―「白文」を読む方法を、具体的に、説明します。―
(01)
「返り点や、送り仮名がついていない漢文」、すなはち、中国人が言ふ所の「文言文(文語体)」を「白文」とする。
然るに、
(02)
文語体と口語体の区別は、もし簡便な基準を探すとなれば、それは耳で聞いてわかるのが口語体で、目で見なければわからないのが文語体だ、といえる。(「開明文言読本」開明書店、1948、導言)呂叔湘氏は人も知る「中國文法要略」(商務印書館、1942)の著者であり、解放後は中國科学院言語研究所長を勤めている超一流の言語学者であり、文化人である(牛島徳次、中國語の学び方、1977年、60頁)。
然るに、
(03)
「目で見なければわからないのが文語体だ、といえる。」といふのであれば、
① 有備無患。
② 聞鳥啼。
③ 聞鳥啼梅樹。
④ 聞鳥啼梅樹声。
⑤ 如揮快刀断乱麻。
⑥ 欲得備学徳者友之。
⑦ 求以解英文法解漢文。
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
⑨ 人有喜与不如己者為友之心。
⑩ 取捨選択書物。
といふ「漢文」を、
① Yǒubèiwúhuàn.
② Wén niǎo tí.
③ Wén niǎo tí méi shù.
④ Wén niǎo tí méi shù shēng.
⑤ Rú huī kuàidāo duàn luànmá.
⑥ Yù dé bèi xuédé zhě yǒuzhī.
⑦ Qiú yǐ jiě yīngwén fǎ jiě hànwén.
⑧ Wǒ bùbì qiú yǐ jiě yīngwén fǎ jiě hànwén.
⑨ Rén yǒuxǐ yǔ bùrú jǐ zhě wéi yǒuzhī xīn.
⑩ Qǔshě xuǎnzé shūwù.
といふ風に、「千遍、声に出して読んでゐる間」であっても、結局は、「目で見て、理解してゐる。」といふことになる。
然るに、
(04)
「目で見て、理解してゐる。」といふのであれば、
「書を読むは書に看るに如かず(音読は看書よりも劣ってゐる)。」といふことになる。
然るに、
(05)
徂徠は「題言十則」のなかで以下のように述べている。
中華の人多く言へり、「読書、読書」と。予は便ち謂へり、書を読むは書を看るに如かず、と。此れ中華と此の方との語言同じからざるに縁りて、故に此の方は耳口の二者、皆な力を得ず、唯だ一双の眼のみ、三千世界の人を合はせて、総て殊なること有ること莫し。
ここでの「読書」は、文脈からして音読であろう(勉誠出版、「訓読」論、2008年、27・244頁)。
従って、
(04)(05)により、
(06)
荻生徂徠は、「(三千世界の人類である限り、)音読は、目読(黙読)よりも劣ってゐる。」といふ風に、述べてゐる。
然るに、
(07)
漢文は読む前に見ることが大切。パズルなんだから。パッと見る、そしてフィーリングというか、造形的センスというか、そこに美的な配列があることを見てとってほしい。そこからパズルゲームが始まる(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、323頁)。
従って、
(08)
二畳庵主人も、「漢文は読むよりも、見ることが大切である。」といふ風に、述べてゐる。
然るに、
(09)
徂徠は、書を千遍読めば意味はおのずとわかる(「読書千遍、其義自見」)とはどういうことか、幼時にはわからなかったと云う。意味がわからないのに読めるはずがなく、読めればわかっているはずだと思ったからである(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、17頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
「漢文は読むよりも、見ることが大切である。」とは言っても、
① 有備無患。
② 聞鳥啼。
③ 聞鳥啼梅樹。
④ 聞鳥啼梅樹声。
⑤ 如揮快刀断乱麻。
⑥ 欲得備学徳者友之。
⑦ 求以解英文法解漢文。
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
⑨ 人有喜与不如己者為友之心。
⑩ 取捨選択書物。
といふ「漢文の意味」が分からなければ、固より、
① 備へ有れば患ひ無し。
② 鳥の啼くを聞く。
③ 鳥の梅樹に啼くを聞く。
④ 鳥の梅樹に啼く声を聞く。
⑤ 快刀を揮って乱麻を断つが如し。
⑥ 学徳を備ふる者を得て之を友とせんと欲す。
⑦ 英文を解するを法以て漢文を解せんことを求む。
⑧ 我必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求めず。
⑨ 人に己に如かざる者と友と為るを喜ぶの心有り。
⑩ 書物を取‐捨‐選‐択す。
といふ風には、読めない。
然るに、
(11)
従って、
(11)により、
(12)
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
であれば、
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}
といふ「括弧」による、
