(01)
① 伯楽不常有=
① 伯楽不(常有)⇒
① 伯楽(常有)不=
① 伯楽は(常には有ら)ず。
(02)
② 伯楽常不有=
② 伯楽常不(有)⇒
② 伯楽常(有)不=
② 伯楽常に(有ら)ず。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 伯楽不常有=伯楽は常には有らず。
② 伯楽常不有=伯楽は常に、有らず。
であるものの、
① は、所謂「部分否定」であって、
② は、所謂「全部否定」である。
然るに、
(04)
従って、
(04)により、
(05)
③ 伯楽不常有=
③ 伯楽不〔常(有)〕⇒
③ 伯楽〔(有)常〕不=
③ 伯楽は〔(有ること)常なら〕ず。
であって、
④ 伯楽常不有=
④ 伯楽常〔不(有)〕⇒
④ 伯楽〔(有)不〕常=
④ 伯楽は〔(有ら)ざること〕常なり。
である。
然るに、
(06)
① 伯楽不常有=伯楽は常には有らず。
③ 伯楽不常有=伯楽は有ること常ならず。
の場合は、二つとも、
① ず。
③ ず。
で終はってゐる。
従って、
(06)により、
(07)
① 伯楽不常有=伯楽は常には有らず。
③ 伯楽不常有=伯楽は有ること常ならず。
の場合は、二つとも、
①「否定文」であって、
③「否定文」である。
然るに、
(08)
④ 〔(有ら)ざること〕常なり。
といふことは、
④ 〔(ゐ)ないこと〕が常である。
といふ、「意味」である。
然るに、
(09)
④ 「・・・・・・・が常」でない。
であれば
④「否定文」
であるが、
④ 「・・・・・・・が常」である。
であれば、
④「肯定文」
である。
従って、
(04)(05)(08)(09)により、
(10)
② 伯楽常不(有) =伯楽は常に、有らず。
といふ、
②「全部否定」は、
その一方で、
④ 伯楽常〔不(有)〕=伯楽は有らざること常なり。
といふ、
④「肯定文」である。
然るに、
(11)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(12)
不 といふ「漢字」は、「否定」であり、「否定」は、「論理演算子」そのものである。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① 伯楽不(常 有) =伯楽は常には有らず。
③ 伯楽不〔常(有)〕=伯楽は伯楽は有ること常ならず。
に於いて、
① 不 の「働き」は、(常有)に及んでゐて、
③ 不 の「働き」は、〔常有〕に及んでゐる。
然るに、
(14)
① 不 の「働き」は、(常有)に及んでゐて、
③ 不 の「働き」は、〔常有〕に及んでゐる。
といふことは、
① 伯楽不(常 有) =伯楽は常には有らず。
③ 伯楽不〔常(有)〕=伯楽は伯楽は有ること常ならず。
に於いて、
① 不 は、(常)といふ「副詞」を含めて、「否定」してゐて、
③ 不 は、〔常〕といふ「副詞」を含めて、「否定」してゐる。
といふことに、他ならない。
然るに、
(13)により、
(15)
② 伯楽常 不(有) =伯楽は常に、有らず。
④ 伯楽常〔不(有)〕=伯楽は有らざること常なり。
に於いて、
② 不 の「働き」は、(有)だけに及んでゐて、
④ 不 の「働き」は、(有)だけに及んでゐる。
然るに、
(16)
② 不 の「働き」は、(有)だけに及んでゐて、
④ 不 の「働き」は、(有)だけに及んでゐる。
といふことは、
② 伯楽常 不(有) =伯楽は常に、有らず。
④ 伯楽常〔不(有)〕=伯楽は有らざること常なり。
に於いて、
① 不 は、(常)といふ「副詞」を「否定」してゐないし、
③ 不 は、〔常〕といふ「副詞」を「否定」してゐない。
といふことに、他ならない。
従って、
(14)(16)により、
(17)
① 伯楽不(常 有) =伯楽は常には有らず。
③ 伯楽不〔常(有)〕=伯楽は伯楽は有ること常ならず。
に於いて、
① 不 は、(常)といふ「副詞」を含めて、「否定」してゐて、
③ 不 は、〔常〕といふ「副詞」を含めて、「否定」してゐる。
ものの、その一方で、
② 伯楽常 不(有) =伯楽は常に、有らず。
④ 伯楽常〔不(有)〕=伯楽は有らざること常なり。
に於いて、
① 不 は、(常)といふ「副詞」を「否定」してゐないし、
③ 不 は、〔常〕といふ「副詞」を「否定」してゐるない。
従って、
(17)により、
(18)
① 伯楽不常有。
③ 伯楽不常有。
といふ「漢文」は、いづれにせよ、
①「常」といふ「副詞」を「否定」してゐて、
③「常」といふ「副詞」を「否定」してゐる。
ものの、
② 伯楽常不有。
④ 伯楽常不有。
といふ「漢文」は、いづれにせよ、
②「常」といふ「副詞」を「否定」してゐないし、
④「常」といふ「副詞」を「否定」してゐない。
然るに、
(19)
