(01)
( )
〔 〕
[ ]
{ }
〈 〉
を「括弧」とする。
(02)
( )の中には、「括弧」は無く、
〔 〕の中には、一つ以上の( )が有り、
[ ]の中には、一つ以上の〔 〕が有り、
{ }の中には、一つ以上の[ ]が有る。
ならば、その時に限って、『括弧』とする。
従って、
(01)(02)により、
(03)
( )
〔( )〕
〔( )( )〕
[〔( )〕( )]
等は、『括弧』であるが、
〔( 〕)
(〔 )〕
等は、『括弧』ではない。
(04)
「ルール」により、
(Ⅰ)囗の右側が、{[〔( と接してゐないならば、「普通に、読む」。
(Ⅱ)囗の右側が、{[〔( と接してゐる ならば、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
従って、
(05)
読(漢文)。
不〔読(漢文)〕。
有〔読(漢文)者〕。
我不〔必読(漢文)〕。
であれば、
3(12) =漢文を読む。
4〔3(12)〕 =漢文を読まず。
5〔3(12)4〕=漢文を読む者有り。
16〔25(34)〕=我、必ずしも漢文を読まず。
といふ「順番」で、「括弧」の中を「先に読む」。
従って、
(06)
2囗1
に於いて、
1 を、2 よりも「先に読む」ためには、
2(囗1)
としなければ、ならない。
然るに、
(07)
2(囗1)
に於いて、
囗=3
であれば、
2(31)
であるため、
1 だけでなく、3 も、2 よりも「先に読む」ことになる。
然るに、
(08)
213
に於いて、
1 を、2 よりも「先に読む」ためには、
2(1)3
とすれば、良い。
(09)
2囗13
に於いて、
1 を、2 よりも「先に読む」ためには、
2(囗1)3
としなければ、ならない。
然るに、
(10)
2(囗1)3
に於いて、
囗=4
であれば、
2(41)3
であるため、
1 だけでなく、4 も、2 よりも「先に読む」ことになる。
然るに、
(11)
2143
に於いて、
1 を、2 よりも「先に読み」、
3 を、4 よりも「先に読む」ためには、
2(1)4(3)
とすれば、良い。
(12)
5囗3(12)4
に於いて、
3(12)4 を、5 よりも「先に読む」ためには、
5〔囗3(12)4〕
としなければ、ならない。
然るに、
(13)
5〔囗3(12)4〕
に於いて、
囗=6
であれば、
5〔63(12)4〕
であるため、
3(12)4 だけでなく、6 も、5 より「先に読む」ことになる。
然るに、
(14)
5〔3(12)4〕6
であれば、
12 を 読んだ後で、34 を 読み、
34 を 読んだ後で、5 を 読み、その後で、6 を読む。ことになる。
e.g.
非〔読(漢文)者〕也=
5〔3(12)4〕6⇒
〔(12)34〕56=
〔(漢文)読者〕非也=
漢文を読む者に非ざるなり。
従って、
(06)~(14)により、
(15)
2(1)3
2(1)4(3)
5〔3(12)4〕6
ではなく、
2(31)
2(41)3
5〔63(12)4〕
に於ける、
2<3>1(3-1=2)
2<4>1(4-1=3)
5<6>4(6-4=2)
のやうな、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」を含む「順番」は、『括弧』を用ゐて、
N<N+1<N+A
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(16)
4〔2(1)3〕
4〔2(1)3〕5
5〔2(1)34〕6
6〔3(12)45〕7
7〔14(23)56〕8
18〔25(34)67〕9
である。
従って、
(17)
例へば、
4213
42135
521346
6312457
71423568
182534679
といふ「順番」は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」を含んでゐない。
(18)
レ
二 一レ
下 上レ
乙 甲レ
地 天レ
一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
天 地 人
は、「返り点」である。
然るに、
(19)
従って、
(20)
レ
二 一レ
下 上レ
乙 甲レ
地 天レ
の場合は、
二 一
三 二 一
下 中 上
丙 乙 甲
人 地 天
に「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(18)(19)(20)により、
(21)
一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
天 地 人
といふ「四種類」を、「返り点」とする。
(22)
(a)「下(右)から上(左)へ返る点」であって、「上(左)から下(右)へ返る点」ではない。
(b)天・地点の間には甲・乙点が有り、甲・乙点の間には上・下点(か、一・二点)が有り、上・下点の間には一・二点が有る。
といふ「ルール」に適ふならば、その時に限って、『返り点』であるとする。
然るに、
(23)
① 2 3 1
② 2 3 4 1
に付く「返り点」は、
① 二 三 一
② 二 三 四 一
以外には、有り得ない。
加へて、
(24)
① 1 5 2 6 3 4
② 5 1 6 2 7 3
に付く「それ」も、
① 二 三 一
② 二 三 四 一
以外には、有り得ない。
cf.
従って、
(23)(24)により、
(25)
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
に付く「それ」は、
① 二 三 一
② 二 三 四 一
以外には、有り得ない。
然るに、
(26)
① 二 三 一
② 二 三 四 一
であれば、
① 二 → 三
② 二 → 三 → 四
であるため、「左(上)から右(下)へ返ってゐる」。
然るに、
(22)により、
(27)
(a)「左(上)から右(下)へ返ってゐる場合」は『返り点』ではない。
従って、
(26)(27)により、
(28)
① 二 三 一
② 二 三 四 一
といふ「それ」は、『返り点』ではない。
従って、
(25)(28)により、
(29)
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
に付く、
① 二 三 一
② 二 三 四 一
といふ「それ」は、『返り点』ではない。
従って、
(29)により、
(30)
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
といふ「順番」に対しては、『返り点』を付けることは、出来ない。
然るに、
(31)
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
に於いて、
① 2<3>1
① 5<6>4
② 2<3>4>1
② 5<6<7>4
である。
従って、
(31)により、
(32)
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
といふ「順番」は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」を含む「順番」を含んでゐる。
従って、
(15)(32)により、
(33)
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
といふ「順番」に対して、『括弧』を付けることは、出来ない。
従って、
(30)~(33)により、
(34)
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
のやうに、
① 2<3>1
① 5<6>4
② 2<3>4>1
② 5<6<7>4
といふ「順番」をふくむ、「順番」に対して、『括弧・返り点』を付けることは、出来ない。
(35)
「16進数」では足りないため、
A=10
B=11
C=12
D=13
E=14
F=15
G=16
H=17
は、「18進数」である。
然るに、
(36)
例へば、
③ 二 下 丙 人 中 乙 地 上 甲 天 一
③ 2<5<8<C>4<7<B>3<6<A>1
ではなく、
③ B 8 5 2 1 4 3 7 6 A 9
③ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
であれば、これらの中に、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」は、表れない。
従って、
(15)(36)により、
(37)
③ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
といふ『返り点』を伴ふ。
③ B 8 5 2 1 4 3 7 6 A 9
といふ「順番」は、
③ B{8[5〔2(1)4(3)〕7(6)]A(9)}
といふ『括弧』を用ゐて、
③ {[〔(1)2(3)4〕5(6)7]8A(9)}B
③ 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B
といふ「順番」に、「並び替へ(ソートす)る」ことが出来る。
然るに、
(38)
③ H 1 D 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
③ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
③ 1< 2< 3< 6< A< E<
とすれば、これらの中に、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」は、表れない。
従って、
(15)(38)により、
(39)
③ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
といふ『返り点』を伴ふ、
③ H 1 D 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
といふ「順番」は、
③ H{1 D[2 9〔5(3 4)8(6 7)〕C(A B)]G(E F)}
といふ『括弧』を用ゐて、
③ {1 [2 〔(3 4)5(6 7)8〕9(A B)C]D(E F)G}H
③ 1< 2< 3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H
といふ「順番」に、「並び替へ(ソートす)る」ことが出来る。
然るに、
(40)
例へば、
③ B 8 5 2 1 4 3 7 6 A 9
③ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
ではなく、
④ B 8 5 2 3 1 4 7 6 A 9
④ 人 丙 下 二 上 一 中 乙 甲 地 天
であるならば、
④ 3 → 4
④ 上 → 中
であるため、
(a)「左(上)から右(下)へ返ってゐる場合」は『返り点』ではない。
といふことから、
④ B 8 5 2 3 1 4 7 6 A 9
④ 人 丙 下 二 上 一 中 乙 甲 地 天
は、全体として、『返り点』ではない。
加へて、
(41)
④ 2 3 1
④ 二 上 一
であるため、
(b)上・下点の間には一・二点が有る。
とは言へず、この点に於いても、
④ B 8 5 2 3 1 4 7 6 A 9
④ 人 丙 下 二 上 一 中 乙 甲 地 天
は、全体として、『返り点』ではない。
然るに、
(42)
③ H 1 D 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
③ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
ではなく、
④ 1 D H 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
④ 丙 人 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
とするならば、
④ 丙 人 乙
であるため、
(b)天・地点の間には甲・乙点が有る。とは言へないため、
④ 1 D H 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
④ 丙 人 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
は、全体として、『返り点』ではない。
然るに、
(43)
④ B 8 5 2 3 1 4 7 6 A 9
④ 人 丙 下 二 上 一 中 乙 甲 地 天
であれば、
④ 2<3>1
であって、
④ 1 D H 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
④ 丙 人 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
であれば、
④ D<H >C
である。
従って、
(15)(43)により、
(44)
④ B 8 5 2 3 1 4 7 6 A 9
④ 1 D H 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
といふ「順番」は、『括弧』を用ゐて、
④ 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B
④ 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H
といふ「順番」に、「並び替へ(ソートす)る」ことが出来ない。
従って、
(36)~(44)により、
(45)
③ B 8 5 2 1 3 4 7 6 A 9
③ H 1 D 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
であれば、
③ B{8[5〔2(1)4(3)〕7(6)]A(9)}
③ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
③ H{1 D[2 9〔5(3 4)8(6 7)〕C(A B)]G(E F)}
③ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 地 天
といふ『括弧・返り点』を、付けることが出来、
その一方で、
④ B 8 5 2 3 1 4 7 6 A 9
④ 1 D H 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
の場合は、『括弧・返り点』を、付けることが出来ない。
従って、
(34)(45)により、
(46)
③ B 8 5 2 1 3 4 7 6 A 9
③ H 1 D 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
であれば、『括弧・返り点』を、付けることが出来、
その一方で、
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
④ B 8 5 2 3 1 4 7 6 A 9
④ 1 D H 2 9 5 3 4 8 6 7 C A B G E F
の場合は、『括弧・返り点』を、付けることが出来ない。
然るに、
(47)
① 2 3 1
① 1 5 2 6 3 4
② 2 3 4 1
② 5 1 6 2 7 3 4
の場合は、例へば、
① 3 1 2
① 1 4 2 3 6 5
② 4 1 3 2
② 1 2 7 3 5 4 6
とすれば、
① 2<3>1
① 5<6>4
② 2<3>4>1
② 5<6<7>4
といふ「順番」は解消され、その際の『括弧』は、
① 3(1 2)
① 1 4(2 3)6(5)
② 4〔1 3(2)〕
② 1 2 7〔3 5(4)6〕
であって、『返り点』は、
① 二 一
① 二 一 レ
② 二 一レ
② 二 レ 一
である。
従って、
cf.
従って、
(20)(21)(45)(46)(47)により、
(48)
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」と、
レ
二 一レ
下 上レ
乙 甲レ
地 天レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」の間に、「過不足」が生じない限り、
『括弧』 によって表すことが出来る「返読の順番の集合」は、
『返り点』によって表すことが出来る「返読の順番の集合」に等しい。
従って、
(49)
これで「ヲシマイ(Q.E.D.)」であると思ふものの、実際にさうか、次の「40個の順番」等で、確かめることにする。
① 1243
② 1324
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑫ 3214
⑯ 4132
⑰ 4213
⑲ 4312
⑳ 4321
③ 1342 *
⑦ 2314 *
⑧ 2341 *
⑨ 2413 *
⑩ 2431 *
⑪ 3142 *
⑬ 3241 *
⑭ 3412 *
⑮ 3421 *
⑱ 4231 *
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142536
⑲ 7162345
⑳ 7162534
① 2347561 *
② 2534671 *
④ 2734561 *
⑤ 2736451 *
⑥ 2475631 *
⑫ 4236751 *
⑯ 2364571 *
⑰ 4253671 *
⑲ 6234571 *
⑳ 6253471 *
(50)
4P4=4×3×2×1=24個
であるため、
① 1243
② 1324
③ 1342 *
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑦ 2314 *
⑧ 2341 *
⑨ 2413 *
⑩ 2431 *
⑪ 3142 *
⑫ 3214
⑬ 3241 *
⑭ 3412 *
⑮ 3421 *
⑯ 4132
⑰ 4213
⑱ 4231 *
⑲ 4312
⑳ 4321
の中には、
1234
2134
3124
4123
が、入っていない。
然るに、
(51)
① 1234
② 2134
③ 3124
④ 4123
に対する『括弧』は、
① 1234
② 2(1)34
③ 3(12)4
④ 4(123)
であって、尚且つ、『返り点』は、
①
② レ
③ 二 一
④ 二 一
である。
cf.
然るに、
(52)
① 1<2<3<4
② 2>1<3<4
③ 3>1<2<4
④ 4>1<2<3
であるため、
① 1234
② 2134
③ 3124
④ 4123
の場合は、確かに、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」を含んでいない。
然るに、
(53)
① 1243
② 1324
③ 1342 *
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑦ 2314 *
⑧ 2341 *
⑨ 2413 *
⑩ 2431 *
⑪ 3142 *
⑫ 3214
⑬ 3241 *
⑭ 3412 *
⑮ 3421 *
⑯ 4132
⑰ 4213
⑱ 4231 *
⑲ 4312
⑳ 4321
にあって、
① 1243
② 1324
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑫ 3214
⑯ 4132
⑰ 4213
⑲ 4312
⑳ 4321
の場合は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」を含んでいない。
然るに、
(54)
① 1243
② 1324
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑫ 3214
⑯ 4132
⑰ 4213
⑲ 4312
⑳ 4321
に対する『括弧』は、
① 124(3)
② 13(2)4
④ 14(23)
⑤ 14〔3(2)〕
⑥ 2(1)4(3)
⑫ 3〔2(1)〕4
⑯ 4〔13(2)〕
⑰ 4〔2(1)3〕
⑲ 4〔3(12)〕
⑳ 4[3〔2(1)〕]
である。
然るに、
(55)
① 124(3)
② 13(2)4
④ 14(23)
⑤ 14〔3(2)〕
⑥ 2(1)4(3)
⑫ 3〔2(1)〕4
⑯ 4〔13(2)〕
⑰ 4〔2(1)3〕
⑲ 4〔3(12)〕
⑳ 4[3〔2(1)〕]
に対する『返り点』は、
① レ
② レ
④ 二 一
⑤ レ レ
⑥ レ レ
⑫ レ レ
⑯ 二 一レ
⑰ 二 レ 一
⑲ レ 二 一
⑳ レ レ レ
である。
cf.