解( )⇒( )解
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
求[ ]⇒[ ]求
不{ }⇒{ }不
といふ「並び替へ(ソート)」によって、
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}=
⑧ 1C{2B[7〔5(34)6〕A(89)]}⇒
⑧ 1{2[〔(34)56〕7(89)A]B}C=
⑧ 我{必[〔(英文)解法〕以(漢文)解]求}不=
⑧ 我{必ずしも[〔(英文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① 有(備)無(患)。
② 聞(鳥啼)。
③ 聞〔鳥啼(梅樹)〕。
④ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕。
⑤ 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
⑥ 欲[得〔備(学徳)者〕友(之)]。
⑦ 求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]。
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}。
⑨ 人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
⑩ 取‐捨‐選‐択(書物)。
といふ「漢文」に対して、
① (備へ)有れば(患ひ)無し。
② (鳥の啼くを)聞く。
③ 〔鳥の(梅樹に)啼くを〕聞く。
④ 〔鳥の(梅樹に)啼く声を〕聞く。
⑤ 〔(快刀を)揮って(乱麻を)断つが〕如し。
⑥ [(学徳を)備ふる者を得て(之を)友とせんと]欲す。
⑦ [(英文を)解するを法以て(漢文を)解せんことを]求む。
⑧ 我{必ずしも[〔(英文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
⑨ 人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]与(友と)為るを}喜ぶの心〉有り。
⑩ (書物を)取‐捨‐選‐択す。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(14)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた(原田種成、私の漢文講義、1995年、56頁)。
従って、
(13)(14)により、
(15)
⑦ 欲 は[得備学徳者友之]に係ってゐて、
⑦ 得 は〔備学徳者〕に係ってゐて、
⑦ 備 は(学徳)に係ってゐて、
⑦ 友 は(之)に係ってゐる。
といふ「管到(補足構造)」が、分からなければ、
⑦ 欲得備学徳者友之。
といふ「漢文」は、日本人であっても、中国人であっても、「理解」出来ない。
従って、
(10)(12)(15)により、
(16)
① 有備無患。
② 聞鳥啼。
③ 聞鳥啼梅樹。
④ 聞鳥啼梅樹声。
⑤ 如揮快刀断乱麻。
⑥ 欲得備学徳者友之。
⑦ 求以解英文法解漢文。
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
⑨ 人有喜与不如己者為友之心。
⑩ 取捨選択書物。
といふ「白文」の中の、例へば、
⑦ 欲得備学徳者友之。
といふ「漢文の意味」が分からずに、「訓読」のしようが無い場合は、
⑦ 欲 は[何処までに]係ってゐて、
⑦ 得 は〔何処までに〕係ってゐて、
⑦ 備 は(何処までに)係ってゐて、
⑦ 友 は(何処までに)係ってゐる。
のか、といふことを、考へれば良い。
然るに、
(17)
漢文の基本構造
(一)主述関係 主語 ―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係 叙述語―補足語
(四)並列関係 並列語―並列語
(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、281~3頁、抜粋)
(18)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、二九六頁)。
従って、
(17)(18)により、
(19)
(一)主述関係 主語 ―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係 叙述語―補足語
(四)並列関係 並列語―並列語
といふ四つの内の、
(三)補足構造 叙述語―補足語
に関して「漢語における語順は、国語と大きく違っている」。
然るに、
(20)
例へば、
燕雀安知鴻鵠之志哉(燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや)。
であれば、
燕雀 は、(四)並列関係。
鴻鵠 も、(四)並列関係。
である一方で、
燕雀 は、(一)主語。
鴻鵠之 は、(二)修飾語。
鴻鵠之志 は、(三)補足語。
である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
