2015年10月11日日曜日

返り点に対する「括弧」の用法(ver5.0b)。

― 10月08日の記事を、書き換へます。―
(01)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
は、「括弧」である。
(02)
① ( )は    「小さな函」。
② 〔 〕は    「中位の函」。
③ [ ]は    「大きな函」。
④ { }は  「より大きな函」。
⑤ 〈 〉は「さらに大きな函」。
に譬へることが、出来る。
(03)
①「小さな函」が、
②「中位の函」の中に、入ってゐる「状態」を、
② 〔 ( ) 〕
とする。
然るに、
(04)
②「Mサイズの箱」が、
①「Sサイズの箱」の中に、入ることは、物理的に、有り得ない。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
② 〔 ( ) 〕
は、「函(括弧)」である。一方で、
① ( 〔 〕 )
① ( 〔 ) 〕
① 〔 ( 〕 )
のやうな「函(括弧)」は、有り得ない。
但し、
(06)
②  〔 ( ) 〕
だけでなく、
②  〔 ( )( ) 〕
②  〔 ( )( )( ) 〕
であっても、
①「小さな箱」が、
②「中位の箱」の中に、入ることには、変はりがない。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
② の中に、一つ以上の ① が有って、
③ の中に、一つ以上の ② が有って、
④ の中に、一つ以上の ③ が有って、
⑤ の中に、一つ以上の ④ が有る。
ならば、「括弧」とする.
(08)
⑤ 〈 〉
で「不足」する場合は、
⑥ 《 》
⑦ 「 」
とする。
(09)
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
⑥ 一レ 上レ 甲レ 上レ
は、「返り点」である。
然るに、
(10)
例へば、
⑤ レ
⑤ レ レ
⑥ 二 一レ 二 一
⑥ 二 レ 一レ
であれば、
⑤ 二 一
⑤ 三 二 一
⑥ 四 三 二 一
⑥ 下  二 一 中 上
と、「同じこと」である。
cf.

従って、
(09)(10)により、
(11)
以下では、
⑤ レ
⑥ 一レ 上レ 甲レ 上レ
を除いて、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
を、「返り点」とする。
(12)
一・二点をはさんで返る時は上・中・下点。
上・中・下点をはさんで返る時は甲・乙点。
甲・乙点をはさんで返る時は天・地(天・地・人)点である。
(志村和久、漢文早わかり、1982年、20頁)
従って、
(12)により、
(13)
① 地 乙 下 二 一 上 甲 天
② 二 下 乙 地 天 甲 上 一
に於いて、
① は、「返り点」であるが、
② は、「返り点」ではない。
然るに、
(14)
① 地 乙 下 二 一 上 甲 天
② 二 下 乙 地 天 甲 上 一
を、「一二点」だけで表すと、
① 八 六 四 二 一 三 五 七
② 二 四 六 八 七 五 三 一
(15)
① 八 六 四 二 一 三 五 七
② 二 四 六 八 七 五 三 一
を、「数字」に置き換へると、
① 8 6 4 2 1 3 5 7
② 2 4 6 8 7 5 3 1
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
① 地 乙 下 二 一 上 甲 天
は、「返り点」であるが故に、「返り点」は、
① 8 6 4 2 1 3 5 7
といふ「順番」を、表すことが出来る。一方で、
② 二 下 乙 地 天 甲 上 一
は、「返り点」はないが故に、「返り点」は、
② 2 4 6 8 7 5 3 1
といふ「順番」を、表すことが、出来ない。
然るに、
(17)
① 八{六[四〔二(一)三〕五]七}
に於いて、
① 二( )⇒( )二
① 四〔 〕⇒〔 〕四
① 六[ ]⇒[ ]六
① 八{ }⇒{ }八
とすると、
① 八{六[四〔二(一)三〕五]七}⇒
① {[〔(一)二三〕四五]六七}八。
従って、
(17)により、
(18)
① { [ 〔 ( ) 〕 ] }
といふ「括弧」も、
① 八 六 四 二 一 三 五 七
① 8 6 4 2 1 3 5 7
といふ「順番」を、表すことが出来る。
然るに、
(19)
② 二(四[六〈八「七《五{三〔一)〕]}〉》」
に於いて、
② 二( )⇒( )二
② 三〔 〕⇒〔 〕三
② 四[ ]⇒[ ]四
② 五{ }⇒{ }五
② 六〈 〉⇒〈 〉六
② 七《 》⇒《 》七
② 八「 」⇒「 」八
とすると、
② 二(四[六〈八「七《五{三〔一)〕]}〉》」⇒
②([〈「《{〔一)二〕三]四}五〉六》七」八。
従って、
(19)により、
(20)
② ( [ 〈 「 《 { 〔  ) 〕 ] } 〉 》 」
といふ「それ」は、
② 二 四 六 八 七 五 三 一
② 2 4 6 8 7 5 3 1
といふ「順番」を、表すことが出来る。
然るに、
(07)(08)により、
(21)
① { [ 〔 ( ) 〕 ] }
② ( [ 〈 「 《 { 〔  ) 〕 ] } 〉 》 」