然るに、
(56)
③ 1342 *
⑦ 2314 *
⑧ 2341 *
⑨ 2413 *
⑩ 2431 *
⑪ 3142 *
⑬ 3241 *
⑭ 3412 *
⑮ 3421 *
⑱ 4231 *
といふ「10個の順番」は、
③ 3<4>2 *
⑦ 2<3>1 *
⑧ 2<3<4>1 *
⑨ 2<4>1 *
⑩ 2<4>3>1 *
⑪ 3<4>2 *
⑬ 2<4>1 *
⑭ 3<4>1 *
⑮ 3<4>2 *
⑱ 2<3>1 *
といふ風に、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」を、含んでゐる。
然るに、
(57)
尚且つ、この場合は、
③ 13(42) *
⑦ 2(31)4 *
⑧ 2(341) *
⑨ 2(41)3 *
⑩ 2(431) *
⑪ 3(142) *
⑬ 3〔2(41)〕 *
⑭ 3(412) *
⑮ 3〔42(1)〕 *
⑱ 4〔2(31)〕 *
といふ『括弧』を用ゐても、
③ 1(42)3 *
⑦ (31)24 *
⑧ (341)2 *
⑨ (41)23 *
⑩ (431)2 *
⑪ (142)3 *
⑬ 〔(41)2〕3 *
⑭ (412)3 *
⑮ 〔4(1)2〕3 *
⑱ 〔(31)2〕4 *
といふ「順番」にしか、ならない。
加へて、
(58)
③ 二 三 一 *
⑦ 二 三 一 *
⑧ 二 三 四 一 *
⑨ 二 下 一 上 *
⑩ 二 四 三 一 *
⑪ 三 一 四 二 *
⑬ 三 二 四 一 *
⑭ 二 三 一 *
⑮ 三 四 二 一 *
⑱ 下 二 上 一 *
であるものの、これらは全て、
(a)『返り点』は、「下(右)から上(左)へ返る点」であって、「上(左)から下(右)へ返る点」ではない。
(b)天・地点の間には甲・乙点が有り、甲・乙点の間には上・下点(か、一・二点)が有り、上・下点の間には一・二点が有る。
といふ「ルール」に「違反」する。
すなはち、
(59)
⑨ 二 下 一 *
⑱ 二 上 一 *
であれば、却って、
一・二点の間に、上・下点が有り、
③ 二 三 *
⑦ 二 三 *
⑧ 二 三 四 *
⑩ 二 三 *
⑪ 三 四 *
⑬ 三 四 *
⑭ 二 三 *
⑮ 三 四 *
であれば、「上(左)から下(右)へ、返ってゐる」。
cf.
従って、
(53)~(59)により、
(60)
① 1243
② 1324
③ 1342 *
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑦ 2314 *
⑧ 2341 *
⑨ 2413 *
⑩ 2431 *
⑪ 3142 *
⑫ 3214
⑬ 3241 *
⑭ 3412 *
⑮ 3421 *
⑯ 4132
⑰ 4213
⑱ 4231 *
⑲ 4312
⑳ 4321
といふ「20個の順番」が与へられた際に、これらの内の「任意の順番」は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番*」を、含んでゐない。ならば、その時に限って、『括弧・返り点』を付けることが、出来る。
然るに、
(61)
① 1243
に対する、
① 1囗2囗4囗3
に於いて、
① 囗 囗 囗
には、「返り点」は付かない。とするならば、
① 1<囗>2<囗>4>囗>3
ではなく、
① 1<囗<2<囗<4>囗<3
でなければ、ならない。
(62)
① 1<囗>2
であれば、例へば、
① 1<3>2
① 1<4>2
① 1<5>2
であるため、
① 1<3>2
の場合で言へば、
① 3 と 2 の間に、
① レ が有って、その
① レ が、
① 3 に付くことになり、それ故、
① 1囗2囗4囗3
に於いて、
① 囗 囗 囗
には、「返り点」は付かない。とするならば、
① 1<囗<2<囗<4>囗<3
でなければ、ならない。
然るに、
(63)
① 囗 囗 囗
は、「自然数」である。
従って、
(62)(63)により、
(64)
① 1<囗<2<囗<4>囗<3
の場合であれば
① 1<2<3<4<7>5<6
でなければ、ならない。
従って、
(64)により、
(65)
① 1243
② 1324
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑫ 3214
⑯ 4132
⑰ 4213
⑲ 4312
⑳ 4321
に対して、例へば、
① 1囗2囗4囗3
② 1囗3囗2囗4
④ 1囗4囗2囗3
⑤ 1囗4囗3囗2
⑥ 2囗1囗4囗3
⑫ 3囗2囗1囗4
⑯ 4囗1囗3囗2
⑰ 4囗2囗1囗3
⑲ 4囗3囗1囗2
⑳ 4囗3囗2囗1
といふ風に、囗を加へたとして、囗には、『返り点』が付かないとすれば、
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142356
⑲ 7162345
⑳ 7162534
といふ「順番」になる。
然るに、
(66)
① 1243
① 1234756
であれば、
① 1 2 4 3
① 1 3 7 6
① 1234756
である。
従って、
(67)
① 1 2 4 3
といふ「順番」が、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番*」を、含んでゐないのであれば、
① 1234756
といふ「順番」も、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番*」を、含んでゐない。
従って、
(53)(65)(66)(67)により、
(68)
① 1243
② 1324
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑫ 3214
⑯ 4132
⑰ 4213
⑲ 4312
⑳ 4321
が、さうであるやうに、
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142356
⑲ 7162345
⑳ 7162534
といふ「順番」は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番」を含んでゐない。
従って、
(15)(16)(54)(68)により、
(69)
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142356
⑲ 7162345
⑳ 7162534
に対する『括弧』も、
① 1 2 4 3
② 1 3 2 4
④ 1 4 2 3
⑤ 1 4 3 2
⑥ 2 1 4 3
⑫ 3 2 1 4
⑯ 4 1 3 2
⑰ 4 2 1 3
⑲ 4 3 1 2
⑳ 4 3 2 1
と同じく、
① 12347(56)
② 125(34)67
④ 127(3456)
⑤ 127〔36(45)〕
⑥ 3(12)47(56)
⑫ 5〔14(23)〕67
⑯ 7〔1236(45)〕
⑰ 7〔14(23)56〕
⑲ 7〔16(2345)〕
⑳ 7[16〔25(34)〕]
である。
然るに、
(70)
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142356
⑲ 7162345
⑳ 7162534
に対して、「レ点」は、付かないため、『返り点』は、
① レ
② レ
④ 二 一
⑤ レ レ
⑥ レ レ
⑫ レ レ
⑯ 二 一レ
⑰ 二 レ 一
⑲ レ 二 一
⑳ レ レ レ
ではなく、
① 二 一
② 二 一
④ 二 一
⑤ 三 二 一
⑥ 二 一 二 一
⑫ 三 二 一
⑯ 三 二 一
⑰ 下 二 一 上
⑲ 三 二 一
⑳ 四 三 二 一
である。
cf.
従って、
(60)(69)(70)により、
(71)
① 1243
② 1324
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑫ 3214
⑯ 4132
⑰ 4213
⑲ 4312
⑳ 4321
③ 1342 *
⑦ 2314 *
⑧ 2341 *
⑨ 2413 *
⑩ 2431 *
⑪ 3142 *
⑬ 3241 *
⑭ 3412 *
⑮ 3421 *
⑱ 4231 *
といふ「20個の順番」に対して、
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142356
⑲ 7162345
⑳ 7162534
といふ「10個の順番」が加はった、「30個の順番」が与へられた際に、これらの内の「任意の順番」は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番*」を、含んでゐない。ならば、その時に限って、『括弧・返り点』を付けることが、出来る。
(72)
① 1│234756
② 1│253467
④ 1│273456
⑤ 1│273645
⑥ 31│24756
⑫ 51│42367
⑯ 71│23645
⑰ 71│42356
⑲ 71│62345
⑳ 71│62534
といふ「順番」を、「│の位置で、前後を入れ換へる」と、
① │2347561
② │2534671
④ │2734561
⑤ │2736451
⑥ │2475631
⑫ │4236751
⑯ │2364571
⑰ │4235671
⑲ │6234571
⑳ │6253471
となって、これらは全て、少なくとも、
① │2<3>1
② │2<5>1
④ │2<7>1
⑤ │2<7>1
⑥ │2<4>1
⑫ │2<3>1
⑯ │2<3>1
⑰ │2<3>1
⑲ │2<3>1
⑳ │2<5>1
といふ「順番」を含んでゐる。
従って、
(72)により、
(73)
① 2347561 *
② 2534671 *
④ 2734561 *
⑤ 2736451 *
⑥ 2475631 *
⑫ 4236751 *
⑯ 2364571 *
⑰ 4235671 *
⑲ 6234571 *
⑳ 6253471 *
といふ「順番」は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番*」を、含んでゐる。
然るに、
(74)
例へば、
① 2347561 *
であれば、
① 2‐3‐475‐61 *
のやうに、「ハイフン」を用ゐることにする。
従って、
(75)
① 2‐3‐475‐61 *
② 253‐46‐71 *
④ 273‐4‐5‐61 *
⑤ 27364‐51 *
⑥ 2475‐631 *
⑫ 42‐36‐751 *
⑯ 2‐364‐571 *
⑰ 42‐35‐6‐71 *
⑲ 62‐3‐4‐571 *
⑳ 6253‐471 *
に於ける、
① 2‐3‐4 5‐6
② 3‐4 6‐7
④ 3‐4‐5‐6
⑤ 4‐5
⑥ 5‐6
⑫ 2‐3 6‐7
⑯ 2‐3 4‐5
⑰ 2‐3 5‐6‐7
⑲ 2‐3‐4‐5
⑳ 3‐4
等は、それぞれが、「熟語(a word)」でなければならない。
従って、
(75)により、
(76)
例えば、
① 2‐3‐475‐61 *
であれば、
①「七文字」からなる「四語」である。
cf.
WORD は、 「四文字」からなる「一語」。
漢字 は、通常、「一文字」からなる「一語」。
従って、
(75)(76)により、
(77)
例へば、
① 2347561 *
① 2‐3‐475‐61 *
であれば、
① 2<7>5>1 *
① 2<4>3>1 *
であると「見做し」、それ故、
① 2347561 *
② 2534671 *
④ 2734561 *
⑤ 2736451 *
⑥ 2475631 *
⑫ 4236751 *
⑯ 2364571 *
⑰ 4235671 *
⑲ 6234571 *
⑳ 6253471 *
といふ「順番」は、
① 2431 *
② 24351 *
④ 2431 *
⑤ 263541 *
⑥ 246531 *
⑫ 32541 *
⑯ 24351 *
⑰ 3241 *
⑲ 3241 *
⑳ 524361 *
といふ風に、「見做す」ことが出来る。
然るに、
(78)
① 2囗囗1 *
② 2囗囗囗1 *
④ 2囗囗1 *
⑤ 2囗囗囗囗1 *
⑥ 2囗囗囗囗1 *
⑫ 32囗囗1 *
⑯ 2囗囗囗1 *
⑰ 32囗1 *
⑲ 32囗1 *
⑳ 52囗囗囗1 *
に於いて、囗≠1であって、囗≠2であるため、囗≧3 である。
従って、
(73)~(78)により、
(79)
① 2431 *
② 24351 *
④ 2431 *
⑤ 263541 *
⑥ 246531 *
⑫ 32541 *
⑯ 24351 *
⑰ 3241 *
⑲ 3241 *
⑳ 524361 *
といふ「順番」も、当然、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番*」を、含んでゐる。
然るに、
(80)
① 2431 *
② 24351 *
④ 2431 *
⑤ 263541 *
⑥ 246531 *
⑫ 32541 *
⑯ 24351 *
⑰ 3241 *
⑲ 3241 *
⑳ 524361 *
に対する「返り点」は、
① 二 四 三 一
② 二 四 三 五 一
④ 二 四 三 一
⑤ 二 下 三 上 四 一
⑥ 二 四 六 五 三 一
⑫ 三 二 五 四 一
⑯ 二 四 三 五 一
⑰ 三 二 四 一
⑲ 三 二 四 一
⑳ 五 二 四 三 六 一
である。
cf.
