2017年5月13日土曜日

「趙義成 訳注、訓民正音(P136~P162)、2010年」

(01)
『趙義成 訳注、訓民正音、2010年』で読むことが出来る「書き下し文(P136~P162)」を参考にして、
『崔万里等 諺文(언문、ハングルの旧称)反対上疏文(西暦1444年)』に、「括弧」を付けてみました。
(02)
「訓民正音とその関連文献にくまなく日本語の訓読文を附したのは、おそらく本書が初めてではないかと思う(あとがき)。」
とのことですが、「同書」には、「訓読文(書き下し文)」は有っても、「返り点」は有りません。
(03)
だ[〔(  に) りて に(  を) す 〕 り]。
といふ「平仮名」を「ハングル」に変へた場合、おそらく、
다[〔(  니) 리데 니(  오) 수 〕 리]。
である(?)か、それに近いものと思はれます。
従って、
(04)
例へば、
未有因方言而別爲文字者=
有〔因(方言)而別爲(文字)者〕。
に於いて、
不[ ]⇒[ ]不
有[ ]⇒[ ]有
因( )⇒( )因
爲( )⇒( )爲
といふ「移動」を行った上で、「平仮名・ハングル」を加へると、
未有因方言而別爲文字者=
未[有〔因(方言)而別爲(文字)者]〕⇒
未[〔(方言)因而別(文字)爲者〕有]不=
未だ[〔(方言に)因りて別に(文字を)爲す者〕有ら]不=
未다[〔(方言니)因리데別니(文字오)爲수者〕有리]不。
といふ「漢文訓読(日本語訳)」が成立する。
cf.
「未(尚不)」は「再読文字」。
「而」は「て・데(接続詞)」。
然るに、
(05)
韓国語の構文は、日本語の場合とほとんど同じと考えてよいだろう(森下喜一 池景來、日・韓対照言語学入門、1992年、14頁)。
ミョンワンソンキジから、ウジュウチョンハムヤマトがチュルドンし、コンギョクをケーシした。
冥王星基地에서、宇宙戦艦 ヤマト가出動 헤、攻撃 을開始했다。
どれほど似ているか、お判りいただけるだろうか。韓国語で仮名がふれるくらい、全く同じ語順なのだ(豊田有常、韓国が漢字を復活できない理由、119頁)。
従って、
(04)(05)により、
(06)
未だ[〔(方言に)因りて別に(文字を)爲す者〕有ら]不。
未다[〔(方言니)因리데別니(文字오)爲수者〕有리]不。
等の「平仮名・ハングル」を「韓国語のハングル」に「書き換へる」ことにより、「韓国語」を用ゐた、「括弧」による「漢文訓読」は、「原理的に可能」なはずです。
(07)
以下に於いて、
(Ⅰ)「句読点」等がついた「原文」。
(Ⅱ)「括弧」を加へた「それ」。
(Ⅲ)「訓読」の語順の「それ」。
(Ⅳ)「平仮名」を加へた「それ」。
(Ⅴ)「現代語訳(逐語訳)」。
であることを、確認します。
(08)
(Ⅰ)庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰『臣等伏覩、諺文制作、至爲神妙、創物運智、夐出千古。然以臣等區區管見、尚有可疑者。敢布危懇、謹疏于後、伏惟聖裁。』
(Ⅱ)庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰『臣等伏覩、諺文制作、至爲(神妙)、創物運智、夐出(千古)。然以(臣等區區管見)、尚有〔可(疑)者〕。敢布(危懇)、謹疏(于後)、伏惟(聖裁)。』
(Ⅲ)庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰『臣等伏覩、諺文制作、至(神妙)爲、創物運智、夐(千古)出。然(臣等區區管見)以、尚〔(疑)可者〕有。敢(危懇)布、謹(于後)疏、伏(聖裁)惟。』
(Ⅳ)庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏して曰く、『臣等伏して覩るに、諺文の制作、至って(神妙)爲り、創物運智、夐かに(千古を)出づ。然れども(臣等の區區管見を)以てするに、尚ほ〔(疑ふ)可き者〕有り。敢へて(危懇を)布き、謹んで(後に)疏し、伏して(聖裁を)惟ふ。」
(Ⅴ)集賢殿副提學である崔萬理らが、上疏して言った、『私どもが思いますに、「諺文」の制作は、非常に(神妙)であって、王様の物を創造される知恵は、はるかに(千古の昔を)抜きん出ています。しかしながら(私どもの浅慮)からしますと、〔(疑問に)思うことが〕有り、敢へて(厳しい真心)をもって、謹んで(以下に)申し上げ、(ご聖断を仰ぐ)次第です。』
庚子(1444年2月20日の干支)
副提學(官職名)
崔萬理(人名)
諺文(ハングル)
上疏(君主へ上奏すること)
夐(はる)かに
惟(おも)ふ
(09)
(Ⅰ)一、我朝自祖宗以來、至誠事大、一遵華制。今當同文同軌之時、創‐作諺文有駭觀聽。黨曰『諺文皆本古字、非新字也。』則字形雖倣古之篆文、用音合字、盡反於古、實無所據。若流中國、或有非‐議之者、豈不有愧於事大慕華。
(Ⅱ)一、我朝自(祖宗)以來、至誠事(大)、一遵(華制)。今當(同文同軌之時)、創‐作(諺文)有(駭觀聽)。黨曰『諺文皆本(古字)、非(新字)也。』則字形雖〔倣(古之篆文)〕、用(音)合(字)、盡反(於古)、實無〔所(據)〕。若流(中國)、或有〔非‐議(之)者〕、豈不{有[愧〔於事(大)慕(華)〕]}。
(Ⅲ)一、我朝(祖宗)自以來、至誠(大)事、一(華制)遵。今(同文同軌之時)當、(諺文)創‐作(駭觀聽)有。黨曰『諺文皆(古字)本、(新字)非也。』則字形〔(古之篆文)倣〕雖、(音)用(字)合、盡(於古)反、實〔(據)所〕無。若(中國)流、或〔(之)非‐議者〕有、豈{[〔於(大)事(華)慕〕愧]有}不。
(Ⅳ)一、我が朝(祖宗)自り以來、至誠に(大に)事へ、一に(華制に)遵ふ。今(同文同軌の時に)當り、(諺文を)創‐作するに(駭きて觀聽する)有り。黨しくは曰く、『諺文は皆(古字に)本づき、(新字に)非ざるなり。』則ひ字形〔(古の篆文に)倣ふと〕雖も、(音を)用ひ(字を)合はすは、盡く(古に)反す、實に〔(據る)所〕無し。若し(中國に)流れ、或は〔(之を)非‐議する者〕有らば、豈に{[〔(大に)事へ(華を)慕ふに〕愧ずること]有ら}ざらんや。
(Ⅴ)一つ、我が国は(初代国王)より、誠をもって(大国に)仕え、ひたすら(中華の制度に)従っています。今、(中華と進べき道を同じくするに)当たり、(諺文を)創‐作したことに対して(驚きをもって見聞きする者が)います。あるいは、『諺文はすべて(古い文字に)本づいていて、(新しい字)ではない。』と言われるかも知れません。たとえ字の形が〔(昔の文字に)ならっているに〕せよ、(音を)用いて(字を)合わせるのであれば、ことごとく(古いものに)反することになり、実に〔(根拠とする)所が〕有りません。もし(中国に)この「諺文」が知られることになって、〔(この「諺文」を)非難する者が〕有るとすれば、{[〔(大国に)仕え、(中華を)慕うに於いて〕恥ずべきこと]であると}思わないのでしょうか。
事大(大国である、中国に仕へ従ふ)
同文(文字を同じくする)
同軌(規格を同じくする)
則・即(たと)ひ

cf.
