(01)
「漢文の基本構造」、すなはち、
(一)主述関係 主語―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係 叙述語―補足語
(四)並列関係 並列語―並列語
(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、281~3頁、抜粋)
を、
(一)主―述
(二)修―被
(三)叙―補
(四)並―並
とする。
(02)
(一)主―述
(二)修―被
(三)叙―補
(四)並―並
を、
(一)囗―囗
(二)囗―囗
(三)囗―囗
(四)囗―囗
とする。
(03)
(一)囗―囗
(二)囗―囗
(三)囗―囗
(四)囗―囗
を、
(一)囗>囗
(二)囗+囗
(三)囗(囗)
(四)囗・囗
とする。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
(一)主述関係 主語―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係 叙述語―補足語
(四)並列関係 並列語―並列語
を、
(一)囗>囗
(二)囗+囗
(三)囗(囗)
(四)囗・囗
とする。
然るに、
(05)
① He>always+reads(many+books).
に於いて、
① He は、主語。
① reads は、述語。
① many(形容詞) は、連体修飾語。
① always(副詞) は、連用修飾語。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① He>always+reads(many+books).
は、「漢文」ではないものの、
(一)囗>囗
(二)囗+囗
(三)囗(囗)
を満たしてゐる。
然るに、
(07)
① He>always+reads(many+books)⇒
② He>always+(many+books)reads=
② 彼>常+(多く+本)読む=
② 彼は常に、多くの本を読む。
従って、
(07)により、
(08)
>=は
+=に
+=の
)=を
である。
加へて、
(04)により、
(09)
父 ・母=
父と母。
従って、
(08)(09)により、
(10)
>=は
+=に
+=の
)=を
・=と
である。
然るに、
(11)
日本語においては、単語に付加し自立語同士の関係を表したり、対象を表したりする語句の総称。付属語。活用しない。俗に「てにをは」(弖爾乎波・天爾遠波)か「てにはを」(弖爾波乎)と呼ばれるが、これは漢文の読み下しの補助として漢字の四隅につけられたヲコト点を左下から右回りに読んだ時に「てにはを」となることに因るものである(ウィキペディア:助詞)。
従って、
(04)(10)(11)により、
(12)
(一)>
(二)+
(三)( )
(四)・
は、所謂、「ヲコト点」に、相当する。
然るに、
(13)
古くは乎古止点(をことてん、旧:をことてむ)によって、漢文に「を」や「こと」などを補うのに興り、返り点(かえりてん、旧:かへりてむ)で読む順番を示したり、送り仮名や句読点、片仮名などで日本語の訓で読む助けにしたりして発展した。ヲコト点・返り点・送り仮名・振り仮名などを総称して訓点という(ウィキペディア:訓読)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
(一)>
(二)+
(三)( )
(四)・
は、「訓点」に、相当する。
それ故、
(15)
(一)>
(二)+
(三){[〔( )〕]}
(四)・
を、『訓点』とする。
然るに、
(16)
(一)囗>囗
(二)囗+囗
(三)囗{囗[囗〔囗(囗)〕]}
(四)囗・囗
だけでは、少なくとも、
(五)囗‐囗:熟語等(固有名詞を含む)。
が、不足する。
従って、
(15)(16)により、
(17)
(一)>
(二)+
(三){[〔( )〕]}
(四)・
(五)‐
を、『訓点』とする。
従って、
(18)
例へば、
(一)囗>囗 主述関係 主語―述語
は、
(一)囗は囗
(一)囗が囗
である。
然るに、
(19)
ところで、古文では、この「が」「は」「を」が、当然のことのように省略されている場合が、ずいぶんと多い(中村菊一、基礎から分かる古典文法、1978年、7頁)。
従って、
(19)により、
(20)
彼>読(書)。
は、
彼、書を読む。
であって、
彼は書を読む。
ではない。
加へて、
(21)
【1】[が][の]
① 主語を示す。〈・・・・・ガ〉
日の暮るるとき。
汝が去りし日。
(中村菊一、基礎から分かる古典文法、1978年、154頁)
従って、
(04)(21)により、
(22)
日>暮+時=日の暮るる時。
汝>去+日=汝が去りし日。
である。
従って、
(18)(20)(21)により、
(22)
(一)囗>囗
は、
(一)囗は囗
(一)囗が囗
(一)囗、 囗
(一)囗の囗
であるため、
(一)囗>囗
の「読み方」は、「一通り」ではないし、
(二)+
(三){[〔( )〕]}
(四)・
(五)‐
に関しても、「一通り」である「必要」は、無い。
(23)
③ 我>不{必+求[以〔解(中‐国+語)+法〕解(漢‐文)]}。
に於いて、
③ 中‐国 は、
③「熟語等(固有名詞を含む)」である。
従って、
(24)
③ 中‐国+語 は、
③ 中華人民共和国の語 といふ意味である。
(25)
③ 解(中‐国+語)+法 は、
③ 中華人民共和国の語を解する方法 といふ意味である。
従って、
(26)
③ +法 の「+」は、
③ 解する の「する(連体形)」に、対応する。
(27)
③ 以〔解(中‐国+語)+法〕 は、
③ 中華人民共和国の語を解する方法を用ゐて といふ意味である。
(28)
③ 求[以〔解(中‐国+語)+法〕解(漢‐文)] は、
③ 中華人民共和国の語を解する方法を用ゐて漢文をすることを求む といふ意味である。
従って、
(29)
③ 我>不{必+求[以〔解(中‐国+語)+法〕解(漢‐文)]}。
に於ける、
③ > { + [ 〔 ( ‐ + )+ 〕 ( ‐ )]}
といふ『訓点』は、
③ 我不必求以解中国語法解漢文=
③ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}⇒
③ 我{必[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不=
③ 我{必ずしも[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}ず。
といふ「漢文」に対する、「私自身の解釈」に、なってゐる。
従って、
(29)により、
(30)
③ 我不必求以解中国語法解漢文⇒
③ 我、必ずしも、中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求めず。
といふ「漢文訓読」が、「誤り」であるならば、
③ 我>不{必+求[以〔解(中‐国+語)+法〕解(漢‐文)]}。
に於ける、『訓点』が、「誤り」である。
然るに、
(01)(04)(16)により、
(31)
(一)囗>囗
(二)囗+囗
(三)囗{囗[囗〔囗(囗)〕]}
(四)囗・囗
(五)囗‐囗:熟語等(固有名詞を含む)。
といふ『訓点』は、「漢文の基本構造(シンタックス)」を、表してゐる。
従って、
(30)(31)により、
(32)
③ 我>不{必+求[以〔解(中‐国+語)+法〕解(漢‐文)]}。
に於ける、『訓点』が、「誤り」である。ならば、
③ 我不必求以解中国語法解漢文。
に対する、『シンタックスの把握』が、「誤り」である。
といふ、ことになる。
従って、
(32)により、
(33)
③ 我>不{必+求[以〔解(中‐国+語)+法〕解(漢‐文)]}。
に於ける、『訓点』は、
③ 我不必求以解中国語法解漢文。
といふ「漢文」の、『シンタックス』を、表してゐるて、尚且つ、それは、「正しいか、正しくないか」の、いづれかである。
平成27年01月13日、毛利太。
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