2016年12月6日火曜日

「括弧」の付け方:「係り・及び・並び」。

―「12月04日の記事」を書き直します。―
(01)
(一)主述関係  主語 ― 述語
(二)修飾関係 修飾語 ― 被修飾語
(三)補足関係 叙述語 ― 補足語
(四)並列関係 並列語 ― 並列語
漢語の文法は上述の基本構造における語順が、その重要な基礎になっているのであって、その実詞は単に語順による結合によって、連語を構成していることが多い。それで、この点からいえば、漢語の文法は比較的簡単であるともいうことができる。
(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、281~5頁、抜粋)
従って、
(01)により、
(02)
「漢文の基本構造」は、
(一) 主語 ― 述語
(二)修飾語 ― 被修飾語
(三) 述語 ― 補語
(四)並列語 ― 並列語
といふ、「通り」である。
(03)
① 孔子聖人=孔子は聖人なり。
の場合は、
① 主語 ― 述語
である。
然るに、
(04)
① 孔子聖人=孔子は聖人なり。
に於いて、
① 孔子 は 聖人 に「係ってゐる」とする。
(05)
② 聖人=聖なる人。
の場合は、
連体修飾語 ― 被修飾語
である。
然るに、
(06)
② 聖人=聖なる人。
に於いて、
② 聖 は 人 に「係ってゐる」とする。
(07)
③ 必読=必ず読む。
の場合は、
連用修飾語 ― 被修飾語
である。
然るに、
(08)
③ 必読=必ず読む。
に於いて、
③ 必 は 読 に「係ってゐる」とする。
(09)
④ 愛父母=父母を愛す。
の場合は、
④ 述語 ― 補語
である。
然るに、
(10)
④ 愛父母=父母を愛す。
に於いて、
④ 愛 は 父母 に「及んでゐる」とする。
(11)
⑤ 父母=父の母(Father's mother)。
ではなく、
⑤ 父母=父と母(Father and mother)。
の場合は、
⑤ 並列語 ― 並列語
である。
然るに、
(12)
⑤ 父母=父と母(Father and mother)。
に於いて、
⑤ 父 と 母は「並んでゐる」とする。
従って、
(02)~(12)により、
(13)
「漢文の基本構造」である、
(一  主語 ― 述語
(二)修飾語 ― 被修飾語
(三) 述語 ― 補語
(四)並列語 ― 並列語
といふ、「四通り」に於いて、
(一  主語 は 述語に  「係ってゐる」。
(二)修飾語 は 被修飾語に「係ってゐる」。
(三) 述語 は 補語    に「及んでゐる」。
(四)並列語 は 並列語  に「並んでゐる」。
従って、
(14)
「漢文の基本構造」である、
(一) 主語 ― 述語
(二)修飾語 ― 被修飾語
(三) 述語 ― 補語
(四)並列語 ― 並列語
といふ、「通り」は、
(Ⅰ)囗 は 囗 に「係ってゐる」。
(Ⅱ)囗 は 囗 に「及んでゐる」。
(Ⅲ)囗 と 囗 は「並んでゐる」。
といふ、「通り」に、「分類」出来る。
然るに、
(15)
(Ⅰ)囗 は 囗 に「係ってゐる」。
(Ⅱ)囗 は 囗 に「及んでゐる」。
(Ⅲ)囗 と 囗 は「並んでゐる」。
といふ場合に於いて、それぞれ、
(Ⅰ)囗‐囗
(Ⅱ)囗(囗)
(Ⅲ)囗・囗
といふ風に、書くことにする。
従って、
(15)により、
(16)
① 父・母‐国
② 父‐母‐国
に於いて、
① 父と母の国=両親の国
② 父の母の国=父方の祖母の国
である。
従って、
(10)(15)(16)により、
(17)
③ 私は父方の祖母の国を愛す。
であれば、
③ 我‐愛(父‐母‐国)。
である。
従って、
(15)(17)により、
(18)
④ 私は父方の祖母の国を愛さない。
⑤ 私は父方の祖母の国を愛さないのではない。
であれば、
④ 我‐不(愛(父‐母‐国))。
⑤ 我‐非(不(愛(父‐母‐国)))。
であるものの、「括弧」が重なる場合は、
(((( ))))
とはせずに、
{[〔( )〕]}
とする。
従って、
(14)~(18)により、
(19)
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也=
⑥ 私は必ずしも欧米語を理解する方法を用ゐて漢文を理解しようとする者ではないのである。
であれば、
⑥ 我‐非{必‐求[以〔解(欧・米‐語)‐法〕解(漢‐文)]‐者}也。
である。
従って、
(15)(19)により、
(20)