この上ない真心をもって大国に仕え(至誠事大)、

ひたすら中華の制度に従っています(一遵華制)。
といふ態度は、「ウリジナル(韓国起源説)」の否定に、他ならない。
(10)
(Ⅰ)一、自古九州之内、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。傳曰『用夏變夷、未聞變於夷者也。』歴代中國皆以我國有箕子遺風、文物・禮樂比‐擬中華。今別作諺文、捨中國而自同於夷狄。是所謂棄蘇合之香而取螗螂之丸也。豈非文明之大累哉。
(Ⅱ)一、自(古)九州之内、風土雖(異)、未[有〔因(方言)而別爲(文字)者〕]。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有(其字)、是皆夷狄事耳、無〔足(道)者〕。傳曰『用(夏)變(夷)、未[聞〔變(於夷)者〕]也。』歴代中國皆以(我國)有(箕子遺風)、文物・禮樂比‐擬(中華)。今別作(諺文)、捨(中國)而自同(於夷狄)。是所謂棄(蘇合之香)而取(螗螂之丸)也。豈非(文明之大累)哉。
(Ⅲ)一、(古)自九州之内、風土(異)雖、未[〔(方言)因而別(文字)爲者〕有]不。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各(其字)有、是皆夷狄事耳、〔(道)足者〕無。傳曰『(夏)用(夷)變、未[〔(於夷)變者〕聞]不也。』歴代中國皆(我國)以(箕子遺風)有、文物・禮樂(中華)比‐擬。今別(諺文)作、(中國)捨而自(於夷狄)同。是所謂(蘇合之香)棄而(螗螂之丸)取也。豈(文明之大累)非哉。
(Ⅳ)一つ、(古)自り九州の内、風土(異なると)雖も、未だ[〔(方言に)因りて別に(文字を)爲す者〕有ら]ず。唯だ蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各々(其の字)有るは、是れ皆夷狄の事のみ、〔(道ふに)足る者〕無し。傳に曰く、『(夏を)用ひて(夷を)變ずるも、未だ[〔(夷に)變ずる者を〕聞か]ざるなり。』歴代の中國、皆(我國を)以て(箕子の遺風)有りとし、文物・禮樂は(中華)に比‐擬す。今、別に(諺文を)作り、(中國を)捨て、自ら(夷狄と)同じくす。是れ所謂(蘇合の香を)棄て(螗螂の丸)取るなり。豈に(文明の大累に)非ざらんや。
(Ⅴ)一つ、(昔)から、各地の風土は、それぞれ(異っている)としても、これまでに[〔(各地の言葉に)本づいて(文字を)作った者は〕い]ません。唯だ、蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃などに(彼等の字が)有るのは、野蛮人であるからに、過ぎないので、〔(言う)必要は〕ありません。古典には、『(中華に)よって(野蛮人)が変わることはあっても、[〔(野蛮人に)感化された〕例は]ありません。』歴代の中国は、皆(我が国)に(箕子の遺風が)有るとして、文物や礼楽は(中華)になぞらえています。にもかかわらず、新たに(諺文を)作り、(中国から)離れて、自分から(野蛮人に)なろうとしています。これでは(蘇合の香を)棄てて、(カマキリ薬)を取ることになります。どうして(文明に対する大害で)ないと言えるでしょうか。
九州(中国全土)
夷狄(自分たち以外の野蛮人)
箕子(殷の紂王のおじ)
蘇合之香(高価な物の譬え)
螗螂之丸(まがい物の譬え)
(11)
(Ⅰ)一、新羅薛聰吏讀、雖爲鄙俚、然皆借中國通行之字、施於語助、與文字元不相離。故雖至胥吏僕隷之徒、必欲習之、先讀數書、粗知文字、然後乃用吏讀。用吏讀者、須馮文字、乃能達意。故因吏讀而知字者頗多、亦興學之一助也。若我國元不知文字、如結繩之世、則姑借諺文、以資一時之用猶可、而執正議者、必曰『與其行諺文以姑息、不如寧遲緩而習中國通行之文字、以爲久長之計也。』而況吏讀行之數千年、而簿書期會等事、無有防礎者。何用改舊行無弊之文、別創鄙諺無益之字乎。若行諺文、則爲吏者專習諺文、不顧學問文字、吏員岐而爲二。苟爲吏者以諺文而宦達、則後進皆見其如此也、以爲『二十七文字諺文足以立身於世、何須苦心勞思、窮性理之學哉。』如此則數十年之後、知文字者必少、雖能以諺文而施於吏事、不知聖賢之文字、則不學墻面、昧於事理之是非。徒工於諺文、將何用哉。我國家積累右文之化、恐漸至掃地矣。前此吏讀雖不外於文字、有識者尚且鄙之、思欲以吏文易之。而況諺文與文字暫不干渉、專用委巷俚語者乎。借‐使諺文自前朝有之、以今日文明之治・變魯至道之意、尚肯因循而襲之乎。必有更張之議者、此灼然可知之理也。厭舊喜新、古今通患。今此諺文不過新奇一藝耳。於學有損於治無益、反覆籌之未見其可也。
(Ⅱ)一、新羅薛聰吏讀、雖〔爲(鄙俚)〕、然皆借(中國通行之字)、施(於語助)、與(文字)元不(相離)。故雖〔至(胥吏僕隷之徒)〕、必欲〔習(之)〕、先讀(數書)、粗知(文字)、然後乃用(吏讀)。用(吏讀)者、須馮(文字)、乃能達(意)。故因(吏讀)而知(字)者頗多、亦興學之一助也。若我國元不〔知(文字)〕、如(結繩之世)、則姑借(諺文)、以資(一時之用)猶可、而執(正議)者、必曰『與〔其行(諺文)以(姑息)〕、不[如〔寧遲緩而習(中國通行之文字)、以爲(久長之計)〕]也。』而況吏讀行(之)數千年、而簿書期會等事、無[有〔防(礎)者〕]。何用改(舊行無弊之文)、別創(鄙諺無益之字)乎。若行(諺文)、則爲(吏)者專習(諺文)、不〔顧(學問・文字)〕、吏員岐而爲(二)。苟爲(吏)者以(諺文)而宦達、則後進皆見〔其如(此)〕也、以爲『二十七文字諺文足[以立〔身(於世)〕]、何須〔苦心勞思、窮(性理之學)〕哉。』如(此)則數十年之後、知(文字)者必少、雖〔能以(諺文)而施(於吏事)〕、不〔知(聖賢之文字)〕、則不學墻面、昧(於事理之是非)。徒工(於諺文)、將何用哉。我國家積累右文之化、恐〔漸至(掃地)〕矣。前(此)吏讀雖[不〔外(於文字)〕]、有(識)者尚且鄙(之)、思欲〔以(吏文)易(之)〕。而況諺文與(文字)暫不(干渉)、專用(委巷俚語)者乎。借‐使諺文自(前朝)有(之)、以(今日文明之治・變魯至道之意)、尚肯(因循)而襲(之)乎。必有(更張之議)者、此灼然可知之理也。厭(舊)喜(新)、古今通患。今此諺文不〔過(新奇一藝)〕耳。於(學)有(損)於(治)無(益)、反覆籌(之)未〔見(其可)〕也。