然るに、
(81)
③ 二 三 一 *
⑦ 二 三 一 *
⑧ 二 三 四 一 *
⑨ 二 下 一 上 *
⑩ 二 四 三 一 *
⑪ 三 一 四 二 *
⑬ 三 二 四 一 *
⑭ 二 三 一 *
⑮ 三 四 二 一 *
⑱ 下 二 上 一 *
に加へて、
① 二 四 三 一 *
② 二 四 三 五 一 *
④ 二 四 三 一 *
⑤ 二 下 三 上 四 一 *
⑥ 二 四 六 五 三 一 *
⑫ 三 二 五 四 一 *
⑯ 二 四 三 五 一 *
⑰ 四 二 五 一 *
⑲ 三 二 四 一 *
⑳ 五 二 四 三 六 一 *
といふ「それら」は、
(a)『返り点』は、「下(右)から上(左)へ返る点」であって、「上(左)から下(右)へ返る点」ではない。
(b)天・地点の間には甲・乙点が有り、甲・乙点の間には上・下点(か、一・二点)が有り、上・下点の間には一・二点が有る。
といふ「ルール」を「無視」してゐるため、『返り点』ではない。
然るに、
(82)
⑳ 4[3〔2(1)〕]
に於いて、
⑳ 2( )⇒( )2
⑳ 3〔 〕⇒〔 〕3
⑳ 4[ ]⇒[ ]4
といふ「倒置」を行ふと、
⑳ 4[3〔2(1)〕]⇒
⑳ [〔(1)2〕3]4=
⑳ 1<2<3<4。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
従って、
(83)
⑩ 2(431) *
の『括弧』を、
⑩ 2(4[3〔1)〕] *
といふ「それ」に「書き換へ」た上で、
⑩ 2( )⇒( )2
⑩ 3〔 〕⇒〔 〕3
⑩ 4[ ]⇒[ ]4
といふ「倒置」を行ふと、
⑩ 2(4[3〔1)〕]⇒
⑩ ([〔1)2〕3]4=
⑩ 1<2<3<4。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
然るに、
(01)(02)(03)により、
(84)
⑳ 4[3〔2(1)〕]
⑩ 2(4[3〔1)〕]
に於いて、
⑳ [〔( )〕] は、『括弧』であるが、
⑩ ([〔 )〕] は、『括弧』ではない。
従って、
(85)
必ずしも、『括弧』である「必要」がない。のであれば、
① 2(4[3〔1)〕]
② 2(4[3〔5{1)〕]}
④ 2(4[3〔1)〕]
⑤ 2(6〈3〔5{4[1)〕]}〉
⑥ 2(4[6〈5{3〔1)〕]}〉
⑫ 3〔2(5{4[1)〕]}
⑯ 2(4[3〔5{1)〕]}
⑰ 3〔2(4[1)〕]
⑲ 3〔2(4[1)〕]
⑳ 5{2(4[3〔6〈1)〕]}〉
① 2‐3-4(7[5‐6〔1)〕]
② 2(5[3‐4〔6‐7{1)〕]}
④ 2(7[3‐4‐5‐6〔1)〕]
⑤ 2(7〈3〔6{4‐5[1)〕]}〉
⑥ 2(4[7〈5‐6{3〔1)〕]}〉
⑫ 4〔2‐3(6‐7{5[1)〕]}
⑯ 2‐3(6[4‐5〔7{1)〕]}
⑰ 4〔2‐3(5‐6‐7[1)〕]
⑲ 6〔2‐3‐4‐5(7[1)〕]
⑳ 6{2(5[3‐4〔7〈1)〕]}〉
といふ「括弧」により、
① ([〔1)2〕3]4
② ([〔{1)2〕3]4}5
④ ([〔1)2〕3]4
⑤ (〈〔{[1)2〕3]4}5〉6
⑥ ([〈{〔1)2〕3]4}5〉6
⑫ 〔({[1)2〕3]4}5
⑯ ([〔{1)2〕3]4}5
⑰ 〔([1)2〕3]4
⑲ 〔([1)2〕3]4
⑳ {([〔〈1)2〕3]4}5〉6
① ([〔1)2‐3-4〕5‐6]7
② ([〔{1)2〕3‐4]5}6‐7
④ ([〔1)2〕3‐4‐5‐6]7
⑤ (〈〔{[1)2〕3]4‐5}6〉7
⑥ ([〈{〔1)2〕3]4}5-6〉7
⑫ [(〔〈{1)2〕3]4}5〉6‐7
⑯ ([〔{1)2‐3〕4‐5]6}7
⑰ 〔([1)2‐3〕4]5‐6‐7
⑲ 〔([1)2‐3‐4‐5〕6]7
⑳ {([〔〈1)2〕3‐4]5}6〉7
といふ「順番」を表すことも、出来ないわけではない。
然るに、
(01)(02)により、
(86)
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142536
⑲ 7162345
⑳ 7162534
に対する、
① ( )
② ( )
④ ( )
⑤ 〔( )〕
⑥ ( )( )
⑫ 〔( )〕
⑯ 〔( )〕
⑰ 〔( )〕
⑲ 〔( )〕
⑳ [〔( )〕]
が、『括弧』であるのに対して、
① 2431 *
② 24351 *
④ 2431 *
⑤ 263541 *
⑥ 246531 *
⑫ 32541 *
⑯ 24351 *
⑰ 3241 *
⑲ 3241 *
⑳ 524361 *
に対する、
① ([〔 )〕]
② ([〔{ )〕]}
④ ([〔 )〕]
⑤ (〈〔{[ )〕]}〉
⑥ ([〈{〔 )〕]}〉
⑫ 〔({[ )〕]}
⑯ ([〔{ )〕]}
⑰ 〔([ )〕]
⑲ 〔([ )〕]
⑳ {([〔〈 )〕]}〉
といふ「それ」は、もちろん、『括弧』ではない。
従って、
(73)(79)(81)(86)により、
(87)
① 2347561 *
② 2534671 *
④ 2734561 *
⑤ 2736451 *
⑥ 2475631 *
⑫ 4236751 *
⑯ 2364571 *
⑰ 4235671 *
⑲ 6234571 *
⑳ 6253471 *
といふ「順番」は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番*」を、含んでゐて、尚かつ、『括弧・返り点』を付けることが出来ない。
従って、
(71)(87)により、
(88)
① 1243
② 1324
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑫ 3214
⑯ 4132
⑰ 4213
⑲ 4312
⑳ 4321
③ 1342 *
⑦ 2314 *
⑧ 2341 *
⑨ 2413 *
⑩ 2431 *
⑪ 3142 *
⑬ 3241 *
⑭ 3412 *
⑮ 3421 *
⑱ 4231 *
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142356
⑲ 7162345
⑳ 7162534
といふ「30個の順番」に対して、
① 2347561 *
② 2534671 *
④ 2734561 *
⑤ 2736451 *
⑥ 2475631 *
⑫ 4236751 *
⑯ 2364571 *
⑰ 4235671 *
⑲ 6234571 *
⑳ 6253471 *
といふ「10個の順番」が加はった、「40個の順番」が与へられた際に、これらの内の「任意の順番」は、
N+1<N+A>N(NとAは自然数で、A≧2)
といふ「順番*」を含んでゐない。ならば、その時に限って、『括弧・返り点』を付けることが、出来る。
従って、
(89)
『括弧』 によって表すことが出来ない「返読の順番*の集合」は、
『返り点』によって表すことが出来ない「返読の順番*の集合」に等しい。
従って、
(90)
『括弧』 によって表すことが出来る「返読の順番の集合」は、
『返り点』によって表すことが出来る「返読の順番の集合」に等しい。
従って、
(88)(90)により、
(91)
① 1243
② 1324
④ 1423
⑤ 1432
⑥ 2143
⑫ 3214
⑯ 4132
⑰ 4213
⑲ 4312
⑳ 4321
① 1234756
② 1253467
④ 1273456
⑤ 1273645
⑥ 3124756
⑫ 5142367
⑯ 7123645
⑰ 7142356
⑲ 7162345
⑳ 7162534
に対する、
① レ
② レ
④ 二 一
⑤ レ レ
⑥ レ レ
⑫ レ レ
⑯ 二 一レ
⑰ 二 レ 一
⑲ レ 二 一
⑳ レ レ レ
① 二 一
② 二 一
④ 二 一
⑤ 三 二 一
⑥ 二 一 二 一
⑫ 三 二 一
⑯ 三 二 一
⑰ 下 二 一 上
⑲ 三 二 一
⑳ 四 三 二 一
は、『返り点』であって、
① 124(3)
② 13(2)4
④ 14(23)
⑤ 14〔3(2)〕
⑥ 2(1)4(3)
⑫ 3〔2(1)〕4
⑯ 4〔13(2)〕
⑰ 4〔2(1)3〕
⑲ 4〔3(12)〕
⑳ 4[3〔2(1)〕]
① 12347(56)
② 125(34)67
④ 127(3456)
⑤ 127〔36(45)〕
⑥ 3(12)47(56)
⑫ 5〔14(23)〕67
⑯ 7〔1236(45)〕
⑰ 7〔14(23)56〕
⑲ 7〔16(2345)〕
⑳ 7[16〔25(34)〕]
は、『括弧』である。
(92)
⑰ 有読書者=
⑰ 書を読む者有り。
といふ「漢文」には、
⑰ 有〔読(書)者〕。
といふ「補足構造」が、初めから有って、その一方で、
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治、
中国語と漢文、1975年、二九六頁)。
とすれば、
⑰ 有読書者=
⑰ 有〔読(書)者〕=
⑰ 4〔2(1)3〕⇒
⑰ 〔(1)23〕4=
⑰ 〔(書)読者〕有=
⑰ 〔(書を)読む者〕有り。
といふ「漢文訓読」が成立することは、「当然」である。
然るに、
(93)
このやうな「事情」が、「全ての漢文訓読」に於いて、成立してゐるとすれば、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」と、
レ
二 一レ
下 上レ
乙 甲レ
地 天レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」の間に、「過不足」が生じない限り、
『返り点』が表す「返読の順番」を、『括弧』でも表すことが出来ることは、当然である。
平成28年04月24日、毛利太。
― 関連サイト ―
(01)『括弧』と『返り点』と「白話文」。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/04/blog-post_34.html
(02)『括弧・返り点』の研究(Ⅲ)。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/05/blog-post_5.html
(03)「返り点」を完璧に説明します。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/03/blog-post_31.html
(04)「返り点」と「括弧」と「補足構造」。:http://kannbunn.blogspot.com/2016/05/blog-post_39.html
2016年4月24日日曜日
2016年4月23日土曜日
『括弧』と『返り点』と「白話文(中国語)」。
(01)
本書は中国歴代の口語文の典型的なものを選んでこれに解説を付し訳注を加へ、中国語を学習する人々の便に供するものである(太田辰夫、新訂 中国歴代口語文、1998年、はしかぎ)。
でいふ「本書」に目を通して分ることは、「中国歴代口語文」と「漢文」は、「完全に別の言語」である。といふことである。
例へば、
(02)
街上東西是很多,老李只想不出買什麼好(離婚)。
這金蓮慌忙梳頭畢,和玉樓同過李瓶兒這邊來(金瓶梅詞話第二十一回)。
他見那矮胖女人合安老爺嘈嘈,湊到跟前把安老爺上下打量兩眼,一把推開那個女人便笑嘻嘻的望着安老爺説道(兒女英雄傳第三十八回):
のやうなテキストは、100%、「漢文」ではない。
(03)
印象としては、
Our Father in heaven,
hallowed be your name,
your kingdom come,
your will be done,
on earth as in heaven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins
as we forgive those who sin against us.
Save us from the time of trial
and deliver us from evil.
For the kingdom, the power, and the glory are yours
now and for ever.
Amen.
に対する「古英語」である、
Fæder ūre þū þe eart on heofonum,
Sī þīn nama ġehālgod.
Tōbecume þīn rīċe,
ġewurþe þīn willa, on eorðan swā swā on heofonum.
Ūre ġedæġhwāmlīcan hlāf syle ūs tō dæġ,
and forgyf ūs ūre gyltas, swā swā wē forgyfað ūrum gyltendum.
And ne ġelǣd þū ūs on costnunge, ac ālȳs ūs of yfele.
Sōþlīċe.
