(01)
例えば、日本語で「字を書き、書を読まず」と言ふと、意味がはっきりしない。すなわち、(ア)字は書くが、本を読まない。(イ)字を書かないし、本も読まない。という両方が考えられるからである。ところが、漢文では、ありがたいことに目で見てイッパツで(ア)か(イ)かわかるんだ。次の漢文をみよ。否定を表すことばの代表は「不」で助動詞「ず」をあてて読むこと。ただし「ず」という送りがなはつけない。
(ア)を見ると、「不」は「読書」だけにかかっているが、(イ)では「不」は全部にかかっている。だから、否定形が出てくると、まず何よりも、どこまでかかっているか、ということを第一に考えよ
(加地伸行、漢文法基礎、2010年、109頁)。
(02)
① 書字不読書=
① 書(字)不〔読(書)〕⇒
① (字)書〔(書)読〕不=
① (字を)書くも〔(書は)読ま〕ず。
(03)
② 不書字読書=
② 不〔書(字)読(書)〕⇒
② 〔(字)書(書)読〕不=
② 〔(字を)書き(書を)読ま〕ず。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 書字不読書。
① 字を書くも、書は読まず。
とする一方で、
② 不書字読書。
② 字を書き、書を読まず。
とする限り、
① 書字不読書。
② 不書字読書。
に於いて、
①と②の「区別」が付かない。といふことには、ならない。
cf.
も[三](接助)①逆説の確定条件を表す。・・・のに。「内裏にへ参らむとおぼしつるも、出で立たれず」〔源氏・橋姫〕(旺文社、高校基礎古語辞典)
(05)
(イ)字を書かないし、本も読まない。
といふことは、
③ 不書字不読書=
③ 不〔書(字)〕不〔読(書)〕⇒
③ 〔(字)書〕不〔(書)読〕不=
③ 〔(字を)書か〕ず〔(書も)読ま〕ず。
といふことに、他ならない。
然るに、
(06)
② 不書字読書=
② 不〔書(字)読(書)〕⇒
② 〔(字)書(書)読〕不=
② 〔(字を)書き(書を)読ま〕不。
といふ「漢文」と、
③ 不書字不読書=
③ 不〔書(字)〕不〔読(書)〕⇒
③ 〔(字)書〕不〔(書)読〕不=
③ 〔(字を)書か〕ず〔(書も)読ま〕ず。
といふ「漢文」が、「等しい」のであれば、
② ~(A&B)
といふ「論理式」は、
③ ~(A)&~(B)
といふ「論理式」に、「等しい」。
然るに、
(07)
「ド・モルガンの法則」により、
② ~(A&B)=
③ ~(A)&~(B)
は、「間違ひ」であって、
② ~(A&B)=
③ ~(A)∨~(B)
が、「正しい」。
従って、
(05)~(07)により、
(08)
仮に、
といふ「解釈」を、するのであれば、「漢文」に於いて、「ド・モルガンの法則」は、成り立たない。
(09)
④ 不以其道得之=
④ 不〔以(其道)得(之)〕⇒
④ 〔(其道)以(之)得〕不=
④ 〔(其の道を)以て(之を)得〕ず。
(10)
⑤ 不以其道得之=
⑤ 不〔以(其道)〕得(之)⇒
⑤ 〔(其道)以〕不(之)得=
⑤ 〔(其の道を)以てせ〕ずして(之を)得。
然るに、
(11)
新注では「其の道を以てせずして、これを得れば、・・・・・・。」と読む(岩波文庫、論語、1963年、72頁)。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
④ 不(以其道得之)。
⑤ 不(以其道)得之。
に於いて、
④ は、「古注」であって、
⑤ は、「新注」である。
cf.
南宋の朱子は、独自の立場から注釈を作り『論語集注』(新注)としてまとめた(ウィキペディア)。
従って、
(12)により、
(13)
① 不書字読書。
② 不書字読書。
であっても、
① 不(書字)読書=字を書かず、書を読む。
② 不(書字読書)=字を書き、書を読まず。
といふ、「二通りの解釈」が、「可能」である。
平成27年08月08日、毛利太。
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