである)。
といふ「日本語」は、「排他的命題」である。
従って、
(17)(25)により、
(26)
「英語」に於いても、「日本語」に於いても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
然るに、
(27)
GA WITH QUESTION WORDS
When a question word such as "who" and "what" is the subject of a sentence, it is always followed by "ga," never by "wa." To answer the question, it also has to be followed by "ga."
Dare ga kimasu ka.
誰が来ますか。 Who is coming?
Yoko ga kimasu.
陽子が来ます。 Yoko is coming?
(by Namiko Abe.Updated August 23, 2017)
従って、
(27)により、
(28)
④ 誰は来ますか。
ではなく、
⑤ 誰が来ますか。
である。
然るに、
(29)
④ 少なくとも、陽子は来る。
といふ、のであれば、
④ 陽子は来ます。
であって、
⑤ 陽子以外は来ない。
といふ、のであれば、
⑤ 陽子が来ます。
である。
従って、
(25)(28)(29)により、
(30)
⑤ 誰が来ますか。
⑤ 陽子が来ます。
に於いて、
⑤ 誰が
⑤ 陽子が
といふ「日本語」は、「(濁音による)強調形」であって、尚且つ、
⑤ 誰が来ますか。
⑤ 陽子が来ます。
といふ「日本語」は、「排他的命題」である。
従って、
(30)により、
(31)
⑤(教科の中では)何が好きですか。
⑤(教科の中では)化学が好きです。
に於いて、
⑤ 何が
⑤ 化学が
といふ「日本語」は、「(濁音による)強調形」であって、尚且つ、
⑤ 何が好きですか。
⑤ 化学が好きです。
といふ「日本語」は、「排他的命題」である。
従って、
(31)により、
(32)
⑥ What subject do you like?
⑥ I like chemistry best.
といふ「英語」も、「排他的命題」であると、すべきである。
然るに、
(33)
[1]wh移動
意味を導くための深層構造が必要だという説明の時に、一番最初に取り上げられたのは疑問詞が文頭にある疑問文でした。主語はともかく、目的語が動詞の直後ではなく、動詞の前しかも文の先頭にあるという事実を説明するためには、目的語である疑問詞がちゃんと動詞の直後にある深層構造を設定すればよいわけです(町田健、チョムスキー入門、2006年、117頁)。
従って、
(32)(33)により、
(34)
⑥ I like chemistry.
といふ「語順」からすれば、
⑥ What do you like?
といふ「語順」は、
⑥ Do you like what?
でなければ、ならない。
然るに、
(35)
普通「aをbする」というときは「ba」の語順になる。從って「aを事とす」は「事a」となるべきだが、「a」にあたる語が「何」「誰」などの「疑問代名詞」であるときは、例外もあるけれども、一般的にいって、その語順が轉倒し「何事」となる(岩波全書、漢文入門、1957年、23頁)。
従って、
(34)(35)により、
(36)
⑥ I like chemistry.
⑦ 我誉彼(我、彼を誉めん)。
といふ「語順」からすれば、
⑥ What do you like?
⑦ 我誰誉(我、誰をか誉めん)。
といふ「語順」は、
⑥ Do you like what?
⑦ 我誉誰(我、誰をか誉めん)。
でなければ、ならない。
然るに、
(37)
前置による強調
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代
漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の

語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(36)(37)により、
(38)
「漢文」の場合、
⑦ 誉彼(彼を誉めん)。
に対する、
⑦ 誰誉(誰をか誉めん)。
といふ、
⑦「目的語」の「前置(倒置)形」は、「目的語」を、「強調」する。
然るに、
(39)
⑦ 誰かを誉める。
といふことは、
⑦ 誰かが誉められ、その誰か以外は、誉められない。
といふ、ことである。
従って、
(38)(39)により、
(40)
⑦ 誰誉(誰をか誉めん)。
といふ、
⑦「目的語」の「倒置(前置)形」は、「目的語」を、「強調」し、尚且つ、
⑦ 誰誉(論語、衛霊公)。
といふ「漢文」は、「排他的命題」である。
然るに、
(41)
まずは、「目的語」を強調したいときの例を見ていきましょう。
以下は、通常の文の形です。
I like chemistry, but I don’t like biology.
「化学は好きだけど、生物は好きじゃない。」という内容の文。
では、この文の「目的語」を強調してみます。
Chemistry I like, but biology I don’t like.
(化学は好きだけど、生物は好きじゃない。)
(Webサイト:英語の倒置法の使い方!強調・否定・仮定を例文付きでズバッと解説!)

cf.
生物=化学以外。
従って、
(24)(41)により、
(42)
⑥ I like chemistry.
に対する、
⑦ Chemistry I like.
といふ、
⑦「目的語」の「倒置形」は、「目的語」を、「強調」し、尚且つ、
⑦ Chemistry I like.
といふ「英文」は、「排他的命題」である。
従って、
(31)(40)(42)により、
(43)
⑦ Whom do I praise(誰をか誉めん)?
⑦ Who is to be praised(誰が誉められのですか)?
といふ「英文」であっても、
⑦ 誰誉(誰をか誉めん)。
といふ「漢文」がさうであるやうに、
⑦「目的語」の「倒置形」は、「目的語」を、「強調」し、尚且つ、
⑦「強調形」は「排他的命題」を「主張」する。といふ風に、「理解」するべきである。
従って、
(33)(43)により、
(44)
⑦ 誰誉。
⑦ Whom do I praise?
といふ「語順(Wh移動)」を、考へる上で、チョムスキーが言ふ所の、「深層構造(Deep structure)」は、「不要」である。
平成29年10月23日、毛利太。
―「関連記事」―
AはBである=AならばBである(https://kannbunn.blogspot.com/2017/10/blog-post_25.html)。

2016年12月23日金曜日

「漢文のWH移動」と「中国語の非WH移動」と「強調」と「排他的命題」。

(01)
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本的構造としての単語の配列のしかたである。
(鈴木直治、中国語漢文、1975年、334頁)
(02)
しかし、古代漢語においては、それらの目的語が、疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前に置かれる。
(鈴木直治、中国語漢文、1975年、334頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 汝 誰 愛=S+O+V
② 汝 愛 我=S+V+O
といふ「古代漢語の語順」は、「現代英語」であれば、
① You who love=S+O+V
② You love me  =S+V+O
といふ、「語順」に相当する。
然るに、
(04)
賓語(目的語)が疑問代名詞であるばあい、上古漢語では倒置して動詞の前におく。現代語ではこのように倒置せず、動詞の後におくことは言うまでもない。
(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁改)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 汝 誰 愛=S+O+V
② 你 愛 誰=S+V+O
に於いて、
① は、「古代漢語の語順」であって、
② は、「現代漢語の語順」である。
然るに、
(06)
然るに、
(7)你   看見   了 谁?
   Nǐ   kàn jiàn le  shuí?
