2016年7月17日日曜日

鼻はゾウが長く、首はキリンが長い。東京には空が無い。

(01)
「(お婆さんではなく、)お爺さんが川へ洗濯に行きました。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月12日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_12.html)」をお読み下さい。
(02)
「(他ならぬ)あのチャップリンが大往生」に於ける「が」に関しては、
「07月14日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_14.html)」をお読み下さい。
(03)
以下の、(04)~(14)に関しては、「確認」のための、「繰り返し」になります。
(04)
① I said fifteen, not fifty.
と言ふ場合は、
① fifteen の、
①   teen を「強調(強く発音)」する。
従って、
(04)により、
(05)
① 私が言ったのは、
①{15、50}
の内の、
①{15}であって、
①{50}ではない。
と言ふ場合は、
①{15}を、「強調」する。
然るに、
(06)
① AはBであって、A以外はBでない
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① What I said is fifteen, not fifty.
① 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない。
といふ場合がさうであるやうに、
①「強調」は、「排他的命題」を主張する。
然るに、
(08)
①「Aが」 の「」は「濁音」であって、
②「Aは」 の「は」は「清音」である。
然るに、
(09)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
とあるやうに、
①「濁音」である「~が」の方が、
②「清音」である「~は」よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(03)~(09)により、
(10)
② AはBである。
といふ「日本語」に対する、
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである=
① AはBであって、A以外はBでない。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(11)
(BならばAである。)⇔
(Bであって、Aでない)といふことはない。⇔
(Aでなくて、Bである)といふことはない。⇔
(AでないならばBでない。)
従って、
(12)
(BならばAである。)   といふ「命題」は、その「対偶」である所の、
(AでないならばBでない。)といふ「命題」に等しい。
cf.
(B→A)=~(B&~A)=~(~A&B)={~(~A)∨~B}=(~A→~B)
従って、
(12)により、
(13)
(BならばAである。)   =(BはAである。)  といふ「命題」は、
(AでないならばBでない。)=(A以外はBでない。)といふ「命題」に等しい。
従って、
(10)(13)により、
(14)
② AはBである。
といふ「日本語」に対する、
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである=
① AはBであって、A以外はBでない(BはAである)。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(15)
③{ゾウ、キリン、カバ}
に於いて、
③ 鼻は、ゾウ 以外は、長くなく、
③ 首は、キリン以外は、長くなく、
③ 口は、カバ 以外は、大きくない。
従って、
(14)(15)により、
(16)
③{ゾウ、キリン、カバ}
に於いて、
③ ゾウが、 鼻が長く、
③ キリンが、首が長く、
③ カバが、 口が大きい。
は、「排他的命題」である。
従って、
(17)
③{ゾウ、キリン、カバ}
に於いて、
③ ゾウ の鼻が、長く、
③ キリンの首が、長く、
③ カバ の口が、大きい。
は、「排他的命題」である。
従って、
(18)
③{ゾウ、キリン、カバ}
に於いて、
③ 鼻は、ゾウ が長く、
③ 首は、キリンが長く、
③ 口は、カバ が大きい。
は、「排他的命題」である。
然るに、
(19)
右のやうに、
③{ゾウ、キリン、カバ}
といふ「集合」を「意識」する場合は、
③ 鼻は、ゾウが長い。
である一方で、
④{(ゾウの)鼻、(ゾウの)耳、(ゾウの)口}
といふ「集合」を「意識」する場合は、
④ ゾウは、鼻が長い。
である。
(20)
③{ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ}
といふ「集合」を「意識」する場合は、
③ ベースは、ポールが上手い。
である一方で、
④{(ポールの)べース、(ポールの)ギター、(ポールの)ドラムス}
といふ「集合」を「意識」する場合は、
④ ポールは、ベースが上手い。
である。
然るに、
(21)
③{ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ}
ではなく、
④{(ポールの)べース、(ポールの)ギター、(ポールの)ドラムス}
といふ「集合」を「意識」するといふことは、
④{ポール}
といふ「集合」だけを、「意識」してゐる
従って、
(14)(20)(21)により、
(22)
④ ゾウは、鼻が長い。
④ ポールは、ベースが上手い。
のやうな、
④ Aは、BがCである。
の場合は、
④{A}といふ「集合」だけを、「意識」して、
④ BはCであり、(相対的に)B以外はCではない。
といふ風に、述べてゐる。
然るに、
(23)
⑤ BもCである。⇔
⑤ BはCであり、B以外もCである。
(24)
⑥ BはCである。⇔
⑥ BはCである。
従って、
(14)(23)(24)により、
(25)
④ BがCである。⇔ BはCであり、B以外はCでない。
⑤ BもCである。⇔ BはCであり、B以外Cである。
⑥ BはCである。⇔ BはCである。
従って、
(25)により、
(26)
④ ゾウは、鼻が長い。
とは言はずに、敢へて、
⑥ ゾウは、鼻は長い。
と言ふ場合は、
⑤ 鼻以外も長い。  
④ 鼻以外は長くない。
に於いて、
⑤ であるのか、
④ であるのかが、「判別」出来ない。
従って、
(27)
④ ゾウは、鼻が長い。
といふことが、「最も言ひたいこと」であるからこそ、
④ ゾウは、鼻が長く(、鼻以外はさうでもない)。
と言ふ場合に、敢へて、
⑥ ゾウは、鼻は長い。
といふ風に、言ふべきではない。
従って、
(26)(27)により、
(28)
⑦ 東京には空が無い。
といふことが、その時点に於ける、「最も言ひたいこと」であるならば、敢へて、
⑦ 東京には空も無い。
⑦ 東京には空は無い。
と言べきではない。
従って、
(22)(28)により、
(29)
⑦ 東京には空が無い。
と言ふ場合は、
⑦{東京}だけを「意識」してゐるものの、敢へて、
⑦ 空も無い。
⑦ 空は無い。
と言ふ「必要性」が無かったが故に、
⑦ 空が無い。
といふ「言ひ方」が、選ばれた。とすべきである。
平成28年07月17日、毛利太。
―「関連記事」―
(a)「仮言命題」の「前件」に於ける「が」。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_24.html
(b)「ウナギ(チキン)文」に於ける、「は」と「が」。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/01-httpkannbunn_25.html
(c)小をば(は)学んで大をば(は)忘る。「対格」の強調。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_29.html
(d)Aこそ(が)Bである。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/08/blog-post.html

0 件のコメント:

コメントを投稿