_ 否定形(二)(部分否定と全部否定)
「冀二復得一レ兎」の句でふれたように、否定語と副詞の位置が入れかわることによって意味のうえで相違が生ずる。つまり「否定語+副詞」のときはその副詞をふくめた内容が否定されるので、否定されることがらが副詞によって修飾されて部分的に限定されることになる。逆に「副詞+否定語」のときは、副詞が否定語を修飾することになるので、否定されことがらは否定語の下におかれた全般にわたることになる。
(赤塚忠 遠藤哲夫、漢文の基礎、1973年、37頁)
然るに、
(20)
「否定語+副詞」のときはその副詞をふくめた内容が否定される。
といふことは、
① 伯楽不(常 有) =伯楽は常には有らず。
③ 伯楽不〔常(有)〕=伯楽は伯楽は有ること常ならず。
に於いて、
① 不 の「働き」は、(常有)に及んでゐる。
③ 不 の「働き」は、〔常有〕に及んでゐる。
といふことに、他ならない。
(21)
逆に「副詞+不定語」のときは、副詞が否定語を修飾することになるので、否定されことがらは否定語の下におかれた全般にわたることになる。
といふことは、
② 伯楽常 不(有) =伯楽は常に、有らず。
④ 伯楽常〔不(有)〕=伯楽は有らざること常なり。
に於いて、
② 不 の「働き」は、(有)だけに及んでゐる。
④ 不 の「働き」は、(有)だけに及んでゐる。
といふことに、他ならない。
然るに、
(11)(12)により、
(22)
括弧は、論理演算子の働きが及ぶ範囲を明示する働きを持ち、
不 といふ「漢字」は、「否定」であり、「否定」は、「論理演算子」そのものである。
従って、
(19)~(22)により、
(23)
「旺文社、漢文の基礎」を書かれた、赤塚忠先生、遠藤哲夫先生も、少なくとも、
① 伯楽不常有。
② 伯楽常不有。
といふ「漢文」には、
① 伯楽不(常 有)=伯楽は常には有らず。
② 伯楽常 不(有)=伯楽は常に、有らず。
といふ「括弧」があることを、認められる、はずである。
(24)
「私の漢文講義、1995年」を書かれた、原田種成先生であれば、
③ 伯楽不〔常(有)〕=伯楽は伯楽は有ること常ならず。
④ 伯楽常〔不(有)〕=伯楽は有らざること常なり。
といふ「括弧」があることを、認められる、はずである。
(25)
◆ 冀二復得一レ兎 この句は「復た兎を得んことを冀ふ」と読むが、いまかりに原文の「冀」と「復」とを入れかえて「復冀レ得レ兎」としても
読み方はかわらない。しかし意味内容のうえでは大きな違いがあるので注意を要する。「冀二復得一レ兎」の場合は「冀ふ」の内容が下の「復得レ兎」となる形であるから、「ふたたび兎を手に入れる」ということを「ねがう」の意で、まえにも兎を入れたが、さらにもう一度兎を手に入れ
たいと望むことになる。ところが「復冀レ得レ兎」の場合は「復」が「冀」の上にあるので、「復」が「冀」を修飾する形であり、「冀ふ」の内容は「得レ兎」だけになる。つまり「兎を手に入れること」を「もう一度ねがう」の意である。
このことは下文の「不レ可二復得一」についても同様なことが考えられるわけで、「不レ可二復得一」は「二度手に入れる」ということが「できない」という意であり、これが「復不レ可レ得」と書かれてあれば訓読は変わらないが、意味は「(まえも手に入れられなかったが)こんどもまた手に入れられなかった」となる。
_ 否定形(二)(部分否定と全部否定)
「冀二復得一レ兎」の句でふれたように、否定語と副詞の位置が入れかわることによって意味のうえで相違が生ずる。つまり「否定語+副詞」のときはその副詞をふくめた内容が否定されるので、否定されることがらが副詞によって修飾されて部分的に限定されることになる。逆に「副詞+否定語」のときは、副詞が否定語を修飾することになるので、否定されことがらは否定語の下におかれた全般にわたることになる。
(赤塚忠 遠藤哲夫、漢文の基礎、1973年、36・37頁)
(26)
「重要」なのは、
「復冀レ得レ兎」の場合は「復」が「冀」の上にあるので、「復」が「冀」を修飾する形であり、「冀ふ」の内容は「得レ兎」だけになる。
「副詞+否定語」のときは、副詞が否定語を修飾することになるので、否定されことがらは否定語の下におかれた全般にわたることになる。
といふ、ことである。
平成29年01月27日、毛利太。
―「関連記事」―
「復(副詞)の位置」と「括弧は有ります!」(http://kannbunn.blogspot.com/2017/01/blog-post_25.html)。
「括弧」の付け方:「係り・及び・並び」(http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_6.html)。
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