      あなた 見る   相 誰
  「あなたは誰を見たのですか?」
                                          (Huang 1982 から)
この文では、疑問詞「谁 shuí」は直接目的語の通常の位置に残っている。英語と違い、疑問詞は文頭の位置に動く必要がない。このような事実から、なぜ言語によって疑問詞の現れる位置がことなるのか、という興味深い疑問が出てくる。
(言語類型論入門―言語の普遍性と多様性 2006/10/18リンゼイ・J. ウェイリー、 Lindsay J. Whaley、33頁)
従って、
(07)
① 汝 誰 愛。
② 你 愛 誰?
③ Who do you love?
といふ「古代漢語と、現代漢語と、現代英語」に於いて、何故、「疑問詞の現れる位置」が異なるのか、という興味深い疑問が出てくる。
cf.
語順が比較的固定している。
疑問詞を前に移動する(wh-移動、ただし中国語は当てはまらない)。
英:What is this? 〔ウィキペディア:SVO〕
(08)
① 汝 誰 愛レ =汝、誰をか愛す。
② 誰 愛レ汝  =誰か汝を愛せん。
③ 誰 愛レ汝 者=誰か汝を愛する者ぞ。
に於いて、
① 誰=目的語
② 誰=主語
③ 誰=主語
である。
然るに、
(09)
「三省堂、新明漢和辞典、第四版、1095頁」によると、
② 誰 愛レ汝  =誰か汝を愛せん。
③ 誰 愛レ汝 者=誰か汝を愛する者ぞ。
に於いて、
② は、多くは、「反語」であって、
② 誰 愛レ汝  =誰か汝を愛せん(Nobody loves you)。
といふ「意味」であり、
③ は、「他意」はなく、普通に、
③ 誰 愛レ汝 者=誰か汝を愛する者ぞ(Who loves you)。
といふ「意味」である。
然るに、
(10)
「三省堂、新明漢和辞典、第四版、1095頁」によると、
② 誰 愛レ汝  =誰か汝を愛せん。
③ 誰 愛レ汝 者=誰か汝を愛する者ぞ。
④ 愛レ汝 誰  =汝を愛する は誰ぞ。
に於いて、
④ の場合は、
また「誰」を述語として文末に用い、〈・・・・・たぞ〉〈・・・・・たれぞ〉と読んで、「・・・・・するのは誰か」の意になる。ただしこの語法は単純な疑問ではなく、自問自答する場合に用いたり、詰問の調子を帯びたりして、やや語調が切迫し、その点、右の「誰・・・・・者」が特に他意なく尋ねるのとは異なる。
との、ことである。
cf.
④ 愛レ汝 誰。
④ Loves you who?
然るに、
(11)
漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、334・335頁)
(12)
この後置による強調にも上古的な特異な語順によっているものと、いうべきものである。しかし、前述の前置による強調は、漢語における語順としては、いずれも、異常な上古的なものであるのに対して、この後置による強調のものは、その多くは、漢語における語順として、異常のものということができない。
(鈴木直治、中国語と漢文、345頁)
従って、
(08)~(12)により、
(13)
① 汝 誰 愛レ =汝、誰をか愛す。
② 誰 愛レ汝  =誰か汝を愛せん。
③ 誰 愛レ汝 者=誰か汝を愛する者ぞ。
④ 愛レ汝 誰  =汝を愛する は誰ぞ。
に於いて、
① は、「目的語(object)の前置」による「強調形」であって、
② に対する、
④ は、「主語 (subject)の後置」による「強調形」である。
然るに、
(14)
② 誰 愛レ汝=誰か汝を愛せん。
④ 愛レ汝 誰=汝を愛するは誰ぞ。
に於いて、その「答へ」が、
② 我は汝を愛す。
④ 汝を愛するは我なり。
であるならば、「論理的」に、
④ 私はあなたを愛し(、私以外は、あなたを愛さない)。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(15)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
    b.Ton SENT Mary flowers.
    c.Tom sent MARY flowers.
    d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
然るに、
(16)
⑤ 他の誰でもないトムがメアリーに花を送った。
といふのであれば、
⑤ トムはメアリーに花を送ったが(、トム以外はメアリーに花を送っていない)。
といふ、ことになる。
然るに、
(17)
④ 私はあなたを愛し、私以外は、あなたを愛さない。
⑤ トムはメアリーに花を送ったが、トム以外はメアリーに花を送っていない。
のやうな「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(13)~(17)により、
(18)
④ 愛レ汝 誰 =汝を愛するは誰ぞ。
⑤ TOM sent Mary flowers.
に於いて、
④ は、「主語 (subject)の後置」による「強調形」であって、尚且つ、「排他的命題」である。
⑤ は、「強調して、発音すること」による「強調形」であって、尚且つ、「排他的命題」である。
然るに、
(11)(13)により、
(19)
⑥ 何 先=何をか先にせん。
⑦ 先レ兵=兵 を先にせん。
に於いて、
⑥ は、「目的語(object)の前置」による「強調形」である。
然るに、
(20)
子貢問政。子曰、足食足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵=
子貢問(政)。子曰、足(食)足(兵)、民信(之)矣。子貢曰、必不〔得(已)〕而去、於(斯三者)何先。曰、去(兵)⇒
子貢(政を)問ふ。子曰はく、(食を)足し(兵を)足し、民(之を)信ぜしむ。子貢曰はく、必ず〔(已むを)得〕不し而去らば、(斯の三者に)於いて何をか先にせん。曰く、(兵を)去らん。
(21)
子貢が政治のことをおたずねした。先生はいわれた、「食糧を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむををえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先にしますか。」というと、先生は「軍備を捨てる。」といわれた。
(金谷治・訳注、論語、1963年、230頁)
然るに、
(22)
⑥「この三つの中でどれを先に捨てますか。」といふ「質問」に対して、
⑥ 食は捨てない。
⑥ 兵は捨てる。
⑥ 信は捨てない。
といふことは、
⑥ 兵は捨てるが(兵以外は捨てない)。
といふことに、他ならない。
従って、
(13)(18)(22)により、
(23)
④ 愛レ汝 誰 =汝を愛するは誰ぞ。
⑤ TOM sent Mary flowers.