(四)並列関係 並列語―並列語
の場合は、その一方で、
(一)主述関係 主語 ―述語 であって、
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語 であって、
(三)補足関係 叙述語―補足語 である。
従って、
(19)(21)により、
(22)
(一)主述関係 主語 ―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係 叙述語―補足語
に於いて、
(三)補足関係 叙述語―補足語 だけが、国語とは全く反対である。
然るに、
(23)
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}。
に於いて、
⑧ 我=主語
⑧ 常=修飾語(副詞)
⑧ 者=被修飾語(体言)
である。
従って、
(12)(22)(23)により、
(24)
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}。
といふ「漢文」から、
⑧ 我=主語
⑧ 常=修飾語(副詞)
⑧ 者=被修飾語(体言)
といふ「三つ」を除いても、
⑧ _不{_求[以〔解(英文)_〕解(漢文)]}。
といふ風に、
⑧ { [ ( ) ( ) ] }
といふ「括弧」自体は、「不変」である。
cf.
⑧ 不求以解英文解漢文=
⑧ 不{求[以〔解(英文)〕解(漢文)]}⇒
⑧ {[〔(英文)解〕以(漢文)解]求}不=
⑧ {[〔(英文を)解することを〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
それ故、
(12)(24)により、
(25)
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
といふ「白文」を「訓読」する際の「語順」が知りたいのであれば、
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
といふ「白文」から、
⑧ 我=主語
⑧ 常=修飾語(副詞)
⑧ 者=被修飾語(体言)
を除いて、
⑧ _不_求以解英文_解漢文。
とする。
(26)
⑧ _不_求以解英文_解漢文。
に於いて、
⑧ 不 は{何処までに}係ってゐて、
⑧ 欲 は[何処までに]係ってゐて、
⑧ 解 は(何処までに)係ってゐて、
⑧ 解 は(何処までに)係ってゐる。
のかといふ「パズル」を、解いて、
⑧ _不{_求[以〔解(英文)_〕解(漢文)]}。
とする。
cf.
カールグレン曰く「漢語においては、文法的な分析は、あまり役に立たず、実際に役立つは、広い読書を通じて習得した経験、つまり、中国人がどのようして文をつくりあげているかということに対する感覚が、唯一のものである。漢語の文の意味を理解するためには、豊富な直観が、必要である」(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、293頁改)。
(27)
⑧ _不{_求[以〔解(英文)_〕解(漢文)]}。
に対して、
⑧ 我=主語
⑧ 常=修飾語(副詞)
⑧ 者=被修飾語(体言)
といふ三つを、「元に戻して」、
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}。
とする。
(28)
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}
に対して、
解( )⇒( )解
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
求[ ]⇒[ ]求
不{ }⇒{ }不
といふ「並び替へ(ソート)」を行い、
⑧ 我{必[〔(英文)解法〕以(漢文)解]求}不。
とする。
(29)
⑧ 我{必[〔(英文)解法〕以(漢文)解]求}不。
といふ「語順」に基づき、
⑧ 我{必ずしも[〔(英文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}ず。
といふ風に、「訓読」する。
従って、
(26)~(29)により、
(30)
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
といふ「白文」を「訓読」する際の「語順」が知りたいのであれば、
(一)主述関係 主語 ―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係 叙述語―補足語
に於いて、
(三)補足関係 叙述語―補足語 だけが、国語とは全く反対である。
といふことに、「注目」して、
⑧ 不 は{何処までに}係ってゐて、
⑧ 欲 は[何処までに]係ってゐて、
⑧ 以 は〔何処までに〕係ってゐて、
⑧ 解 は(何処までに)係ってゐて、
⑧ 解 は(何処までに)係ってゐる。
のか、といふことを、考へれば良い。
然るに、
(31)
⑨ 人有喜与不如己者為友之心。
に於いて、
⑨ 人 は「(一)主語」である。
(32)
⑨ _有喜与不如己者為友之心。
に於いて、
