―「返り点」と「括弧」については、併せて、『「一二点・上下点」について(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html)』他を、お読み下さい。―
(01)
に於いて、
(Ⅰ)「青」で書かれてゐる漢字には、「返り点」が付かない。
(Ⅱ)「矣」は、「置き字(語気詞)」であるため、「読まない」。
(Ⅲ)「未」は、「いまだ(副詞)+不」からなる「再読文字」である。
(Ⅳ)⑫ の「取‐捨」には、「ハイフン(接続線)」が、付いてゐる。
従って、
(01)により、
(02)
① レ レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 レ 一レ
④ レ 下 二 一 上
⑤ レ 三 二 一
⑥ レ 二 レ レ 一
⑦ 下 レ レ 二 一 上
⑧ レ レ 二 一レ 二 一レ
⑨ レ レ 二 一レ レ
⑩ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
⑪ レ 二‐ 一
⑫ レ ‐
といふ「レ点を含む、返り点」は、
① 四 三 二 一
② 三 二 一
③ 丁 丙 二 一 乙 甲
④ 下 中 二 一 上
⑤ 四 三 二 一
⑥ 下 三 二 一 上
⑦ 下 四 三 二 一 上
⑧ 三 二 一、五 四 三 二 一
⑨ 六 五 四 三 二 一
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑪ 三 二 一
⑫ 三 二 一
といふ「レ点を含まない、返り点」に、「置き換へ」ることが、出来る。
然るに、
(03)
大学生に返り点を打たせると、レ点の原則違反から生じる誤りが大半をしめます。
(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、60頁)
従って、
(03)により、
(04)
「返り点は、レ点が有るからこそ難しい。」といふ、ことになる。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① 不可不告。
② 我聞鳥啼樹。
③ 鳥獣不可与之同群。
④ 不足為外人道也。
⑤ 耕者不可以不益急矣。
⑥ 無友不如己者。
⑦ 当世士大夫無不知有劉老人者。
⑧ 聖人所不知未必不為愚人所知也。
⑨ 曽子之母非不知子不殺人也。
⑩ 使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
⑪ 欲取之。
⑫ 欲取捨之。
といふ「漢文」に対して、
① 四 三 二 一
② 三 二 一
③ 丁 丙 二 一 乙 甲
④ 下 中 二 一 上
⑤ 四 三 二 一
⑥ 下 三 二 一 上
⑦ 下 四 三 二 一 上
⑧ 三 二 一、五 四 三 二 一
⑨ 六 五 四 三 二 一
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑪ 三 二 一
⑫ 三 二 一
といふ、「レ点を含まない、返り点」を、付けられないのであれば、固より、
① レ レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 レ 一レ
④ レ 下 二 一 上
⑤ レ 三 二 一
⑥ レ 二 レ レ 一
⑦ 下 レ レ 二 一 上
⑧ レ レ 二 一レ 二 一レ
⑨ レ レ 二 一レ レ
⑩ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
⑪ レ レ
⑫ レ 二‐ 一
といふ、「レ点を含む、返り点」を、付けることは、出来ない。
従って、
(05)により、
(06)
① 四 三 二 一
② 三 二 一
③ 丁 丙 二 一 乙 甲
④ 下 中 二 一 上
⑤ 四 三 二 一
⑥ 下 三 二 一 上
⑦ 下 四 三 二 一 上
⑧ 三 二 一、五 四 三 二 一
⑨ 六 五 四 三 二 一
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑪ 三 二 一
⑫ 二 一
といふ「レ点を含まない、返り点」を、「確実に、付けられる」やうになった「時点」で、それらの「返り点」を、(01)の「画像」を参考にして、
① レ レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 レ 一レ
④ レ 下 二 一 上
⑤ レ 三 二 一
⑥ レ 二 レ レ 一
⑦ 下 レ レ 二 一 上
⑧ レ レ 二 一レ 二 一レ
⑨ レ レ 二 一レ レ
