2015年7月15日水曜日

「敢不」と「不敢」について(Ⅱ)。

(01)
「敢不・不敢」については、「論争」があり、その意味で、読む方が読めば分る通り、この「記事」は、それなり、重要です。
(02)
「敢」は、「しにくいことを押し切ってする」の意。
(笠間書院、漢文の語法と故事成語、2005年、60頁)
従って、
(02)により、
(03)
① 敢視=(視たくなくとも、その気持ちを押し切って、)視る。
然るに、
(04)
① 敢視=(視たくなくとも、その気持ちを押し切って、)視る。
といふことは、
① 敢視=(視たくなくとも、それよりも、視たい気持ちが上回るので、)視る。
といふ、ことである。
然るに、
(05)
①(視たくなくとも、それよりも、視たい気持ちが上回る。)
②(視たくとも、それよりも、視たくない気持ちが上回る。)
に於いて、
①と②は、「矛盾」する。
従って、
(05)により、
(06)
①(視たくなくとも、それよりも、視たい気持ちが上回る。)
の「否定」は、
②(視たくとも、それよりも、視たくない気持ちが上回る。)
である。
従って、
(04)(06)により、
(07)
① ~敢視。すなはち、
敢視。の「否定」は、
敢視=(視たくとも、それよりも、視たくない気持ちが上回るので、)視ない。
といふ、ことになる。
然るに、
(08)
② 左右皆泣莫仰見(明治書院、史記 二 本記、1973年、494頁)。
② 左右皆泣莫仰見(笠間書院、漢文の語法と故事成語、2005年、60頁)。
であるため、この場合は、
② 敢≒
② 能(CAN)。
である。はずである。
加へて、
(09)
② 昆弟妻嫂、側目不敢視。
② 昆弟妻嫂、目を側めて敢へて視ず。
② 兄弟、妻、兄嫁は目をそらして、進んでまともに蘇秦を視ようとしなかった(蘇秦の威光を恐れたので)
(多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、23頁)
であるものの、この場合は、
② 視ようとしなかった(蘇秦の威光を恐れたので)
といふよりも、
②(蘇秦の威光を恐れたので、視ないのではなく、)視なかった。
と、すべきである。
加へて、
(10)
② 趙亦盛爲之備。秦不敢動。
② 趙も亦盛んに之が備へを爲す。秦敢へて動かず。
② 趙もまた盛んに秦に対する軍備をしたので、さすがの秦も手の出しようがなかった。
(明治書院、十八史略 上、1967年、114・5頁)
であるものの、この場合、
② さすがの秦も手の出しようがなかった。
といふことは、
②(手を出したくとも、)手出しが出来なかった。
といふことに、他ならない。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
敢視。の「否定」は、
敢視=(視たくとも、)視ない。
といふよりも、
敢視=(視たくとも、)視ない。
と、すべきである。
従って、
(12)
敢言=(言ひたくなくとも、)敢へて言ふ。
敢言=(言ひたくとも、)言ない。
と、すべきである。
然るに、
(13)
③ 敢(不言)。
は、
① 敢(言)。
の、
言 が、
③ 不言 に、変はったに、過ぎない。
従って、