(Ⅲ)一、新羅薛聰吏讀、〔(鄙俚)爲〕雖、然皆(中國通行之字)借、(於語助)施、(文字)與元(相離)不。故〔(胥吏僕隷之徒)至〕雖、必〔(之)習〕欲、先(數書)讀、粗(文字)知、然後乃(吏讀)用。(吏讀)用者、須(文字)馮、乃能(意)達。故(吏讀)因而(字)知者頗多、亦興學之一助也。若我國元〔(文字)知〕不、(結繩之世)如、則姑(諺文)借、以(一時之用)資猶可、而(正議)執者、必曰『〔其(諺文)行(姑息)以〕與、[〔寧遲緩而(中國通行之文字)習、以(久長之計)爲〕如]不也。』而況吏讀(之)行數千年、而簿書期會等事、[〔(礎)防者〕有]無。何用(舊行無弊之文)改、別(鄙諺無益之字)創乎。若(諺文)行、則(吏)爲者專(諺文)習。〔(學問・文字)顧〕不、吏員岐而(二)爲。苟(吏)爲者(諺文)以而宦達、則後進皆〔其(此)如〕見也、以爲『二十七文字諺文[以〔(於世)身〕立]足、何須〔苦心勞思、(性理之學)窮〕可哉。』(此)如則數十年之後、(文字)知者必少、〔能(諺文)以而(於吏事)施〕雖、〔(聖賢之文字)知〕不、則不學墻面、(於事理之是非)昧。徒(於諺文)工、將何用哉。我國家積累右文之化、〔漸(掃地)至〕恐矣。(此)前吏讀[〔(於文字)外〕不]雖、(識)有者尚且(之)鄙、思〔(吏文)以(之)易〕欲。而況諺文(文字)與暫(干渉)不、專(委巷俚語)用者乎。借‐使諺文(前朝)自(之)有、(今日文明之治・變魯至道之意)以、尚(因循)肯而(之)襲乎。必(更張之議)有者、此灼然可知之理也。(舊)厭(新)喜、古今通患。今此諺文〔(新奇一藝)過〕耳。(學)於(損)有(治)於(益)無、反覆(之)籌未〔(其可)見〕不也。
(Ⅳ)一つ、新羅の薛聰の吏讀は、〔(鄙俚)爲りと〕雖も、然れども皆(中國通行の字を)借り、(語助を)施し、(文字)と元々(相ひ離れ)ず。故に〔(至胥吏僕隷の徒に)至ると〕雖も、必ず〔(之を)習はんと〕欲せば、先ず(數書を)讀み、粗ぼ(文字を)知りて、然る後に乃ち(吏讀を)用ゐる。(吏讀を)用ゐる者は、須らく(文字に)馮り、乃ち能く(意を)達す。故に(吏讀に)因りて(字を)知る者頗る多く、亦た興學の一助なり。若し我が國元々〔(文字を)知ら〕ず、(結繩の世の)如くんば、則ち姑く(諺文を)借り、以て(一時の用に)資するも猶ほ可なれども、(正議を)執る者、必ず曰く『〔其の(諺文を)行ひ(姑息を)以ってする〕與りは、[〔寧ろ遲緩なれども(中國通行の文字を)習ひ、以て(久長の計を)爲すに〕如か]ざるなり。』而も況んや吏讀は、(之を)行ふこと數千年にして、簿書・期會等の事、[〔(礎を)防ぐる者〕有ること]無し。何の用にか(舊行無弊の文を)改め、別に(鄙諺無益の字を)創らんむや。若し(諺文を)行はば、則ち(吏)爲る者は專ら(諺文を)習ひ、〔(學問・文字を)顧み〕ず、吏員は岐れて(二と)爲らむ。苟くも(吏)爲る者、(諺文を)以て宦達すれば、則ち後進、皆〔其の(此くの)如き〕見るや、以爲く『二十七文字の諺文[以て〔(世に)身を〕立つるに]足らば、何ぞ須く〔苦心勞思し、(性理の學を)窮む〕可きや。』(此くの)如くん則ち數十年の後、(文字を)知る者は必ず少なく、〔能く(諺文を)以て(吏事に)施すと〕雖も、〔(聖賢の文字を)知ら〕ずんば、則ち不學墻面にして、(事理の是非に)昧し。徒に(諺文に)工なるは、將た何ぞ用ひんや。我が國家積累右文の化、〔漸く(掃地するに)至るを〕恐る。(此に)前つ吏讀は[〔(文字を)外れ〕ざると]雖も、(識)有る者は尚ほ且つ(之を)鄙み、思ひて〔(吏文を)以て(之に)易へんと〕欲す。而るに況んや諺文は(文字)と暫く(干渉せ)ず、專ら(委巷の俚語を)用ゐる者をや。借‐使ひ諺文(前朝)自り(之)有るとも、(今日の文明の治・變魯至道の意を)以てすら、尚ほ(因循を)肯じて(之を)襲ぬるや。必ず(更張の議)有るは、此れ灼然として可知の理なり。(舊を)厭ひ(新しきを)喜ぶは、古今の通患なり。今、此の諺文〔(新奇の一藝に)過ぎ〕ざるのみ。(學に)於て(損)有り(治)於て(益)無く、反覆して(之を)籌れども未だ〔(其の可なるを)見〕ざるなり。
(Ⅴ)一つ、新羅の薛聰が作った吏読は、〔(田舎)めいている〕にしても、全て(中國で通用するの字を)借りて、(助詞)としているので、(文字)とそれは、元々(互いに離れ)てはいません。そのため、〔(小役人や下僕)であるに〕せよ、どうしても〔(これを)習い〕たいのであれば、最初に(数冊の書を)読み、ほぼ(文字を)知ってから、その後で(吏読を)用います。(吏読を)用いる者は、しばらく(文字に)たより、そのようして(意を)尽すことができます。それ故(吏読に)たよって(字を)覚える者が大変多く、このことがまた学を興す上での一助になります。もし我が国が元々〔(文字を)知ら〕ないで、(今でも、結繩を用いるような)状態であれば、しばらくの間、(諺文を)を用いて、(一時的な用と)したとしても、良いでしょうが、(正論に)固執する者であれば、必ず『〔(諺文を)用いて(一時しのぎ)をする〕のであれば、[〔それよりも、遅遅としても、(中国で通じる文字を)習ひ、(長い計画を)行なう〕方が]良い。』と言うはずです。しかも吏読の場合は、(これを)行ふことが数千年に及んでいて、報告書や会計などにおいて、[〔(その基礎を)崩すようなことが〕有り]ません。