2018年4月25日水曜日

「括弧」は「補足構造と語順」を、「返り点」は「語順」を表してゐる。

(01)

(02)
① 我非必求以解中文法解漢文者也。
② 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求むる者に非ざるなり。
に於いて、
① は「漢文」であって、
② は「訓読」である。
従って、
(02)により、
(03)
① 我  必    中文  漢文  法    者    也
② 我は 必ずしも 中文を 漢文を 法を   者に   也
といふ、
① 主語 修飾語  目的語 目的語 非修飾語 非修飾語 終助詞
等に関しては、
①「漢文の語順」と、
②「訓読の語順」は、「等しい」。
然るに、
(04)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
① 非{ }⇒{ }非
① 求[ ]⇒[ ]求
① 以〔 〕⇒〔 〕以
① 解( )⇒( )解
① 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
② 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(05)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中文と漢文、1975年、296頁)
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「漢文」に於ける、
①   {  [ 〔 (  ) 〕 (  )] }
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」を表してゐて、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「国語」に於ける、
②   {    [〔(   )     〕  (   )      ]     }
といふ「括弧」は、「国語の補足構造」を表してゐる。
従って、
(04)(06)により、
(07)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於ける、
①   {  [ 〔 (  ) 〕 (  )] }
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」を表してゐると「同時」に、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(08)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
① 我 は、「主語」であって、
①    必 は、「連用修飾語」であって、
①                     中 は、「連体修飾語」であって、
①                  漢 は、「連体修飾語」である。
然るに、
(09)
「主語」 の「有無」は、「補足構造」と、「関係」が無く、
「修飾語」の「有無」は、「補足構造」と、「関係」が無い。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
③  非{ 求[以〔解( 文)法〕解( 文)]者}也。
に於いて、
① の「補足構造」と、
③ の「補足構造」は、「等しい」。
然るに、
(11)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
③  非{ 求[以〔解( 文)法〕解( 文)]者}也。
に於いて、
① の「返り点」は、「地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天」であって、
③ の「返り点」は、「乙 下 二 レ   一 上レ  甲」である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
③  非{ 求[以〔解( 文)法〕解( 文)]者}也。
に於ける、
①   {  [ 〔 (  ) 〕 (  )] }
②   {  [ 〔 (  ) 〕 (  )] }
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」と「訓読の語順」を表してゐるものの、
① 我非 必求 中文 漢文 也。
③  非 文法上レ 文者 也。
に於ける、
① 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
③ 乙 下 二 レ   一 上レ  甲
といふ「返り点」は、「訓読の語順」を、表してゐる。
然るに、
(13)
「レ点」が無ければ、
③ 乙 下 二 レ   一 上レ  甲
といふ「返り点」は、
① 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」といふ風に、せざるを得ない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 我非 必求 中文 漢文 也。
③  非 也。
に於ける、
① 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
③ 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」と「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(15)
① 地{丙[下〔二(一)上〕乙(甲)]天}
に於いて、
① 地{ }⇒{ }地
① 丙[ ]⇒[ ]丙
① 下〔 〕⇒〔 〕下
① 二( )⇒( )二
① 乙( )⇒( )甲
といふ「移動」を行ふと、
① 地{丙[下〔二(一)上〕乙(甲)]天}⇒
① {[〔(一)二上〕下(甲)乙]丙天}地=
① 一 二 上 下 甲 乙 丙 天 地。
従って、
(15)により、
(16)
このことからも、
①  { [ 〔 ( ) 〕 ( )] }
といふ「括弧」は、
① 地 丙 下 二 一 上 乙 甲  天
といふ「返り点」と、「同じ語順」を、表してゐる。
平成30年04月26日、毛利太。

