2014年9月11日木曜日

「返り点の基礎」&「括弧(管到)は有ります!」。

(01)
① 不〔読(文)〕⇒
① 〔(文)読〕不=
① 〔(文を)読ま〕不
の「返り点」は、
① レ レ 。
である。に対して、
② 不〔常読(漢文)〕⇒
② 〔常(漢文)読〕不=
② 〔常には(漢文を)読ま〕不。
の「返り点」は、
② 三 二 一。
である。
従って、
(01)により、
(02)
① レ レ 。
① 文を読まず。
といふ「レ点」が有るからこそ、
② 三 二 一。
② 漢文を常には読ま不。
といふ「一二点」が有る。ことになる。
然るに、
(03)
② 二 三 一。
② 二 四 一 三。
③ 四 二 一 三。
に対する「レ点」は、「どうか」といふと、そのやうな「レ点」は、もちろん、有り得ない。
従って、
(02)(03)により、
(04)
②「対応する、レ点が無い」が故に、
② 二 三 一。
② 二 四 一 三。
③ 四 二 一 三。
といふ「一二点」は、有り得ない
然るに、
(05)
③ 四〔二(一)三〕⇒
③ 〔(一)二三〕四=
③ 一 二 三 四。
従って、
(05)により、
(06)
 )= 一
( = 二
 〕= 上
 〕= 下
であるが故に、
③ 四 二 一 三。
は、
③ 下 二 一 上。
に、「対応」する。
従って、
(04)(06)により、
(07)
② 二 三 一。
② 二 四 一 三。
③ 四 二 一 三。
といふ「一二点」は、有り得ないが、
③ 四 二 一 三。
の「順番」は、
③ 下 二 一 上。
といふ「返り点」で、表すことが、出来る。
然るに、
(08)
③ 下 二 一 上。
に対して、
② 二 上 一 。
② 二 下 一 上。
といふ「返り点」は、無いため、
② 二 三 一。
② 二 四 一 三。
といふ「順番」を、「返り点」で、表すことは、出来ない。
従って、
(01)~(08)により、
(09)
① レ点。
② 一二点。
③ 上下点。
④ 甲乙点。
⑤ 天地点。
に於いて、
① は、「一字だけ、上へ返る」場合に用ゐる。
② は、「二字以上、上へ返る」場合に用ゐる(が、②は①に対応する)。
③ は、「②を挟んで返る」場合に用ゐるが、「逆」は無い。
④ は、「③を挟んで返る」場合に用ゐるが、「逆」は無い。
⑤ は、「④を挟んで返る」場合に用ゐるが、「逆」は無い。
といふことが、「返り点の基本(09)」である。
然るに、
(10)
「括弧」の場合は、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
にあって、
⑤の中に、一つ以上の、④が有って、
④の中に、一つ以上の、③が有って、
③の中に、一つ以上の、②が有って、
②の中に、一つ以上の、①が有る。
といふ「形」になる。ものの、以上を、「括弧の形(10)」と呼ぶことにする。
然るに、
(08)により、
(11)
② 二 三 一。
② 二 四 一 三。
といふ「返り点」は有り得ないものの、「括弧」の場合も、
② 二 三 一。
② 二 四 一 三。
といふ「順番」を、表すことが、出来ない。
例へば、
(12)
② 二 三 一。
であれば、
② 二(三〔一)〕⇒
②(〔一) 二〕三=
② 一 二 三。
であるため、「括弧」は、
②( 〔 )〕。
である。
従って、
(13)
② 二 四 一 三。
であれば、
② 二(四〔一)三〕⇒
② (〔一)二三〕四=
② 一 二 三 四。
であるため、「括弧」は、
②( 〔 ) 〕。
である。
然るに、
(14)
②( 〔 )〕。
②( 〔 ) 〕。
は、「括弧の形(10)」を、満たしてゐない。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
例へば、
② 二 三 一。
② 二 四 一 三。
といふ「順番」は、「返り点・括弧」で、表すことが、出来ない。
然るに、
(16)
十〈八{七[四〔二(中国一)三〕六(漢五)]}九〉⇒
〈{[〔(中国一)二三〕四(漢五)六]七}八九〉十=
〈{[〔(中国一を)二する三を〕四て(漢五を)六せんことを]七め}八る九〉十し。
に於いて、
十=無
八=不
七=求
四=以
二=解
  =中
  =国
一=語
三=法
六=解
  =漢
五=文
九=者
といふ「代入」を行ふと、
十〈八{七[四〔二(中国一)三〕六(漢五)]}九〉=
無〈不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}者〉⇒
〈{[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不者〉無=
〈{[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者〉無し。
然るに、
(09)(16)により、
(17)
「返り点の基本(09)」を用ゐて、併せて、「括弧」を示すと、
十=地=無=〈
八=レ=不={
七=丙=求=[ 
四=下=以=〔 
二=二=解=(
  =   =中=
  =   =国=
一=一=語= )
三=上=法= 〕
六=乙=解=(
  =  =漢=
五=甲=文= )
  =  = = ]
  =  = = }
九=天=者= 〉
といふ「形」になる。
然るに、
(18)
「横書き」に於いて、
①「(漢文の)管到」=「左の語が、右のことばのどこまでかかるか」ということ。
②「(訓読の)管到」=「右の語が、左のことばのどこまでかかるか」ということ。
従って、
(19)
① 無〈不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}者〉⇒
② 〈{[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不者〉無=
② 〈{[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者〉無し。
に於いて、
①「(漢文の)管到」と、
②「(訓読の)管到」は、「等しい」。
従って、
(09)(10)(17)(19)により、
(20)