よりも、「異なってゐる」。
(04)
「画像(05)」で示す通り、
① 只-管要纏擾我。
② 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
③ 西門慶促‐忙促‐急儧‐造不出床来。
④ 吃‐了不多酒。
といふ「白話(漢文)」に付く「それ」は、
① 下 二 上 一
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
④ 二 三レ 一
である。
(05)
然るに、
(06)
① 下 二 上 一
であれば、
① 下 二 上
① 二 上 一
であるため、
「上・下点」が、「一・二点」をまたいでゐると同時に、
「一・二点」も、「上・下点」をまたいでゐる。
然るに、
(07)
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、四三頁)
従って、
(04)~(07)により、
(08)
① 只-管要纏擾我。
に付く、
① 下 二 上 一
といふ「それ」は、明らかに、『返り点』ではない。
(09)
〔説明〕二つの返り点がいっしょになるのは、一とレ、上とレ、甲とレ、天とレの四つだけである(志村和久、漢文はやわかり、18頁)。
従って、
(04)(05)(09)により、
(10)
④ 吃‐了不多酒。
④ 二 三レ 一
には、
④ 三レ
が有るため、
④ 吃‐了不多酒。
に付く「それ」も、明らかに、『返り点』ではない。
然るに、
(11)
② 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
③ 西門慶促‐忙促‐急儧‐造不出床来。
に付く、
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
といふ「それ」が、『返り点』ではない。
といふことを示してゐる「参考書」の類を、見つけることが出来ない。
然るに、
(12)
「下から上へ返る点」が、『返り点』であって、
「上から下へ返る点」は、『返り点』ではない。ものの、
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
は、二つとも、
② 二 三 四
であるため、
③ 二 五 三 一 四
といふ「それ」は、「上から下へ返ってゐる」。
従って、
(08)(10)(12)により、
(13)
① 下 二 上 一
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
④ 二 三レ 一
といふ「これら」は、『返り点』ではないし、いづれにせよ、「漢文」であれば、このやうな「返り点」は、絶対に有り得ない。
従って、
(14)
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない(漢文:ウィキペディア)。しかし私が専門にしている中国明清の白話小説は必ずしも漢文訓読の方法では読めません。「白話」というのは話し言葉をもとにした書面語で、それを読むためには現代中国語の知識が必要になります(Webサイト:中川諭|大東文化大学)。
といふよりも、固より、「漢文」ではない所の、「白話文(口頭語)」に対しては、『返り点』すら、「付ける」ことが出来ない。
従って、
(03)(13)により、
(15)
「漢文」と「白話文(中国語)」は、「完全に別の言語」で、尚且つ、
「白話文(中国語)」には、『返り点』すら「付ける」ことが出来ない。
然るに、
(16)
「結論」から言ふと、「述語論理」には『返り点』を付けることが出来るため、
「漢文」と「白話文(中国語)」が、「完全に別の言語」である。といふことと、
「白話文(中国語)」には、『返り点』すら「付ける」ことが出来ない。といふことは、「別の話である」。
(17)
「述語論理」の場合は、
F(x) と書いて、
F(x)=xはFである。
と読む。
(18)
Fx と書いて、
Fx=xはFである。
と読む場合も多いものの、「命題函数」といふ「言ひ方」からすれば、
y=f(x)
にならって、
F(x) と書くのが「正しい」。
(19)
~(F(x)) と書いて、
~(F(x))=xはFでない。
と読むものの、
~(F(x)) =xはFでない。
~(~(F(x))) =xはFでない。ではない。
~(~(~(F(x))))=xはFでない。ではない。ではない。
等の場合は、
~〔F(x)〕 =xはFでない。
~[~〔F(x)〕] =xはFでない。ではない。
~{~[~〔F(x)〕]}=xはFでない。ではない。ではない。
のやうに、
( )〔 〕[ ]{ }
の「順」でを用ゐる、ことにする。
然るに、
(20)
「ルール」により、
(Ⅰ)囗の右側が、{[〔( と接してゐないならば、「普通に、読む」。
(Ⅱ)囗の右側が、{[〔( と接してゐる ならば、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
とする。
(21)
~=ではない。
∨=または、
&=尚且つ、
→=ならば、
( )=といふ
∃x=そのやうなxが存在する。
∀x=ことは、全てのxに於いて、正しい。
P(x) =xはPである。
P(xy)=xはyに対してPである。
とする。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
① ~[∃x〔F(x)〕]=
① xはFである。といふ、そのやうなxは存在しない。
といふ風に、「右から左に読む」。
然るに、
(23)
。む読たまき書に左らか右は語イラブヘ
ヘブライ語は右から左に書きまた読む(片山徹、旧約聖書ヘブライ語入門、1986年、1頁)。
加へて、
(24)
だが二十世紀のはじめには、日本語も右から左へ書いていた(黒田龍之助、もっとにぎやかな外国語の世界、2014年、33頁)。
従って、
(22)(23)(24)により、
(25)
① ~[∃x〔F(x)〕]
であっても、ヘブライ語と同様に、「右から左に書き、右から左に読む」としても、「支障」はない。
然るに、
(26)
「記号」などというものは歴史的経緯や何やらの「人間的な事情」に依存して決まっている便宜的なものにすぎず、数学の本質そのものではない。そして、現在一般的に使われている数学の記号は欧米起源のものなので、日本語とは「すれ違う」側面がある、というだけである。実際に、a+bの代わりに、日本語の「aとbを足す」という表現に応じて、ab+という記号で足し算を表しても支障はない。「ab+なんて思いっきりヘン」と感じるかもしれないが、それは「慣れていないだけ」である。その証拠に、ab+のような「日本語の語順に応じた記号」の体系が構成されていて、それが有益であることが実証されている(中島匠一、集合・写像・論理、2012年、190頁)。
従って、
(22)~(26)により、
(27)
① ~[∃x〔F(x)〕]
であれば、
① [〔(x)F〕∃x]~=
① [〔(xは)Fである。〕といふ、そのやうなxは存在し]ない。
と読んでも、「支障」はない。
従って、
(28)
① ~[∃x〔F(x)〕]
といふ風に、欧米人が書いた「論理式」を、
① ~[∃x〔F(x)〕]⇒
① [〔(x)F〕∃x]~=
① [〔(xは)Fである。〕といふ、そのやうなxは存在し]ない。
といふ風に「訓読」したとしても、「問題」はない。
従って、
(29)
② 如犬有頭其頭不当為牛馬頭=
② 如し犬に頭有らば、其の頭、当に牛馬の頭為る可からず=
② xが犬である所のyの頭であるならば、xは牛や馬である所のyの頭ではない=
② ∀x{∃y〔犬(y)&頭(xy)〕→~[∃y〔牛(y)∨馬(y)&頭(xy)〕]}⇒
② {〔(y)犬&(xy)頭〕∃y→[〔(y)牛∨(y)馬&(xy)頭〕∃y]~}∀x=
② {〔(yは)犬であって、尚且つ、(xはyの)頭である。〕といふ、そのやうなyが存在する。のであれば、[〔(yは)牛であるか、または、(yは)馬であり、尚且つ、(xはyの)頭である。〕といふ、そのやうなyが存在し]ない。}といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ風に「訓読」したとしても、「問題」はない。
然るに、
(30)
② ∀x{∃y〔犬(y)&頭(xy)〕→~[∃y〔牛(y)∨馬(y)&頭(xy)〕]}
に対する「返り点」は、「画像(31)」で示す通り、
② 下‐ 三‐ レ 二 一 上レ 三‐ レ レ 二 一
である。
(31)
cf.
P=yは犬である。
Q=xはyの頭である。
R=yは牛である。
S=yは馬である。
として、「命題論理」であれば、
(yは犬であって、尚且つ、xがyの頭である。)ならば〔(yは牛であるか、yは馬であって、)尚且つ、xはyの頭である。〕といふことはない=
(P&Q)→〔(R∨S)&Q〕~
(P&Q)→~〔(R∨S)&Q〕
~(P&Q)∨~〔(R∨S)&Q〕
~(P&Q)∨〔~(R∨S)∨~Q〕
~(P&Q)∨〔(~R&~S)∨~Q〕
~(P&Q)∨〔~Q∨(~R&~S)〕
~(P&Q)∨〔Q→(~R&~S)〕
~P∨~Q ∨〔Q→(~R&~S)〕
~P∨[~Q∨〔Q→(~R&~S)〕]
~P∨[Q→ 〔Q→(~R&~S)〕]
P→[Q→ 〔Q→(~R&~S)〕]=
yが犬ならば[xがyの頭ならば〔xがyの頭ならば(yは牛ではなく、尚且つ、yは馬ではない)〕]。
然るに、
(32)
「04月24日の記事」で説明する通り、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」と、
レ
二 一レ
下 上レ
乙 甲レ
地 天レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」の間に、「過不足」が生じない限り、
『括弧』 によって表すことが出来る「返読の順番の集合」は、
『返り点』によって表すことが出来る「返読の順番の集合」に等しい。
従って、
(01)(02)(03)(32)により、
(33)
「白話文(話し言葉)」は、『括弧・返り点』を用ゐて、「訓読」することが、出来ず、
「漢文」と「述語論理」は、『括弧・返り点』を用ゐて、「訓読」することが、出来る。
(34)
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}⇒
③ {[(x)人&〔(x)死〕~]∃x}~=
③ {[(xは)人であって、尚且つ〔(xは)死な〕ない]といふ、そのやうなxは存在し}ない。
に対する『返り点』は、
③ レ 二‐ レ 一レ レ
である。
(35)
③ 不[有〔人而不(死)〕]⇒
③ [〔人而(死)不〕有]不=
③ [〔人にして(死せ)ざるは〕有ら]ず。
に対する『返り点』は、
③ レ 二 一レ
である。
然るに、
(36)
③ 不[有〔人而不(死)〕]。
に対して、
③ x (x)(x)
を加へると、
③ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}=
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}。
といふ「等式」が、成立する。
加へて、
(37)
この「文言文」とは、端的に言えば、前近代の統治に関わる士大夫層の文化の中で流通した特殊な書記言語であり、口頭語の表記すなわち「白文」に対して言えば、ニュアンスを示す語などを簡約していわば記号化された表記の文章言語である(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、300頁)。
従って、
(36)(37)により、
(38)
「漢文」は、「述語論理」のやうな「記号化された言語」であって、
「白話」は、「述語論理」のやうな「記号化された言語」ではない。
従って、
(38)により、
(39)
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}⇒
③ {[(x)人&〔(x)死〕~]∃x}~=
③ {[(xは)人であって、尚且つ〔(xは)死な〕ない]といふ、そのやうなxは存在し}ない。
④ ∃x[少女(x)&∀y〔少年(y)→愛(yx)〕]⇒
④ [(x)少女&〔(y)少年→(yx)愛〕∀y]∃x=
④ [(xは)少女であって、尚且つ、〔(yが)少年である。ならば、(yはxを)愛する。〕といふことが、全てのyに於いて、正しい。]といふ、そのやうなxが存在する。
⑤ ∀x[少年(x)→∃y(少女(y)&愛(xy)〕]⇒
⑤ [(x)少年→((y)少女&(xy)愛〕∃y]∀x=
⑤ [(xが)少年であるならば、〔(yは)少女であって、尚且つ、(xはyを)愛する。〕といふ、そのやうなyが存在する。]といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ「述語論理訓読」を「否定」しないのであれば、
③ 不有人而不死。
④ 少女為全少年所愛。
⑤ 少年皆有其所愛少女。
といふ「漢文」を、
⑨ [〔人にして(死せ)ざるは〕有ら]ず。
⑩ 少女〔全少年の(愛する)所と〕為る。
⑪ 少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
といふ風に「訓読」することも、「否定」すべきではない。
然るに、
(40)
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く人は、「述語論理」といふ「言語」を、念頭に置いてゐない。
従って、
(41)
「漢文訓読」は、「白話文」よりも、むしろ「述語論理訓読」と「比較」すべきである。といふ「発想」が有れば、
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
といふやうな「発言」は、なされないものと、思はれる。
(42)
そして重野の講演を後れること七年、文化大学の講師を務めていたイギリス人チャンバレン氏も一八八六年『東洋学芸雑誌』第六一号に「支那語読法ノ改良ヲ望ム」を発表し、「疑ハシキハ日本人ノ此支那語ヲ通読スル伝法ナリ、前ヲ後ニ変へ、下ヲ上ニ遡ラシ、本文ニ見へザル語尾ヲ附シ虚辞ヲ黙シ、若クハ再用スル等ハ、漢文ヲ通読スルコトニアランヤ。寧ロ漢文ヲ破砕シテ、其片塊ヲ以テ随意ニ別類ノ一科奇物ヲ増加セリト云フヲ免カレンヤ。」「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、50頁)。
といふ風に、イギリス人チャンバレン氏が、一八八六年に書いた時、チャンバレン氏は、
「漢文訓読」は、「英語」や「白話文」よりも、むしろ「述語論理訓読」と「比較」すべきである。
といふ風には、思はなかったと、思はれる。
(43)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)。
とあるやうに、昭和5年に、倉石武四郎先生が「漢籍音読」を始めた時、倉石武四郎先生は、
「漢文」は、「白話文」よりも、むしろ「述語論理」に近い。
といふ風には、思はなかったと、思はれる。
然るに、
(44)
(36)を「逆に言ふ」と、
③ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}=
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}⇒
③ {[(x)人&〔(x)死〕~]∃x}~=
③ {[(x)人&〔(x)死〕不]有x}不=
③ {[(xは)人であって、尚且つ〔(xは)死な〕ない]といふ、そのやうな人は存在し}ない。
のやうに、
③ x (x) (x)
を除くと、
③ 不[有〔人而不(死)〕]=
③ ~[∃〔人&~(死)〕]⇒
③ [〔人&(死)~〕∃]~=
③ [〔人であって(死な)ない者は〕存在し]ない。
といふ風に、読むことになるし、このことを、「文語」で言へば、
③ 不有人而不死=
③ 不[有〔人而不(死)〕]⇒
③[〔人而(死)不〕有] 不=
③[〔人にして(死せ)ざるは〕有ら]ず。
といふことに、他ならない。
cf.
「に(断定・ナリの連用形)して(接続詞)」。
「ざる(連体形)」は「死なない人(準体法)」。
従って、
(45)
③ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}=
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}⇒
③ {[(x)人&〔(x)死〕~]∃x}~=
③ {[(x)人&〔(x)死〕不]有x}不=
⑨ {[(xは)人であって、尚且つ〔(xは)死な〕ない]といふ、そのやうな人は存在し}ない。
といふ「述語論理訓読」が、「認められる」のであれば、その一方で、
③ 不有人而不死=
③ 不[有〔人而不(死)〕]⇒
③[〔人而(死)不〕有] 不=
③ [〔人にして(死せ)ざるは〕有ら]ず。
といふ「漢文訓読」を、「認めない」とすれば、明らかに、「不当」である。
更に言へば、
(46)
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}
といふ「述語論理」には『括弧』が有る。一方で、
③ 不[有〔人而不(死)〕]
といふ 「漢文」 には『括弧』が無い。といふことは、考へにくい。
従って、
(47)
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}
といふ「述語論理」に『括弧』が有るやうに、
③ 不有人而不死=
③ 不[有〔人而不(死)〕]
といふ「漢文」にも、『括弧』が有ると、すべきである。
従って、
(48)
倉石武四郎先生が、「述語論理訓読」は「否定」せずに、その一方で、「漢文訓読」を、「認めない」のであれば、
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍が国書であり、漢文が国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様なものである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、60頁)。
といふ「言ひやう」は、「不当」である。
(49)
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、2頁)。
然るに、
(50)
他見那矮胖女人合安老爺嘈嘈,湊到跟前把安老爺上下打量兩眼,一把推開那個女人便笑嘻嘻的望着安老爺説道:『你老別計較他。他喝兩盅子猫溺就是這麼着。也有造了人家的脚倒合人家批禮的?』(兒女英雄傳第三十八回)
のやうな、「北京語(中国語)」は、断じて「漢文」とは「関係」が無い。
cf.
本書に用いられた言語は純粋な北京語であるが、人物によってはその土地の方言を語らせているところがある(太田辰夫、新訂 中国歴代口語文、1998年、17頁)。
cf.
私の後輩に、中国語をずいぶん熱心に勉強している女性がいます。彼女は中国語の検定試験にもチャレンジしている達人ですが、この『論語』の文章を一目みて、「これも中国語ですか? 私には全く分かりません!」と言いました(Webサイト:日本漢文の世界)。
(51)
「漢文音読」が、「訓読」よりも優れてゐるのであれば、「訓読」は、淘汰されてゐなればならないものの、
ともかく筆者が言いたいのは、大学でも漢文の授業の方はしっかりと訓読だけを教えればよいということである。以前このようなことをある講演の際に述べたら、他の大学に勤めている先輩から、自分のところでは音読も取り入れて学生もみな読めるようになっていると力まれて困った。それならばその大学出身の若手が中国学会をリードしているはずである(土田健次郎、大学における訓読教育の必要性)。
との、ことである。
平成成28年04月23日、毛利太。
―「関連サイト」―
(01)『括弧・返り点』の研究(Ⅱ)。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/04/blog-post_24.html
(02)『括弧・返り点』の研究(Ⅲ)。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/05/blog-post._5html
(03)「返り点」を完璧に説明します。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/03/blog-post_31.html
(04)「返り点」と「括弧」と「補足構造」。:http://kannbunn.blogspot.com/2016/05/blog-post_39.html
本書は中国歴代の口語文の典型的なものを選んでこれに解説を付し訳注を加へ、中国語を学習する人々の便に供するものである(太田辰夫、新訂 中国歴代口語文、1998年、はしかぎ)。
でいふ「本書」に目を通して分ることは、「中国歴代口語文」と「漢文」は、「完全に別の言語」である。といふことである。
例へば、
(02)
街上東西是很多,老李只想不出買什麼好(離婚)。
這金蓮慌忙梳頭畢,和玉樓同過李瓶兒這邊來(金瓶梅詞話第二十一回)。
他見那矮胖女人合安老爺嘈嘈,湊到跟前把安老爺上下打量兩眼,一把推開那個女人便笑嘻嘻的望着安老爺説道(兒女英雄傳第三十八回):
のやうなテキストは、100%、「漢文」ではない。
(03)
印象としては、
Our Father in heaven,
hallowed be your name,
your kingdom come,
your will be done,
on earth as in heaven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins
as we forgive those who sin against us.
