―「01月06日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2017/01/blog-post_6.html)」の、「(33)以下」を書き換へます。―
(33)
①{ゾウ、キリン}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
① 鼻は ゾウ が長く(、首はキリンが長い)。
① 首はキリンが長く(、鼻は ゾウ が長い)。
従って、
(34)
①{ゾウ、キリン}
といふ「集合」が「念頭」に有る場合は、
① ゾウ以外(キリン)の鼻は長くない。ため、
① 鼻が長いのはゾウである。
① ゾウが鼻が長い。
① ゾウが鼻は長い。
cf.
① 鼻が長いのは「の」は、「形式名詞」であって、それ故、
① 鼻は長いのは=名詞+係助詞+連体形+名詞 は、不可である。
然るに、
(35)
①{ゾウ、キリン}
といふ「集合」ではなく、
②{ゾウ}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
① ゾウが鼻が長い。
ではなく、
② ゾウは鼻が長い。
であるか、もしくは、
② ゾウは鼻は長い。
である。
従って、
(33)(35)により、
(36)
①{ゾウ、キリン}であるならば、「ゾウが鼻が長い。」であるか、
①{ゾウ、キリン}であるならば、「ゾウが鼻は長い。」である。
②{ゾウ} であるならば、「ゾウは鼻が長い。」であるか、
②{ゾウ} であるならば、「ゾウは鼻は長い。」である。
然るに、
(37)
②{ゾウ}&
③{ゾウの鼻、ゾウの目、ゾウの口、ゾウの耳、ゾウの頭、ゾウの首、ゾウの胴、ゾウの脚、ゾウの尾、ゾウの体}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
③ 鼻以外(目、口、耳、頭、首、胴、脚、尾、体)は長くない。ため、
③ ゾウは鼻が長い。
である。
(38)
②{ゾウ}&
④{ゾウの鼻、ゾウの牙、ゾウの目、ゾウの口、ゾウの耳}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
④ ゾウは鼻が長い。
であるか、もしくは、
④ ゾウは鼻が長く、牙も長い。
である。
(39)
②{ゾウ}&
④{ゾウの鼻、ゾウの牙、ゾウの目、ゾウの口、ゾウの耳}
といふ「集合」ではなく、
②{ゾウ}&
⑤{ゾウの鼻}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
⑤ ゾウの鼻は長い。
であるか、もしくは、
⑤ ゾウは鼻は長い。
である。
従って、
(35)~(39)により、
(40)
① ゾウが鼻が長い。
③ ゾウは鼻が長い。
⑤ ゾウは鼻は長い。
といふ「日本語」に於いて、それぞれ、
①{ゾウ、キリン}&{ゾウの鼻、ゾウの目、ゾウの口、ゾウの耳、ゾウの頭、ゾウの首、ゾウの胴、ゾウの脚、ゾウの尾、ゾウの体}
③{ゾウ} &{ゾウの鼻、ゾウの目、ゾウの口、ゾウの耳、ゾウの頭、ゾウの首、ゾウの胴、ゾウの脚、ゾウの尾、ゾウの体}
⑤{ゾウ} &{ゾウの鼻}
といふ「集合」を、「念頭」に置いてゐる。
従って、
(40)により、
(41)
③ ゾウは鼻が長い。
といふ「日本語」は、
③{ゾウ}以外に関しては、何も言ってゐない。
従って、
(41)により、
(42)
③ ゾウは鼻が長い。
といふ「日本語」は、
③{ゾウ}だけを、取り上げて、
③{ゾウ}は鼻が長い。
といふ風に、述べてゐる。
然るに、
(43)
三上に敬意を表して「象鼻文」つまり「象は鼻が長い」を例に取ろう。ただし、例文としてはコンマで「象は」を文から切り離ししておく。
(72j)象は,鼻が長い。
二重主語どころか、この文は主語が一つもない。日本語にそもそも主語など不要なのだから当然である、「象は」は主題(題目)であり、「こんにちは」のように文が切れている。「象について話しますよ」と聞き手の注意を引いておき、それに続く話してのコメントが「鼻が長い」。これは単に、主格補語「鼻が」を伴った基本形容詞文「長い」にすぎない。
(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、131頁)
従って、
(42)(43)により、
(44)
③{ゾウ}だけを、取り上げて、
③{ゾウ}は鼻が長い。
といふ風に、述べてゐる際の、
③{ゾウ}を、
③「主題(題目)」と呼ぶのであれば、
③ ゾウは鼻が長い。
に於いて、
③ ゾウは が、
③ 主語は ではなく、
③ 主題は である。
としても、構はない。