⑥ 子 何 先=子は、何をか先にせん。
に於いて、
④ は、「主語 (subject)の後置」による「強調形」であって、尚且つ、「排他的命題」である。
⑤ は、「強調して、発音すること」による「強調形」であって、尚且つ、「排他的命題」である。
⑥ は、「目的語(object)の前置」による「強調形」であって、尚且つ、「排他的命題」である。
従って、
(24)
① 汝 誰 愛=S+O+V
といふ、
①「古代漢語の語順」に関しては、
①「排他的命題」を「主張」することを「目的」とした、「目的語の前置」による「強調形」である。
といふ風に、「説明」出来る。
然るに、
(25)
抽象的なレベルでは、英語も中国も同じ語順をもっている。その順序は全ての言語にあてはまる原理から導かれる。しかし英語と中国語は、動詞の一致(Arg)というパラメータが異なっている。英語はテンスが現在の時に一致標識 ‐s が現れることからわかる通り、+Argである(I run vs. He runs)。一方、中国語は-Argである。中国語は動詞の一致を全く示さない。これまでの研究でなされた主張によれば、このパラメータの変異が疑問詞の文頭への配置を義務的に行うか否かを決定する要因である。英語のような+Agr言語は文頭への配置が要求され、-Agr言語では言語では要求されないといふわけだ(Huang 1982)。
(言語類型論入門―言語の普遍性と多様性 2006/10/18リンゼイ・J. ウェイリー、 Lindsay J. Whaley、33頁)
然るに、
(26)
① 汝 誰 愛(古代漢語)。
② 你 愛レ誰(現代漢語)。
に関しては、「動詞の一致(Arg)というパラメータの変異」が無いにも拘らず、「疑問詞の位置」が、一致しない。
従って、
(27)
「動詞の一致(Arg)というパラメータの変異」なるものが、「疑問詞の位置」を「決定」するとは、思へない。
平成28年12月23日、毛利太。
―「関連記事」―
「Wh疑問文」は「括弧」を用ゐて、「訓読」出来ない(http://kannbunn.blogspot.com/2016/10/blog-post_7.html)。
 「が」と「は」と「強調」と「排他的命題」と「WH移動(前置)」(平成28年10月25日)(http://kannbunn.blogspot.com/2016/10/blog-post_25.html)。

2016年10月7日金曜日

「Wh疑問文」は「括弧」を用ゐて、「訓読」出来ない。

(01)
① Who are you?
② Who was this picture painted by?
③ What is the height of the highest mountain in Japan?
④ What is the most convenient way to get to Tokyo Station? 
⑤ What should we do to protect the beautiful earth from pollution?
は、「英語」である。
(02)
⑥ You are Who?
⑦ Was this picture painted by Who?
⑧ Is the height of the highest mountain in Japan What?
⑨ Is the most convenient way to get to Tokyo Station What? 
⑩ Should we do What to protect the beautiful earth from pollution?
は、「英語」ではない。
然るに、
(03)
⑥ You are(Who)?
に於いて、
 are( )⇒( )are
といふ「移動」を行ふと、
⑥ You are(Who)⇒
⑥ You (Who)are=
⑥ あなたは(誰)であるか。
といふ「訓読」が、成立する。
(04)
⑦ Was[this picture painted〔by(Who)〕]?
に於いて、
         Was[ ]⇒[ ]Was
 painted〔 〕⇒〔 〕painted
      by( )⇒( )by
といふ「移動」を行ふと、
⑦ Was[this picture painted〔by(Who)〕]?⇒
⑦ [this picture 〔(Who)by〕painted]Was?=
⑦ [この絵は〔(誰に)よって〕画かれ]たか。
といふ「訓読」が、成立する。
(05)
⑧ Is〈the‐height{of[the‐highest‐mountain〔in(Japan)〕]}What〉?
に於いて、
                         Is〈 〉⇒〈 〉Is
                 the‐height{ }⇒{ }the‐height
                         of[ ]⇒[ ]of
 the‐highest‐mountain〔 〕⇒〔 〕the‐highest‐mountain
                       in(  )⇒( )in
といふ「移動」を行ふと、
⑧ Is〈the‐height{of[the‐highest‐mountain〔in(Japan)〕]}What〉?⇒
⑧ 〈{[〔(Japan)in〕the‐highest‐mountain]of}the‐heightWhat〉Is?=
⑧ 〈{[〔(日本)で〕一番高い山]の高さは}どのくらい〉であるか。
といふ「訓読」が、成立する。
(06)
⑨ Is〈the‐most‐convenient‐way{to[get〔to(Tokyo Station)〕]}What〉?
に於いて、
                               Is〈 〉⇒〈 〉Is
 the‐most‐convenient‐way{ }⇒{ }the‐most‐convenient‐way
                               to[ ]⇒[ ]to
                     get〔 〕⇒〔 〕get
                          to(  )⇒( )to
といふ「移動」を行ふと、
⑨ Is〈the‐most‐convenient‐way{to[get〔to(Tokyo Station)〕]}What〉?⇒
⑨ 〈{[〔(Tokyo Station)to〕get]to}the‐most‐convenient‐wayWhat〉Is?⇒
⑨ 〈{[〔(東京駅)に〕行く]上で}最も便利な方法は、何〉であるか。
といふ「訓読」が、成立する。
(07)
⑩ Should《we do〈What{to[protect〔the beautiful earth from(pollution)〕]}〉》?
に於いて、
   Should《 》⇒《 》Should
       do〈 〉⇒〈 〉do
       What{ }⇒{ }What
       to[ ]⇒[ ]to
 protect〔 〕⇒〔 〕protect
    from( )⇒( )form
といふ「移動」を行ふと、
⑩ Should《we do〈What{to[protect〔the beautiful earth from(pollution)〕]}〉》?⇒
⑩ 《we 〈{[〔the beautiful earth (pollution)from〕protect]to}What〉do》Should?=
⑩ 《我々は〈{[〔美しい地球を(環境汚染)から〕守る]ために}何を〉し》なければならないか。
といふ「訓読」が、成立する。
従って、
(02)~(07)により、
(08)
⑥ 1 3 2?
⑦ 6 1 2 5 4 3?
⑧ 10 7‐8 6 3‐4‐5 2 1 9?
⑨ 10 5‐6‐7‐8 4 3 2 1 9?
⑩ 11 1 10 9 8 7 2 3 4 6 5?
といふ「順番」で「訓読」される所の、
⑥ You are Who?
⑦ Was this picture painted by Who?
⑧ Is the height of the highest mountain in Japan What?
⑨ Is the most convenient way to get to Tokyo Station What? 
⑩ Should we do What to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「非英文」に対して、
⑥ 1 3(2)?
⑦ 6[1 2 5〔4(3)〕]?
⑧ 10〈7‐8{6[3‐4‐5〔2(1)〕]}9〉?
⑨ 11〈6‐7‐8‐9{5[4〔3(1 2)〕]}10〉?
⑩ 11《1 10〈9{8[7〔2 3 4 6(5)〕]}〉》?
といふ「括弧」を、加へることが出来る。
然るに、
(09)
① Who are you?
といふ「英語」を、
① あなたは 誰 であるか。
といふ「順番」で「訓読」するためには、
① Who are you?
といふ「英語」を、
 2=Who
 3=are
 1=you
といふ「順番」で、読まなければならない。
(10)
② Who was this picture painted by?
といふ「英語」を、
② この 絵は 誰 によって 画かれ たか。
といふ「順番」で「訓読」するために、
② Who was this picture painted by?