(13)により、
(14)
敢言=(言ひたくなくとも、)敢へて言ふ。
③ 敢不言=(言ひたくとも、)敢へて言はない。
然るに、
(15)
敢(不言)。
は、
② 不敢(言)。
の、
② 言 が、
④ 不言 に、変はったに、過ぎない。
(11)(15)により、
(16)
敢言=(言ひたくとも、)言ない。
敢不言=(言ひたくなくとも、)言はずにゐることが、出来ない。
と、すべきである。
従って、
(16)により、
(17)
敢不告=
④(告げたくなくとも、)告げないことが、出来ない=
④ どうしても告げないわけにはいかない(鳥羽田重直、漢文の基礎、1985年、53頁)。
である。
従って、
(14)(16)(17)により、
(18)
不不敢言=(言ひたくなくとも、それよりも、言ひたい気持ちが上回るので、)言ふ。
敢言=(言ひたくとも、それよりも、言ひたくない気持ちが上回るので、)言ない。
敢不言=(言ひたくとも、それよりも、言ひたくない気持ちが上回るので、)言はない。
敢不言=(言ひたくなくとも、それよりも、言ひたい気持ちが上回るので、)言はずには、ゐられない。
従って、
(18)により、
(19)
不不敢言=(言ひたくなくとも、)敢へて言ふ。
敢言=(言ひたくとも、)言ない。
敢不言=(言ひたくとも、)敢へて言はない。
敢不言=(言ひたくなくとも、)言はずには、ゐられない。
といふ、ことになる。
(20)
③ 百獣の我を見て敢へて走らざらんや(反語)。
であれば、
③ 敢不走乎=(逃げたくとも、)敢へて逃げない。といふことが、有るだらうか(、否、獣たちは、私の姿を見れば、必ず逃げるに違ひない)。
といふ、ことになる。
(21)
③ 敢不走乎(反語)=
敢不走(否定)。
とすれば、
③ 敢不走乎=
敢不走=(逃げたくなくとも、)逃げずには、ゐられない。ので、
敢不走=必ず逃げる=
敢不走=逃げないことを、決してしない。
といふ、ことになる。
平成27年07月15日、毛利太。
(22)
sense_quolia_senseさん
2014/4/1719:01:03
漢文。「敢不」「不敢」の細かな違い。
参考書などを何度も読んでいるのですが、この二つの句法の大きな違い、細かなニュアンスの違いがどうしてもわかりません。
敢不行、不敢行、など用例はなんでもいいので、この二つの句法の違いを徹底的に教えてください。
古典籍の中の用例の引用なども大歓迎です。
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ベストアンサーに選ばれた回答
dfhhyjkjukさん
2014/4/1722:46:25
文字のかかりかたを数学的に考えればわかります(分配法則)。
敢不は「わざと~しない」。「どうして教えてくれなかったんだ?」「君寝てたし、起しちゃ悪いと思って、あえて起さなかった」という感じ。
不敢は「わざわざ~することはしない」。「もっと言ってやれよ」「わざわざ火に油を注ぐようなことはしません」という感じ。
(23)
P∧(Q∨R)=(P∧Q)∨(P∧R):分配法則1.
P∨(Q∧R)=(P∨Q)∧(P∨R):分配法則2.
とは、勿論、関係は、有りません。

