―「先ほどの記事」を補足します。―
(01)
① 郷人長於伯兄一歳、則誰敬。曰敬兄。=
① 郷人長レ於二伯父一一歳、則誰敬。曰敬レ兄。=
① 郷人長〔於(伯兄)〕一歳、則誰敬。曰敬(兄)。⇒
① 郷人〔(伯兄)於〕長一歳、則誰敬。曰(兄)敬。=
① 郷人〔(伯兄)より〕長ずること一歳ならば、則ち誰をか敬せん。曰く(兄を)敬せん。
(02)
「では、同じ村人で君の長兄より一つ年上の人があったとしたら、君はどちらを敬いますか。」公都子がいった。「それは兄の方だ。」
(小林勝人訳注、孟子(下)、1972年、227・229頁)
然るに、
(03)
「村人と兄、二人の内の、誰を敬ふか。」といふ「質問」に対して、
「それは兄の方だ。」と言ふのであれば、
「兄を敬い(、兄以外は敬はない)。」といふ、ことになる。
(04)
② 子貢問政。子曰、足食足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。=
② 子貢問レ政。子曰、足レ食足レ兵、民信レ之矣。子貢曰、必不レ得レ已而去、於二斯三者一何先。曰、去レ兵。=
② 子貢問(政)。子曰、足(食)足(兵)、民信(之)矣。子貢曰、必不〔得(已)〕而去、於(斯三者)何先。曰、去(兵)。⇒
子貢(政を)問ふ。子曰はく、(食を)足し(兵を)足し、民(之を)信ぜしむ。子貢曰はく、必ず〔(已むを)得〕不し而去らば、(斯の三者に)於いて何をか先にせん。曰く、(兵を)去らん。
(05)
子貢が政治のことをおたずねした。先生はいわれた、「食糧を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむををえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先にしますか。」というと、先生は「軍備を捨てる。」といわれた。
(金谷治・訳注、論語、1963年、230頁)
然るに、
(06)
「この三つの中でどれを先に捨てますか。」といふ「質問」に対して、
「軍備を捨てる。」と言ふのであれば、
「軍備は捨てる(が、軍備以外は捨てない)。」といふ、ことになる。
然るに、
(07)
AはBであり(A以外はBでない)。
A以外はBでない(BはAである)。
といふ「命題」を「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
① 誰敬=誰をか敬せん。
② 何先=何をか先にせん。
といふ「疑問文」は、「排他的命題」である。
従って、
(08)により、
(09)
例へば、
③ 吾之於人誰毀誰誉=吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。
といふ「疑問文(反語)」も、「排他的命題」である。
cf.
わたしはひとに対して、むやみにホメたり、みだりにケナしたりはしない。
(山田史生、全訳論語、2014年、465頁)
然るに、
(10)
③ 誰誉=誰をか誉めん。
に対して、
④ 我誉=我、誉めん。
であれば、
④ 我 は、「主語」である。
従って、
(11)
「英語」で言へば、
③ Who praise. の、
③ Who が、「主語」ではなく、「目的語」である。
といふ、ことになる。
従って、
(12)
④ 我誉=我、誉めん。
に対して、
③ 誰誉=誰をか誉めん。
といふ「語順」は、「漢語」としても、「異例」なのであって、次の(13)は、そのことを、述べてゐる。
(13)
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置きすることは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(08)(12)(13)により、
(14)
④ 誰誉=誰をか誉めん。
は、「排他的命題」であって、尚且つ、「(前置による)強調形」である。
然るに、
(15)
⑤ 誰が好きですか、
⑤ あなたは好きです。
といふ場合は、
⑤ あなた以外にも好きな人がゐる。
然るに、
(16)
⑥ 誰が好きですか。
⑥ あなたが好きです。
といふ場合は、
⑥ あなた以外に好きな人はゐない。
従って、
(07)(15)(16)により、
(17)
⑤ あなたは好きです。
に対する、
⑥ あなたが好きです。
は、「排他的命題」である。
然るに、
(18)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
然るに、
(19)
⑤「は」は、「清音」であって、
⑥「が」は、「濁音」である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
⑤ あなたは
に対する、
⑥ あなたが
は、「心理的な音量」による「強調形」である。
従って、
(17)(20)により、
(21)
⑥ あなたが好きです。
は、「排他的命題」であって、尚且つ、「(心理的な音量による)強調形」である。
従って、
(14)(21)により、
(22)
④ 誰誉=誰をか誉めん。
⑥ あなたが好きです。
に於いて、
④ は、「強調形」であって、「排他的命題」である。
⑥ も、「強調形」であって、「排他的命題」である。
平成28年12月30日、毛利太。
―「関連記事」―
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日)〔http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_30.html〕。
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