それなのに何故、(古くからの弊害の無いの文字を)改め、別に(卑しく無益の文字を)創ろうとするのでしょうか。もし(諺文を)行へば、(役人)である者は専ら(諺文を)習い、〔(学問・漢字を)顧み〕なくなり、役人は分れて(二つと)なるでしょう。仮にも(役人)である者が、(諺文に)よって、官職を得るようになれば、後から続く者は、皆〔先輩たちの(その)ような様子を〕見て、『二十七文字の諺文[で〔(世に)出れ〕る]のであれば、どうして〔苦労して(性理の学を)究める〕ことがあろうか。』と思うはずです。(この)ようなことが続けば、数十年の後、(文字を)知る者は必ず少なくなり、〔(諺文に)よって(役所仕事が)出来た〕としてもも、〔(聖賢なる漢字を)知ら〕なければ、何も学んでいないのと同じであって、(物事の道理に)暗くなります。(諺文に)優れていたとして、それだけで、一体、何の使い道が有るというのでしょうか。我が国が積み重ねて来た文を尊ぶ気風が、〔だんだんと(地面を掃くように無くなって)しまうことを〕恐れます。(従来)の吏読は[〔(文字から)外れて〕いない]にせよ、(学識)有る者は、それでもなお(諺文を)蔑み、〔(吏文を)用いて(諺文に)代えよう〕とします。ところが、諺文は(文字)と少しも(関わりが)無く、専ら(世俗の話し言葉を)用いるものではないですか。もし仮に、諺文が(前の王の治世)から(それが)有ったとしても〔仮定法過去?〕、(今日の文明の政治や魯を変革して王道に至らせるような大儀を)持ちながら、それでもなおも(古いしきたりに囚われ)て(諺文を)引き継ぐのでしょうか。必ず(改めようと議論する者が)有るのは、合点のいく道理です。(古いものを)嫌い(新しいもの)喜ぶのは、古今を通じての病理です。今、この諺文は〔(物珍しいの一芸に)過ぎ〕ないのです。(学門に)おいて(害が)有り、(政治)おいても(益が)無く、繰り返して(このことを)考えてみても、未だに〔(それを良しとする理由を)見つけることが〕出来ません。
薛聰(人名)
吏讀(漢字を用いた朝鮮語の表記の一つ)
結繩の世(文字が無かった時代)
不學墻面(何も学ばず、土塀の前に立ったまま)
昧(くら)し
暫(しばら)く
借‐使(たと)ひ

cf.
ハングルが広がれば、漢字を学ぶ者がゐなくなる。といふ危惧は、その通りになり、その結果、

あれほど自分たちが大事にし、また誇りに思ってゐる李斯朝鮮について、その歴史書を読める人が、
ほとんどゐなくなった。歴史が消えたのだ。
(12)
(Ⅰ)一、若曰『如刑殺獄辭、以吏讀文字書之、則不知文理之愚民、一字之差、容或至冤。今以諺文直書其言、讀使聽之、則雖至愚之人、悉皆易嘵而無抱屈者。』然自古中國、言與文同、獄訟之間、冤枉甚多。借以我國言之、獄囚之解吏讀者、親讀招辭、知其誣而不勝棰楚、多有枉服者。是非不知招辭之文意而被冤也、明矣。若然則雖用諺文何異於此。是知刑獄之平不平、在於獄吏之如何、而不在於言與文之同不同也。欲以諺文而平獄辭、臣等未見其可也。
(Ⅱ)一、若曰『如刑殺獄辭、以(吏讀文字)書(之)、則不〔知(文理)〕之愚民、一字之差、容或至(冤)。今以(諺文)直‐書(其言)、讀使〔聽(之)〕、則雖(至愚之人)、悉皆易嘵而無〔抱(屈)者〕。』然自(古)中國、言與(文)同、獄訟之間、冤枉甚多。借以(我國)言(之)、獄囚之解(吏讀)者、親讀(招辭)、知(其誣)而不〔勝(棰楚)〕、多有(枉服者)。是非[不〔知(招辭之文意)〕而被(冤)]也、明矣。若然則雖〔用(諺文)〕何異(於此)。是知{刑獄之平不平、在(於獄吏之如何)、而不[在〔於言與(文)之同不同〕]}也。欲〔以(諺文)而平(獄辭)〕、臣等未〔見(其可)〕也。
(Ⅲ)一、若曰『如刑殺獄辭、(吏讀文字)以(之)書、則〔(文理)知〕不之愚民、一字之差、容或(冤)至。今(諺文)以(其言)直‐書、讀〔(之)聽〕使、則(至愚之人)雖、悉皆易嘵而〔(屈)抱者〕無。』然(古)自中國、言(文)與同、獄訟之間、冤枉甚多。借(我國)以(之)言、獄囚之(吏讀)解者、親(招辭)讀、(其誣)知而〔(棰楚)勝〕不、多(枉服者)有。是[〔(招辭之文意)知〕不而(冤)被]非也、明矣。若然則〔(諺文)用〕雖何(於此)異。是[刑獄之平不平、(於獄吏之如何)在、而[〔於言(文)與之同不同〕在]不}知也。〔(諺文)以而(獄辭)平〕欲、臣等未〔(其可)見〕不也。
(Ⅳ)一つ、若しくは曰ふ『如し刑殺獄辭、(吏讀文字)以て(之を)書かば、則ち〔(文理を)知ら〕ざるの愚民、一字の差、容に或は(冤を)至さむ。今(諺文を)以て(其の言を)直‐書、讀みて〔(之を)聽か〕使めば、則ち(至愚の人と)雖も、悉く皆易く嘵て〔(屈を)抱く者〕無し。』然れども(古)自り中國は、言と(文)と同じけれども、獄訟の間に、冤枉甚だ多し。借りに(我國を)以て(之を)言ば、獄囚の(吏讀を)解する者、親ら(招辭を)讀み、(其の誣を)知れども〔(棰楚)勝へ〕ず、多く(枉服する者)有り。是れ[〔(招辭の文意を)知ら〕ずして(冤せ)被るるに]非ざるや、明らかなり。若し然らば則ち〔(諺文を)用ゐると〕雖も何ぞ(此れに)異ならん。是れ[刑獄の平不平は、(獄吏の如何に)在りて[〔言と(文)との同不同に〕在ら]ざるを}知るなり。〔(諺文を)以て(獄辭を)平にせんと欲する〕は、臣ら未だ〔(其の可なるを)見〕ざるなり=
