2016年7月12日火曜日

(お婆さんではなく、)お爺さんが川へ洗濯に行きました。

(01)
「誰が先生か。象がゐる。鼻は象が長い。ガロアには時間がない。マリリンモンローが結婚。吾輩は猫である。庭に猫はゐる。日が暮れる時。」に於ける「が」と「は」に関しては、「06月26日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/06/blog-post_26.html)」をお読み下さい。
(02)
① I said fifteen, not fifty.
と言ふ場合は、
① fifteen の、
①   teen を「強調(強く発音)」する。
(03)
① 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない。
と言ふ場合は、
①   15 を「強調(強く発音)」する。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 私が言ったのは、
①{15、50}
の内の、
①{15}であって、
①{50}ではない。
と言ふ場合は、
①{15}を、「強調」する。
然るに、
(05)
① AはBであって、A以外はBでない
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(02)~(05)により、
(06)
① What I said is fifteen, not fifty.
① 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない。
がさうであるやうに、
①「強調」は、「排他的命題」を主張する。
然るに、
(07)
①「Aが」 の「」は「濁音」であって、
②「Aは」 の「は」は「清音」である。
然るに、
(08)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
とあるやうに、
①「濁音」である「~が」の方が、
②「清音」である「~は」よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(02)~(08)により、
(09)
② AはBである。
といふ「日本語」に対する、
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである=
① AはBであって、A以外はBでない。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(10)
(BならばAである。)⇔
(Bであって、Aでない)といふことはない。⇔
(Aでなくて、Bである)といふことはない。⇔
(AでないならばBでない。)
従って、
(11)
(BならばAである。)   といふ「命題」は、その「対偶」である所の、
(AでないならばBでない。)といふ「命題」に等しい。
cf.
(B→A)=~(B&~A)=~(~A&B)={~(~A)∨~B}=(~A→~B)
従って、
(11)により、
(12)
(BならばAである。)   =(BはAである。)  といふ「命題」は、
(AでないならばBでない。)=(A以外はBでない。)といふ「命題」に等しい。
従って、
(09)(12)により、
(13)
② AはBである。
といふ「日本語」に対する、
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである=
① AはBであって、A以外はBでない(BはAである)。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(14)
(3)Elizabeth Windsor = the present queen of England.
  エリザベス・ウィンザーは現在のイングランドの女王である。
  ∃x(Qx&(∀y(Qy → y=x))&x=e))
(W・G・ライカン、言語哲学入門、2005年、19・26・27頁改)
従って、
(15)
③ ∃x(x=e&Qx&(∀y(x≠y → ~Qy)))⇔
③ エリザベス・ウィンザーはイングランドの女王であって、イングランドの女王はエリザベス・ウィンザーである。⇔
③ エリザベス・ウィンザーはイングランドの女王であって、エリザベス・ウィンザー以外はイングランドの女王ではない。
からと言って、必ず、
③ エリザベス・ウィンザーイングランドの女王である。
といふ風に、言ふわけではない。
然るに、
(16)
Q:誰イングランドの女王ですか。
といふ「質問」は、
Q:イングランドの女王を特定して下さい。
といふ、「意味」である。
然るに、
(17)
③ イングランドの女王=エリザベス・ウィンザー
といふ風に、「特定」されるのであれば、
③ エリザベス・ウィンザーは女王であって、エリザベス・ウィンザー以外にイングランドの女王はゐない
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
Q:誰イングランドの女王ですか。
A:エリザベス・ウィンザーイングランドの女王です。
であって、
A:エリザベス・ウィンザーはイングランドの女王です。
とは、言はない。
従って、
(14)(15)(18)により、
(19)
③ BはAである。
③ A以外はBでない。
といふことは、
③ AがBである。
と言ひ得るための、「必要条件」であって、「十分条件」ではない。
然るに、
(20)
④ 地球上には、象以外の動物、存在する。
といふことは、わざわざ、言はなくとも、「常識」である。
従って、
(21)
④ 象ゐる=
④ 象はゐるが、象以外はゐない
と言ふのであれば、
④(今、目の前に)象ゐる。
といふ「意味」になることは、「必然」である。
然るに、
(22)
④(今、目の前に)お爺さんとお婆さんゐる。
を「過去形」にすると、
⑥(昔、ある所に)お爺さんとお婆さんゐた。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
