(01)
① Love(x,y)
に於いて、「内部のほうから読んでいく」ならば、
① (xはyを)愛している。
といふ風に、読むことになる。
(02)
① ∃y〔Love(x,y)〕
に於いて、「内部のほうから読んでいく」ならば、
① 〔(xはyを)愛している〕というyが存在する。
といふ風に、読むことになる。
(03)
① ∀x[∃y〔Love(x,y)〕]
に於いて、「内部のほうから読んでいく」ならば、
① [〔(xはyを)愛している〕というyが存在する]ことがすべてのxに対して成り立つ。
といふ風に、読むことになる。
然るに、
(04)
量化記号の読み方の順序。
ここで、量化記号がいくつもついている論理式の場合、その順番が重要だということを注意しておきます。例えば、Love(x,y)という
2つの変数を持った述語を「xはyを愛している」という述語と設定しましょう。
このとき、論理式
∀x∃yLove(x,y)・・・①
と、論理式
∃y∀xLove(x,y)・・・②
は、全く違う意味になります。
大事なのは、「内部のほうから読んでいく」ということです。
①は、「xはyを愛している、というyが存在することが、すべてのxに対して成り立つ」となります。
②は、「xはyを愛している、ということがすべてのxについて成立するようなyが存在する」となります。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、205・6頁改)
従って、
(01)~(04)により、
(05)
大事なのは、「内部のほうから読んでいく」ということです。
①は、「xはyを愛している、というyが存在することが、すべてのxに対して成り立つ」となります。
②は、「xはyを愛している、ということがすべてのxについて成立するようなyが存在する」となります。
といふのであれば、
∀x∃yLove(x,y)・・・①
∃y∀xLove(x,y)・・・②
といふ「論理式」には、
① ∀x[∃y〔Love(x,y)〕]
② ∃y[∀x〔Love(x,y)〕]
といふ「括弧」が、無ければならない。
然るに、
(06)
① 非[不〔読(書)〕]⇒
① [〔(書)読〕不]非=
① [〔(書を)読ま〕不るに]非ず。
といふ「読み方」は、「漢文訓読」である。
従って、
(03)(06)により、
(07)
① ∀x[∃y〔Love(x,y)〕]⇒
① [〔(x,y)Love〕∃y]∀x=
① [〔(xはyを)愛している〕というyが存在することが]すべてのxに対して成り立つ。
といふ「読み方」は、言ふなれば、「述語論理訓読」である。
然るに、
(08)
① ∀x∃yLove(x,y)
② ∃y∀xLove(x,y)
といふ「論理式」は、
① xはyを愛している、というyが存在することが、すべてのxに対して成り立つ。
② xはyを愛している、ということがすべてのxについて成立するようなyが存在する。
といふ「読み方」に加へて、
① 全ての人は、或る人を愛している (能動態)。
② 或る人 は、全ての人に愛されている(受動態)。
といふ風に、「読む」ことも出来る。
従って、
(09)
① ∀x∃yLove(x,y)
② ∃y∀xLove(x,y)
③ ∀x∃yLove(y,x)
④ ∃y∀xLove(y,x)
といふ「論理式」は、
① 全ての人は、或る人を愛している (能動態)。
② 或る人 は、全ての人に愛されている(受動態)。
③ 全ての人は、或る人に愛されている (受動態)。
④ 或る人 は、全ての人を愛している (能動態)。
といふ風に、「読む」ことが出来る。
(10)
① ∀x∃y親である(x,y)
② ∃y∀x親である(x,y)
③ ∀x∃y親である(y,x)
④ ∃y∀x親である(y,x)
といふ「論理式」は、
① 全ての人は、或る人の、親である。
② 或る人は、全ての人の、子である。
③ 全ての人は、或る人の、子である。
④ 或る人は、全ての人の、親である。
といふ風に、「読む」ことが出来る。
然るに、
(11)
③ ∀x∃y親である(y,x)
④ ∃y∀x親である(y,x)
③ 全ての人は、或る人の、子である。
④ 或る人は、全ての人の、親である。
に於いて、
③と④は、明らかに、「同じ」ではない。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
③ ∀x∃yLove(y,x)
④ ∃y∀xLove(y,x)
③ 全ての人は、或る人に愛されている。
④ 或る人 は、全ての人を愛している。
に於いても、
③と④は、「同じ」ではない。
(13)
③ 全ての人は、或る人に愛されている。
といふのは、例へば、
③ 全ての人は、或る人(両親)に愛されている。
といふ「(普通の)意味」である。
(14)
④ 或る人は、全ての人を愛している。
といふのは、例へば、
④ イエス(人の子)は、全ての人を愛している。
といふ「(特殊な)意味」である。
平成29年05月06日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