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也。
といふ「漢文」に於いて、
⑥ 我 が 非             に「係ってゐて」、
⑥ 非 が{必求以解欧米語法解漢文者}に「及んでゐて」、
⑥ 必 が 求             に「係ってゐて」、
⑥ 求 が  [以解欧米語法解漢文] に「及んでゐて」、
⑥ 以 が   〔解欧米語法〕    に「及んでゐて」、        
⑥ 解 が    (欧米語)     に「及んでゐて」、
⑥ 欧 と 米                  が「並んでゐて」、
⑥ 欧米 が      語      に「係ってゐて」、
⑥ 解欧米語 が      法      に「係ってゐて」、
⑥ 解 が         (漢文) に「及んでゐて」、
⑥ 漢 が           文  に「係ってゐて」、
⑥ 必求以解欧米語法解漢文 が    者 に「係ってゐる」。
ならば、その時に限って、
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也。
といふ「漢文」は、
⑥ 我‐非{必‐求[以〔解(欧・米‐語)‐法〕解(漢‐文)]‐者}也。
といふ「構造(シンタックス)」をしてゐる。
然るに、
(21)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)
  ―「余録」―
 古田島先生曰く、
 ず~っと探している本
 欲しくて欲しくて探している本というのはなかなか出てこない。
 漢文関係で長年探しているものは、
 鈴木直治『中国語と漢文-訓読の原則と漢語の特徴-』(光生館、中国語研究学習双書12、1975年)
 西田太一郎『漢文の語法』(角川書店、角川小辞典23、1980年)
 の2冊かなぁ。
従って、
(14)(15)(19)(21)により、
(22)
⑥ 我‐非{必‐求[以〔解(欧・米‐語)‐法〕解(漢‐文)]‐者}也。
に於いて、
 非{ }⇒{ }非
 求[ ]⇒[ ]求
 以〔 〕⇒〔 〕以
 解( )⇒( )解
 解( )⇒( )解
といふ「移動(返読)」によって、得られる、
⑥ 我‐{必‐[〔(欧・米‐語)解‐法〕以解(漢‐文)]求‐者}非也。
といふ「語順」は、「国語(訓読)」の「語順」である。
従って、
(22)により、
(23)
⑥ 我‐非{必‐求[以〔解(欧・米‐語)‐法〕解(漢‐文)]‐者}也⇒
⑥ 我‐{必‐[〔(欧・米‐語)解‐法〕以解(漢‐文)]求‐者}非也=
⑥ 我は{必ずしも[〔(欧米語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざる也。
といふ「語順」は、「国語(訓読)」の「語順」である。
従って、
(14)(20)~(23)により、
(24)
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也。
に於いて、
⑥「どの漢字」が「どの漢字」に「係ってゐて」、
⑥「どの漢字」が「どこまで」に「及んでゐて」、
⑥「どの漢字」と「どの漢字」が「並んでゐる」。
のかといふことを、「把握」出来るのであれば、
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也=
⑥ 我非必求 欧米語漢文也=
⑥ 我非{必求[以〔解(欧米語)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「漢文」は、「訓読」出来る。
然るに、
(25)
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也=
⑥ 我非必求 欧米語漢文也=
⑥ 我‐非{必‐求[以〔解(欧・米‐語)‐法〕解(漢‐文)]‐者}也=
⑥ 1‐E{2‐C[8〔6(3‐4‐5)‐7〕B(9‐A)]‐D}F。
に於いて、
 E{ }⇒{ }E
 C[ ]⇒[ ]C
 8〔 〕⇒〔 〕8
 6( )⇒( )6
 B( )⇒( )B
といふ「移動(返読)」を行ふと、
⑥ 1‐{2‐[〔(3‐4‐5)6‐7〕8(9‐A)B]C‐D}EF=
⑥ 我‐{必‐[〔(欧・米‐語)解‐法〕以解(漢‐文)]求‐者}非也=
⑥ 我は{必ずしも[〔(欧米語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
cf.