といふ「英語」を、
 3=Who
 6=was
 1=this
 2=picture
 5=painted 
 4=by
といふ「順番」で、読まなければならない。
(11)
③ What is the height of the highest mountain in Japan?
といふ「英語」を、
③ 日本 で 一番 高い 山 の 高さは、どのくらい であるか。
といふ「順番」で「訓読」するためには、
   9=What
 10=is
   7=the
   8=height
   6=of
   3=the
   4=highest
   5=mountain
   2=in
   1=Japan?
といふ「順番」で、読まなければならない。
(12)
④ What is the most convenient way to get to Tokyo Station?
といふ「英語」を、
④ 東京駅 に 行く 上で 最も 便利な 方法は、何 であるか。
といふ「順番」で「訓読」するためには、
 10=What
 11=is
  6=the
  7=most 
  8=convenient
  9=way
  5=to
  4=get
  3=to
  1=Tokyo
  2=Station
といふ「順番」で、読まなければならない。
(13)
⑤ What should we do to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「英語」を、
⑤ 我々は 美しい 地球を 環境汚染 から 守る ために 何を し なければならないか。
といふ「順番」で「訓読」するために、
  9=What
 11=should
  1=we
 10=do
  8=to
  7=protect
  2=the
  3=beautiful
  4=earth
  6=from
  5=pollution
といふ「順番」で、読まなければならない。
従って、
(09)~(13)により、
(14)
① Who are you?
② Who was this picture painted by?
③ What is the height of the highest mountain in Japan?
④ What is the most convenient way to get to Tokyo Station? 
⑤ What should we do to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「英語」は、
① 2 3 1
② 3 6 1 2 5 4
③ 9 10 7‐8 6 3‐4‐5 2 1
④ 10 11 6‐7‐8‐9 5 4 3 1 2
⑤ 9 11 1 10 8 7 2 3 4 6 5
といふ「順番」で、「訓読」される。
然るに、
(15)
① 2 3 1
② 3 6 1 2 5 4
③ 9 10 7 8 6 3‐4‐5 2 1
④ 10 11 6‐7‐8‐9 5 4 3 1 2
⑤ 9 11 1 10 8 7 2 3 4 6 5
に対して、
① ( )
② ( )
③ ( )
④ ( )
⑤ ( )
を加へると、
① 2(3 1)
② 3(6 1)2 5(4)
③ 9 10 7 8 6 3 4 5 2(1)
④ 10 11 6 7 8 9 5 4 3(1 2)
⑤ 9 11 1 10 8 7 2 3 4 6(5)
(16)
① 2(3 1)
② 3(6 1)2 5(4)
③ 9 10 7 8 6 3 4 5 2(1)
④ 10 11 6 7 8 9 5 4 3(1 2)
⑤ 9 11 1 10 8 7 2 3 4 6(5)
に対して、
① 〔 〕
② 〔 〕
③ 〔 〕
④ 〔 〕
⑤ 〔 〕
を加へると、
① 2(3〔1)〕
② 3(6〔1)2 5(4)〕
③ 9 10 7 8 6 3‐4‐5〔2(1)〕
④ 10 11 6‐7‐8‐9 5 4〔3(1 2)〕
⑤ 9 11 1 10 8 7〔2 3 4 6(5)〕
然るに、
(17)
① 2(3〔1)〕
② 3(6〔1 2) 5(4)〕
に於いて、
① (〔 )〕
② (〔 )〕
は、「括弧」ではない。
(18)
③ 9 10 7‐8 6 3‐4‐5〔2(1)〕
④ 10 11 6‐7‐8‐9 5 4〔3(1 2)〕
⑤ 9 11 1 10 8 7〔2 3 4 6(5)〕
に対して、
③ [ ]
④ [ ]
⑤ [ ]
を加へると、
③ 9 10 7‐8 6[3‐4‐5〔2(1)〕]
④ 10 11 6‐7‐8‐9 5[4〔3(1 2)〕]
⑤ 9 11 1 10 8[7〔2 3 4 6(5)〕]
(19)
③ 9 10 7‐8 6[3‐4‐5〔2(1)〕]
④ 10 11 6‐7‐8‐9 5[4〔3(1 2)〕]
⑤ 9 11 1 10 8[7〔2 3 4 6(5)〕]
に対して、
③ { }
④ { }
⑤ { }
を加へると、
③ 9 10 7‐8{6[3‐4‐5〔2(1)〕]}
④ 10 11 6‐7‐8‐9{5[4〔3(1 2)〕]}
⑤ 9{11 1 10 8[7〔2 3 4 6(5)〕]}
(20)
③ 9 10 7‐8{6[3‐4‐5〔2(1)〕]}
④ 10 11 6‐7‐8‐9{5[4〔3(1 2)〕]}
⑤ 9{11 1 10 8[7〔2 3 4 6(5)〕]}
に対して、
③ 〈 〉
④ 〈 〉
⑤ 〈 〉
を加へると、
③ 9〈10 7‐8{6[3‐4‐5〔2(1)〕]}〉
④ 10〈11 6‐7‐8‐9{5[4〔3(1 2)〕]}〉
⑤ 9{11 1 10〈8[7〔2 3 4 6(5)〕]}〉
然るに、
(21)
⑤ 9{11 1 10〈8[7〔2 3 4 6(5)〕]}〉
に於いて、
⑤ {〈 }〉
は、「括弧」ではない。
(22)
③ 9〈10 7‐8{6[3‐4‐5〔2(1)〕]}〉
④ 10〈11 6‐7‐8‐9{5[4〔3(1 2)〕]}〉
⑤ 9{11 1 10〈8[7〔2 3 4 6(5)〕]}〉
に対して、
③ 《 》
④ 《 》
⑤ 《 》
を加へると、
③ 9〈10《7‐8{6[3‐4‐5〔2(1)〕]}〉》
④ 10〈11《6‐7‐8‐9{5[4〔3(1 2)〕]}〉》
⑤ 9{11《1 10〈8[7〔2 3 4 6(5)〕]}〉》
然るに、
(23)
③ 9〈10《7‐8{6[3‐4‐5〔2(1)〕]}〉》
④ 10〈11《6‐7‐8‐9{5[4〔3(1 2)〕]}〉》
⑤ 9{11《1 10〈8[7〔2 3 4 6(5)〕]}〉》
に於いて、
③ 〈《 〉》
④ 〈《 〉》
⑤ {〈《 }〉》
は、「括弧」ではない。
従って、
(08)(14)(17)(23)により、
(24)
⑥ 1 3 2
⑦ 6 1 2 5 4 3
⑧ 10 7‐8 6 3‐4‐5 2 1 9
⑨ 11 6‐7‐8‐9 5 4 3 1 2 10
⑩ 11 1 10 9 8 7 2 3 4 6 5
といふ「順番」に対しては、「括弧」を加へることが出来、
① 2 3 1
② 3 6 1 2 5 4
③ 9 10 7 8 6 3‐4‐5 2 1
④ 10 11 6‐7‐8‐9 5 4 3 1 2
⑤ 9 11 1 10 8 7 2 3 4 6 5
といふ「順番」に対しては、「括弧」を加へることが出来ない。
然るに、
(25)
③ 9 10 7 8 6 3‐4‐5 2 1
④ 10 11 6‐7‐8‐9 5 4 3 1 2
⑧ 10 7‐8 6 3‐4‐5 2 1 9
⑨ 11 6‐7‐8‐9 5 4 3 1 2 10
であれば、
③ 9 10 7 8 6 囗‐囗‐5 2 1
④ 10 11 囗‐囗‐囗‐9 5 4 3 1 2
⑧ 10 囗‐8 6 囗‐囗‐5 2 1 9
⑨ 11 囗‐囗‐囗‐9 5 4 3 1 2 10
であると、見なすことが出来る。
然るに、
(26)
③ 9 10 7 8 6 囗‐囗‐5 2 1
④ 10 11 囗‐囗‐囗‐9 5 4 3 1 2
⑧ 10 囗‐8 6 囗‐囗‐5 2 1 9
⑨ 11 囗‐囗‐囗‐9 5 4 3 1 2 10
であれば、
③ 9 10 7 8 6 5 2 1
④ 10 11 9 5 4 3 1 2