2015年7月6日月曜日

論理学、漢文、括弧(Ⅱ)。

(01)
① Q,~(P)&Q.
② Q,~(P&Q). 
である以上、
① 真,~(P)&真.
② 真,~(P&真). 
であるため、
① は、
① 真,~(偽)&真.
である時に限って、「真」であり、
② も、
② 真,~(偽&真).
である時に限って、「真」である。
 従って、
(01)により、
(02)
① Q,~(P)&Q.
② Q,~(P&Q). 
に於いて、
①=② である。
cf.
然るに、
(03)
① Q,~(P)&Q. 
② Q,~(P&Q).
に於いて、
Q=xは馬を養ふ。
P=xは其の能の千里なるを知る。
とすると、
① xは馬を養ふ、(xは其の能の千里なるを知ら)ない&xは馬を養ふ。
② xは馬を養ふ、(xは其の能の千里なるを知り&xは馬を養ふのでは)ない
然るに、
(04)
① xは馬を養ふ、(xは其の能の千里なるを知ら)ない&xは馬を養ふ。
② xは馬を養ふ、(xは其の能の千里なるを知り&xは馬を養ふのでは)ない
を、言ひ換へると、
① 馬を養ふ人は、其の馬の能の千里なるを知らないで、馬を養ふ。
② 馬を養ふ人は、其の馬の能の千里なるを知って、馬を養ふのではない
然るに、
(05)
① 馬を養ふ人は、其の馬の能の千里なるを知らないで、馬を養ふ。
② 馬を養ふ人は、其の馬の能の千里なるを知って、馬を養ふのではない
に於いて、
①=②
であることは、「自明」である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① Q、~(P)&Q。 
② Q、~(P&Q)。
① 馬を養ふ人は、其の馬の能の千里なるを知らないで、馬を養ふ。
② 馬を養ふ人は、其の馬の能の千里なるを知って、馬を養ふのではない。
に於いて、
①=②
であることは、「論理学」として、「日本語」として、「正しい」。
然るに、
(07)
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 今養馬者不(知其能千理)而養也 ⇒
① 今馬をやしなふ者は(其の能の千里なるを知ら)不してやしなふなり。
② 今養馬者不(知其能千里而養)也 ⇒
② 今馬をやしなふ者は(其の能の千里なるを知りてやしなは)不るなり。
といふ「二つの訓読」は、「論理(学)的」には、「二つとも正しい」である。
然るに、
(09)
② ~(P&Q)
③ ~P∨~Q
④ ~(P∨Q)
⑤ ~P&~Q
に於いて、
②=③ であって、
④=⑤ であるが、
②=⑤ ではない。
従って、
(09)により、
(10)
a「その(馬の)働きが一日に千里も走れるのを知らないし、それ相応に飼育しない」(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、390頁)。
といふ「解釈」、すなはち、
② ~(P&Q) は、
⑤ ~P&~Q に等しい。
といふ「解釈」は、「論理(学)的」には、「正しくない」。
然るに、
(11)
① Q,~(P)&Q
② Q,~(P&Q)
から、
① Q,
② Q,
を除き、
③ ~(P)&Q
④ ~(P&Q)
とする。
然るに、
(12)
③ ~(P)&Q
④ ~(P&Q)
に於いて、
③ は、
③ ~(偽)&真
である時に、「真」であり、
④ は、
④ ~(真&偽)
④ ~(偽&真)
④ ~(偽&偽)
である時に、「真」である。
従って、
(12)により、
(13)
③ ~(P)&Q
④ ~(P&Q)
に於いては、
③=④ ではない。
従って、
(13)により、
(14)
③ ~(P)&Q → R
④ ~(P&Q) → R
に於いても、
③=④ ではない。
然るに、
(15)
③ 不(有祝鮀之佞)而有宋朝之美難乎免於今之世矣。
④ 不(有祝鮀之佞而有宋朝之美難)乎免於今之世矣。
といふ「漢文」は、
③ ~(P)&Q → R. 
④ ~(P&Q) → R.
といふ「論理式」に、対応する。
然るに、
(16)
従って、
(15)(16)により、
(17)
③ 不(有祝鮀之佞)而有宋朝之美難乎免於今之世矣 ⇒
③ 祝鮀の佞有ら不して、而も宋朝の美有らば、難いかな、今の世を免るること。
④ 不(有祝鮀之佞而有宋朝之美難)乎免於今之世矣 ⇒
④ 祝鮀の佞有りて、而も宋朝の美有ら不んば、難いかな、今の世を免るること。
に於いて、
③ は、「古注」の「訓読」として「正しく」、
④ は、「新注」の「訓読」として「正しい」。
平成27年07月06・07日、毛利太。