2018年4月13日金曜日

述語論理と漢文の「訓読(邪道?)」。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
(a)
1  (1) ∀x(人x→  死x)  仮定
 2 (2) ∃x(人x& ~死x)  仮定
  3(3)    人a& ~死a   仮定
  3(4) ~~(人a& ~死a)  3二重否定
  3(5) ~(~人a∨~~死a)  4ド・モルガンの法則
  3(6) ~(~人a∨  死a)  5二重否定
  3(7) ~( 人a→  死a)  6含意の定義
1  (8)    人a→  死a   1U除去
1 3(9) ~( 人a→  死a)&
        ( 人a→  死a)  78&導入
  3(ア)~∀x(人x→  死x)  19背理法
 2 (イ)~∀x(人x→  死x)  23アE除去
12 (ウ) ∀x(人x→  死x)&
      ~∀x(人x→  死x)  1イ&導入
1  (エ)~∃x(人x& ~死x)  2ウ背理法
(b)
1  (1) ~∃x(人x& ~死x)  仮定
 2 (2) ~∀x(人x→  死x)  仮定
 2 (3)  ~( 人a→  死a)  2U除去
 2 (4)  ~(~人a∨  死a)  3含意の定義
 2 (5)   ~~人a &~死a   4ド・モルガンの定義
 2 (6)     人a &~死a   5二重否定
 2 (7)  ∃x(人x& ~死x)  6E導入
12 (8) ~∃x(人x& ~死x)&
        ∃x(人x& ~死x)  17&導入
1  (9)~~∀x(人x→  死x)  28背理法
1  (ア)  ∀x(人x→  死x)  9二重否定
然るに、
(02)
 ∀ = 全
 ∃ = 有
 ~ = 不
 → = 則
 & = 而
 ∨ = 与
従って、
(01)(02)により、
(03)
1  (1) 全x(人x則  死x)  仮定
 2 (2) 有x(人x而 不死x)  仮定
  3(3)    人a而 不死a   仮定
  3(4) 不不(人a而 不死a)  3二重否定
  3(5) 不(不人a与不不死a)  4ド・モルガンの法則
  3(6) 不(不人a与  死a)  5二重否定
  3(7) 不( 人a則  死a)  6含意の定義
1  (8)    人a則  死a   1U除去
1 3(9) 不( 人a則  死a)而
        ( 人a則  死a)  78而導入
  3(ア)不全x(人x則  死x)  19背理法
 2 (イ)不全x(人x則  死x)  23アE除去
12 (ウ) 全x(人x則  死x)而
      不全x(人x則  死x)  1イ而導入
1  (エ)不有x(人x而 不死x)  2ウ背理法
(b)
1  (1) 不有x(人x而 不死x)  仮定
 2 (2) 不全x(人x則  死x)  仮定
 2 (3)  不( 人a則  死a)  2U除去
 2 (4)  不(不人a与  死a)  3含意の定義
 2 (5)   不不人a 而不死a   4ド・モルガンの定義
 2 (6)     人a 而不死a   5二重否定
 2 (7)  有x(人x而 不死x)  6E導入
12 (8) 不有x(人x而 不死x)而
        有x(人x而 不死x)  17而導入
1  (9)不不全x(人x則  死x)  28背理法
1  (ア)  全x(人x則  死x)  9二重否定
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
①   ∀x(人x→ 死x)=全てのxについて、xが人ならば、そのxは死ぬ。
② ~∃x(人x&~死x)=xは人であって、そのxは死なない。といふ、そのやうなxは存在しない。
③   全x(人x則 死x)=全てのxについて、xが人ならば、そのxは死ぬ。
④ 不有x(人x而不死x)=xは人であって、そのxは死なない。といふ、そのやうなxは有らず。
に於いて、
①=②=③=④ である。
cf.
Mors omnibus communis(死は全ての人に共通です)⇔ 死なない人間はゐない。
従って、
(04)により、
(05)
② ~∃x(人x&~死x)。
④ 不有x(人x而不死x)。
に於いて、
②=④ である。
然るに、
(06)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’という空所にいれて書くことにしよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(05)(06)により、
(07)
② ~(∃x(人x&~(死x)))。
④ 不(有x(人x而不(死x)))。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(08)
② ~[∃x〔人x&~(死x)〕]。
④ 不[有x〔人x而不(死x)〕]。
に於いて、
②=④ である。
然るに、
(09)
④ 不[有x〔人x而不(死x)〕]。
に於いて、
④    x  x    x
は、「置き字」であるとする。
cf.
置き字とは、書き下し文を作るときに、書いてあるけど読まない文字があります。この文字のことを置き字と言います(マナペディア)。
従って、
(09)により、
(10)
② ~[∃x〔人x&~(死x)〕]=
④ 不[有 〔人 而不(死 )〕]。
に於いて、
④ 不[ ]⇒[ ]不
④ 有〔 〕⇒〔 〕有
④ 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
② ~[∃x〔人x&~(死x)〕]=
④ 不[有 〔人 而不(死 )〕]⇒
④ [〔人 而(死 )不〕有 ]不=
④ [〔人にして(死せ)不るは〕有ら]不=
④ 死なない人間(不死身の人間)は、存在しない。
といふ、「漢文訓読」が成立する。
然るに、
(11)
そこで述語論理学では「人間」と「動物」の「包含関係」を表わすのに、
 動物(人間)
と表示する。そしてこれを記号化して
 F(x) または( )を省略して Fx
というように書く。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、116頁改)
従って、
(11)により、
(12)
人x = 人(x) = xは人である。
死x = 死(x) = xは死ぬ。
従って、
(08)(12)により、
(13)
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}。
④ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}。
に於いて、
②=④ である。
然るに、
(14)
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=
④ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}。
に於いて、
④ 不[ ]⇒[ ]不
④ 有〔 〕⇒〔 〕有
④ 人( )⇒( )人
④ 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
② ~{∃x〔人(x)&~〔死(x)〕]}=
④ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}⇒
④ {[(x)人而〔(x)死〕不]有x}不=
④ {[(xは)人であって〔(xは)死な〕ない]といふ、そのようなxは有ら}不=
④ 死なない人間(不死身な人間)は、存在しない。
従って、
(10)(14)により、
(15)
② ~[∃x〔人 x &~(死 x )〕]=
④ 不[有 〔人   而不(死   )〕]⇒[〔人にして(死せ)不るは〕有ら]ず。
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=
④ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}⇒{[(xは)人であって〔(xは)死な〕ない]といふ、そのようなxは有ら}ず。
従って、
(15)により、
(16)
④ 不[有 〔人   而不(死   )〕]=人にして、死せざるは有らず。
といふ「漢文」と、
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
といふ「述語論理」の「違ひ」は、「xの有無」に、過ぎない。
然るに、
(17)