に於いて、
① は、「括弧」であるが、
② は、「括弧」ではない。
従って、
(18)(20)(21)により、
(22)
① { [ 〔 ( ) 〕 ] }
は、「括弧」であるが故に、「括弧」は、
① 8 6 4 2 1 3 5 7
といふ「順番」を、表すことが出来る。一方で、
② ( [ 〈 「 《 { 〔  ) 〕 ] } 〉 》 」
は、「括弧」はないが故に、「括弧」は、
② 2 4 6 8 7 5 3 1
といふ「順番」を、表すことが、出来ない。
従って、
(16)(22)により、
(23)
「返り点・括弧」は、
① 8>6>4>2>1<3<5<7
といふ「順番」を、
① 1<2<3<4<5<6<7<8
といふ、「昇べき順」に、「並び替へる(ソート)」することは、可能である、一方で、
② 2<4<6<8>7>5>3>1
といふ「順番」を、
① 1<2<3<4<5<6<7<8
といふ、「昇べき順」に、「並び替へる(ソート)」することは、可能ではない。
(24)
③ 2(3〔1)〕
に於いて、
③ 2( )⇒( )2
③ 3〔 〕⇒〔 〕3
とすると、
③ 2(3〔1)〕⇒
③ (〔1)2〕3。
然るに、
(07)により、
(25)
③ ( 〔 ) 〕
は、「括弧」ではない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
「括弧」は、
③ 2<3>1
といふ「順番」を、表すことが出来ない。
然るに、
(27)
③ 二 三 一
といふ「返り点」は、見たことがない。
言ひ換へると、
(28)
③ 注不意。
と書いて、
③ フチュウイ。
と読むやうな「漢文」は、見たことがない。

従って、
(24)~(28)により、
(29)
「返り点・括弧」は、
③ 2<3>1
といふ「順番」を、表すことが出来ない。
従って、
(23)(29)により、
(30)
「返り点・括弧」は、
③ 2<3>1
② 2<4<6<8>7>5>3>1
といふ「順番」を、
① 1<2<3
① 1<2<3<4<5<6<7<8
といふ、「昇べき順」に、「並び替へる(ソート)」することが、出来ない。
従って、
(30)により、
(31)
「返り点・括弧」は、
② L<M>N & L=N+1
といふ「順番」を、
② N<L<M
といふ「順番」に、「並び替へる(ソートする)」ことが、出来ない。
従って、
(01)~(31)により、
(32)
「返り点」であれば、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
⑥ 一レ 上レ 甲レ 上レ
といふ「6種類」の中の、
② 上 中 下
④ 天 地 人
に於いて、「不足」が生じない限り、
「括弧」であれば、
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
の次の、
⑥ 《 》
を「必要」としない限り、「返り点」と「括弧」は、「同じ順番」だけを、示すことが、出来る。
従って、
(32)により、
(33)
「返り点」が表すことが出来る「順番」の「集合」と、「括弧」が表すことが出来る「順番」の「集合」は、原理的に、等しい。
然るに、
(34)
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 三レ 一
といふ「それ」は、
④ 4>2<3>1
⑤ 2<5>3>1<4
⑥ 2<4 3>1
であるため、
④ 2<3>1 & 2=1+1
⑤ 2<5>1 & 2=1+1
⑥ 2<4>1 & 2=1+1
といふ「順番」を、
④ 1<2<3
⑤ 1<2<5
⑥ 1<2<4
といふ「順番」に、「並び替へる(ソートする)」ことが、出来る。
従って、
(31)(34)により、
(35)
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 三レ 一
といふ、これらが、「返り点」であるとすると、「矛盾」する。
従って、
(35)により、
(36)
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 三レ 一
は、「返り点」ではない。
従って、
(37)
④ 只‐管要纏我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑤ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑥ 吃了不多酒。
に付く、
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 三レ 一
といふ「それ」は、「返り点」ではない。
然るに、
(38)
「返読」をするにも拘はらず、「返り点」を付けることが出来ない「漢文」は、存在しない。
従って、
(37)(38)により、
(39)
④ 只‐管要纏我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑤ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑥ 吃了不多酒。
は、「漢文」ではない。
cf.