⑨ 有 は「(三)叙述語」である。
従って、
(30)(31)(32)により、
(33)
⑨ 人有喜与不如己者為友之心。
といふ「白文の意味」が分からずに、「訓読」のしようが無い場合は、最初に、
⑨ 有 は「何処までに」係ってゐる。
のか、といふことを、考へれば良い。
然るに、
(34)
⑨ 人有(喜与不如己者)
であれば、
⑨ 為友之心。
⑨ 友と為るの心。
の「説明」が付かない。
加へて、
(35)
⑨ 人有(喜与不如己者)
であって、
⑨ 人有(与不如己喜者)
ではないため、
⑨ 己に如かざる者と喜ぶ者有り。
とは、読めない。
然るに、
(36)
⑨ 人有(喜与不如己者為友之心)。
であれば、
⑨ 与[不〔如(己)〕者]為(友)
であり、それ故、
⑨ 人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉⇒
⑨ 人〈{[〔(己)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
⑨ 人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]与(友と)為るを}喜ぶ之心〉有り。
といふ風に、「訓読」することになる。
従って、
(16)~(36)により、
(37)
① 有備無患。
② 聞鳥啼。
③ 聞鳥啼梅樹。
④ 聞鳥啼梅樹声。
⑤ 如揮快刀断乱麻。
⑥ 欲得備学徳者友之。
⑦ 求以解英文法解漢文。
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
⑨ 人有喜与不如己者為友之心。
⑩ 取捨選択書物。
といふ「漢文の意味」が分からずに、「訓読」のしようが無い場合は、
(一)主述関係 主語 ―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係 叙述語―補足語
に於いて、
(三)補足関係 叙述語―補足語 だけが、国語とは全く反対である。
といふことに、「注目」して、「どの漢字」が、「どの漢字に係ってゐるのか」といふことを、考へれば良い。
然るに、
(38)
① (備へ)有れば(患ひ)無し。
② (鳥の啼くを)聞く。
③ 〔鳥の(梅樹に)啼くを〕聞く。
④ 〔鳥の(梅樹に)啼く声を〕聞く。
⑤ 〔(快刀を)揮って(乱麻を)断つが〕如し。
⑥ [(学徳を)備ふる者を得て(之を)友とせんと]欲す。
⑦ [(英文を)解するを法以て(漢文を)解せんことを]求む。
⑧ 我{必ずしも[〔(英文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
⑨ 人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]与(友と)為るを}喜ぶの心〉有り。
⑩ (書物を)取‐捨‐選‐択す。
であって、尚且つ、
(三)補足関係 叙述語―補足語 だけが、漢文と日本語は、全く反対である。
といふことは、
① 有(備)無(患)。
② 聞(鳥啼)。
③ 聞〔鳥啼(梅樹)〕。
④ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕。
⑤ 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
⑥ 欲[得〔備(学徳)者〕友(之)]。
⑦ 求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]。
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}。
⑨ 人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
⑩ 取‐捨‐選‐択(書物)。
に於ける、「括弧」は、「漢文の補足構造」を表はしてゐる。
然るに、
(39)
① 有備無患。
② 聞鳥啼。
③ 聞鳥啼梅樹。
④ 聞鳥啼梅樹声。
⑤ 如揮快刀断乱麻。
⑥ 欲得備学徳者友之。
⑦ 求以解英文法解漢文。
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
⑨ 人有喜与不如己者為友之心。
⑩ 取捨選択書物。
に対して、「返り点」がついてゐる場合は、そのまま、
① 有(備)無(患)。
② 聞(鳥啼)。
③ 聞〔鳥啼(梅樹)〕。
④ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕。
⑤ 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
⑥ 欲[得〔備(学徳)者〕友(之)]。
⑦ 求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]。
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}。
⑨ 人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
といふ「補足構造」を知ることが、出来る。
cf.