⑩ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
⑪ レ レ
⑫ 三 二 一
といふ「レ点を含む、返り点」に、「書き換へらる」やうに、すべきである。
(07)
① 不可不告。
の「訓読」は、
① 告げ不る可から不=告げざるべからず。
である。
従って、
(07)により、
(08)
① 不可不告。
に於いて、
① 告から、
① 不へ、返り、
① 不から、
① 可へ、返り、
① 可から、
① 不へ、返ってゐる。
従って、
(08)により、
(09)
① 不可不告 に付く「一二点」を、
① 不可不告。 の下に書くと、
① 四三二一 といふことになる。
然るに、
(10)
〔説明〕一字から一字へ返る時はレ点をつける。返り点は、字の左下につける。
(志村和久、漢文早わかり、1982年、11頁)
従って、
(01)(09)(10)により、
(11)
「学校で習ふ、返り点」として、志村先生の説に従ふと、
① 不可不告。
① レ レ レ
といふことになる。
然るに、
(12)
〔注意〕レ点は下の字に属して左肩につけ、その他の一二点などは字の左下につける。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、41頁)
従って、
(01)(09)(12)により、
(13)
「学校で習ふ、返り点」として、原田先生の説に従ふと、
① レ レ レ
① 不可不告。 といふことになる。
(14)
② 我聞鳥啼樹。
の「訓読」は、
② 我、鳥の樹に啼くを聞く。
である。
従って、
(14)により、
(15)
② 我聞鳥啼樹。
に於いて、
② 我 鳥 樹=我 鳥の 樹に
と読んだ上で、
② 樹から、
② 啼へ、返り、
② 啼から、
② 聞へ、返ってゐる。
従って、
(15)により、
(16)
② 聞 鳴樹 に付く「返り点」を、
② 我聞鳥啼樹。 の下に書くと、
② 三 二一 といふことになる。
(17)
③ 鳥獣不可与之同群。
の「訓読」は、
③ 鳥獣は之と与に群を同じくす可から不=鳥獣はこれとともに群を同じくすべからず。
である、
従って、
(17)により、
(18)
③ 鳥獣吾不可与之同群。
に於いて、
③ 鳥獣吾=鳥獣は、吾之と
と読んだ上で、
③ 之から、
③ 与へ、返り、
③ 群から、
③ 同へ、返り、
③ 同から、
③ 可へ、返り、
③ 可から、
③ 不へ、返ってゐる。
従って、
(18)により、
(19)
③ 不可与之同群 に付く「返り点」を、
③ 鳥獣吾不可与之同群。 の下に書くと、一応、
③ 六五二一四三 といふことになる。
然るに、
(20)
「返り点」とは、「縦書き」であれば、飽く迄も、「下から上へ、返る点」であるため、
「返り点」とは、「横書き」であれば、飽く迄も、「右から左へ、返る点」である。
従って、
(20)により、
(21)
③ 六五二一四三 に於ける、
③ 二 → 三
といふ「それ」は、「返り点」では、有り得ない。
然るに、
(22)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
従って、
(21)(22)により、
(23)
③ 六五二一四三 ではなく、
③ 囗下二一中上 でなければ、ならない。
然るに、
(24)
③ 上中下点=上、中、下。
であって、
③ 上中下点=上、中、下、囗
ではないため、
③ 囗下二一中上 でなければ、ならないとしても、
③ 囗 に相当する「上下点」は無い。
従って、
(22)(23)(24)により、
(25)
③「一二点」を挟んで、「三つ以上、返る」場合は、「上下点」ではなく、「甲乙点」を用ゐることになる。
従って、
(19)~(25)により、
(26)
③ 不可与之同群 に付く「返り点」を、
③ 鳥獣吾不可与之同群。 の下に書くと、
③ 丁丙二一乙甲 といふことになる。
(27)
④ 不足為外人道也。
の「訓読」は、
④ 外人の為に道ふに足ら不る也=外人のためにいふに足らざるなり。
である。
従って、
(27)により、
(28)
④ 不足為外人道也。
に於いて、
④ 外人の
と読んだ上で、
④ 人から、
④ 為へ、返り、
④ 道から、
④ 足へ、返り、
④ 足から、
④ 不へ、返ってゐる。
従って、
(22)(28)により、
(29)
④ 不足為 人道 に付く「返り点」を、
④ 不足為外人道也。 の下に書くと、
④ 下中二 一上 といふことになる。
(30)
⑤ 耕者不可以不益急矣。
の「訓読」は、
⑤ 耕す者、以て益々急なら不る可から不=耕す者、以て益々急ならざるべからず。
である。
従って、
(30)により、
(31)
⑤ 耕者不可以不益急矣。
に於いて、
⑤ 耕者 以 益急=耕す者、以て益々急なら