加へて、
(40)
「原文(文言文)」で「曾子曰、敢問聖人之徳、無以加於孝乎(曾子曰く、敢えて問う 聖人の徳、以て孝に加うること無きか)」というところが、当時の口語訳(白話文)では「曾子問、孔子道聖人行的事、莫不更有強如孝道的勾當麽」となり、「孝莫大於厳父、厳父莫大於配天(孝は父を厳ぶより大なるは莫く、父を厳ぶは天に配するるよりは大なるは莫し)」というところが、白話訳では、 「孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般」となっている。両者の違いは一目瞭然であろう(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、312頁)。
然るに、
(41)
⑦ ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(方丈記、冒頭)。
⑧ ゆく河の流れは絶えることがなく、しかももとの水ではない(現代語)。
に於いて、
⑦が分れば、
⑧が分からない。といふことは、有り得ない。
然るに、
(42)
⑦ 孝莫大於厳父、厳父莫大於配天。
⑧ 孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般。
の場合は、
⑦は、分るのに、
⑧は、全く、分らない。
加へて、
(43)
しかし私が専門にしている中国明清の白話小説は必ずしも漢文訓読の方法では読めません。「白話」というのは話し言葉をもとにした書面語で、それを読むためには現代中国語の知識が必要になります。皆さんがよく知っているでしょう『三国志演義』・『水滸伝』・『西遊記』・『封神演義』などはみな白話で書かれている長編小説です。これらの小説を読むためには、まず現代中国語をしっかり学ばなければなりません(Webサイト:中川諭|大東文化大学)。簡潔を旨として作られた文言文とは異なり、話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われていない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁)
従って、
(37)~(43)により、
(44)
④ 只‐管要纏我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑤ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑥ 吃了不多酒。
⑦ 孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般。
といふ「白話(中国語)」は、「返り点」を付けることさへ「不可能」な、「漢文」とは、「全く異なる言語」である。と、せざるを得ない。
(45)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
然るに、
(46)
① 見〔釣(於濮水)〕⇔
① 〔(濮水に)釣るを〕見る。
の「語順」は、「全く反対」である。
従って、
(45)(46)により、
(47)
① 見〔釣(於濮水)〕⇔
① 〔(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、
① 〔 ( ) 〕
① 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、「補足構造(シンタックス)」を、表してゐる。
従って、
(47)により、
(48)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕⇒
① 我〔荘子(於濮水)釣〕見=
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、
① 〔 ( ) 〕
① 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、「補足構造(シンタックス)」を、表してゐる。
然るに、
(49)
① 〔 ( ) 〕は、
① 〔 ( ) 〕に、等しい。
従って、
(48)(49)により、
(50)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、「シンタックス(括弧)」は、等しい。
然るに、
(51)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、「語順」は、等しくない。
従って、
(50)(51)により、
(52)
「シンタックス」が等しければ「語順」も等しい。とは、言へない。
従って、
(52)により、
(53)
「語順が等しい」ことは、「シンタックスが等しい」ための、「十分条件」ではあっても、「必要条件」ではない。
(54)
Wh移動 :意味を導くための深層構造が必要だという説明の時に、一番最初に取り上げられたのは疑問詞が文頭にある疑問文でした。主語はともかく、目的語が動詞の直後ではなく、動詞の前しかも文の先頭にあるという事実を説明するためには、目的語である疑問詞がちゃんと動詞の直後にある深層構造を設定すればよいわけです(町田健、チョムスキー入門、2006年、117頁)。
然るに、
(55)
目的語である疑問詞(What)が、
ちゃんと動詞(doing)の直後に在る。
とすれば、
② are you doing What here=
② are[you doing〔What(here)〕]⇒
③ [you 〔(here)What〕doing]are=
② [あなたは〔(ここで)何を〕して]ゐる。
に於ける、「括弧(シンタックス)」は、
② [ 〔 ( ) 〕 ]
② [ 〔 ( ) 〕 ]
である。
従って、
(55)により、
(56)
② are you doing What here ?