然るに、
(45)
③ ゾウは鼻が長い。
③ ゾウは動物である。
等に於ける、
③ ゾウは を、
③ 主語は ではなく、
③ 主題は であると、認めたとしても、
④{ゾウ、新幹線、三角定規}
といふ「それ」を「念頭」に置いてゐる場合には、
⑤ 動物はゾウである。
⑤ ゾウが動物である。
といふ「日本語」は、「本当」になり、
⑤{ゾウ、キリン、ライオン}
といふ「集合」を「念頭」に置いてゐる場合には、
⑤ 動物はゾウである。
⑤ ゾウが動物である。
といふ「日本語」が、「ウソ」になるといふ「理由」を、説明することは、出来ない。
従って、
(46)
③ ゾウは鼻が長い。
③ ゾウは動物である
等於ける、
③ ゾウは が、
③ 主語は であるか、
③ 主題は であるか、
といふことは、「敢へて言へば、どうでも良い」と、思はれる。
(47)
そこでたとえば「象は鼻がない」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのはっきりしないから、このままではその論理的構造が明示されていない、いわば非論理的な文章である、という人もある。しかしこの文の論理的構造をはっきり文章に表して
「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い」
といえばいいかもしれない。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)
然るに、
(48)
⑥(x)[象x⊃∃y(鼻y・有xy・長y)]
⑦ すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い。
に於いて、
⑥=⑦ である。
然るに、
(49)
そこで私たちは主語をしめす変項x、yを文字どおり解釈して、「或るもの」(英語で表現するならばsomething)とか、「他の或るもの」といふ不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といいう一つの文は
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な主語―述語からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち
SはPである。
という一般的な主語―述語文は
Fx Gx
という二つの文によって構成されていると考える。そしてこの場合 Fx はもとの文の主語に対応し、 Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(48)(49)により、
(50)
⑥(x)[象x⊃∃y(鼻y・有xy・長y)]
といふ「論理式」の中には、
⑥ 象x といふ「主語」と、
⑥ 鼻y といふ「主語」による、
⑥「二つの主語」がある。
然るに、
(51)
「東京は面積が広い」、「象は鼻が長い」、「花子は頭がいい」などの文を、大槻文彦は二重主語文であると言い、それに反対した草野清民は、「は」が付いたものを「総主」、「が」付いたものを「主語」と呼んだ。橋本進吉は文を2段に分け、例えばここに挙げた最初の文をこう分析した。「東京は」が「面積の広い」の主語であり、下位レベルでは「面積が」が「広い」の主語である、と(第2章)。
(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、129頁)
従って、
(47)(50)(51)により、
(53)
③ ゾウは鼻が長い。
⑥(x)[象x⊃∃y(鼻y・有xy・長y)]
⑦ すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い。
といふ、「それ」は、「二重主語文」である。
然るに、
(54)
③ ゾウは鼻が長い(原文)。
③ The elephant has a long nose(グーグル翻訳).
③ 象は長い鼻を持っています(グーグル、再翻訳)。
従って、
(53)(54)により、
(55)
③ ゾウは鼻が長い。
③ The elephant has a long nose(グーグル翻訳).
⑥(x)[象x⊃∃y(鼻y・有xy・長y)]
に於いて、
③ The elephant has a long nose(グーグル翻訳).
といふ「英語」もまた、「述語論理」に「翻訳」する限り、「二重主語文」である。
平成29年01月17日、毛利太。
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