⑧ 10 8 6 5 2 1 9
⑨ 11 9 5 4 3 1 2 10
であると、見なすことが出来る。
(27)
③ 9 10 7 8 6 5 2 1
④ 10 11 9 5 4 3 1 2
⑧ 10 8 6 5 2 1 9
⑨ 11 9 5 4 3 1 2 10
であれば、
③ 7 8 5 6 4 3 2 1
④ 7 8 6 5 4 3 1 2
⑧ 7 5 4 3 2 1 6
⑨ 8 6 5 4 3 1 2 7
であると、見なすことが出来る。
従って、
(24)~(27)により、
(28)
⑥ 1 3 2
⑦ 6 1 2 5 4 3
⑧ 7 5 4 3 2 1 6
⑨ 8 6 5 4 3 1 2 7
⑩ 11 1 10 9 8 7 2 3 4 6 5
といふ「順番」に対しては、「括弧」を加へることが出来、
① 2 3 1
② 3 6 1 2 5 4
③ 7 8 5 6 4 3 2 1
④ 7 8 6 5 4 3 1 2
⑤ 9 11 1 10 8 7 2 3 4 6 5
といふ「順番」に対しては、「括弧」を加へることが出来ない。
然るに、
(29)
① 2< 3>1 & 2-1=1
② 3< 6>2 & 2-1=1
③ 7< 8>6 & 7-1=1
④ 7< 8>6 & 2-1=1
⑤ 9<10>8 & 9-8=1
⑤ 9<11>8 & 9-8=1
従って、
(08)(14)(28)(29)により、
(30)
① Who are you?
② Who was this picture painted by?
③ What is the height of the highest mountain in Japan?
④ What is the most convenient way to get to Tokyo Station? 
⑤ What should we do to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「英文」は、
① 2< 3>1 & 2-1=1
② 3< 6>2 & 2-1=1
③ 7< 8>6 & 7-1=1
④ 7< 8>6 & 2-1=1
⑤ 9<10>8 & 9-8=1
⑤ 9<11>8 & 9-8=1
のやうに、
① L<M>N & L-N=1
といふ「順番」を含んでゐるが故に、「括弧」を用ゐて、「訓読」することが出来ず、
⑥ You are Who?
⑦ Was this picture painted by Who?
⑧ Is the height of the highest mountain in Japan What?
⑨ Is the most convenient way to get to Tokyo Station What? 
⑩ Should we do What to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「非英文」は、
① L<M>N & L-N=1
といふ「順番」を含んでゐないが故に、「括弧」を用ゐて、「訓読」することが出来る。
然るに、
(31)
⑥ You are Tom.
⑦ Was this picture painted by Bill?
⑧ Is the height of the highest mountain in Japan 3776meters?
⑨ Is the most convenient way to get to Tokyo Station on foot? 
⑩ Should we do the best to protect the beautiful earth from pollution?
に対する、「ヤフー!翻訳」は、
⑥ あなたは、トムです。
⑦ この絵は、ビルによって描かれましたか?
⑧ 日本の最高峰の高さは、3,776メートルですか?
⑨ 東京駅に着く最も便利な方法は、徒歩ですか?
⑩ 我々は、美しい地球を汚染から保護するために、最善を尽くさなければなりませんか?
である。
然るに、
(32)
⑥ You are Tom.
⑦ Was this picture painted by Bill?
⑧ Is the height of the highest mountain in Japan 3776meters?
⑨ Is the most convenient way to get to Tokyo Station on foot? 
⑩ Should we do the best to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「語順」からすれば、
⑥ You are Who?
⑦ Was this picture painted by Who?
⑧ Is the height of the highest mountain in Japan What?
⑨ Is the most convenient way to get to Tokyo Station What? 
⑩ Should we do What to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「語順」は、「普通」である。
従って、
(01)(32)により、
(33)
「語順」として「ユニーク」なのは、
① Who are you?
② Who was this picture painted by?
③ What is the height of the highest mountain in Japan?
④ What is the most convenient way to get to Tokyo Station? 
⑤ What should we do to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「Wh疑問」であって、
⑥ You are Who?
⑦ Was this picture painted by Who?
⑧ Is the height of the highest mountain in Japan What?
⑨ Is the most convenient way to get to Tokyo Station What? 
⑩ Should we do What to protect the beautiful earth from pollution?
といふ「非英文」ではない。
平成28年10月07日、毛利太。
―「関連記事―「関連記事」―
「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。

2016年7月30日土曜日

「漢文」に於ける、「倒置」による「強調」。

(01)
① 学囗=囗を学ぶ。
であれば、「漢文の語順」として「普通」である。
従って、
(01)により、
(02)
② 囗学=囗を学ぶ。
であれば、「漢文の語順」としては「異常」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
② 囗学=囗を学ぶ。
に於いて、
② 囗
は、「目立つ」ことになる。
然るに、
(04)
「強調」とは、「その部分」を、「他の部分」よりも、「目立たせる」ことに、他ならない。
従って、
(03)(04)により、
(05)
② 囗学=囗を学ぶ。
に於いて、
② 囗
は、「high light(強調)」を、受けることになる。
従って、
(05)により、
(06)
① 学小而遺大。
ではない所の、
② 小学而大遺。
に於いて、
② 小  大
は、「high light(強調)」を、受けることになる。
従って、
(07)
③ 小学而大遺=小をば学んで大をば遺る(韓愈、師説)。
に対して、
⑭ 小学而大遺 「学小而遺大」とすべきところを意味を強めるために倒置した(三省堂、明解古典学習シリーズ20、1973年、54頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(08)
① I said fifteen, not fifty.
