2015年6月1日月曜日

返り点、括弧、アルゴリズム。

(01)
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
従って、
(01)により、
(02)
① 下 二 一 上
① {  (   )  }
に対して、
② 下 二 上 一
② {  (   }  )
③ 二 下 一 上
③ (  {   )  }
といふ「返り点・括弧」は、有り得ない。
然るに、
(03)
『「勉誠出版、続「訓読論」、2010年、312頁:川島優子』によると、
只管要纏擾我=ヒタスラ 我ガ ヤッカイニナル。
に於いて、
要纏擾我。の「返り点」は、
② 下 二 上 一
である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
② 下 二 上 一
といふ、「有り得ない、返り点」を付けざるを得ないが故に、
只管要纏擾我=ヒタスラ 我ガ ヤッカイニナル。
といふ「白話文(口語)」は、「漢文」の内に、入らない。
然るに、
(05)

従って、
(02)(05)により、
(06)
② 要 纏 擾 我
② 下 二 上 一
② {  (   }  )
② 4 2 3 1
といふ「順番」と、
③ 読 非 書 不
③ 二 下 一 上
③ (  {   )  }
③ 2 4 1 3
といふ「順番」は、「漢文訓読」に於いて、有り得ない。
従って、
(06)により、
(07)
② 2<>1
③ 2<>1
といふ「順番」は、「漢文訓読」に於いて、有り得ない。
cf.
従って、
(08)
言ひ方を変へると、
③ 2 # 1
④ 3 # 2
に於いて、
③ # は、2よりも、大きくない。
④ # は、3よりも、大きくない。
従って、
(09)
さらに、言ひ方を変へると。
③ 2<3 # # 
④ 3<5 # # #
⑤ 4<7 # # # #
等に於いて、
③ # は、1ではない。
④ # は、2ではない。
⑤ # は、3ではない。
(10)
小さな箱=( )
大きな箱={ }
のやうに考へた場合、「数学」に於ける、
{( )}は、
大きな箱={ }
の中に、
小さな箱=( )
が入ってゐる。といふ風に、喩へることが出来る。
従って、
(10)により、
(11)
① {( )}
に対して、
② {( })
③ ({ )}
の場合は、
小さな箱の中に、大きな箱が入ってゐて、尚且つ、
大きな箱の中に、小さな箱が入ってゐる。ものの、
② 下 二 上 一 =
② 四 二 三 一
③ 二 下 一 上 =
③ 二 四 一 三
といふ「順序」は、そのやうな
② {( })
③ ({ )}
といふ、『(あり得ない)形』に、相当する。
(12)
「返り点」に対する「括弧」は、
( )=小さな箱
〔 〕=中くらゐの箱
[ ]=大きな箱
{ }=もっと大きな箱
に、相当する。
(13)
コンピューター関連では2進数とともに、16進数というのがよく使われます。このときは数字が0から9まででは足りないのでA、B、C、D、Eを加えて16個の数字をつかいます(何森仁、
小沢健一、算数から数学までまるごと8時間でわかる本、2014年、45頁)。
従って、
(13)により、
(14)
F>E>D>C>B>A>9>8>7>6>5>4>3>2>1
といふ「不等式」が、成立する。
但し、
(15)
  1=  1
 11= 17
111=273
ではなく、
1     は、 1番目の、「一字」とし、
11    は、 1番目の、「二字」とし、
AAA   は、10番目の、「三字」とし、
FFFF は、15番目の、「四字」と、する。
(16)
Nは、0以外の、任意の16進数の数字であって、
Nの右側に、Nよりも小さい数字が有れば、
その時に限って、それらの数字を、内側から順番に、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
で括ることを、「括弧」で括る。
とする。
(17)
N=1
である時、
1<D であるため、
1D264433355BA79988CE。
のままで、変はらない。
(18)
N=D
である際に、
1D264433355BA79988CE。
を( )で括ると、
1D(264433355BA79988C)E。
(19)
N=2
である時、
2<6 であるため、
1D(264433355BA79988C)E。
のままで、変はらない。
(20)
N=6
である際に、
1D(264433355BA79988C)E。
を〔 〕で括ると、
1D〔26(4433355)BA79988C〕E。
(21)
N=4
である際に、
1D〔26(4433355)BA79988C〕E。
を( )で括ると、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
(22)
N=5
である時、
6〔・ ・ ・ ・ ・5〕#
であるため、
6<#
であるものの、固より、
5<6
であるため、
5<#
であり、それ故、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
のままで、変はらない。
(23)
N=B
である際に、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
を( )で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B(A79988)C]E。
(24)
N=A
である際に、
1D[26〔44(333)55〕B(A79988)C]E。
を( )で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
(25)
N=7
である時、
7<9 であるため、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
のままで、変はらない。
(26)
N=9
である際に、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
を( )で括ると、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
(27)
N=C
である時、
D{・ ・ ・ ・ ・C}#。
であるため、
D<#
であるものの、固より、
C<D
であるため、
C<# 
であって、それ故、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
のままで、変はらない。
(28)
N=E
である時、
E の右には、。しかないため、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
のままで、変はらない。
従って、
(14)~(28)により、
(29)
 FOR I=1 TO 14
  N=N( I )
  Nの右側にある、
  Nよりも小さい数字を「括弧」で括る。
 NEXT I
といふプログラムを実行すると、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
といふ「結果」が、出力される。
然るに、
(30)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう(産業図書、数理言語学辞典、2013年、47頁:命題論理、
今仁生美)。
従って、
(29)(30)により、
(31)
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
を、「演算」とするならば、例へば、
D{ }
のスコープは、
 26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C