と読んだ上で、
⑤ 急から、
⑤ 不へ、返り、
⑤ 不から、
⑤ 可へ、返り、
⑤ 可から、
⑤ 不へ、返ってゐる。
従って、
(31)により、
(32)
⑤ 不可 不 急 に付く「返り点」を、
⑤ 耕者不可以不益急矣。 の下に書くと、
⑤ 四三 二 一 といふことになる。
(33)
⑥ 無友不如己者。
の「訓読」は、
⑥ 己に如か不る者を友とする無かれ=おのれにしかざる者を友とする無かれ。
である。
従って、
(33)により、
(34)
⑥ 無友不如己者。
に於いて、
⑥ 己に
と読んだ上で、
⑥ 己から、
⑥ 如へ、返り、
⑥ 如から、
⑥ 不へ、返り、
⑥ 者から、
⑥ 友へ、返り、
⑥ 無へ、返ってゐる。
従って、
(22)(34)により、
(35)
⑥ 無友不如己者 に付く「返り点」を、
⑥ 無友不如己者。 の下に書くと、
⑥ 下中三二一上 といふことになる。
(36)
⑦ 当世士大夫無不知有劉老人者。
の「訓読」は、
⑦ 当世の士大夫、劉老人有るを知ら不る者無し=とうせいのしたいふ、劉老人有るを知らざる者無し。
従って、
(36)により、
(37)
⑦ 当世士大夫無不知有劉老人者。
に於いて、
⑦ 当世士大夫 劉老人=当世の士大夫、劉老人
と読んだ上で、
⑦ 人から、
⑦ 有へ、返り、
⑦ 有から、
⑦ 知へ、返り、
⑦ 知から、
⑦ 不へ返り、
⑦ 者から、
⑦ 無へ、返ってゐる。
従って、
(22)(37)により、
(38)
⑦ 無不知有 人者 に付く「返り点」を、
⑦ 当世士大夫無不知有劉老人者。 の下に書くと、
⑦ 下四三二 一上 といふことになる。
(39)
⑧ 聖人所不知未必不為愚人所知也。
の場合は、
⑧ 聖人所不知 といふ「主語」と、
⑧ 未必不為愚人所知也。 といふ「述語」からなってゐる。
然るに、
(40)
⑧ 聖人所不知、
の「訓読」は、
⑧ 聖人の知ら不る所=聖人の知らざる所、
である。
従って、
(40)により、
(41)
⑧ 聖人所不知、
に於いて、
⑧ 聖人 知=聖人の知ら
と読んだ上で、
⑧ 知から、
⑧ 不へ、返り、
⑧ 所へ、返ってゐる。
(42)
⑧ 未必不為愚人所知也。
の「訓読」は、
⑧ 未だ必ずしも、愚人の知る所と為さ不んばあらざる也=いまだ必ずしも愚人の知る所となさずんばあらざるなり。
である。
然るに、
(43)
⑧ 未 の場合は、「漢字」としては、「一文字」であるが、「意味」としては、
⑧ 未=いまだ(副詞)+不
であって、尚且つ、
⑧ 未必不為愚人所知也。
⑧ いまだ(副詞)
に対しては、「返り点」が付かない。ものの、
⑧ 不
には、「返り点」が付く、
従って、
(44)
⑧ 未必不為愚人所知也。
に於いて、
⑧ 未必 愚人 知=いまだ必ずしも愚人の知る
と読んだ上で、
⑧ 知から、
⑧ 所へ、返り、
⑧ 所から、
⑧ 為へ、返り、
⑧ 為から、
⑧ 不へ、返り、
⑧ 不から、
⑧ 未=いまだ(副詞)+不
であるところの、
⑧ 不へ、返ってゐる。
従って、
(39)(41)(44)により、
(45)
⑧ 所不知未 不為 所知 に付く「返り点」を、
⑧ 聖人所不知未必不為愚人所知也。 の下に書くと、
⑧ 三二一、五四三 二一 といふことになる。
(46)
⑨ 曽子之母非不知子不殺人也。
の「訓読」は、
⑨ 曽子之母、子の人を殺さ不るを知ら不るに非ざる也=曽子の母、子の人を殺さざるを知らざるにあらざるなり。
である。
従って、
(46)により、
(47)
⑨ 曽子之母非不知子不殺人也。
に於いて。
⑨ 曽子之母 子 人=曽子の母、子の人を
と読んだ上で、
⑨ 人から、
⑨ 殺へ、返り、
⑨ 殺から、
⑨ 不へ、返り、
⑨ 不から、
⑨ 知へ、返り、
⑨ 知から、
⑨ 不へ、返り、
⑨ 不から、
⑨ 非へ、返ってゐる。
従って、
(47)により、
(48)
⑨ 非不知 不殺人 に付く「返り点」を、
⑨ 曽子之母非不知子不殺人也。 の下に書くと、
⑨ 六五四 三二一 といふことになる。
(49)
⑩ 使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
の「訓読」は、
⑩ 籍をして、誠に子を畜ひ寒さを憂ふるを以て心を乱さ不、財有りて以て薬を剤さ使む=籍をして、誠に子をやしなひ寒さを憂ふるを以て心を乱さず、財有りて以て薬をなさしむ。
である。
従って、
(49)により、
(50)
⑩ 使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
に於いて、
⑩ 使籍誠 子=籍をして誠に子を
と読んだ上で、
⑩ 子から、
⑩ 畜へ、返り、
⑩ 寒から、
⑩ 憂へ、返り、
⑩ 憂から、