Save us from the time of trial
and deliver us from evil.
For the kingdom, the power, and the glory are yours
now and for ever.
Amen.
に対する「古英語」である、
Fæder ūre þū þe eart on heofonum,
Sī þīn nama ġehālgod.
Tōbecume þīn rīċe,
ġewurþe þīn willa, on eorðan swā swā on heofonum.
Ūre ġedæġhwāmlīcan hlāf syle ūs tō dæġ,
and forgyf ūs ūre gyltas, swā swā wē forgyfað ūrum gyltendum.
And ne ġelǣd þū ūs on costnunge, ac ālȳs ūs of yfele.
Sōþlīċe.
よりも、「異なってゐる」。
(04)
「画像(05)」で示す通り、
① 只-管要纏擾我。
② 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
③ 西門慶促‐忙促‐急儧‐造不出床来。
④ 吃‐了不多酒。
といふ「白話(漢文)」に付く「それ」は、
① 下 二 上 一
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
④ 二 三レ 一
である。
(05)
然るに、
(06)
① 下 二 上 一
であれば、
① 下 二 上
① 二 上 一
であるため、
「上・下点」が、「一・二点」をまたいでゐると同時に、
「一・二点」も、「上・下点」をまたいでゐる。
然るに、
(07)
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、四三頁)
従って、
(04)~(07)により、
(08)
① 只-管要纏擾我。
に付く、
① 下 二 上 一
といふ「それ」は、明らかに、『返り点』ではない。
(09)
〔説明〕二つの返り点がいっしょになるのは、一とレ、上とレ、甲とレ、天とレの四つだけである(志村和久、漢文はやわかり、18頁)。
従って、
(04)(05)(09)により、
(10)
④ 吃‐了不多酒。
④ 二 三レ 一
には、
④ 三レ
が有るため、
④ 吃‐了不多酒。
に付く「それ」も、明らかに、『返り点』ではない。
然るに、
(11)
② 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
③ 西門慶促‐忙促‐急儧‐造不出床来。
に付く、
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
といふ「それ」が、『返り点』ではない。
といふことを示してゐる「参考書」の類を、見つけることが出来ない。
然るに、
(12)
「下から上へ返る点」が、『返り点』であって、
「上から下へ返る点」は、『返り点』ではない。ものの、
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
は、二つとも、
② 二 三 四
であるため、
③ 二 五 三 一 四
といふ「それ」は、「上から下へ返ってゐる」。
従って、
(08)(10)(12)により、
(13)
① 下 二 上 一
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
④ 二 三レ 一
といふ「これら」は、『返り点』ではないし、いづれにせよ、「漢文」であれば、このやうな「返り点」は、絶対に有り得ない。
従って、
(14)
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない(漢文:ウィキペディア)。しかし私が専門にしている中国明清の白話小説は必ずしも漢文訓読の方法では読めません。「白話」というのは話し言葉をもとにした書面語で、それを読むためには現代中国語の知識が必要になります(Webサイト:中川諭|大東文化大学)。
といふよりも、固より、「漢文」ではない所の、「白話文(口頭語)」に対しては、『返り点』すら、「付ける」ことが出来ない。
従って、
(03)(13)により、
(15)
「漢文」と「白話文(中国語)」は、「完全に別の言語」で、尚且つ、
「白話文(中国語)」には、『返り点』すら「付ける」ことが出来ない。
然るに、
(16)
「結論」から言ふと、「述語論理」には『返り点』を付けることが出来るため、
「漢文」と「白話文(中国語)」が、「完全に別の言語」である。といふことと、
「白話文(中国語)」には、『返り点』すら「付ける」ことが出来ない。といふことは、「別の話である」。
(17)
「述語論理」の場合は、
F(x) と書いて、
F(x)=xはFである。
と読む。
(18)
Fx と書いて、
Fx=xはFである。
と読む場合も多いものの、「命題函数」といふ「言ひ方」からすれば、
y=f(x)
にならって、
F(x) と書くのが「正しい」。
(19)
~(F(x)) と書いて、
~(F(x))=xはFでない。
と読むものの、
~(F(x)) =xはFでない。
~(~(F(x))) =xはFでない。ではない。
~(~(~(F(x))))=xはFでない。ではない。ではない。
等の場合は、
~〔F(x)〕 =xはFでない。
~[~〔F(x)〕] =xはFでない。ではない。
~{~[~〔F(x)〕]}=xはFでない。ではない。ではない。
のやうに、
( )〔 〕[ ]{ }
の「順」でを用ゐる、ことにする。
然るに、
(20)
「ルール」により、
(Ⅰ)囗の右側が、{[〔( と接してゐないならば、「普通に、読む」。
(Ⅱ)囗の右側が、{[〔( と接してゐる ならば、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
とする。
(21)
~=ではない。
∨=または、
&=尚且つ、
→=ならば、
( )=といふ
∃x=そのやうなxが存在する。
∀x=ことは、全てのxに於いて、正しい。
P(x) =xはPである。
P(xy)=xはyに対してPである。
とする。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
① ~[∃x〔F(x)〕]=
① xはFである。といふ、そのやうなxは存在しない。
といふ風に、「右から左に読む」。
然るに、
(23)
。む読たまき書に左らか右は語イラブヘ
ヘブライ語は右から左に書きまた読む(片山徹、旧約聖書ヘブライ語入門、1986年、1頁)。
加へて、
(24)
だが二十世紀のはじめには、日本語も右から左へ書いていた(黒田龍之助、もっとにぎやかな外国語の世界、2014年、33頁)。
従って、
(22)(23)(24)により、
(25)
① ~[∃x〔F(x)〕]
であっても、ヘブライ語と同様に、「右から左に書き、右から左に読む」としても、「支障」はない。
然るに、
(26)
「記号」などというものは歴史的経緯や何やらの「人間的な事情」に依存して決まっている便宜的なものにすぎず、数学の本質そのものではない。そして、現在一般的に使われている数学の記号は欧米起源のものなので、日本語とは「すれ違う」側面がある、というだけである。実際に、a+bの代わりに、日本語の「aとbを足す」という表現に応じて、ab+という記号で足し算を表しても支障はない。「ab+なんて思いっきりヘン」と感じるかもしれないが、それは「慣れていないだけ」である。その証拠に、ab+のような「日本語の語順に応じた記号」の体系が構成されていて、それが有益であることが実証されている(中島匠一、集合・写像・論理、2012年、190頁)。
従って、
(22)~(26)により、
(27)
① ~[∃x〔F(x)〕]
であれば、
① [〔(x)F〕∃x]~=
① [〔(xは)Fである。〕といふ、そのやうなxは存在し]ない。
と読んでも、「支障」はない。
従って、
(28)
① ~[∃x〔F(x)〕]
といふ風に、欧米人が書いた「論理式」を、
① ~[∃x〔F(x)〕]⇒
① [〔(x)F〕∃x]~=
① [〔(xは)Fである。〕といふ、そのやうなxは存在し]ない。
といふ風に「訓読」したとしても、「問題」はない。
従って、
(29)
② 如犬有頭其頭不当為牛馬頭=
② 如し犬に頭有らば、其の頭、当に牛馬の頭為る可からず=
② xが犬である所のyの頭であるならば、xは牛や馬である所のyの頭ではない=
② ∀x{∃y〔犬(y)&頭(xy)〕→~[∃y〔牛(y)∨馬(y)&頭(xy)〕]}⇒
② {〔(y)犬&(xy)頭〕∃y→[〔(y)牛∨(y)馬&(xy)頭〕∃y]~}∀x=
② {〔(yは)犬であって、尚且つ、(xはyの)頭である。〕といふ、そのやうなyが存在する。のであれば、[〔(yは)牛であるか、または、(yは)馬であり、尚且つ、(xはyの)頭である。〕といふ、そのやうなyが存在し]ない。}といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ風に「訓読」したとしても、「問題」はない。
然るに、
(30)
② ∀x{∃y〔犬(y)&頭(xy)〕→~[∃y〔牛(y)∨馬(y)&頭(xy)〕]}
に対する「返り点」は、「画像(31)」で示す通り、
② 下‐ 三‐ レ 二 一 上レ 三‐ レ レ 二 一
である。
(31)
cf.
P=yは犬である。
Q=xはyの頭である。
R=yは牛である。
S=yは馬である。
として、「命題論理」であれば、
(yは犬であって、尚且つ、xがyの頭である。)ならば〔(yは牛であるか、yは馬であって、)尚且つ、xはyの頭である。〕といふことはない=
(P&Q)→〔(R∨S)&Q〕~
(P&Q)→~〔(R∨S)&Q〕
~(P&Q)∨~〔(R∨S)&Q〕
~(P&Q)∨〔~(R∨S)∨~Q〕
~(P&Q)∨〔(~R&~S)∨~Q〕
~(P&Q)∨〔~Q∨(~R&~S)〕
~(P&Q)∨〔Q→(~R&~S)〕
~P∨~Q ∨〔Q→(~R&~S)〕
~P∨[~Q∨〔Q→(~R&~S)〕]
~P∨[Q→ 〔Q→(~R&~S)〕]
P→[Q→ 〔Q→(~R&~S)〕]=
yが犬ならば[xがyの頭ならば〔xがyの頭ならば(yは牛ではなく、尚且つ、yは馬ではない)〕]。
然るに、
(32)
「04月24日の記事」で説明する通り、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」と、
レ
二 一レ
下 上レ
乙 甲レ
地 天レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」の間に、「過不足」が生じない限り、
『括弧』 によって表すことが出来る「返読の順番の集合」は、
『返り点』によって表すことが出来る「返読の順番の集合」に等しい。
従って、
(01)(02)(03)(32)により、
(33)
「白話文(話し言葉)」は、『括弧・返り点』を用ゐて、「訓読」することが、出来ず、
「漢文」と「述語論理」は、『括弧・返り点』を用ゐて、「訓読」することが、出来る。
(34)
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}⇒
③ {[(x)人&〔(x)死〕~]∃x}~=
③ {[(xは)人であって、尚且つ〔(xは)死な〕ない]といふ、そのやうなxは存在し}ない。
に対する『返り点』は、
③ レ 二‐ レ 一レ レ
である。
(35)
③ 不[有〔人而不(死)〕]⇒
③ [〔人而(死)不〕有]不=
③ [〔人にして(死せ)ざるは〕有ら]ず。
に対する『返り点』は、
③ レ 二 一レ
である。
然るに、
(36)
③ 不[有〔人而不(死)〕]。
に対して、
③ x (x)(x)
を加へると、
③ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}=
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}。
といふ「等式」が、成立する。
加へて、
(37)
この「文言文」とは、端的に言えば、前近代の統治に関わる士大夫層の文化の中で流通した特殊な書記言語であり、口頭語の表記すなわち「白文」に対して言えば、ニュアンスを示す語などを簡約していわば記号化された表記の文章言語である(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、300頁)。
従って、
(36)(37)により、
(38)
「漢文」は、「述語論理」のやうな「記号化された言語」であって、
「白話」は、「述語論理」のやうな「記号化された言語」ではない。
従って、
(38)により、
(39)
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}⇒
③ {[(x)人&〔(x)死〕~]∃x}~=
③ {[(xは)人であって、尚且つ〔(xは)死な〕ない]といふ、そのやうなxは存在し}ない。
④ ∃x[少女(x)&∀y〔少年(y)→愛(yx)〕]⇒
④ [(x)少女&〔(y)少年→(yx)愛〕∀y]∃x=
④ [(xは)少女であって、尚且つ、〔(yが)少年である。ならば、(yはxを)愛する。〕といふことが、全てのyに於いて、正しい。]といふ、そのやうなxが存在する。
⑤ ∀x[少年(x)→∃y(少女(y)&愛(xy)〕]⇒
⑤ [(x)少年→((y)少女&(xy)愛〕∃y]∀x=
⑤ [(xが)少年であるならば、〔(yは)少女であって、尚且つ、(xはyを)愛する。〕といふ、そのやうなyが存在する。]といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ「述語論理訓読」を「否定」しないのであれば、
③ 不有人而不死。
④ 少女為全少年所愛。
⑤ 少年皆有其所愛少女。
といふ「漢文」を、
⑨ [〔人にして(死せ)ざるは〕有ら]ず。
⑩ 少女〔全少年の(愛する)所と〕為る。
⑪ 少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
といふ風に「訓読」することも、「否定」すべきではない。
然るに、
(40)
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く人は、「述語論理」といふ「言語」を、念頭に置いてゐない。
従って、
(41)
「漢文訓読」は、「白話文」よりも、むしろ「述語論理訓読」と「比較」すべきである。といふ「発想」が有れば、
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
といふやうな「発言」は、なされないものと、思はれる。
(42)
そして重野の講演を後れること七年、文化大学の講師を務めていたイギリス人チャンバレン氏も一八八六年『東洋学芸雑誌』第六一号に「支那語読法ノ改良ヲ望ム」を発表し、「疑ハシキハ日本人ノ此支那語ヲ通読スル伝法ナリ、前ヲ後ニ変へ、下ヲ上ニ遡ラシ、本文ニ見へザル語尾ヲ附シ虚辞ヲ黙シ、若クハ再用スル等ハ、漢文ヲ通読スルコトニアランヤ。寧ロ漢文ヲ破砕シテ、其片塊ヲ以テ随意ニ別類ノ一科奇物ヲ増加セリト云フヲ免カレンヤ。」「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、50頁)。
といふ風に、イギリス人チャンバレン氏が、一八八六年に書いた時、チャンバレン氏は、
「漢文訓読」は、「英語」や「白話文」よりも、むしろ「述語論理訓読」と「比較」すべきである。
といふ風には、思はなかったと、思はれる。
(43)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)。
とあるやうに、昭和5年に、倉石武四郎先生が「漢籍音読」を始めた時、倉石武四郎先生は、
「漢文」は、「白話文」よりも、むしろ「述語論理」に近い。
といふ風には、思はなかったと、思はれる。
然るに、
(44)
(36)を「逆に言ふ」と、
③ 不{有
③ ~{∃
③ {[
③ {[
③ {[
のやうに、
③ x (x) (x)
を除くと、
③ 不[有〔人而不(死)〕]=
③ ~[∃〔人&~(死)〕]⇒
③ [〔人&(死)~〕∃]~=
③ [〔人であって(死な)ない者は〕存在し]ない。
といふ風に、読むことになるし、このことを、「文語」で言へば、
③ 不有人而不死=
③ 不[有〔人而不(死)〕]⇒
③[〔人而(死)不〕有] 不=
③[〔人にして(死せ)ざるは〕有ら]ず。
といふことに、他ならない。
cf.