と言ふ場合は、
① fifteen の、
①   teen を「強調(強く発音)」する。
従って、
(08)により、
(09)
① 私が言ったのは、
①{15、50}
の内の、
①{15}であって、
①{50}ではない。
と言ふ場合は、
①{15}を、「強調」する。
然るに、
(10)
① AはBであって、A以外はBでない。
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① What I said is fifteen, not fifty.
① 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない。
といふ場合がさうであるやうに、
①「強調」は、「排他的命題」を主張する。
従って、
(06)(07)(11)により、
(12)
③{小、大}
であるとして、
③ 小学而大遺。
といふ「強調形」は、
③ 小を学んで(大を学ばない)、大を忘れて(小を忘れない)。
といふ、「排他的命題」である。
従って、
(12)により、
(13)
④ 誰毀誰誉=誰をか毀り、誰をか誉めん(論語、衛霊公)。
の場合も、
④ 誰かを毀り(その誰か以外は毀しらず)、誰かを誉め(その誰か以外は誉めない)としたら、その誰かとは、誰か。
といふ、「排他的命題」である。
然るに、
(14)
 前置による強調
 疑問詞と指示詞の前置
 動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置きすることは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(07)(13)(14)により、
(15)
③ 小学而大遺。
といふ「倒置」は、「例外(イレギュラー)」であって、
④ 誰毀誰誉。
といふ「疑問詞の倒置」は、この方が、「正則(レギュラー)」である。
然るに、
(16)
④「正則(レギュラー)」であるとしても、
④ 誰毀誰誉=誰をか毀り、誰をか誉めん。
が、「排他的命題」であることには、「変はり」がない。
(17)
⑤ Whose book is this ?
であらうと、
⑤ Is this whose book ?
でなからうと、
⑤ この本は誰のものですか。
⑤ 誰がこの本の所有者ですか。
といふ「疑問文」は、「排他的命題」である。
平成28年07月30日、毛利太。

2014年2月22日土曜日

WH移動(wh-movement in archaic Chinese)。

ともあれ、
(01)
「① 死なない人間が存在しない」のであれば、
「② 全ての人間は死ぬ」。
といふ「命題」が「真」であることを、「証明」したい。
(02)
命題 ①と、
命題 ②が有って、
その「結果」として、「矛盾(A&非A)」が生じるであれば、
① と、
② の、
どちらか一方が、「偽」である。
従って、
(03)
① が「真」であれば、② が「偽」であり、
② が「偽」であれば、② の否定が「真」である。
従って、
(04)
① は「真」であり、尚且つ、
② も「真」であると「仮定」して、「矛盾(A&~A)」が生じる場合は、
① が「真」であれば(条件的証明)、
② の否定が「真」である(背理法)。
然るに、
(05)
①  ~(ヨx)(Hx&~Mx)=死なない人間は存在しない。
②    (x)(Hx→Mx) =全ての人間は死ぬ。
に於いて、
(06)
1  (01)  ~(ヨx)(Hx&~Mx)     A〔仮定①〕
2   (02)   ~(x)(Hx→Mx)    A〔仮定②〕
2   (03)         ~(Ha→Ma)    UE
2  (04)      ~(~Ha∨Ma)    (03)Df.→
2  (05)       ~~Ha&~Ma     (04)DML
2  (06)        Ha&~Ma     (05)DN
2  (07)   (ヨx)(Hx&~Mx)    (06)E I
1,2 (08)  ~(ヨx)(Hx&~Mx)&(ヨx)(Hx&~Mx)(01)(07)&I
1  (09)    ~~(x)(Ha→Ma)         (02)(08)RAA〔背理法〕
1  (10)        (x)(Ha→Ma)         (09)U I〔仮定②の否定〕
    (11)    ~(ヨx)(Hx&~Mx)→(x)(Hx→Mx) (01)(11)CP  
  (12) 死なない人間が存在しないならば、全ての人間は死ぬ。(01)(11)CP
  (13) ① 無〔人不(死)〕則 ② 人皆有(死)。(01)(11)CP
従って、
(05)(06)により、
(07)
~(ヨx)(Hx&~Mx)=死なない人間は存在しない。
に於ける、「記号」の意味は、
否定       =~
存在する      =(ヨx)
xは人間である=Hx
接続詞      =&
xは死ぬ     =Mx
然るに、
(08)
「論理記号」の「結合力」の強さは、「¬、&、∨、→、⇔」の順であり、括弧は曖昧さが無い場合には適当に省略される(赤間世紀、prologで学ぶAIプログラミング、平成20年、13頁)。に於いて、「¬(否定)」は、「~(否定)」に等しい。
従って、
(09)
むやみに括弧が多くなることは我慢できないのである(E.J.レモン、論理学初歩、1973年、59頁)。とはせずに、「括弧」を、「省略」しない場合は、
  ~(ヨx)(Hx&~Mx)=
~((ヨx)(Hx&~(Mx)))
従って、
(10)
(( )(( )))を、
[( )〔( )〕]に替へると、
  ~(ヨx)(Hx&~Mx)=
~((ヨx)(Hx&~(Mx)))=
~[(ヨx)〔Hx&~(Mx)〕]
従って、
(11)
『返り点に対する「括弧」の用法』にならって、
~[(ヨx)〔Hx&~(Mx)〕]⇒
[〔Hx&(Mx)~〕(ヨx)]~。
従って、
(07)(11)により、
(12)
~[(ヨx)〔Hx&~(Mx)〕]⇒
[〔Hx&(Mx)~〕(ヨx)]~=
[〔人間であって(死な)ないxは〕(存在し)]ない=
  人間であって 死な ない者は 存在し)  ない。
然るに、
(13)
無〔人不(死)〕⇒
〔人(死)不〕無=
〔人にして(死せ)不る〕は無し=
  人にして  死せ  不る  は無し。
従って、
(12)(13)により、
(14)
無〔人不(死)〕⇒
〔人(死)不〕無=
〔人にして(死せ)不る〕は無し=
  人にして  死せ  不る  は無し。
といふ『返り点に対する「括弧」の用法』は、
~[(ヨx)〔Hx&~(Mx)〕]⇒
[〔Hx&(Mx)~〕(ヨx)]~=
[〔人間であって(死な)ないxは〕(存在し)]ない=
  人間であって   死な ない者は 存在し  ない。
といふ『述語論理に対する「括弧」の用法』に、等しい。
従って、
(14)により、
(15)
① 無人不死。
といふ「漢文」は、「表層的」には、
① 無人不死。
といふ「形」をしてゐる一方で、「論理的」には、
② 無〔人不(死)〕
といふ「形」をしてゐる。はずである。
そのため、
(16)
① 読漢文。
の場合も、「論理的」には、
② 読(漢文)。
といふ「形」をしてゐる。とする。
然るに、
(17)
① 誰毀誰誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(論語)。
の場合は、
② (誰)毀(誰)誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ。
となってゐて、
① 毀誰誉誰=
② 毀(誰)誉(誰)⇒
③ (誰)毀(誰)誉 =
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ。
とはなってゐない。
すなはち、
(18)
② 誉(彼)=彼を誉む。
② 敬(汝)=汝を敬ふ。
② 先(我)=我を先にす。
といふ、「語順」からすれば、
② 誉(誰)=誰をか誉む。
② 敬(誰)=誰をか敬ふ。
② 先(誰)=誰をか先にせむ。
となるはずである。
にも拘わらず、実際には、さうはならず、
②(誰)誉=誰をか誉む。
②(誰)敬=誰をか敬ふ。
②(誰)先=誰をか先にせむ。
といふ風に、「誰(WHOM)」が、「文頭」に来てゐる。
cf.