⑩ 以へ、返り、
⑩ 心から、
⑩ 乱へ、返り、
⑩ 乱から、
⑩ 不へ、返り、
⑩ 財から、
⑩ 有へ、返り、
⑩ 以(返り点は付いてゐない)を読んで、
⑩ 薬から、
⑩ 使へ、返ってゐる。
然るに、
(51)
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅵ)天 地 人
に於いて、
(Ⅰ)を挟んで返る際には、
(Ⅱ)を用ゐ、
(Ⅱ)を挟んで返る際には、
(Ⅲ)を用ゐ、
(Ⅲ)を挟んで返る際には、
(Ⅳ)を用ゐる。
従って、
(50)(51)により、
(52)
⑩ 使 不以畜子憂寒乱心有財 済薬 に付く「返り点」を、
⑩ 使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。 の下に書くと、
⑩ 人 丙下二一中上乙甲二一 地天 といふことになる。
(53)
⑪ 欲取之。
の「訓読」は、
⑪ 之を取る=これをとる。
である。
従って、
(53)により、
(54)
⑪ 欲取之。
に於いて、
⑪ 欲取之=之を
と読んだ上で、
⑪ 之から、
⑪ 取へ、返り、
⑪ 取から、
⑪ 欲へ、返ってゐる。
従って、
(54)により、
(55)
⑪ 欲取之 に付く「返り点」を、
⑪ 欲取之。 の下に書くと、
⑪ 三二一 といふことになる。
(56)
⑫ 欲取‐捨之。
の「訓読」は、
⑫ 之を取捨せんと欲す=これを取捨せんとほっす。
である。
然るに、
(57)
⑫ 取‐捨 のような「熟語」の場合は、「二字」であっても、「一語」とみなす。
従って、
(55)(56)(57)により、
(58)
「レ点」は、「一語下の語」から「一語上の語」に返る際に、「上の字」の「下」に付く。
とするならば、
⑪ 欲取之。
⑪ レレ
であって、尚且つ、
⑫ 欲取‐捨之。
⑫ レ レ
でなければ、ならない。
然るに、
(59)
⑪ 欲取之。
⑪ レレ
ではあっても、
⑫ 欲取‐捨之。
⑫ レ レ
ではなく、
⑫ 欲取‐捨之。
⑫ レ 二 一
でもないし、何故か、
⑫ 欲取‐捨之。
⑫ 三 二 一
だけが、「正しい」と、されてゐる。
(60)
⑬ 登竜門。
の「訓読」は、
⑬ 竜門に登る。
である。
従って、
(60)により、
(61)
⑬ 登竜門。
に於いて、
⑬ 登竜門=竜門に
と読んだ上で、
⑬ 門から、
⑬ 登へ、返ってゐる。
従って、
(61)により、
(62)
⑬ 登 門 に付く「返り点」を、
⑬ 登竜門。 の下に書くと、
⑬ 二 一 といふことになる。
然るに、
(63)
たとえば「登竜門」を「竜門に登る」と訓読するならば、次のような「返り点」を打つこともあったのです。
【誤】登レ竜‐門
(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、58頁)
従って、
(62)(63)により、
(64)
⑬ 登竜‐門。
のやうな、
⑬ 動詞+補‐語。
の場合は、
⑬ 補‐語 に付く「ハイフン」は、「不要」である。
然るに、
(65)
⑫ 取‐捨之=之を取捨す。
⑫ 二 一
でなくて、
⑫ 取捨之。
⑫ レ
であるならば、
⑫ 取捨之=取りて之を捨てる。
といふ風に、読むことになるし、
⑫ 取捨之。
⑫ 二 一
であるならば、
⑫ 取捨之=捨てて之を取る。
といふ風に、読むことになる。
従って、
(59)(65)により、
(66)
⑫ 取‐捨之。
のやうな、
⑫ 動‐詞+補語。
の場合は、
⑫ 動‐詞 に付く「ハイフン」が、「必要」となる。
然るに、
(67)
ハイフンは初心者用の符号であって、入試問題ではついていないこともある。
(志村和久、漢文早わかり、1982年、14頁)
従って、
(65)(66)(67)により、
(68)
⑫ 取‐捨之=之を取捨す。
⑫ 二 一
であるものの、
⑫ 取捨之=之を取捨す。
⑫ 二 一
であることもあるため、「注意」しなければ、ならない。
従って、
(01)~(68)により、
(69)
① 告げ不る可から不。
② 我、鳥の樹に啼くを聞く。
③ 鳥獣は之と与に群を同じくす可から不。
④ 外人の為に道ふに足ら不る也。
⑤ 耕す者、以て益々急なら不る可から不。
⑥ 己に如か不る者を友とする無かれ。
⑦ 当世の士大夫、劉老人有るを知ら不る者無し。
⑧ 聖人の知らざる所、未だ必ずしも、愚人の知る所と為さ不んばあらざる也。
⑨ 曽子之母、子の人を殺さ不るを知ら不るに非ざる也。
⑩ 籍をして、誠に子を畜ひ寒さを憂ふるを以て心を乱さ不、財有りて以て薬を剤さ使む。
⑪ 之を取らんと欲す。
⑫ 之を取捨せんと欲す。
といふ「訓読」に基づき、
① 不可不告。
② 我聞鳥啼樹。
③ 鳥獣不可与之同群。
