(01)
(a)漢文の補足構造は、「括弧」で表すことが出来る。
(b)補足構造を除くと、漢文と訓読の「語順」は、等しい。
(c)漢文の補足構造を「集合数」で表した時、訓読の語順は、「順序数」である。
といふ「三つの条件」の元で、例へば、
人有喜与不如己者為友之心=
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉=
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]8(7)}AB〉⇒
1〈{[〔(2)3〕45]6(7)8}9AB〉C=
人〈{[〔(己)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]と(友と)為るを}喜ぶの心〉有り。
といふ「括弧による、ソート(漢文訓読)」が、成立する。
(02)
Dryer (2011a) は世界1377の言語を調べ、可能な語順が複数ある場合には使用頻度によって基本語順を決めた。この調査によれば、SOV型が一番多く565言語、次いでSVO型が488言語であった。他の4つのタイプはいずれも100言語以下で、VSO型が95言語、VOS型が25、OVS型が11、OSV型が4であった(ウィキペディア:語順)。SOV言語とSVO言語の優位は動かず、VSOは少数、VOSとOVSはきわめて希でOSVはほぼ皆無である(岩波書店、言語類型論入門、2006年、91頁)。
(03)
① SOV:日本語
② SVO:漢文
③ VSO:ゲール語
④ VOS:フィジ―語
⑤ OVS:ヒシカリヤナ語
⑥ OSV:シャバンテ語
に於いて、
② S(VO) ⇒ ④(VO)S
④ (V〔O)S〕⇒ ⑥(〔O)S〕V
従って、
(04)
② SVO=主語+動詞+目的語(補足語)。
といふ、「漢文の語順」を、
⑥ OSV=目的語(補足語)+主語+動詞。
といふ、「シャバンテ語の語順」で読むためには、
⑥ (〔 )〕
を用ゐることになる。
然るに、
(05)
〔( )〕
に対して、
(〔 )〕
の場合は、
( )の中に、
〕 があるため、「括弧」ではない。
従って、
(04)(05)により、
(06)
② S(V〔O)〕⇒
⑥ (〔O)S〕V。
すなはち、「シャバンテ語」による、「括弧による、訓読(ソート)」は、成立しない。
(07)
① SOV
② SVO
③ VSO
④ VOS
⑤ OVS
⑥ OSV
に於いて、
S=主語
を、
N=否定
に置き換へると、
① NOV
② NVO
③ VNO
④ VON
⑤ OVN
⑥ ONV
(08)
① NOV
② NVO
③ VNO
④ VON
⑤ OVN
⑥ ONV
に於いて、
N=不
V=読
O=書
とするならば、
① 不書読。
② 不読書。
③ 読不書。
④ 読書不。
⑤ 書読不。
⑥ 書不読。
従って、
(08)により、
(09)
② 不読書=
② 不〔読(書)〕⇒
⑤〔(書)読〕 不=
⑤〔(書を)読ま〕ず。
は、「漢文訓読」である。
然るに、
(10)
② 不読書。を、
⑥ 書をない読ま。と読む場合は、
② 不読書=
② 不(読〔書)〕⇒
⑥ (〔書)不〕読=
⑥ (〔書を)ない〕読ま。
(11)
③ 読不書。を、
⑤ 書を読まない。と読む場合は、
③ 読不書=
③ 読(不〔書)〕⇒
⑤ (〔書)読〕不=
⑤ (〔書を) 読ま〕ない。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
② ⇒ ⑤ は、〔( )〕を用ゐ、
② ⇒ ⑥ は、(〔 )〕を用ゐ、
③ ⇒ ⑤ は、(〔 )〕を用ゐる。
ものの、(05)でも述べた通り、
(〔 )〕は、『括弧』ではない。
然るに、
(13)
二(三 一) ⇒ (三 一)二
(三〔一)二〕⇒ (〔一)二〕三
従って、
(13)により、
(14)
(〔 )〕 は、
二 三 一 に相当する。
従って、
(13)(14)により、
(15)
② ⇒ ⑥ は、二 三 一 を用ゐ、
③ ⇒ ⑤ は、二 三 一 を用ゐる。
然るに、
(16)
言ふまでもなく、
⑥ 書をない読ま。
などといふ「日本語」はない。
加へて、
(17)
③ 読不書。
であれば、「漢文の語順」から、
③ 不 は、
③ 書 だけを「否定」してゐるため、
③(書を読ま)ず。
といふ「意味」には、成り得ず、それ故、
③ 読不書。
といふ「漢文」も、有り得ない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
③ 読不書。
といふ「漢文」も、
⑥ 書をない読ま。
といふ「訓読」も、有り得ない。
従って、
(15)(18)により、
(19)
③ と ⑥ が、有り得ないが故に、
② ⇒ ⑥ は、二 三 一 を用ゐ、
③ ⇒ ⑤ は、二 三 一 を用ゐる。
といふことも、有り得ない。
従って、
(19)により、
(20)
一体何故、
② 二 三 一
③ 二 三 一
といふ「返り点」が、有り得ないのかと言へば、例へば、
② 不読書。
に対して、
③ 読不書。
といふ「漢文」が有り得ず、
⑤ 書を読まない。
といふ「訓読」に対して、
⑥ 書をない読ま。
といふ「訓読」が、有り得ない。からである。
(21)
② 不〔読(文)〕⇒
⑤〔(文)読〕 不=
⑤〔(文を)読ま〕ず。
に対して、
我=主語
常=修飾語
漢=修飾語
を加へると、
② 我不〔常読(漢文)〕⇒
⑤ 我〔常(漢文)読〕不=
