(01)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
管到とは、ある語がその下方の語句のどこまでを支配するか。ということだ(古田島洋介、日本近代史を学ぶための文語文入門、2013年、18頁)。
然るに、
(02)
漢語における語順は、大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 「上の語が、下のことばのどこまでかかる(支配する・補足する)か」。
② 「下の語が、上のことばのどこまでかかる(支配する・補足する)か」。
に於いて、
① が、「漢文の管到」であるならば、
② は、「訓読の管到」である。
然るに、
(04)
例へば、
① 不求以解中国語法解漢文。
といふ「漢文の管到」は、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」を用ゐて、
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
といふ風に、表すことが、出来る。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
② {[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不。
に於いて、
① が、「漢語の管到」であるならば、
② は、「国語の管到」である。
然るに、
(06)
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
② {[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不。
③ {[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
であるものの、これらの「括弧」は、三つとも、
① {[〔( )〕( )]}。
② {[〔( )〕( )]}。
③ {[〔( )〕( )]}。
である。
従って、
(03)~(06)により、
(07)
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
② {[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不。
③ {[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
は、「管到」としては、三つとも、等しい。
従って、
(07)により、
(08)
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
③ {[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
に於いて、
① 「漢文の管到」と、
③ 「訓読の管到」は、等しい。
然るに、
(09)
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
③ {[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
に於いて、それぞれの、「11個の漢字」は、「過不足なく」、「共通」である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
③ {[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
に於いて、「語順」こそ、異なるが、その一方で、「管到と漢字」は、「共通」である。
然るに、
(11)
③ 中国語を理解する方法を用いて、漢文を理解しようとする。
を、グーグルで、翻訳すると、
④ 通過使用該方法來了解中國,並試圖了解中國的經典之作。
となる。
(12)
私の場合、「中国語(中華人民共和国語)」は、全く分からないものの、
① 不求以解中国語法解漢文。
④ 通過使用該方法來了解中國,並試圖了解中國的經典之作。
に於いて、「漢字」が、「全く異なる」ことは、「一目瞭然」である。
それ故、
(13)
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
④ 通過使用該方法來了解中國,並試圖了解中國的經典之作。
とでは、「漢字」は、「確実に」、「管到」も、「おそらく」、異なってゐるものと、思はれる。
従って、
(14)
少なくとも、
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
② {[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不。
③ {[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
④ 通過使用該方法來了解中國,並試圖了解中國的經典之作。
といふ「例文」で、判断する限り、「漢文を学ぶ上で、有利な言語」は、「日本語(訓読)」であって、「中国語」ではない。
従って、
(15)
漢文よみを止めて中国語(その当時は支那語でしたが)でもってよまなければならない。 それは徳川時代にも荻生徂徠がいっぺんやったことだが、今はもっとやりよい時代だから 大いにやらなければならない(倉石武四郎、中国語五十年、1973年、21頁)。
といふ「見解」は、おそらく、「錯覚」に、過ぎない。
(16)
およそ、「漢文訓読」を、否定する「主張」は、
① 不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
③ {[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
等に於いて、「語順」こそ「異なる」が、「管到」は「等しい」といふ「観点」が、欠落してゐる。と、言はざるを得ない。
平成26年09月06日、毛利太。
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