従って、
(17)により、
(18)
④ 不 人而不一レ 死=人にして、死せざるは有らず。
② ~x 人 x & ~一レ x=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
に於ける、
④ レ 二 一レ
② レ 二- レ 一レ レ
といふ「返り点」は、
④ 不[有 〔人   而不(死   )〕]=人にして、死せざるは有らず。
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
に於ける「括弧」に、「相当」する。
従って、
(15)(18)により、
(19)
④ 不 人而不一レ 死=人にして、死せざるは有らず。
といふ「漢文」と、
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
といふ「述語論理」の「違ひ」は、「xの有無」に、過ぎない。
然るに、
(20)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
然るに、
(21)
まず「学習の前に」では、漢文を読むための基礎知識が紹介されている。はじめに漢文は自然言語を土台にして作り上げられた人口的書記言語であることを確認する。話すのではなく、読んで書くために作られたのである(黒田龍之介、寝るまえ5分の外国語、2016年、194・195頁)。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
西洋文化研究者曰く、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。
とは言ふものの、
② ~x 人 x & ~一レ x=
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
といふ「人工言語」に対する「訓読」が、「正当」である以上、その一方で、
④ 不 人而不一レ 死=
④ 不[有〔人而不(死)〕]=人にして、死せざるは有らず。
といふ「人工言語」に対する「訓読」が、「邪道」である。
といふことには、ならない。
従って、
(22)により、
(23)
支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)が故に、日本人もアメリカ人を見習ふべきである。
といふことには、ならない。
平成30年04月13日、毛利太。

2018年4月4日水曜日

「お前が言うな。」の「が」について(Ⅱ)。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(c)「前言(3月14日)」を翻し、『「は」と「が」』に関する「記事」も、この「ブログ」に書くことにします。