『孟子』の原文と趙岐の注を比較すると上古の語順は後漢時代すでに変化して現代語式なっていたことがわかる。すなわち『孟子』では「誰敬」「誰先」と賓語の誰が動詞の前に来ている(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁)。
英語(や多くのヨーロッパ言語)のWH要素は文頭へ移動する。日本語( 中国語、韓国語など)ではWH要素は移動しない(日本語の疑問文について - 神戸松蔭女子学院大学Adobe PDF)。
従って、
(18)
FC2ブログ(2011.05.03.Tue).
でも述べた通り、
① 誰毀誰誉=
② (誰)毀(誰)誉=誰をか毀り、誰をか誉めむ。
は、「漢文」に於ける、「WH移動」である。
(A)
「これは私のものである。」の、「私」を「強調」して言うのであれば、その場合は、
「これは私のものであって(、私以外の者の、ものではない)。」⇒「排他的命題」。
という、意味になります。
然るに、
(B)
「ある部分」を「強調」するということは、何らかの形で、「その部分」が、「その他の部分」よりも、「目立つ」ように、工夫することである。という風に、考えられます。
従って、
(C)
「通常の語順」に従わないのであれば、「その部分」は、当然、「目立つ」わけですから、今行った議論 からすれば、「その部分」は、「強調」されることになり、その意味で、私は、次のような、説明を支持します。
漢語としての「通常の語順」を変えて、「目的語の疑問詞」を「前置」することは、疑問文において、その疑問の中心になっている「疑問詞」を、特に「強調」したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、334・頁)。
加えて、
(D)
誰毀誰誉(論語、巻第八、衛霊公第十五、二五)は、
誰かを誉め、その誰か以外を誉めないのであれば、その誰かとは、誰か。
という、「排他的命題」であると、考えます。
 ― 中略 ―
(E)
その言語(漢語)を用ちいる集団の意識として、
「排他的命題」を主張する目的が、「強調」につながり、「強調」しようとする意識が、「疑問詞の前置(Wh移動)」をプロモート(促進・助長)する形で、「漢文に於ける、Wh移動」が、定着したという風に、私は、理解しています。
然るに、
(19)
例へば、ラテン語の場合、
QUIS EST ILLE?           =誰、彼である、そこの。
QUO VADIS DOMINE?=何処へあなたは行くのか。主よ。
QUID VIDERE VIS?   =何を見ることを、あなたは望むか。
従って、
(20)
「疑問詞」だけを「英語」に置き換へると、
WHO EST ILLE?        =あそこにいるのは誰ですか。
WHERE VADIS DOMINE?=何処へあなたは行くのか。主よ。
WHAT VIDERE VIS?    =あなたは何が見たいですか。
然るに、
(21)
WHAT DO YOU WANT TO SEE?
I WANT TO SEE A(THE) MOVIE.
従って、
(20)(21)により、
(22)
英語の場合は、
ラテン語のやうな、「語形」が、「格(てにをは)」を表す「言語」から、
漢文のやうな、   「語順」が、「格(てにをは)」を表す「言語」に、
変はって行った過程で、
「疑問詞」だけは、「語頭」に「止まった」のかも、知れない。
すなはち、
(23)
「WH移動」ではなく、「WH停止」なのかも、知れない。
加へて、
(24)
たとえば、「私の女主人」と言いたいとき、普通は domina mea(domina,ae,f)ですが、mea domina と言っても構わないのです。散文などでは離れることさえよくあります。これがラテン語の柔軟さ、屈折語の強みです。このmea domina はキリスト教では「聖母マリア」といふ特別な意味で使われました。比喩的には「敬うべき女性、あこがれの女(ひと)」。伊語のmadonna の元の形です(大西英文、はじめてのラテン語、1997年、75頁)。
従って、
(24)により、
(25)
現代イタリア語としては、
② MADONNA=MEA DOMINA。
といふ「語順」だけしかなく(?)、
古代イタリア語(ラテン語)としては、
①「普通」は ⇒ DOMINA MEA。
②「前置」は ⇒ MEA DOMINA。
である。と、思はれる。
従って、
(25)
現代イタリア語としては、
一通りしか無く、
②「普通」は ⇒ MEUS LIBER(私の本)。
古代イタリア語(ラテン語)としては、
二通り有って、
①「普通」は ⇒ LIBER MEUS(私の本)。
②「前置」は ⇒ MEUS LIBER(私の本)。
である。と、思はれる。
従って、
(A)~(25)により、
(26)
ラテン語に於ける、
① LIBER MEUS(私の本)。
に対する、
② MEUS LIBER(私の本)。
といふ「言ひ方」は、「所有形容詞」の「前置」による「強調形」であって、
② MEUS LIBER=私の以外のものではない所の、私の本。
といふ「意味」である。と、思はれる。
然るに、
(27)
① LIBER MEUS。
に対する、
② MEUS LIBER.
といふラテン語に、
② 私の以外のものではない所の、私の本。
といふニュアンスが有るのか、どうかは、イタリア人でも、フランス人でもない、私には、全くわからない。
但し、
(28)
① 私の本。
① 私のです。
に於いて、「私の」を、強く言ふと、日本語では、
② 私の本 =(私以外のものではない所の、)私の本。
② 私のです=(私以外のものではなく)私のです。
といふ「意味」になることは、知ってゐる。
然るに、
(29)
① LIBER MEUS。
のやうな「普通の語順」を、
② MEUS LIBER。
のやうに「前置」した際に、
② MEUS LIBER=私の以外のものではない所の、私の本。
といふニュアンスになる言語が、3000とも5000ともいわれる世界の言語の中に、在るのかどうかは、わからない。
(30)
仮に、ある言語Aが、そのやうな言語であるとして、その言語Aの話者が、英語だけを使用し始めた結果として、その言語Aが、亡びようとしてゐるのかどうかも、分らない。
従って、
(31)
そのやうな、滅びつつある言語Aが有るのであれば、滅びてしまふ前に、せめて「記録」だけは、残って欲しい。
(32)
① WHAT DO YOU WANT TO SEE?