(Ⅴ)一つ、あるいは『刑罰の判決書を、(吏讀や漢字を)用いて(それを)書けば、〔(文章の筋道が)分から〕ない愚かな民は、一字の違いで、たやすく或いは(濡れ衣を)着せられるかもしれない。しかし(諺文を)用いて(その人の言葉を)そのまま書き、読んで〔(それを)聞くか〕せれば、(大バカ者)であっても、すべて皆容易に理解して〔(不平を)抱く者が〕いなくなる。』と言います。しかしながら(昔)から中國は、言葉と(文字)とが同じであっても、訴訟の中に、冤罪が非常に多くあります。借りに(我國に)おいて(このことを)言うならば、獄につながれた者で(吏讀を)読める者が、自ら(調書を)読み、(それが濡れ衣であることを)知ったとしても〔(鞭うち)堪えられ〕ずに、多く(屈服する者が)有ります。このことからも[〔(調書の文意を)知ら〕ないので(濡れ衣を)着せられるのでは]ないということは、明白です。もしそうであるならば〔(諺文を)用いたと〕してもどうして(吏讀を用いることと)変わりが有るのでしょうか。それ故[刑罰の公平と不公平は、(獄吏の在りように)在るのであって[〔言葉と(文字)が同じかどうか〕在る]のではないことが}分ります。〔(諺文を)用いて(判決書を)公平にしようとすること〕は、私どもには、まだ〔(それを良しとする理由が)見えて〕いません。
容(まさ)に
親(みずか)ら
(13)
(Ⅰ)一、凡立事功、不貴近速、國家比來措置、皆務速成、恐非為治之體。儻曰諺文不得已而為之、此變易風俗之大者、當謀及宰相、下至百僚。國人皆曰可、猶先甲先庚、更加三思、質諸帝王不悖、考諸中國而無愧、百世以俟聖人而不惑、然後乃可行也。今、不博採群議、驟令吏輩十餘人訓習、又輕改古人已成之韻書、附會無稽之諺文、聚工匠數十人刻之、劇欲廣布其於天下。後世公議何如。且今淸州椒水幸、特慮年歉、扈從諸事、務從簡約、比之前日十減八九、至於啓達公務、亦委政府。若夫諺文非國家緩急不得已及期之事、何獨於行在汲汲爲之、以煩聖躬調變之時乎。臣等尤未見其可也。
(Ⅱ)一、凡立(事功)、不〔貴(近速)〕、國家比來措置、皆務(速成)、恐[非〔為(治之體)〕]。儻曰[諺文不〔得(已)〕而為(之)]、此變‐易(風俗)之大者。當〔謀及(宰相)、下至(百僚)〕。國人皆曰(可)、猶先甲先庚、更加(三思)、質(諸帝王)不(悖)、考(諸中國)而無(愧)、百世以俟(聖人)而不(惑)、然後乃可(行)也。今、不〔博採(群議)〕、驟令(吏輩十餘人訓習)、又輕改(古人已成之韻書)、附‐會(無稽之諺文)、聚(工匠數十人)刻(之)、劇欲〔廣‐布(其於天下)〕。後世公議何如。且今、淸州椒水幸、特慮(年歉)、扈從諸事、務從(簡約)、比(之前日)十減(八九)、至(於啓達公務)、亦委(政府)。若夫諺文非[國家緩急不〔得(已)〕及(期)之事]、何獨於(行在)汲汲爲(之)、以煩(聖躬調變之時)乎。臣等尤未〔見(其可)〕也。
(Ⅲ)一、凡(事功)立、〔(近速)貴〕不、國家比來措置、皆(速成)務、[〔(治之體)為〕非]恐。儻[諺文〔(已)得〕不而(之)為]曰此(風俗)變‐易之大者。當〔謀(宰相)及、下(百僚)至〕。國人皆(可)曰猶先甲先庚、更(三思)加、(諸帝王)質(悖)不、(諸中國)考而(愧)無、百世以(聖人)俟而(惑)不、然後乃(行)可也。今、〔博(群議)採〕不、驟(吏輩十餘人訓習)令、又輕(古人已成之韻書)改、(無稽之諺文)附‐會、(工匠數十人)聚(之)刻、劇〔(其於天下)廣‐布〕欲。後世公議何如。且今、淸州椒水幸、特(年歉)慮、扈從諸事、務(簡約)從、(之前日)比十(八九)減、(於啓達公務)至、亦(政府)委。若夫諺文[國家緩急〔(已)得〕不(期)及之事]非、何獨(行在)於汲汲(之)爲、以(聖躬調變之時)煩乎。臣等尤未〔(其可)見〕不也。
(Ⅳ)一つ、凡そ(事功を)立つるに、〔(近速を)貴ば〕ざるに、國家比來の措置、皆(速成に)務め、[〔(治の體を)為すに〕非ざるを]恐る。儻し[諺文〔(已むを)得〕ずして(之を)為すと]曰はば、此れ(風俗を)變‐易するの大なる者なり。當に〔謀ること(宰相に)及びて、下は(百僚に)至る〕可し。國人皆(可と)曰へども、猶ほ先甲先庚し、更に(三思)を加へ、(諸を帝王)質して(悖ら)ず、(諸を中國に)考して(愧)無く、百世以て(聖人を)俟ちて(惑は)ず、然る後に乃ち(行ふ)可きなり。今、〔博く(群議を)採ら〕ず、驟に(吏輩十餘人をして訓習せ)令む、又た輕く(古人已に成すの韻書)改め、(無稽の諺文を)附‐會し、(工匠數十人を)聚め(之を)刻ませ、劇ぎて〔(其れを天下に)廣‐布せんと〕欲す。後世の公議何如ならむ。且つ今、淸州椒水の幸、特に(年の歉するを)慮ひ、扈從諸事は、務めて(簡約に)從ひ、(之を前日に)比べ十に(八九に)減じ、(啓達公務に)至りても、亦た(政府に)委ぬ。若し夫れ諺文[國家の緩急にして〔(已むを)得〕ず(期に)及ぶの事に]非ずんば、何ぞ獨り(行在に)於て汲汲として(之を)爲し、以て(聖躬調變の時を)煩はさんや。臣ら尤も未だ〔(其の可なるを)見〕ざるなり=
(Ⅴ)一つ、何事も(功績を)立てるのに、〔(拙速であることは)良く〕ないことですが、我が国の近頃の措置は、どれも(急いで完成することに)務め、[〔(政治の体を)なして〕いないのではと]心配します。もし[諺文を〔(已むを)得〕ない事情で(これを)作った]とすると、このことは(風俗を)大きく変えることになるので、当然〔議論するのは(宰相)以下、(百官に)至る〕必要があります。國中の人が(良いと)認めたとしても、それでもなお十分に説明し、更に(三たび考え)直し、(これを帝王の説)に照らして(間違いが)なく、(これを中國に)うかがいをたてて(恥じることが)無く、後々の世の(聖人)が現れても(迷いが)ないか、そのようにした後で(それを)行なうべきです。今〔多く(の人々の議論を)採ら〕ずに、にわかに(小役人の十人ほどに習わ)せて、その上、軽々しく(先人が作った韻書)改めて、(荒唐無稽な諺文を)こじつけで当てはめ、(工匠数十人を)集めて(これを)印刷し、急いで〔(それを世の中に)広めようと〕なさっています。後世の公論はどのようになるでしょうか。さらに、このたびは、淸州の椒水への行幸で、とりわけ(今年の凶作を)心配なさり、付き従う諸事も(簡約に)して、(前の日に)比べて十を(八九に)減して、(上奏と公務に)至ってもまた、(議政府に)委ねました。もしそれ諺文[國家の危急であって〔(已むを)得〕ず(期日に)間に合わせなければならない事で]ないのであれば、どうしてもっぱら(行在所に)居られても汲汲として(これを)爲さり、(お体を整えるの時に)煩わしいことをなさるのでしょうか。私どもはどうしても、未だに〔(それを良しとする理由が)見えて〕いません。