十=地=無=〈
八=レ=不={
七=丙=求=[ 
四=下=以=〔 
二=二=解=(
   =  =中=
   =  =国=
一=一=語= )
三=上=法= 〕
六=乙=解=(
  =   =漢=
五=甲=文= )
  =  =  = ]
  =  =  = }
九=天=者= 〉
① 無〈不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}者〉⇒
② 〈{[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不者〉無=
② 〈{[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者〉無し。
に於いて、
(a)「括弧の形(10)」を満たしてゐて、
(b)「返り点の基本(09)」を満たしてゐて、
(c)「(漢文の)管到」と「(訓読の)管到」は「等しい」。
然るに、
(21)
この場合に、
① 十 八 七 四 二 一 三 六 五 九。を、例へば、
④ 九 十 八 七 五 四 二 一 三 六。に、
「置き換へ」るならば、その場合は、
(a)「括弧の形(10)」を満たしてゐない。
(b)「返り点の基本(09)」を満たしてゐない。
(c)「(漢文の)管到」と「(訓読の)管到」は「等しくない」。
といふことは、言ふまでも、ない。
すなはち、
(22)

九=天=者= 〉
十=地=無=〈
八=レ=不={
  =  =漢=
七=丙=求=[ 
五=甲=文= )
四=下=以=〔 
二=二=解=(
  =   =中=
  =   =国=
一=一=語= )
三=上=法= 〕
六=乙=解=(
  =  = = ]
  =  = = }
の場合は、
(a)「括弧の形(10)」を満たしてゐないし、
(b)「返り点の基本(09)」を満たしてゐないし
(c)「(漢文の)管到」と「(訓読の)管到」は「等しくない」。
然るに、
(23)
① 十 八 七 四 二 一 三 六 五 九。
② 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天。
③〈 { [ 〔 ( ) 〕( )]} 〉。
に対して、
④ 九 十 八 七 五 四 二 一 三 六。
⑤ 天 地 レ 甲 丙 下 二 一 上 乙。
⑥ 〉〈 {  )[ 〔 ( )〕( ]}。
であっても、すなはち、
(a)「括弧の形(10)」を満たしてゐないし、
(b)「返り点の基本(09)」を満たしてゐないし
(c)「(漢文の)管到」と「(訓読の)管到」は「等しくない」。にせよ、
⑦ 者無不漢文求以解中国語法解(デタラメ)。
は、
④ 九 十 八 七 五 四 二 一 三 六。
といふ「番号の順番」に従って、
⑦ 者無不漢文求以解中国語法解(デタラメ)⇒
⑧ 中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者無し。
といふ風に、読むことが、出来る。
然るに、
(24)
白話文訓読するとどうなるか、玉里本の中から、白和文特有の構造を持つ訓読例を見てみよう。
第二回 二十三葉ウラ
端的看2不5出3這婆-子的本事1来4。
(端的に這の婆子の本書を看出し来たらず)
(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁:川島優子)
従って、
(24)により、
(25)
端的看2(不5[出3〔這婆-子的本事1)〕来4]⇒
端的([〔這婆-子的本事1)看2〕出3来4]不5=
端的に([〔這の婆-子の本事1を)看2〕出し3来たら4]不5。
であるが故に、すなはち、
⑨ 二 五 三 一 四=
⑨ 二(五[三〔一)〕四]⇒
⑨ ([〔一)二〕三四]五=
⑨ 一 二 三 四 五。
であるが故に、
「端的看2不5出3這婆-子的本事1来4。 」
のやうな、「漢文訓読」ならぬ、「白文訓読」の場合は、
(a)「括弧の形(10)」を満たしてゐないし、
(b)「返り点の基本(09)」を満たしてゐないし
(c)「(漢文の)管到」と「(訓読の)管到」は「等しくない」。
然るに、
(26)
⑦ 者9無10不8漢文5求7以4解2中国語1法3解6(デタラメ)⇒
⑧ 中国語を1解する2法を3以て4漢文5を解せんことを6求め7不る8者9無し10。
のやうな「例」は、「漢文訓読」には、有り得ない。
従って、
(26)により、
(27)
「漢文訓読」であれば、
① 無不求以解中国語法解漢文者=
① 無〈不{求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}者〉⇒
② 〈{[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不者〉無=
② 〈{[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者〉無し。
② 今之学者、中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者無きは、皆悲しむ可きなり。
② 今の学者、訓読を用ゐずに、漢文を理解しようとする者しかゐないことは、悲しむべきことである。
のやうに、
(a)「括弧の形(10)」を満たしてゐて、
(b)「返り点の基本(09)」を満たしてゐて、
(c)「(漢文の)管到」と「(訓読の)管到」は「等しい」。
場合が、全てである。はずである。
従って、
(25)(27)により、
(28)
「白文訓読」ではなく、「漢文訓読」である限り、「管到(括弧)は有ります!」。
平成26年09月11日、毛利太。
(29)
① 中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求むる者  =音読派。
② 中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者=訓読派。
従って、
(30)
③ 中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者無し=訓読派がゐない。
といふことは、
④ 音読派しかゐない=皆が音読派である。
といふことに、他ならない。
従って、
(31)
⑤ 今之学者、中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者無きは、皆悲しむ可きなり。
といふのは、
⑥ 大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)」
ことが「悲しい」といふ、ことである。
平成26年09月12日、毛利太。

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