⑥ 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐました。
⑥ Long,long ago there lived an old man and an old woman.
と言ふ場合は、
⑥ その時点の、その場所に、お爺さんとお婆さんだけが住んでゐて(、他の人間は住んでゐない)。
然るに、
(24)
⑥ The old man went to the mountain to gather wood, and the old woman went to the river to do the washing. ではなく、
⑦ The old woman went to the mountain to gather wood, and the old man went to the river to do the washing. であるならば、
この場合は、「誰もが知ってゐる、桃太郎の話」とは、「」である。
然るに、
(09)により、
(25)
⑦ お爺さん、川へ洗濯に行きました。
といふ「日本語」が、「排他的命題」であるならば、
⑦(お婆さんではなく)お爺さん、川へ洗濯に行きました。
といふ「意味」である。
従って、
(25)により、
(26)
⑦ The old woman went to the mountain to gather wood, and the old man went to the river to do the washing.
に於いて、
⑦「誰でも知ってゐる、桃太郎の話」とは、「」である。
といふことを、「確認」したいのであれば、
⑥ お婆さんは、山へ芝刈りに、お爺さん、川へ洗濯に行きました。
とは言はずに、
⑦ お婆さんは、山へ芝刈りに、お爺さん、川へ洗濯に行きました。
と言ふことは、「不自然」ではない。
従って、
(26)により、
(27)
⑥ お爺さんは、山へ芝刈りに、お婆さん、川へ洗濯に行きました。
の「英訳」が、
⑥ The old man went to the mountain to gather wood, and the old woman went to the river to do the washing.
である一方で、
⑦ The old woman went to the mountain to gather wood, and the old man went to the river to do the washing.
の「和訳」が、
⑥ お婆さんは、山へ芝刈りに、お爺さん、川へ洗濯に行きました。
であることは、少しも、「不自然」ではない。
従って、
(23)(27)により、
(28)
⑦ 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐました。お婆さんは、山へ芝刈りに、お爺さんが、川へ洗濯に行きました。
⑦ Long,long ago there lived an old man and an old woman. The old woman went to the mountain to gather wood, and the old man went to the river to do the washing.
に於いて、
⑦  an old man=お爺さん
the old man=お爺さん
である。
従って、
(29)
⑥ 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐました。お爺さんは、山へ芝刈りに、お婆さんは、川へ洗濯に行きました。
⑥ Long,long ago there lived an old man and an old woman. The old man went to the mountain to gather wood, and the old woman went to the river to do the washing.
に於いて、
⑥  an old man=お爺さん
The old man=お爺さん
であったとしても、
⑦  an old man=お爺さん
the old man=お爺さん
である。
従って、
(29)により、
(30)
(1)新情報か旧情報かによって使い分ける方法。
会話の中や文脈で、主格となる名詞が未知(=新情報)の場合は「」を使って表し、既知(=旧情報)の場合は「」を使って表す。(「が」の使い分け - 日本語教師のページ 用語検索マンボウ)
といふことには、ならない。
平成28年07月12日、毛利太。
―「関連記事」―
(a)「が」と「は」と「の」:「排他的命題」(07月14日)。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_14.html
(b)鼻はゾウが長く、首はキリンが長い。東京には空が無い。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_17.html
(c)「仮言命題」の「前件」に於ける「が」。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_24.html
(d)「ウナギ(チキン)文」に於ける、「は」と「が」。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/01-httpkannbunn_25.html
(e)小をば(は)学んで大をば(は)忘る。「対格」の強調。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_29.html
(f)Aこそ(が)Bである。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/08/blog-post.html

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