(01)
(xとy)の「変域」は、「数」ではなく「人間」であるとする。
(02)
P(x,y)=(xはy)の親である。
とする。
然るに、
(03)
注意2.4.3 ∃xP(x)は、
ある x があって P(x)である。
あるいは、
ある x が存在してP(x)である。
と言っても良いし、場合によっては
P(x)となる x が存在する。
という言い方もする。要するに、表す内容が同じであれば、表現の仕方にこだわらなくとも良い(中内信光、ろんりの練習帳、2002年、94頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① ~[∃x〔∀yP(x,y)〕]=
① 全ての人の親であるやうな人は存在しない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(05)
① ~[∃x〔∀yP(x,y)〕]
に於いて、
~[ ]⇒[ ]~
∃x〔 〕⇒〔 〕∃x
P( )⇒( )P
といふ「移動」を行ふと、
① ~[∃x〔∀yP(x,y)〕]⇒
② [〔∀y(x,y)P〕∃x]~=
② [〔全ての(人の)親であるやうな〕人は存在し]ない。
といふ「訓読」が、成立する。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① ~[∃x〔∀yP(x,y)〕]
といふ「論理式」を、
① 全ての人の親であるやうな人は存在しない。
といふ風に理解する。といふことは、
① ~[∃x〔∀yP(x,y)〕]
といふ「論理式」を、
② [〔∀y(x,y)P〕∃x]~
といふ「語順」で読んでゐる。といふことに、他ならない。
然るに、
(07)
数式はたまたま15世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパにおいて、ヨーロッパの言語に象って作り出されたという歴史的偶然を反映したものであるにすぎない(大谷泰照、日本人にとって英語とは何か、2007年、30頁)。
従って、
(04)(07)により、
(08)
① ~[∃x〔∀yP(x,y)〕]
といふ「論理式」も、20世紀のヨーロッパとアメリカにおいて、ヨーロッパとアメリカの言語に象って作り出されたという歴史的偶然を反映したものであるにすぎない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① ~[∃x〔∀yP(x,y)〕]
といふ「論理式」を、
② [〔∀y(x,y)P〕∃x]~
といふ「語順」で「訓読」したとしても、「何らの問題」も、生じない。
然るに、
(10)
中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。
(11)
しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
「漢文」は、固より、「述語論理」と同じく、「人工言語」としての側面がある。
従って、
(09)(12)により、
(13)
③ 不[有〔人為(全人親)者〕]。
といふ「人工言語」を、
④ [〔人にして(全ての人の親)為る者は〕有ら]ず。
といふ「語順」で「訓読」したとしても、「何らの問題」も、生じない。
従って、
(14)
例へば
③ 不有人為全人親者。
といふ「漢文」に対して、
③ 不レ有下人為二全人親一者上。
といふ「返り点」を加へることにより、
④ 人にして全ての人の親為る者は有らず。
といふ「語順」で「訓読」したとしても、「何らの問題」も、生じない。
然るに、
(15)
その上で徂徠は、こうした恥ずかしい誤りが量産されるのは、訓読という漢文学習法に決定的な問題があるからだと論じる。伝統的なこの方法を、徂徠は「和訓顚読之法」と表現しているが、それは返り点や一二点などを使って顚じて(ひっくり返して)和訓を導くからである。
(田尻祐一郎、荻生徂徠、2008年、72頁)
従って、
(09)(13)(15)により、
(16)
荻生徂徠は、
① ~[∃x〔∀yP(x,y)〕]
といふ「語順」を、
② [〔∀y(x,y)P〕∃x]~=
② [〔全ての(人の)親であるやうな〕人は存在し]ない。
といふ「語順」で読むことに対しても、「異議」を唱へるものと、思はれる。
(17)
漢字は、実は、本場の中国においても、その読み方は地域の自由にまかせているのである。― 中略 ―その多様さはインド・ヨーロッパ語族の多様さに優に匹敵する。それゆえに、もし中国においてことばの表記を表音文字にきりかえたならば、同時に十三以上の外国語ができてしまうということになる(鈴木修次、漢語と日本人、1978年、134・5頁)。
従って、
(18)
「ヨーロッパ語」が「一つ」ではないやうに、所謂、「中国語」も「一つ」ではない。
然るに、
(19)
⑤(J・G・メイシェン、新約聖書ギリシャ語原典入門、1967年、47頁)
により、
⑤ ΜΕΤΑ ΤΟΥΣ ΑΓΓΕΛΟΥΣ ΠΕΜΠΕΙ Ο ΘΕΟΣ ΤΟΝ ΥΙΟΝ.
