2014年8月10日日曜日

「数式訓読」。

「数式訓読」。
(01)
(1+5)*(2+3)=30
である以上、わざわざ、
(1+5)*(2+3)=(1*5)+(5*5)= 5+25=30
(1+5)*(2+3)=(6*2)+(6*3)=12+18=30
(1+5)*(2+3)=(1*2)+(1*3)+(5*2)+(5*3)=2+3+10+15=30
のやうな「計算」は、普通は、しない。
然るに、
(02)
(1+5)*(2+3)=30
といふ「計算」は、
(1+5)*(2+3)=6*5=30
といふ「計算」に、他ならない。
従って、
(02)により、
(03)
(1+5)*(2+3)
といふ「計算」は、
② 1に5を足した値と、2に3を足した値を、掛け合わせる。
といふ「手順(アルゴリズム)」に、ならざるを、得ない。
従って、
(04)
コンピューター(i8086)で「計算」する場合も、
MOV AL,1
ADD  AL,5 :足し算。
MOV BL,2
ADD  BL,3 :足し算。
MUL  BL   :掛け算。
といふ「手順(プログラム)」に、ならざるを、得ない。
然るに、
(05)
① * + 1 5 + 2 3
② 1 5 + 2 3 + *
に於いて、
① は、「  ポーランド記法」であり、
② は、「逆ポーランド記法」であって、
② は、
② 1に5を足した値と、2に3を足した値を、掛け合わせる。
といふ「手順(アルゴリズム)」を表してゐる。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
元々、逆ポーランド記法はポーランド記法をコンピュータでの利用に適した形に改変したものである(ウィキペ
ディア)。この記法は、単に日本語の構造に合致するというだけなく、一切のかっこを用いずに計算の方法を明示できるという利点をもつため、コンピューターでは実際にこの数式が利用されているほどである(大谷泰照、日本人にとって英語とは何か、2007年、30頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(07)
① *  +  1 5  +  2 3 =
① *〔+(1 5)+(2 3)〕⇒
② 〔(1 5)+(2 3)+〕*=
② 1 5 + 2 3 + *
(08)
① 如 揮 快 刀 断 乱 麻    =
② 如〔 揮(快   刀) 断(乱  麻)〕⇒
② 〔(快 刀)揮(乱 麻)断〕如 =
② 快刀を揮って乱麻を断つが如し。
従って、
(07)(08)により、
(09)
①「  ポーランド記法」
②「逆ポーランド記法」
は、
①「漢文」
②「訓読」に、対応する。
従って、
(09)により、
(10)
我々、日本人は、
(1+5)*(2+3)=30
といふ「数式」を、
〔(1 5)+(2 3)+〕* 30 =
〔(1に5を)足した値と(2に3を)足した値を〕掛け合わせた値は、30に等しい。
といふ「逆ポーランド記法」で、「読み下し」てゐる。
といふことになり、次の言ひ方(11)も、そのことを、述べてゐる。
(11)
これらを日本語で読もうとすれば、漢文の場合と同様に、返り点をうって逆戻りしなければ読めないことが理解できよう。しかし、それは当然のことであって、本来、数式はたまたま15世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパにおいて、ヨーロッパの言語に象って作り出されたという歴史的偶然を反映したものであるにすぎない。いかなる自然言語に対しても等距離・中立であるはずの数式は、実は、このようなまことに恣意的な産物に過ぎないのである(大谷泰照、日本人にとって英語とは何か、2007年、30頁)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
「返読」といふ現象は、「漢文訓読」にだけ特有なのではなく、「書かれてゐる順番で読ない」といふことに関しては、「数式」であっても、同じことである。
平成26年08月10日、毛利太。

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