⑤ 我〔常には(漢文を)読ま〕不。
然るに、
(22)
① 15〔24(33)〕⇒
④ 1〔2(33)4〕5。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① 我不〔常読(漢文)〕⇒
④ 我〔常(漢文)読〕不=
① 15〔24(33)〕⇒
④ 1〔2(33)4〕5=
④ 我〔常には(漢文を)読ま〕不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(24)
15〔24(33)〕
を「集合数」とすると、
5は、〔24(33)〕を含んでゐて、
4は、(33)を含んでゐる。
然るに、
(25)
15〔24(33)〕。
から、
〔( )〕
を外して、
152433。
としても、
5は、2433 を含んでゐて、
4は、33 を含んでゐる。
従って、
(26)
152433。
を見て、
5は、2433 を含んでゐて、
4は、33 を含んでゐる。
といふことには、「気づく」ことが、出来る。
然るに、
(27)
我不常読漢文。
を見て、
不は、常読漢文 に係ってゐて、
読は、漢文 に係ってゐる。
といふことには、「気づく」ことが、出来る。
然るに、
(28)
我不常読漢文。
を見て、
不は、常読漢文 に係ってゐて、
読は、漢文 に係ってゐる。
といふことには、「気づく」ことが、出来るのであれば、
我不常読漢文。
といふ「白文」を、
我常には漢文を読ま不。
といふ風に、「訓読」することが、出来る。
然るに、
(29)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(28)(29)により、
(30)
我不常読漢文。
といふ「漢文」の、「管到」が分れば、その時に限って、
我不常読漢文。
といふ「白文」を、
我常には漢文を読ま不。
といふ風に、「訓読」することが、出来る。
従って、
(30)により、
(31)
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「漢文」の、「管到」が分らなければ、
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「白文」を、
人己に如かざる者と友と為るを喜ぶの心有り(金沢大学入試問題)。
とは、読めない。
然るに、
(32)
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「白文」を、
人己に如かざる者と友と為るを喜ぶの心有り。
といふ風に、読めないのであれば、
人有喜与不如己者為友之心。
に対して、
といふ「返り点」を、付けることは、出来ない。
然るに、
(33)
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「漢文」の、「管到」は、
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
といふ「括弧」で、表すことが、出来る。
cf.
然るに、
(34)
人有喜与不如己者為友之心=
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉=
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]8(7)}AB〉⇒
1〈{[〔(2)3〕45]6(7)8}9AB〉C=
人〈{[〔(己)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]と(友と)為るを}喜ぶの心〉有り。
の「返り点」は、
乙 下 二 レ レ 一 上レ 甲
であるが、
人有喜与不如自分者為友人之心=
人有〈喜{与[不〔如(自分)〕者]為(友人)}之心〉=
1C〈9{6[4〔3(22)〕5]8(77)}AB〉⇒
1〈{[〔(22)3〕45]6(77)8}9AB〉C=
人〈{[〔(自分)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
人に〈{[〔(自分に)如か〕不る者]と(友人と)為るを}喜ぶの心〉有り。
の「返り点」は、
地 丙 下 三 二 一 上 乙 甲 天
である。
従って、
(34)により、
(35)
〈{[〔( )〕]( )}〉
〈{[〔( )〕]( )}〉
といふ「括弧」に対して、
乙 下 二 レ レ 一 上レ 甲
地 丙 下 三 二 一 上 乙 甲 天
といふ具合に、「返り点」は、「一通り」ではない。
従って、
(35)により、
(36)
「返り点」は、「順番」を表してゐるとしても、「補足構造(管到)」を表してゐるとは、言へない。
(37)
更に言ふと、「返り点」は、「レ点とハイフン」の用法が、恣意的であって、それ故、分かりやすいとは、言へない。
(38)
漢文非中華人民共和国語也。以是、
中国語直読法雖隆盛而中国語不可以読中夏之書審也。
如日本之大学生有欲能読白文者則宜以括弧学其管到。
(39)
漢文は中華人民共和国語に非ざるなり。是を以て、
中国語直読法は盛んなりと雖も、中国語は以て中華の書を読む可から不ること審かなり。
如し日本の学生に能く白文を読まんと欲する者有らば則ち、宜しく括弧を以て其の管到を学ぶべし。
平成27年06月15日、毛利太。
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