扈從(王の乗り物のお供)
啓達(上奏する)
質(ただ)す
悖(もと)る
愧(はぢ)
俟(ま)つ
驟(にわか)に
劇(いそ)ぐ
(14)
(Ⅰ)一、先儒云『凡百玩好皆奪志。至於書礼、於儒者事最近。然一向好着、亦自喪志。』今、東宮雖徳性成就、猶當潛心聖學益求其未至也。諺文縱曰有益、特文士六藝之一耳。況萬萬無一利於治道而乃研精費思、竟日移時、實有損於時敏之學也。臣等倶以文墨末技、待罪侍從、心有所懐、不敢含默。謹罄肺腑、仰瀆聖聰。
(Ⅱ)一、先儒云『凡百玩好皆奪(志)。至(於書礼)、於(儒者事)最近。然一向好着、亦自喪(志)。』今、東宮雖(徳性成就)、猶當〔潛‐心(聖學)益求〔其未(至)〕也。諺文縱曰〔有(益)〕、特文士六藝之一耳。況萬萬無〔一利(於治道)〕而乃研(精)費(思)、竟(日)移(時)、實有〔損(於時敏之學)〕也。臣等倶以(文墨末技)、待‐罪(侍從)、心有〔所(懐)〕、不(敢含默)。謹罄(肺腑)、仰瀆(聖聰)。
(Ⅲ)一、先儒云、『凡百玩好皆(志)奪。(於書礼)至、(儒者事)於最近。然一向好着、亦自(志)喪。』今、東宮(徳性成就)雖、猶當〔(聖學)潛‐心益其未(至)不求〕可也。諺文縱〔(益)有〕曰特文士六藝之一耳。況萬萬〔(於治道)一利〕無而乃(精)研(思)費、(日)竟(時)移、實〔(於時敏之學)損〕有也。臣等倶(文墨末技)以、(侍從)待‐罪、心〔(懐)所〕有、〔敢含默)不。謹(肺腑)罄、仰(聖聰)瀆。
(Ⅳ)一つ、先儒に云ふ『凡百の玩好は皆(志を)奪ふ。(書礼に)至りては、(儒者の事に)於いて最も近し。然れども一向に好着するも、亦た自ら(志を)喪ふ。』今、東宮は(徳性成就すと)雖も、猶ほ當に〔(聖學に)潛‐心して益々其の未だ(至)ざるを求む〕可きなり。諺文、縱ひ〔(益)有りと〕曰へど、特だ文士六藝の一のみ。況んや萬萬〔(治道に)一利〕無くして乃ち(精を)研ぎ(思ひ)費し、(日を)竟へ(時を)移すは、實に〔(時敏の學に)損〕有るなり。臣ら倶に(文墨の末技を)以て、(侍從に)待‐罪するも、心に〔(懐く)所〕有りて、〔敢て含默せ)ず。謹んで(肺腑を)罄くし、仰ぎて(聖聰を)瀆す=
(Ⅴ)一つ、昔の儒者は『数々の遊びは(志を)奪う。(書き物)などは、(儒者の仕事に)おいて最も近い。しかしながら、そのことだけを好む場合もまた、自ら(志を)失う。』今や、王子は(徳性が成就したと)しても、なお当然〔(聖學に)専念して益々その未だ(至ら)ない点の完成を求め〕なければなりません。諺文が、たとえ〔(有益)であると〕いっても、ただ文士の六藝に過ぎません。まして決して〔(世を治める道には)一利も〕無いのに(精しさを)究めることに(思い)費やし、(日を)終えて(時を)過ごすことは、實に〔(時敏の學の)損失に〕なります。私どもは俱に(文筆のつまらない技を)用いて、(侍從を)務めさせてもらっておりますが、心に〔(思う)ことが〕有って、〔黙っていることは敢えて)せず。謹んで(心中を)吐露し、仰ぎ見つつも(王の聡明を)瀆します。
時敏(その時にすべきこと?、辞書には無い?)
待罪(その職にあることを、謙遜して言う)
仰瀆(という言葉は、辞書には無い?)
(15)
(Ⅰ)上覧疏、謂萬理等曰『汝等云、用音合字、盡反於古。薛聰吏讀、亦非異音乎。且吏讀制作之本意、無乃爲其便民乎。如其便民也、則今之諺文亦不爲便民乎。汝等以薛聰爲是而非其君上之事何哉。且汝知韻書乎。四聲七音、字母有幾乎。若非予正其韻音、則伊誰正之乎。且疏云、新奇一藝。予老來難以消日、以書籍爲友耳。豈厭舊好新而爲之。且非田獵放鷹之例也、汝等頗有過越。且予年老、國家庶務世子專掌。雖細事固當參決、況諺文乎。若使世子常在東宮、則宦官任事乎。汝等以侍從之臣杓知予意而有是言可乎。』
(Ⅱ)上覧(疏)、謂(萬理等)曰『汝等云〔用(音)合(字)、盡反(於古)〕。薛聰吏讀、亦非〔異(音)〕乎。且吏讀制作之本意、無[乃爲〔其便(民)〕]乎。如其便(民)也、則今之諺文亦不[爲〔便(民)〕]乎。汝等以(薛聰)爲(是)而非(其君上之事)何哉。且汝知(韻書)乎。四聲七音、字母有(幾)乎。若非〔予正(其韻書)〕、則伊誰正(之)乎。且疏云(新奇一藝)。予老來難(以消日)、以(書籍)爲(友)耳。豈厭(舊)好(新)而爲(之)。且非(田獵放鷹之例)也、汝等頗有(過越)。且予年老、國家庶務世子專掌。雖(細事)固當(參決)、況諺文乎。若使〔世子常在(東宮)〕、則宦官任(事)乎。汝等以(侍從之臣)杓知(予意)而有(是言)可乎。』。
(Ⅲ)上(疏)覧、(萬理等)謂曰『汝等〔(音)用(字)合、盡(於古)反〕云。 薛聰吏讀、亦〔(音)異〕非乎。且吏讀制作之本意、[乃〔其(民)便〕爲]無乎。如其(民)便也、則今之諺文亦[〔(民)便〕爲]不乎。汝等(薛聰)以(是)爲而(其君上之事)非何哉。且汝(韻書)知乎。四聲七音、字母(幾)有乎。若〔予(其韻書)正〕非、則伊誰(之)正乎。且疏(新奇一藝)云。予老來(以消日)難、(書籍)以(友)爲耳。豈(舊)厭(新)好而(之)爲。且(田獵放鷹之例)非也、汝等頗(過越)有。且予年老、國家庶務世子專掌。(細事)雖固當(參決)可、況諺文乎。若〔世子常(東宮)在〕使、則宦官(事)任乎。汝等(侍從之臣)以杓(予意)知而(是言)有可乎。』