は、「ヨーロッパの言語」である。
然るに、
(20)
⑤ ΜΕΤΑ ΤΟΥΣ ΑΓΓΕΛΟΥΣ ΠΕΜΠΕΙ Ο ΘΕΟΣ ΤΟΝ ΥΙΟΝ.
⑥ META TOUS AGGELOUS PENPEI O THEOS TON UION.
⑦ WITH THE MESSENGERS SENDS THE GOD THE SON.
に於いて、上から順に、
⑤「ギリシャ語」そのもの。
⑥「ギリシャ語」の「ローマ字表示」。
⑦「ギリシャ語」の語順のまま、「英語」に置き換へたもの。
である。
従って、
(18)(19)(20)により、
(21)
「ギリシャ語」は、「ヨーロッパの言語」であって、
「イギリス語」も、「ヨーロッパの言語」であるが、
「イギリス語」を学んだからと言って、
「ギリシャ語」が分るやうになるわけではない。
然るに、
(22)
光源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれ給ふ咎多かんなるに、いとど、かかるすき事どもを、末の世にも聞き伝へて、軽びたる名をや流さんむと、忍び給ひける隠ろへ事をさへ語り伝へけむ、人の物言ひがなさよ(源氏物語、帚木)。
といふ「千年前の日本語」を理解するためには、「現代日本語の知識」も、必要である(?)と、思はれる。
然るに、
(23)
「崎陽」は長崎の雅名であり、「崎陽の学」は長崎の唐通事たちを中心とした中国の俗語(口語)の学習を指している(田尻祐一郎、荻生徂徠、2008年、85頁)ものの、
聖賢の書は当然ながら、口語文とは異質な古い時代の文語文であり、「崎陽の学」を身に付けたからといって、読めるものではなく、それは、現代日本語の会話に通じている外国人が『万葉集』や『源氏物語』を読めるわけではないことににているかもしれない。しかし、それらの古典を読むためには、まず現代日本語の会話から学習しなければならないはずである(田尻祐一郎、荻生徂徠、2008年、85頁)。
従って、
(22)(23)により、
(24)
「聖賢の書(文言)」と「中国の俗語(白話)」との関係が、
「千年前の日本語」 と「現代の日本語」 との関係に、匹敵するのであれば、
「しかし、それらの古典を読むためには、まず現代日本語の会話から学習しなければならないはずである。」
といふ「説明の仕方」は、マチガイであるとは、言へない。
然るに、
(21)(23)により、
(25)
「聖賢の書(文言)」 と「中国の俗語(白話)」との関係が、
「二千年前ギリシャ語」と「現代のイギリス語」 との関係に、匹敵するのであれば、
「しかし、それらの古典を読むためには、まず現代中国語の会話から学習しなければならないはずである。」
といふ「説明の仕方」は、マチガイであると、言はざるを得ない。
然るに、
(26)
いわゆる「漢文」といっているのは、文言という。文章語のことだね。日本語の漢文訓読は、文言を日本語におきかえて読む技術だから、この白話は漢文訓読読みができない。文法がだいぶ違うんだ(橋本陽介、慶応志木高校ライブ授業 漢文は本当につまらないのか、2014年、202頁)。
加へて、
(27)
一般做乳母的人對事故從小撫養帶大的總是有一種偏愛、總是覺得與眾不同的:何況這位乳母所撫養帶大的是源氏之君這様稀世的人物呢!(林訳『源氏物語』一 六三頁)
といふ「中国語(白話)」は、「漢文(文言)の知識」では、「文字通り、全く、読めない」。
従って、
(10)(25)(26)(27)により、
(28)
「聖賢の書(文言)」と「中国の俗語(白話)」に関して、
「しかし、それらの古典を読むためには、まず現代日本語の会話から学習しなければならないはずである。」
といふ「説明の仕方」は、マチガイである。
(29)
道難知亦難言。為其大故也。後世儒者。名道所見。皆一端也。夫道。先王之道也。思孟而後。降為儒家者流。乃始與百家爭衡。
(田尻祐一郎、荻生徂徠、2008年、316頁、巻末付録)
然るに、
(30)
道難知亦難言 =道は知り難く、また言ひ難し。
為其大故也 =その大なる故がためなり。
後世儒者 =後世、儒者、
名道所見 =各々見る所をいふ。
皆一端也 =皆、一端なり。
夫道 =かの道、
先王之道也 =先王の道なり。
思孟而後 =思孟にして後、
降為儒家者流 =降りて儒家たる者流る(「流」は、読めないが、「流派をなす」のやうな意。)
乃始與百家爭衡=乃ち、始めて百家と爭衡す。
といふ風に、「訓読」をする場合は、
