(01)
(2)「未」は「いまダ~ズ」とよみ、「まだ~しない」の意で、「尚不」と同じである。
(中沢希男、 渋谷玲子、漢文訓読の基礎、90頁)
(02)
(7)比況と呼応するもの。
そのみさをあたかも(チョウド)天上の客の如し。(日本霊異記)
(代々木ゼミ方式 受験国文法、1980年、20頁)
(03)
【恰】① あたかも。ちょうど。
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、349頁)
(04)
【猶】②「なお~ごとし」とよみ「ちょうど~のようだ」と訳す。再読文字。
(改定新版、漢字源、1988年、973頁)
(05)
【蓋】[二]漢文で「なんぞ ・ ・ ・ ・ ・ ・ せざる」と返って読み、「どして ・ ・ ・ ・ ・ ・ しないのか」の意。蓋カフの音が何不カフに通ずるのでいう。(同)盍コウ(角川漢和中辞典、1959年、943頁)
従って、
(01)~(05)により、
(06)
「未」は「いまだ~ず」 と読み、「尚不」と同じである。
「尚」は「なほ~ごとし」と読み、「恰如」と同じである。
「盍」は「なんぞ~ざる」と読み、「何不」と同じである。
然るに、
(07)
「将」は「まさに~す」と読むものの、
「将」=「囗為」に当たる「囗」が、見つからない。
そのため、
(08)
以下では、仮に、
「将」=「且為」と、する。
従って、
(08)により、
(09)
吾将任彼而不用吾力焉=
吾且為[任(彼)而不〔用(吾力)〕]焉⇒
吾且[(彼)任而〔(吾力)用〕不]為焉=
吾且に[(彼に)任せて〔(吾が力を)用ゐ〕不らんと]す。
であるが、この場合、而は「接続詞」、焉 は、「置き字」である。
従って、
(09)により、
(10)
吾将任彼而不用吾力焉。
に付く「括弧」は、
[ ( )〔 ( ) 〕 ]
だけであって、他には無い。
然るに、
(11)
丁[二(一)丙〔乙(甲)〕]。
に於いて、
二(一)⇒(二)一
乙(甲)⇒(乙)甲
丙〔 〕⇒〔 〕丙
丁[ ]⇒[ ]丁
とするならば、
丁[二(一)丙〔乙(甲)〕]⇒
[(一)二〔(甲)乙〕丙]丁=
一 二 甲 乙 丙 丁。
従って、
(10)(11)により、
(12)
[ ( )〔 ( ) 〕 ]
といふ「括弧」は、
丁 二 一 丙 乙 甲
といふ「返り点」に、相当する。
然るに、
(13)
任(彼)⇒
(彼に)任す。
の場合は、「一字だけ」返ってゐる。
然るに、
(14)
大辞林 第三版の解説
れてん【レ点】
漢文訓読に用いる返り点の一。一字だけ返って読むという符号。「読レ書(書ヲ読ム)」「不レ明(明ラカナラズ)」の「レ」の類。かりがね点。
(10)~(14)により、
(15)
吾将任彼而不用吾力焉。
に付く「返り点」は、
丁 二 一 丙 乙 甲
ではなく、
四 レ 三 二 一
でなければ、ならない。
然るに、
(16)
従って、
(12)(15)(16)により、
(17)
吾将任彼而不用吾力焉。
に付く「括弧」は、
[ ( )〔 ( ) 〕 ]
だけであって、他には無いものの、
吾将任彼而不用吾力焉。
に付く「返り点」は、
四 レ 三 二 一
丁 二 一 丙 乙 甲
二 レ 一レ 二 一
下 レ 上レ 二 一
による、「四通り」が、有り得る。ことになる。
― 話は変はって、―
(18)
今の日本の中学・高校では英語・数学・国語を主要3教科と呼んでいますが、戦前、旧制の中学では英語・数学・国語・漢文が主要4教科でした。漢文は国語とは独立した教科だったんですね。読解はもとより、復文(書き下し文から原文を復元)や作文もやるし、これだけ高度な学習内容でしたから、白文の読解もなんのそのでした。しかし戦後、漢文は国語の一部である古典分野の、そのまた片隅に追いやられてしまいました。漢文の得意な教師は少なく、漢文に興味を持つ生徒も少なく、おまけに最近は大学入試科目から漢文が消えつつあるので、みんないやいやながら学んでいます。内容もたいしたことはなく、学者先生が返り点と送り仮名をつけた文章をえっちらおっちら読む程度です(Webサイト:漢文入門)。
(19)
本書は曩に世に公にした『国文解釋法』の姉妹編であつて、やはり諸官立學校の入學受驗準備を主要な目的として書いた本である。― 中略 ― あらゆる既知未知の問題 ― それもあまり高尚難澁でない問題に對して、白文に句讀訓點を施し、且つその文の大意が間違ひなく取れるだけの力がつけば、諸君の漢文受驗に對する豫備は十中八九は既に成つたものである。
(塚本哲三、漢文解釋法、1917年、緒言)
従って、
(18)(19)により、
(20)
大正の(国公立校の)受験生は、「白文」に対して、自分で「返り点」を付けるだけの実力が要求されてゐたのに対して、平成の高校の先生は、「学者先生が返り点と送り仮名をつけた文章を読む程度」の実力しか、期待されゐない。
cf.
純粋な白文というのは句点(。)も読点(.,)も全くなく,それこそ漢字が何十も何百も切れ目なく続いている漢文のことをいいます。白文が読めるようになるというのは,まず正確に句点や読点を打つことが出来るということです。この段階で,本当に漢文の出来る人と,そうではない人が分かります。その上で,正確に返り点や送り仮名をつけて訓読が出来るということです。一般の人であれば,句読点の全くない白文はまず無理であって,句読点のついた白文が読めるようになるだけでも大したものです(ohirune_daisukeさん 2010/1/2314:58:25)。
平成27年11月25日、毛利太。
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