(Ⅳ)上(疏を)覧て、(萬理らに)謂ひて曰く『汝等ら〔(音を)用ひて(字を)合はすは、盡く(古に)反すと〕云ふ。 薛聰の吏讀も、亦た〔(音を)異にするに〕非ずや。且つ吏讀制作の本意は、[乃ち〔其の(民を)便ならしめんと〕爲すに]無きや。如し其れ(民を)便ならしめんや、則ち今の諺文も亦た[〔(民を)便ならしめんと〕爲さ]ざらんや。汝ら(薛聰を)以て(是と)爲せども(其の君上の事を)非とするは何ぞや。且つ汝(韻書を)知るや。四聲七音、字母(幾らか)有らんや。若し〔予(其の韻書を)正すに〕非ずんば、則ち伊れ誰か(之を)正さんや。且つ疏に(新奇の一藝と)云ふ。予老い來りて(以て消日し)難く、(書籍を)以て(友と)爲すのみ。豈に(舊きを)厭ひ(新しきを)好みて(之を)爲さん。且つ(田獵放鷹の例に)非ずんば、汝ら頗る(過越)有り。且つ予年老いて、國家庶務、世子專掌す。(細事と)雖も固り當に(參決す)可し、況んや諺文をや。若し〔世子をして常に(東宮に)在ら〕使めば、則ち宦官(事を)任ずるや。汝ら(侍從の臣)以て杓に(予の意を)知れども(是の言)有るは可なるや。』
(Ⅴ)上(疏を)覧て、(萬理らに)謂ひて曰く『汝等ら〔(音を)用ひて(字を)合はすは、盡く(古に)反すと〕云ふ。 薛聰の吏讀も、亦た〔(音を)異にするに〕非ずや。且つ吏讀制作の本意は、[乃ち〔其の(民を)便ならしめんと〕爲すに]無きや。如し其れ(民を)便ならしめんや、則ち今の諺文も亦た[〔(民を)便ならしめんと〕爲さ]ざらんや。汝ら(薛聰を)以て(是と)爲せども(其の君上の事を)非とするは何ぞや。且つ汝(韻書を)知るや。四聲七音、字母(幾らか)有らんや。若し〔予(其の韻書を)正すに〕非ずんば、則ち伊れ誰か(之を)正さんや。且つ疏に(新奇の一藝と)云ふ。予老い來りて(以て消日し)難く、(書籍を)以て(友と)爲すのみ。豈に(舊きを)厭ひ(新しきを)好みて(之を)爲さん。且つ(田獵放鷹の例に)非ずんば、汝ら頗る(過越)有り。且つ予年老いて、國家庶務、世子專掌す。(細事と)雖も固り當に(參決す)可し、況んや諺文をや。若し〔世子をして常に(東宮に)在ら〕使めば、則ち宦官(事を)任ずるや。汝ら(侍從の臣)以て杓に(予の意を)知れども(是の言)有るは可なるや。』
王は(上疏文を)ご覧になり、(萬理らに)言った『お前たちは〔(音を)用ひて(字を)組み合わせるやり方は、尽く(古いものに)反していると〕言った。薛聰の吏讀も、亦た〔(本来の音と)異なるのでは〕ないのか。その上、吏讀を作成した際の本意は、[すなわち〔その、(民を)便利に〕させることに]有ったのではないのか。もし(民を)便利にさせることであるならば、すなわち、今回の諺文も亦た[〔(民を)便利に〕させることと]であるのではないか。お前たちは(薛聰に)ついては(是と)するのに(お前たちの君主の事を)非とするは何故かや。その上お前たちは(韻書を)知っているのか。四聲七音、それに字母を(いくつ)有るのか。もし〔私が(その韻書を)正すのでは〕ないならば、いったい誰が(これを)正すのか。その上、上文疏には(新奇の一藝と)ある。私は年老いて(日々を送るのが)難しく、(書籍を)以て(友と)するだけである。どうして(古いものを)疎んじて(新しいものを)好みて(これを)作ったというのか。(狩りや鷹狩りの例でも)ないのに、お前たちは極めて(言葉が過ぎて)いる。その上、私は年老いて、國家の庶務は、王子に任せている。(些細なことで)あっても本来は、当然(決定に加わる)べきであって、まして諺文であれば、なおさらそうしなければならない。もし〔王子を常に(東宮に)いさ〕せるのであれば、宦官(その仕事を)引き受けるのか。お前たちは(侍從の臣)であるから、よく(私の心を)知っているの(このような言葉が)有って良いと思うのか。』
(16)
(Ⅰ)萬理等對曰『薛聰吏讀雖曰異音、然依音依釋、語助文字元不相離。今此諺文、合諸字而竝書、變其音釋而非字形也。且新奇一藝云者、特因文勢而爲此辭耳。非有意然也。東宮於公事、則雖細事不可不參決、若於不急之事、何竟日致慮乎。』
(Ⅱ)萬理等對曰『薛聰吏讀雖[曰〔異(音)〕]、然依(音)依(釋)、語助文字元不(相離)。今此諺文、合(諸字)而竝書、變(其音釋)而非(字形)也。且新奇一藝云者、特因(文勢)而爲(此辭)耳。非〔有(意)然〕也。東宮於(公事)、則雖(細事)不[可〔不(參決)〕]、若於(不急之事)、何竟(日)致(慮)乎。』
(Ⅲ)萬理等對曰『薛聰吏讀[〔(音)異〕曰]雖、然(音)依(釋)依、語助文字元(相離)不。今此諺文、(諸字)合而竝書、(其音釋)變而(字形)非也。且新奇一藝云者、特(文勢)因而(此辭)爲耳。〔(意)有然〕非也。東宮(公事)於、則(細事)雖[〔(參決)不〕可]不、若(不急之事)於、何(日)竟(慮)致乎。』
(Ⅳ)萬理ら對へて曰く『薛聰の吏讀[〔(音を)異にと〕曰ふと]雖も、然れども(音に)依り(釋に)依りて、語助文字元より(相離れ)ず。今、此の諺文、(諸字を)合せて竝書し、(其の音釋を)變へて(字形に)非ざるなり。且つ新奇の一藝と云ふは、特だ(文勢に)因りて(此の辭を)爲すのみ。〔(意)有りて然るに〕非ざるなり。東宮は(公事に)於いて、則ち(細事と)雖も[〔(參決せ)不る〕可か]ず、若し(不急の事に)於いて、何ぞ(日を)竟へて(慮を)致すや。』
(Ⅴ)萬理らが答えて言った『薛聰の吏讀は[〔(本来の音と)同じではないと〕言ったと]しても、しかしながら(本来の音に)依拠し(解釈に)依拠していて、語助と文字は元来(別のものでは)ありません。ところが、諺文は、(いくつもの字を)合せて並べて書き、(音と解釈を)變へて(字形をなして)いません。但し、新奇の一藝と述べたのは、ただ(文勢に)任せて(そのように)述べただけです。〔(他意が)有ってそのように述べたので〕ないのです。東宮は(公の仕事)であれば、(些細なこと)であっても[〔(参加し採決し)なければ〕なりま]せんが、もし(急がない仕事で)あれば、どうして(一日)中(思案を)なさるのですか。』
消日(一日一日を過ごす)
(17)
(Ⅰ)上曰「前此金汶啓曰『制作諺文未爲不可。』今反以爲不可」。又鄭昌孫曰『頒布三綱行實之後、未見有忠臣孝子烈女輩出。人之行不行、只在人之資質如何耳、何必以諺文譯之而後人皆效之。』此等之言、豈儒者識理之言乎。甚無用之俗儒也。」