(01)
(a)
1  (1)  A→ B 仮定
 2 (2)    ~B 仮定
  3(3)  A    仮定
1 3(4)     B 13前件肯定
123(5)  B&~B 42&導入
12 (6) ~A    35背理法
1  (7) ~B→~A 26条件法
(b)
1  (1) ~B→~A 仮定
 2 (2)     A 仮定
  3(3) ~B    仮定
1 3(4)    ~A 13前件肯定
123(5)  A&~A 24&導入
12 (6)~~B    35背理法
12 (7)  B    6二重否定
1  (8)  A→B  27条件法
従って、
(01)により、
(02)
(a)
1  (1)AならばBである。    仮定
 2 (2)    Bでない。    仮定
  3(3)Aである。        仮定
1 3(4)    Bである。    13前件肯定
123(5)BでありBでない。    42&導入
12 (6)Aでない。        35背理法
1  (7)BでないならばAでない。 26条件法
(b)
1  (1)BでないならばAでない。 仮定
 2 (2)       Aである。 仮定
  3(3)Bでない。        仮定
1 3(4)       Aでない。 13前件肯定
123(5)AでありAでない。    24&導入
12 (6)Bでない。でない。    35背理法
12 (7)Bである。        6二重否定
1  (8)AならばBである。    27条件法
従って、
(02)により、
(03)
(a)
1  (1)大野ならば私である。    仮定
 2 (2)     私でない。    仮定
  3(3)大野である。        仮定
1 3(4)     私である。    13前件肯定
123(5)私であり私でない。     42&導入
12 (6)大野でない。        35背理法
1  (7)私でないならば大野でない。 26条件法
(b)
1  (1)私でないならば大野でない。 仮定
 2 (2)       大野である。 仮定
  3(3)私でない。         仮定
1 3(4)       大野でない。 13前件肯定
123(5)大野であり大野でない。   24&導入
12 (6)私でない。でない。     35背理法
12 (7)私である。         6二重否定
1  (8)大野ならば私である。    27条件法
(04)
(a)
1   (1) ∃x(大野x→ 私x) 仮定
 2  (2)    大野a→ 私a  仮定
  3 (3)        ~私a  仮定
   4(4)    大野a      仮定
 2 4(5)         私a  24前件肯定
 234(6)    私a& ~私a  53&導入
 23 (7)   ~大野       46背理法
 2  (8)   ~私a→~大野a  37条件法
 2  (9)∃x(~私x→~大野x) 8E導入
1   (ア)∃x(~私x→~大野x) 129E除去
(b)
1   (1)∃x(~私x→~大野x) 仮定
 2  (2)   ~私a→~大野a  仮定
  3 (3)        大野a  仮定
   4(4)   ~私a       仮定
 2 4(5)       ~大野a  24前件肯定
 234(6)   大野a&~大野a  35&導入       
 23 (7) ~~私a        46背理法
 23 (8)   私a        7二重否定
 2  (9)   大野a→ 私a   38条件法
 2  (ア)∃x(大野x→ 私x)  9E導入
1   (イ)∃x(大野x→ 私x)  12アE除去
従って、
(01)~(04)により、
(05)
③ 大野ならば私である。
④ 私でないならば大野でない。
に於いて、
③と④は「対偶」であるため、必ず、
③=④ である。
然るに、
(06)
③ 大野ならば私である。
④ 私でないならば大野でない。
といふことは、
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(05)(06)により、
(07)
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、
③=④ である。
といふことを、「論理学(対偶)」が示すところの、「事実」である。
従って、
(08)
③ 大野は私です。
③ 日本の首都は東京である。
④ 私以外は大野ではない。
④ 東京以外は日本の首都ではない。
といふ「日本語」に於いて、
③=④ である。
といふことは、「学説」ではなく、「事実」である。
然るに、
(09)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(09)により、
(10)
②  私(未知)が大野(既知)です。
③ 大野(既知)は 私(未知)です。
といふことは、無いにしても、
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(08)(10)により、
(11)
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、
②=③=④ である。
然るに、
(12)
【名字】大野
【読み】おおの,おの,おおや,おうの
【全国順位】 71位
【全国人数】 およそ222,000人
従って、
(12)により、
(13)
全国には、約22万人の「大野さん」がゐる。
従って、
(11)(13)により、
(14)
④ 私以外は大野ではない。
といふのは、飽くまでも、
④(今、ここにゐる人間に関しては)私以外は大野ではない。
といふ、「意味」である。
従って、
(11)(14)により、
(12)
②(今、ここにゐる人間に関しては)私が大野です。
③(今、ここにゐる人間に関しては)大野は私です。
④(今、ここにゐる人間に関しては)私以外は大野ではない。
に於いて、
②=③=④ である。
といふ、ことになる。
然るに、
(13)
③(今、ここにゐる人間に関しては)大野は私だけです。
といふ「それ」は、「本当」の時もあれば、「ウソ」の時もある。
従って、
(13)により、
(14)
① 私は大野です。
といふことが、「本当」であったとしても、
③(今、ここにゐる人間に関しては)大野は私だけです。
といふ「それ」は、「本当」の時もあれば、「ウソ」の時もある。
従って、
(14)により、
(15)
① 私は大野です。
③ 大野は私です。
に於いて、必ずしも、
①=③ であるとは。限らない。
従って、
(11)(15)により、
(16)
① 私は大野です。
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、必ずしも、
①=③ ではないが、必ず、
②=③=④ である。
従って、
(17)
「順番」を変へると、
① 私は大野です。
② 大野は私です。
③ 私が大野です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。
然るに、
(18)
 マリリンモンローがディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
然るに、
(19)
大野 智(おおの さとし[1]、1980年11月26日[1] - )は、日本の歌手、俳優、タレント、アイドルであり、男性アイドルグループ・嵐 のリーダーである[1]。愛称は「大ちゃん」「リーダー」[4]など。

