2015年4月2日木曜日

鏡像(左右・上下)Ⅲ。

I wish I could translate this blog into English.
(01)
鏡って、左右だけでなく、上下もひっくり返ると思いますか?
左右だけが、ひっくり返るのであれば、何故だと思いますか?
答えは、次の通りです。
(02)
「現実の世界」に於いて、
①「回れ右」をすれば、「後ろを振り返る」ことになる。
②「逆立ち」をしても、「後ろを振り返る」ことになる。
従って、
(02)により、
(03)
「現実の世界」に於いて、
①「回れ右」をすれば、「上下(天地)」がそのままで、「前後(南北)」と「左右(東西)」が、「逆」になる。
従って、
(03)により、
(04)
①「鏡の中の自分」が、北を向いて「直立」してゐて、
①「鏡の外の自分」が、南を向いて「直立」してゐて、
①「鏡の中の左側」が、西側であって、*
①「鏡の外の左側」が、東側である。
ならば、「現実の世界」と「鏡中の世界」の、「左右・上下(東西・天地)」は、《等しい》。
従って、
(04)により、
(05)
①「鏡の中の自分」が、北を向いて「直立」してゐて、
①「鏡の外の自分」が、南を向いて「直立」してゐて、
①「鏡の中の左側」が、東側であって、*
①「鏡の外の左側」が、東側である。
ならば、「現実の世界」と「鏡中の世界」の、「左右(東西)」が、「逆」になる。
然るに、
(06)
「現実の世界」に於いて、
②「逆立ち」をすれば、「左右(東西)」がそのままで、「前後(南北)」と「上下(天地)」が、「逆」になる。
従って、
(06)により、
(07)
②「鏡の中の自分」が、北を向いて「逆立」してゐて、*
②「鏡の外の自分」が、南を向いて「直立」してゐて、
②「鏡の中の左側」が、東側であって、
②「鏡の外の左側」が、東側である。
ならば、「現実の世界」と「鏡中の世界」の、「左右・上下(東西・天地)」は、《等しい》。
従って、
(07)により、
(08)
②「鏡の中の自分」が、北を向いて「直立」してゐて、*
②「鏡の外の自分」が、南を向いて「直立」してゐて、
②「鏡の中の左側」が、東側であって、
②「鏡の外の左側」が、東側である。
ならば、「現実の世界」と「鏡中の世界」の、「上下(天地)」が、「逆」になる。
従って、
(05)(08)により、
(09)
①「鏡の中の自分」が、北を向いて「直立」してゐて、
①「鏡の外の自分」が、南を向いて「直立」してゐて、
①「鏡の中の左側」が、東側であって、*
①「鏡の外の左側」が、東側である。
ならば、「現実の世界」と「鏡中の世界」の、「左右(東西)」が、「逆」になり、
同じく、
②「鏡の中の自分」が、北を向いて「直立」してゐて、*
②「鏡の外の自分」が、南を向いて「直立」してゐて、
②「鏡の中の左側」が、東側であって、
②「鏡の外の左側」が、東側である。
場合は、「現実の世界」と「鏡中の世界」の、「上下(天地)」が、「逆」になる。
従って、
(03)(06)(09)により、
(10)
①「鏡の中の自分」が、「回れ右」をして「振り返ってゐる」と「仮定」すると、
①「左右(東西)」が、「逆」になり、
②「鏡の中の自分」が、「逆立ち」をして「振り返ってゐる」と「仮定」すると、
②「上下(天地)」が、「逆」になる。
従って、
(11)
①②「鏡の中の自分」が、北を向いて「直立」してゐて、*
①②「鏡の外の自分」が、南を向いて「直立」してゐて、
①②「鏡の中の左側」が、東側であって、*
①②「鏡の外の左側」が、東側である。
といふ場合に、
①「左右(東西)」が、「逆」になる。といふ風に、思ふ、その人は、
①「鏡の中の自分」は、「回れ右」をした「自分」であると、思ってゐて、
その一方で、
②「上下(天地)」が、「逆」になる。といふ風に、思ふ、その人は、
②「鏡の中の自分」は、「逆立ち」をした「自分」であると、思ってゐる。
従って、
(11)により、
(12)
「鏡って、左右だけでなく、上下もひっくり返ると思いますか? 」
といふことに、関しては、
①「左右(東西)」が、「逆」になると思へば、「左右(東西)」が、「逆」になり、
②「上下(天地)」が、「逆」になると思へば、「上下(天地)」が、「逆」になる。
然るに、
(13)
「後ろを振り返る」際に、
①「回れ右」をして「振り返る人」≒50%
①「回れ左」をして「振り返る人」≒50%
であるかどうかは、別にして、
②「逆立ち」をして「振り返る人」≒0%
従って、
(13)により、
(14)
ほとんど全ての人は、
①「鏡の中の自分」を、「回れ右(左)」をした「自分」であると、思ってしまふ。
従って、
(11)(14)により、
(15)
「左右だけが、ひっくり返るのであれば、何故だと思いますか?」
といふことに関しては、、
②「鏡の中の自分」は、「逆立ち」をした「自分」であると、思ふ人が、ゐないからである。
従って、
(16)
「鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか?」
 といふことが、疑問に思へるのであれば、その人は、「無意識」の内に、「鏡に映る自分の像」を、
①「回れ右」をして「振り返った自分」である。と、「仮定」してゐて、
②「逆立ち」をして「振り返った自分」である。とは「仮定」してゐない。
然るに、
(17)
「実際」には、
①「鏡に映る自分の像」は、「回れ右」をして「振り返った自分」ではないし、
②「鏡に映る自分の像」は、「逆立ち」をして「振り返った自分」でもない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
「鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか?」
といふ「疑問」は、実際には、成り立たない。
平成27年04月02日、毛利太。

0 件のコメント:

コメントを投稿