「に(断定・ナリの連用形)して(接続詞)」。
「ざる(連体形)」は「死なない人(準体法)」。
従って、
(45)
③ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}=
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}⇒
③ {[(x)人&〔(x)死〕~]∃x}~=
③ {[(x)人&〔(x)死〕不]有x}不=
⑨ {[(xは)人であって、尚且つ〔(xは)死な〕ない]といふ、そのやうな人は存在し}ない。
といふ「述語論理訓読」が、「認められる」のであれば、その一方で、
③ 不有人而不死=
③ 不[有〔人而不(死)〕]⇒
③[〔人而(死)不〕有] 不=
③ [〔人にして(死せ)ざるは〕有ら]ず。
といふ「漢文訓読」を、「認めない」とすれば、明らかに、「不当」である。
更に言へば、
(46)
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}
といふ「述語論理」には『括弧』が有る。一方で、
③ 不[有〔人而不(死)〕]
といふ 「漢文」 には『括弧』が無い。といふことは、考へにくい。
従って、
(47)
③ ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}
といふ「述語論理」に『括弧』が有るやうに、
③ 不有人而不死=
③ 不[有〔人而不(死)〕]
といふ「漢文」にも、『括弧』が有ると、すべきである。
従って、
(48)
倉石武四郎先生が、「述語論理訓読」は「否定」せずに、その一方で、「漢文訓読」を、「認めない」のであれば、
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍が国書であり、漢文が国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様なものである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、60頁)。
といふ「言ひやう」は、「不当」である。
(49)
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、2頁)。
然るに、
(50)
他見那矮胖女人合安老爺嘈嘈,湊到跟前把安老爺上下打量兩眼,一把推開那個女人便笑嘻嘻的望着安老爺説道:『你老別計較他。他喝兩盅子猫溺就是這麼着。也有造了人家的脚倒合人家批禮的?』(兒女英雄傳第三十八回)
のやうな、「北京語(中国語)」は、断じて「漢文」とは「関係」が無い。
cf.
本書に用いられた言語は純粋な北京語であるが、人物によってはその土地の方言を語らせているところがある(太田辰夫、新訂 中国歴代口語文、1998年、17頁)。
cf.
私の後輩に、中国語をずいぶん熱心に勉強している女性がいます。彼女は中国語の検定試験にもチャレンジしている達人ですが、この『論語』の文章を一目みて、「これも中国語ですか? 私には全く分かりません!」と言いました(Webサイト:日本漢文の世界)。
(51)
「漢文音読」が、「訓読」よりも優れてゐるのであれば、「訓読」は、淘汰されてゐなればならないものの、
ともかく筆者が言いたいのは、大学でも漢文の授業の方はしっかりと訓読だけを教えればよいということである。以前このようなことをある講演の際に述べたら、他の大学に勤めている先輩から、自分のところでは音読も取り入れて学生もみな読めるようになっていると力まれて困った。それならばその大学出身の若手が中国学会をリードしているはずである(土田健次郎、大学における訓読教育の必要性)。
との、ことである。
平成成28年04月23日、毛利太。
―「関連サイト」―
(01)『括弧・返り点』の研究(Ⅱ)。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/04/blog-post_24.html
(02)『括弧・返り点』の研究(Ⅲ)。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/05/blog-post._5html
(03)「返り点」を完璧に説明します。 :http://kannbunn.blogspot.com/2016/03/blog-post_31.html
(04)「返り点」と「括弧」と「補足構造」。:http://kannbunn.blogspot.com/2016/05/blog-post_39.html
2016年4月9日土曜日
「括弧」、「返り点」、「漢文横書き」。
(01)
( )
〔 〕
[ ]
{ }
を「括弧」とする。
(02)
( )の中には、「括弧」は無く、
〔 〕の中には、一つ以上の( )が有り、
[ ]の中には、一つ以上の〔 〕が有り、
{ }の中には、一つ以上の[ ]が有る。
ならば、その時に限って、『括弧』とする。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
は、全て『括弧』である。
然るに、
(04)
④ (〔 )〕
であれば、
④ 〔 〕の中に有るのは、
④ ) であって、
④ ( ) ではない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
④ (〔 )〕
に於いて、
④は、『括弧』ではない。
(06)
「ルール」により、
(Ⅰ)囗の右側が、{[〔( と接してゐる。 ならば、「『括弧』の中を先に読む」。
(Ⅱ)囗の右側が、{[〔( と接してゐない。ならば、「順に(左から右へ)読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(07)
⑤ 囗(囗囗)
であれば、
⑤ C(AB)
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)(07)により、
(08)
⑤ C(AB)囗(囗囗)
であれば、
⑤ C(AB)F(DE)
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(08)により、
(09)
⑤ 囗〔C(AB)F(DE)〕
であれば、
⑤ G〔C(AB)F(DE)〕
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)(09)により、
(10)
⑤ G〔C(AB)F(DE)〕囗(囗)
であれば、
⑤ G〔C(AB)F(DE)〕I(H)
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(10)により、
(11)
⑤ 囗[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]
であれば、
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)(11)により、
(12)
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]囗(囗囗)囗
であれば、
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)N
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)(12)により、
(13)
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)N囗(囗囗)
であれば、
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)NQ(OP)
の「順で読む」。
(14)
1<2<A
であるとする。
従って、
(Ⅱ)(13)(14)により、
(15)
⑤ 囗囗J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)NQ(OP)
であれば、
⑤ 12J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)NQ(OP)
の「順である」。
従って、
(14)(15)により、
(16)
⑤ 囗囗J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)NQ(OP)
であれば、
⑤ ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(16)により、
(17)
⑤ 囗{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}
であれば、
⑤ T{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}
の「順で読む」。
従って、
(18)
⑤ T{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}。
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}。
であれば、
使=T=20
籍=A= 1
誠=B= 2
不=L=12
以=I= 9
畜=E= 5
妻=C= 3
子=D= 4
憂=H= 8
飢=F= 6
寒=G= 7
乱=K=11
心=J=10
有=O=15
銭=M=13
財=N=14
以=P=16
済=S=19
医=Q=18
薬=R=17
の「順で読む」。
従って、
(18)により、
(19)
⑤ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}=
⑤ T{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}⇒
⑤ {AB[〔(CD)E(FG)H〕I(J)K]L(MN)OP(QR)S}T=
⑤ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑤ 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
といふ「順番で読む」。
従って、
(19)により、
(20)
⑤ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑤ 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
に対する「返り点」は、
⑤ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
であるが、
⑤ 乙 甲レ
の場合は、
⑤ 丙 乙 甲
であっても、「同じこと」である。
従って、
(20)により、
(21)
⑤ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
⑥ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
に於いて、
⑤=⑥ である。
cf.
然るに、
(22)
⑥ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}=
⑥ T{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}=
⑥ 人{AB丙[下〔二(C一)中(F上)〕乙(甲)]二(M一)P地(Q天)}。
に於いて、
⑥ 畜妻子=妻子を畜ふ=
⑥ ECD=妻子を畜ふ。
ではなく、
⑦ 子畜妻=妻子を畜ふ=
⑦ 453=妻子を畜ふ。
であると、する。
然るに、
(Ⅰ)により、
(23)
⑦ 453。
に於いて、
⑦ 3 を、
⑦ 4 よりも「先に読む」のであれば、
⑦ 4(53)。
でなければ、ならない。
然るに、
(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(24)
⑦ 4(53)。
であれば、
⑦ (53)となってゐる、
⑦ 53 を、 4 よりも「先に読ま」ざるを、得ない。
従って、
(23)(24)により、
(25)
『括弧』を用ゐて、
⑦ 4<5>3。
といふ「順番」を、
⑦ 3<4<5
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(26)
⑧ 4563。
に於いて、
⑧ 3 を、
⑧ 4 よりも「先に読む」のであれば、
⑧ 4(563)。
でなければ、ならない。
然るに、
(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(27)
⑧ 4(563)。
であれば、
⑧ (563)となってゐる、
⑧ 563 を、 4 よりも「先に読ま」ざるを、得ない。
従って、
(26)(27)により、
(28)
『括弧』を用ゐて、
⑧ 4<5<6>3。
といふ「順番」を、
⑧ 3<4<5<6
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
(01)(02)(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(29)
⑨ 46(5)3。
に於いて、
⑨ 3 を、
⑨ 4 よりも「先に読む」のであれば、
⑨ 4〔6(5)3〕。
でなければ、ならない。
然るに、
(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(30)
⑨ 4〔6(5)3〕。
であれば、
⑨ 3 4 5 6。
ではなく、
⑨ 5 6 3 4。
といふ「順で読む」ことになる。
従って、
(29)(30)により、
(31)
『括弧』を用ゐて、
⑨ 4<6>5>3。
といふ「順番」を、
⑨ 3<4<5<6
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
従って、
(25)(28)(31)により、
(32)
『括弧』を用ゐて、
⑦ 4<5>3。
⑧ 4<5<6>3。
⑨ 4<6>5>3。
といふ「順番」を、
⑦ 3<4<5
⑧ 3<4<5<6
⑨ 3<4<5<6
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
従って、
(33)
『括弧』を用ゐて、
N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M≧2)
といふ「順番」を含む「順番」を、
1<2<3<4<5 ・ ・ ・ ・ ・
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(34)
「返り点」が付いてゐない「漢字」と、
「返り点」が付いてゐる 「漢字」が、有る場合、
「返り点」が付いてゐない「漢字」を、「先に読む」。
従って、
(34)により、
(35)
文=2
読=3
漢=1
に対して、「返り点」を付ける際に、
文=2=二
読=3
漢=1=一
とするならば、「返り点」が付いてゐない、
読=3
を、「先に読む」ことになる。
cf.
従って、
(35)により、
(36)
文=2
読=3
漢=1
といふ、「数字の順で読む」場合の「返り点」は、
⑦ 二 三 一
といふ風に、せざるを得ない。
cf.
