(01)
[主語A]+[述語B(他動詞)]+[補語D]+[目的語C]
「Aが+Bする+Dに+Cを」
a 我與友人書 →A我 B与 D友人 C書 ・・・・A我 D友人に C書を B与ふ。
b 王施民衆善政→A王 B施 D民衆 C善政・・・・A王 D民衆に C善政を B施す。
(紫藤誠也、漢文重要語句辞典、1991年、212頁)
然るに、
(02)
b 王施民衆善政→王、民衆に善政を施す。
であるならば、
c 王施民善政 →王、民に善政を施す。
である。
然るに、
(03)
c 王施民善政→王、民に善政を施す。
であるならば、
d 王訓民正音→王、民に正音を訓ふ。
である。
然るに、
(04)
d 王訓民正音→王、民に正音を訓ふ。
であるならば、
e 訓民正音→ 民に正音を訓ふ。
である。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
「基礎的な漢文」しかしらない私自身は、今の今まで、
「訓民正音」=「民に、正しい音を、教える。」
であると、思ってゐた。
然るに、
(06)
「訓民正音」は訓読すれば「民を訓うる正しき音」である。この名称は、音を正すことにより、民衆を強化するという意味合いが込められている(趙義成 訳注、訓民正音、2010年、194頁)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
「訓民正音」=「民に、正しい音を、教える」
ではなく、
「訓民正音」=「民に教える、正しい音」
である。といふ、ことになる。
然るに、
(08)
「所訓民正音。」
といふ「漢文」が有るならば、この場合は、
「民に教ふる所の正音」
といふ風にしか、「訓読」することが出来ず、
「民に教ふる所の正音。」
といふ風にしか、「訓読」することが出来ないのであれば、
「所訓民正音」=「民に教える、正しい音」
である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
「民に教える、正しい音」=「 訓民正音」
であるならば、その一方で、
「民に教える、正しい音」=「所訓民正音」
である。といふ風に、思はれる。
因みに、
(10)
音楽=音を楽しむ。
ではなく、
音楽=音は楽しい。
である。
(11)
音を楽しむ。
であれば、
音楽(オンガク)
ではなく、
楽音(ラクオン)
である。
平成29年05月19日、毛利太。
― 関連記事 ―
「趙義成 訳注、訓民正音(P136~P162)、2010年」(http://kannbunn.blogspot.com/2017/05/p136p1622010.html)
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