④ 不足為外人道也。
⑤ 耕者不可以不益急矣。
⑥ 無友不如己者。
⑦ 当世士大夫無不知有劉老人者。
⑧ 聖人所不知未必不為愚人所知也。
⑨ 曽子之母非不知子不殺人也。
⑩ 使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
⑪ 欲取之。
⑫ 欲取捨之。
といふ「漢文」に対して、
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅵ)天 地 人
といふ、「レ点を含まない、返り点」を付けると、
といふ、ことになる。
然るに。
(70)
同じく、
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅵ)天 地 人
(Ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ、「レ点を含む、返り点」を付けると、
といふ、ことになり、「学校で習ふ、返り点」としては、「これ」が、「正しい、返り点」である。
然るに、
(71)
① 不可不告。
② 我聞鳥啼樹。
③ 鳥獣不可与之同群。
④ 不足為外人道也。
⑤ 耕者不可以不益急矣。
⑥ 無友不如己者。
⑦ 当世士大夫無不知有劉老人者。
⑧ 聖人所不知未必不為愚人所知也。
⑨ 曽子之母非不知子不殺人也。
⑩ 使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
⑪ 欲取之。
⑫ 欲取‐捨之。
に対して、「括弧」を加へると、次のやうになる。
① 不[可〔不(告)〕]。
② 我聞〔鳥啼(樹)〕。
③ 鳥獣不[可〔与(之)同(群)〕]。
④ 不[足〔為(外人)道〕]也。
⑤ 耕者不[可〔以不(益急)〕]矣。
⑥ 無{友[不〔如(己)者〕]}。
⑦ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕]者}。
⑧ 聖人所〔不(知)〕未{必不[為〔愚人所(知)〕]}也。
⑨ 曽子之母非〈 不{知[子不〔殺(人)〕]}〉也。
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(子)憂(寒)〕乱(心)]有(財)以済(薬)}。
⑪ 欲〔取(之)〕。
⑫ 欲〔取‐捨(之)〕。
然るに、
(72)
例へば、
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
に於いて、
⑩ 使{ }⇒{ }使
⑩ 不[ ]⇒[ ]不
⑩ 以〔 〕⇒〔 〕以
⑩ 畜( )⇒( )畜
⑩ 憂( )⇒( )憂
⑩ 乱( )⇒( )乱
⑩ 有( )⇒( )有
⑩ 済( )⇒( )済
といふ「移動」を行ふと、
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
⑩ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(良心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑩ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(良心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「並び替へ(ソート)」が、成立する。
従って、
(72)により、
(73)
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
であるとして、「左から順」に、
⑩ 使{ }に於ける、使 は、{ }の中を「読んだ後で、読む」。
⑩ 不[ ]に於ける、不 は、[ ]の中を「読んだ後で、読む」。
⑩ 以〔 〕に於ける、以 は、〔 〕の中を「読んだ後で、読む」。
⑩ 畜( )に於ける、畜 は、( )の中を「読んだ後で、読む」。
⑩ 憂( )に於ける、憂 は、( )の中を「読んだ後で、読む」。
⑩ 乱( )に於ける、乱 は、( )の中を「読んだ後で、読む」。
⑩ 有( )に於ける、有 は、( )の中を「読んだ後で、読む」。
⑩ 済( )に於ける、済 は、( )の中を「読んだ後で、読む」。
とするならば、
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
といふ「語順」を、