(ウィキペディア)
従って、
(18)(19)により、
(19)
「ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法」ではないにせよ、いづれにしても、
⑤ 大野智( )結婚!
が、「週刊誌の見出し」であるならば、
⑤ 大野智( )結婚!
に於ける、
⑤    ( )の中には、
⑤    「が」が、入り、
⑤    「は」は、入らない。
然るに、
(20)
⑤ 誰も知らない、何処かに住んでゐる大野さんが結婚する。
からといって、そのことが、「週刊誌の見出し」になることなど、決して無い。
従って、
(19)(20)により、
(21)
⑤ 大野智が結婚!
といふ「週刊誌の見出し」は、
⑤(他ならぬ、あの)大野智が結婚!
といふ、「意味」になる。
従って、
(16)(21)により、
(22)
① 私が大野です。
② 大野智が結婚!
の場合は、それぞれ、
① 私は大野であって(私以外は大野ではない)。
②(他ならぬ)大野智が結婚!
といふ、「意味」になる。
従って、
(22)により、
(23)
① AがBである。
② AがBである。
といふ「日本語」には、少なくとも、
① AはBであって(A以外はBでない)。
②(他ならぬ)AがBである。
といふ「二通り」が、有ることになる。
cf.
「終止形としての排他的命題」=      AはBであって(A以外はBでない)。
「連体形としての排他的命題」=(他ならぬ)AがBである=(A以外ではない所の)AがBである。
然るに、
(24)
然るに、
(25)
Aは「一度も窃盗をしたことが無く、刑務所とは無縁である」。
Bも「一度も窃盗をしたことが無く、刑務所とは無縁である」。
Cも「一度も窃盗をしたことが無く、刑務所とは無縁である」。
Dは「窃盗の罪で、何度も刑務所に入ってゐて、それでも尚、盗みを止める気が無い」。
とする。
然るに、
(26)
お前が言うなとは、主に自分を棚上げした言動・表現に対して使われる言葉である。「おまえがいうな」「おまえが言うな」などの表記ゆれも見られるが、ここでは「お前が言うな」として取り扱う。
この表現は、ある事柄(社会問題など)に対し、その是非を指摘するには不自然な立場の人物が言及した際の批判やツッコミとして用いられることが多い。
突っ込まれる側は、自らを反省、過去を顧みることをせず、その場の思い付きで発言するケースが多くみられる。いくら言論の自由があっても、自分で自分を突っ込むような発言は無責任という印象を強くして自ら貶める結果を生む。
(お前が言うなとは (オマエガイウナとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)
従って、
(25)(26)により、
(27)
D曰く「万引きは絶対にしてはならない。」
に対して。
C曰く「お前が言ふな!」
と言ふのであれば、
C曰く「(AやBならばともかく窃盗の常習犯であるDよ、)お前が言うな!」
といふ「意味」になる。
然るに、
(28)
C曰く「(AやBならばともかく窃盗の常習犯であるDよ、)お前が言うな!」
といふことは、
C曰く「(AやBならばともかく、他ならぬCよ、)お前が言うな!」
といふ、ことである。
従って、
(28)により、
(29)
「お前が言ふな!」といふ「日本語」は、
「(他ならぬ)お前が言ふな!」といふ、「意味」である。
平成30年04月04日、毛利太。