② あなたはここで何をしてゐる。
に於いて、「語順」は異なるが、「括弧(シンタックス)」は、等しい。
然るに、
(57)
② are you doing What here ?
に於いて、
目的語である疑問詞(What)が、「Wh移動」をすると、
③ What(are[you doing〔here)〕]⇒
③ ([you〔here)What〕doing]are =
③ ([あなたは〔ここで)何を〕して]ゐる。
然るに、
(07)により、
(58)
③ ( [ 〔 ) 〕 ]
③ ( [ 〔 ) 〕 ]
は「括弧」ではない。
従って、
(55)~(58)により、
(59)
③ What are you doing  here ?
③ あなたはここで何をしてゐる。
の場合は、「語順」と「シンタックス」の、両方が、等しくない。
従って、
(54)~(59)により、
(60)
③ Wha are you doing here ?
③ あなたはここで何をしてゐる。
のいふ「英語」と「日本語」は、「深層構造」に於いて、「シンタックス」が、等しい?
(61)
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本的構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、その通例であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が、疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前に置かれる。このように漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に「強調」したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、334・335頁)。「排他的命題」を主張する「目的」が、「強調」に繋がり、「強調」しようといふ「意識」が、「疑問詞」の「前置」をプロモートする。
従って、
(61)により、
(62)
③ are you doing What here ?
に於ける、
③ What
が、「強調」を「目的」として「前置」され、尚且つ、その「前置」が、「固定」された「結果」が、
② What are you doing here ?
であると、思はれる。
(63)
今の日本の中学・中学では英語・数学・国語を主要3教科と呼んでいますが、戦前、旧制の中学では英語・数学・国語・漢文が主要4教科でした。漢文は国語とは独立した教科だったんですね。読解はもとより、復文(書き下し文から原文を復元)や作文もやるし、これだけ高度な学習内容でしたから、白文の読解もなんのそのでした。しかし戦後、漢文は国語の一部である古典分野の、そのまた片隅に追いやられてしまいました。漢文の得意な教師は少なく、漢文に興味を持つ生徒も少なく、おまけに最近は大学入試科目から漢文が消えつつあるので、みんないやいやながら学んでいます。内容もたいしたことはなく、学者先生が返り点と送り仮名をつけた文章をえっちらおっちら読む程度です(Webサイト:漢文入門)。
(64)
受験の際に、暗誦した、
① 欲は人の無き能はざる所なりと雖も、然れども多くして節せざれば未だ其の本心を失はざる者有らざるなり。
といふ「日本語」を思い出して、①を、
② 欲雖人之所不能無、然多而不節未有不失其本心者也。
といふ「漢文」に「復文」して、③のやうに、「括弧」で括ったとする。
③ 欲雖[人之所[不〔能(無)〕]、然多而不(節)未{有[不〔失(其本心)〕者]}也。
然るに、
(65)
③ 欲雖[人之所[不〔能(無)〕]、然多而不(節)未{有[不〔失(其本心)〕者]}也 ⇒
③ 欲は{人の[〔(無き)能は〕不る]所なりと雖へども、然れども多くし而(節せ)不れば未だ{[〔(其の本心を)失は〕不る者]有ら}ざるなり。
に対応する「返り点」は、
③ 二 一レ レ レ、レ レ 下 レ 二 一 上
である。
(66)
① 若し日本の中学生に必ず能く漢文を読まんと欲する者有らば則ち宜しく括弧を以て其の管到を学ぶ可し。
といふ「日本語」を思ひ浮かべて、①を、