であって、
6〔 〕
のスコープは、
 44(333)55
である。
(32)
44(333)=
理解(中国語)
であるならば、
理解(   )
のスコープは、
 中国語
であるため、
44(   )
のスコープは、
 333
である。
然るに、
(33)
例へば、
1+4×(2+3)=
1+(2+3)×4。
にならって、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E ⇔
1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE。
とする。
然るに、
(34)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置き換えて読むことが、その大きな原則となっている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(33)(34)により、
(35)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」に、
① 2(1)。
② 1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
といふ『補足構造』がある。ならば、その時に限って、
その『補足構造』における語順は、国語とは『全く反対』である。
といふ「事情」により、
① 書読む。
② 我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
といふ「訓読」には、
① (1)2。
② 1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE。
といふ「語順と、補足構造」がある。ことになる。
然るに、
(36)
① 読書=
① 2 1=
① 2(1)⇒
① (1)2=
① (書)読=
① 書を読む。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也=
② 1 D 2 6 4 4 3 3 3 5 5 B A 7 9 9 8 8 C E=
② 1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E⇒
② 1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE=
② 我{必〔(中国語)理解方法〕以[〔人(漢文)理解〕使]欲者}非也=
② 我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
cf.
従って、
(35)(36)により、
(37)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」には、確かに、
① 2(1)。
② 1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「語順と、補足構造」が有る。ことになる。
然るに、
(38)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。
漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を、人の国にて見えたまいてけれ」の部分の構文を、文節・連文節の係り受けがわかるように図示せよ(新明解古典シリーズ10、徒然草、1990年、142頁)。
従って、
(30)(37)(38)により、
(39)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」には、
① 2(1)。
② 1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「語順と、補足構造(管到・スコープ)」が有る。ことになる。
従って、
(39)により、
(40)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」を、
① 書を読む。
② 我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
といふ「語順」で「訓読」する。といふことは、
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」の「補足構造(管到・スコープ)」を、
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「形」で把握することに、他ならない。
従って、
(40)により、
(41)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」が、
① 書を読む。
② 我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
といふ風に「訓読」出来る。といふこと自体が、
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」が、
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「構造(シンタックス)」をしてゐる。といふことを、示してゐる。
然るに、
(42)
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
であるならば、
① レ 
② 乙 下 ‐二‐ 一 上 レ 三 ‐二‐ 一 甲
であるの対して、
① 読(漢文)。
② 我非{必以〔解(語)法〕欲[使〔人解(文)〕]者}也。
であるならば、
① 二 一
② 下 二 レ 一 レ 二 一レ 上
であるため、「返り点」は、「語順」は示してゐても、「構造(シンタックス)」を示してゐる。とは、言へない。
(43)
「返り点」は、「レ点」や「ハイフン」の使い方が、「恣意的」であるが故に、それなりに、難しい。
従って、
(41)(42)(43)により、
(44)
「括弧」は、「漢文の構造(シンタックス)」を示すための「ツール」であって、単なる、「返り点」の「代用」ではない。
従って、
(45)
倉石武四郎博士が戦前に中国留学した際に「訓読は玄界灘に捨ててきた」と言ったことは音読派の決めぜりふとして有名である(土田健次郎、大学における訓読教育の必要性)。
とのことであっても、「訓読」と一緒に、「括弧」まで、捨てるべきでははない。
(46)
「牛島徳次、中国古典の学び方、1977年、59・60頁」に、
わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出して、いった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた”xue er you shi”ですよ!」とあるやうに、
倉石博士の薫陶を受けられた、牛島博士は、「学而優則仕(論語)」のやうに、「返り点」も付かない、これ以上簡単なそれがないくらゐ簡単な、たった五字しかない「漢文」の意味を、「訓読」としては、学生に対して、「即答」出来たにも拘わらず、「中国語」としては、「全然わからなかった。」との、ことである。
従って、
(47)
現代中国語がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです(Webサイト)。
といふ言ひ方は、たぶん、「錯覚(思ひ込み)」である。
平成27年06月01日、毛利太。

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