然るに、
(37)
レ
二 一レ
下 中 上レ
丙 乙 甲レ
人 地 天レ
五 四 三 二 一
下 中 上
戊 丁 丙 乙 甲
人 地 天
を用ゐる限り、「返り点」は、
「下(右)から上(左)へ返る点」であって、
「上(左)から下(右)へ返る点」ではない。
従って、
(37)により、
(38)
⑥ 二 → 三
のやうに、「上(左)から下(右)へ返る点」は、「返り点」ではない。
従って、
(36)(38)により、
(39)
読=2
不=3
書=1
といふ、「数字の順で読む」場合の「返り点」は、
⑦ 二 三 一
といふ風に、せざるを得ない。ものの、その一方で、
⑦ 二 三 一
といふ「返り点」は、有り得ない。
同様に、
(40)
⑧ 二 → 三 → 四
⑨ 二 → 三
といふ「順番」を含む、
⑧ 二 三 四 一
⑨ 二 四 三 一
といふ「返り点」は、有り得ない。
従って、
(39)(40)により、
(41)
『返り点』を用ゐて、
N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M≧2)
といふ「順番」を含む「順番」を、
1<2<3<4<5 ・ ・ ・ ・ ・
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
従って、
(33)(41)により、
(42)
『括弧・返り点』を用ゐて、
N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M≧2)
といふ「順番」を含む「順番」を、
1<2<3<4<5 ・ ・ ・ ・ ・
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(43)
「与えられる順番」は、
⑥ 使籍誠不以 畜妻子 憂飢寒 乱心 有銭財 以 済医薬。
のやうに、
⑥ N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M-N≧2)
といふ「順番」を含まない。か、
⑦ 籍誠不以 子畜妻 寒憂飢 乱使心 財有銭 以 薬済医。
のやうに、
⑦ N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M-N≧2)
といふ「順番」を含んでゐる。かの、いづれかである。
従って、
(19)(42)(43)により、
(44)
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」によって、「訓読が可能な、漢文の、集合」は、
レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」で、「不足」が生じない限り、「返り点」によって、「訓読が可能な、漢文の、集合」であって、
レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」によって、「訓読が可能な、漢文の、集合」は、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」で、「不足」が生じない限り、「括弧」によって、「訓読が可能な、漢文の、集合」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(45)
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」で「不足」が生じるのであれば、
〈 〉
を加へることが、出来る。
(46)
レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」で「不足」が「不足」が生じるのであれば、
レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下 囗 囗
天 地 人 囗 囗
とすることが、出来る。
従って、
(44)(45)(46)により、
(47)
「漢文訓読」に於いて、
「括弧」 によって表すことが出来る「返読の順番の集合」は、
「返り点」によって表すことが出来る「返読の順番の集合」に等しい。
然るに、
(48)
⑩ 2 5 3 1 4
であれば、
⑩ 2<5>1
⑩ 2<3>1
である。
従って、
(48)により、
(49)
⑩ 2 5 3 1 4
であれば、
⑩ N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M≧2)
といふ「順番」を含んでゐる。
従って、
(33)(47)(49)により、
(50)
『括弧・返り点』を用ゐて、
⑩ 2<5 3>1 4
といふ「順番」を、
⑩ 1<2<3<4<5
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(51)
然るに、
(52)
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、四三頁)
従って、
(53)
⑩ 二 五 三 一 四
であれば、
⑩ 二 下 三 一 上
でなければ、ならない。
然るに、
(54)
⑩ 二 下 三 一 上
であれば、
⑩ 二 下 一
であるため、却って、
上下点を、一二点がまたいで返ってゐる。
従って、
(52)(53)(54)により、
(55)
原田種成先生の「説明」によれば、
⑩ 二 五 三 一 四
⑩ 二 下 三 一 上
といふ「返り点」は、有り得ない。
従って、
(56)
少なくとも、原田先生は、それが「漢文」である限り、
⑩ 二 五 三 一 四
⑩ 二 下 三 一 上
といふ「返り点」を、見たことが無かった。といふ、ことになる。
従って、
(57)
川島優子先生が、原田先生による、
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
といふ「説明」を「否定」しないのであれば、『続「訓読」論』の中で、川島先生が言ふ所の「こうした複雑な訓点」といふ言ひ方は、「こうした複雑な返り点」といふ「意味」であることは、出来ない。
(58)
HTMLを使へば、
⑤ 使人 籍誠不乙 以下 畜二 妻子一 憂中 飢寒上 乱甲レ 心 有二 銭財一 以済地 医薬天 =
⑥ 使人 籍誠不丙 以下 畜二 妻子一 憂中 飢寒上 乱乙 心甲 有二 銭財一 以済地 医薬天 ⇒
⑥ 籍誠妻子一 畜二 飢寒上 憂中 以下 心甲 乱乙 不丙 銭財一 有二 以 医薬天 済地 使人=
⑤ 籍をして誠に妻子を畜ひ、飢寒を憂ふるを以て心を乱さ不、銭財有りて以て医薬を済さ使む。
といふ風に、書くことが出来る。
しかしながら、
(59)
「横書き」で良いのであれば、HTMLなど使はずに、そのまま、
⑤ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬 =
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}=
⑤ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑤ 籍をして誠に妻子を畜ひ、飢寒を憂ふるを以て心を乱さず、銭財有りて以て医薬を済さ使む。
と書く方が、「読みやすい」。
加へて、
(60)
「括弧」に比べて、「返り点」は、それなりに「難しい」。
従って、
(61)
「漢文を横書き」するのであれば、わざわざ、「返り点」を使ふ「必要」はない。
平成28年09年04月09日、毛利太。
( )
〔 〕
[ ]
{ }
を「括弧」とする。
(02)
( )の中には、「括弧」は無く、
〔 〕の中には、一つ以上の( )が有り、
[ ]の中には、一つ以上の〔 〕が有り、
{ }の中には、一つ以上の[ ]が有る。
ならば、その時に限って、『括弧』とする。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
は、全て『括弧』である。
然るに、
(04)
④ (〔 )〕
であれば、
④ 〔 〕の中に有るのは、
④ ) であって、
④ ( ) ではない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
④ (〔 )〕
に於いて、
④は、『括弧』ではない。
(06)
「ルール」により、
(Ⅰ)囗の右側が、{[〔( と接してゐる。 ならば、「『括弧』の中を先に読む」。
(Ⅱ)囗の右側が、{[〔( と接してゐない。ならば、「順に(左から右へ)読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(07)
⑤ 囗(囗囗)
であれば、
⑤ C(AB)
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)(07)により、
(08)
⑤ C(AB)囗(囗囗)
であれば、
⑤ C(AB)F(DE)
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(08)により、
(09)
⑤ 囗〔C(AB)F(DE)〕
であれば、
⑤ G〔C(AB)F(DE)〕
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)(09)により、
(10)
⑤ G〔C(AB)F(DE)〕囗(囗)
であれば、
⑤ G〔C(AB)F(DE)〕I(H)
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(10)により、
(11)
⑤ 囗[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]
であれば、
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)(11)により、
(12)
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]囗(囗囗)囗
であれば、
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)N
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(Ⅱ)(12)により、
(13)
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)N囗(囗囗)
であれば、
⑤ J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)NQ(OP)
の「順で読む」。
(14)
1<2<A
であるとする。
従って、
(Ⅱ)(13)(14)により、
(15)
⑤ 囗囗J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)NQ(OP)
であれば、
⑤ 12J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)NQ(OP)
の「順である」。
従って、
(14)(15)により、
(16)
⑤ 囗囗J[G〔C(AB)F(DE)〕I(H)]M(KL)NQ(OP)
であれば、
⑤ ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)
の「順で読む」。
従って、
(Ⅰ)(16)により、
(17)
⑤ 囗{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}
であれば、
⑤ T{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}
の「順で読む」。
従って、
(18)
⑤ T{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}。
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}。
であれば、
使=T=20
籍=A= 1
誠=B= 2
不=L=12
以=I= 9
畜=E= 5
妻=C= 3
子=D= 4
憂=H= 8
飢=F= 6
寒=G= 7
乱=K=11
心=J=10
有=O=15
銭=M=13
財=N=14
以=P=16
済=S=19
医=Q=18
薬=R=17
の「順で読む」。
従って、
(18)により、
(19)
⑤ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}=
⑤ T{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}⇒
⑤ {AB[〔(CD)E(FG)H〕I(J)K]L(MN)OP(QR)S}T=
⑤ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑤ 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
といふ「順番で読む」。
従って、
(19)により、
(20)
⑤ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑤ 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
に対する「返り点」は、
⑤ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
であるが、
⑤ 乙 甲レ
の場合は、
⑤ 丙 乙 甲
であっても、「同じこと」である。
従って、
(20)により、
(21)
⑤ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
⑥ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
に於いて、
⑤=⑥ である。
cf.
然るに、
(22)
⑥ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}=
⑥ T{ABL[I〔E(CD)H(FG)〕K(J)]O(MN)PS(QR)}=
⑥ 人{AB丙[下〔二(C一)中(F上)〕乙(甲)]二(M一)P地(Q天)}。
に於いて、
⑥ 畜妻子=妻子を畜ふ=
⑥ ECD=妻子を畜ふ。
ではなく、
⑦ 子畜妻=妻子を畜ふ=
⑦ 453=妻子を畜ふ。
であると、する。
然るに、
(Ⅰ)により、
(23)
⑦ 453。
に於いて、
⑦ 3 を、
⑦ 4 よりも「先に読む」のであれば、
⑦ 4(53)。
でなければ、ならない。
然るに、
(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(24)
⑦ 4(53)。
であれば、
⑦ (53)となってゐる、
⑦ 53 を、 4 よりも「先に読ま」ざるを、得ない。
従って、
(23)(24)により、
(25)
『括弧』を用ゐて、
⑦ 4<5>3。
といふ「順番」を、
⑦ 3<4<5
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(26)
⑧ 4563。
に於いて、
⑧ 3 を、
⑧ 4 よりも「先に読む」のであれば、
⑧ 4(563)。
でなければ、ならない。
然るに、
(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(27)
⑧ 4(563)。
であれば、
⑧ (563)となってゐる、
⑧ 563 を、 4 よりも「先に読ま」ざるを、得ない。
従って、
(26)(27)により、
(28)
『括弧』を用ゐて、
⑧ 4<5<6>3。
といふ「順番」を、
⑧ 3<4<5<6
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
(01)(02)(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(29)
⑨ 46(5)3。
に於いて、
⑨ 3 を、
⑨ 4 よりも「先に読む」のであれば、
⑨ 4〔6(5)3〕。
でなければ、ならない。
然るに、
(Ⅰ)(Ⅱ)により、
(30)
⑨ 4〔6(5)3〕。
であれば、
⑨ 3 4 5 6。
ではなく、
⑨ 5 6 3 4。
といふ「順で読む」ことになる。
従って、
(29)(30)により、
(31)
『括弧』を用ゐて、
⑨ 4<6>5>3。
といふ「順番」を、
⑨ 3<4<5<6
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
従って、
(25)(28)(31)により、
(32)
『括弧』を用ゐて、
⑦ 4<5>3。
⑧ 4<5<6>3。
⑨ 4<6>5>3。
といふ「順番」を、
⑦ 3<4<5
⑧ 3<4<5<6
⑨ 3<4<5<6
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
従って、
(33)
『括弧』を用ゐて、
N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M≧2)
といふ「順番」を含む「順番」を、
1<2<3<4<5 ・ ・ ・ ・ ・
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(34)
「返り点」が付いてゐない「漢字」と、
「返り点」が付いてゐる 「漢字」が、有る場合、
「返り点」が付いてゐない「漢字」を、「先に読む」。
従って、
(34)により、
(35)
文=2
読=3
漢=1
に対して、「返り点」を付ける際に、
文=2=二
読=3
漢=1=一
とするならば、「返り点」が付いてゐない、
読=3
を、「先に読む」ことになる。
cf.
従って、
(35)により、
(36)
文=2
読=3
漢=1
といふ、「数字の順で読む」場合の「返り点」は、
⑦ 二 三 一
といふ風に、せざるを得ない。
cf.
然るに、
(37)
レ
二 一レ
下 中 上レ
丙 乙 甲レ
人 地 天レ
五 四 三 二 一
下 中 上
戊 丁 丙 乙 甲
人 地 天
を用ゐる限り、「返り点」は、
「下(右)から上(左)へ返る点」であって、
「上(左)から下(右)へ返る点」ではない。
従って、
(37)により、
(38)
⑥ 二 → 三
のやうに、「上(左)から下(右)へ返る点」は、「返り点」ではない。
従って、
(36)(38)により、
(39)
読=2
不=3
書=1
といふ、「数字の順で読む」場合の「返り点」は、
⑦ 二 三 一
といふ風に、せざるを得ない。ものの、その一方で、
⑦ 二 三 一
といふ「返り点」は、有り得ない。
同様に、
(40)
⑧ 二 → 三 → 四
⑨ 二 → 三
といふ「順番」を含む、
⑧ 二 三 四 一
⑨ 二 四 三 一
といふ「返り点」は、有り得ない。
従って、
(39)(40)により、
(41)
『返り点』を用ゐて、
N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M≧2)
といふ「順番」を含む「順番」を、
1<2<3<4<5 ・ ・ ・ ・ ・
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
従って、
(33)(41)により、
(42)
『括弧・返り点』を用ゐて、
N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M≧2)
といふ「順番」を含む「順番」を、
1<2<3<4<5 ・ ・ ・ ・ ・
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(43)
「与えられる順番」は、
⑥ 使籍誠不以 畜妻子 憂飢寒 乱心 有銭財 以 済医薬。
のやうに、
⑥ N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M-N≧2)
といふ「順番」を含まない。か、
⑦ 籍誠不以 子畜妻 寒憂飢 乱使心 財有銭 以 薬済医。
のやうに、
⑦ N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M-N≧2)
といふ「順番」を含んでゐる。かの、いづれかである。
従って、
(19)(42)(43)により、
(44)
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」によって、「訓読が可能な、漢文の、集合」は、
レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」で、「不足」が生じない限り、「返り点」によって、「訓読が可能な、漢文の、集合」であって、
レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」によって、「訓読が可能な、漢文の、集合」は、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」で、「不足」が生じない限り、「括弧」によって、「訓読が可能な、漢文の、集合」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(45)
( )
〔 〕
[ ]
{ }
といふ「括弧」で「不足」が生じるのであれば、
〈 〉
を加へることが、出来る。
(46)
レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
天 地 人
といふ「返り点」で「不足」が「不足」が生じるのであれば、
レ