② 若日本之中学生有必欲能読漢文者則宜以括弧学其管到。
といふ「漢文」に「復文」して、③のやうに、「括弧」で括ったとする。
③ 若日本之中学生有[必欲〔能読(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕。
然るに、
(67)
③ 若日本之中学生有[必欲〔能読(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕⇒
③ 若し日本の中学生に[必ず〔能く(漢文を)読まんと〕欲する者]有らば則ち宜しく〔(括弧を)以て(其の管到を)学〕可し。
に対応する「返り点」は、
③ 下 三 二 一 上 下 二 一 中 上
である。
然るに、
(68)
日本人が漢文を書く場合、漢文直訳体の日本語である漢文訓読は、有力な道具となり得る。まず頭のなかで漢文訓読体の日本語を思ひ浮かべ、それを漢文の語序にしたがって書く。次に、そうして書きあがった漢文を自分で訓読し、定型的な「句法」で訓読できない箇所はないか、返り点に無理はないか、などをチェックする。実際に漢詩・漢文を自分で書いてみればわかることだが、日本人が音読直読だけで純正漢文を書くことは、なかなかに難しい(そもそも漢文の音読直読ができる現代中国人でも、純正漢文が書ける者は少ない)。― 中略、― しかし専門家ではない一般知識人がそのレベルに達するには、大変な修練を必要とする。一方、漢文訓読を介して漢詩文を書くというメソッドならば、一般人でも修得が可能である(勉誠出版、「訓読」論、2008年、265・6頁)。
従って、
(63)~(68)により、
(69)
出来るだけ多くの「訓読」を暗誦して、その「暗誦」した「訓読」を、「復文」出来るやうにしてゐれば、その内に、平成の日本人であっても、江戸時代の日本人(一般の知識人)のやうに、「漢文」が書けるやうに、なるはずである。
然るに、
(70)
(青木)二百年前、正徳の昔に於て荻生徂徠は夙に道破した。漢学の授業法はまず支那語から取りかからねばならぬ。教うるに俗語を以てし、誦するに支那音を以てし、訳するに日本の俗語を以てし、決して和訓廻環の読み方をしてはならぬ。先ず零細な二字三字の短句から始めて、後には纏った書物を読ませる、斯くて支那語が熟達して支那人と同様になつてから、而る後段々と経子史集四部の書を読ませると云う風にすれば破竹の如しだ、是が最良の策だ(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
(倉石)徂徠は、単に唐音を操るといふ様なことに満足せず、漢文を学ぶには先ず支那語からとりかり、支那の俗語をば支那語で暗誦させ、これを日本語の俗語に訳し、決して和訓の顚倒読みをしてはならない、始めは零細な二字三字の句から始めて、遂に纏った書物を読ます、支那語が支那人ほど熟達してから、古い書物を読ませば、破竹の勢いで進歩すると説いた(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
(71)
予嘗為(蒙生)定(学問之方法)、先為(崎陽之学)、教以(俗語)、誦以(華音)、訳以(此方俚語)、絶不〔作(和訓廻環之読)〕、始以(零細者)、二字三字為(句)、後使[読〔成(書)者〕]}、崎陽之学既成、乃始得〔為(中華人)〕、而後稍稍読(経子史集四部書)、勢如(破竹)、是最上乗也 ⇒
予嘗(蒙生)為(学問之方法)定、先(崎陽之学)為、教(俗語)以、誦(華音)以、訳(此方俚語)以、絶〔(和訓廻環之読〕作〕不、始(零細者)以、二字三字(句)為、後[〔(書)成者〕読]使、崎陽之学既成、乃始〔(中華人)為〕得、而後稍稍(経子史集四部書)読、勢(破竹)如、是最上乗也 =
予嘗て(蒙生の)為に(学問の方法を)定め、先ず(崎陽の学を)為し、教ふるに(俗語を)以てし、誦ずるに(華音を)以てし、訳するに(此の方の俚語を)以てし、絶へて〔(和訓廻環の読みを〕作さ〕ず、始めは(零細なる者を)以て、二字三字(句と)為し、後に[〔(書を)成す者を〕読ま]使めば、崎陽の学既に成り、乃ち始めて〔(中華の人)為る〕得、而る後に稍稍(経子史集四部書を)読まば、勢ひ(破竹の)如く、是れ最上の乗なり。
と読むのかどうかは、別にして、荻生徂徠自身は、この方法で、漢文を書くやうになったわけではない。はずである。