⑩ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(良心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑩ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(良心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「順番」で、「左から右へ」読んでゐるに、「等しい」。
従って、
(73)により、
(74)
例へば、
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
に於ける、
⑩ { [ 〔 ( ) ( )〕 ( )] ( ) ( )}
といふ「括弧」は、
⑩ 使人籍誠不丙以下畜二妻子一憂中飢寒上乱乙良心甲有二銭財一以済地医薬天。
に於ける、
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天。
といふ「返り点」に、「相当」する。
然るに、
(75)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(72)~(75)により、
(76)
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」には、
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
といふ「補足構造」が有って、
⑩ 籍をして、誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さ不、銭財有りて以て医薬を剤さ使む。
といふ「国語」には、
⑩ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(良心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「補足構造」が有る。が故に、
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有財以済薬=
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
に於いて、
⑩ 使{ }⇒{ }使
⑩ 不[ ]⇒[ ]不
⑩ 以〔 〕⇒〔 〕以
⑩ 畜( )⇒( )畜
⑩ 憂( )⇒( )憂
⑩ 乱( )⇒( )乱
⑩ 有( )⇒( )有
⑩ 済( )⇒( )済
といふ「移動」を行ふと、
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有財以済薬=
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
⑩ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(良心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑩ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(良心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「並び替へ(ソート)」が、成立する。
といふ、ことなる。
従って、
(74)(76)により、
(77)
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
に於ける、
⑩ { [ 〔 ( ) ( )〕 ( )] ( ) ( )}
といふ「括弧」は、
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有財以済薬。
といふ「漢文」の、「補足構造」を表すと、「同時」に、
⑩ 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
といふ「訓読」の「語順」を表してゐる。
然るに、
(78)
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有財以済薬。
といふ「漢文」を、
⑩ シセキセイフイチクサイシキカンランリョウシンユウセンザイイサイイヤク。
といふ風に、「音読」するだけならば、「漢文」を一切、学んだことの無い、「帰国子女のA君」にも出来るはずである。
加へて、
(79)
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」を、
⑩ Shǐ jí chéng bù yǐ chù qīzi yōu jīhán luàn liángxīn yǒu qián cái yǐ jì yīyào.