道難知亦難言。為其大故也。後世儒者。各道所見。皆一端也。夫道。先王之道也。思孟而後。降為儒家者流。乃始與百家爭衡。
といふ「47個の漢字」を、「観察」した結果として、「さう読む」のであって、
ドウダンチエイキナンゲン。ヰキダイコヤ。コウセイジュシャ。メイドウショケン。カイイッタンヤ。フドウ。センオウシドウ。シモウジコウ。コウフヰジュカシャリュウ。ダイシヨヒャッカソウコウ。
といふ風に、「音読」した上で、「さう読む」わけではない。
然るに、
(31)
徂徠は、書を千遍読めば意味はおのずとわかる(「読書千遍、其義自見」)とはどういうことか、幼時にはわからなかったと云う。意味がわか
らないのに読めるはずがなく、読めればわかっているはずだと思ったからである。しかし後になって、中華では文字列をそのままの順で読むた
めに、意味がわからないくとも読めること、それに対して。日本では中華の文字をこちらの言語の語順に直して読むために意味がとれなければ
読めないことに気づく(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、17頁)。
従って、
(30)(31)により、
(32)
徂徠が、「意味がわからないのに読めるはずがなく、読めればわかっているはずだと思った」といふのは、「音読」ではなく、「訓読」のことを言ふ。
従って、
(30)(32)により、
(33)
「漢文(白文)」を「訓読」しようとするならば、「その漢文(白文)を観察する」以外に、方法は無く、それ故、
読書不如看書=
読(書)不[如〔看(書)〕]⇒
(書)読[〔(書)看〕如]不=
(書を)読むは[〔(書を)看る〕如か]ず=
書物を音読することは、書物を看ることよりも劣ってゐる。
といふ、ことになる。
然るに、
(34)
徂徠は「題言十則」のなかで以下のように述べている。
中華の人多く言へり、「読書、読書」と。予は便ち謂へり、書を読むは書を看るに如かず、と。此れ中華と此の方との語言同じからざるに縁りて、故に此の方は耳口の二者、皆な力を得ず、唯だ一双の眼のみ、三千世界の人を合はせて、総て殊なること有ること莫し。
ここでの「読書」は、文脈からして音読であろう(勉誠出版、「訓読」論、2008年、27・244頁)
然るに、
(35)
予は十四歳の時に南総に流れ落し、二十五歳で赦されて江戸に還るまでの十三年間、田夫野老の中で暮らす毎日で、学門上の師も友も持てなかった。ただ父の篋中にあった「大学諺解」一冊、これは父の手沢本であったが、この書物を一生懸命に何度も読んだものである。すると久しくして、群書に通じるようになった(田尻祐一郎、荻生徂徠、2008年、78頁)。
従って、
(30)~(35)により、
(36)
学門上の師も友も持てなかった、十四歳から二十五歳までの徂徠は、「一人で、ひたすら、書を見る」ことより、「中華の文字をこちらの言語の語順に直して読んでゐた」結果として、群書に通じるようになった。
といふ、ことになる。
然るに、
(37)
予は近頃、華音で中国の俗語について知ることが多い。その上で漢文を読んでみると、実によく分かってくる(田尻祐一郎、荻生徂徠、2008年、74頁)。
従って、
(34)(36)(37)により、
(38)
徂徠は、
書を読むは書を看るに如かず=
書物を「音読すること」は書物を「看ること」よりも劣ってゐる。
と言ひながら、その一方で、
中国の俗語で「音読する」と、漢文が実によく分かってくる。
といふ風に、「矛盾したこと」を述べてゐる。
然るに、
(39)
文語体と口語体の区別は、もし簡便な基準を探すとなれば、それは耳で聞いてわかるのが口語体で、目で見なければわからないのが文語体だ、といえる。(「開明文言読本」開明書店、1948、導言)呂叔湘氏は人も知る「中國文法要略」(商務印書館、1942)の著者であり、解放後は中國科学院言語研究所長を勤めている超一流の言語学者であり、文化人である(牛島徳次、中國語の学び方、1977年、60頁)。
従って、
(39)により、
(40)
「目で見なければわからないのが文語体だ。」といふ風に、中国人自身が、述べてゐる。
従って、
(38)(40)により、
(41)
予は近頃、(日本漢字音ではなく)中国の俗語の「音」について知ることが多い。その上で漢文を読んでみると、実によく分かってくる。
といふのは、おそらくは、「気のせい」である。
平成28年12月15日、毛利太。
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