(72)
江戸に生まれる。幼くして学問に優れ、林春斎・林鳳岡に学んだ。しかし延宝7年(1679年)、当時館林藩主だった徳川綱吉の怒りにふれた父が江戸から放逐され、それによる蟄居にともない、14歳にして家族で母の故郷である上総国長柄郡本納村(現・茂原市)に移った[1]。 ここで主要な漢籍・和書・仏典を13年あまり独学し、のちの学問の基礎をつくったとされる(ウィキペディア)。
といふのであれば、荻生徂徠自身は、「漢文を学ぶ際に先ず支那語からとりかかってはゐない」。
加へて、
(73)
『漢語文法論(古代編)、1967年』、『漢語文法論(中古編)、1971年』の著者である、牛島徳次郎氏は、『中国古典の学び方、1977年、59・60頁』の中で、「学而優則仕(学びて優なれば則使ふ)」といふ、「返り点」さへ付かない、「これ以上簡単なそれが無いくらひに簡単の漢文(論語)」を、「中国語の知識」では、読めなかった。といふ風に、書かれてゐる。
cf.
学部の2年生でこの学習会に参加していた者たち二三人が、あるとき連れ立ってわたしの所に来、「学而優則仕」と書いた紙切れを示して、これはどういう意味ですかと、たずねた。どうしたのか、と聞くと、数日前の”記録新聞”に出て来て、そのときの「注釈」を聞きながら書くことは書いたが、意味がわからないので、という。そうか、これは『論語』の中の句で、「学んでゆとりがあったら官吏になる」ということだと説明した。それから1週間か十日ぐらいたったある夜、わたしは何か所かわからない箇所があった。あとで、みんなで読み合わせ、突き合わせて解読して行くうち、わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出して、いった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた”xue er you ze shi”ですよ!」これが私であり、あとで述べる「A先生」なのである。漢字で書かれた”学而優則仕”を見ると、一応”xue er you ze shi”と発音することはする。
従って、
(72)(73)により、
(74)
「支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない
区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)。
といふ「主張」が、必ずしも、正しいとは、思へない。
(75)
先に示した、
④ 只‐管要纏我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑤ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑥ 吃了不多酒。
⑦ 孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般。
を見る限り、「漢文」と「白話(中国語)」は、「英語」と「ラテン語」と同じくらひ、異なってゐるやうに思へるが、「ラテン語」を学ぶには、先ず、「英会話」を学ぶべきであると、考へる人は、ゐないはずである。
(76)
いづれにせよ、
アイヌ語や、ゲール語や、ピダハン語が、「消滅」してはならないのであれば、たとへ、「話し言葉」ではなくとも、明らかに、ユニークな「漢文訓読」は、「消滅」すべきではない。
(77)
漢字はことばではない、文字である。多くの文化人はそのことにふれずして、日本語論を語る。その結果、「訓読みは日本人の発明だ!」などという論調が蔓延してしまっているが、そ
んな日本と日本人の漢字礼讃傾向に、著者は真っ向から反論する書である(田中克彦、漢字が日本語をほろぼす、2011年、Amazonの書評?)。
(78)
このやうに、
During the past 160 years since Japan's chained doors were forced to open,
「漢字(漢文)」を亡ぼしたい人々が、常にゐる。
願はくは、彼等こそ、日本から、ゐなくならむ。
平成27年10月11日、毛利太。

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