といふ風に、「音読」するだけならば、「グーグル翻訳(AI)」であっても、可能である。
然るに、
(77)により、
(80)
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有財以済薬。
といふ「漢文」を、
⑩ 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
といふ風に、「訓読」するためには、
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
といふ「補足構造」を、「把握」してゐなければ、ならない。
然るに、
(81)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである。
(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)
然るに、
(82)
どこまで管到して(かかって)ゐるか。
といふことであれば、
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
に於ける、
⑩ 使 は、{籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬}に管到して(かかって)ゐて、
⑩ 不 は、[以畜妻子憂飢寒乱良心]に管到して(かかって)ゐて、
⑩ 以 は、〔畜妻子憂飢寒〕に管到して(かかって)ゐて、
⑩ 畜 は、(妻子)に管到して(かかって)ゐて、
⑩ 乱 は、(良心)に管到して(かかって)ゐて、
⑩ 有 は、(銭財)に管到して(かかって)ゐて、
⑩ 済 は、(医薬)に管到して(かかって)ゐる。
従って、
(77)~(82)により、
(83)
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有財以済薬。
といふ「漢文」を、「読解」するためには、
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有財以済薬。
といふ「漢文」の、
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
といふ「補足構造(管到)」を「把握」出来なければならないし、その為には、
⑩ 使人籍誠不丙以下畜二妻子一憂中飢寒上乱乙良心甲有二銭財一以済地医薬天。
に於ける、
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天。
といふ「返り点」が、「有効」である。
といふ風に、「博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君」が、述べてゐる。
加へて、
(84)
また、本書を訳してみて、日本における漢文読解の方法としての訓読の威力を痛感した。こころみに本書を英訳したとしても、専門家以外の人にわかるように訳すことは至難の技であると思われるが、原文と書下し文を並べるだけで、一般の日本人には、著者の中国人に対して述べている内容がほぼ正確に伝達されるのである。これを現代日本語訳を並べただけでは、もう一つ別の手立てを必要とする。訓読については功罪それぞれ議論があるが、訳者としてはたいそう助かったといえる。
(鮑善淳 著、増田栄次 訳、漢文をどう読みこなすか、1995年、238頁)
従って、
(83)(84)により、
(85)
日本人が、独学で、「漢文」を読めるやうになるためには、「漢文訓読法」以外には、現実には有り得ないはずであるが、然るに、
かつて漢文学科だった学科や漢文学専攻は、いま、そのほとんすべてが中国文学科や中国文学専攻になってしまっている。そこでは、当然、中国語も履修することになっていて、そこで学んだ方々は、古代の中国文も現代の中国音で発音できるし、またそういう出身の先生は、得意げにそういうように読んでも聞かせたりするもののようである。そこで、日本文学科出身の国語科の先生や、教育学部の国語専修などの出身の先生は、漢文は嫌いではないのだが、生徒からなにか、偽者のように思われて辛い、と聞くことがあったりするのである(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、36頁)。との、ことである。
然るに、
(81)(85)により、
(86)
中国の某君でさえ、「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。」と言ってゐるのだから、「古代の中国文も現代の中国音で発音できるし、またそういう出身の先生は、得意げにそういうように読んでも聞かせたりする。」といふのであれば、アホらしい。としか、言ひやうが無い。
然るに、
(87)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる。
(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)
然るに、
(88)
「漢文訓読」に関する「書籍」は、「いくらでも有る」のに対して、昭和5年を去ること、約90年の今に至っても、「中国語の現代の発音による、漢文の、読み方」に関する、「日本語の、書籍」は、寡聞にして、一冊、知らない。
従って、
(85)(87)(88)により、
(89)
昭和5年に、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られて、試みた所の「漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにする」方法は、88年後の「大学の外にゐる日本人」に対して、「何も、教へてない」。
従って、
(89)により、
(90)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
といふ、西洋文化研究者の見解は、マチガイである。
(91)
漢語におけるこのような表現のしかたは、単語の間の関係を文法的な形式によって示すことを重んじている西欧の言語になれている人にとっては、まことに奇妙なことに思われるものと考えられる。カールグレン氏は、その著書《中国の言語》において、このような奇妙な孤立的な漢語の文法は、「非常に貧弱なものであり」、「漢語においては、文法的な分析は、あまり役に立たず、実際に役立つのは、広い読書を通じて習得した経験、つまり、中国人がどのようにして文をつくりあげているかということに対する感覚が、唯一のものである」と説き、更に、漢語の文の意味を理解するためには、「豊富な直観が、必要である」とも述べている。
(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、293頁)
従って、
(90)(91)により、
(92)
「漢文」と、「ラテン語」のやうな「西洋の言語」とを、「同列」に論じるべきではない。
(93)
門外漢の私には、本当かどうか、分からないものの、
専門家と称する人たちの大部分、99.9パーセントは(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である。といって悲しむ必要はない。なにも「外国語として理解」するということが最上の方法だとはいえないからである(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、62頁)。
とのことである。
平成30年01月03日、毛利太。
―「関連記事」―
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html)。
(β)「返り点」と「括弧」の条件。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html)。
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html)。
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html)。
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html)。
(ζ)「返り点・モドキ」について。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)。
(η)「一二点・上下点」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html)。
(θ)「括弧」の「順番」。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)。
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