(01)
* 嘗・曽(かつテ・~したことがある)
* 已・既(すでニ・~してしまった)
漢文には過去や完了を表す助動詞にあたるものがなく、このような副詞で表している。
然るに、
(02)
* 矣 完了の助字。「~してしまった」
(三省堂、明解古典学習シリーズ16 論語 孟子、昭和48年、71頁)
従って、
(03)
(01)と(02)は、「矛盾」する。
然るに、
(04)
吾恐他人又見、已埋之矣。
吾れ他人の又見んことを恐れて、已に之を埋めたり。
わたくしは他の人がまたこの蛇を見てはいけないと思って、もう土の中に埋めてしまいました。
(昇龍堂、重要漢文単語文例精解、昭和43年、2頁)
に於いて、
埋め(連用形)+たり(終止形)。
の「たり」は、たり〔完了の助動詞〕(古語林、平成9年、844頁)である。
従って、
(02)(04)により、
(05)
吾恐他人又見、已埋之矣。
吾れ他人の又見んことを恐れて、已に之を埋めたり。
である以上、
矣=完了(の助動詞)
である。とする方が、分りやすい。
(06)
已矣乎=ヤンヌルカナと読み、どうにも仕方がない、もはやこれまでだと、断念や絶望を示す語。「已む」に「矣」という断定、「乎」という感嘆の終尾詞がついてできたもの。
(多久弘一、多久の漢文公式110、昭和63年、64頁)
然るに、
(07)
な に ぬ ぬる ぬれ ね
ぬ〔完了の助動詞〕(古語林、平成9年、1024頁)
従って、
(02)(06)(07)により、
(08)
已 矣 乎。
終はっ てしまった なあ。
やん(連用形・撥音便)+ぬる(完了・連体形)+かな(終助詞・詠嘆)。
に於いて、
矣=断定(の助動詞)
とするよりも、
矣=完了(の助動詞)
とする方が、分りやすい。
(09)
まず、「焉」であるが、一番カッコヨクいいきる感じで、大阪弁でいえば、「テナモンヤ」と意気高揚した感じである。私は関西人であるので、大阪弁以外の方言はよくわからない。各地に、こういう高揚したときのいいかたがあるに違いない。自分でそういう語に翻訳して考えてほしい。「矣」は「焉」と違って、キッとなっていいきる感じである(二畳庵主人、漢文法基礎、昭和59年、新版、157頁)。
(10)
「焉」は「此」「是」「之」、ことに「之」に近く、しばしば通用される。また「於之」「於是」とも通じ、「ここニ」「これヨリ」などともよまれる。
(中澤希男・澁谷玲子、漢文訓読の基礎、昭和60年、87頁)
(11)
焉 状態の確乎たる持続を示す助字。読まない。
(三省堂、明解古典学習シリーズ16 論語 孟子、昭和48年、130頁)
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
① 焉≒「テナモンヤ」と意気高揚した感じで「言い切る」。
② 焉=「代名詞」、「ここニ」「これヨリ」などともよまれる。
③ 焉=状態の確乎たる持続を示す助字。
といふ、少なくとも、「三つの、焉」が、有ることになる。
然るに、
(13)
先世避秦時乱率妻子邑人来此絶境、不復出焉。
先世秦時の乱を避けて、妻子邑人を率ゐて此の絶境に来たり、復た出でず。
自分たちの祖先が秦の時代の戦乱をさけて妻子や村人を引きつれて、世の中から遠く離れたこの土地に来てそれきっりもう二度とこの土地から外へ出なかった。
(多久弘一、多久の漢文公式110、昭和63年、22頁)
然るに、
(14)
この場合、
① 不復出焉。
① 二度と出なかった、テナモンヤ。
といふことは、おそらく、ない。
(15)
② 不復出焉。
② 不復出於此。
② 二度とここヨリ出なかった。
といふ「解釈」は、有り得る。
(16)
③ 不復出焉。
に於ける「焉」は、
③ 二度と(ここから)出ない(まま、今日に至ってゐる)。
といふことから、
③ 二度と出ない。といふ「状態の確乎たる持続」を表してゐる。
といふ「解釈」も、有り得る。
然るに、
(17)
③ We have been in this land for 1000 years.
に於ける。
③ have
は、「(状態の持続を示す)助動詞」である。
従って、
(16)(17)により、
(18)
③ 不復出焉。
に於ける「焉」は、
③ 二度と出ない。
といふ「状態の持続」を表してゐる。
のであれば、この場合の「焉」は、「助動詞の一種」である。
といふ風にも、見なすことが出来る。
平成28年05月23日、毛利太。
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