(01)
① -2+3×4
② -2+3×4=+10
③ -2+3×4=-20
に於いて、
(02)
左辺である、
② -2+3×4
③ -2+3×4
を、「文」とする。
(03)
右辺である。
② +10
③ -20
を、「意味」とする。
然るに、
(04)
② - 2+3 ×4 =+10
③ -{(2+3)×4}=-20
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① -2+3×4
といふ「文」の「意味」が、
② +10
であるならば、
① -2+3×4
といふ「文」は、
② - 2+3 ×4 =+10
といふ「形(構造)」を、してゐて、
① -2+3×4
といふ「文」の「意味」が、
③ -20
であるならば、
① -2+3×4
といふ「文」は、
③ -{(2+3)×4}=-20
といふ「形(構造)」を、してゐる。
然るに、
(06)
① 不為劉氏左袒。
に於いて、
不=否定詞
為=前置詞
劉氏=名詞
左袒=動詞
であることについては、おおむね、誰もが、否定しない。
従って、
(07)
① 不為劉氏左袒。
は、
③ 不・為・劉氏・左袒。
といふ風に、「区切る」ことが、出来る。
然るに、
(08)
為+劉氏=前置詞+名詞。
であるため、
為(劉氏)
と書くことに、「無理」は無い。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 不・為・劉氏・左袒。
は、
③ 不・為(劉氏)左袒。
といふ風に、「区切る」ことが、出来る。
然るに、
(10)
「命題A」の「否定」を、
~A=不A
と書いて、
Aに、
④ 為劉氏左袒(劉氏に対して味方をする)。
を代入した「形」が、
③ 不{為劉氏左袒}。
とするならば、
③ 不{為劉氏左袒}= 劉氏に対して味方をしない。
といふことに、なるものの、
③ 不為劉氏左袒 = 劉氏に対して味方をしない。
であることに関しては、「間違ひ」無い。
従って、
(07)(09)(10)により、
(11)
① 不為劉氏左袒。
は、
③ 不・為・劉氏・左袒。
といふ風に、「区切る」ことが、出来き、
③ 不・為・劉氏・左袒。
は、
③ 不・為(劉氏)左袒。
といふ風に、「区切る」ことが、出来き、
③ 不・為(劉氏)左袒。
は、
③ 不{為(劉氏)左袒}。
といふ風に、「区切る」ことが、出来る。
然るに、
(12)
漢文は「ヲ・ニ・ト・ヨリ・ヨリモ」の送りがなをつけて返る場合が多いが、これらにかかわらず、訓読の際に下から必ず返って読む特別の文字がある。これを「返読文字」という(漢文の基礎、鳥羽田重直、1985年、22頁)。これらはいつでも返読するのではないことも留意する必要がある(漢文早わかり、志村和久、1982年、42頁)。
とのことであるが、
③ 不{為(劉氏)左袒}。
に於いて、
③ 不 為
は、「返読文字」である。
従って、
(13)
③ 不{為(劉氏)左袒}。
ではなく、仮に、
③ 不{為(劉氏)}左袒。
であるならば、
① 不 為 劉氏 左袒 =
③ 不{為(劉氏)}左袒 ⇒
③ {(劉氏)為}不左袒 =
③ 劉氏の為なら不、左袒す(劉氏に対してではなく、味方をする)。
といふ風に、「返読」される。
従って、
(14)
③ 不 為
が、「返読文字」であって、尚且つ、
④ 不為劉氏而左袒。
ではなく、
① 不為劉氏左袒。
の「意味」が、
① 不為劉氏左袒 =
③ 劉氏の為に左袒せ不(劉氏に対して味方をしない)。
である以上、
① 不 為 劉氏 左袒 =
③ 不{為(劉氏)左袒}⇒
③ {(劉氏)為左袒}不=
③ 劉氏の為に左袒せ不(劉氏に対して味方をしない)。
でなければ、ならない。
(15)
このことは、
① -2+3×4
の「意味」が
① -2+3×4=-20
である以上、
① -2+3×4
といふ「文」は、
③ -{(2+3)×4}=-20
でなければならない。といふことに、似てゐて、アナロジーが、成立する。
従って、
(16)
① 不為劉氏左袒。
といふ「白文」が、
① 不為劉氏左袒 = 劉氏に対して味方をしない。
といふ「意味」であるならば、
① 不 為 劉氏 左袒 =
③ 不{為(劉氏)左袒}⇒
③ {(劉氏)為左袒}不=
③ 劉氏の為に左袒せ不(劉氏に対して味方をしない)。
でなければ、ならない。
然るに、
(17)
「翻訳サイト」によると、
③ 劉氏に対して味方をしない。
といふ日本語は、
③ 對劉先生不夥伴。
といふ「意味」であるとのことであるが、実際に、さうであるとする。
従って、
(16)(17)により、
(18)
① 不為劉氏左袒。
といふ「白文」が、
③ 不為劉氏左袒 = 劉氏の為に左袒せ不(對劉先生不夥伴)。
といふ「意味」であるならば、
③ 不 為
が、「返読文字」であるが故に、
① 不為劉氏左袒。
といふ「白文」は、
③ 不{為(劉氏)左袒}
といふ「構造」をしてゐることになり、さうでなければ、
③ 不 為
が、「返読文字」である。といふ事実と、「矛盾」する。
然るに、
(19)
③ 不{為(劉氏)左袒}
といふことは、
③ 不為劉氏左袒。
に付く「返り点」が、
③ 下 二 一 上。
である。といふこと、他ならない。
従って、
(18)(19)により、
(20)
訓読とは「文法構造の把握」であり、訓点はそうした施訓者の理解をそのまま示すものである(続訓読論、川島優子 他、2010年、334頁)。
といふ、ことになる。
平成25年12月12日、毛利太。
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