(01)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう(W.O.クワイン、現代論理学入門、1972年、15頁改)。
ただし、
(02)
以下では、必要に応じて、
~( )=( )~
¬( )=( )¬
とする。
(03)
① 春はあけぼの これだけで、春はあけぼのに限るとか、春のながめはあけぼのが第一だ、というような気持ちを言外にこめた、
いわゆる体言止めの完全な文となっている(三省堂、新明解古典シリーズ4、1990年、3頁)。
従って、
(03)により、
(04)
① AならばB。
は、「体言止め」である。
従って、
(04)により、
(05)
① AならばB、でない。
に於いて、
① AならばB、
は、「体言止め」である。
従って、
(05)により、
(06)
① AならばB、でない。
① AならばBである。でない。
① AならばBである。といふことはない。
といふ「三つ日本語」は、等しい。
然るに、
(07)
① AならばB、でない。
といふことは、
① AならばB
が、「一つのまとまり」である。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(08)
①(AならばB)でない。
といふことは、
① AならばB
が、「一つのまとまり」である。
といふことを、「意味」してゐる。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① AならばB
が、「一つのまとまり」である。
といふ「意味」に於いて、
① AならばB、でない。
①(AならばB)でない。
といふ「二つ」は、等しい。
然るに、
(10)
② Aならば、Bでない。
といふことは、
② Bでない
が、「一つのまとまり」である。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(11)
② Aならば(Bでない)。
といふことは、
② Bでない
が、「一つのまとまり」である。
といふことを、「意味」してゐる。
従って、
(10)(11)により、
(12)
② Bでない。
が、「一つのまとまり」である。
といふ「意味」に於いて、
② Aならば、Bでない。
② Aならば(Bでない)。
といふ「二つ」は、等しい。
然るに、
(13)
A = A
→ = ならば
B = B
従って、
(01)(02)(09)(12)(13)により、
(14)
① AならばB、でない。
①(AならばB)でない。
①(A → B)~
といふ「三つ」は、等しく、
② Aならば、Bでない。
② Aならば(Bでない)。
② A → B~
といふ「三つ」は、等しい。
従って、
(01)(02)(14)により、
(15)
① AならばB、でない。
① ¬(A → B)
といふ「二つ」は、等しく、
② Aならば、Bでない。
② A → ¬B
といふ「二つ」は、等しい。
従って、
(15)により、
(16)
AならばBでない。
この文は、2つの解釈があります。ひとつは「(AならばB)でない」。数文であらわすと、¬(A→B)です。もうひとつは「Aならば(Bでない)」。数文であらわすと、A→¬Bとなります。この2つはまったく異なる意味をもちますが、和文であらわそうとすると、どちらも同じ文になってしまうのです。
和文の否定は文の最後尾につきます。「~ではない」という形式です。すると、直前の語を否定しているのか、文全体を否定しているのか、別の語や句読点を補わない限り区別がつかなくなります(新井紀子、数学は言葉、2009年、123頁)。
といふ、新井先生の「説明」は、正しい。
従って、
(16)により、
(17)
① AならばB、でない。
といふ「日本語」は、
①(A → B)~
① ¬(A → B)
といふ「形」をしてゐる。
従って、
(17)により、
(18)
① AならばB、でない。
①(A → B)~
といふ「日本語」に、「括弧」は有ります。
(19)
無 ―― 不・・・・・
――トシテ・・・・・(セ)ザルハナシ
(参考)無書不読・・・どんな本でも読む。
(多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、27頁)
従って、
(19)により、
(20)
③ 無書不読=
③ 無〔書不(読)〕⇒
③ 〔書(読)不〕無=
③ 〔書として(読ま)不るは〕無し=
③ どんな本でも読まないものは無い。
然るに、
(21)
④ 無書、不読=
④ 無(書)不(読)⇒
④ (書)無(読)不=
④ (書)無く(読)ず=
④ 本が無いので、読まない。
然るに、
(22)
③ 無書不読。
に於いて、「、」を打つとすれば、
④ 無書、不読。
とするより、他はない。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
③ 無書不読。
といふ「漢文」を、
③ 無書不読=
③ どんな本でも読まないものは無い。
といふ風に、理解する。といふことは、
③ 無書不読=
④ 無書、不読=
④ 本が無いので、読まない。
ではない。といふ風に、理解してゐる。
といふことを、意味してゐる。
然るに、
(22)により、
(24)
③ 無書不読=
④ 無書、不読。
ではない。といふ風に、理解してゐる。
といふことは、
③ 無書不読。
に於ける、
③ 無 が、
③ 書不読 に係ってゐる。
といふ風に、理解してゐる。
といふことを、意味してゐる。
然るに、
(25)
③ 無書不読。
に於ける、
③ 無 が、
③ 書不読 に係ってゐる。
といふ風に、理解してゐる。
といふことは、
③ 無書不読。
に於いて、
③ 書不読
が、「一つのまとまり」である。
といふ風に、理解してゐる。
といふことを、意味してゐる。
然るに、
(26)
③ 無書不読。
に於いて、
③ 書不読
が、「一つのまとまり」である。
といふ風に、理解してゐる。
といふことは、
③ 無〔書不読〕。
といふ風に、理解してゐる。
といふことを、意味してゐる。
従って、
(26)により、
(27)
③ 無書不読。
③ 無〔書不(読)〕。
といふ「漢文」に、「括弧」は有ります。
従って、
(18)(27)により、
(28)
「句読点」を考慮する限り、
① AならばB、でない。
③ 無書不読。
に於いて、「括弧」は有ります。
平成28年06月03日、毛利太。
―「関連記事」―
「括弧」と「句読点」と「分配則」。http://kannbunn.blogspot.com/2016/06/blog-post_15.html
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