2015年7月4日土曜日

論理学的に見て、括弧はあります(Ⅱ)。

(01)
(02)
今食馬者不知其能千里而食也(雑説)。
に於いて、
食=養ふ(FEED)。
であって、
食=食ふ(EAT)。
ではない。
従って、
(03)
誤解が無いやうに、
今養馬者不知其能千里而養也。
とする。
(04)
不 = ~
而 = &
ならば = →
とする。
従って、
(03)(04)により、
(05)
今養馬者不知其能千里而養也=
今養馬者~知其能千里&養也。
然るに、
(06)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’といふ空所にいれて書くことにしよう(W.O.クワイン、現代論理学入門、1972年、15頁)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 今養馬者~(知其能千里)&養也。
② 今養馬者~(知其能千里&養)也。
の内の、いづれかである。
従って、
(07)により、
(08)
① 今馬を養ふ者は(其の能の千里なるを知ら)して養ふなり。
② 今馬を養ふ者は(其の能の千里なるを知りて養は)るなり。
の内の、いづれかである。
従って、
(08)により、
(09)
① 今、馬を飼ふ人は(その馬に千里を走るの能力が有ることを知ら)に飼ってゐる。
② 今、馬を飼ふ人は(その馬に千里を走るの能力が有ることを知って飼ってゐるのでは)ない
の内の、いづれかであるが、「直観」としては、
①と②は、「同じ事」である。
然るに、
(06)
① Q,~P&Q
① Q
① ~P
① ~P∨~Q
① ~(P&Q)
① Q,~(P&Q)
(07)
② Q,~(P&Q)
② Q
② ~(P&Q)
② ~P∨~Q 
② ~Q∨~P 
② Q → ~P 
② ~P 
② ~P&Q
② Q,~P&Q
従って、
(06)(07)により、
(08)
① Q,~P&Q.
② Q,~(P&Q).
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
~P=~(P)
従って、
(08)(09)により、
(10)
① Q、~(P)&Q。
② Q、~(P&Q)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(11)
Q=xは馬を養ふ。
P=xは其の能の千里なるを知る。
とする。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① xは馬を養ふ、(xは其の能の千里なるを知ら)ない&xは馬を養ふ。
② xは馬を養ふ、(xは其の能の千里なるを知り&xは馬を養ふのでは)ない。
従って、
(12)により、
(13)
① 馬を養ふxは、(其の馬の能の千里なるを知ら)ないで、馬を養ふ。
② 馬を養ふxは、(其の馬の能の千里なるを知って、馬を養ふのでは)ない。
従って、
(10)~(13)により、
(14)
① Q、~(P)&Q。
② Q、~(P&Q)。
に於いて、
①=② 
である以上、
① 馬を養ふxは、(其の馬の能の千里なるを知ら)ないで、馬を養ふ。
② 馬を養ふxは、(其の馬の能の千里なるを知って、馬を養ふのでは)ない
に於いても、
①=② 
であるが、
① 今、馬を飼ふ人は(その馬に千里を走るの能力が有ることを知ら)に飼ってゐる。
② 今、馬を飼ふ人は(その馬に千里を走るの能力が有ることを知って飼ってゐるのでは)ない
に於いて、
①=②
であることは、「自明」である。
然るに、
(15)
① Q,~P&Q
① Q
① ~P
① ~P∨~Q
① ~(P&Q)
① Q,~(P&Q)
② Q,~(P&Q)
② Q
② ~(P&Q)
② ~P∨~Q 
② ~Q∨~P 
② Q → ~P 
② ~P 
② ~P&Q
② Q,~P&Q

① {Q,~P&Q}=
② {Q,~(P&Q)}
といふ「自然演繹(論理学)」は、20世紀の英吉利人にとっても、8世紀の唐人にとっても、21世紀の日本人にとっても、「正しい」。
cf.
自然演繹(しぜんえんえき、英: Natural deduction)は、「自然な」ものとしての論理的推論の形式的モデルを提供する証明理論の手法であり、哲学的論理学の用語である。「自然な」ものとしての論理的推論の形式的モデルを提供する証明理論の手法であり、哲学的論理学の用語である(ウィキペディア)。
従って、
(15)により、
(16)
① 今養馬者不(知其能千里)而養也。
② 今養馬者不(知其能千里而養)也。
に於いて、
①=②
であることは、8世紀の唐人にとっても、「自明」でなければ、ならない。
然るに、
(17)
① 今養馬者不(知其能千里)而養也。
② 今養馬者不(知其能千里而養)也。
に於いて、
①=②
であることが、8世紀の唐人にとっても、「自明」である。のであれば、
① Q,~(P)&Q.
② Q,~(P&Q).
に、「括弧」が有るやうに、
① 今養馬者不(知其能千里)而養也。
② 今養馬者不(知其能千里而養)也。
にも、「括弧」が有る。ことになる。
従って、
(17)により、
(18)
① 今養馬者不(知其能千里)而養也。
② 今養馬者不(知其能千里而養)也。
に於いて、「括弧」は有ります!
平成27年07月04日、毛利太。