一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
上 中 下 囗 囗
天 地 人 囗 囗
とすることが、出来る。
従って、
(44)(45)(46)により、
(47)
「漢文訓読」に於いて、
「括弧」 によって表すことが出来る「返読の順番の集合」は、
「返り点」によって表すことが出来る「返読の順番の集合」に等しい。
然るに、
(48)
⑩ 2 5 3 1 4
であれば、
⑩ 2<5>1
⑩ 2<3>1
である。
従って、
(48)により、
(49)
⑩ 2 5 3 1 4
であれば、
⑩ N+1<N+M>N(NとMは自然数で、M≧2)
といふ「順番」を含んでゐる。
従って、
(33)(47)(49)により、
(50)
『括弧・返り点』を用ゐて、
⑩ 2<5 3>1 4
といふ「順番」を、
⑩ 1<2<3<4<5
といふ「順番」に「並び替へ(ソートす)る」ことは、出来ない。
然るに、
(51)
然るに、
(52)
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、四三頁)
従って、
(53)
⑩ 二 五 三 一 四
であれば、
⑩ 二 下 三 一 上
でなければ、ならない。
然るに、
(54)
⑩ 二 下 三 一 上
であれば、
⑩ 二 下 一
であるため、却って、
上下点を、一二点がまたいで返ってゐる。
従って、
(52)(53)(54)により、
(55)
原田種成先生の「説明」によれば、
⑩ 二 五 三 一 四
⑩ 二 下 三 一 上
といふ「返り点」は、有り得ない。
従って、
(56)
少なくとも、原田先生は、それが「漢文」である限り、
⑩ 二 五 三 一 四
⑩ 二 下 三 一 上
といふ「返り点」を、見たことが無かった。といふ、ことになる。
従って、
(57)
川島優子先生が、原田先生による、
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
といふ「説明」を「否定」しないのであれば、『続「訓読」論』の中で、川島先生が言ふ所の「こうした複雑な訓点」といふ言ひ方は、「こうした複雑な返り点」といふ「意味」であることは、出来ない。
(58)
HTMLを使へば、
⑤ 使人 籍誠不乙 以下 畜二 妻子一 憂中 飢寒上 乱甲レ 心 有二 銭財一 以済地 医薬天 =
⑥ 使人 籍誠不丙 以下 畜二 妻子一 憂中 飢寒上 乱乙 心甲 有二 銭財一 以済地 医薬天 ⇒
⑥ 籍誠妻子一 畜二 飢寒上 憂中 以下 心甲 乱乙 不丙 銭財一 有二 以 医薬天 済地 使人=
⑤ 籍をして誠に妻子を畜ひ、飢寒を憂ふるを以て心を乱さ不、銭財有りて以て医薬を済さ使む。
といふ風に、書くことが出来る。
しかしながら、
(59)
「横書き」で良いのであれば、HTMLなど使はずに、そのまま、
⑤ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬 =
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}=
⑤ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑤ 籍をして誠に妻子を畜ひ、飢寒を憂ふるを以て心を乱さず、銭財有りて以て医薬を済さ使む。
と書く方が、「読みやすい」。
加へて、
(60)
「括弧」に比べて、「返り点」は、それなりに「難しい」。
従って、
(61)
「漢文を横書き」するのであれば、わざわざ、「返り点」を使ふ「必要」はない。
平成28年09年04月09日、毛利太。
2016年4月4日月曜日
「述語論理と漢文」に於ける「括弧」の用法。
(01)
( )
〔 〕
[ ]
{ }
〈 〉
を「括弧」とする。
(02)
( )の中には、「括弧」は無く、
〔 〕の中には、一つ以上の( )が有り、
[ ]の中には、一つ以上の〔 〕が有り、
{ }の中には、一つ以上の[ ]が有り、
〈 〉の中には、一つ以上の{ }が有る。
ならば、その時に限って、『括弧』とする。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
は、全て『括弧』である。
然るに、
(04)
④ 〔( 〕)
であれば、
④ 〔 〕の中に有るのは、
④ ( であって、
④ ( )ではない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
④ 〔( 〕)
に於いて、
④は、『括弧』ではない。
(06)
『括弧』の中には、
囗=漢字
囗=16進数
囗=論理記号
囗=アルファベット
等が、入ってゐる。
(07)
AF〈E{D[C〔B(
に於いて、
A 以外は、
〈{[〔( と接してゐる。
(08)
「ルール」により、
囗の右側が、〈{[〔( と接してゐるならば、その時に限って、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
従って、
(08)により、
(09)
⑤ 囗(A)囗囗
であれば、
⑤ B(A)CD
の「順で読む」。
従って、
(08)(09)により、
(10)
⑤ B(A)CD(囗囗)
であれば、
⑤ B(A)CF(DE)
の「順で読む」。
従って、
(08)(10)により、
(11)
⑤ 囗〔B(A)CF(DE)〕囗
であれば、
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕H
の「順で読む」。
従って、
(08)(11)により、
(12)
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕H囗(囗)囗
であれば、
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)K
の「順で読む」。
従って、
(08)(12)により、
(13)
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)K囗(囗)囗
であれば、
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)KM(L)N
の「順で読む」。
従って、
(08)(13)により、
(14)
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)KM(L)N囗(囗囗)
であれば、
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)KM(L)NQ(OP)
の「順で読む」。
従って、
(08)(14)により、
(15)
⑤ 囗{G〔B(A)CF(DE)〕H囗[囗〔J(I)KM(L)NQ(OP)〕]}
であれば、
⑤ T{G〔B(A)CF(DE)〕HS[R〔J(I)KM(L)NQ(OP)〕]}
の「順で読む」。
従って、
(15)により、
(16)
⑤ T{ G〔B(A)CF(DE)〕HS[ R〔J(I)KM(L)NQ(OP)〕]}
⑤ ∀x{∃y〔犬(y)&頭(xy)〕→~[∃y〔牛(y)∨馬(y)&頭(xy)〕]}
であるならば、
A=y
B=犬
C=&
D=x
E=y
F=頭
G=∃y
H=→
I=y
J=牛
K=∨
L=y
M=馬
N=&
O=x
P=y
Q=頭
R=∃y
S=~
T=∀x
といふ「順番で読む」。
然るに、
(17)
~=ではない。
∨=または、
&=尚且つ、
→=ならば、
「括弧」=といふ
∃x=そのやうなxが存在する。
∀x=ことは、全てのxに於いて、正しい。
P(x) =xはPである。
P(xy)=xはyに対してPである。
とする。
従って、
(16)(17)により、
(18)
囗の右側が、〈{[〔( と接してゐるならば、その時に限って、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
といふ「シンプルなルール」により、
⑤ 犬の頭は、牛の頭でも、馬の頭でもない=
⑤ xが犬である所のyの頭であるならば、xは牛や馬である所のyの頭ではない=
⑤ ∀x{∃y〔犬(y)&頭(xy)〕→~[∃y〔牛(y)∨馬(y)&頭(xy)〕]}⇒
⑤ {〔(y)犬&(xy)頭〕∃y→[〔(y)牛∨(y)馬&(xy)頭〕∃y]~}∀x=
⑤ {〔(yは)犬であって、尚且つ、(xはyの)頭である。〕といふ、そのやうなyが存在する。のであれば、[〔(yは)牛であるか、または、(yは)馬であり、尚且つ、(xはyの)頭である。〕といふ、そのやうなyが存在し]ない。}といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ「述語論理訓読」が、成立する。
(08)により、
(19)
⑥ 囗(12)囗
であれば、
⑥ 3(12)4
の「順で読む」。
従って、
(08)(19)により、
(20)
⑥ 囗〔3(12)4〕囗
であれば、
⑥ 5〔3(12)4〕6
の「順で読む」。
従って、
(08)(20)により、
(21)
⑥ 5〔3(12)4〕6(囗囗)
であれば、
⑥ 5〔3(12)4〕8(67)
の「順で読む」。
従って、
(08)(21)により、
(22)
⑥ 囗[5〔3(12)4〕8(67)]
であれば、
⑥ 9[5〔3(12)4〕8(67)]
の「順で読む」。
従って、
(08)(22)により、
(23)
⑥ 囗9[5〔3(12)4〕8(67)]
であれば、
⑥ 1A[6〔4(23)5〕9(78)]
の「順で読む」。
従って、
(08)(23)により、
(24)
⑥ 囗{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}
であれば、
⑥ B{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}
の「順で読む」。
従って、
(08)(24)により、
(25)
⑥ 囗〈B{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}囗〉
であれば、
⑥ D〈B{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}C〉
の「順で読む」。
従って、
(08)(25)により、
(26)
⑥ 囗囗D〈B{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}C〉。
であれば、
⑥ 12F〈D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉。
の「順で読む」。
従って、
(26)により、
(27)
⑥ 中野有〈不{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]}者〉。
⑥ 12F〈D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉。
であれば、
中=1
野=2
必=3
白=4
話=5
解=6
法=7
以=8
漢=9
文=A
解=B
求=C
不=D
者=E
有=F
の「順で読む」。
従って、
(27)により、
(28)
囗の右側が、〈{[〔( と接してゐるならば、その時に限って、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
といふ「シンプルなルール」により、
⑥ 中野有〈不{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]}者〉⇒
⑥ 中野〈{必[〔(白話)解法〕以(漢文)解]求}不者〉有=
⑥ 中野に必ずしも白話を解する法を以て漢文を解せんことを求めざる者有り。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(29)
この「文言文」とは、端的に言えば、前近代の統治に関わる士大夫層の文化の中で流通した特殊な書記言語であり、口頭語の表記すなわち「白話」に対して言えば、ニュアンスを示す語などを簡約していわば記号化された表記の文章言語である(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、300頁)。
cf.
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア:漢文)。
従って、
(18)(28)(29)により、
(30)
囗の右側が、〈{[〔( と接してゐるならば、その時に限って、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
といふ「シンプルなルール」により、「記号論理・訓読」が成立し、「記号化された表記の文章言語・訓読」が成立する。
平成28年04月04日、毛利太。
( )
〔 〕
[ ]
{ }
〈 〉
を「括弧」とする。
(02)
( )の中には、「括弧」は無く、
〔 〕の中には、一つ以上の( )が有り、
[ ]の中には、一つ以上の〔 〕が有り、
{ }の中には、一つ以上の[ ]が有り、
〈 〉の中には、一つ以上の{ }が有る。
ならば、その時に限って、『括弧』とする。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
は、全て『括弧』である。
然るに、
(04)
④ 〔( 〕)
であれば、
④ 〔 〕の中に有るのは、
④ ( であって、
④ ( )ではない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① ( )
② 〔( )〕
③ 〔( )( )〕
④ 〔( 〕)
に於いて、
④は、『括弧』ではない。
(06)
『括弧』の中には、
囗=漢字
囗=16進数
囗=論理記号
囗=アルファベット
等が、入ってゐる。
(07)
AF〈E{D[C〔B(
に於いて、
A 以外は、
〈{[〔( と接してゐる。
(08)
「ルール」により、
囗の右側が、〈{[〔( と接してゐるならば、その時に限って、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
従って、
(08)により、
(09)
⑤ 囗(A)囗囗
であれば、
⑤ B(A)CD
の「順で読む」。
従って、
(08)(09)により、
(10)
⑤ B(A)CD(囗囗)
であれば、
⑤ B(A)CF(DE)
の「順で読む」。
従って、
(08)(10)により、
(11)
⑤ 囗〔B(A)CF(DE)〕囗
であれば、
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕H
の「順で読む」。
従って、
(08)(11)により、
(12)
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕H囗(囗)囗
であれば、
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)K
の「順で読む」。
従って、
(08)(12)により、
(13)
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)K囗(囗)囗
であれば、
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)KM(L)N
の「順で読む」。
従って、
(08)(13)により、
(14)
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)KM(L)N囗(囗囗)
であれば、
⑤ G〔B(A)CF(DE)〕HJ(I)KM(L)NQ(OP)
の「順で読む」。
従って、
(08)(14)により、
(15)
⑤ 囗{G〔B(A)CF(DE)〕H囗[囗〔J(I)KM(L)NQ(OP)〕]}
であれば、
⑤ T{G〔B(A)CF(DE)〕HS[R〔J(I)KM(L)NQ(OP)〕]}
の「順で読む」。
従って、
(15)により、
(16)
⑤ T{ G〔B(A)CF(DE)〕HS[ R〔J(I)KM(L)NQ(OP)〕]}
⑤ ∀x{∃y〔犬(y)&頭(xy)〕→~[∃y〔牛(y)∨馬(y)&頭(xy)〕]}
であるならば、
A=y
B=犬
C=&
D=x
E=y
F=頭
G=∃y
H=→
I=y
J=牛
K=∨
L=y
M=馬
N=&
O=x
P=y
Q=頭
R=∃y
S=~
T=∀x
といふ「順番で読む」。
然るに、
(17)
~=ではない。
∨=または、
&=尚且つ、
→=ならば、
「括弧」=といふ
∃x=そのやうなxが存在する。
∀x=ことは、全てのxに於いて、正しい。
P(x) =xはPである。
P(xy)=xはyに対してPである。
とする。
従って、
(16)(17)により、
(18)
囗の右側が、〈{[〔( と接してゐるならば、その時に限って、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
といふ「シンプルなルール」により、
⑤ 犬の頭は、牛の頭でも、馬の頭でもない=
⑤ xが犬である所のyの頭であるならば、xは牛や馬である所のyの頭ではない=
⑤ ∀x{∃y〔犬(y)&頭(xy)〕→~[∃y〔牛(y)∨馬(y)&頭(xy)〕]}⇒
⑤ {〔(y)犬&(xy)頭〕∃y→[〔(y)牛∨(y)馬&(xy)頭〕∃y]~}∀x=
⑤ {〔(yは)犬であって、尚且つ、(xはyの)頭である。〕といふ、そのやうなyが存在する。のであれば、[〔(yは)牛であるか、または、(yは)馬であり、尚且つ、(xはyの)頭である。〕といふ、そのやうなyが存在し]ない。}といふことは、全てのxに於いて、正しい。
といふ「述語論理訓読」が、成立する。
(08)により、
(19)
⑥ 囗(12)囗
であれば、
⑥ 3(12)4
の「順で読む」。
従って、
(08)(19)により、
(20)
⑥ 囗〔3(12)4〕囗
であれば、
⑥ 5〔3(12)4〕6
の「順で読む」。
従って、
(08)(20)により、
(21)
⑥ 5〔3(12)4〕6(囗囗)
であれば、
⑥ 5〔3(12)4〕8(67)
の「順で読む」。
従って、
(08)(21)により、
(22)
⑥ 囗[5〔3(12)4〕8(67)]
であれば、
⑥ 9[5〔3(12)4〕8(67)]
の「順で読む」。
従って、
(08)(22)により、
(23)
⑥ 囗9[5〔3(12)4〕8(67)]
であれば、
⑥ 1A[6〔4(23)5〕9(78)]
の「順で読む」。
従って、
(08)(23)により、
(24)
⑥ 囗{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}
であれば、
⑥ B{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}
の「順で読む」。
従って、
(08)(24)により、
(25)
⑥ 囗〈B{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}囗〉
であれば、
⑥ D〈B{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}C〉
の「順で読む」。
従って、
(08)(25)により、
(26)
⑥ 囗囗D〈B{1A[6〔4(23)5〕9(78)]}C〉。
であれば、
⑥ 12F〈D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉。
の「順で読む」。
従って、
(26)により、
(27)
⑥ 中野有〈不{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]}者〉。
⑥ 12F〈D{3C[8〔6(45)7〕B(9A)]}E〉。
であれば、
中=1
野=2
必=3
白=4
話=5
解=6
法=7
以=8
漢=9
文=A
解=B
求=C
不=D
者=E
有=F
の「順で読む」。
従って、
(27)により、
(28)
囗の右側が、〈{[〔( と接してゐるならば、その時に限って、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
といふ「シンプルなルール」により、
⑥ 中野有〈不{必求[以〔解(白話)法〕解(漢文)]}者〉⇒
⑥ 中野〈{必[〔(白話)解法〕以(漢文)解]求}不者〉有=
⑥ 中野に必ずしも白話を解する法を以て漢文を解せんことを求めざる者有り。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(29)
この「文言文」とは、端的に言えば、前近代の統治に関わる士大夫層の文化の中で流通した特殊な書記言語であり、口頭語の表記すなわち「白話」に対して言えば、ニュアンスを示す語などを簡約していわば記号化された表記の文章言語である(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、300頁)。
cf.
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア:漢文)。
従って、
(18)(28)(29)により、
(30)
囗の右側が、〈{[〔( と接してゐるならば、その時に限って、『より内側の「括弧」の中の囗』を「先に読む」。
といふ「シンプルなルール」により、「記号論理・訓読」が成立し、「記号化された表記の文章言語・訓読」が成立する。
平成28年04月04日、毛利太。
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