② DO YOU WANT TO SEE what?
③ I WANT TO SEE MOVIE.
の内の、
② DO YOU WANT TO SEE what?
が、消滅しつつ、あることによって、今現在、
① WHAT DO YOU WANT TO SEE?
③ I WANT TO SEE MOVIE.
といふ「WH移動」が、生じようとしてゐる「言語」が、実際に在るのであれば、滅びてしまふ前に、「記録」だけは、残って欲しい。
従って、
(33)
「現在」に於いても、そのやうな「言語」が在るかもしれないし、
「過去」には、そのやうな「言語」が在ったのかも知れないため、
私は、世界中の、「過去と現在の言語」を、全て知りたい。
然るに、
(34)
「世界中の、全ての、過去と現在の言語」を知ることは、不可能なので、なるべく、「互いにかけ離れた、様々な言語を、少しづづ」知りたい。
然るに、
(35)
ただし、言語学のあらゆる分野が世界中の言語を研究対象にしているわけではない。とくに最近の言語学は、人間が言語を生成するメカニズムを理論的に追い求めるのが主流である。心の中、いや、頭の中がどうなっているのかを追求するわけで、これでは心理学や生理学に近い。
(黒田龍之介、世界の言語入門、2008年、5頁)
然るに、
(36)
「ラテン語やギリシャ語」のやうな、「ありふれた言語の対極」にある「漢文」は、「世界中の様々な言語」から、かなりかけ離れてゐる(?)。と、思はれる。
加へて、
(37)
エヴェレットは、この言語に再帰(繰り返し、recursion)が無いことは、(もしそれが正しいとすれば)チョムスキー言語学の根底を崩すものとなると主張している。この説はしかし、「エヴェレット自身がピラハン語の中に再帰を認めているではないか」と、多くの言語学者から反論を受けている。これに対しエヴェレットは、表面的には再帰的であるように見えるとする当初の発言は、ピダハン語に対する知識不足による誤った解釈であったと言っている(ウィキペディア)。
従って、
(38)
「ラテン語や、ギリシャ語」のやうな、「ありふれた言語の対極」にある「言語」は、「漢文訓読」と、「ピダハン語」なのかも、知れない。
cf.
「どこに外国語を母国語の語順で読む国があろう」か(、そのやうな例は、世界中探してもどこにも無い)と嘆く著者(西洋文化研究者)は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するときだ」とするのである(訓読論、勉誠出版、2008年、1頁)。
然るに、
(39)
この案を簡単に言えば「漢字を禁止し、カタカナのみにする」といふことであります。この案を提案した海軍少佐によれば、カタカナのみにすればすべてが能率的にできるということです。さらに学校で漢字を禁止すると、GHQの検閲が容易になるということです。さらに学校で漢字を禁止すれば、「漢字で書かれた戦前の宣伝に感染しない、日本人の世代を生み出すことになろう。なぜなら、かれらはそれを読むことができないからである」予想していたのです(津田幸男、日本語防衛論、平成23年、150頁)。
(40)
「漢文」を、まともに習ったことがあれば、
① 誰毀誰誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(論語)。
といふ「語順」が「倒置」であることは、誰にでも、分るはずであり、
① 誰毀誰誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(論語、巻第八、衛霊公第十五、二五)。
が「反語」であることも、少し考へれば、分るはずである。
(41)
① 誰毀誰誉=
② (誰)毀(誰)誉 ⇒
③ (誰)毀(誰)誉 =
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(反語)。
といふ「漢文」が、「倒置・反語」であることを、「強く意識」する時、
① (誰)毀(誰)誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(反語)。
といふ「漢文」は、
⑤ 誰かを誉め、その誰か以外を誉めないのであれば、その誰かとは、誰か。
といった、「ニュアンス」に、ならないでせうか?
(42)
仮に、少しは、そのやうな「ニュアンス」になり、尚且つ、
漢語としての「通常の語順」を変えて、「目的語の疑問詞」を「前置」することは、疑問文において、その疑問の中心になっている「疑問詞」を、特に「強調」したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、334・頁)。
といふことを、読んだことがあるのであれば、私ならぬ、あなたの場合も、「排他的命題」を主張する目的が、「強調」につながり、「強調」しようとする意識が、「疑問詞の前置(Wh移動)」をプロモート(促進・助長)する形で、「漢文に於ける、Wh移動」が、定着した。
といふ風に、考へるやも、知れない。
それ故、
(43)
日本語を母語とする、その意味では普通の高校生であるにかかわらず、60年代のMITに直接論文を請求し、「それを知る由もないMITの言語学科では、いつもすぐに Dr.Harada あてに謄写版の論文をおくってくるのであった。」といふ、逸話が有る、原田信一のやうな人物が、受験勉強の際に、
① 誰毀誰誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(論語)。
に接してゐたとしたら、その、天才である彼が、
① (誰)毀(誰)誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(論語)。
いふ「漢文」が、
① 誰毀誰誉=
② (誰)毀(誰)誉 ⇒
③ (誰)毀(誰)誉 =
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(反語)=
⑤ 誰かを誉め、その誰か以外を誉めないのであれば、その誰かとは、誰か。
といふ「排他的命題」であるといふことに、気付いた。としても、不思議ではない。
従って、
(44)
1960年代の終わりに彗星の如く日本の言語学界に現われた、天才言語学者によって、MITの
チョムスキーにも、
① (誰)毀(誰)誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(反語)。
といふ、「古代漢語に於けるWH移動(wh-movement in archaic Chinese)」が知られることになり、古代漢語の場合は、上古の語順は後漢時代すでに変化して現代語式なっていたことがわかる(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁)。
といふこととと、相俟って、
① 誰毀誰誉=
④ 誰をか毀り、誰をか誉めむ(反語)=
⑤ 誰かを誉め、その誰か以外を誉めないのであれば、その誰かとは、誰か。
といふ「排他的命題」は、あるいは、一躍有名になってゐた。かも、知れない。
然るに、
(45)
その頃から既に、 
最近では倉石武四郎(くらいし・たけしろう)博士(1897-1975)が、中国語の音読を強硬に主張されました。昭和16年に出版された『支那語教育の理論と実際』(岩波書店)は、まさに信念の書です。― 中略、― 倉石博士の影響力はすさまじく、現在ではほとんどの大学において、漢文の講座で中国語(普通話)の音読を用いています(漢文の中国語音読の主張3(倉石武四郎博士) 日本漢文の世界 kambun.jp)。
といふことによって、「漢文訓読」は、アカデミズムとしては、人気の下降に歯止めが訊かず、それ故、
中国文学科に変身した新学科には、訓読を軽視し、否定する教授もいらっしゃる(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、38頁)。といふことに、なってゐる。次第である。
といふ風に、独学の徒は、思ってゐる。
平成26年02月22日、毛利太。