―「07月20日の記事」を書き換へます。―
(01)
「(お婆さんではなく、)お爺さんが川へ洗濯に行きました。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月12日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_12.html)」をお読み下さい。
(02)
「(他ならぬ)あのチャップリンが大往生」に於ける「が」に関しては、
「07月14日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_14.html)」をお読み下さい。
(03)
「鼻はゾウが長く、首はキリンが長い。東京には空が無い。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月17日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_17.html)」をお読み下さい。
(04)
「前提」を、共有する必要があるため、「(05)~(15)」を、繰り返します。
(05)
① I said fifteen, not fifty.
と言ふ場合は、
① fifteen の、
① teen を「強調(強く発音)」する。
従って、
(05)により、
(06)
① 私が言ったのは、
①{15、50}
の内の、
①{15}であって、
①{50}ではない。
と言ふ場合は、
①{15}を、「強調」する。
然るに、
(07)
① AはBであって、A以外はBでない。
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
① What I said is fifteen, not fifty.
① 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない。
といふ場合がさうであるやうに、
①「強調」は、「排他的命題」を主張する。
然るに、
(09)
①「Aが」 の「が」は「濁音」であって、
②「Aは」 の「は」は「清音」である。
然るに、
(10)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
とあるやうに、
①「濁音」である「~が」の方が、
②「清音」である「~は」よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(05)~(10)により、
(11)
② AはBである。
といふ「日本語」に対する、
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである=
① AはBであって、A以外はBでない。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(12)
(BならばAである。)⇔
(Bであって、Aでない)といふことはない。⇔
(Aでなくて、Bである)といふことはない。⇔
(AでないならばBでない。)
従って、
(13)
(BならばAである。) といふ「命題」は、その「対偶」である所の、
(AでないならばBでない。)といふ「命題」に等しい。
cf.
(B→A)=~(B&~A)=~(~A&B)={~(~A)∨~B}=(~A→~B)
従って、
(13)により、
(14)
(BならばAである。) =(BはAである。) といふ「命題」は、
(AでないならばBでない。)=(A以外はBでない。)といふ「命題」に等しい。
従って、
(11)(14)により、
(15)
② AはBである。
といふ「日本語」に対する、
① AがBである。
といふ「日本語」は、
① AがBである=
① AはBであって、A以外はBでない(BはAである)。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
(16)
① xが犬ならば、xは動物である。xは犬である。故に、xは動物である。
② xが犬ならば、xは動物である。猿は犬ではない。故に、猿は動物ではない。
③ xが犬ならば、xは動物である。雉は動物である。故に、雉は犬である。
に於いて、
② 猿は動物ではない。
③ 雉は犬である。
は、明らかに、「マチガイ」である。
然るに、
(17)
④ xが犬ならば、xは動物である。xは動物ではない。しかし、xは犬である。
とするならば、
④ xといふ犬は、動物ではないのに、動物である。
といふ、ことになり、「矛盾」する。
従って、
(17)により、
(18)
④ xが犬ならば、xは動物である。xは動物ではない。故に、xは犬でない。
といふ「推論」は、「タダシイ」。
従って、
(16)(18)により、
(19)
① PならばQである。
といふ「仮言命題」は、
① Pである場合は、Qである。
④ Qでない場合は、Pでない。
といふ風に、「言ってはゐる」ものの、その一方で、
② Pでない場合
③ Qである場合
に関しては、「何も言ってゐない」。
従って、
(19)により、
(20)
① If it is fine tomorrow, I will go fishing.
といふ「仮言命題」は、
② 明日以外が晴れる場合
に関しては、「何も言っていない」。
然るに、
(21)
① If it is fine tomorrow, I will go fishing.
に於いて、
① tomorrow
を「強調」するならば、
②(明日以外ではなく)明日が晴れならば、釣りに行く。
といふ「意味」になる。
然るに、
(10)により、
(22)
①「濁音」である「~が」の方が、
②「清音」である「~は」よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① 明日は休日なので、
② 明日は晴れならば、釣りに行く。
とは言はずに、
① 明日は休日なので、
② 明日が晴れならば、釣りに行く。
とい言ふのであれば、
②(明日以外ではなく)
といふ「意味」を、「言外」に含んでゐる。
従って、
(23)により、
(24)
③ 彼はさうするのであれば、私もさうしたい。
とは言はずに、
③ 彼がさうするのであれば、私もさうしたい。
といふのであれば、
③(他ならぬ)彼が
といふ「意味」が、「言外」に含まれてゐる。
(25)
の 私が話したのは誤です(橋本博士はこれを準體助詞として助詞の中に入れられたが、形式名詞と考へるのが適當であらう。佐久間博士は代名助詞とされる。)(時枝誠記、日本文法 口語編、1978年、78頁)
従って、
(26)
③ 彼がさうするのであれば、私もさうしたい。
に於いて、
③ の は、「名詞」である。
然るに、
(27)
【1】[が][の]
(1) 主語を示す。
日の暮るるとき。 汝がさりし日。
(2) 連体修飾語を作る。
夏草や兵どもの夢のあと。(芭蕉)
(3) 体言の代用をする。
薬は、唐のはめでたし。 [訳]薬は中国のものがすばらしい。
この歌、人麻呂がなり。 [訳]この歌は、人麻呂の歌である。
(4) 同格を示す。
白き鳥の、嘴と足と赤き、水の上に遊びつつ魚を食ふ。(伊勢物語)
[訳]白い鳥で、口ばしと足が赤いのが、水の上を遊びながら魚を食べる。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、154頁改)
従って、
(26)(27)により、
(28)
③ 彼ががさうするの
といふ「日本語」は、
③ 汝がさりし日
③ 彼が言ふ(こと)には、
と同じく、
③ 名詞+が(格助詞)+連体形+名詞
である。
従って、
(26)(28)により、
(34)
③ 彼がさうするのであれば、
に対して、
③ 彼はさうするのであれば、
といふ「言ひ方」自体が、「日本語」として有り得ない。
(35)
④ 明日は物忌みなるを、門強く鎖せよ(古文)。
④ 明日は物忌みなので、門をしっかり閉めなさい(現代文)。
従って、
(36)
④ 明日は休日なるを、釣りに行かむ(古文)。
④ 明日は休日なので、釣りに行こう(現代文)。
である。
(37)
④{明日、明後日、明々後日、四日後、五日後}
に於いて、
④{明後日}が、「休日」である場合は、
④ いつ、釣りに行こうか。
④ 明後日が休日なので、明後日釣りに行こう。
である。
平成28年07月24日、毛利太。
―「関連記事」―
(a)「ウナギ(チキン)文」に於ける、「は」と「が」。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/01-httpkannbunn_25.html)
(b)小をば(は)学んで大をば(は)忘る。「対格」の強調。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_29.html)
(c)Aこそ(が)Bである。(http://kannbunn.blogspot.com/2016/08/blog-post.html)
0 件のコメント:
コメントを投稿