(Ⅱ)上曰「前(此)金汶啓曰『制‐作(諺文)未〔爲(不可)〕。』今反以爲(不可)。又鄭昌孫曰『頒‐布(三綱行實)之後、未[見〔有(忠臣孝子烈女)輩出〕]。人之行不行、只在(人之資質如何)耳。何必以(諺文)譯(之)而後人皆效(之)。』此等之言、豈儒者識(理)之言乎。甚無用之俗儒也。」
(Ⅲ)上曰「(此)前金汶啓曰『(諺文)制‐作未〔(不可)爲〕不。』今反以(不可)爲。又鄭昌孫曰『(三綱行實)頒‐布之後、未[〔(忠臣孝子烈女)有輩出〕見]不。人之行不行、只(人之資質如何)在耳。何必(諺文)以(之)譯而後人皆(之)效。』此等之言、豈儒者(理)識之言乎。甚無用之俗儒也。」
(Ⅳ)上曰「く(此に)前ちて金汶啓して曰く『(諺文を)制‐作するに未だ〔(不可を)爲さ〕ず。』今、反て以て(不可と)爲す。又た鄭昌孫曰く、『(三綱行實を)頒‐布するの後、未だ[〔(忠臣孝子烈女)有りて輩出するを〕見]ず。人の行不行、只(人の資質の如何に)在るのみ。何ぞ必ず(諺文を)以て(之を)譯して後に人皆(之に)效はんや。』此らの言、豈に儒者(理を)識るの言ならんや。甚だ無用の俗儒なり。」
(Ⅴ)王は言った「(この)前、金汶は『(諺文を)制‐作することは〔(悪いこと)では〕ない。』と言っていたが、今は、逆に(良くないと)する。その上、鄭昌孫曰は『(三綱行實を)頒‐布したのに、未だ[〔(忠臣孝子烈女)の輩出が〕見られ]ません。人が良い行いをするか否かは、ただ(人の資質が、どのようであるのかということだけに)です。どうして必ず(諺文を)用いて(三綱行實を)譯した後に、人々が皆(三綱行實に)ならうようになるでしょうか。』と言ったが、これらの発言は、どうして、その儒者が(道理を)知っていると言えるだろうか。全くもって、無用の俗儒である。」
三綱行實(絵入りの、道徳に関する、漢文で書かれた説話集)
(18)
(Ⅰ)前此、上敎昌孫曰『予若以諺文譯三綱行實、頒諸民間、則愚夫愚婦皆得易暁、忠臣孝子烈女必輩出矣。』昌孫乃以此啓達、故今有是教。上又敎曰『予召汝等、初非罪之也。但問疏内一二語耳。汝等不顧事理、變辭以對。汝等之罪、難以脱矣。』遂下副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾于義禁府、翌日命釋之、唯罷昌孫職、仍傳旨義禁府、『金汶前後變辭啓達事由、其鞫以聞。』
(Ⅱ)前(此)、上敎(昌孫)曰『予若以(諺文)譯(三綱行實)、頒(諸民間)、則愚夫愚婦皆得(易暁)、忠臣孝子烈女必輩出矣。』昌孫乃以(此)啓達、故今有(是教)。上又敎曰「予召(汝等)、初非〔罪(之)〕也。但問(疏内一二語)耳、汝等不〔顧(事理)〕、變(辭)以對。汝等之罪、難(以脱)矣。」遂下(副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾于義禁府)、翌日命釋(之)、唯罷(昌孫職)、仍傳-旨(義禁府)、『金汶前後變(辭)啓達事由、其鞫、以聞。』
(Ⅲ)(此)前、上(昌孫)敎曰『予若(諺文)以(三綱行實)譯、(諸民間)頒、則愚夫愚婦皆(易暁)得、忠臣孝子烈女必輩出矣。』昌孫乃(此)以啓達、故今(是教)有。上又敎曰「予(汝等)召、初〔(之)罪〕非也。但(疏内一二語)問耳、汝等〔(事理)顧〕不、(辭)變以對。汝等之罪、(以脱)難矣。」遂(副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾于義禁府)下、翌日命(之)釋、唯(昌孫職)罷、仍(義禁府)傳-旨、『金汶前後(辭)變啓達事由、其鞫、以聞。』
(Ⅳ)(此に)前ちて、上(昌孫に)敎へて曰く『予、若し(諺文)以て(三綱行實を)譯し、(諸を民間に)頒てば、則ち、愚夫愚婦皆(易く暁るを)得て、忠臣孝子烈女必ず輩出せん。』昌孫乃ち(此を)以て啓達し、故に今(是の教へ)有り。上、又た敎へて曰く、『予(汝ら)召すこと、初めより〔(之を)罪するに〕非ざるなり。但だ(疏内の一二語を)問ふのみなれど、汝等ら〔(事理を)顧み〕ず、(辭)變へ以て對ふ。汝らの罪、(以て脱し)難し。』遂に(副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾を義禁府に)下し、翌日命じて(之を)釋す、唯だ(昌孫の職)罷み、仍て(義禁府に)傳-旨するに、『金汶前後に(辭)を變へ啓達せし事由、其れ鞫し、以て聞せよ。』
(Ⅴ)(この)前に、王は(昌孫に)敎えて次のように言った『私が、もし(諺文を)用いて(三綱行實を)譯し、(それを民間に)頒布すれば、無学な男女であっても(容易にそれを理解)できるので、忠臣孝子烈女が、必ず輩出する。』と、そこで昌孫は、(王の言葉を)受けて上奏し、それ故、今(この教えが)有る。王は、さらに敎えて言った『私が(お前たちを)集めたのは、初めから〔(お前たちの)罪をとがめようとした〕のではない。但だ(上疏文の中の一二語を)問い正そうとしただけである。だが、お前たちは〔(道理を)顧み〕ないまま、(言葉を)變へて返答した。お前たちの罪は(許し)がたい。』と、これにより(副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾を、義禁府に)下したが、翌日には(これらを)釋すように命じられた。唯だ(昌孫でけは職を)解かれ、(義禁府に)は『金汶が前後に(言葉を)を變へて上奏した理由を糾して、それを報告せよ。』と勅旨が下された。
義禁府(王命を受けて、重罪人を尋問する役目を負った官庁)
傳旨(勅旨を伝える)
鞫(罪状を調べる)
平成29年05月13日、毛利太。

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