アルファベットは、16進数。
従って、
(21)(25)により、
(26)
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也。
に於ける、
⑥ { [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「括弧」は、
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也。
といふ「漢文」の「補足構造」を表してゐると、同時に、
⑥ 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
⑥ { [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
⑥ 1 E 2 C 8 6 3 4 5 7 B 9 A D F
といふ「返り点・括弧・番号」は、
⑥ 我非必求以解欧米語法解漢文者也⇒
⑥ 我は必ずしも欧米語を解する法を以て漢文を解せんことを求むる者に非ざるなり。
といふ「漢文訓読」を行ふ際の、「順番」を表してゐる。
然るに、
(27)
⑥ 我‐非{必‐求[以〔解(欧・米‐語)‐法〕解(漢‐文)]‐者}也=
⑥ 1‐E{2‐C[8〔6(3・4‐5)‐7〕B(9‐A)]‐D}F。
に於いて、
⑥ E{  D}
⑥ C[  B]
⑥ 8〔  7〕
⑥ 6(  5)
⑥ B(  A)
である。
然るに、
(28)
仮に、例へば、
⑥ E{F D}
⑥ C[D B]
⑥ 8〔9 7〕
⑥ 6(7 5)
⑥ B(C A)
 E{ }⇒{ }E
 C[ ]⇒[ ]C
 8〔 〕⇒〔 〕8
 6( )⇒( )6
 B( )⇒( )B
といふ「移動(返読)」を行なったとしても、
⑥ {F D}E
⑥ [D B]C
⑥ 〔9 7〕8
⑥ (7 5)6
⑥ (C A)B
であるため、
⑥ F>D<E
⑥ D>B<C
⑥ 9>7<8
⑥ 7>5<6
⑥ C>A<B
である。
従って、
(28)により、
(29)
例へば、
⑥ 8〔囗 7〕
に於いて、
⑥ 囗=
であるならば、
 8〔 〕⇒〔 〕8
という「移動(返読)」を行っても、
>7<8
となるだけであって、
⑥ 7<8<
といふ「順番」には、ならない。
従って、
(27)(28)(29)により、
(30)
⑥ E{・・・} に於いて、{ }の中に在る「最大の数」は、「Eよりも、1だけ小さい数、である」。
⑥ C[・・・] に於いて、[ ]の中に在る「最大の数」は、「Cよりも、1だけ小さい数、である」。
⑥ 8〔・・・〕 に於いて、〔 〕の中に在る「最大の数」は、「8よりも、1だけ小さい数、である」。
⑥ 6(・・・) に於いて、( )の中に在る「最大の数」は、「6よりも、1だけ小さい数、である」。
⑥ B(・・・) に於いて、( )の中に在る「最大の数」は、「Bよりも、1だけ小さい数、である」。
従って、
(30)により、
(31)
例へば、
⑥ 8〔6 7〕& 8‐7=+1
に対して、
⑥ 8〔 7〕& 8‐9=-1
⑥ 8〔7 〕& 8‐9=-1
のやうな、
⑥ 8〔囗 囗〕
といふ「括弧」は、有り得ない。
然るに、
(32)
⑥ 8
に於ける、
⑥ 二 < 三 > 一
といふ「返り点」も、有り得ない。
然るに、
(33)
⑦ Who are you?=あなたは 誰 である。
の場合の「それ」は、
⑦ Whoareyou
である。
従って、
(31)(32)(33)により、
(34)
⑦ Who are you?=あなたは 誰 である。
に対して、「括弧・返り点」を用ゐることは、出来ない。
cf.
WH移動 生成文法。
加へて、
(35)
⑨ What(are[you looking〔 )for〕]?⇒
⑨ ([you 〔 )Whatfor〕looking]are?=
⑨ ([あなたは〔 )何を〕探して]ゐるか。
に於いて、
⑨ ( [ 〔 ) 〕 ] は、「括弧」ではないし、
⑨ What are you looking for
に於いて、
⑨ 二 < 五 > 一 四 三
といふ「返り点」も、有り得ない。
然るに、
(36)
⑦ Who are you?=あなたは 誰 である。
ではなく、
⑧ Are you who?=あなたは 誰 である。
であるならば、
⑧ Are(you who)?=あなたは 誰 である。
⑧ Areyou who
である。
加へて、
(37)
⑩ Are[you looking〔for(what)〕]?⇒
⑩ [you〔(what)for〕 looking]Are?=
⑩ [あなたは〔(なに)を〕探して]ゐるか。
に於いて、
⑩ [ 〔 ( ) 〕 ] は、「 括弧 」であって、
<⑩ Are you looking for what
に於いて、
⑩ 四 三 二 一   は、「返り点」である。
従って、
(34)~(37)により、
(38)
⑦ Who are you?
⑨ What are you looking for?
といふ「英語」だけでなく、
⑧ Are you who?
⑩ Are you looking for what?
といふ「英語」も「正しい」とするならば、「その分」だけ、「括弧・返り点」を用ゐた「訓読」が「可能な英語」が、増へることになる。
平成28年12月05日、毛利太。
―「関連記事」―
(a)「訓読」の原理(http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_3.html)。
(b){( )}の方が「読みやすい」(http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_2.html)。
(c)「レ点」に付いて(http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post.html)。
(d)「返り点(特にレ点)」が苦手な人へ(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post_30.html)。
(e)「括弧」と『返り点』(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post.html)。
(f)「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。

0 件のコメント:

コメントを投稿