2016年8月4日木曜日

Aこそ(が)Bである。

(01)
「(お婆さんではなく、)お爺さんが川へ洗濯に行きました。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月12日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_12.html)」をお読み下さい。
(02)
「(他ならぬ)あのチャップリンが大往生」に於ける「が」に関しては、
「07月14日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_14.html)」をお読み下さい。
(03)
「鼻はゾウが長く、首はキリンが長い。東京には空が無い。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月17日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_17.html)」をお読み下さい。
(04)
「仮言命題(仮定条件)」に於ける「が」に関しては、
「07月24日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_24.html)」をお読み下さい。
(05)
「うなぎ(チキン)文」に於ける、「は」と「が」に関しては、
「07月25日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_25.html)」をお読み下さい。
(06)
「小をば学んで大をば遺る。」に於ける、「は(ば)」に関しては、
「07月29日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_29.html)」をお読み下さい。
(07)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(08)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(07)(08)により、
(09)
②「濁音」を含む「A」の方が、
①「清音」を含む「Aは」よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
(09)により、
(10)
② A
① Aは
に於いて、
② は、① に対する、「強調形」である。
然るに、
(11)
② I said fifteen, not fifty.
と言ふ場合は、
い fifteen の、
い   teen を「強調(強く発音)」する。
従って、
(11)により、
(12)
② 私が言ったのは、
②{15、50}
の内の、
②{15}であって、
②{50}ではない
と言ふ場合は、
②{15}を、「強調」する。
然るに、
(13)
② AはBであって、A以外はBでない
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
② What I said is fifteen, not fifty.
② 私は15と言ったのであって、50とは言ってゐない
といふ場合がさうであるやうに、
②「強調」は、「排他的命題」を主張する。
従って、
(09)(14)により、
(15)
① AはBである。
といふ「日本語」に対する、
② AがBである。
といふ「日本語」は、
② AがBである=
② AはBであり、A以外はBでない
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(16)
(BならばAである。)⇔
(Bであって、Aでない)といふことはない。⇔
(Aでなくて、Bである)といふことはない。⇔
(AでないならばBでない。)
従って、
(17)
(BならばAである。)   といふ「命題」は、その「対偶」である所の、
(AでないならばBでない。)といふ「命題」に等しい。
cf.
(B→A)=~(B&~A)=~(~A&B)={~(~A)∨~B}=(~A→~B)
従って、
(17)により、
(18)
(BならばAである。)   =(BはAである。)  といふ「命題」は、
(AでないならばBでない。)=(A以外はBでない。)といふ「命題」に等しい。
従って、
(15)(18)により、
(19)
① AはBである。
といふ「日本語」に対する、
② AがBである。
といふ「日本語」は、
② ABである=
② AはBであり、A以外はBでないはAである)。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(20)
③ ABである=
③ AはBであり、A以外Bである。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① AはBである=AはBである。
② AがBである=AはBであり、A以外はBでない。
③ AもBである=AはBであり、A以外もBである。
といふ、ことになる。
(22)
① AはBである。
② ABである。
③ AもBである。
に於いて、
①  は 
②  
③  も
は、
① 係助詞。
助詞。
③ 係助詞。
である。
然るに、
(23)
(1)格助詞 体言、または体言に準ずる語に付き、文節の関係の関係を示す。
  の・・を・・へ・・より・にて・して・から
(2)係助詞 文中の種々の語に付き、上の語を強め、下の用言などに勢力を及ぼす。
  ・ぞ・なむ・こそ・や(やは)・か(かは)
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、152頁改)
従って、
(22)(23)により、
(24)
④ 彼は、話が合はない。
④ 庭は、ニワトリがゐる。
④ 私からは、それは言へない。
④ 私からも、お願いします。
といふ「言ひ方」に対して、
④ 彼と、話が合はない*
④ 庭に、ニワトリがゐる*
④ 私から、それは言へない*
④ 私から、お願いします*
といふ「言ひ方」は無い。
然るに、
(25)
⑤ これまでは、うまく行ったが、
⑤ これから、大変である。
の場合は、
⑤ これから=これ(体言)+から助詞)+助詞)
であって、
から助詞)
は、もちろん、
⑤ 体言、または体言に準ずる語
ではない。
従って、
(23)(25)により、
(26)
(1)格助詞 体言、または体言に準ずる語に付く。
といふ「ルール」に対して、
⑤ これから
の場合は、「例外」である。
然るに、
(27)
⑤{これまで、これから}
に於いて、
⑤(これまでは大変ではなく)これから、大変である。
と言ふのであれば、
⑤ これから、大変である。
は、「排他的命題」である。
従って、
(14)(15)(26)(27)により、
(28)
⑤ これから
は、「古文のルール」からすれば、「破格」であるが、
② ABである=
② AはBであり、A以外はBでない
といふ「ルール」からすれば、「正格」である。
然るに、
(29)
こそ
強意を表し、文末を然形で結ぶ。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、193頁改)
従って、
(29)により、
(30)
⑥ やあやあ、 吾こそ 三河の国の住人、足助次郎重範なれ然形)。
であるべきであるが、
⑥ やあやあ、吾こそ三河の国の住人、足助次郎重範なり止形)。
である。
然るに、
(31)
⑥ 君 こそ スターだ!
⑥ 君こそスターだ!
に対して、
⑥ 君こそスターだ!
といふ「現代語」は無い。
cf.
『君こそスターだ!』(きみこそスターだ)は、1973年10月7日から1980年3月30日までフジテレビ系列局で放送されたオーディション番組である。略称は「君スタ」(ウィキペディア)。
然るに、
(32)
こそ(副助)① 特にその語を取り立てて強調する主体の気持ちを表わす。
(三省堂、新明解国語辞典、1991年、437頁)
こそ(係助)① 強意を表す。② 多くの中から一つのものを取りたてていう。
(旺文社、英訳つき国語総合辞典、1990年、480頁)
従って、
(32)により、
(33)
① A は Bである。
⑥ AこそBである。
に於いて、
① A は
に対する、
⑥ Aこそ
は、「強調形」である。
従って、
(10)(13)(33)により、
(34)
① A  は  Bである。
② A    Bである。
⑥ A こそ Bである。
⑥ AこそがBである。
に於いて、
① A  は
に対する、
② A  
⑥ A こそ
⑥ Aこそが
は、「強調形」であって、尚且つ、
② A    Bである。
⑥ A こそ Bである。
⑥ AこそがBである。
といふ「日本語」は、「排他的命題」である。
従って、
(15)(34)により、
(35)
① A  は  Bである。
② A    Bである。
⑥ A こそ Bである。
⑥ AこそがBである。
に於いて、
② A    Bである。
⑥ A こそ Bである。
⑥ AこそがBである。
といふ「三通りの、日本語」は、
⑥ AはBであり、A以外はBでない
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
従って、
(35)により、
(36)
⑥{A、B、C}
に於いて、
① A は スターだ。
と言ふのではなく、
② A    スターだ。
⑥ A こそ スターだ。
⑥ Aこそがスターだ。
と言ふ場合は、
⑥ {A} はスターであって、
⑥{B、C}はスターではない
といふ、「意味」になる。
(37)
⑥{A、B、C}
に於いて、
① A は スターである。
と言ふ場合は、
① B  スターである。
① C  スターである。
といふことを、「否定」しない
然るに、
(38)
⑥{A、B、C}
に於いて、
② A    スターだ。
⑥ A こそ スターだ。
⑥ Aこそがスターだ。
と言ふのであれば、
① B  スターである。
① C  スターである。
といふことを、「否定する
平成28年08月04日、毛利太。

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