然るに、
(40)
① 有備無患。
② 聞鳥啼。
③ 聞鳥啼梅樹。
④ 聞鳥啼梅樹声。
⑤ 如揮快刀断乱麻。
⑥ 欲得備学徳者友之。
⑦ 求以解英文法解漢文。
⑧ 我不必求以解英文法解漢文。
⑨ 人有喜与不如己者為友之心。
⑩ 取捨選択書物。
といふ「例文」は、⑧を除いて、「漢文の基礎(旺文社、1973年)、漢文ミニマム攻略法(旺文社、1992年)」からの「引用」である。
従って、
(41)
アメリカやスウェーデンやウクライナやラトビアで、「中国語」で「漢文」で学んでゐる方たちであっても、「日本の漢文の受験参考書」を入手すれば、
① 有(備)無(患)。
② 聞(鳥啼)。
③ 聞〔鳥啼(梅樹)〕。
④ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕。
⑤ 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
⑥ 欲[得〔備(学徳)者〕友(之)]。
⑦ 求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]。
⑧ 我不{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}。
⑨ 人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
⑩ 取‐捨‐選‐択(書物)。
といった「漢文の補足構造」を、知ることが出来る。
然るに、
(42)
① ユウビムカン。
② ブンチョウテイ。
③ ブンチョウテイバイジュ。
④ ブンチョウテイバイジュセイ。
⑤ ジョキカイタウタンランマ。
⑥ ヨクトクビガクトクシャイウシ。
⑦ キュウイカイエイブンホウカイカンブン。
⑧ ガフヒツキュウイカイエイブンホウカイカンブン。
⑨ ジンユウキヨフジョキシャイユウシシン。
⑩ シュシャセンタクショモツ。
といふ風に「音読み」するだけなら、小学生であっても、可能である。
然るに、
(43)
① Yǒubèiwúhuàn.
② Wén niǎo tí.
③ Wén niǎo tí méi shù.
④ Wén niǎo tí méi shù shēng.
⑤ Rú huī kuàidāo duàn luànmá.
⑥ Yù dé bèi xuédé zhě yǒuzhī.
⑦ Qiú yǐ jiě yīngwén fǎ jiě hànwén.
⑧ Wǒ bùbì qiú yǐ jiě yīngwén fǎ jiě hànwén.
⑨ Rén yǒuxǐ yǔ bùrú jǐ zhě wéi yǒuzhī xīn.
⑩ Qǔshě xuǎnzé shūwù.
といふ風に、読んだとしても、「漢文の補足構造」は、知ることが出来ない。
然るに、
(44)
「日本漢字音」も中国語の一方言音と見なすことができるでしょうか? 倉石武四郎博士は、日本漢字音は日本語の一種であり、声調もないから、そんなもので音読しても無意味だと決め付けておられます(『支那語教育の理論と実際』、243ページ)〔WEBサイト:日本漢文の世界〕。
との、ことである。
然るに、
(45)
しかし、四声をふくめた漢字音を正確におぼえることは、まったく難中の難であった。これを学生に強制したことは、今からおもっても、あいすまぬことであった(倉石武四郎、中国語五十年、1973年、141頁)。
従って、
(46)
英語もロクに読めない私としては、飽く迄も、趣味で「漢文」を独学するために、わざわざ「中国語(中華人民共和国語)」を学ぶ気には、到底、なれない。
平成28年06月07日、毛利太。
―「関連記事」―
『括弧・返り点』の研究(Ⅱ)http://kannbunn.blogspot.com/2016/04/blog-post_24.html
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